◇ 幸猫物語 ◇
(作・幸乃雪様)
まだ人だった頃は、つまらなさと楽しさがゴチャゴチャになっていたような気がする。だが今ではそれもハッキリと思い出せない。
火花と爆音と熱風、そして浮遊感を最後に<人>の記憶は、夢のようにあやふやなものになってしまった。
*****
全身の痛みで目が覚めた。妙に古さを感じさせる天井が見える。
「気が付いたね」
横から、ぬう、と赤い大きな何かが出てきた。
「沼から足が出てたから、ビックリしたよー」
人の言葉を喋ったのは、大きな赤トカゲ……それは着ぐるみか?
聞きたかったが声が出ない。器用に正座しているトカゲを見ていると視線に気付いたのか、ふいとこちらを振り向いた。
「君、どこから来た猫又なの?毛が長いから洋猫又なのかい?」
猫!?俺は人間だぞ!何を言い出すんだ、このトカゲ!!
飛び掛って着ぐるみを剥ぎ取ってやろうと体を動かすと、何やら色々違和感を感じた。特に尻の辺りがモゾモゾ。
そして見てしまった。目の前に動物の足が…恐る恐る布団をめくると更に動物足…だけじゃなかった。
胸にも腹にもフワフワと茶色の毛が生えている。
猫になっとるんか、俺―――っ!??
あまりのショックで毛を逆立て震えている俺の横で、赤トカゲは呑気に茶を注いで俺に差し出した。
「寒い時は、イグアナ茶で暖まるといいよ」
寒いんじゃないわ、ショックを受けとるんじゃ。
「僕、レッドイグアナ。よろしくね」
この後「なんでこんなにぬるい茶なんだ」と怒る俺に、レッドイグアナは仰天した。
「猫舌じゃないのー?すごいよ猫又!!」
目を輝かせるレッドイグアナに目眩しつつ、「猫又じゃなくて人間だ」と更に怒鳴りつけてやった。
「俺は事故でバイクごと崖から落ちたんだ。猫じゃない!」
「でも沼から引っこ抜いた時は猫だったよ」
――ダメだ…コイツとこれ以上話しても埒明かねえ…
ヘロヘロと崩れ落ちた俺を不思議そうに見つめ、何か思いついたようにパカー、と口を開けた。
「長老に聞いてみたら、何か分かるかも」
「長老…?」
「この獣の里には長老が祭壇の上に寝てるんだよ」
さあ行こう、と腕を引かれて外に出た。
ぐいぐいと引っ張られて歩いていると、どうも視線を感じる。
(お前ら、みんな動物じゃねえか。猫姿の俺なんか珍しくもないだろう…)
周りの奴らを睨みつけている俺に気付いたのか、レッドイグアナがそっと耳打ちした。
「猫又、珍しいんだよ。君以外にはまだ居ないんだ」
でも僕も珍しいんだよ、と付け加えたので改めて周りを見回してみた。確かに赤トカゲはこいつ以外に居なかった。
「さ、着いたよ」
大きなお堂のような建物に着いた。ガラリと戸を開けると広い室内の奥に、高い祭壇と――…コタツがあった。
「ここじゃあコタツを祭ってんのか?」
「あれが長老。コタツ亀なんだよ」
祭壇を上がり、よく見てみる。古めかしさ爆発といった感じのコタツにしか見えないこの物体が、本当に長老で亀なんだろうか。
コタツ布団を捲ろうと近づくと、もそりと頭が出てきた。
「な〜〜んじゃ、お前は〜〜〜?」
皺くちゃ顔の亀が間延びした口調で喋った。髭がちゃんと生えているのにも驚いたが、コタツに亀という組み合わせにも驚いた。
「長老、彼が沼にはまってた猫だよ。でも本当は人間だって言ってるんだ」
レッドイグアナの言葉を聞き俺の方を向き直った亀は、じっと俺の顔を見つめた。
そしてもごもごと口を開き、
「お前…人だった頃が間違いだったんじゃの〜〜〜。魂が猫の形なんじゃ。生まれる場所を間違っとったんじゃ〜〜〜〜」
猫のくせに人として生まれて、人のくせに猫の徳を積んでいたから、この獣の里に呼ばれたんじゃな〜〜〜。
などと言い放ち、亀はまたコタツに潜ってしまった
。
「…はあ…?」
頭の中を疑問符で埋め尽くし、呆然としているところにレッドイグアナの、
「やっぱり猫だったんだね」
この一言がトドメになり、俺は祭壇の階段を頭から転がり落ちてしまったのだった。
*****
<俺様絵日記>1号の1回目を読み返し、そういやこんなことがあったと懐かしくなった。
あの後に里の猫どもに絡まれて、ボコボコの返り討ちにして樽に詰め込み、山の斜面から転がしてやったこともあったなあ。
自分の名前も<幸>という一字しか思い出せず、レッドに<幸猫>と名付けてもらったのも、今では良い思い出だ。
(※物語の執筆は、幸猫氏本猫によるものです)