「このところ、ジョミーが物を壊したという話を聞かなくなったね」
それに癇癪を起こしたようにゼルやエラと言い争う思念を感じることも少なくなった。
そう思って誉めるつもりで直接本人に言ってみると、ベッドのすぐ横に膝をついて今日の訓練のことを語っていたジョミーの頬が真っ赤に染まる。
「別に……今までだって毎日何かを壊してたわけじゃない……と思うけど……」
「うん?いやそういう意味ではないよ。ただジョミーもサイオンをコントロールする術を日々身につけつつあるのだねと言いたかっただけだ」
拗ねたように、恥じるように唇を尖らせたジョミーは、からかわれたと思っていたのか、誉められて驚いたようにブルーを見つめる。
「頑張っているね、ジョミー」
濁流と同じで、大きな力はうねるように激しく、時には己をも飲み込みかねない。
サイオンを制御する力を身につけることは、仲間たちを守り導くためにということだけでなく、ジョミー自身の安全にも直結する。
発する力を強引に押さえつけるだけでは、今度はジョミーの身体に負荷が掛かって痛めてしまう。力の暴発が減って物を壊すことがなくなったからといって油断はできないと数日の間、注意深くジョミーを見ていたブルーは今日になってようやく安心してそれを言うことができた。
「……本当?」
誉められて喜ぶだろうかと思っていたジョミーは、驚いた表情のままで小さく呟いた。
「本当に、ぼくは頑張れてる?あなたを少しでも、安心させられてる?」
そんなことを聞かれるとは、ブルーのほうこそ驚いた。ソルジャーを継ぐと決めてからジョミーが努力していないと思ったことはないし、前へ進もうとするその姿にどれほど安堵していたか。
「もちろんだとも、ジョミー」
ジョミーが自分に自信を持ちきれていないことはわかっていたが、まさかここまでブルーの想いが伝わっていないとは思いもよらなかった。どれほど誉められても信じきれないだけなのだろうと思っていたのに、「少しでも」だなんて。
「僕はいつだって、君の前へ進むその姿を見て安心できるのだよ」
つい手が伸びそうになって、ブルーはベッドの上に落としていた手を慌てて握り締める。
安心すると言った傍から、子供を誉めるみたいだとジョミーが感じていた行動を取ればまた甘やかされているだけだと自信が揺らぐかもしれない。
「そう……そう、なんだ……」
小さく独り言のように呟いたジョミーは、ゆっくりと実感が湧いてきたのか、少し気の抜けたような表情から少しずつ口角をあげて、それこそまるで誉められた子供のように満面の笑顔を見せた。


「……そのときのジョミーの可愛さときたら、僕はよく理性を保ったものだと自分を誉めたくなるほどだった」
再び私室への強襲を受けたハーレイは、デスクに向かってペンを動かしながら補聴器を外してしまいたい衝動と闘っていた。
後ろでテーブルについてジョミーの愛らしさを語るブルーは、ハーレイが特に相槌を打たなくても気にせず語り続けるくせに、補聴器を外すと思念で語りかけてくる。
聞き流そうとしても勝手に耳に飛び込んでくる惚気にはうんざりする思いだが、思念で割り込んでまで語られることとどちらがマシかと言えば考えるまでもない。
ジョミーに大人しく休んでいてと怒られてからは、思念を飛ばしてジョミーの様子を伺うことも自粛傾向にあったらしく、その分の余った時間をこうしてハーレイのところやフィシスの元へ行って過ごすことが少し増えた。
それが悪いとは言わないが、話の八割がジョミーのことについてとなると、ひょっとするとソルジャーは自分をジョミーシンパに仕立て上げようと画策しているのではないかとすら疑いたくなる。
それはことあるごとに「だからといってジョミーを邪な目で見ないよう」と自らがどんな目で大切な子供を見ているかを暴露しながら、釘を刺されることで否定されているのだが。
どうにか話を切り上げようと、ハーレイはペンを置いて椅子を回して後ろを振り返る。
「よかったではありませんか。ジョミーが自信をつけたのなら、そろそろ彼に触れることも解禁になるのでは?」
だから青の間に戻って、以前のようにジョミーには気づかれないよう細心の注意を払いながら思念で彼の様子をのぞき見ておけばいい。
ジョミーは自信をつけることができたし、ブルーは元通りの生活に戻ってジョミーを眺めていられるし、自分は延々とループしているような惚気話から解放される。
万事解決だ!と諸手を上げて歓迎したい事態を勧めたハーレイは、意外にも浮かない顔をしたブルーを目にして驚いた。
先ほどまで機嫌よくジョミーの愛らしさを語っていたのに、何かあったのだろうか。
