悔しい、こんな奴に……大嫌いだ……心を、読まれ……今すぐにでも……離れた……負けるもんか!


椅子に座って頬杖をついていたブルーは、軽く息を吐いて指先でテーブルを叩いた。
「随分と雑念が多いよ、ジョミー」
「うるさいなっ」
ミュウの服を着たミュウの長と、育英都市の服のままで不貞腐れる少年は、広い部屋の中央で、テーブルを挟んで対峙していた。
船で一般的な子供の服がまだ届いていないということもあるのだが、何よりジョミーは自分は人間だと主張して、着替えを頑なに拒む。唯一服を洗うときに替えとして袖を通すのは、リオがいくつか持っている潜入用という、やはり育英都市の成人の服だけだった。
椅子の座席の両端を握り締め、足をぶらつかせながらジョミーは頬を膨らませる。
青の間には椅子が一脚しかなかった無かったため、ジョミーのためにとリオが新たに持ってきたのは大人用の椅子だった。子供用の椅子にはこれもまた余分がなく、今新たに作ってもらっているところらしい。ジョミーには椅子の高さとテーブルの高さが合っておらず、少し背伸びをするくらいにピンと背を張っていないとテーブルの下に顔が沈んでしまう。
今は座席部分を握って背を丸めているので、向かいに座っているブルーからは鼻から上くらいしか見えていないだろう。
ジョミー自身はブルーから顔を背けているので、彼がどんな風に見えるかなんて知らないし、知りたいとも思わない。
「またやる気の無いことだ」
ジョミーの態度に、頬杖をついたままブルーもまたやる気の無い様子で軽く溜息をつく。
「………やる気がないなんて言ってない」
さも不本意だと言うように、不貞腐れて呟くジョミーにブルーは頬杖の態勢のままでにっこりと微笑む。
「別に僕はそれでも構わないよ。ジョミーがここでずっと僕と暮らすことを選んでくれるなら、それはそれでとても嬉しい」
「誰もやる気が無いなんて言ってないだろ!」
今度は勢いよくブルーを振り仰いで強い目で睨みつける。
「それは重畳」
ブルーは笑顔で頬杖をついていた掌から顔を上げると、今度は両手の指を組んでその上に顎を乗せた。
「ではジョミー、僕の心の声を聞いてくれ。僕は今、思念を遮断していない。君に聞く気があれば聞こえるはずだよ」
「………もっと知りたいことを問題にしてくれたらいいのに」
そうしたら、もっと真剣に取り組める。例えば、この船から降りる方法だとか。
「おや、ジョミーは今日の夕食のメニューには興味がないのか」
「あるわけないだろ!」
しかも、正しくは今夜ブルーが食べたいと思っているもののメニュー、というテーマともなれば余計に。
「今は君の心の声を僕に届ける練習ではないのだから、そんな楽しげな思念は教えてくれなくて結構だ」
「勝手に読んでるくせに!」
「だから読んではいないよ。君が大声で叫んでいるだけだ。他のミュウからすれば……いつも傍にいるリオなどからすれば、かなりうるさいことだろうね」
リオの名前が出ると、ジョミーは途端に唇を噛み締めてブルーから顔を背ける。
「うるさいなら、ぼくをここから追い出せばいい。家に帰してよ」
「他の、と言っただろう?僕はうるさいとは思わないから、問題はない」
矛盾することをさらりと言うブルーに、顔をしかめたジョミーはぶらつかせていた足を一際大きく振る。その拍子にテーブルの足を蹴った音が大きく響いた。
別に蹴るつもりだったわけではなかったので蹴ったジョミー自身がその音に驚いたものの、素知らぬふりをする。
けれどやはり口を閉ざして隠しても意味はない。
ブルーはジョミーの内心に気づいていると言う風に、小さく笑った。
ジョミーは唇を噛み締めて、恨めしげな目をブルーに向けた。どうせ黙っていても心を読まれるなら、好きなだけ読めと言わんばかりにブルーへの悪口を並べられるだけ並べ立ててやると決意する。
そんなことで相手が怯むとは思わなかったけれど、やはりブルーは呆れたように溜息をついただけだった。
「君は前向きなのか後ろ向きなのか、よくわからないことをするね。思考を遮断できないことを逆用しようというのは前向きかもしれないが、それでは訓練にならない。状況の改善はなされず、意味のない行為だ」
そんなことは言われなくてもわかっている。
わかっていても、やりきれないのだ。
そんなこと、目の前の少年には関係ないのだろうけれど。
強く、座席を握り締めたジョミーの耳に、意外な言葉が流れてくる。
「……君の知りたいことの答えは、最初に会った時にもう僕が教えていたと思うけれどね」
「え……!?」
