薬を塗って、包帯を巻いて。 白い布で覆われたリオの右手に、小さな子供はその膝に縋ってまだ眉を下げた悲しそうな顔をしていた。 「ごめんね、リオ……」 『ジョミー……』 そんなに悲しそうな顔をされていると、こちらの方が心苦しい。 リオは困ったように苦笑して、ジョミーの背中を優しく撫でた。 『本当に大した傷ではないんですよ。ほら、ジョミーが大袈裟に騒ぐから、他の人たちは笑っているくらいですから』 リオにそう諭されて、部屋を見回したジョミーはドクターと看護士とブルーとハーレイと、順番に見回して、ようやく納得したようだった。 「そうだな。それよりお前さんのその寒そうな格好のほうが問題だ」 ドクターは上半身に何も着ていないジョミーに笑いながら、濡れた服を広げる。 「ほう、育英都市の服か。本当にこちらに着いたばかりなんだな。子供用の予備の服は置いていたかな」 ドクターが看護士を振り返ると、女性は困ったように頬に手を当てて首を振った。 「それが……先日、ターニップが遊んでいて破いてしまったものの代わりに最後の一着を渡してしまって、今はちょうど切れているんです」 「そうか、それなら仕方ない。ジョミー、おいで。部屋までは僕のマントに包んであげよう」 壁際で黙って見ていたブルーが藤色の布に手をかけながらジョミーを呼び寄せたが、当の本人はリオの膝にとりついままブルーからつんと顔を背けた。 「これくらい平気さ。ここはそんなに寒くないから」 「まあ」 ソルジャーに対する頑ななジョミーの態度をまだ目の当たりにしていなかったドクターと看護士はそれに驚いて、恐る恐るとブルーを伺い、それからハーレイとリオを見る。 ハーレイは瞑目したまま、リオは困ったように首を傾げるだけ。 どうして育英都市から救い上げてくれたソルジャーにそんな態度を取るのか、心中でソルジャーを罵っているのか、その理由がわからない。 眉を寄せた二人に、ブルーは軽く苦笑してその不満を宥めるように思念を送り、言葉でも説明をしておく。 「ジョミーはまだ未分化の状態なのだ。ミュウとしての自覚がないままに無理やり連れてきたから、少し心が抉れてしまっている。それだけのことだ」 だから怒るなと言い置いて、再びジョミーに手を伸ばす。 「ジョミー、おいで。寒気を感じてからでは遅いのだから」 それでもブルーの呼びかけを無視するジョミーに、しがみ付かれたリオはそっとその頬を撫でた。 『ジョミーが風邪を引いてしまったら、それは私のせいですね……』 「なんで!?違うよ、ぼく自分で脱いだんだもの」 『けれど私の傷口を保護するためだったでしょう。着替えの時間を惜しむほどに急いだことだって……』 「リオのせいじゃないよ!」 この船に連れてこられて、最初に優しくしてくれたリオが悲しむ姿は見たくない。 ブルーの優しさは騙されたという想いが先に強くあるために素直に感じることはできないが、リオの優しさには裏をまったく感じない。だからジョミーにとって、最初に優しくしてくれたのは、どこまでもリオなのだ。 どうしたらいいのかと困り果てるジョミーに、後ろから軽い咳払いが聞こえた。 「ジョミー」 嫌々に振り返ると、ブルーが腰を屈めて両手を広げて待っている。 リオを見上げると、そうしてくださいと頷かれる。 ジョミーは眉を寄せ、胡散臭そうな目を向けたままブルーに近づいた。 「言っておくけど、ぼくは別に風邪なんて引かないんだからね。リオが心配するから仕方なくだぞ」 「わかっているとも。部屋までの我慢だ」 ブルーは深く頷いて、ジョミーをマントの内に隠してしまうように懐に抱き上げた。 「あれ?しかし長さ的にはハーレイ艦長のマントのほうがちょうどいい……」 ふと、気づいたように呟いたドクターの脳裡に直接ハーレイの思念波が流れ込んでくる。 『余計なことを言ってジョミーに気づかせないでくれ』 ソルジャーが睨んでいる、と続けられた言葉にドクターと看護士は顔を見合わせた。 その横でリオは対照的に微笑みを見せる。 少し意地を張るけれど、それも少しのことで、本当に素直な子だ。 リオの微笑みを見て、ジョミーはようやく現状に納得したようだ。嫌々だというあからさまな態度を改めて、落ち着いてブルーの腕の中に収まった。 ソルジャー・ブルーの話によると、ジョミーはまだ完全にはミュウとして目覚めていない。だが未分化とはいえ、もう変化は始まっている。 だからこそ、テラズナンバー5がそれを察知する前にアタラクシアから連れ去ってきたのだと。 初めての思念での会話が煩わしいのは無理もないと思う。心と心を直接に触れ合わせることに慣れていないのだから仕方がない。 だがジョミーは、リオにそれしか術がないのだとわかると即座に恥じ入って反省した。 素直で、聡い子だ。 