かつて、地球への想いに焦がれながら、先の見えない状況にただ苛立っていた。
希望となりうる存在が現れると、フィシスの宣託に出たときも喜びながら半信半疑だったのかもしれない。
だからこそ、彼がそうだと確信に至る子供を見つけたときの歓喜は、思い出すだけで今でも心臓を激しく叩く。
最初から好意以外を持ち得るはずがない存在。
まっすぐに、健やかに育って行く姿を遠くから眺めることが楽しみだった。
だが初めからその成長を楽しみに待っていたわけではない。
初めは、ただ焦燥だった。
早く、早く彼を傍に迎えたい。僕が燃え尽きる前に彼を、この手に。
僕のため、仲間のため、早くミュウとしての目覚めを。
純粋な、それゆえに彼にとってはひどく不純な期待と好意。
その存在ゆえに持ち得た好意とは、別の好意が芽生えたのはいつの頃だっただろう。
眩しい笑顔、可愛い仕草、そしてしなやかな心。
彼が欲しい。他の誰でもない、彼だから欲しい。
傍にいてあの笑顔を僕に向けて欲しい。悲しみに涙を零すなら、僕がそれを受け止めたい。
不純な、それゆえに彼のことだけを想う心。
いつから二つの想いが混じり始めたのか。
それは僕自身もわからない。


逃げたことを謝るほうが先だったかな、と思ったのは言いたいことをすべて口にしてからだった。
いや、まだ言い足りることなどないけれど、これ以上は上手く言葉にならない。今の訴えだって自分でもまだ混乱しているのだろうと思えるようなものだったのに。
見下ろす赤い瞳は瞬きを忘れたようにじっとジョミーを見上げ、閉じた唇はまだ何も語らない。
ブルーの頬に落ちた自分の汗がこの綺麗な人を汚したように見えて、酷く不愉快で少しだけ心が湧いた。不愉快なのはわかるけれど、どうして胸がざわついたのかはよくわからない。
ベッドについていた片手を外してそっとその頬を拭うと、ブルーはようやく気がついたように息を飲んだ。
「ジョミー、僕は」
そこから後が続かない。一言も聞き漏らすまいとして息すらも止めそうなほど集中していたけれど、ブルーは僅かに唇を動かしただけで何も言わずに息を吐き出した。
「ソルジャー?」
詰めていた息を大きく吐き出したブルーは、ベッドに投げ出していた手をジョミーの肩に掛けて軽く押した。起き上がるようにという意思を示されて、ジョミーは渋々と起き上がる。
続いてベッドから身体を起こしたブルーは、掻き混ぜるように髪に手を差し入れてため息をついた。
「………矛盾している」
「え?」
自分が言った言葉に矛盾があっただろうかと思い返して、根本的なことを思い出した。さっき、謝るほうが先だったかと思ったばりだ。
「あ、あの、さっき逃げちゃったのは突然のことに驚いただけで、い、いやだったわけじゃないんだ」
逃げておいてあなたでなければいやだというのもおかしな話だと、指先を捏ねるように合わせて慌てて言い繕うジョミーに、ブルーは眉を下げた苦笑の表情を見せる。
「ああ、違う。君のことじゃない。矛盾していると言ったのは、僕のことだ」
「あなたが?」
ブルーはいつだってジョミーのことをまっすぐに慈しんでくれていたように思う。
先代と口にしつつ長として、あるいはまるで親のように、大切にしてくれた。
ひとつ、思いついた可能性にギクリとする。
ジョミーがあのキスを切っ掛けにブルーのことをリオたちとはまったく違う形で好きだと気づいたように、ブルーも好意の意味が違うことに気づいたのではないだろうか。ジョミーとは、まったく逆の方向に。
「ソルジャー……」
「そう、僕はソルジャーだ。ソルジャーだった。最初はその立場で君を見守っていた。君の生まれを祝福し、喜んだ」
遠慮がちに掛けたジョミーの声を切っ掛けにしたように話し始めたブルーに、膝の上に置いていた手をぎゅっと握り締める。やっぱり、愛情の意味が違うと気づいてしまったのだろうか。
「仲間と、僕に対して誠実な喜びは、だが君に対しては、ひどく不誠実な喜びだった。その喜びは君の個として命を尊んだものではないから」
それは懺悔の告白のようで、ジョミーは胸を掴むような痛みに息を詰めた。やはり自分は後継者としての意味でしか、ブルーにとって価値のない存在だったのだろうか。
「成長していく君を見ているうちに、君を慈しみたいと思うようになった。いつも君の両親が羨ましくて仕方がなかった。君の瞳に映り、君に愛され、君を愛することの出来る存在になりたかった。……あの頃の僕は君の親になりたかったのかもしれない」
「ソル……」
「けれどまた想いは変わった。いや、新たに増えたというべきか」
ブルーの髪を掻き揚げていた手が、するりとその膝の上に落ちる。浮かべていた苦笑が消えて、赤い瞳に正面から見据えられた。もしもその視線から逃れたいと願っても、瞳に宿る光の強さに逃げることなど叶わなかっただろう。幸いなことにジョミーは逃れたいとは思わなかったけれど。
「……先ほど、僕は君を愛していると言った。覚えているね?」
「え……う、うん」
愛していると言われても、愛なんてよくわからない。そう訴えたばかりだ。
ブルーは膝の上に落とした手をもう一度持ち上げて、今度はそれをジョミーの頬に伸ばした。
「ジョミーを愛している。その言葉に偽りはない。だが先ほど君が僕から逃げたとき、僕は君を心配したくせに、同時に君にソルジャーとしての行動を願ってしまった。『動揺してはいけない、落ち着きなさい』……僕が動揺させたのに」
「で、でもそれは、当たり前のことで……ぼくはあなたの後を継ぐためにここにいて……」
「同時に、そう思う自分の思考が嫌になった。君を愛しているのに、君に無茶な要求ばかりしている。まず何よりも、君の心を守る方が先決だという想いがせめぎ合った。そして僕は君を宥めるソルジャーとしての立場を放棄して、君が落ち着くまで顔を見せないほうがいいと、個人の想いを選んだ」
ブルーの言いたいことが、おぼろげにならわかる気がする。胸を締め付けるような痛みと共に。
「後悔、しているの?」
ぼくを愛したことを。
最後まで言葉にすることができなかった。けれど声にならないジョミーの問いが正解だった証に、ブルーは目を伏せて視線を外した。
「君の親のようになりたいと、その頃の気持ちのままでいれば大きな矛盾はなかっただろう。何度も思ったよ。あの頃願ったように、純粋に君を慈しむ気持ちのままであればどんなによかったか」
ブルーは愛情を否定していない。むしろ肯定しているからこそ悩んでいる。
「君を愛する気持ちが強ければ強いほど、僕は立場を放棄して、君の立場すらも考慮できず、仲間たちを裏切ることになる。同時に、それでもいいとすべてを捨ててしまえない。仲間たちのことをどこかで考えて、何を置いても君だけを愛するということができない。それは君に対する裏切りだ」
重く苦しげに告げると、ゆっくりと視線を上げてジョミーと正面から合わせる。
「……僕は、すべてに対して不誠実な男なんだよ」


