CROSS × FIRE

第1話 「社殿上空」



風を切ってゆく。

幾層もの雲を突き抜け

何処までも何処までも高みへ。

体の重さを感じない。

ただ、空を飛ぶ感覚だけがある。 

雲を抜けた彼方の、あの遥かな地面を目指して…

……………………………………………………………地面?


って…


落ちてるんだろうがあああああああああああっ!


私は凄まじいスピードで空中を落下していた。頬をかすめていく霧のようなものは雲だろうか、とにかくとんでもない高度だ。

「だああああああああっ!『不可視の力』ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

叫ぶ意味も必然性も全然ないが、とりあえず叫んで、私は力を発動させた。だが、

「がはっ!」

背骨が折れそうな衝撃と共に、単に変な方向に弾き飛ばされただけだった。自分に対して力を使ったことなんかないのだから当然と言えば当然だった。

くそ、どうすればいい? こんなことなら人間を挽肉にしたり車をスクラップにしたり建物を倒壊させたりするだけじゃなくて、もっと力の使い方を勉強しておけばよかった。

『あなたはいつもそう。いつもやるべきことをやらないで、結局後悔ばかりしている。だから私達はいつまでも傷つき続けるの』

頭の中で偉そうに説教を垂れる『もう一人の自分(ドッペル郁未)』に向かって「うるせー」と応じつつ、私は自分が地面に叩き潰されないで済む方法を必死で考えた。

空中浮遊はさっきやって失敗した。ぶつからないように地面に穴をあける?意味無いだろそれ!いや待て、確か以前、FARGO残党が運転する車が猛スピードで突っ込んできた時、とっさに自分の周りに空間の歪みを作って防いだことがあった。動いているのが私の方だという違いはあるが、衝突ということには変わりはない。よし、これで行こう!

私は覚悟を決めると、少しでもスピードを抑えるためとバランスを崩さないために、手足を伸ばして全身に風を受けながら落下していった。

遥か彼方に(じきに彼方じゃなくなるが)見下ろす地上の景色は、一面緑の山の中だった。その中の、四角く地面が剥き出しになった敷地に、なんだか神社みたいな文化財っぽい感じの建物の屋根が見える。どうやらあの辺りにおっこちることになりそうだ。落ちる所があの建物の上だと単なる建造物損壊では済みそうにないが、その時はダッシュで逃げるだけだ。

目に映る地上の景色がぐんぐん近くなる。私は思念を凝らして力を発動させる。吹きつける風を遮って、私の周りの空間が歪みながら膨張していく。激突する瞬間に力を最大限で解き放って、衝撃を相殺するのだ。

山の木や屋根の形までがはっきり見えるようになって、私はさらに念を強めた。

あと二十メートル、十メートル……よし、今――

「へ?」

力を開放しようとした正にその瞬間、屋根の上に赤い袴姿の女の子が立っているのと目が合った。表着を肩のはるか下まで下ろしていて、その背中からはどういうわけだか白い翼が生えていた。

そして、

ズンッッッッッッッッ!!!!

重い衝撃が私を襲った。一瞬の間を置いて、固い地面にびたんと体が叩きつけられる。

「…っ痛う〜〜〜」

土埃が舞う中、私はクレーターみたいに陥没した地面の上で体を起こした。一瞬タイミングが遅れて放った『不可視の力』だったが、どうにか間に合ってくれたようだ。

それにしてもさっきの女の子は一体何なんだ?平安だか鎌倉だかの巫女さんみたいな格好(なり)をして、おまけに背中に翼を生やしてるなんて、何かのコスプレだろうか。

ともかくも助かった安堵感で気が抜けた状態で地面の上に座り込んでいると、

「いたぞ!」

「こっちだ!」

物々しい声とばたばた駆けつける足音に顔を向け、そして私は駆け寄って来る連中の姿にぽかんと口を開けた。こちらも、先刻の女の子同様、平安だか鎌倉だかの、衛士とかいうのだろうか、とにかくそういういで立ちの男達で、腰に刀まで提げている。時代村か、ここは?

