「聞いてソルジャー!あの子ひどいのよ、ソルジャーのこと悪く言うの!大ッ嫌い」
ジョミーが広場を去った後も、子供たちはブルーが近くにいることを喜びながら、ジョミーの漏らした言葉への不満を忘れない。
ブルーは困ったように微笑み、強く訴えるニナの頭を優しく撫でる。
「ニナ、どうかそんな悲しいことを言わないでくれ。あの子はまだ何も知らないだけなのだよ」
「何もって?」
「何も。すべて。どうして自分がこの船に連れて来られたのか、この船が一体どんな場所なのか、僕のことも、そしてジョミー自身がミュウであるということすら、何も」
「ええー!?」
ニナだけでなく、周りに集まっていた子供全員が驚いたように目を丸めて顔を見合わせる。
「ジョミーは思念をまるで隠そうとしなかっただろう?あの子は思念波がなんたるかを、まだ知らない」
そんなことがあるのかな、でも確かにあの子ちょっと色々変だった。
ひそひそと囁かれる言葉と思念の会話に、ブルーは軽く息を吐く。
子供たちは困惑はしているけれど、ジョミーに対する敵意は和らいだ。後はジョミー自身が努力することだろう。
「あの調子だから、しばらく……自分がミュウであることを知り、受け入れて、少しは思念のこと覚えるまで、君たちとはあまり会う機会がないと思う。けれどあの子がまたここに来ることがあれば、受け入れてあげておくれ」
子供たちは顔を見合わせて、それから笑顔をブルーに向けた。
「ソルジャーがそう言うなら」
「知らないんじゃ、しょうがないわね」
「もうソルジャーと会えたのに、知らないなんてもったいない」
口々に約束をしてくれて、その素直さに安堵しながら、一人一人の頭を撫でる。
別れを告げると子供たちは名残惜しそうにしたものの、無理に引き止めることはしなかった。ソルジャーは忙しい人だから、と。
庭園の広間を後にしたブルーは、溜息をつきながら青の間へと向かう。
「あの調子で思念を零しながら船内を歩き回れば……ジョミーはあっという間に周囲を敵だらけにしてしまいそうだ」
せめて思念を遮断する術を覚えるまでは、あまり青の間を出ることはよろしくない。
今回は子供たちだからこそ素直にブルーの言うことに納得してくれたけれど、歳を重ねた相手ほど、一度糸が絡まると解くことが難しくなる可能性がある。
何も知らない子供の言うことだからと笑って流してくれればいいけれど、ソルジャー・ブルーを否定する発言となると……。
仲間たちの希望となるため、半ば偶像化した『ソルジャー・ブルー』の存在はこういうときに厄介だ。
ジョミーに孤立したスタートを切らせないためには、ブルーのことを受け入れてもらうか、ジョミーが力の制御を覚えるか、せめてどちらかが不可欠になる。
どちらがより簡単かなどは予想もつかないが。
「……またジョミーに嫌われるな……」
ブルーは廊下にひとつ溜息を落として、自嘲の笑みを浮かべた。
嫌われるなんて、今さらだ。
僅かに落としていた視線を上げると、青の間へ向かう足に確固たる力を込めた。


最初の部屋に連れ戻されたジョミーは、広い部屋にぽつりと置かれたテーブルの上に半分以上溶けかかったシャーベットを見つけた。オレンジ色の崩れた山の上に緑の小さなミントの葉が乗っている。
リオが持ってきてくれたデザートだと気づくや否や、途端に泣きたい気持ちになった。
リオはブルーの仲間で、けれどジョミーに優しくしてくれる。
デザートを理由に騙した。
様々なことが一瞬にして脳裡を駆け巡り、ジョミーはリオの手を離すとテーブルに小走りに近づいて、シャーベットの皿とスプーンを手にした。
『ジョミー、無理に食べなくても』
「……ううん。一杯走ったから喉が渇いた」
それだけだよと呟いて、かなり形の崩れたシャーベットにスプーンを入れる。その度にさらに崩れて液体へと姿を変える氷菓は、もう本来のシャーベットの食感がまるで残っていない。ジョミーは皿を持ち上げてスプーンで掬いながら、溶けたぶんまですべて飲み込んだ。
空になった皿をテーブルに戻して、ジョミーは憂鬱に息を吐く。
リオとどう接したらいいのか、わからない。
ジョミーが逃げ出そうとしたこと自体は、ジョミーの立場からすれば当然だと思う。けれど人を騙したことは悪くないのか。
