部屋に入って上座の茵(しとね――言ってみれば固い座布団みたいなものだ)にちょこんと座ると、神奈は威厳を取り繕うように、ふんぞり返ってえへん、と咳払いをした。
「余が神奈備命である。これより直々にぬしを詮議いたすからありがたく思え」
「それはさっきから何回も聞いたんだけど」
「うるさい。こういったものは格式というものが大切なのだ」
「格式も何もお前、咎人の詮議なんてやったことがあるのか?」
「ええい、うるさい!少し黙っておれ!」
かったるそうな口調で突っ込みを入れる柳也に、神奈が歯を剥いて抗議する。とても貴人(なんだよな、このちびっこは)の振る舞いとは思えない。柳也も柳也で、神奈のことを「お前」呼ばわりだ。他に人がいないとはいえ、いいのか、コイツら?
裏葉はといえば、私の背後の出入口近くに座って、こちらの方をじ〜っと見ている。くすぐり責めの話を聞いたせいか、なんだか背筋や首筋がざわざわしてくる。
既に威厳もへったくれもないが、もう一度咳払いをしてから、神奈が私に向かって問う。
「天から降ってきた女よ、おぬしの名はなんと申す」
「郁未よ。天沢、郁未」
この状況で偽名を使う意味なんて何もなかったから、私は正直に答えた。
「ほう、姓があるのか。ではそれなりの職なり位なりにある家の者ということか」
「別に。私のいたところではそれが当たり前だったもの」
「ふ〜む…それでお前は何処の国のものなのだ?」
まさか国籍を尋ねられているわけではないだろう。適当な嘘を思いつかなかったので、私はこれまたそのまんまを答えた。
「東京よ。中野駅の近く」
「とーきょー…なかのえき…………
柳也どの、おぬしはそのような国の名を聞いたことがあるか?」
「知らないな。俺も諸国を巡ったとはいえ、日の本(ひのもと)の全てを見聞したわけではない。こいつが言うような土地や、こいつが着ていたような装束を纏う者が住まう国のことなど聞いたことがない。
もしかしたら、海を越えた外つ国(とつくに)の者なのではないか?」
「そうなのか?」
「さあね。なにしろ、気がついたら空に飛ばされていたんだもの」
「…おぬし、昨夜は大きな鳥に攫われたと申していたではないか」
「ああ、あれは、変なちびっこが話し掛けてくるから、適当に言っただけ。おちょくると面白そうだったし」
神奈の額に、びきっと青筋が浮かんだ。どういうわけだか裏葉が、「わかるわかる」という表情で大きく頷いている。
「…いい度胸をしているではないか。自分の立場がわかっているのか」
「何もしてないのに問答無用で牢屋にぶちこまれて、くそ真面目に答えてやる義理なんて無いわよ」
「おぬし、ここの庭に大穴を開けたことをよもや忘れてはおるまいな?」
ああ、やっぱり建造物損壊とかいう話になるのか。にしてもたかが地面で大げさな。
「大体、どうしてあんな高いところから落ちて来たというのにおぬしは傷一つ負っておらんのだ!よもやただの人だなどと言う戯れ言は通らぬぞ!」
「それは俺も聞きたいところだな」
柳也が横目でじろりと私を見る。太刀を脇に腕組みして胡座をかいているが、こいつの腕なら瞬きする間もなく抜刀して、気がついたときには首と胴体が泣き別れだろう。もちろん、その気になれば『不可視の力』の前じゃ太刀なんて玩具同然なのは言うまでもないが。
「言いたくない、って言ったら?」
「そうだな…牢の代わりに、糞壷の中に逆さ釣り、ということになるかもな」
柳也の言葉に、一瞬C棟の惨状が浮かんで、頭の中で何かがぶつり、と切れる音がした。
「…面白いじゃない。やれるもんならやってみなさいよ!」
私の髪がざわりとなびき、瞳に微かな金色の光が宿る。柳也の手が太刀の柄にかかる。
と…
「双方やめい!」
交錯する殺気を、神奈の声が鋭く断ち切った。先程までのだだっこじみた物言いが嘘のような声音だった。
私と柳也が浮かせかけた腰を落ち着けると、神奈は私をまっすぐに見つめて静かな口調で尋ねた。
「ふたたび尋ねよう。天より舞い降りし者よ、おぬしは一体何者なのだ?」
「普通の、人間よ。
母を殺された時は身体を引き裂かれるくらい悲しかったし、肉を食らっても飽き足りないくらい敵を憎んだ。人を好きになったら、抱かれたいと思うし、その人の子を産みたいと思う。そんな、ただのあたりまえの女よ」
「おぬしは………母をなくしたのか?」
「ええそうよ」
「………………そうか。さぞ辛かったであろ」
