じっと見つめても、赤い瞳は涼やかな色を見せるだけで、その奥の声など何も聞こえない。 それでも集中していっそ睨むような鋭さでブルーを凝視していたジョミーは、やがてブルーの前に並ぶ三枚の皿のうち、右の端を指差した。 「わかった!このクッキーだ!」 頬杖をついて真剣なジョミーを楽しげに見ていたブルーは、掌から軽く顔を上げて首を傾げる。 「そう聞こえたのかい?」 「……き、聞こえた」 後ろめたさに思わず言い淀んでしまった。 案の定、目の前の少年は優雅な笑みのままで腕を組んで椅子の背凭れに身体を預ける。 「嘘はいけない」 この数日で何度も聞いて、すっかり聞き飽きた溜息を向けられて、ジョミーは頬を膨らませてふいと顔を逸らす。 「心の声なんて聞こえるはずがないんだ」 「そう思っているうちは決して聞こえないだろうね。君はまず自らの在り様を認める必要がある」 「……ぼくがミュウだって?」 「そう。君はミュウだと」 ジョミーはテーブルの端に両手を掛けると、その手の甲に額を当てて溜息をついた。それがいつもいつもブルーに溜息をつかれる意趣返しだなんて、きっと最初から伝わっているだろうけれどそんなことはどうでもいい。 むしろ彼が溜息をつきたくなる理由がわかったような気分だ。 「あのさ、何度も言うけど、そっちこそ間違いだってわかったらどうなんだよ。ぼくはお前たちみたいな力はないし、ミュウなんかじゃない。あの変なことは、お前が何かしたんだ」 「君はミュウだよ」 「思い込みだ」 「僕が言うのだから間違いはない」 あまりに堂々と言い切られて、ジョミーは呆れ果てて顔を上げた。 視線を上げた先のブルーは、赤い瞳でまっすぐにジョミーを見つめ、しかも思いの他に真摯な眼差しだったためにジョミーは一瞬言葉に詰る。 けれど雰囲気に飲み込まれそうになったことに気づくと、すぐに眉を寄せてまたブルーから目を逸らした。 「ジョミー」 呼ばれても、不貞腐れたジョミーはそちらに目を向ける気になれない。 つと、ブルーが何かを差し出す様子が真横を向いた目の端に映る。 「ジョミー、これは冷菓だから時間を置くと本来の風味を損ねると言われた。食べなさい」 食べなさい。 そう言われて、今あるとものといえばブルーの手許に並んでいたお菓子だけだ。 ちらりと目をテーブルに向けると、つやつやと輝いたゼリーがジョミーのすぐ前に差し出されていた。 「……ぼくは当ててない」 「それを言うなら『読んでない』だ。これは勘で当てる問題ではないのだからね。言っただろう、風味を損ねるのはもったいないから食べなさいと」 ブルーが指先で皿をもう少し押すと、ぷるぷると柔らかそうな半透明のそれが揺れる。 食べたくないわけではない。滑らかな肌を見せるそれはジョミーを至極誘惑するけれど、ジョミーにも意地がある。問題を出されて、その条件をクリアしていないのに結果だけもらう気にはなれない。 「だったら、お前が食べればいいんだ」 「うん、でも僕はあまりこれが好きではない」 「なんで好きじゃないのを問題に使うのさ!」 問題はどれを食べたいと思っているかを読め、というものだった。その中に最初から選びそうもないものを選択肢として入れるその思考回路が理解できない。 「問題は何でもよかったからね。君が集中できそうなものなら、何でも。この訓練の主役は僕ではなくて、君だろう?」 そう続けられて、ジョミーはぐっと押し黙る。 ブルーはジョミーに心を読ませようとしている。その課題をこなすことができれば、お菓子はジョミーの物になるのだからブルーの好物である必要はない。 「風味を損ねた物では君の獲得意欲をも損ねそうだからね。続きはこちらの二つでもいいだろう」 だから食べなさい。 もう一度、少しだけ皿を押し出されて、ジョミーはほどよい弾力を見せる魅惑の物体に目を奪われた。 