リオがもっと、わかりやすくひどい人なら騙してもこんな気持ちにならなかった。ひどい人なら、あんなに素直にデザートを取りに行ってはくれなかっただろうけれど。
「………どうして、ぼくは帰れないの?」
ぽつりと小さく呟いて、根本の原因に行き当たる。
「なんでぼくを家に帰してくれないの?なんで?」
『それは……あなたがミュウだから……』
「ミュウってなに?」
『なにって……ソルジャーからお聞きしていないのですか?』
「ぼくが家に帰れないってことばっかり言うだけで……」
帰れない。帰ってはいけない。
ブルーから言われたのはそれだけだ。
ブルーに言われたことを口にしてみて、ジョミーは違和感を覚えて口に手を当てた。
ジョミーをここまで連れてきて閉じ込めているのはブルーだ。けれど彼は、帰さないとは言わなかった。帰れない、帰ることはいけないというばかりで。
まるでブルーの意思とは関係なく、不可能なことのように。
背筋にぞくりと悪寒が駆ける。
「ねえミュウってなに?ぼくが何をしたの!?」
勢いよく振り返ると、困惑した様子のリオと目が合う。
『落ち着いてジョミー!あなたは何も悪くありません』
「だってじゃあどうして家に帰れないの!」
バチリと火花が散って、ジョミーの肩に触れようとしたリオの手が後ろに弾かれた。
『……っ』
息を飲むリオの声のない悲鳴に、ジョミーは怯えたように震えて後退りする。
「ご……ごめんなさい、ごめんなさいリオっ」
『大丈夫です、少し痺れただけで……』
「触らないでっ」
ジョミーを宥めようと伸ばされたリオの手を避けるように、さらに後ろに下がった。背中にテーブルがぶつかる。
『ジョミー?』
「わ……わからない……けど、今はだめ、またリオが傷つく……だからダメっ」
『サイオンを……収められない……?』
両手で自分を抱き締めるようにして、リオの手からさらに遠のこうとぶつかったテーブルに添って横に移動するジョミーに、距離を詰めるべきかどうかリオは戸惑いながら中途半端に伸ばした手を引けずにいる。
『ジョミー、私は大丈夫です。だから落ち着いて、ゆっくりと呼吸をしましょう。その力は恐いものではありません。あなたの持つ想いの力なのです。どうか受け入れて……』
「そんなこと言われてもわからないよっ」
「ではしばらく僕の傍にいたまえ」
目の前の空気がゆらりと揺れたかと思うと、また目の前に藤色が広がる。
拒むように伸ばした腕を捕まれて、反発する火花が散った。そのはずなのに、引き寄せる力は変わらず、再び暖かな腕の中に抱き寄せられた。
「い……やだ、いやだっ!」
「案ずることはない。僕は君のサイオンで傷ついてはいないよ。よく見てごらん」
離れようと、抱き寄せられた身体に手をついて突っぱねていたジョミーは、恐る恐ると自分を抱き締める掌を見た。
肩に掛けられたグローブに包まれた手は、火花で拒まれることもなくしっかりと抱き寄せた形のままだ。
ジョミーに触れてもなんともない手を見て、ほっと安堵の息が漏れた。
「リオ……」
『平気です。今度は本当に怪我もしていませんから、安心してください』
振り返ると、リオはにっこりと微笑んで弾かれた手をこちらに向けて見せた。確かに、今度は火傷のような状態にはなっていないようだ。
「そこで安心して終わると困る」
『ソルジャー!』
厳しい声が上から降ってきて、ジョミーは肩に掛けられた手を辿るようにして上を見上げた。
赤い瞳は、今まで見せていたような柔らかな笑みを消していた。硬質で冷たい石……まるでルビーのように無機質な輝き。
血のように赤い、深い色。
「ふむ……血のように、か。なるほど確かに」
「ま……また勝手に人の」
「考えを覗いたことはない。君の思考はすべて外に流れていると言っただろう」
白いグローブに包まれたほっそりとした指が、ジョミーの顎に掛かる。下を向けないように当てられた指は、たった一本の力なのにまるで逆らえずに、その赤い瞳だけを見つめることしかできない。
「僕が恐いかい、ジョミー?」
「……恐く、なん……か」
「歯の根が震えているよ」
赤い瞳が弧を描く。
微笑みは、今までに見た慈愛に満ちたものなどではなく、酷薄に獲物を見下ろす肉食の獣のようで。
「……わかっているかい、ジョミー。君はリオを傷つけた。それも僕が来なければ、二度もだ。朝と今と」
『ソルジャー!』
「そんな力を持って、家に帰るだって?もしまた力が暴走したとき、君の大切な両親を傷つけずに済む保証はあるのかい?」
