ジョミーが艦内のどこにいるかわかるからといって、さすがにいつでもその気配を追っているわけではない。
いつもの時間にリオがひとりで現れたことに、ブルーは目を瞬いた。
「リオ、ジョミーは」
訊ねながらも既にジョミーの思念を感じる場所を探して意識の一部が艦内を巡る。
『ジョミーはその……』
言いにくそうに言葉を濁したリオは、肩を落として溜息をついた。ちょうどそれと当時に、ジョミーの思念を見つけた。
「天体の間?」
『フィシス様が廊下までジョミーを迎えに来られたのです。ジョミーに会いたかったのはソルジャーおひとりではないと……』
言葉を濁すリオに、僅かに俯いてブルーは額を押さえる。
「確かに、フィシスは僕と二人でジョミーの成長を見守っていた。その気持ちはわからないでもないが」
『ジョミーの強すぎる思念がご自身には負担になるとソルジャーが気に掛けておいでなのはわかっていらしたようです』
「ああ……僕の愛しい子たちはどうしてこうも元気が良すぎるのだろう」
溜息を零したブルーは、ふるりと首を振って足を進めた。
『お待ちください、ソルジャー』
「そうもいかない。ジョミーはまだすべきこともあるし、彼の強すぎる思念はフィシス自身が言うように彼女の負担にもなる。早々に連れ戻さなければ」
『お迎えに行かれるのでしたら伝言が』
「伝言?フィシスからかい?」
『はい』
てっきり止めるのかと思ったリオからの意外な言葉に、ブルーはその横を通り過ぎようとしていたリオの前で足を止める。
リオは両手を降ろして直立姿勢でフィシスに託されたという伝言を、見事に再生した。
『ジョミーを返して欲しければ、反省なさってください、とのことです』
ブルーはふらりとよろけて壁に手をき、深い深い溜息を漏らした。



天体の間へ足を踏み入れたとき、わざと思念を封鎖しなかった。もちろんフィシスはすぐに気づいて顔を上げる。
だがジョミーはフィシスの前で頭を抱えてテーブルに突っ伏していて、そのことに気づいてもいないようだった。
やはり、こんなにあからさまな思念でもジョミーにはまだ感じられないか。
軽く息をついて、後ろについてきているリオと共に階段を登ると、ようやく足音で第三者の存在に気づいたらしいジョミーがゆるりと頭を上げて振り返る。
その目元が赤く染まって、それはまるで泣いていたかのようで。
「ジョミー!」
「うわあぁっ!」
まさかフィシスに限ってジョミーを泣かせるようなことをしたとは思ってもみなくて、思わず手を伸ばしながら階段の最後の一段に足を掛けると、そんなブルーの姿を認めたジョミーは悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうな勢いで飛び降りた。
そして予想外のことに、テーブルの下を這うようにして回り込むと、フィシスの後ろに隠れてしまった。
ジョミーに嫌われていると自覚はあるが、それでも怪我の功名とも言うべき失敗のお陰で少しは心を向けてくれるようになっていたのに、逆戻りしている。いや、むしろ酷くなっているというべきだろう。ジョミーはブルーを睨みつけて庇護下から何度も逃げだそうと試みてはいるものの、あんな怯えたように逃げたりはしなかったのに。
あれではまるで、ハーレイに怯えているときのようだ。
衝撃で階段の最上段に足を掛けて手を伸ばした姿勢のままで動きを止めたブルーに、フィシスは呑気な声で口元を押さえた。
「あら、大変。ソルジャー、ジョミーは私の方がよいみたいですわ」
言われなくたって見ればわかる。それでなくてもたおやかで優しげな美しい女性のフィシスと、ジョミーを誘拐同然に連れてきた同性のブルーでは勝負にならないというのに、わざわざ言葉に直す辺りが今まで遠ざけられていたフィシスの不満の現れだろう。
フィシスがどれほどジョミーを待っていたのか、アタラクシアまで様子を伺いに思念を飛ばしては、その映像を移して喜びを分かち合っただけにブルーにも痛いほどよくわかる。
しかしそれとこれとは別だ。
「フィシス、僕は遊びや意地悪でジョミーを連れて行くと言っているのではない。さあ、ジョミーおいで」
「い、いやだっ」
フィシスの椅子の後ろから、拒絶の声が上がる。それと同じくらい、いやそれ以上の強さでジョミーの思念が流れてくる。それは、ブルーには手厳しすぎるものだった。
『いやだ、絶対いやだ!あんな顔見たくない!ぜーったい見たくないっ』
もう少しブルーが冷静であれば、それは今までブルーの存在そのものを拒絶し、遮断しようとしてたものとはまた趣が異なる叫びと気づけたはずなのだが、少しは心を開いてもらえてきたと、くすぐったいような喜びを覚えた後の逆戻りに、蒼白になって立ち尽くす。
「ジョミー…………いや、駄目だ。君のその大きすぎる思念はフィシスには負担になる」
