「初めまして、ブルーさん。リオといいます」 「初めましてリオ。フィシスとジョミーから話は聞いているよ。僕のことは気軽にブルーと呼んでくれ。ジョミーもそう呼ぶしね」 兄さんと握手を交わしながら、ぼくの方を見て軽くウィンクしたブルーに、何も知らない兄さんは気を許した様子で笑みを漏らす。 「本当に、ジョミーがお世話になったようで申し訳ありません」 「いいんだよ。楽しかったからね」 どう楽しかったのか真相を知ったら兄さんはどうするか。考えるだけで疲れそうで、ぼくもフィシスさんも明後日の方向を見て渇いた笑いを漏らした。 そんなフィシスさんも、本当のことを知っているわけではないけど、それでも兄さんよりは知っている。 例えば、ブルーがぼくを口説いたとか。 もう完全に消えたけど、首筋にあったキスマークだとか。 高そうな中華レストランの更に奥、四人で使うには広い個室で、ぼくたちは初めて4人揃って食事をすることになった。 フィシスさんのご両親は海外にいるらしくなかなか挨拶に行けないということで、それまではただの親代わりだからと遠慮していたブルーが親族として兄さんと会うことになったらしい。 今回はついでにぼくがお世話になったというお礼も兼ねている。 ……というのは名目だと、さっきフィシスさんが苦い顔でぼくにこっそりと漏らしていた。 この間までは「僕は伯父だし」と兄さんと会うことに消極的だったのに、先週話したら二つ返事で日付を決めようと言ったそうだ。 その際に言ったのが「ジョミーのお兄さんだしね。一度お会いしておこうか」だったというのだから頭が痛い。 チャンスがあったら今日は『フィシスさんの家族』と、『兄さんの家族』での食事会であることをブルーに強調しておきたい。 二週間前、ぼくとフィシスさんが急に仲良くなったことに、兄さんは驚いたけど、喜んでくれた。 だけどあの日はフィシスさんがうちには来ないことになっていたので、仲良くなった経緯を説明しないわけには行かず、サムのところに泊まったと嘘をついたことについては酷く怒られた。 それが知らない人の家だったことが更に悪かったのだけど、結果的にはフィシスさんの伯父さんだったということで一応は許された。 知らない人の家に泊めてもらうなんて二度としないようにと厳重に注意されたけど、されなくたってあの結果を思えば二度としない。 ちなみにあの日学校を休んでいたことについては、今でも秘密だ。だってブルーの家に雨宿りさせてもらったことはともかく、どうして次の日学校に行けなかったのかということになると説明できないからだ。あの夜、フィシスさんと会ったのは、汚れていたせいで置いて帰った服を取りにいったからということになっている。 そんな色んな嘘を思うたびに、今更だけど、ぼくはよくブルーと顔を合わせて平気でいられると、自分でも呆れてしまう。こんなにも自分の神経が図太いとは思わなかった。 ふと溜息をついて顔を上げると、正面に座っていたブルーと目が合った。 にっこりと微笑み掛けられて、咄嗟に目を逸らしてしまう。 正面から目が合うと、心臓が激しく動いて苦しくなるんだから平気じゃないかもしれない。 視線を感じて目を向けると、フィシスさんが心配そうな顔をしていて、ぼくは慌てて笑顔を作った。 「フィシスさん、マスタードは?」 「え?ええ、ありがとう。いただくわ」 運ばれてきた海老焼売に、ぼくはマスタードの器をフィシスさんに渡す。 心配しなくても大丈夫。ちょっとは意識してしまうけど、要はぼくが隙を見せなければいいのだ。拒絶する余地さえ残しておけば、ブルーは何もしない……と、一応約束を信じている。 ぼくとブルーのせいで、兄さんとフィシスさんの仲がぎくしゃくするのはいやだ。 フィシスさんが心配してくれているのは、ぼくの身の安全なのでその辺りの心配はお互いにすれ違ってはいるけど、そういうわけでぼくとフィシスさんとの関係は良好だといえる。 だからあとはブルーだけなんだ。 