「さて、どういうことか、聞かせてもらおうか」
腕を組んで威圧する幼馴染みに、ジョミーは殴られた頭を擦りながら恨めしげな目を向けた。
「どうもこうも、ぼくにだってさっぱりだ!あいつ、すっごく趣味が悪いんだ!」
「趣味?」
「ぼくが子供はちゃんと作るって言ったら、相手はキースかとか聞いてくるし」
「………なんだそれは」
さも嫌そうに眉を潜められて、ジョミーはかつらを毟り取るとテーブルに放り投げる。
「ぼくに聞くなよ!大体さ、ぼくは男だから馬鹿馬鹿しい話にしかならないけど、あいつはぼくのことは女だと思ってるんだぞ!?普通、そんな質問するか?歌姫の父親なんて誰だっていいくせに!ただの好色男だろっ」
吐き捨てるように言って石床を踏み鳴らしたジョミーに、キースはかつらを拾ってすぐに頭に被せ直した。
「王はもう帰ったんだからいいだろ!」
それを嫌うように腕を振ると、キースはその腕を掴んでぐいぐいとかつらを押し付ける。
「王の真意が分からん。しばらくは常に気を張って女の振りをしておけ」
「冗談だろ!?明日また来るって言ってけど、今日はもう来ないよ!あんな山道、一日に二度も往復しないって!」
「王の真意が分からんと言っただろう。油断するな。それで、まさか話はそれだけだったはずがないだろう。何か他には」
「……別に、特に何も」
天井を見上げて思い出しながらそう言うと、キースの表情がますます険しくなる。
「お、怒るなよ。だって本当に大した話はしてないんだ。えっと、最初に何か困ったことはないかとか聞いてきて……特にないって言ったんだ。だって言ったってどうしようもないことしかないし」
ジョミーの望みは、塔から出て自由にどこへでも行けるようになること。
それだけのことで、けれど王であろうと絶対に叶えられるはずのない願い。口にしたところでどうすることもできず、また王には絶対に聞かせてはならない望みだ。
「……それで」
ジョミーの望みを知っているキースは、そのことには深く触れずに先を促した。キースはジョミーにとって、サムやスウェナと並んで最も親しい友人ではあるが、キースたちが村の住人で、ジョミーが歌姫であるという事実は動かしようもない。
「それで……確か、名前で呼べとか言い出してさ。ぼくが敬語とかできないと思ったらしくて、楽に話せって」
「……まさか呼んだのか?」
「だって呼ばないといつまでも話が進まなかったんだ。何度もブルーって呼べって。それで名前を呼んだら嬉しそうに笑うしさ……気は……緩んでたかもしれない」
結果的に王を挑発するような話をしたのは、相手が気安い態度を取って見せたことに気が緩んだせいと言えなくもない。
迂闊だったと声を小さくして呟くように正直に話すと、キースは溜息をついて更に先を促した。
「それで」
「それで……えっとなんだっけ?ああ、そうだ、それで突然、キースはぼくの恋人かって」
キースは軽く咳き込むと、組んでいた腕を解いて疲れたように窓際の壁にもたれ掛かった。
「……そ、それで」
「変な質問だろ?それで、ぼくも何でそんなこと聞くのかって考えたんだよ。恋人なんて聞いてきて、きっと早く子供を作って置けって意味だと思ったんだ」
壁にもたれたキースも頷いて、どうやらジョミーと同じ意見らしい。ジョミーは無理やり被せられたかつらの髪を弄りながら、軽く息を吐いた。
「で、さっきの話に続くんだ。子供はちゃんと作るって言ったら、相手はキースかって」
「それであんなに不機嫌になったのか?」
分からないというでも言うように首を傾げるキースに、ジョミーは肩を竦めた。
「趣味が悪いことを聞くから、父親なんて誰だっていいんだからキースに限らないって返したけど……」
「……馬鹿か、お前は!?」
踏み出したキースから拳が飛んできて、そう来るだろうと身構えていたジョミーはそれを危なげなくかわす。