真っ白な紙を前に、ペンを握ってうんうんと唸るジョミーを眺めていたブルーが、ふと気づいたように顔を上げる。 「……ジョミー、すまないが少し席を外すよ」 「え?」 「呼び出しだ。僕は行くけれど、逃げても無駄だからこの部屋から出ないように」 「わかってるよ」 リオの目を盗んで脱走して、すぐに捕獲されたのはほんの数日前のことだ。 この船の中ならどこにいてもわかると言われ、しかもそれを証明された以上、ジョミーがこの船から出て行くことができる方法はそう多くはない。 おまけにブルーに何かされたと信じているジョミーには、このまま家に帰って大好きなマムやパパにリオにしてしまったように怪我をさせるかもしれないという不安もある。自ずと逃げるという選択は消すしかない。 「すぐに戻るようにするつもりだが、時間が掛かるようならリオをこちらに遣す。それまでこれでも食べて休憩していなさい。疲れには糖分が良い」 ブルーは二つあった飴をジョミーの前に置くと、返事も聞かずにふいと消えてしまった。 真っ白な紙の上に無造作に置かれた、透明のセロファンに包まれた黄金色の砂糖の塊。 ブルーが用意したお菓子の最後のものだ。 最初に食べたのはゼリーで、次はクッキーだった。 半透明で淡い色のゼリーは美味しく頂いたものの、ゼリーで、一口サイズとなればおやつにもならない。 進展しない訓練に嫌気が差した頃、ジョミーの腹が盛大な音を立てた。 不真面目な態度のジョミーを叱ろうと口を開いたブルーは、あまりのタイミングのよさにしばし口を開けたまま止まってしまった。そして、恥ずかしさを誤魔化すようにしたらブルーを睨み付けることになった、真っ赤に顔を染めたジョミーにクッキーの皿を差し出したのだ。 「昼食まではまだ間がある。これをお食べ」 「ぼく当ててない」 「正確には『読んでいない』だ」 同じような問答の末、結局ジョミーはクッキーも頬張った。 ゼリーの時もそうだったのだが、ブルーは人が物を食べるとき、手持ち無沙汰ということがあるにしても、やたらと凝視してくる。食べている側としてはとても居心地が悪い。 もしかするとゼリーはいらなかったけれど、クッキーは食べたかったのだろうかと、最後に残っていた一枚をブルーに譲るかを迷ったジョミーに、彼は食べなさいともう一度勧めた。 一人になった部屋で、今日のやり取りを思い出しながらジョミーは溜息をついて白い紙の上に転がった飴を指でつつく。 残るお菓子が飴だけになったことで、ブルーは訓練の方法を変えた。 四枚のカードをテーブルに伏せて並べて示し、白い紙とペンをジョミーに渡すと、並べたカードの中から一枚だけを上に滑らせ、このカードの表に書いてる絵をその紙に書きなさい、という出題だった。 「そんなこと、できるわけないし……」 ジョミーは溜息を零して椅子の上に立つと、テーブルの中央にあったカードに手を掛ける。 「……星型!」 開いたカードは二重の丸が描かれていた。 「……やっぱりね」 当然の結果だと口にしながら、落胆している自分の気持ちは見ないふりをした。できるはずのないことができないだけなのだから、落ち込むことなど何もない。 椅子に座り直して、足をぶらりと揺らしながら包みから金色の飴を取り出して口に放り込むと首を巡らせて部屋を眺めた。 広い広いと思っていた部屋だけど、それにしても殺風景だ。物がなく、窓もない。それなのに天井は見上げるほど高い。 この部屋で一人になったのは初めてではないけれど、リオの部屋に行った後だとますますその広さが際立つ。 リオの部屋も物は少なかったけれど、ここまで徹底して何もないと。 「……寂しくないのかな」 こんな部屋に、ずっと一人だなんて。 ぐるりと部屋を見渡して、正面に顔を戻したところでジョミーは慌てて首を振った。 