ブルーに無言でじっと見下ろされて、ジョミーは眉を寄せて睨み返す勢いでブルーを正面から見上げる。
言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。
そう思ったところでブルーが詰めていた息を吐き出した。
「よかった。ちゃんと糸が切れている」
『振り出しに戻っただけで、よろしくはないかと思いますが……』
リオが肩を落として瞑目すると、ブルーは少しばつが悪そうな様子で咳払いをする。
「いいんだ。意識を繋げたままの方が問題なのだから」
「ねえ、何の話!?」
何を言っているのかわからないジョミーは、一人だけのけ者にされた不満でリオの服を握って引っ張る。
リオはそれに苦笑を零して、ジョミーの頭を撫でた。大人はこうやって、「子供にはわからないことよ」とか、「いいのよ、ジョミーが知らなくてもいいことだから」だとか、そう言って終わらせてしまうことがよくある。
むっと不満そうな表情を見せたジョミーに、リオは少し考えるように首を傾げた。
『私の言葉は届いていますね?』
「うん」
『実は先ほど、ソルジャーはもう一度あなたに語りかけていたのですよ。それが聞こえなかったようなので、安心なさったのです』
「え?さっきの重なった声?もう聞こえないの?」
「聞こえないわけではないよ。君が思念を操れるようになれば……いや、少し違うか」
ジョミーに説明しようとしたくせに、急に一人で翻って納得するように呟くブルーに、ジョミーはいよいよ眉を寄せた。
これだから大人は、と不満を爆発させる前にリオがジョミーの手を取る。
『先ほどの場合、思念波を交わしたのではなく、もっと深いところでソルジャーとジョミーが繋がっていましたからね。重なって聞こえたソルジャーの声と、私の声では聞こえ方が違ったのではありませんか?』
「聞こえ方って……」
言われても。
わからないと言う前に、ジョミーは少し振り返ってみた。さっきの副音声のようなブルーの声を思い出そうと考える。言われてみれば、あれは頭の中に直接響くようなリオの声とは少し違ったような気がする。
『それは、あなたの中から声が聞こえたせいでしょう』
「ぼくの中から?」
『言葉で説明するのは難しいのですが……例えば、私はここにいます。そしてジョミーは隣に立っている。私の思ったことを、私はあなたに伝えます。そのとき、私は私、あなたはあなた。渡す者と受け取る者の二人が存在します』
リオが何かを渡す動作を見せたので、反射的にジョミーも手を差し出した。
リオはその掌に何かを載せるような仕草で手を開く。
『ですが意識を「伝える」のではなく「繋げて」しまうと、実際には二人が存在しても意識のおいては同一になってしまうのです。混じり合うんですね』
「え?ええ?よ、よくわからない」
説明を求めたのはジョミーだけど、リオの言葉は難しい。
困惑するジョミーの手を取って、それからリオはブルーの方にも手を伸ばした。
『ソルジャー、失礼します』
それだけ言うと、ブルーの手も取ってジョミーの手と重ねさせる。おまけにまるでオニギリでも握るようにリオの両手でぎゅっと包まれて、握手というよりブルーと指を絡めるようにして隙間無く手を重ねるはめになった。
「なにするの!?」
「リオ?」
ジョミーは急にブルーと手を繋がされて不満を顕わにするが、ブルーもこれには困惑したようだ。だがリオは涼しい顔でジョミーの不満もブルーの困惑も流してしまう。
『本来は物理的なものではないので、これも上手い説明にはなりませんが……私とあなたは繋がってはいないので、誰かが間を通ろうとすれば通れます』
リオは手を左右に動かして、ジョミーとの間に誰かが通り過ぎたのだと示す。
それから、指を絡めてブルーと繋いだジョミーの右手を示した。
『けれど、ソルジャーとの間は通れません。あなたの向こうにいきたければ、あなたとソルジャーのどちらかを迂回しなくてはいけません』
リオが振った手は、ブルーとジョミーの繋がれた手に軽く当たって戻ってきた。そうして、ブルーを迂回して後ろに回る。
『あなたとソルジャーは、それぞれ違う者でありながら、通り過ぎようとしたものには「ひとつ」の障害になったわけです』
わかるような、わからないような、首をかしげるジョミーにリオは苦笑した。