ジョミーが驚いて身を乗り出すと、勢いがつきすぎてガタリと椅子の足が大きく鳴って前に傾いた。
「あっ!」
椅子ごとテーブルに向かって倒れる。
そう、とっさに目を瞑って痛みに備えようとしたのに、その一瞬のはずの時間は訪れなかった。
硬く閉じた瞼をそろりと上げると、すぐ目の前にテーブルの縁が映った。
「うわっ!?」
驚いて後ろに身を引いたジョミーの背中が背もたれにぶつかると、傾いたまま時が止まっていたような椅子が今度は後ろに傾いた。
浮いていた椅子の後ろの二本の足が床にぶつかる音に続いて、座っていたジョミーにその衝撃が伝わる。
今、確かに椅子は傾いた状態で止まっていた。
目を瞬いたジョミーが、ついブルーに目を向けたのは意識してではない。けれど赤い瞳と視線が合うと、それが彼の仕業だということを感じた。
それ以外考えられないとか、予想とか、そんなものではない。ただ、そう感じただけだ。
ブルーはテーブルの上で組んでいた指を解いて、今のジョミーのように身体を背凭れに預ける。
「答えを、僕は教えない。君が自分で思い出すか、今思い出している僕の記憶を読み取りたまえ」
「え……あ……」
それが、テーブルにぶつかりそうになったジョミーを助けた話ではなくて、椅子が倒れそうになる前に言ったほうの問題のことだと理解できたのは、礼を言うべきなのか言わざるべきなのか、たっぷりと迷って言葉に詰ってからのことだった。


『ソルジャー、ジョミー、夕食をお持ちしました』
二つのトレイを手にリオが部屋へ入ってくると、彼がテーブルにたどり着くのを待つことも無くブルーは席を立つ。
「僕はいい。艦橋へ上がる」
『食事はきちんと取っていただかないと困ります』
「艦橋で何か取るさ。それは君が処理しておいてくれ」
ブルーはトレイを指差して、それから自分が立った席を軽く指先で叩いた。ジョミーと一緒に食事にしろと言いたいらしい仕草に、リオは呆れたように首を振る。
『食事くらいは落ち着いて食べていただきませんと、消化にもよくありませんよ。キャプテンがまた心配します』
「今更それくらいで心配するような話か。ジョミーも、僕よりもリオとの食卓の方が少しは楽しくなるだろう」
ちらりと視線を向けられたジョミーは、同意したというよりは反射のようにその通りだと頷いた。
「だ、そうだ。頼んだよ」
ブルーはすぐに視線をリオに戻し、言い終わるか終わらないかのうちに姿を消してしまう。
『あ、ソルジャー!』
姿を消した少年からは当然返答はない。
リオは溜息をついて、仕方なしにテーブルにトレイをふたつ置いた。
『……困った方ですね……』
「何が?」
まだ湯気の立つ温かいクリームソースのパスタと、瑞々しい色のグリーンサラダと、フルーツジュースの乗ったトレイを引き寄せながらジョミーがリオを見上げると、主のいなくなった椅子に代わって腰を掛けながらリオは眉を下げて苦笑の表情を見せた。
ジョミーはぴんと来て、フォークを握りながら拗ねたように唇を尖らせる。リオは答えなかったのではなく、いつものようにジョミーに聞こえる思念は使わなかっただけだ。
「……聞こえない」
『聞こえるはずです。力の大小はあっても、ミュウはみな意志の疎通を測る手段に思念波という方法を持っているのですから』
「だったら、ぼくがミュウじゃないだけだろ」
『あなたは確かにミュウですよ』
にこにこと、人畜無害な笑顔で問答無用な様相のリオに、ジョミーは不貞腐れてサニーレタスをフォークで突き刺した。
「ミュウの特徴……思念波が使えること、全体的に身体が弱いこと、肉体的にどこか不自由であることが多い、気弱で穏やかな者が多い……」
ミュウという存在について、ブルーに教えられたことをそのまま反芻すると、リオは嬉しそうに頷いた。
『そうです。よくソルジャーの説明を覚えましたね』
「そういうことじゃない!どれもぼくに当てはまらないじゃないじゃないか!人の心を読むなんてことはできないし、ぼくはどこも不自由じゃない。乱暴者だと怒られることは山ほどあったけど、ぼくのことを気弱だとか穏やかだなんて言った大人は見たこともない!」
『ですがあなたはサイオキネシスが使えます。それも思念波のひとつですよ』
サラダを口に入れたジョミーの手が止まって、その視線がリオの右手に向かう。
それに気づいて、リオはフォークを離して掌をジョミーに向けた。
『気にしなくても、もうすっかり良くなりました。私が言いたいのはそういうことではなく、あなたが確かにミュウであるということです』
