朝食はリオの部屋で二人で一緒に済ませた。 思念を隠せず、育英都市の服のままのジョミーを食堂に連れていくことは最初から論外だ。 今のジョミーが下手に大勢の前に出てしまえば、今でもミュウを誤解しままのジョミーのミュウへの感情が、余計に抉れてしまう可能性もある。 リオは当初、ジョミーを青の間へ送ってからソルジャー・ブルーの分と合わせて食事を運ぼうと考えていたのに、ジョミーがそれに難色を示した。 今度こそちゃんとリオが帰って来るのを待っているからとの必死の訴えは、それほどブルーと食卓を共にしたくないという感情よりも、一度騙したことでリオに信じてもらえないのではないかという不安に満ちていた。 ここで青の間での食事にこだわれば、ジョミーはブルーとできるだけ多く接して欲しいというリオの願いを曲解して、自分がリオを騙したせいだと思ってしまいそうだ。 結果としてリオが折れ、ソルジャーの食事は思念波で艦長に任せたものの……そこまで色々と気を回しても無駄に終わるときは無駄になるものだ。 食事を終え居住区の人の出入りが少し収まる頃合を見計らって、ジョミーと手を繋いで部屋から出たというのに、同時に隣の部屋の扉が開いてさっそく友人と行き会ってしまった事態に、リオは内心で嘆息を漏らした。 「よおリオ、おはよう。なんか最近あんまり顔を合わせないなと思ったら、お前ブリッジを離れていることが多いよな……あれ?」 ジョミーはまた初めて会う新たな人物の登場に警戒するように、繋いでいた手を離してリオの後ろに身体を半分隠すとその服を握り締める。 『おはようキム。今は急いでいるのでまた後で……』 「その子供が、この間ソルジャーが見つけて来たっていう奴か?なんでお前の部屋から出てくるんだ」 『少し事情があって、今は私がジョミーの身の回りのことを引き受けているからだよ』 「ジョミー?それが名前か。それにしても随分な様子だな。何でそんなに怯えてるんだか……」 リオとブルーの二人と過ごすことには……本人の意思はともかく……慣れてきたジョミーだが、新たなミュウとなればまた別の話らしい。警戒心を顕わにした内心はやはり最初から漏れていて、もちろんそれはキムにも聞こえているに違いない。 『色々と複雑な事情があるんだ。本当に急いでいるからまた後で……』 「あ、ジョミーだ」 とにかくジョミーが何かキムの気に障る思念を零す前に別れようとしていたリオは、さらに混迷を招きそうな声を背後から拾って思わず額を押さえてしまった。 ぱたぱたと軽快な足音が聞こえて、亜麻色の髪の少年と茶色の髪の少女が駆け寄ってくる。 「カリナにユウイか。子供は朝から元気だな」 「朝だから元気なんじゃないの?」 一日の始まりから疲れていてどうするんだろうと首を傾げる二人の子供に、キムは違いないと苦笑する。 このまま三人で話でもしてもらおうとリオはジョミーの肩に手を置いて、そっと移動しようとしたけれど、さすがにそのまま立ち去ることはできなかった。 「ジョミー、おはよう」 「おはよう、ジョミー」 カリナとユウイから向けられた挨拶に、ジョミーはたっぷりと迷ってから、昨日ブルーにしたときと同じように、結局カリナとユウイに挨拶を返した。 「……おはよう」 どうして朝の挨拶ひとつでそこまでジョミーが逡巡するのかわかるはずもないキムの横で、二人の子供は顔を見合わせてくすくすと小さく笑う。 何がそんなにおかしいのか、いくら子供でもジョミーのように思念を零しているわけではない二人の感覚は、さすがに口にしてもらわなければわからない。 二人の様子に首を傾げるキムとリオの横で、最初に気づいたのはジョミーだった。 「あれ?そういえばなんでぼくの名前……」 また、ブルーのように勝手に心を読んだのかと眉を潜めたジョミーに、二人の子供は昨日のように怒りはせずに、にこにこと笑顔で首を振る。 「本当にソルジャーの言うとおりみたい」 「あいつの?」 ブルーの話題が出ると、ジョミーの機嫌が急降下する。ジョミーからブルーに対する否定的な思念が流れてきてリオはヒヤリとしたけれど、それにキムが何かを言う前に二人の子供は笑い合って、ジョミーを覗き込むようにする。 「ソルジャーは、ジョミーは何も知らないから怒らないでくれって言ってたのよ」 「思念でも言ってたよ。ジョミーを嫌わないでほしいって。