ぼくとフィシスさんが水面下で緊張しているというのに、何も知らない兄さんはともかく、ブルーの態度も平静そのものだった。 ブルーが爆弾を投下したのは、ぼくが小龍包を注意しつつ口に入れた直後のことだった。 「ところで、結婚後はフィシスがリオの自宅の方へ住居を移すのだよね?」 「ええ、その予定です」 兄さんの返答に、ブルーはグラスを手にしながら頷いた。 「君たち兄弟は二人暮しだという話だが、どうだろうジョミーを僕の」 「あっつーっ!」 ブルーの話を遮るという目的もあったけど、これは純粋な叫びだ。何を言うのかわかった途端、小龍包を思い切り噛んでしまって口の中が大惨事になったのだ。 「わっ、ジョミー!」 「大丈夫かい!?水を飲みなさい」 兄さんが動くのよりも早く、ブルーが水を差し出してくれて、ぼくはそれを一気に煽る。 ぼくが散らかした手許を兄さんが拭こうとしたところで、ぼくは再び噴出した。 「ジョミー!」 「これ、お酒じゃないか!」 透明の液体だからと油断した。舌が痺れる苦さに顔をしかめてブルーにグラスを突きつけると、わざとだったくせにいかにも失敗したという顔をする。 「すまない、老酒だった。水はこっちだ」 ブルーが差し出す水を、水だと信じていいものか。 ぼくは差し出されたグラスを無視して、自分の分を煽った。 だめだ、目が回ってきた。 「……ちょっと、トイレ」 今のうちに吐いてこよう。喉の奥まで指を突っ込めば吐けると聞いたことがある。今こそ実験する時だ。 「ジョミー、大丈夫?足がふらついてる」 兄さんがついてきそうな気配がして、ぼくは手を上げてそれを断った。今からこっそり吐いて、平気な顔で帰ってくるつもりなんだからついてこられたら困る。 「ちょっと顔を洗ってすっきりしてくるだけだから」 「では僕がついていこう。僕のせいだしね」 ブルーが立ち上がったのを見て、フィシスさんまでテーブルに手をついて猛然と立ち上がる。 「ブルーが行くくらいでしたら、私が行きます!」 「何を言っているんだ。女性の君がジョミーについていけるはずがないだろう」 何も知らない人が聞けば誰もがブルーが正しいと言うだろう。だけどぼくとフィシスさんの目はそれとは正反対の視線をブルーに注いでいた。 そうは言ってももめている時間はない。本当に目が回ってきた。もう遅い気もするけどこれ以上、場を壊さないためにも早く吐いてこなくちゃ。 「……ごめん、ブルー。ついてきて」 一言いってやらないと、気がすまないし。 「なに……を、考え………うぇっ」 トイレに向かう道でも文句を言ったけどまだ収まらなくて、ドアを開けたままのトイレの個室で口に指を突っ込みながらもまだ抗議を続けた。 ブルーはぼくの背中を擦りながら、すまないと謝る。 「本当にわざとじゃないんだ」 指を突っ込んでも、えずくだけで一向にお酒を吐ける気配がない。 ぼくはえずく苦しさに涙目になりながら背後のブルーを振り返る。 わざとだったのかそうでないのかは微妙なところだけど、ぼくを心配しているように見える表情だけは、確かに本当のようだった。 「……そのことだけじゃなくてさ。さっき兄さんにまで、ぼくと一緒に住む話を持ちかけようとしたよね!?」 「ああ、あれ。あれは、二人が新婚旅行に行く間、ジョミーは僕の家に来てはどうかと提案するつもりだったんだが」 「………へ?」 「だって君、その間一人になるだろう?そうしたらリオも安心して新婚旅行に出られるのではないかと思ってね」 そしたら今度はフィシスさんが気が気じゃないと思うけど。 誤解、だったのか。 疑って悪かった。悪かったけど、それはそれで問題だった。 そんな話をされたら、兄さんは喜んでお願いするだろう。ぼくとフィシスさんは当然嫌がるけど、嫌がる理由が兄さんにはわからない。そして理由を、ぼくは説明したくない。 思ったようにお酒が吐けないうちに酔いが回ってきたのか、考えるのが億劫になってきた。 