「歌姫制度を維持しているのは王室だぞ!その王家の総領に制度の嫌味を言ってどうする!」
「ぼくだって言ってからまずかったかなって思ったよ!だから気が緩んでたって言ったじゃないか!」
「言ってから反省しても遅い!そんな態度を取って、反抗の意思ありと取られでもすれば、監視が強化されてもおかしくはない。そんなことも考えなかったのか!?」
「え、きょ、強化って?」
急に不安になって慌てて問い返すと、キースは溜息をついて額を押さえる。
「塔へ人員の常駐などの要求ならまだいい。問題は、その人員が村からではなく王都から派遣された者などということになれば、目も当てられん」
眉間に皺を寄せるキースに、ジョミーはその話をじっくりと考えてみる。
王都から人が派遣される。塔に常駐……。
「その場合、どうなるわけ?」
「無論、お前は四六時中、年がら年中女装だ。男であると知れないよう、常に気を張る必要がある」
「そんなの無理だ」
「分かっている。だから頭が痛い」
キースはもう一度深く息を吐いた。
その深刻な表情に、ジョミーもみるみる青褪めていく。
「ど、どうしようキース!そんなの無理、絶対に無理!」
最悪の状況の想像に青褪めて詰め寄ると、キースは眉間の皺を深くしたまま窓の外へと目を向けた。
「……王は、明日も来ると言ったんだな?」
「え、う、うん」
「ならば、明日は従順にしろ。王の言うことには常に頭を垂れ、王の意向に沿う答えを返せ。絶対に反抗的な態度だけは取るな」
「わ、分かった。やるよ、やってみせる!」
ぼくの平穏な生活を守るために!
拳を握り締めて決意を固めるジョミーに、失礼なことにキースは不安を隠し切れない目をしていた。


くれぐれも王に無礼を働くなと念を押したキースは、万が一の場合に備えてジョミーが夜に向けて眠っている間、塔の一階にいてくれた。
これで不意に王が戻ってきたり、従者の誰かを塔に寄越したとしても、ジョミーが目を覚まさずに寝室にしている二階にまで踏み込まれる、などということにはならない。
明日からのことを思うと不安だらけだったのに、一晩中歌い通しの疲れで危惧に反してジョミーは昼の間、ぐっすりと眠った。
おまけに朝の事件で毎日のリズムが狂ったせいか、目を覚ました時点で既に日暮れが近くなっていて、夕日を目にしてジョミーはベッドで深くうな垂れる。
「今日、何にもしてないよ、ぼく……」
そんな非常に無駄に過ごした一日に溜息を零しながら寝起き姿のまま、かつらだけ掴んで一階まで降りると、扉を開けた途端に水を掛けられた。
「だから気を緩めるなと言っただろう!何だその格好は!」
グラスを手にキースは額に青筋を見せているが、髪から水を滴らせたジョミーの額もぴくぴくと引きつる。
「薄いシャツ一枚で胸がないことなど一目瞭然、そんな足を丸出しにしている女もいない。シャツに手を突っ込んで腹を掻くな、腹を!」
「だからって水を掛けることないだろ!」
「そうかすまなかった。着替えだ」
ずいと袋を目の前に突きつけられて、ジョミーは嫌な予感に顔をしかめながらそれを受け取る。
「……中身は?」
「昼間、サムがスウェナの古着を持ってきた」
「また女装?夜はいいじゃないか。塔には誰も入らないんだしさあ」
「朝、歌い終わりに王が来たらどうする。着ておけ」
ジョミーは肩を落として溜息をついた。
ジョミーが反抗しないと見ると、キースは踵を返してテーブルにあった本を小脇に抱える。
「夕食は用意してある。明日もまた来る」
「んー、ありがと。助かったよ。もう暗くなるし、帰りは気をつけて」
「ああ」
水に濡れた髪を掻き上げながら手を振るジョミーに、キースは深く頷いて塔を出て行った。
窓に寄って見送る背中は、振り返ることなく大股で山道へと入って行く。
いくら慣れた道とはいえ、暗くなってからの山道は安全とは言い難い。本当ならジョミーが塔の最上階で歌っている間、キースがジョミーのベッドを使っても構わない。時折そうしてキースやサムが泊まって行くことはある。だが今日は、王の一行の動向を気にしてキースは村まで戻ったのだ。