一緒に遊んであげてほしいって。ジョミーは本当にぼくらのことを知らないんだね。知らないから恐いだけなんだね」 ジョミーはぎょっと驚いたように、リオの服を握っていた手に力を込める。 「こ、恐くなんかないっ!ぼくはただマムのところに帰りたいだけだ!」 昨日のリオの話はまだ信じ切れていないものの、それでも明らかに年上のブルーやリオにならともかく、同年代の子供から恐がっているなどと言われて素直に頷けるはずもない。 顔を真っ赤にして力一杯に否定するジョミーに、カリナが首を傾げた。 「マム?……綺麗で、優しそうな人」 「え……」 拳を握って、恐くなんてないと繰り返そうとしたジョミーは、惚けたようにカリナを見る。 記憶を覗かれたことよりも、ジョミーのマムのことでキラキラと目を輝かせた少女に目を瞬く。 「マムって、お母さんってなあに?」 「なにって……」 無邪気に、根本的なことを尋ねられてジョミーは怒りも焦りも忘れたように戸惑った。 マムは優しくて、でも怒ったら恐くて、マムの作るご飯は美味しくて、マムに抱き締められると温かい。いつだって傍にいて、いつだってジョミーを守ってくれる存在。 けれど、言葉では一体なんと表せばいいのだろうか。 そんなジョミーの思念が流れてきて、ジョミー以外のその場にいたミュウには、もう言葉に直す必要はなかった。 「マムってすごいのね!とっても優しい」 「うん、それに温かい」 「驚いたな……養い親と上手くいってたのか」 ジョミーの中のマムの記憶に、素直に感動する子供たちとは違って、キムは驚きを以って顎を撫でた。育英都市にいるミュウは、少なからず孤独を抱える。ミュウと覚醒する前ならばまだしも、その時点ではシャングリラ側からも発見されることはほとんどないので、『シャングリラにいるミュウ』にはジョミーのように養い親との暖かな記憶だけに包まれていることなど皆無だ。 だからこそ、ブルーはそこから引き離したことにあんなにも苦しむ。 なぜそんなにも驚かれるのか、感心されるのかわからないでいるジョミーの肩に手を置いて、リオはそっと溜息を飲み込んだ。 『ジョミー、そろそろ……』 「ああ、そうだ。ちょっと待ってろ」 ジョミーが両親に心を向けて、ブルーに対する不平不満を零さないうちにキムと別れてしまおうとしたリオに、キムはそれに気づいた様子もなく一旦自分の部屋へと戻る。 先ほどからリオが何か言おうとするたびにそれに重ねてくるキムに、もしかしてすべてわざとなのではないのだろうかと頬が引きつる。 ほどなく部屋から出てきたキムは、ジョミーに握った拳を突き出した。 「ほら、手を出せよ」 ぎょっと仰け反ろうとしたジョミーの手を掴み、その掌に小さな包みをひとつ落とす。 両端を捻った透明のセロファンに包まれたそれは、赤い色をした丸い飴。 渡されたものに驚いて、それをじっと見つめるジョミーの横で、キムはそれぞれ色の違う飴をカリナとユウイにも渡す。 「昨日、厨房でもらったんだけどさ、俺は飴なんて食わないし。でも人数分はないからニナやショオンたちには内緒にするんだぞ」 ここで食べてしまえと促されて、カリナとユウイは喜んで包みから取り出した飴を口に放り込んだ。 ジョミーはまだ飴を見ている。 『ジョミー?』 肩に手を置いたリオは少なからず驚いて、動かない子供を覗き込もうと腰を屈めた。 ジョミーの心が見えなかったのだ。 何も聞こえなかったのは、その間放心していたせいらしい。覗き込んできたリオにはっと我に返ると、ジョミーもカリナたちと同じように飴を口に入れた。 「……甘い」 掠めるように、ほんの小さなものでしかなかったけれど、甘いお菓子は少しだけジョミーを幸せな気分にしてくれたようだ。 柔らかな思念がジョミーを包み、その気持ちを僅かに漏らしたような儚い瞬間の笑顔に、リオは驚きと喜びを込めて掴んでいたジョミーの肩を優しく撫でた。 ジョミーはキムを見上げ、それから俯いて空になったセロファンを指で弄り、しばらく迷ってからもう一度キムを見上げる。 「ありがとう……」 この船に来てからのジョミーの様子を知らなかったキムは、そのお礼にどれほどの意味が込められているかまではわからないだろう。 ジョミーに続いてカリナとユウイからも礼を言われて満足そうに頷く友人を、リオは少しだけ羨んだ。 