ジョミーに疎まれる覚悟はしていた。 既に状況は、ジョミーが何も知らないだけでその目覚めまでは時間との勝負であったし、連れてくる方法としてもジョミーの興味を誘う形を作った。強引に抱えてきたわけでもない。 それでもジョミーの反発に遭うだろうことは、予想も覚悟もしていた。ジョミーは何も知らなかったのだから。 だが想像のジョミーに拒絶されることと、実際に目の前にいる本物のジョミーに拒絶されるとでは、こんなにも違うものなのか。 ハーレイを先に行かせた瞑想の間へ向かいながら、ブルーは溜息にならないように注意して僅かに息を吐いた。 ブルーと二人きりの間、ジョミーは早く帰ってこないかとずっとリオのことを考えていた。 今も青の間にいるジョミーの思念を探ると、ブルーといたときのような全身で拒絶していた刺々しいものはなくなっている。 ブルーは軽く首を振って飛ばした思念を断ち切った。今の状態でこれ以上リオと過ごすジョミーを探っても、空しくなるだけだ。現在、青の間にはジョミーが過ごし易いようにと思念を遮断するシールドを掛けているので、あの部屋にいる限りジョミーの心が勝手に流れてくることはない。 リオならジョミーの癒しになるのではないかと、それは狙い通り、狙い以上だった。 それをただ喜べばいいというのに、我が身を振り返ってしまって漏れるのは溜息ばかり。 自分がこんなにも狭量だとは思わなかった。 「………いや、僕にはまだハーレイがいる」 ブルーとは違う意味で、あるいはブルー以上に拒まれている存在があることに救いを覚える。 シャングリラにおけるジョミーの意識には、今のところブルーとリオとハーレイしか存在しない。医者と看護士とも顔を合わせはしたけれど、あの二人はまだ通りすがりのミュウたちと同じくらいの存在だろう。 ブルーとリオとハーレイの中で、今のジョミーが受け入れているのはリオしかいない。 そしてきっと、ジョミーならばミュウであることを受け入れたら、すぐにでも仲の良い相手を増やせるだろう。しかしブルーは最初の印象がすこぶる悪い。 こうなったらハーレイは僕の道連れだ。 しばらくはジョミーの誤解を解くのは絶対に止めておこう。 そんなことを勝手に決意されているとも知らずに、瞑想の間に入ってきたブルーに長老たちは一様に頭を下げた。 もちろん、ハーレイも。 長方形のテーブルの一角についたブルーは、軽く組んだ足の上に手を置いて深く腰掛けた椅子の背凭れに身体を預けた。 ゼル、エラ、ハーレイ、ブラウ、ヒルマンとテーブルの左右に座る面々をゆるりと見渡す。 「ソルジャー、重大な話があると言うことですが……」 なかなか切り出さないブルーに、代表したようにゼルが控え目に口を開いた。 「そう、重大な朗報について、だ」 「朗報?」 ブラウが首を傾げる。見渡した長老たちは一様にブルーに注目していて、目を伏せているのはハーレイだけだ。 「昨日、僕は新たな子供をこのシャングリラに連れてくることに成功した」 「まあ……それは喜ばしい」 痛ましい子供がまた一人救われたのだとエラは安堵の声を漏らしたが、ヒルマンは僅かに眉を寄せた。 子供、大人に関わらず、新たな仲間が増えるとなれば、それはすぐに船内に知られることになるはずだ。それなのに、昨日の出来事とはいえそんな話は聞いてもいない。 だから今こうして話しているのだということになるのかもしれないが、それにしても他のセクションの長老たちはともかく、ヒルマンは子供たちの教育を任されている。 それだけに新たな仲間が船に迎えられると、真っ先にヒルマンのところに話が通るはずなのに、そんな話は欠片も知らなかった。 そんな疑問を表情に表したヒルマンに、ブルーは僅かに口元を上げて微笑んだ。 「しかしソルジャー、ご自身が出られたとは、お身体は大丈夫なのですか」 ゼルもエラ同様、救われた者がいることを喜ばしいとは思っているようだが、ミュウの仲間たちにとって、何より大切なのはソルジャー・ブル―の存在だという懸念も大きいらしい。 自身がミュウであることについての自覚、無自覚に関わらず、育英都市に潜伏している子供たちの救出に、基本的にはソルジャー・ブル―は参加しない。それは地位や出し惜しみという問題ではなく、昨今のブルーの体力の低下が著しいために、なるべく負担をかけないよう決められた措置だ。 そして周到な下準備の元に、救出作戦が決行される。逆に言えばブルー以外の者が救出に向かうときには、そのための準備期間が必要ということになる。 ブルーが出たとなればよほどその子供は危険な状況だったということになるのだが、それならばその救出に向かったブルーにも負担が大きかったのではないかという心配の視線を受けて、ブルーはまたくつりと笑みを深くする。 