居心地が悪い、というよりなんだか複雑そうな表情で神奈は言った。貴人だけあって、この子の親子関係にも政治的なこととか色々事情があるのだろう。裏葉の顔からも笑みが消えている。
「…夜分、大儀であったな。余も疲れた。今宵はここまでとしよう」
「さあ、今度こそ牢に戻ってもらうぞ」
柳也が太刀を提げて立ち上がる。壁に開いた大穴のことをどう言い繕おうか、と思いつつ私が腰を浮かせると、
「待て。今宵よりこの者は牢ではなくこの本殿に住まわせる。裏葉、この者の寝所を用意いたせ」
「はい、神奈様♪」
やんごとなきお言葉に、何故かやたらうれしそうに立ち上がって部屋を出て行こうとする裏葉。慌てて柳也が制止する。
「ちょっと待て、神奈、お前またそんな勝手なことを。こいつを直接詮議するだけでも十分すぎる程危険だったのに、本殿に住まわせるとはどういう了見だ」
「この者は天より舞い降りた、いわば天より遣わされし者。あるいは天人の眷族やも知れぬ。そのような者を、あのような風もなく日も射さぬ処に閉じ込めておいてはどのような災厄が訪れるとも知れぬであろうが」
「しかし…」
「それに、この者が余を害するつもりでおるなら、とっくに手を下しておるだろう。心配ならばおぬしが見張ればすむ話ではないか。それとも、おぬし、この者が怖いのか?」
「ああ、こわい」
挑発を含んだ神奈の言葉を、柳也はあっさり肯定した。
「こいつが何者なのかまだ判っていないし、どうやら人のわざとも思えん術を使うようだ。太刀を抜いても顔色一つ変えん。そのような者を、お前の住む本殿に住まわせるわけにはいかない。もしどうしてもと言うなら、おれは警護の任を辞させてもらう」
「むむ…」
あまりにもまっとうな理屈に、神奈は反論の言葉を思いつかないようだ。私としては牢を抜け出すのは簡単だし、待遇さえ改善されるなら別に本殿でなくてもどこでもいいのだが。
「ではこうしてはいかがでしょう」
「どわっ!」
いきなり裏葉に耳元で言われて、柳也がのけぞった。
「神奈様の仰ることも理ならば、柳也様が神奈様の身を案じられるのもまた理」
「それはそうだ。で、どうしようと言うのだ」
「ですから、わたくしが郁未様と同じ寝所にお泊りして見張りをいたします」
げ。
「寝物語に言葉を交わせば、郁未様も心を開いて色々なお話を聞かせていただけるでしょう」
寝物語って、アンタ、一緒の部屋に泊まって何をするつもりだ!?
「う〜〜〜む…」
腕組みをして眉根を寄せる柳也。お前も考慮に入れるな。
「どうだ、神奈。そういうことで」
うわもうほぼ決定事項だし。
「柳也どのがそれで納得すると言うなら、それでよかろう。余も裏葉のくすぐり責めにあわずに済むようになるからな」
「あら、折をみてくすぐって差し上げますよ。神奈様のおよろこびになるお姿を見るのは裏葉の楽しみでございますから」
「誰もよろこんでなどおらぬわっ!!!」
顔を真っ赤にして怒鳴ってから、神奈は私に向かって居住まいを正した。
「そういうわけだ。天より舞い降りし者、郁未よ。神奈備命の名において、今宵より本殿に住まうことを命ずる。
この裏葉は、気配を消して人の後ろに忍び寄ったり、用を足した余の尻を拭こうとしたり、寝床で余が悶絶するまでくすぐったりするのが好きな女だが、この社殿で今日まで余の世話を一手に引き受けてきた信厚き者でもある。おぬしも存分に世話になるがよい」
「はい、この裏葉、心血を注いでお世話いたします♪」そして、三日月のように目を細めて付け加える。「隅から隅に至りますまで、それはもう丹念に…」
い…
いやじゃぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――っ!
裏葉は私の腕をがしっと掴むと、そのままずるずる引きずって歩き始めた。じたばたする私を、悦に入った表情の神奈と、哀れむような表情の柳也が見送る。
てめえら、憶えてろ!
「ささ、郁未様、こちらへ」
「って、なんで寝床が一つで枕が二つなのよっ!」
「今宵は月も明こうございますゆえ」
「いやそれ関係ないし」
「お気遣いなく。ちゃんとつぼは心得ております♪」
「なんのツボだぁぁぁっ…っていうか人の話を――ひゃうっ!」
「…ああ、こちらでございますか。それではさらにこのように…」
「んくっ…ちょ…そっ…やめ…」
「ささ、お楽になさいませ。うふふふふ…」
………その夜のことはあまり思い出したくない。