リオは少し羨んだだけだったのだが、青の間で待っていた人はとても羨ましかったらしい。 「おはよう、ジョミー」 「……おはよう」 青の間にたどり着く前に大事に舐めた飴を食べきったジョミーは、昨日よりは葛藤も少なく挨拶を返した。 椅子から立ち上がって迎えに歩み寄ってきたブルーはリオからジョミーを預かってテーブルへと戻って行く。 背中に添えられたブルーの手を嫌がって振り払わないだけ、少しずつではあるがジョミーの気持ちも軟化しているらしい。 先ほどカリナたちから聞いた話がまだ記憶に新しいせいもあるようだ。 ブルーが子供たちに対してジョミーのことを庇った話を思い出して、複雑そうな表情でブルーから目を逸らしている。 その気持ちがリオに聞こえているのだから、それがブルーに聞こえていないわけはない。 ジョミーの心が半歩に満たないほどでも、ブルーの方を向いたことに喜んでいるらしい長は、ジョミーを送り届けて部屋を出て行こうとしたリオをひどく呆れさせることを言い始めていた。 「ジョミー、甘い物は好きかい?」 「え?」 「今日はちょっとした遊戯を交えよう。ここに三つのお菓子がある」 どうして青の間にそんなものが。 思わず振り返ったリオは、ブルーが示した先に本当に三つのお菓子を見つけた。 小さな皿に乗った一口サイズのゼリーと、同じく小さな皿に並んだ三枚のクッキーと、キムが持っていたのとは少し違う包みに入った飴が二つ。 「僕がこの中でどれを食べたいと思っているのか、心を読んでごらん。正しく僕の心を読めば、それはジョミーのものになるよ」 昨日の思念を読む訓練と似たような方法だが、ジョミーの興味を煽るために、具体的な物を目の前に並べた。 なるほど、子供を釣るには悪くない方法だと納得してしまいそうだが、立ち止まっていたリオは呆れた視線を長に向ける。 『……覗いていましたね?』 『なんのことだい?』 にっこりと笑顔で返してきたブルーだが、リオと同じくジョミーには聞こえないように思念で返答するあたりが認めているも同然だ。 そんなに微笑みを添えたお礼を言われたキムが羨ましかったのか。 あれからジョミーがここに到着するまでの間に、厨房までテレポートで移動してお菓子を用意するくらいに。 これは訓練だから、甘い物を進呈されてもジョミーも礼は言わないに違いないが、それでも幸せそうにお菓子を頬張るジョミーはさぞ愛らしいだろう。 どんな経緯を辿るにせよ、あのお菓子は三つともジョミーの物になる。この先を見なくてもわかる確定未来だ。 リオは軽く息を吐いて、今度こそ青の間を後にする。 ジョミーのために努力している人が、少しくらい報われたっていいだろう。 ジョミーがブルーと過ごす間に、本来の職務を少しでもこなしておくためにブリッジに上がると、そこは既にナイトシフトから通常シフトに移行していて、通常通りの人数が揃っていた。 「おおリオ、おはよう」 ブリッジに上がってきたリオに気づいたハーレイは、挨拶の後に思念で語りかけてきた。 『ジョミーを預かったそうだが、困ったことはなかったか』 ソルジャーがつい最近連れてきた子供が、他の救出されたばかりの者とは少し違う扱いを受けていると知っている者はまだ少ない。あまり堂々と触れる話題ではないと思念波での会話を選んだハーレイに、リオも同じくハーレイだけに限定した思念波を向けた。 『いいえ、大人しいものでしたよ。それよりもソルジャーが』 『なに!?ソルジャーになにかあったのか!?』 『ええ。ジョミーが廊下を進む行き帰りを思念で見守り、私の部屋に着けば思念を遮断するシールドで部屋を覆うことくらいですが……色々やっておられますね』 『……何をやっておられるのだ』 額を押さえて溜息をついたハーレイに、リオは苦笑を漏らした。 これで「ジョミーの笑顔を僅かなりとも見たいため」に、厨房までテレポートで往復した……それもキムとのやり取りを覗き見した結果で……なんてことまで知れば、ハーレイはより一層呆れるはめになるだろう。 リオは親切にも、ハーレイのためにその事実については口を噤んでおくことにした。 |
ジョミーが幼いのでさすがにキムとは喧嘩になりません。 リオが優しいお兄さんなら、キムは軽い悪戯なんかの ちょっとした悪いことも教えてくれるタイプのお兄さん。 |