「別にあいつがどうだろうと、ぼくには関係ない」 それにこんなに広い部屋なのだから、ジョミーを泊めていたときのように、寂しければ誰かを連れてくればいいだけだ。それをしないということは寂しさなんて感じていないだろう、きっと。 ジョミーは飴を舌で転がしながら椅子から飛び降りる。 部屋から出てはいけないと言われたけれど、部屋の中を探索してはいけないとは言われていない。 殺風景な部屋を横切って、扉へと続く通路の端に立つ。道になっているこのスロープを一歩外れると、そこには水が湛えられている。部屋の中にこんなに広々とした水槽がある部屋なんて、他では見たこともない。 「……本当に、変な奴」 覗き込んだ水面に映るジョミーの顔は、我ながら可愛げのない不機嫌な表情だった。 花びらの舞う公園で初めて会ったとき、ブルーはとても優しく笑いかけてくれた。 優しい笑顔で空へ連れていってあげようと手を差し出され、空を飛べるのだと言われたことに心が躍った。その手を取ったのは、確かにジョミーの意思だ。 「そういえば、あの花びらはどこにやったっけ……?」 特別に見えたあの一枚を追いかけて、ジョミーはブルーと出会ったのだ。特別は特別でも、元凶とも言える代物だったけれど、不思議と思い出す花弁の淡い色はジョミーの心を変わらずに惹き付ける。 「どこにやったんだっけ?」 捨てた覚えはない。けれどどこかへ仕舞った記憶もない。 一度リオが洗ってくれた服だけど、ひょっとすると入れっぱなしにしていただろうかと、ジャケットのポケットに手を入れる。 指で底までさらうようにして確かめても何も入っていないポケットに、落胆しながら手を抜こうとして手が引っ掛かった。 「あーっ、もう!」 短気だとか乱暴者だとか、学校でも散々言い聞かされたことだけど、ジョミーはもう何日も船に閉じ込められている。 少々気が短くなるくらい仕方ないだろうと、苛立ちながらポケットから無理やり手を抜こうと力を込めたジョミーは、勢い良く抜けた手に引っ張られるように僅かに足を滑らせた。 その僅かなブレに、がくんと身体が傾く。 「あ……っ」 水際に立っていた足が通路から滑り落ちたと気がついた時には、もうすでに水路へと転がり落ちていた。 水中へ落ちた瞬間は反射で強く目を瞑ったけれど、泳げるから慌てなければ大丈夫だと、更に水底へと落下している途中で目を開ける。 部屋の中に水槽なんて作るからだ、と半ば八つ当たり的に内心でブルーに悪態をつきながら戻るべき水面を見上げたとき、その光景にジョミーは咄嗟に止めていた息を一気に吐き出してしまう。 アタラクシアで昼間、日の光の元で潜ったプールの中から見上げた水面は、宝石のようにキラキラと輝いて綺麗な光景だった。 室内、それもこの部屋は降り注ぐような強い陽射しとは雲泥の差の柔らかな灯りしかつけていない。水面に近づくほど明るくはなる。けれど美しい光の反射はなかった。 やっぱり、この部屋は寂しい。 ジョミーは眉をひそめて、水面に向かって浮き上がろうと水中で態勢を変えようとした。 水の中にいてこんな光景を見ていると、家に帰れずに落ち込んでいる気持ちがますます沈みそうだったから。 けれど、プールに潜ったときより随分と泳ぎ難い。 手を、足を、身体を、動かすたびに水に押し返されるような、引っ張られるような、とにかくまるですべてに置いて邪魔をされているかのようだ。 そんなに離れてもいない距離のはずなのに、明るく、けれど輝いてはいない水面が遠い。 |
……青の間の水はどれくらいの深度があるんでしょうか。 この話ではえらく深く見えますが、実際には2メートルくらいで。 公式はもっと浅いんじゃないかと思ってるんですが…どうだろう? (踝くらいまでとかの浅瀬仕様もいいかも……) |