君はリオに怪我をさせた。僕がこなければ、二度もだ………ブルーの言葉を思い出して沈んだジョミーに、リオは首を振ってテーブルの上に置かれていたジョミーの左手を上から握る。
『そのことには捕らわれないでください。それよりも、わかってもらいたいのはソルジャーのことです』
重ねられた手を見て、それからリオを見上げる。リオの体温が特に高いというわけではないようなのに、手の甲から何か温かいものが流れてくるような気がするのは、気のせいなのか。
『ソルジャーはあのとき焦っておられました。少しきつい言葉を選んでしまわれましたが……どうかあの方を誤解しないで欲しいのです』
「誤解もなにも……」
彼がジョミーをこの船に連れ去り、そしてこの部屋に閉じ込めているという事実は何も変わらない。言葉の一つや二つ、言い方がきつかろうと柔らかかろうと、それ自体は大した差ではない。
そうじゃないかと真っ直ぐにリオの目を見て心で強く思う。
口にしなくても伝わる思いに、リオは悲しそうに眉を下げた。
『ですがあなたは、私のことは受け入れてくれる。仕方がない状況なのだということがあったとしても、私のことには心を痛めてくれます』
「だってそれは……リオは、ぼくのことを心配してくれるから……」
『ソルジャーもあなたのことを、とても心配していますよ。いえ、ソルジャーこそが……』
「どこが!?」
呆れたように溜息をついて、これ見よがしに肩を竦めて、綺麗な笑顔でさらりと意地の悪い嫌味を言う。
思い出すだけでも腹が立つ数々の言動に、ジョミーがフォークを握り締めたというのに、リオはきょとんと目を瞬いて、それから急に腹を抱えて笑い出した。
「な……なに?なんだよ!」
『い、いえ………』
リオは口を押さえて零れる笑いをどうにか押さえようとしながら、軽く首を傾げる。
『あなたからは、ソルジャーがこう見えるのだと。……ソルジャーの新たな一面を見たような新鮮さで、つい……』
「新鮮もなにも、そのままだと思うけど!」
笑われているのが思い出している想像のブルーなのか、そんな想像をするジョミーのほうなのか、判断ができないリオの笑いにジョミーは頬を膨らませる。
笑っているリオなんて放っておいて、さっさと先に食べてしまおうとパスタにフォークを突き入れたジョミーは、ふと今日のブルーとのやり取りの課題を思い出した。
「ねえ、このごはんはあいつが希望したものなの?」
『いいえ、違いますよ。ソルジャーは食事に注文をつけることがありません。本人の希望に任せれば、考えるのが面倒だからと昨日と同じメニューで……なんて仰るばかりなので、コックたちが毎日別のメニューを決めるのです』
綺麗な顔をしていて、案外適当なところがあることはわかった。
だがそうではなくて、ジョミーはますます膨れてパスタを巻き付けたフォークを口の中に押し込む。
今日の夕食を、それもブルーが食べたいと思ったものを当てろだなんて言っておいて、夕食のメニューを自分で決めたのでなければ、本人がここにいない以上、正解なんてわからない。
考えが読めていれば正解を披露する必要もなく、またブルーの目的は「読ませること」で「当てさせること」ではないとしても、中途半端に放り投げられたようでどうにも面白くない。
むかむかと湧き上がる不快感を食事にぶつけるように勢いよく食べ始めると、リオはそれをまでしようがないとでも言いたそうな顔で見守り、ジョミーとは対照的にゆっくりと食事に掛かる。
『後でそれを、ソルジャーに言ってあげてください』
「え、どれを?」
どの悪口を伝えろと言うのかと思い出すジョミーに、リオは額を押さえて首を振る。
『そうではなくて……一緒に食事がしたいのだと、教えてあげてくださいね』
額を押さえた手の向こうから、少し悪戯めいたリオと目が合う。
ジョミーは目を瞬いて、それから少しずつ顔を赤く染めると、怒りのままにフォークを握った拳をテーブルに叩きつけた。
「そんなこと、一言も言ってない!」
『おや、そうですか?私はてっきりそういうことかと』
なんでもないことのように笑顔でそんなこと言うリオに、ジョミーは目を細めてふいと顔を背ける。
「やっぱりリオも、あいつの仲間だ。そんな意地悪を言うなんて」
『ソルジャーの仲間と認識してもらえるのは嬉しいですが、別に意地悪ではないですよ』
どこが!とは心の中でだけ叫んだのだが、それが聞こえていた証拠に、リオは楽しそうにまた笑った。






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ジョミーの目から見た、ちょっと意地の悪いミュウの人々。