「ソルジャー?なにか気に掛かることでも?」
「うん?ああ、いや……」
曖昧に返事を濁して、ブルーは溜息とともに立ち上がる。
「仕事の邪魔をして悪かった。もう戻るとするよ」
「それは構わないのですが……」
延々とジョミーの愛らしさを語られていたときはうんざりしていたはずなのに、いざ謝られると聞き流していたことが申し訳ない気分になってくる。どうせまた明日にはケロリとジョミーの話をしに来るだろうことは予想がつくのに、それでもハーレイは席を立った。
「部屋までお送りしましょうか」
特におかしな申し出ではなかったはずだが、ブルーは苦笑を浮かべて首を傾げる。
「急にどうしたハーレイ。別に具合が悪くなったわけでもない。君は艦長の任を真っ当したまえ」
軽く手を振って断られると、それ以上押すこともできずにブルーを見送ることしかできなかった。


シャングリラの長い回廊を歩きながら、ブルーは深い溜息をついた。
ジョミーはブルーから甘やかされていると思い込んで自信を無くしていた。ああやって話を聞きたがるのも、その際に頭を撫でることも、こっそりと様子を伺うことも、すべて自分が不甲斐ないから、ブルーが安心できないゆえのことだと、そう思っているとヒルマンから聞かされて、それなら少しは距離を空けようと同意した。
ジョミーを甘やかしたいことは事実だが、それはジョミーが考えているような理由とはまったく違う。
しかしだからといって真実をすべて説明できようか。そんなことをすればジョミーはブルーの傍に来てくれなくなるかもしれない。
ジョミーは確かにブルーに好意を持ってくれている。それには自信がある。
しかしそれはブルーが持っているジョミーへの好意とは別のものだ。
一切の接触を絶ったわけではないとはいえ、ブルーの態度の変化に疑問は覚えてもそれ以上の感情をジョミーは持っていないらしい。
十四歳になったばかりの少年に、君はミュウだ、そして次のソルジャーとなれと突然の真実を告げると同時に、重い責務を背負わせた。
ジョミーは最初の反発を乗り越えると、事実を柔軟に受け止めて期待に応えようと懸命になっている。おまけにそんな容赦のないことをしたブルーに好意を持ってくれている。
十分だ。それで満足すべき結果ではないか。
そう自分に言い聞かせていたはずが、まったく納得していないことに今回のことで気づかされた。
そろそろジョミーに触れることを解禁してもいいだろう、とハーレイは言った。
ジョミーに触れたいのはブルーだけの欲求で、触れないことに我慢を覚えたのもブルーだけだ。
ジョミーは触れられることにまるで執着はしていない。だから変化したブルーの態度に疑問しか持たない。むしろ触れることをやめてからのほうが、調子が良くなったくらいだ。
元々、好意は種類が重なっていなかった。このままの距離を保つほうがジョミーのためになるのではないだろうか。
それで己が善しとできさえすれば。
「……厄介だな」
理性でわかっていても、欲求が収まることはない。大きな目的のために、個人の欲などすべて諦めることには慣れたはずなのに、諦め切れない。
地球への道のりの渇望くらい、仲間たちの希望ある未来を望むくらい、ジョミーの存在が大きいというのだろうか。
「愚かな……なんという様だ」
ジョミーの気持ちを望む形では手に入れることを諦めたからといって、傍にいることまでなくなるものではない。先の見えない地球への道や仲間達の未来に比べて、こんなにも恵まれている。
それなのに、それでも満足できないのか。
「己の不甲斐なさを嘆くのは、ジョミーではなく僕のほうだ」
自己に向ける苛立ちを押さえきれず、こんな廊下でいけないと思うのに舌打ちを零してしまう。
「ソルジャー?」
聞こえた声に驚いて足を止めた。
情けないところを見られた。いや、聞かれた。
今更だと思いながら、ブルーは一瞬だけ目を閉じると気持ちを落ち着けて振り返る。
「やあ、フィシス。廊下で会うのは珍しいね」
お互いに相手の居場所を訪ねることはあっても、出歩くことが少ない者同士なので本当に珍しい。
床に届こうかというほどの長い金の髪を揺らす彼女の後ろには、いつものように従者としてアルフレートが従っている。彼にも舌打ちが聞こえただろうかと少しだけ気にはなったが、そんなことは少しも顔に出さずに微笑を浮かべて地球を抱く女神の元へ歩み寄る。
「部屋まで送ろう」
その手をそっと取って微笑みかけると、フィシスも笑顔を返して頷いた。
「ちょうどよろしかったですわ。この後、ジョミーとお茶の時間を約束していますの。ソルジャーもご一緒にいかがです?きっとジョミーもとても喜びます」
