早く出て行きたい、でもこの格好はマズイ。すこぶるマズイ。
家が近くなれば周囲に人影がないか隠れながら帰るとか、家に帰る前に学校に寄って体操服に着替えるとか、色々な方法が頭に浮かんだけど、どう考えもどれも実用できそうなものはない。
だったら、いっそ制服を洗ってしまおうという結論に達した。一刻も早くこの部屋を出たかったけど、急がば回れだ。兄さんに昨日のことがバレるかもしれないことを思えば、あとちょっとここにいることくらい我慢できる。
濡れた服のまま外にいける季節ではない。最悪ドライヤーで乾かすという手もあったけど、幸いここには乾燥機もあったから、洗って乾燥機にかければ夕方まで待たずに出て行けるだろう。
洗濯機の前で結構長く呆然と佇んでいたぼくは、そうと決めると制服のポケットを漁った。けど、何も入っていない。そういえばさっき携帯の横にジュースが一本買えるだけの小銭とハンカチと鍵があったっけ。
何かが足りないような気がしたけど、思い出そうと頭を使うのももう面倒だ。頭の激しい痛みはなくなったけど、鈍痛は依然続いていた。
考えることを止めて洗濯機を回すと、早々に出て行けなくなったせいかぼくの腹の虫が活動を再開する。
「……ぼくってさ、結構図太くない?」
これだけ忌々しいと思っている男の部屋でも食欲が湧くなんて。
溜息をつきながら、ブランケットを洗濯機の上に置くと勝手にバスルームを使うことにした。早々に帰れないのなら、あいつが使ってるバスルームを使うことに抵抗があるとか言ってられない。それ以上に早く身体を洗いたい。ああそうだ洗ってしまいたい!
昼まで寝ていたおかげか、鈍いながらも普通に歩けるくらいには回復していて、シャワーを使うことに支障はなかった。
あいつが言ったとおり、手首に縛られた跡とか、押さえつけた手形なんてものもない。
……すごく、すごく怖かったのは、違和感が残るソコに手を伸ばした時だった。怖くして下を見ないようにしながら震える指をそっと伸ばす。
どうしよう、何か、昨日のことが判ってしまうようなことがあったらどうしようと心臓が激しく動いて、血の気が引いて貧血を起こしそうになったほどだ。
結局、血が出てるとか渇いてこびり付いてるなんてこともなく、最初からあった違和感以外には特に何も無くてほっとした。
一瞬だけは。
だって、無理やり何かをされたんだったら、ぼくの身体にもう少し何か跡が残っていてもいいはずだ。跡があって欲しいわけじゃない。当たり前だ、こんなことを思い出す切欠なんていらない。
だけどあまりにも何もないと、あいつが言った通りぼくは嫌がらなかったんだろうなって思えてしまって……いくら酔ってたからって……。
ゴツンと壁に頭をぶつけた。
「なんでだよ、ぼくーっ!」
兄さんの代わりに抱きついた男に変なことをされて、なんで嫌がらないんだ!
おかしいだろ?明らかにおかしいだろ!?ぎゅっと抱き締められただけとかなら判るけど、なんでこんな……こんな……。
頭の中が破裂しそうになって、シャワーを止めるとバスルームを出た。
昨日のことはできるだけ考えないように、こんなところからはさっさと出ようとバスタオルで乱暴に髪を拭いていると、ふとぼくが映った鏡に目が止まって、絶句した。
「な……なっ………なに、これ……」
なにって。
ぼくの首筋に、赤い跡がぽつりとひとつ付いていた。虫に刺されたんだと思いたい。思いたいけどどう見てもこれは内出血だ。
「……痣だ。あああああざだ、これは!打撲の跡!そうだよ、暴力の跡!」
鏡から全力で目を背けて、身体の水滴を拭きとっていると、今度は足を広げてぎょっとした。内腿にも、同じ跡がある。しかも今度はいくつもいくつも、両足に。
「………もう……っ」
濡れて重くなったバスタオルを振り上げた。
「いやだーっ!」
投げつけた先がつい洗濯籠だなんて辺りも、本当に嫌になる。