「ああ、まったく問題ない」 「だけど、機関が動きそうな気配なんてなかったんだけどねえ」 隠れたミュウを発見するには、自分達で探す他にもテラズナンバーに管理された都市行政機関の動きを見張っていることが有効だ。 こちらが察知されるわけにはいかない監視なので、情報を見逃して後手に回ることも多いのだが、それにしたって今シャングリラが上空にいるアタラクシアの政府機関が動いた気配は微塵も見当たらなかった。 ブラウの疑問は率直な疑問であって、疑惑ではなかったにしろ、ブルーはにこりと笑って膝の上で組んでいた指を解く。 「そうだろう。テラズナンバー5もまだジョミーの潜在能力には気づいていなかった。……時間の問題ではあったけれどね」 「ジョミー?」 「ジョミー・マーキス・シン。僕の愛し子の名前だよ」 一瞬、ソルジャーから紡がれた言葉に瞑想の間は沈黙に包まれた。 ハーレイ以外の四人が顔を見合わせ、それから再びブルーへ四対の視線が戻る。 「時間の問題であったにせよ、まだ察知されていなかったのでしたら、救出隊を組んでもよかったのではありませんか?」 どうやら理解できなかった部分は聞こえなかったことにしたらしい。 エラのごく真っ当な意見に、ブルーは軽く息をついて右の肘掛けに頬杖をつく。 「ジョミーをこのタイミングで連れてくるかどうか、直前までまだ保留していた。だから他の者には任せられなかった」 「保留に?なぜです」 その子供がミュウという確信があるのなら、一刻も早くあの恐ろしいSD体制の魔の手から救ってやるべきだろう。ブルーの考えが理解できずにヒルマンが眉を潜めた。 「僕はジョミーに可能性を見出していた。あの子に、我々ミュウと人との架け橋になって欲しいと。そのために、出来る限り彼には人間側の体制のことも体験しておいてもらいたかった」 「人間との架け橋!?しかも子供がですと!」 椅子の足が激しく床に擦りつけられた。ゼルの拳はぶるぶると震えてはいるが、まだ席を立ってはいない。 ブルーはそれを一瞥して、頬杖をやめると深く頷いた。 「そうだ。我々は今まで地球側の理解を求めて生きてきた。我々も生命だ。我々に生きる道を、と。……だがゼル、君は人に対して、隔意無く接することが出来るか?」 「何をっ」 「理解を求める側が、最初から拒み隔意を示していて、どこに理解を深める接点があると思う」 「それは……」 ブルーは僅かに顎を逸らすようにして、先ほどとは違う重い沈黙に室内の面々を見渡す。 「ハーレイほど直接にではないにしろ、君たちが僕の考えを一面で甘いと思っていることは理解しているつもりだ。だがそれでも、僕はできることなら歩み寄る道を探したい。力に力のみで対抗して心に憎しみが宿れば、それは容易に昇華させることはできない。……それは僕たちがもっともよく知ることのはずだ」 「ソルジャー!」 悲鳴のような声を上げたのは誰なのか。 目を閉じてブルーは嘆息をつく。 追い立てられ、狩られ、迫害された記憶はどう足掻いても消せないし、消すつもりも無い。 苦痛と絶望と慟哭。アルタミラを脱出した後もその記憶を乗りえるために、更なる壮絶な苦痛を味わった。生き抜くことだけで精一杯のはずなのに、ふとした瞬間に蘇る憎悪。 その底でだからこそ生まれた、強く純粋な願い。 「僕たちは、ただ生きたかった。平凡でいい、特別な幸福など必要なかった。ただ、生きたかった」 瞼を上げると、ブルーはもう一度ゆるりと長老たちを見渡す。 「だからこそ、それを許さなかった者たちを、今もなお許さない者たちを、隔意無く見ることは難しい。だがそれでは何も始まらない。何一つ変わらない」 「……我々を否定すると申されますか」 「そうではないよ、ゼル。僕も同じだと言っているのだ。憎む心は捨てたつもりだ。だがその先にまでは、なかなか到達できない」 「その先?」 首を傾げるブラウに微笑みを見せて、そうだと頷く。彼女の隣に座るハーレイと、ここでようやく目が合った。 「人を、愛することだ」 一拍の間を置いて、話を続けようとしたブルーはリオの悲鳴のような思念を聞いて口を閉ざした。 瞑想の間は、その用途のために思念に対して常にシールドが貼られている状態となっている。 だからこそ重要な会議などはここでするようにしているのだから、この場でリオの思念を聞いたのは、どんな状況でも常に船内に少しの意識を残しているブルーだけだ。 「ソルジャー?」 「少し待て」 ブルーが中空を見たまま黙り込んだことに腰を浮かしたハーレイを、片手で制して離れた場所にいるリオに呼びかける。 