男達は私を取り囲むと、刀を抜いて私に向けた。なんだか伝わってくる殺気というか緊張感が半端ではない。それにどうも、男達の装束も生活感がにじんでいるというか、なんだかくたびれていて撮影用の衣裳という感じではないし、向けられている刀も竹光や模造刀と言う雰囲気ではないようだ。

私が思い切り凍りついていると、男たちの輪の中から、その中のリーダー格と思しき若い男が進み出てきて、私に刀を突きつけた。やたらびらびらした陰陽師が着てるみたいな装束(狩衣だとかいうらしい)を身に纏って、長く伸ばした総髪を後ろで緩やかに束ねているという、はっきり言っても言わなくてもいかれた格好の男だった。だが、その目はマジだった。見たことを後悔したくなるぐらいに思い切りマジだった。

「おれは神奈備命(かんなびのみこと)の警護を任されている、正八位衛門大志、柳也という。お前は何者だ」

突きつけられた切っ先は、やはりどこからどう見ても本物だった。

「はあ…」

私は太い鉄格子が嵌まった牢の中で、ぐったりと壁にもたれてため息をついた。

『不可視の力』を使ったせいで体力を消耗している上に、夜中だというのにひどく蒸し暑い。窓は小さいのが一つ、これまた鉄格子付きのが天井近くにあるだけで、風なんか、そよ、とも入ってこない。おまけに、部屋の隅に置かれた桶からは、排泄物の悪臭が漂ってくる。

さっき、建物の外にいた見張りの男を呼んで、トイレ(トイレはもちろん、厠と言っても意味が通じなかった。後で聞いたら、排泄専用の場所なんてそもそも存在しないそうだ。ひでぇ…)に行かせろと言ったら、その桶にしろと言われた。紙をくれと言ったら、ふざけるなと言われた。C棟かここは。

一体ここが何処なのか。それ以前に、どうしてこうなってしまったのか。

確か私はFARGO残党を追って海辺の小さな町に辿り着いて、そこの堤防の上で白い羽根に触れたところまでは覚えているが、その後の記憶が無い。気がつくと空中を真っ逆さまに落下している最中だった。『不可視の力』が勝手に暴走して空間転移でもしたのか?

この場所が何処かということについては、少なくとも宇宙人の基地でないことだけは確かだった(by晴香)。空から見た山の様子や、私を捕まえた連中が、多少言葉遣いに違和感はあるものの、とにかく日本語をしゃべっていたから、おそらく日本であることには違いないだろう。

しかし、連中のいで立ちといい、持っていたのが本物の刀だったことといい、とにかく尋常だとは思えない。ひょっとして、いかれた思想だか妄想だかに凝り固まったいかれた連中が人里離れた山の中に作り上げた、いかれたコミューンか何かだろうか。

だが、それならまだましな方だった。私があの海辺の町を訪れたのは、真冬だったのに、今私を包み込んでいる蒸し暑い空気は、どう考えても夏のものだ。つまり私はあの時とは違った季節、違った時間の中にいることになる。「タイムスリップ」という言葉が、嫌な現実感を伴って私の頭に浮かんでくる。

とりあえずここから逃げたほうがいいだろうか。だが今は体力を消耗しているせいで『不可視の力』が使えない。体力の回復を待たないと脱出は無理だろう。

何度目になるかわからないため息をついて私が牢の窓を見上げていると、不意にそこから小さな白い顔がひょこっと覗いた。どんぐり目をした、十二か三だかに見える少女だった。一瞬目が合っただけだったからさだかではないが、確か屋根の上にいた翼の生えた女の子だ。翼と羽根。何か関係があるのだろうか。

女の子は探るような目つきで、黙ったままじーっとこちらを見ている。一体何なのだろう。とりあえず、私は女の子に向かって話しかけた。

「何か私に用?」

「おぬし、空が飛べるのか?」

「は?」

「飛べるのか、と訊いておる。昼間、天から降ってきたであろうが」

なんだかやたらと横柄な口調だった。私は肩をすくめて見せた。

「飛べるわけないでしょ、人間なんだから」

私の答に、女の子の口がへの字に曲がる。

「では何故天から降ってきたのだ」

「死ぬほど大きな鳥に攫われたのよ」

「…世にもいい加減なことを言っているように聞こえるぞ」

でまかせなんだから当たり前だった。

それはさておき、とりあえずここが何処なのかを私が尋ねようとすると…

「神奈様―――!」

「神奈、何処だっ!?」

「ぬ…まずいな」

誰かを捜す男と女の声に、女の子は顔を顰めた。神奈。それがこの女の子の名前なのだろうか。そう言えば、あの柳也とかいう男が、自分の事を神奈備命の護衛だとか言っていた。すると、この何やら横柄な口調のちびっこが、神奈備命とかいう仰々しい名前の人物なのだろうか。