「あーあ、やっぱり気が変わったとか言って、明日はこっちに来ずに帰らないかな」
誰もいなくなったことで寝室まで戻る手間を面倒がったジョミーは、リビングにしている一階で濡れた服を脱いで椅子に掛けながら深く息を吐いた。
気が進まない手で袋から取り出した服は、今度はワインレッドのストールと黒いタートルネックシャツと同色のフレアスカート。おまけに黒のタイツまで入っている。
「…………なあ、キース……スウェナ、遊んでないか?」
分かっている。ジョミーは仕草からなにから女の子らしくないのだから、服装だけでもそれらしくしておかなければいけないのだということは分かっている。けれど、女の子だってズボンを履いていることだってあるのに、どうしてもスカートでなければならないのだろうか。
「スカートって足元がスカスカして風邪引きそうなんだよな。心許ないっていうか……」
水を拭いて頭からシャツを被るとかつらを乗せ、脱ぎ捨てたハーフパンツの代わりにスカートを履いたジョミーは、タイツを手に眉を寄せる。
「正直こんなのまで履きたくない。履きたくないけど足がスカスカして寒い。……どうせ誰が見てるわけでもなし……」
溜息をついて椅子に座ったジョミーは、膝を立てて引き寄せた足の踵を椅子に乗せてタイツを手繰り寄せた。
爪先を潜らせたところで塔の入り口からノックの音が上がる。
「なに、なんか忘れものー?」
キースが戻ってきたのかと、勝手に入れと声を掛けると扉が開いた。だが入り口から聞こえた声は、キースのものではなく。
「こんな時間にすまない、ジョミー。君に頼みたいことが……」
耳に心地の良い低い声に、ジョミーは音を立てて椅子の上で背筋を伸ばす。
顔を向けたその先に、朝のうちに村に戻ったはずの王がノブを握ったまま呆けたように立ち尽くしていた。
お互いに、相手の目を見たまましばらく沈黙が降りる。
いるはずのない人物が目の前にいて、どうしたらいいのか分からず心の中でキースに助けを呼ぶジョミーの目に、みるみるうちに顔を真っ赤に染めた王が急に背を向けた姿が映った。
「す、すまない!返答があったから……ご、ご婦人の着替え中に失礼した!」
慌てたように大きな音を立てて扉が閉められて、ジョミーはゆっくりと自分の格好を見下ろした。
タイツを履こうと膝を立てた足を椅子に乗せ、スカートは滑り落ちて太股まで捲くれ上がっている。
「…………ぎゃあーっ!ちょ、え、い、今、嘘、み、みみみ」
見られた!?
今更ながらスカートの裾を掴んで椅子から下ろした足を隠しながら、ジョミーは蒼白になって椅子から立ち上がり、履きかけのタイツに引っ掛かって転びかける。
スカートの中身を見られただろうか。けれど下着は履いていた。
「って、その下着がぼくのじゃないかっ!」
服はスウェナのものを借りているとはいえ、そこまで徹底してはいない。まさか男物の下着を見られただろうかと混乱しながら意味なく立ったり座ったりを繰り返す。
「どうしようどうしよう、キース、どうしよう!?」
転びかけたので取り敢えず足から引き抜いたタイツを抱き締めて、ジョミーは誰もいない周囲を見回して助けを求めた。
だがもちろん今現在、ここにはジョミーしかいない。そして塔の外には何故か王が。
一通りおろおろと取り乱したジョミーは、しばらくすると意を決したようにタイツをテーブルに叩きつけて椅子から立ち上がった。
大股で塔の入り口まで進み、扉に手を掛けると大きく息を吸う。
もしも男物の下着が王に見えていたとしても、趣味だと言い切ろう。
そうだ、これはぼくの趣味なんだ!そう言い張るのなら、いっそ下着が見えていたほうがこの先男物の服を着ても、それも趣味で通るじゃないか。失敗したなら幸いに好転させればいいんだ!