『リオ、どう………』 返事が返る前に、違和感に気づいた。 リオの傍にいるはずの、ジョミーの思念を感じない。ジョミーは思念を遮断することができないから、リオの傍にいればすぐにわかるはずなのに。 『申し訳ありません、ソルジャー!目を離した隙にジョミーに逃げられました!』 「なんということだ!」 突然大声を上げ椅子を蹴倒して立ち上がったソルジャーに、長老たちは一様に非常事態を察して音も無く立ち上がる。常に冷静沈着なソルジャーがこんなに取り乱した声を上げるとは、それこそシャングリラの危機に違いないと、蒼白になってブルーを伺うのも無理はない。 ブルーのジョミーへの執着振りを、僅かなりとも目にしていたハーレイですら例外ではなかった。 ブルーは立ち上がり中空を見たまま、シャングリラ中に巡らせた思念から一瞬にしてジョミーの居場所を突き止める。意識をすれば、船内のどこにいても今のジョミーなら見つけることも容易い。 今回の脱走に気づかなかったのは、わざと自分でジョミーの思念から目を背けた上に瞑想の間で会議をしていたせいだ。 せめてここがブリッジなり他の部屋だったなら、青の間を出たジョミーの思念をその場で気づくことができただろうに。 『リオ、ジョミーはメインデッキから出て行こうとしている。L区画へ行ってくれ。僕もすぐに行く』 リオの返答を受けて、ブルーは長老たちに視線を戻す。 「すまない、会議はここまでだ」 「無論です。一体が何が起こったのですか」 緊張が走る面々の耳に、予想もしない話が飛び込んできた。 「ジョミーが逃げ出した」 「…………は?」 「ジョミーがリオの隙をついて僕の部屋から逃げ出したらしい。すぐに連れ戻さないと、今の彼は思念を遮蔽できないから騒動の元になる」 どんな緊急事態が起こったのかと思えば、たかが子供一人が船内を走り回っているという事実。 長老たちが一気に脱力するのも無理はない。 そんな気持ちを先行体験していたハーレイですら、テーブルに両手を突いてうな垂れる。 「しかし助けていただいたソルジャーの元から逃げ出すとは……」 「違う、ヒルマン。ジョミーは何も知らない。自分がミュウである自覚すら、まだ持っていない。彼は我々とは違い、人に迫害を受けていない。両親の庇護の元でまっすぐに育った太陽のような子供なのだ」 「そのようなことが」 「あるのだよ、エラ。だからジョミーは僕を誘拐犯として恐れ嫌っている。いいかい、ジョミーは何も知らないのだ」 ブルーたち初代のミュウほどの過酷な実験の経験はなくとも、育英都市で生まれたミュウは少なからず不遇な扱いを受けている。周囲から気味悪がられ遠巻きにされたり、養父母との間に横たわる深い溝を埋めることが出来ずにいたり、幸福とは言い難い経験を持っているものがほとんどだ。 あるいは、成人検査の折に目覚めた者は記憶を消され、楽しい思い出も幸福な記憶も無くしている。 シャングリラで生まれた子供は、理不尽な苦痛の体験を知らないとしても、同時に人間社会の記憶も当然存在しない。 「今はまだジョミーの心が抉れている。だが確信がある。彼はミュウを、僕たちを必ず愛してくれるだろう」 仲間となるのだから当然だ。そんな考えが見える長老たちに、ブルーはくすりと笑みを浮かべて。 「そして彼は、両親や友人という愛した人たちとの記憶も持っている。ミュウも、人も、同等に愛すること。若い世代にならできるかもしれない。だが彼らを導く我々にそれが難しい。僕らが一線を引いてしまっている様を見せて、忌まわしい記憶を持たない世代にまで憎み合う気持ちを受け継がせたくはない」 「ですが、人間こそ我々に歩み寄る意志がないというのに」 「わかっているさ。だが要求するだけで、要求した側である僕たちが人を拒絶することも本末転倒だ。この断ち切れないメビウスの輪を崩す……その切っ掛けを導いてくれるかもしれない。それがジョミーだ」 唐突な話に、長老たちが困惑の表情で顔を見合わせる。そのことは予想済みだ。 苦楽を共にしてきた仲間たちでも、そして気持ちを通い合わせる術に長けるミュウ同士ですらも、相互に理解することはこんなにも難しい。 それでも、希望なのだよ。 そう呟いて、ブルーはジョミーの意識を追って瞑想の間を後にした。 |
ブルーは守るための手段の力を否定しているのではなく、 それは必要として、けれどそれだけでは何も変わらないという 閉塞感をどうにかしたかった……んですが、ここでこんなこと 言ってる時点でその辺りの表現をは失敗してるんじゃ……。 ジョミーが丸々登場しない回は自分的潤いが不足します(苦笑) |