「裏葉に掴まったら、またくすぐり責めにされてしまう。ではな。明日また来るから、もう少しましな答を用意しておけ」

そう捨て台詞を残して、女の子は顔を引っ込めた。直後、積み重ねた木の箱だか桶だかが派手にひっくり返る音がして、しばらく痛そうなうめき声が聞こえたが、やがて小さな足音が走り去っていった。

やれやれ、明日も来るのか。今度は竜巻に飛ばされたとでも言ってやるか―――そんなことを考えながら、私は腕を枕にごろりと横になった。

翌日。目を覚ましたら全部夢だったというオチにはならないかなどとむしのいいことを考えながら目を開けると、やっぱり牢の中だった。

昨日の昼から何も食べていなかったので、はらぺこだった。何か食べさせろと鉄格子を蹴って騒ぐと、神奈備命様のお心遣いだと言って、何だかえらく固い蒸したもち米みたいなご飯と、糠漬けか何かにしたやたらしょっぱい大根の切れっぱしが二切れ出された。せめて汁物か、お茶くらいつけろと言ったら、ふざけるなと言われて桶に入った水を渡された。ご飯のおかわりを要求すると、やっぱりふざけるなと言われた。

そろそろ取調べみたいなのが始まるだろう、と私は身構えていたが、結局その日は何事もなく終わった。夜になって、またあの神奈とかいう女の子が来るだろうかと思ったが、それもなかった。そのかわり遠くから、なんだか無理矢理感のあるけたたましい笑い声が聞こえてきた。きっと、裏葉とかいうのに捕まってくすぐり責めにされているのだろう。

全て世は事も無し、と言いたいところだったが、いつまでもこんな所で保健所に捕まった野良犬みたいに閉じ込められているわけにはいかなかった。今日は無事だったが、野良犬同様、明日も無事だという保障などどこにもない。それに、夏の最中に風呂にも入れず、蒸し暑くて悪臭の漂う牢の中で過ごすのはもう限界だった。

真夜中になって、少々物音がしても見張りが来ないことを確認してから、私は牢の壁に向かって念を凝らした。ぱん、と軽い音を立てて、木の壁に直径一メートルばかりの丸い穴が開いた。私はそこを通って、そっと牢の裏手に抜け出した。

月光に明るく照らされた庭を足音を忍ばせてしばらく行くと、隅の方に池があった。顔を近づけてみたが、山からの水を貯めているようで、濁りのないきれいな水だった。

立木の陰で周りからは見えにくい場所だったので、私は服を脱いでその中に体を浸した。冷たい水が汗まみれの肌に心地いい。ここに来る途中、厨房らしき建物の横に干してあったのをくすねた布で、私は汗と埃に塗れた体を洗い流していった。

と――

「これはこれは。こんな夜更けに佳人の沐浴に出会うとは、不寝(ねず)の番も捨てたものではないな」

突然の声に振り向くと、あの柳也とかいう男が腕組みをして私のことを眺めていた。真夜中だと言うのに昼間と同じいで立ちで、太刀まで佩びている。言葉の通り、夜の警備の任務に就いていたのだろう。