いっそ楽しげな笑みを乗せた指摘に、ジョミーははっと息を飲む。
ブルーの瞳から目を逸らせない、けれどリオが立っている位置はわかる。その赤くなった右手。
「ぼ……くに……何を、した」
アタラクシアの自宅で、こんな変な現象が起きたことなんてない。絶対に目の前の少年が何かをしたから、だからおかしなことになっているんだ。そうとしか思えない。
けれど、ブルーは何がそんなにおかしいのかわからない微笑みのまま、ゆるりと首を振った。
「僕は何も。それは元より君の力だ」
「嘘だっ」
こんなことは知らない。誰かをあんな風に傷つけたことなんて、今まで一度もなかった。
「信じたくないというのなら、それは君の自由だ。僕に何かをされたと思って、いつまでも力を制御できずに近づくものを傷つけるといいだろう」
『ソルジャー!それはあまりにも……っ』
焦りを滲ませて割り込もうとしたリオに冷たい一瞥をくれて黙らせると、ブルーはまた深紅の瞳でジョミーを捕らえる。
「力を制御できない君に触れることができるのは、僕だけだ。僕なら君のサイオンに力負けはしないから。……ああ、それもいいかもしれないね。この部屋にずっといて、僕しか触れることの出来ない僕だけのジョミー……楽しそうだ」
そんなありえない、あっていいはずのないことを、さも楽しそうに口にする少年は、本当に昨日のあの少年と同一人物なのだろうか。
「そ…んなの……いやだっ」
「ならば努力したまえ」
ジョミーの顎に添えられて、絶対的な力を加えていた指が離れた。
「力の制御を覚えれば、誰彼構わず傷つけることはなくなる。心に思ったことを人に悟られることもなくなる。もしかすると僕の心を読めるようになるかもしれない」
俯きそうになっていたジョミーは、はっと気づいて顔を上げた。
心のうちで思ったことを読まれなくなれば、逃げ出す算段がつけ易くなる。ブルーの心を読めれば、帰り方がわかるようになるかもしれない。
「ああ、ようやくわかってくれたようだ。さて、ではジョミー。君が望むなら、君に力の使い方を教えてあげよう」
ブルーは薄い膜を貼ったような感情を読ませない笑みのまま、軽く首を傾げた。
「返答は、ジョミー?」


『ソルジャー!』
青の間を出ると、すぐにリオが後を追ってきた。
ブルーは息をついて振り返る。
「ジョミーの傍についていろと命じたはずだ」
『どうしてあんな言い方をなさるのですか!ジョミーは聡い子です。順を追って説明すれば、必ず理解してくれたでしょう!なのになぜあんな余計に抉らせるような言い方を……』
「理解するまでに、何度ジョミーは脱走を試みると思う?」
ブルーは腰に手を当て、軽く息をついて床に視線を落とした。
「何度ここから逃げ出すと思う。その度に、僕を嫌う思念を零しながら歩くんだ。誰彼構わずに僕を嫌っていると教えて歩く。その度にジョミーが周囲に弾かれる」
子供の考えることだと、笑って流してくれれば、諦めてくれるのならば、まだそれでもよかった。
だが今朝のドクターと看護士、先ほど接触した子供たち。みなジョミーの態度に怒りを覚えた。
『ソルジャー………』
リオは額に手を当てて緩く首を振る。
『それでも、こんなやり方は』
「君はそのまま接してあげてくれ。それがジョミーの支えになる。追い詰めるのは僕だけで十分だ」
『あなたは、それでいいのですか?このままでは禍根が残ります』
眉を寄せて訴えるリオに、ブルーは緩く首を振る。
「言ったはずだ、リオ。ジョミーを僕の後継者にする。次代のソルジャーが、仲間と抉れていては始まらない」
『あなたと抉れたままでいいはずもありません!』
「ジョミーが聡いと言ったのは君だろう。いずれ理解してくれる。僕のやり方を嫌ったとしても、理由だけ悟ってくれればそれでいい」
『それではあまりにも……』
拳を握り締め、痛ましげな表情を見せるリオにブルーは小さく笑みを零す。
「既に決めたことだ。一度口にした言葉は、もう戻らない」
『ソルジャー!』
二度目に呼び止められた声には、振り返らなかった。







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ジョミーは余裕など当然なく、ブルーも焦っていて、
間は抉れていく一方です……。