「まあソルジャー、酷いことを。そんな言い方をなされば、ますますジョミーに避けられてしまいますわよ?」
「じゃあ、部屋に戻る!リオと戻る!リオ、リオ!」
フィシスの後ろから転がり出てきたジョミーは、顔を伏せたままこちらに向かって走ってくる。
階段に向かって顔を伏せて走るなんて危険な行為に慌てたブルーが手を差し出そうとすると、ジョミーはそれが見えているかのように器用に避けて後ろにいたリオの足に飛びついた。
「帰ろうリオ!部屋に戻ろう!」
……ジョミーに逃げられた。避けられた。
いや、それより今は別に注目すべきことがある……はずだ。
「ジョミー、君は今……」
「もう!その声聞きたくないっ!」
顔も見たくない、声も聞きたくない、と。かなりの勢いでブルーの存在を締め出そうとするジョミーに、どうしたらいいのか途方に暮れる。
ジョミーは両手で耳を塞いで、階段にしゃがみ込んでしまう。顔をあげてもくれない、話をさせてもくれない。だとしたら、あとは思念で語り掛けるしかない。
『ジョミー』
「わあああー!聞こえないーっ、ぼく何も聞こえないっ」
思念は心に直接言葉を届けるものだ。声を上げて掻き消そうとして消えるものでもないのに、必死の様子でブルーを拒絶するジョミーにいよいよ呆然と立ち尽くすしかない。
頭を抱えるように両手で耳を塞いでしゃがみ込む小さな背中に所在なげな視線を落としていると、困惑した様子で腰を屈めたリオがその背中をそっと撫でた。
『一体どうしたのです、ジョミー。そんなに照れて』
「照れてなんてない!」
照れて?
リオの見解を激しく否定して顔を上げたジョミーは、ブルーの視線に気づいたようにはっと振り返った。
その瞬間、愛らしいバラ色の頬が、熟れたトマトのように真っ赤に染まる。
「照れてなんてないもんっ!リオのバカーっ!」
『どう見ても照れているとしか……』
何度も振り上げられる小さな拳を受け止めながら、困惑した様子でブルーに視線を送ったリオは驚いたように絶句した。
「まあブルー、なんて乱れたお心。今にも倒れてしまいそうですわ」
「え、うそっ」
いつの間にか椅子から立ち上がり、優雅な足取りで傍らに立っていたフィシスが悲鳴にも似た声を上げる。しかしリオの言葉で少々冷静さを取り戻しつつあったブルーには、それが何か芝居じみて聞こえた。それはリオも同じらしい。
だがひとり、まるで冷静ではない子供はさっと青褪めた顔で振り返る。
先ほどまで、顔も見たくない声も聞きたくないと繰り返していたジョミーの思念がぴたりと止まった。換わって、今度は不安に満ちた想いがぐるぐると巡っているようだ。
ブルーと目が合っても、今度は赤面したりはしなかった。
ジョミーに激しく拒絶された衝撃がまだ顔には残っていたブルーを見ると眉を下げて、しかし何故かブルーには近寄らずに傍にいたリオの服を握り締めて身を寄せる。
「つ、疲れてるなら戻ったほうがいいよ。パパが青い顔をしていたら、働きすぎだってマムが寝るように言ってたよ」
ぼそぼそと呟くように、けれどその表情には嫌悪などどこにもなくて、リオに抱きつくジョミーから流れてくる思念は顔色が悪いらしいブルーへの心配が零れている。
「ジョミー……」
頬が緩みそうになったブルーは、けれどすぐに軽く握った拳を口元に当てて俯くと、苦しそうによろけて床に膝をついた。
「あっ」
漏れ聞こえたそのたった一言は、思念と同じくブルーのことを案じているような響きが滲んでいる。
こうして、冷静に振り返ってみればジョミーの最初の拒絶は、確かに嫌悪とは違う感情だったように思う。リオは照れていると言った。
照れてブルーを避けて、体調が悪そうだと聞けば心配をして。
ジョミーは優しい子だから、ブルーのことを嫌ったままでも苦しそうにしていれば心配してくれたかもしれない。
けれど、そうではないと伝わる心が教えてくれる。ただの同情ではなく、ジョミーの心がブルーへと向けられている。
どうしようか。
ブルーは俯き膝を付いたまま、笑みが零れそうになる口元を手で覆い隠した。
どうしようか。ジョミーに心を向けられるこの幸福感。
嬉しくて笑いが収められない。
ああ、けれどいつまでも心優しい子供を心配させていてはいけない。
「ジョミー、僕は別に」
いきなり笑みを零した表情を見せると、からかわれたとジョミーが憤慨するかもしれない。
口元を覆い隠したまま顔を上げたブルーに、ジョミーはリオにしがみ付いていた手を離して駆け寄ってきた。
「無理は一番よくないんだ。病気も疲れも治りが遅くなるって、マムが怒ってた。部屋に戻りなよ。………ね、眠れないなら……眠るまで……傍にいてあげるから……」
顔を半分隠したままなので、まだブルーの本当の状態に気づいていないのだろうジョミーの優しく可愛らしい申し出。
込み上げる感情のままに、その小さな身体を抱き締められたらどれほど幸福だろうか!
