最低だ最低だ最低だ、おまけにもうひとつ最低だ!
あの男はもちろんのこと……ぼくも最低だ。
いくら兄さんが結婚してしまうのがショックだったからって、会ったばかりの男に縋りついて、その挙句に……!
ぼくは酔っていたんだ。酔っていたんだよ!
そう叫んだところで、起こってしまったことはなかったことにはならない。
身体中が痛むたびに、羞恥と情けなさと、ぼくを置いてさっさと出勤してしまった男への怒りに震えた。
平日だから会社があるだって?
ぼくだって学校があるんだよ!なのにちっとも動けないじゃないかっ!
特に力が入らないのが下半身だなんていう事実が悔しさを倍増させる。どうにかして起き上がってこんな部屋出て行きたいのに、酷い疲労と頭痛に悩まされた身体はスプリングの気持ちよさに沈みそうになる。
何度目かの試みに失敗して、肌触りのいいシーツに頬を落すと、悔しくて涙が零れた。
あの男が悪いのは当然として、ぼくに非がなかったわけじゃない。未成年のくせして飲めないお酒を飲んで泥酔したぼくが馬鹿だったんだ。
何より馬鹿なのは、ぼくから縋りついたというあの話が、嘘だとは思えないことだ。
覚えてないけど!でも!
兄さんの代わりにって、あんなやつに抱きつくなんて!
「うっ………」
泣きながらシーツを握り締めて起き上がろうとして、やっぱり人には言えないところに残る違和感に敗北した。
これ以上の屈辱があるか!
拳を硬く硬く握り締め、あの男へ呪いとも言うべき怒りを燃やしながら、動かない身体に敗北した。