自分だっていきなり連れ去れてきて、それだけでも癇癪を起こしても無理もない話なのに、そこで自分が悪いのだと思うと反省できるなんて。 目の前のことに素直に感情が動くのだろう。 「リオ、君にならどうにかできるかもしれない……いや、どうにかしてくれ。長老方だとみな私と同じだが、君なら……ソルジャーのプレッシャーに耐えられる君なら……!」 艦長にそんな訳のわからない訴えと願いを押し付けられて、一体どんなことが待ち受けているのかと青の間を訪ねたのは昨夜のことだ。 ベッドに眠る子供を見ながら、この子の傍にずっとついていてやって欲しいと願われたときは、さすがに驚いて、そして戸惑った。 なるほど、艦長の懇願の理由はこれかと悟ったものだ。あまりソルジャーの言動に反対することのない艦長があれほどまでに手を焼いているとは。 『ですがソルジャー、それではあなたの補佐の仕事に支障が出ます』 「ハーレイから聞いているだろう。ジョミーの傍にいる間は、僕のことは気にしなくていい」 『そうは仰いますが』 「わかっている。ハーレイの不安も、リオの危惧も。だがジョミーには君についてもらいたい」 反論を強く止められて、リオは不審に眉を寄せた。 確かにソルジャー・ブルーは、その麗しい風貌からは予想もできないほど頑固な一面がある。こうと決めたことは誰の反対も許さない、いや反対するのは勝手だが聞き入れない、止めたければ自分を説得してみせろという態度を取ることも少ない。 だがその場合の大抵は、その行動の向こうに存在する目的や利点というものが見えるのだ。 その行動によってもたらされるマイナスの要因とプラスの要因と。 長老たちが反対するのは、マイナスの要因が大きいと見られるとき。 ブルーがそれを押し通すのは、マイナスがあってもプラスがそれ以上に多いというとき。 では、ジョミーの件でのプラスの要因はなんだろう。その向こうにあるものがまったく見えないというのは、さすがに初めてのことだった。 リオの不審を感じて、ブルーは仕方がないと息をつく。 「これはまだ、ハーレイにしか話していないことだ。明日には長老たちにも……ああ、フィシスは言わなくてもわかるかな。とにかく、まだ周囲には漏らさないで欲しい。皆に報せるのは頃合をみてからのつもりだから」 あらかじめそう断って、リオの覚悟を呼び込んでおいてから、ブルーは爆弾を放り投げた。 「ジョミーを僕の後継者にする」 廊下の途中で、ブルーは突如としてハーレイを振り返った。 「そうだ、ハーレイ。君はここより先には来ないように」 ジョミーとの約束を忘れるところだったという思念が零れてきて、ハーレイは深く溜息をついた。 『ジョミーとの約束?』 「そう。青の間にはハーレイを入れないという約束をしている。青の間から出なければ、ハーレイと遭遇しなくていいという寸法だ」 そこまでジョミーに怯えられるなんて、一体何をしたのだろうという目を向けると、ハーレイはリオの冷たい視線に慌てて手を振る。 「私は何もしていない!」 慌てたあまり、大声を出してしまった。 ジョミーは小さな悲鳴を上げて強く目を瞑ると、首を竦めてブルーにしがみつく。 ブルーから鋭い視線が飛んだがハーレイとリオは確かに見た。ジョミーにしがみ付かれたその瞬間、彼を抱えたブルーの腕に力が篭り、口元が綻んだところを。 だが賢明なリオと、すぐさま睨み付けられたハーレイはその辺りの記憶を即座に消去する道を選んで何も言わない。 ハーレイは黙々と一礼をすると、ブリッジに向かって別の道へと歩き去った。 「もう大丈夫だ、ジョミー。ハーレイは行ってしまったよ」 「……本当?」 恐る恐ると顔を上げたジョミーは、耳があったら頭に伏せてしまっていそうな怯えた風情で周囲を伺う。 そしてブルーの言葉通りにハーレイの姿が見えなくなっていることに胸を撫で下ろすと、はっと気づいたようにブルーの顔を見た。 「べ……別に怖くなんてない!」 わかり易いです、ジョミー。 リオは思念波には乗せず、心の中だけで意地っ張りな少年に苦笑した。 同じくわかり易い反応でも、いい大人が見せるものとは違って小さな子供のそれは微笑ましい。 『わかり易いいい大人とは、僕のことかね、リオ?』 思念波には乗せなかったが、意識して遮蔽もしていなかったのでどうやらソルジャー・ブルーには聞こえてしまったようだ。 どこかひやりとした笑みを向けられて、リオは笑顔で首を傾げる。 『そう思われる心当たりがおありですか?』 にこにこと笑顔でまったく怯まないリオに、ブルーは軽く肩を竦めて再び歩き出した。 それに従いながら、リオは軽く溜息をついた。 今度は完全に思念を遮蔽して、心の中で呟くように考える。こうしておけば、ソルジャーは滅多なことでは勝手に人の思念を読み取らない。できないのではなく、できてもやらないのだ。