私は布を体の前にあてがうと、艶然と微笑んで見せた。

「だってこんなに月の綺麗な夜だから。それにこの暑さですもの。どう?あなたも御一緒に。体の火照りを冷ましてみない?」

「夏風邪を患いたくないから遠慮しておこう」

「だったら体を洗うのを手伝ってくださる?」

私は月に光る水滴を纏った手を男の方にすっと差し伸べた。すると、いつどうやって鞘から抜いたのか、喉元に太刀の切先が突きつけられていた。

「冗談はそれくらいにして、牢に戻れ。一体どうやって抜け出してきた?」

「あら、裸の女が怖いの?この通り、何も持っていないわよ」

私はかろうじて体を隠していた布を、はらりと水面に落とした。

「おおおおぬしたち何をしているかぁ―――――っ!!!」

キンキンした怒鳴り声に顔を向けると、薄衣姿の神奈が顔を真っ赤にして私達のことを睨みつけていた。私にぴたりと太刀を向けたまま、悠長な口調で柳也が口を開く。

「どうした、神奈。こんな夜更けに出歩くと危ないぞ」

「誤魔化すなっ!その夜更けにそこの女と一体何をしていた!」

私は自分の体を両手で覆い隠しながら、恥じらいと懇願の入り混じった表情を浮かべて見せた。

「はい…柳也様がじきじきに私のことをご自分の部屋で、隅々までじっくりお調べになると…その前に体を清めろと仰られて…」

「りりりりり柳也ぁ―――――っ!」

「お前な…あっさり信じるなよ、そんな戯言(たわごと)」

「戯言などとはひどい仰りよう…今もこうして私を太刀で脅して、隠さず全て見せろと仰っておいて…」

「ここここの見境なしの女好きの痴れものがぁ―――――っ!」

「あのな…」

さすがに、げんなりとしたものが柳也の顔に浮かぶ。ザマミロ。と、唐突に、

「あらあら、このような夜更けに賑やかですこと」

「どわっ!」「う、裏葉っ!おぬしどこからあらわれたっ!」

いつの間にそこにいたのか、薄衣の上から単を羽織った二十歳代半ばと思われる女が、私達三人の真ん中でにこにこと笑っていた。どうやらこの女が神奈が言う裏葉とやらのようだ。だが冗談でなく、いつからそこにいたんだ?

「裏葉…どうしておぬしはいつも余や柳也の背後から気配を消して忍び寄るような悪趣味な真似をするのだ?

この間などは用を足そうとしている余の後ろにいつの間にか立っているから、危うく袴を汚してしまうところだったぞ」

「あらあら、悪趣味とはひどい仰られよう。わたくしはただ神奈様や柳也様の驚かれる顔を見たいだけですのに。しくしく…」

「それが悪趣味以外の何ものだと言うのだっ!と言うか口でしくしく言って泣きまねをするなっ!」

怒鳴って、肩でぜいぜい息をする。柳也の方も、何やら頭痛を堪えるような表情だ。

「くすぐり責め」の件といい、どうやらとんでもない女のようだった。とりあえず関わるのはやばそうなので、私はフェードアウトを決め込んだ。が…

「あらあらどちらへ行かれます。夏とはいえそのようなお姿で出歩かれてはお風邪を召してしまいます」

私は廻り込まれてしまった!って言うか、今まで神奈の側にいたはずなのに、何で振り向いた瞬間目の前にいるんだ?妖怪か、コイツは。

「それにしてもお美しい方ですね。雫を纏われたお姿は、まるで月の精のよう」

「そ、そらどーも…(アンタこそ、実は尻尾でも生えてんじゃないのか?)」

「とにかくお前には牢に戻ってもらおう」

ぢゃきっと再び太刀を突きつけられる。すると、

「待て。その者は余が直々に詮議する。本殿に連れて参れ」

やんごとなき神奈備命さまからやんごとなきお達しがあった。

「ちょっと待て、どうしてお前がそんなことをするんだ」

「この者は天から降ってきたのであろ?そのような者を、おぬしのような普通の者が詮議したところで何も判りはすまい」

「そうかもしれんが、そんな危険なことをさせるわけに行くか。厚さ二寸の杉板と鉄の格子で囲われた牢からあっさり抜け出してきたんだぞ、こいつは」

「おぬしが余の側にいれば済む話であろ?おぬしは余を護るのが仕事だと申したではないか」

「それとこれとは話が…」

「まあまあ柳也様、よろしいではありませんか」

私の隣にいたはずが、今度は私と柳也の間に瞬間移動した裏葉がにこにこと言う。

「神奈様もこの方には随分とご執心のご様子。聞けば柳也様がお捕らえになった折も、特に抗うこともなかったとか。ならばここは神奈様の望まれるようになさってみては」

「しかしだな…」

「うむ、裏葉もたまにはいいことを言うな」

したり顔でうんうんと頷く神奈備命大睨下様。なんだか裏葉にいいように扱われているようにも思えるが。柳也も頭が上がらないようだし。

「では皆の者、参るぞ!」

元気いっぱいのちびっこを先頭に、頭の横に音符なんか浮かべた裏葉と、憮然とする柳也、そして私が続く。

さすがに全裸はどうもな〜とか思っていると、前を歩いていたはずの裏葉がどういうわけだか背後から私に薄衣を羽織らせてくれた。やっぱコイツ人間じゃねーわ……