次に目が覚めたのは、腹の虫が盛大に鳴ったからだった。
相変わらずカーテンが引かれた部屋は薄暗く、今が何時だかもわからない。
だけどひと寝入りして少しは身体も頭痛も楽になっていて、どうにか忌まわしいベッドから抜け出すことはできた。
誰もいないとわかっていても裸で部屋を徘徊する気になれず、ブランケットを被って冷たい床に足を下ろす。
お腹も減ったけど、喉が渇きすぎてヒリヒリ痛む。
サイドテーブルに置きっぱなしになっていたミネラルウォーターに口をつけると、室温に温くなっていた。
その不味さに眉をひそめて、すぐ傍にあったミニ冷蔵庫を開けてみる。
お酒と新品のペットボトルがいくつか入っていたので、ぼくは当然の権利としてそのうちの一本を強奪した。好きにしていいと言ったのはあの男だ。お酒の缶はあまりの忌まわしさに見なかったことにした。
喉の渇きを癒すと、今度は空腹をどうにかしたくなる。せめてこの家の冷蔵庫の中身を食い散らかしていってやる。
ほとんど飲み干したペットボトルを片手に、ブランケットを引き摺りながら苛立つような鈍い足取りで部屋を出ると、眩しさに一瞬目が眩む。
こちらはカーテンもブラインドも引いていなかったせいで、太陽の光に満ちていたのだ。
どうやらもう真昼間らしい。せっかく今まで無遅刻無欠席だったのに、学校を休んでしまった。
チカチカする視界に目が慣れてきて、ぼくはリビングを見て唖然とした。
両親が残してくれた遺産と兄さんの稼ぎが甲斐性があるものだったおかげで、うちはそれぞれ独り部屋とそれなりの広さのリビングキッチンのある部屋に住んでいる。
だけどこのリビングは、ここだけでぼくと兄さんの部屋を足したよりも広い気がする。
贅沢な空間に、昼寝でもすれば気持ち良さそうな黒のソファとローテーブル。大画面のテレビがその先にあって、壁際には高そうなオーディオセット。背の高い戸棚が二つ、ひとつはぎっしりと本が、もうひとつには忌まわしいお酒の瓶が並んでいる。
そういえばあのベッドもダブルサイズだった。
新たに覚えた苛立ちに、さっさと空腹を満たそうとリビングに入ると、何もないローテーブルの上にぼくの携帯電話が無造作に置かれていた。
着信のランプに開いてみると、兄さんと、それから親友のサムからそれぞれ二回、着信記録がある。兄さんは夜と朝、サムからは朝に二回。
時間を見るとちょうど昼休み頃だったので、まずはサムに電話を掛けた。
『おう、ジョミー!どうしたんだよ!お前が休みって何事だ!?連絡もつかないしさっ』
「ごめん……ちょっと訳ありで……」
見知らぬ男に意識が無いのをいいことに好き勝手されたなんて言える筈もなく、ぼくがそう誤魔化すと、サムの声が少し改まった。
『訳あり?どうした、何があったんだ?』
「まあ、色々。落ち着いたら話すよ。それで、もし兄さんから連絡があったら昨日はサムの家に泊まったってことにして口裏を合わせて欲しいんだ。それと、先生には熱を出して寝てたって連絡があったように言っといて」
落ち着いてから話す事情にしたって、絶対に本当のことは言えないけど、とにかく今は兄さんへの対応が先決だった。無断欠席で兄さんに連絡が行くなんてことも避けなくてはいけない。
『ちょっと待て、ジョミー?お前今どこに……っ』
「大丈夫!単に昨日家に帰り損ねただけでさ!とにかく、頼んだぞっ」
『おいジョミ……』
何かを言いかけたサムを無視して、無理やり通話を切った。これ以上深いことを聞かれても、今のぼくには到底言いわけを考えるだけの余裕がない。体力的にも、精神的にも。
サムは律儀だから、ああ言っておけばとりあえず一回くらいは口裏を合わせてくれる。
昨日の嘘のアリバイを作っておいてから、今度は兄さんに掛けてみた。
本当は出て欲しくなかった。留守電にメッセージを入れるだけにしておきたかったのに、こんなときに限って兄さんは出てくるんだから泣きたくなる。
『ジョミー?昨日はどこにいたんだい?いくら泊まると言ったからって、誰のうちに泊まるかくらいは連絡をくれないと心配するだろう?おまけに電話にも出ないし……』
いきなりの説教体勢だったけど、声には心配が出ていて涙が滲んだ。
サムにアリバイ工作を頼みながら、本当はフィシスさんと二人きりの夜で、ぼくのことなんてどうでもいいと思っていたんじゃないかって、どこかで不安だった。
だけど兄さんは友達のところに泊まるといったことを信じていたのに、それでも誰の家に行ったかを心配してくれていた。
それなに、ぼくときたらお酒を飲んで酔っ払って見知らぬ男と……。
「ごめんなさい……」
鼻を啜りそうになって、どうにか堪えたら情けない声が出た。
電話の向こうで兄さんが苦笑している。兄さんに怒られたからぼくが半泣きになっていると思ったんだろう。
兄さんの声を聞いたら無性に泣けてきたんだから、完全な勘違いじゃないけど。
「昨日、は……サムの家に……」
『サムくんの家か。あちらの親御さんにご迷惑は掛けなかった?』
「うん……」
サムの家には行ってないんだから、迷惑を掛ける筈がない。
『今度からは、ちゃんと連絡をいれるように。いいね?』
「うん……」
小さな子供みたいに頷いて、兄さんの許しをもらって安心しながら電話を切った。
だけど通話を切った途端、自分が立ち尽くしている部屋を思い出して、現実が押し寄せてくる。
お腹が減ったことより、この部屋にいることの方が嫌になって、とにかくここを出ようと思った。ぼくの服はどこだ。
ベッドルームに戻ってカーテンを開けると、部屋の中が一望できた。
シックな色の寝乱れた跡のあるリネンをできるだけ目に入れない様に、ベッドの周辺を探したけど、ぼくの服はシャツとズボンどころか靴下や下着すらも見つからない。
リビングに戻っても見つからず、まさかぼくがここから逃げ出せないように捨てたんじゃないだろうかと心配になってきた頃、幾つ目かのドアを開けた先の脱衣所で、洗濯機の中に泥まみれの制服と靴下と、一緒くたにされて汚れた下着を見つけた。
「……最悪だ」
かなり汚いけど、我慢すれば着れないこともない。
だけどこんな格好で、昼間から家に戻って近所の人に目撃されたらどうなるか。
兄さんの耳に入れば、さっきの嘘がバレてしまう。
「最悪だ……」
ぼくは何度目かの呟きを、呆然と零した。



「ラビット・ホリック」
配布元:Seventh Heaven

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ご機嫌なブルーとは対照的に、ジョミーはお気の毒です。