人の尊厳として。 それにしてもソルジャーのあれは、後継者への期待を込めた好意の域を越えているように見える。 それでは何かと問われると、上手く説明できるものをリオは持たない。 ただ、明らかに違うということだけは感じる。 リオと同じ感じ方をジョミーがしていれば、それは子供の寵を争う両親の姿を思い起こしたかもしれないが、生憎とリオの記憶には暖かい両親との繋がりというものがない。 リオがミュウとしての兆候を現したのは、今のジョミーよりも幼い頃からだった。 人の心が読めるということを、両親に気づかれなかったのは、ひとえに相手がミュウでなかったからだ。だが他の子供たちとの差異を感じていたのだろう。両親から遠巻きにされていた。 ブルーに見つけられる歳まで無事に過ごせたのは、ジョミーとは違い両親の心の声をそのときからすでに聞いていたから、対応を間違えなかったためだ。 それでもシャングリラからの迎えがきたのは、深層心理テストを受けさせられることが決定する、その寸前だった。 両親との温かい思い出を持たないリオにとって、温かいものはシャングリラの仲間との絆になる。 仲間同士の絆と、ソルジャー・ブルーの仲間への分け隔てがなく公平な慈愛。 ジョミーに注がれるものは、そのどちらでもないようだと、そう感じることしかできなかった。 青の間に到着すると、ジョミーはすぐにブルーの腕から降りたがった。 バタバタと暴れる子供に、ブルーは渋々と言った様子で腰を屈めてジョミーを解放する。 ジョミーはすぐにブルーから距離をとって、リオの傍に駆け寄った。 『では、風邪を引かないように着替えましょう。ソルジャー、ジョミーの着替えは次の間でいいのですね?』 「いや?」 冷えないうちにとジョミーを部屋の奥へ連れて行こうとしたリオは、その不可解な返答に振り返る。 「ジョミーを連れてくるかどうか、判断は最後まで迷っていた。衣装を用意させておいて、まだもう少し待てると判断が出た場合、その処理に困るだろうと思ってね」 だから何もないと言われて、リオはがくりと肩を落とした。 もしもジョミーをシャングリラに迎える時期をずらしたとしても、それならジョミーのために用意した服は他の子供に回せばいいだけだ。ジョミーくらいの体格の子供は何人もいるというのに。 「僕の上着の替えがあるだろう。それを使ってくれ」 言われなくてもそうするしかないと、ジョミーの手を引いて歩き出したリオは次のソルジャーの言葉に足を止めた。 「ジョミーには大きいだろうから、すっぽり埋まってしまうだろうけれど……僕の上着に埋まってしまう様子はさぞや愛らしいだろう。そう思わないか、リオ」 同意しかねた。想像すれば確かに可愛らしい小さなソルジャーごっこのような姿なのに、何故か同意しかねた。 『……私の潜入用の服を持ってきます』 「なぜ?」 『そうしなければならない気になったからです』 リオはきっぱりと言い切って、ジョミーをベッドまで連れて行くとその上に座らせて、ブランケットで厳重に包んで強く言い含めた。 『私が帰ってくるまで、ブランケットから抜け出てはいけませんよ。身体を冷やしてしまいますからね。ソルジャーに何を言われても、このままでいいです』 「君は一体、僕をなんだと思っているんだ」 不満そうなブルーの言葉に、リオは軽く溜息をついて振り返った。 『誰よりもジョミーの味方になって欲しい、と仰ったのはあなたです』 昨夜、リオにジョミーの傍にと願ったとき、ブルーが語った理由はそれだった。 ソルジャーの仕事の概要を理解しているリオから好意を得ていれば、ジョミーがソルジャーとなるときに大きな助けになるだろう。そしてジョミーもまた、傍にいる者との強い信頼と絆を、小さな頃から築くことができる。 ジョミーにとっても、リオにとっても悪い話ではないはずだ。無論、ジョミーがソルジャーとなった暁には自分の補佐は自分で決めていいのだから、ブルーの思惑が外れることだってあるだろう。 そうだとしても、無駄にはならないはずだ。 「だから誰に対してよりも……僕に対してよりも、ジョミーの味方でいて欲しい。いや、それはリオが決めることだな。だが僕には自信がある。君は必ず自分の意志で、ジョミーの味方になる、とね」 互いに昨夜の会話を反芻したところで、リオはジョミーを振り返り微笑みかけると、それからブルーに向き直った。 『仰る通りになっただけのことです』 「納得したような気もするが、やはりどこか釈然としないな……」 眉を寄せて首を捻るブルーに、リオはそれ以上は何も言わなかった。 |
アニメの一般のミュウの服が、ツナギになっているのか 上下分かれたセパレイト式なのか、自信がなかったので 着替えは潜入時のシャツということに。 いえ、特に着替えの話は引っ張りませんがなんとなく(笑) |