『物理的なものではありませんからね。今は意識の一端を繋げていただけですから、手を繋いだくらいのものですが、完全に繋げてしまえば』
軽く背中を押されて、ジョミーはブルーに向かってよろめいた。ブルーが咄嗟に手を伸ばしてジョミーを抱きとめる。
「なっ……」
『しっかりと抱き合ったくらいに隙間がなくなります』
「リオ!」
ブルーの胸に手をついて身体を起こしたジョミーに、両手を上げて降参のポーズを取りながら、それでもリオは笑顔のままだ。
『けれど意識と身体は違います。そうやって抱き合ってもジョミーとソルジャーは違う存在のままですが、意識は形が無いので……そうですね、水同士が混じり合うようにひとつになってしまう可能性があります。そうすると、ソルジャーの思いはあなたの思いとなって、あなたの思いはソルジャーの思いでもあることになってしまって……』
「乗っ取られるの!?」
『いいえ、そんな物騒な話ではないのですが……ただ、ジョミーはまだ「個」の思念を保つ術がほとんどないので、離れるときに失敗すると、大変危険です』


「……リオ」
『はい、ソルジャー』
「君が怒っているのはよくわかった。だがそんな風にジョミーを怯えさせるのはやめてくれないか」
椅子に腰掛けたブルーは、組んだ両手に額を当ててテーブルに溜息を落とす。
ブルーの正面には、ジョミーを膝に乗せたリオが座っていた。
正しく訂正すれば、リオから離れたがらなくてジョミーがリオに取り付いている。
ブルーと混じってひとつになる、というリオの説明をどこまで理解しているのかはともかく、危険だと言われてジョミーはリオに助けを求めるようにしがみ付いて離れなくなってしまった。
『別に怒ってなどいません。ただ重なって聞こえる声が面白いとジョミーが他の誰かと思念波でのコンタクトではなく、意識を繋げることを試みたりしないように、危険なことだと言っておきたかっただけです』
「ジョミーはまだ思念波すらろくに使えない」
『何事も覚えたてがもっとも危険な時期です』
ブルーが反論の糸口を探すように口を閉ざすと、リオは膝の上のジョミーの背中を宥めるように優しく撫でる。
『ジョミー、そこまで怯えなくても大丈夫です。先ほどの話はあくまでも不慣れな者だと危険だということであって、ソルジャーはあなたに危害を加えようとしたのではありませんよ。むしろあなたを助けるために咄嗟にしたことです』
「助ける……?」
顔を上げたジョミーに、リオはやんわりとその頬を撫でて頷く。
『医務室で言ったでしょう。溺れて呼吸を止めていたあなたを助けてくださったのはソルジャーですよ?』
ジョミーはその笑顔を見て、目を瞬く。と怯えていた気持ちが一瞬ですっ飛んでしまった。
そうだった。ここにはブルーにお礼を言いに来たのだった。
リオの膝の上で身体を捻って振り返ると、ブルーはまだリオへの反論を考えてるらしくこちらを見ていない。
リオを振り返ると、頷かれた。
人伝に聞いただけとはいえ、助けてもらったのなら……。
「あの、さ……」
ジョミーが声を掛けると、ブルーはすぐに顔を上げた。赤い瞳と正面から視線がかち合って、ジョミーは思わず怯んでしまう。
ジョミーの心の声が聞こえているのか、それとも態度でわかったのか、怯えたジョミーにブルーは困ったように眉を下げた。
……違う。
困ったように、ではなく。
「泣かないで」
ぽつりと呟くように掛けた言葉に、ブルーは目を丸めた。
そのブルーの表情で、ジョミーは自分が何を口走ったのか気がついて口を両手で押さえる。
綺麗な人はどんな顔をしても綺麗なんだ、などと感心している場合ではない。
「違うよ!今のは……っ」
「君はさっきも同じことを言ったね。泣いていたとすれば、君のほうだと思うのだが……」
溺れた恐怖で泣くならいざ知らず、自分が泣くはずはないと言い切るブルーに、ジョミーは唇を尖らせる。
「だって……」
言われるまでもなく、ブルーが泣きそうになんて見えなかった。けれど、何故か涙を零すのではないかと心配になったのだ。
ジョミーの中で、水滴の落ちる音が聞こえた気がした。ぽたり、ポタリと落ちる雫は、夢の淵で見たのではなかっただろうか。
夢の淵で……見たものはなんだっただろう?