「ジョミーと?」
声に変化はなかったはずだ。だが一瞬だけ心が波立った。
それに気づいたように、触れていたフィシスの手が小さく揺れる。
「ソルジャー?」
「あ……いや。それは楽しそうだ。僕も混ぜてもらおうかな」
フィシスの手を引いて、青の間へ行く道から天体の間へ向かうように足の向きを変える。
「ジョミーとはよく休憩を共にしているのかい?」
「よく、とは言えないかもしれませんが、時折時間ができたときには訪ねてきてくれますわ」
「そう……」
ジョミーから聞く日常の話の中で、フィシスと過ごした時間のことはそれほど聞いたことがない。それは話す必要を覚えないほど他愛も無い時間だからなのだろうか。
それとも、人に話したくないほどジョミーにとって大切な時間なのだろうか。
フィシスの手を引いて歩きながら、これでは下種の勘繰りだと溜息をつきたくなる。
感情をコントロールできないだけでも呆れているのに、思考までこんな風になるのかと首を振りながら廊下の角を曲がったところで、リオと一緒にいた話題の愛しい子と出くわした。
今日はなんて日だろうと僅かに動揺しながら、驚きで急に足を止めて目を見開くジョミーに笑いかける。
「やあジョミー。今からフィシスとお茶の時間だと聞いたよ。僕も一緒にいいかな?」
気さくに声をかけてから、ふとジョミーのことだから「またそんなに出歩いて!」とブルーの体調を心配して怒られるかもしれないと、首を竦めそうになる。
しかし想像とは違って、フィシスとの休息の時間についても、ブルーが出歩いていることについても、ジョミーは何の返答も返さない。
ただ足を止めて、ひょっとすると呼吸すら止めているのではないだろうかというほど微動だにせず、じっとこちらを見ている。
「ジョミー?」
フィシスも違和感を覚えたらしく、首を傾げて声を掛けると途端にジョミーがびくりと震えた。
「あ………の、ぼく」
ジョミーが一歩後ろに下がると、そこにいたリオと背中をぶつける。
様子がおかしいジョミーに、リオに目を向けてみるが、今まで一緒にいたはずのリオまで眉をひそめてぶつかったジョミーの肩に手を置いた。
『ジョミー、どうしま……』
「ぼく、急用ができてしまって。それでフィシスに謝りに行くところだったんだ」
『ジョミー?』
急に何を言い出すのかと、驚いたリオの様子でそれが嘘だなんてすぐにわかる。
ジョミーは振り返らずにリオの腕を掴むと、申し訳なさそうな表情をフィシスに向けた。
「ごめんねフィシス。また誘ってくれるかな?」
「え、ええ……もちろんです。ジョミー、あの」
「本当にごめん!それじゃあまた今度!」
戸惑うフィシスに最後まで言わせずに、ジョミーはリオの手を強く掴んだまま踵を返して走り出す。
『ジョミー!』
二人の駆け去る背中を見送る場に、リオの困惑の思念が残された。
「どうしたというのでしょう?」
ブルーがいることに憚って、それまで口を開かなかったアルフレートの呆れた声にフィシスも頬に手を当てて首を傾げるしかない。
「最近ではジョミーも思念を遮断することができるようになりましたけれど……感情までまるでわからないというのは珍しいことですね」
ジョミーは思念を操ることが下手な上に感情の起伏が激しいので、はっきりとした意思はわからなくとも、怒りや喜びや悲しみや苛立ちや、そんな漠然とした感覚を遮断しきることはあまりない。普段ならともかく、あんな風に動揺した様子のときならなおさらだ。
同意を求めた言葉になんの返答もなく、フィシスは握った手からブルーの動揺を感じて顔を上げる。
「ソルジャー?」
フィシスの視線を感じながら、ブルーは翻る赤いマントが廊下の端に消えるまで、目を離すことができなかった。
終ぞ、ジョミーは振り返らなかった。
最初にブルーと目を合わせた後に視線を逸らすと、一度もブルーを見なかった。声も掛けずに行ってしまった。
悲しいとか、寂しいとか、そんな感情もあるけれど、それ以上に恐怖が湧きあがる。
もしかすると、ジョミーに気づかれてしまったのだろうか。
あれほどハーレイに冗談混じりで言い続けた「ジョミーを邪な目で見ないように」
それが自分に言い聞かせていたのだと、その想いを。





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お約束も様式美と言えば聞こえがいい……かな(笑)
アルフレートがいるのに送るとか言い出すブルーと
あえて何も言わないフィシス。
頑張れアルフレート……。