何に許しを請うているのか、ブルー自身にもよくわからない。
仲間を守る立場を差し置いてもジョミーを愛することなのか、それともジョミーのまっすぐな想いに己のすべてを以って応えることのできない半端な想いのことなのか。
そもそもこれは許しを求めているのかもわからない。
「ソル………」
何かを言いかけたジョミーは一度目を閉じて、それからゆっくりともう一度瞼を上げた。
予想に反して、ジョミーは泣きも、怒りもしない。
愛してると言ったくせに後悔していると告白して、愛しているのに君だけを愛することができないと言った。
それなのに。
「ブルー」
静かな声で名前を呼ばれて、心が震えた。
ジョミーは眉を寄せて呆れたような表情でゆるゆると息を吐くと、頬に添えられていたブルーの手を両手でそっと上から覆う。
「あなたね、本当にバカだ」
「僕もそう思う」
「違うよ。どうしてあなたってそう、ゼロかすべてかしかないの?」
翡翠色の瞳には言葉ほど呆れの色は浮かんではいない。
「あなたのそれがみんなに対する裏切りなら、ぼくだってそうだ。ううん、ぼくのほうがひどい。だってぼくはいつだって、あなたの願いを叶えたくて立派なソルジャーになりたいと思っているのだから」
ジョミーの表情が少しずつ変化する。その微笑みは愛情を湛えているように優しい。
「そういう意味であなた風に言えば、ぼくはあなたを決して裏切らないと言えるかな。あなたがなにより大切だから。でもねブルー、ぼくはあなたがみんなを大切にしたいと思ってぼくを後回しにしたって、それが裏切りだなんて思わない」
両手で包んだブルーの手に頬を摺り寄せて、微笑む表情はもう子供のものではない。
「だってぼくが好きになったのは、そのままのブルーだよ?ぼくに優しくて、みんなのことも大切にしていて……なのにどうしてそれが裏切りになるの?」
「ジョミー……」
子供が成長するのは、大人が思っているよりもずっと早く、劇的だ。
そのくせ、羽化したばかりではまだ子供の純粋さまで残していて、大人の弱さを押し流そうとする。
「僕と君は違う」
それでも最後に足掻こうと言ったことにさえ、まるで問題にならないというように笑って。
「そうだね。みんなと過ごしてきた時間が違う。だからみんなを裏切るようで、恐かったんだね。ぼくは初めからあなたの願いを叶えたいと思うばかりだったから、あなたを好きになることがみんなを裏切ることになるとは思わないし、思えないな」
ほら、ぼくのほうがひどい。
そう笑ってブルーの手を離すと、ジョミーは身を乗り出して掌でブルーの視界を覆った。
「ね、もういいから難しいことは考えないで。ぼくが聞いたこと忘れたの?ぼくの質問はもっと簡単なことだったのに」
ぼくのこと、好き?
たったそれだけ。
どれほど言葉を重ねようと、理屈を捏ねようと、最後に残るのはとても簡単で、そして難しく、けれどすべての源流になる想い。
生まれたときからずっと見守っていた。
小さな小さな子供が成長することをずっと楽しみにしていた。
そうして長く、苛立つほどに待ちくたびれるほどに待って、ようやく掌中に収めた何よりも美しい玉は、老獪な大人よりずっとしなやかで強い。
「ジョミー……」
僅かに口角が上がる。どうしても、笑みを抑え切れない。
目を閉じて、何もかもを空っぽにして、最初に浮かんだことは?



「君が好きだよ」







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ようやくきっちり両想いになれましたー!
と、お互いに告白したところで終わり、だったので、
NEXTは糖度不足を補うべくエピローグ的小話になっております。
とりあえず本編はここまでということで。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!