思い出せないことを考えるのはやめて、ふと生じた疑問のほうに目を向ける。
「さっきって?」
この部屋に来てから、ブルーに泣かないでなんて言った覚えはない。
「覚えてないのかい?水から引き上げた後だよ。あのときは意識が混濁していたようだから、あまり意味はないのだろうと思ったのだが……」
ブルーは眉を寄せて考えるような表情を見せる。
「昏倒していたときと意識が混じるようなら、一度医務室に戻った方がいいかもしれないな。繋いだ糸は切ったから、その影響ということはないと思うのだが……」
じっとジョミーを見つめて様子を見ながらそんなことを言い出すブルーに、ジョミーは勢い良く首を振った。
「いいよ、あんなところ。寝てばっかりでつまんない」
「興が乗るか乗らないかの話ではない。自分の身体を大切にしなさいと言っているのだ」
少し強く睨まれて、ジョミーは身体を引きながらリオの服を握り締めた。
それはブルーの視線の強さに怯えたのではなく。
「……まるで心配してるって言ってるみたいに聞こえる」
ぽかんとして呟いたジョミーに、ブルーとリオは同時に動きを止めた。
沈黙が降りた青の間で、大きく息を吐き出して肩を落としたのはブルーだった。
「そう言っているよ」
『ジョミー……私も何度も言っているでしょう。ソルジャーはあなたのことを心配しているのだと』
振り返って顔を上げると、リオは頭痛を堪えるように額を押さえている。
二人同時に呆れ果てたように言われて、ジョミーはばつが悪そうに視線を彷徨わせた。
「で……でも……だって、心配してるっていうなら、ぼくを帰してくれたらいいんだ」
「それはできない」
「ほら!だから信用できないんだっ」
迷いもなく即答するブルーにジョミーが眉を吊り上げる。
睨み合うような二人に、唐突にリオが溜息を零した。
『仕方がありませんね……ソルジャー、少しジョミーを連れて行きます』
「待て、リオ。どこへ連れていくつもりだ?」
『記録装置の部屋へ。ミュウの歴史を知ればジョミーも少しは納得してくれると思います』
「駄目だ!許可しない!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったブルーは、テーブルに激しく両手をついて身を乗り出す。
その勢いに怯えたジョミーは咄嗟にリオの服を握って縋りついた。今までならジョミーが怯えたことにすぐに気づいたはずのブルーが、このときばかりはリオを睨みつけたまま怒りを納めようとしない。
「あれを知るにはまだジョミーは幼い。無垢な心を手酷く傷つけるだけだ」
『ですがこのままではらちが明きません』
「いずれは理解してくれる。今でも十分辛い思いをしているというのに、無理を通してジョミーを傷つけることは、僕が決して許さない!」
まっすぐに、リオを睨み据える赤い瞳には、あの広間で子供たちに向けていたような穏やかな色も、時折ジョミーに見せていたように呆れた気持ちも見えない。
純粋に、怒りに燃えるその瞳。
リオに縋りついた手から、するりと力が抜けた。
苛烈なまでの激しいそれを、なぜか恐いとは思えなかった。
それがジョミーに向けられているものではないから……それだけなのか、ジョミー自身にもわからない。ただ吊り上げた眦とテーブルを叩いた震える拳が、ジョミーの目に映るだけだった。
こんなところにまで連れてきてジョミーを閉じ込めた張本人のくせに、ジョミーが傷つくようなことは駄目だと言う。大した矛盾だ。
