フィシスとの休息の時間をふいにしてしまったことで空いた時間を部屋で休もうと、リオと共に自室に戻ったジョミーは、扉を開けたところで足を止めて完全に固まった。
「………………………」
いるはずのない人が、なぜか椅子に座って足を組んで待っていた。
互いに正面から視線を合わせても無言。
そのまま扉の開閉のコントロールパネルに手を伸ばそうとするジョミーに、リオは笑顔でその背中を押した。それはもう、突き飛ばすと言ってもいい勢いで。
「わっ!」
「ジョミー!」
わりと容赦のないリオの一撃でたたらを踏んで部屋に飛び込んできたジョミーに、複雑そうな表情で座っていたブルーは弾かれたように椅子から飛び出してその身体を抱き留める。
「リオ!ジョミーが怪我をしたらどうするつもりだ!」
厳しく叱責する声が耳のすぐ傍で上がって、リオがこんな風に叱られることがあるなんてと驚いた。
抱き留められた腕の中で目を瞬いていると、背中に添えられていた手に力が篭る。
一瞬、なぜか心が沸き立つように心臓が跳ねたような気がした。
『申し訳ありません。ジョミーに逃げられたら大変だと思いまして』
「逃げ……」
背中に回された手に一層の力を込められて、ジョミーはぎゅっと心臓を掴まれたように息苦しくなって、ブルーの上着を握り締めた。
ブルーに抱き締められたのなんて初めてのことでもないのに、どうしてこんなに。
「……ソルジャー、苦しい……」
ブルーの上着を握り締めた手を開いて、軽く掌で胸を押すようにして訴えると、抱き寄せていた手が急に離れた。
「す、すまない」
強く抱き寄せた手は離れたのに、息苦しさは消えない
困惑しながらブルーの胸に手をついて離れると、ジョミーは肩越しに後ろを振り返る。
入り口でブルーに怒りを押さえてというかのような仕草で両掌をこちらに向けていたリオは、自分で突き飛ばしたくせにジョミーと視線が合うと今頃少し驚いたように目を瞬いた。
「……リオ」
どういうことだ、どうしてソルジャーがここにいるのか。
そう視線に問いを込めたのに、すぐに驚きから回復したらしいリオは笑顔で扉のコントロールパネルに手を伸ばす。
『しっかり話し合ってくださいね』
「やっぱりリオは知って……っ」
扉が閉まって、リオは笑顔のままで廊下へと逃げてしまった。
「リオ!」
二人きりにされても困る。
咄嗟に叫んだジョミーは、まったく同じタイミングで叫んだブルーに驚いて視線を正面に戻した。
ブルーは思わずといった様子で右手で口を塞ぎ、ジョミーから一歩離れる。
「その……誤解がないように言っておきたいのだが、ここで待てと報せて来たのはリオなんだ。その様子だと……君の了承は得ていなかったようだが」
「え……っと、べ、別にあなたならぼくの部屋にいつ入っても、何も悪くないけれど……」
「そ……うか」
ブルーが頷くと、それきり再び沈黙が降りる。
ジョミーは気まずくなってブルーから顔を逸らすように、無意味に斜め下の床に視線を落とした。
ブルーと二人きりで、こんなに息が詰ったことはない。
初対面のときは息が詰るというより戸惑いや怒りばかりが先行していたし、ブルーが倒れた後の最初の見舞いは申し訳なさとブルーに無理をさせた自分への歯がゆさばかりがあった。
それから先の青の間への訪問は、回数を重ねるごとに心の落ち着く場所となっていったので、沈黙であろうと安らぐことはあっても逃げ出したい気持ちになんてならなかった。
リオは言葉を交わせなんて言ったくせに、あまりにも急なことで頭がちっとも回らない。
リオの馬鹿!なんでこんな意地悪したんだよ!