それでも洗濯はまだ終わらなかった。こんなことなら身体がつらいとか言わずに手洗いにすればよかった。汚れなんて目立たないくらいに落ちれば十分だったんだし。
げっそりと痩せ細るんじゃないかというほど疲労したぼくは、もう一度ブランケットに包まろうとして、はたと思い止まった。
まてよ、そういえばこれ、ベッドから引き剥がしたんだ。だとしたら、昨日一晩ぼくとあいつが使っていたもので、あのベッドではええっと、だから、そういう……。
「気持ちわるっ!」
慌ててそれから手を離して、だけどそうすると着る物に困る。新しいバスタオルを使うことも考えたけど、ブランケットほど身体を覆ってはくれない。
「……服、借りるか」
あいつの服なんていやだけど、嫌すぎるけど!
この部屋で裸で過ごすよりかは何倍もマシだ。
一度放り投げたバスタオルを軽くかけてリビングを鈍い足取りでできるだけ早く突っ切ると、ベッドルームに戻ってクローゼットを開けた。
適当にスウェットの上下を拝借する。
……スウェットパンツは裾が長すぎた。上もぶかぶかで手が隠れて肩が落ちる。
折ってもいいけど、スウェットは生地が厚くて折った部分が太くなりすぎて邪魔。
もう、溜息も出ない。
諦めてスウェットは元に戻して、適当にシャツを取り出して上に羽織った。この方が袖を折ったとき邪魔にならない。ものすごく悔しいけど、これでも下着を着て無くても見ないから、それ以上は深く考えない。考えても疲れるだけだから考えない。
とにかく無心で空腹をどうにかしようということだけを考えてキッチンに向かったぼくは、冷蔵庫を開けて脱力した。
「……なんでこっちも水とお酒しかないわけ?」
ミニ冷蔵庫と中身が変わらないってどうなってるんだよ。
あいつは何を食べたんだと流しを見ると、コーヒーカップがひとつだけ置いてあった。
何も食べずにコーヒーだけって、胃に悪そうだな。
とにかく、ぼくにはコーヒーだけは耐えられない。今すぐ帰れないんだから何か探し出そうと探り続けて、冷凍庫にレトルトのハンバーグと、棚の中からレトルトライスと栄養補助食品と、クッキーを2缶とミックスフルーツの缶詰(もらい物らしい包みに入ってたのを勝手に開けた)を見つけた。なんて何もない家なんだ。
勝手にしていいなんて言って、勝手にするだけもないじゃないか。
よく見ればキッチンにはろくに調理器具も調味料もない。一切料理をしないんだろう。せっかくシャツを選んだのに、料理の為に袖を折る必要すらないなんて。
仕方が無いので、とりあえず見つけただけの食料をリビングに運んで全部食べて行くことにした。一欠けらだって残していくものか。
全部平らげたら、結構お腹が満たされた。


そうして、疲労と満腹の中の午後の陽射しの温かに負けてまたぼくは眠ってしまったのだ。
………眠ってしまったぼくが馬鹿だった。大馬鹿だ。
どうしてこんな部屋で昼寝なんてするかな!?
何か重いと目を開けたら、ぼくの胸に銀色の髪を垂らして圧し掛かっている男がいた。
「なにしてんだ、あんた!?」
本当にぼくは馬鹿だよ!
握り締めた拳は、容赦なく振り下ろしたつもりだったのに、ぼくの胸を嘗め回して目を向けてもいない男に、軽く手首を掴んで止められた。
「なにって、誘われたら応えるのが男としての礼儀かな、と」
「誘ってない!」
なんて言いがかりだ!
今朝はこれ以上の屈辱はないと思ったけど、誘っただなんて不名誉な言いがかりはそれ以上にひどい!
「どけよ!」
「仕事で疲れて帰ってみれば、目の前にはおいしそうなごちそうが用意されていた。これで空腹を満たさずに下がれる男がいるのならお目にかかりたい」
「人をご飯に例えるな!どけってば………やっ!」
胸を舌で舐め上げられて、押し潰された先に背中がビリビリとした。
変な声が出て、びっくりして口を押さえると、男がにやりと笑う。
「君はここを強く弄られるのが好きだよね」
あんたがぼくの何を知ってるって言うんだ!
そう叫んでやりたいのに、怒りのあまり声も出ない。
まるで獲物を見つけた獣のように赤い瞳が眇められて、押さえようと思っても涙が滲むのを止められなかった。



「ラビット・ホリック」
配布元:Seventh Heaven

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今日はちょっと自業自得の気がしないでもないですよ、ジョミー。
本人も自覚してますけど(^^;)