ぼくを、心配しているように見える。聞こえる。
『そうですよ。散々そう言ったではありませんか』
背中を撫でて囁かれて、ジョミーが振り仰ぐとリオは叱り付けられたばかりとは思えないような微笑みでジョミーを見下ろしていた。
『誰よりも、ソルジャーこそがあなたを心配しているのだと』
見上げるリオは、軽く首を傾げてジョミーの返答を待っている。
確かに何度も聞いた。何度も聞いて、その度にそんなはずはないと否定してきた。
けれどブルーは今、見たこともないほど激しく怒っている。
ジョミーを傷つけることは許さない、と。
「………リオ………謀ったな……」
地を這うような低い声に、再びブルーを振り返ったが、ブルーはもう椅子に座っていた。
椅子に座って、テーブルに顔を伏せて頭を抱えている。
『謀ったなどと人聞きの悪い。正直に振舞わないあなたがいけないのです』
「最初は正直に振舞った。それに、後は言い訳をしたくなかっただけだ。ジョミーを連れてきたのは、確かに僕の望みでもあったのだから」
テーブルから起き上がったブルーはすぐに横を向いて頬杖をついたが、その頬がほんのりと赤くなっていることをジョミーは見逃さなかった。
『照れていらっしゃいます』
「いちいち余計なことを言わなくていい」
不貞腐れたようなブルーの声に、ジョミーは目を瞬いてリオを見上げて、またブルーに目を戻した。
「照れてるの?」
「……ジョミー」
肩を落としたブルーに、ジョミーはじわりと湧き上がる感情を押さえることができなくなってくる。
この船に来て、そうして家に帰れないのだと言われてから、こんな気分になるのは初めてだ。
家に帰ることは諦めきれない。絶対に帰るんだという決意に変わりはない。
けれど今はこの、目の前で照れる年上の少年が、その不貞腐れた様子が酷く。
「可愛い」
くすりと笑って呟きを漏らしたジョミーに、ブルーはいよいよ苦虫を噛み潰したような渋面を見せる。けれどジョミーの上からは、ジョミーと同じく楽しげな微笑が聞こえる。
『ジョミーに掛かれば、三百年も生きたソルジャーでも形無しですね』
「ジョミー、リオ」
ブルーがごほんと咳払いをすると、ジョミーはますます堪えきれなくなってとうとう小さく吹き出した。
照れているのだ。この人が。ずっと何でもお見通しだという顔をしていたこの人が。
三百年も生きただなんて、そんな人でも……。
「……三百年?」
はたと笑いを止めたジョミーに、ブルーは笑いたければ笑えと開き直ったように腕を組んで椅子に深く座り直した。
「リオと話をしただろう?僕は君よりずっと年上だと。細かな歳を数えるのは止めてしまったが、もうかれこれ三世紀は生きている」
ジョミーがゆっくりと首を巡らせると、リオは肯定するように頷く。
「嘘だー!?」
そんなの詐欺だ!
心の中で叫んだジョミーに、ブルーはようやく気を良くしたように軽く眉を上げて微笑みを見せる。
「そういえば君は、年寄りには優しくしなさいとも言われていたことがあったね。僕の歳がわかったことで、これからは優しくしてくれるとありがたいな」
「う………」
それはそれは綺麗に微笑むブルーと、言葉に詰るジョミーに、リオは軽く息を吐いて天井を見上げた。
『大人気ないですよ、ソルジャー』







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ちょっと前進したふたりでした。