身体がほかほかと熱くて、きちんと一番上まで閉めていたボタンをひとつ外す。 「……フィシスさんは反対するよ、きっと」 「そうだねえ……そうしたら、リオに知られてしまうかもしれないね」 ブルーの指先が、ボタンを開けた襟元からぼくの首筋を擦った。ちょうどブルーがキスマークをつけたあたりだ。 肌の上を辿る指先に、くすぐったくて勝手に身体が震えた。 兄さんにあの日のことを知られるのは困る。すごく困る。 ぼくは深く溜息をついた。 他に方法がないじゃないか。 「……何にもしないんだよ、ね?」 「君が嫌がることはしない」 昼間遊びにいくくらいならともかく、泊まりになるとフィシスさんを説得するのが大変そうだ。 「寝るのは別々の部屋だよね?」 「僕の家にはベッドは一つしかない。ゲストルームは作っていなくてね」 「……ぼくソファーで十分だから」 「フィシスの夫となる人物から預かった大事な子を、そんなところで眠らせるわけにはいかないだろう?」 「ちょっとは信用させる気あるの!?」 あんなことがあったベッドで、あんなことをした相手と一緒に眠れるか! どんなことがあったのか、ぼくの記憶にはないけどさ。朝起きたときのあのショックが、ブルーにわかってたまるか。 「そんなに心配なら、眠る前に僕の両手を縛っておくというのはどうだろう?」 ブルーは楽しそうに手錠を掛けられたかのように、両手の手首をくっつけて揃える。何が楽しいのか、ぼくにはさっぱりわからない。 「そんなことしたら寝苦しいのに。……いいの?」 「それで君の安眠を守れるなら」 すぐ目の前の赤い瞳をじっと見つめる。 嘘はついていないように見える。 そこまですれば大丈夫、だろうか。体格差があるといっても、さすがに両手を縛った状態のブルーにくらいは勝てるだろう。最悪容赦のない急所攻撃という手段もある。 「じゃあ……」 「ジョミー、大丈……」 兄さんを安心させられて、その上ブルーのしたことを秘密にしておけるなら泊まりに行こうかな。 そう返事をしかけたところで、トイレのドアが開いた。 ドアノブを握ったまま、兄さんはしばらく動かなかった。 「……ジョミー、大丈夫かい?」 心なしか声が低くなった、ような気がする。 「え……あ、う、うん。平気、ちょっと楽になった、よ」 そう言って立ち上がろうとしたのに、足は酔いに正直でふらついて正面にいたブルーに倒れ込んでしまう。 危なげなく抱きとめられたのに、すぐに横から腕が捻じ込まれて、気がつけば兄さんの方に抱き寄せられていた。 「無理のようだね。今日は失礼した方がよさそうだ。申し訳ないです、ブルー」 「いや、僕のせいだしね。ジョミーは僕が送るよ。君たちはせっかくだから二人きりの食事を楽しめばどうだろう?」 「そんなご迷惑をお掛けするわけにはいきませんよ」 兄さんはブルーに笑いかけながら、片手でぼくのシャツのボタンを留めた。でもどうして二個。 ぼくはひとつしか外してないのに、なぜ二個留められたんだ。 二人は笑顔を交わしている。 それなのに、どうして笑っていないように見えるのだろう。 兄さんに支えられながらトイレを出ると、すぐ前でフィシスさんが待っていた。 フィシスさんはすぐに兄さんとブルーの間に流れる、さっきまでとは違う微妙な空気に気付いたらしく、なぜか安心したように息をつく。 「これで安心ですわ」 なにが!? 兄さんがどこまで気付いたのか、怖くて正面きって聞くこともできず、ぼくの悩みは増えてしまった。 その後、二人の新婚旅行には、なぜかぼくも参加することになっていた。 |
「ラビット・ホリック」
配布元:Seventh Heaven
心配して見に行ったら、弟が男に迫られてキス寸前(に見えた) 体勢でいたら、警戒もするというものです。ボタンも外れているし。 おまけ2は一気に時間が飛んで、 3年後の二人で、既に恋人同士になってます。 若いので欲求不満に割りと直球なジョミーという、 本編とある意味逆転した感じに。 |