ジョミー自身が風邪を引いたとき、眠るまで傍についていてあげるわと母親にしてもらったことを、ブルーのためにジョミーが引き受けると言っているのだ。
せっかくジョミーが心を開いてくれたのに、故意ではないにしろ人の不調を案じる優しい心を利用して騙したとジョミーに思われたら、今度こそ本当に嫌われる。
ブルーはどうにか無理やり滲んでくる笑みを飲み込んで、僅かに眉を寄せた表情で小さな手をそっと握った。
「本当かい?ジョミーが傍にいてくれるのだね?」
「う……うん。だ、だから部屋に戻らないとだめなんだよ」
「ありがとうジョミー……優しい子だ……」
「いい加減になさいませ、ソルジャー」
ごほんと上から咳払いが降ってきて、ブルーはゆっくりと振り仰ぐ。
ブルーのそれが成り行きからの演技だと、もちろん最初から気づいてたのだろうフィシスはすっかり呆れ顔でジョミーの頭をそっと撫でた。
「仕掛けたのは私ですが、優しい心を利用するなど」
「それだ、フィシス。君は一体どんな魔法を使ったんだい?」
あんなに頑なだったジョミーの心が、まだ逡巡を含みながらとはいえ、ブルーのことを案じるように向いてくるなんて。
フィシスは呆れを見せていたその顔に手を当てて、軽く首を傾げて微笑んだ。
「何も難しいことではございません。ジョミーに思念とは恐ろしいものではないと体験してもらったまでのこと。そうですわね、ジョミー」
その微笑みを向けられたジョミーは、再び顔を赤く染めた。重ねていたブルーの手をきゅっと握り、けれどブルーと視線が合うとすぐに表情を引き締めてその手を引く。
「寝ないとだめだよ。リオ、手伝って」
『ええっと……ですがジョミー……』
言葉を濁したリオはしばらく迷う様子を見せたが、ジョミーに真剣な眼差しを向けられて溜息をついた。
『わかりました。ブリッジにはソルジャーは本日休養されると伝えておきます。ジョミーはソルジャーについていてあげてください』
ジョミーと握り合ったのではない方のブルーの腕を掴んだリオから、手を貸すのも馬鹿馬鹿しいという思念が隠されもせずに流れてきたが、ジョミーがそれに気づいた様子もない。
「ご、ごめんなさいフィシス。約束したから、ブルーのところへ行くね」
「ええ、ジョミー。傍にいてあげてください。こう見えて寂しがり屋な方ですから」
その評価はどうかと思ったものの、今はどうやったのかジョミーの心を解してくれたことに感謝しているので、ブルーも口を挟まなかった。
女性の存在は母親を連想させるかもしれないということで、出来る限り落ち着くまではフィシスに限らずあまりジョミーに接触させないほうがいいだろうと考えていたけれど、そういうものでもなかったらしい。
フィシスのことは、ジョミーの強すぎる思念が負担になるだろうという危惧もあったとはいえ、最悪にはならないようにと先回りしすぎて、余計なことをしていたのかもしれない。
「ありがとう、フィシス。さすがは地球を抱く僕の女神」
すべての命の源、すべての命の母をその記憶に抱くフィシスは本当に偉大だと、心を込めて賞賛すると、フィシスは大袈裟ですと苦笑した。
「女神様なんだ……やっぱり」
ぽつりと呟いたジョミーは、ブルーの手を引いて行こうともう一度促す。
「部屋に行こう、ブルー。それじゃあフィシス様、お菓子美味しかったです。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて丁寧に挨拶をしたジョミーに、ジョミーは儀礼も完璧だなどと微笑ましく見ていたブルーは、背後から向けられた奇妙な感覚にフィシスを振り返る。
「……ジョミー、私のことはフィシス、と」
「でも、ブルーが女神様だって」
「まあ……そんな……」
フィシスはジョミーには困ったような笑顔を向けたまま、ブルーには針の先のような冷たい思念を滑り込こませてくる。
『ソルジャー……この仕打ち、私忘れませんわ』
「い、一体何の話だい?」
思わぬ女神の怒りに、演技ではなく本当に顔色が悪くなりそうだった。






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ブルー、弱い……(笑)
ジョミーはまだブルーのことを好きになったわけではありませんが、
具合が悪そうな人には心配くらいするだろう、と。
それこそ、あんな恥ずかしいくらいの愛情を見せられたわけで(^^;)