聞こえたって構わない、むしろ聞けという気持ちでリオに不平をぶつけて心の中で叫ぶと、すぐ傍ではっと息を飲む声が聞こえた。
「部屋へ戻るよ。急にすまなかったね」
ジョミーが驚いて顔を上げるのと、歩き出したブルーが通り過ぎ様に肩を軽く叩いたのはほぼ同時だった。
「あ……っ」
ジョミーは慌てて口を押さえる。言葉を発したわけではないし、たとえ声に出していたとしても今更押さえたって遅い。リオにぶつけるつもりだった思念が、ブルーにも聞こえてしまったのだろう。
「待って、ソルジャー!違うんだっ」
行かないでと、強く念じながら肩から離れていこうとしていた手を掴むと、ブルーは困惑した表情で振り返った。さっきの思念が聞こえていたのなら、まるで矛盾することだから当然だろう。
「違うんだ。あなたが部屋に来たって構わない。そうじゃなくて……今はその、……っ……言葉が見つからなくてっ」
行かないで。あなたを拒絶したなんて思われたくない。
逃げ出したことが気まずくて、特別だと思ったけれどそうではなくて、でもリオはそうだと言って、話をしろと。でもなんて?何を言えばいいのか、だけど行かないで。
「ジョミー、落ち着いて」
手を掴まれたブルーは、目を丸めて空いている左手でジョミーの肩を掴む。
「思念が絡まった糸のようだ。ゆっくりと息を吸ってごらん」
「ソルジャー、でもぼく……」
何か、何か言わなければと強迫観念に駆られたようなジョミーに、ブルーは苦笑すると肩を掴んだ手を離して、そのまま上へと上げ掌でジョミーの視界を覆う。
「目を閉じて。外から入る情報を一度遮断してみるんだ。すべて同時に言おうとしなくていい。ほら、ゆっくりと深呼吸を」
急に視界を奪われてジョミーの身体が硬直したように固まる。同時に、何か言わなければと混乱していた思考もぴたりと止まった。
ジョミーの視界を奪った、その掌の向こうでブルーがくすりと小さく笑った様子が見えなくても伝わる。
「さあ、空っぽになったね。今、初めに頭に浮ぶことはなんだい?」
掌に覆われて閉じた瞼と、目の周囲。触れているその熱。
「………あなたと触れ合うの、久しぶりだ」


思わぬ答えにジョミーの視界を覆ったまま、今度はブルーが硬直した。
混乱しているときは、シンプルに原点に戻ってみると案外するりと絡まりが解けたりするものだ。
ジョミーが混乱していることはわかっていた。様々な感情が入り混じっていることも感じたけれど、その中にブルーに向かう負の感情は見受けられなかったことに安心して、何か訴えたいらしいことを順序立ててあげればジョミーなら大丈夫だと、そう思ってしたことが裏目に出た。
こんな不意打ちはない。
「あなたの体温はこんなに熱かったっけ?いつも握ってたときは、考えもしなかった」
「ジョミー、それは一体……」
せっかくジョミーの思考を一度止めて落ち着かせようとしたのに、今度はブルーの方がひどく焦る。先ほどジョミーが混乱してたときに、色々と拾いきれない感情をたくさん感じはしたが、こんな話は欠片も見えた覚えはない。
なのになぜ。
落ち着け、僕が混乱してどうする。
ジョミーは大人しく目を覆われたままで、ブルーの右手を握っていた手に少しだけ力を込める。
「廊下で会ったとき、あなたはこうしてフィシスの手を握ってた」
廊下で会ったとき、確かにフィシスの手を引いていた。あれを見て急に逃げたと?