開き直って気持ちを立て直したジョミーは、いっそ堂々と扉を開けた。
けれど覚悟していた長身は扉の前にはなく、ステップに座って膝を抱えるように丸めた背中が足元にあった。危うく踏み出した足が蹴りつけるところだ。
「うわ!?」
慌てて足を振り戻したジョミーの悲鳴に、膝を抱えていた王がはっと振り返る。
外は薄暗くて分かりにくいが、塔から漏れる明かりが王の顔をほんのりと赤く染めている。
けれどランプの明かりはもう少し濃いオレンジ色のはずだ。
「す、すまない。君の着替えを覗くつもりではなかったんだ」
座っていたステップから腰を上げた王は、踵に重心を掛けて鋭く半回転すると、ジョミーと正面から対して背筋を伸ばして直立姿勢を取る。
「その、君に頼みがあって、そのことで考えを占めてしまっていて、それで注意が散漫になっていたというか」
両手を意味なく上げ下げしたり、視線を彷徨わせたり、落ち着かない様子でしどろもどろと言い訳をする王をぽかんと見上げていたジョミーは、その姿に次第に笑いを誘われる。
その容姿は、神に愛された美術品が動き出したのだと言われても思わず信じてしまいそうなほどに麗しく、今朝なんて同性のジョミーですらその笑顔に見とれたほどだというのに。
そんな綺麗な人が、その頬を僅かに染め、何度も言葉を噛みながら男のジョミーの着替えを覗いたということに言い訳をしている。
思わず吹き出しそうになったジョミーは両手で慌てて口を押さえて、肩を震わせて踵を返した。
「ジョミー!?す、すまない……君を傷つけるつもりなんて本当に」
慌てて上擦った声を掛けられて、いよいよ我慢できずに吹き出した。口を押さえていた両手を腹に当てて、一度拭き出すと止まらずに大声で笑ってしまう。
「………ジョミー?」
笑いながらよろよろと塔の中に戻り、テーブルに手をついてひーひーとどうにかその笑いを収めようとするジョミーの背中に、戸惑った様子の王の声が掛けられる。
「へ、へ、陛下……」
王を笑うなんてとんでもないと思うのに、どうしても止められない。何とかして止めようと片手で強く腹部を圧迫しながら、目の端に浮かんだ涙を指先で拭ってジョミーは振り返った。
「ど、どうか無礼をおゆ……お許し、くださ……」
無理に笑いを抑えようとして、喉がおかしな音を立てた。それでもどうにか痙攣していた腹の動きを押さえ込むと、呆けた様子で立ち尽くす王に首を傾げる。
「許して、いただけませんか?」
途端に王は雷にでも打たれたように背筋を伸ばし、大きく首を左右に振った。
「許しを請うのは僕のほうだ。ジョミーは、その……許して、くれるだろうか……」
男に着替えを覗かれたくらいで怒るものか。どうやらこの様子では男物の下着は見られていないらしいと、安堵したことも相まって、ジョミーはにっこりと微笑みを浮かべて頷いた。
「もちろんです、陛下。入っていいと言ったのはぼくなんですから。てっきりキースが戻ってきたのかと思って、見苦しいところをお見せしました」
目の端に浮かんだ涙を拭いながら、テーブルに放り出していたタイツを手にしたジョミーは、キースの忠告に従って着替えていてよかったと胸を撫で下ろす。
ふと、椅子に掛けたままだった寝間着に気がついて、王の目に入らないようにとできるだけ自然な動きで寝間着を取ると、急いで丸めてスウェナの服を入れていた袋に詰め込む。
「戻って……ということは、彼は村に帰ったのかい?」
「はい。もう日も暮れますから……」
袋の口を縛りながら答えたジョミーは、ふとその日暮れにいるはずのない人物が今ここにいて、会話を交わしているという事実に気がついた。
「陛下!?こんな時間にこんなところに来て、夜の山道は危険なんですよ!?」
慌てて振り返ると、王は少し眉を下げて申し訳なさそうな……あるいは機嫌を伺うような……どちらにしても、王が民に見せるようなものではない表情で頷いた。
「ああ……そのことで、君に頼みがあるんだ」
「た、頼み……?」
そういえば、最初に扉を開けた時もそんなことを言っていたような気がする。
王が民に頼みごとなんてと嫌な予感に襲われながら、ジョミーは恐る恐ると口を開く。
「それは、一体……」
「今夜、君が歌っている姿を見せてもらえないだろうか」
キース、助けて。
手にした着替えを詰めた袋を取り落とし、ジョミーは唖然として王の不安そうな赤い瞳を見返した。






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王様からのとんでもないお願いに呆然の歌姫。