もしかして嫉妬してくれたのだろうかと期待しそうになって、そんなはずはないと打ち消す。
それどころか、もしも嫉妬をしたとすれば、それはフィシスにではなく、ブルーに対してのものだと思うほうが自然だろうというところまで考えが至ると、いっそ自分の目を覆いたい気分になってくる。
「……あのね、ソルジャー」
ジョミーはどこか言い難そうに、まるで恥じ入るように声を潜めた。
目を覆われたままのジョミーの表情はわかりづらいけれど、僅かに頬が赤く染まっている。
まさか、いやけれど。
期待しそうになる身を顧みて、僕は一体いくつの子供だろうと呆れようとするのに、上手く自分を諌めることができない。
もしもジョミーがフィシスとの仲を、ブルーにではなくフィシスに嫉妬したというのなら、それは。
「あなたにとって………ぼくは、どんな立場なのかな?」
ジョミーの目を覆った掌から、緊張が伝わってくる。ブルーの手を握り締める手に少しずつ力が篭り、まるでジョミーの期待している答えが、ブルーの期待しているそれと重なるのではないかと、そんなことまで想像してしまう。
「後継者だって、それはわかってる……つもりだったけれど……」
「それだけではないよ」
つい口を突いて本音を零してしまった。
だがブルーがそれを後悔するより先に、ジョミーの口元が嬉しそうに綻ぶ。
「だったら、ミュウの仲間?」
「そうだね。けれどそれだけでもない」
否定を口にするたびに、ジョミーの声が弾むのを感じてブルーの心も浮き立つようだ。
ジョミーが寄せてくれる感情は、信頼や敬愛や、そういった好意だけだと思っていた。それで満足するべきだと言い聞かせようとし続けて、上手くいかないことに焦燥を覚え続けた。
だがもしジョミーが同じ愛情を寄せてくれていたのだとすれば?
「………ぼくは、自分があなたの特別だと思ってて、でもそれは勘違だったんだって、恥ずかしくなって……」
「どうして勘違いなどと」
「だってフィシスの手も握っていたから……」
ジョミーの目を覆っていた手を降ろすと、素直に瞼を閉じていたジョミーの睫毛が震えてゆっくりと目を開ける。
翡翠の宝石のような瞳は、ブルーの答えをもう知っているかのように輝いていて。
ああ、だめだ。もう我慢できない。
「勘違いなどではないよ、ジョミー」
嬉しそうに眇められた瞳に、ブルーはその頬に手を添えた。
「ジョミー、キスをしても?」
「え……う、うん」
少し戸惑ったような表情を見せて、けれどジョミーは素直に頷いた。
年甲斐もないと思う。ずっとその成長を見守っていた子供を相手にこんな劣情を催すなんてどうかしていると、ハーレイを冗談交じりに諌める言葉に自嘲を込めたりもした。
リオに話したことに偽りはない。
アタラクシアにいるジョミーの成長を見守っていたときは、確かにジョミーの両親のように慈しみたいと思っていた。それだけはすまなくなっただけで。
ただ健やかにと願っていた気持ちに違う感情が混じり始めたのはいつの頃からだったのか、もうブルー自身も覚えていない。
叶えてはいけない想いだと、戒めていた。
だがジョミーが同じ想いを寄せてくれるのなら、何を耐える必要があるだろう。
近づくブルーに、戸惑うような恥らうような様子を見せるジョミーの初々しさに笑みを零して、ずっと胸に留め続けていた想いを吐息に乗せる。
「ジョミー……愛してる」
そっと唇を重ねたその瞬間、ジョミーに突き飛ばされた。
「ジョミー?」
「な……んで」
恥らっているとか、急に恐怖を覚えたとか、そういうものではなく、ジョミーはただ驚いているだけの様子で、口を右手で覆いながら左手は上着の胸の辺りを握り締める。
「ジョミー?」
手を伸ばすと、ジョミーは大きく震えて後ろに下がった。
「キスって……そ、そう言う意味もあるけど、でも、頬じゃなくて……?」
見る見るうちに顔を真っ赤に染めると、ジョミーは急に身を翻して扉に取り付く。
「ごめんなさい!」
「ジョミー!」
止める間もなく廊下に飛び出したジョミーは、先ほど逃げ出したときと同じく全力で駆け出した。すぐに扉が閉まり、その背中は見えなくなる。
ジョミーを捕まえ損ねた手を伸ばしたまま、その手の甲を見てブルーは血の気の引く音を聞いた気がした。
キスをしてもと聞いたとき、ジョミーは確かに頷いた。頷きはしたが、ブルーは唇にとは聞かなかった。
「間違えたのか……?」
ジョミーの気持ちを、考え違いしていたのだろうか。
あの反応を見る限り、きっとそうだろう。
衝撃だったのは、ブルーも同じだ。
ジョミーを追う事もできずに、ただ部屋に佇むことしかできなかった。






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すれ違いもお約束ということで。
……すみません……。