CROSS × FIRE

第10.5話 「祭」

街道で関に出くわして以来、私達はさらに用心深くなっていた。

主には山道を、そして土地の人間が頻繁に踏み均している形跡のある道に出た時は、それを避けてさらに奥深くの、道とも呼べないけもの道を選んで進んだ。

帝や藤氏の配下の人間ではなく、たとえ土地の名もない杣人(そまびと――木こりのことだ)であったとしても、姿を見られないに越したことはない。

私達を追う連中が、街道に関を設けるだけでなく、神奈の行方についておふれ書きを出す可能性もあったからだ。

たとえどのように身なりを偽っていたとしても、男一人が若い女三人を連れて、歩きやすい街道ではなく険しい山道を旅していれば、どうしても人の目には奇異に映る。

さりとて行く先々に関が立てられている今の状況では、街道に下りるわけにもいかない。

結局、安全に進むには、極力人の目を避けるしかなかった。

生まれてこのかた籠の鳥だった神奈には、こと更に辛い旅路になるかと思われたが、意外にも神奈は旅の暮らしに逞しく順応していた。

長い社殿暮らしで白無垢の絹のようだった肌はすっかり日に焼け、けもの道をものともせず元気に歩く姿は、市で裏葉が手に入れた質素な麻の着物も相まって、今やどこからどう見ても元気な山育ちの娘だ。

ちなみに、神奈が最も高い順応力を示したのは、食べることと眠ることであるのは言うまでもない。

暑さで食が細る様子などみじんも無く、とにかく食べるだけ食べてしまうと、木の根元だろうと道の真中だろうと横になれる場所さえあればさっさと眠りにつき、次の朝には無駄なまでに元気一杯だった。

野外での生活に慣れているはずの柳也の方が、むしろやつれて見えるぐらいだった。

「おれはてっきりあいつは籠の鳥の姫君だとばかり思っていたが――」

熊避けも兼ねた水の入った竹筒を腰に提げて、からから鳴らしながら歩く神奈を見やって、苦笑まじりに柳也は言った。

「どうやら小鳥ではなく、とんだ山猿だったようだな」

「神奈様が変わっておしまいになったとすれば、それはすべて柳也様のせいでございましょう」

元気一杯な神奈に愛おしげな視線を向けながら、裏葉。

「おれのせい?」

眉を顰める柳也に裏葉はにっこりと、

「はい――ですがそれも全て、もともとは神奈様ご自身がのぞまれたこと。口にこそなさらぬものの、狭く息苦しい社殿の外に出たがっておられたのは、傍目にもあきらかでございました」

「ふむ、そういうものか」

傍で聞いていると、まるきり子煩悩な夫婦の会話そのものだった。

そんなこんなで、今日も今日とて人の目よりは、むしろ熊や猪のたぐいに出くわすことを心配しなければならないような、山の奥深い道を進んでいると――

「郁未――」

日も沈み、空が藍色に染まりかかる頃。

野営の準備を手伝っている私の袖を引いて神奈が言った。

「どうしたの?」

「あの峰の向こう側の様子が、何やらおかしな風なのだ」

言われてそちらに目を向けると、確かにほど近い峰の向こう側に煙が立ち、雲が赤い色に照らされている。どうやらあの下で火を焚いているようだ。

それを見る神奈の表情には、僅かに怯えるようないろが浮かんでいた。おそらく社殿が焼き討ちにあった時の光景が、まだ記憶に生なましく残っているのだろう。

「あの下で、かがり火でも焚いているのでしょう。何も神奈様がお案じになることはございません」と、裏葉。

「余は何も案じてなどおらぬ」

明らかに強がりとわかる口調で神奈が言う。

「それより、なにゆえ火など焚いておるのだ?」

「おそらくは、祭でございましょう」

「祭とな――」

神奈の表情が、ぴくりと動いた。

そう言われて耳を澄ますと、山あいを吹く風に乗って、微かに笛と太鼓の音が聞こえてくる。

だが――

「それは少し妙だな」

柳也が眉を顰めて言った。

「妙って?」

尋ねる私に、柳也は「見ろ」と、かがり火が焚かれていると思しき辺りを指した。

「あの辺りは峰と峰の間に挟まれて、外に通じるまともな道もない。それにこのような険しい山の中では、ろくに田も畑も作れないだろう。村を作って住むには不便すぎる」

「どこに住もうと本人達の勝手じゃない」

「荘園を広げたがっている領主なら、近ごろは石を投げればあたるくらいだ。中には、自分で土地を切り拓いて田や畑にした者には租税を軽くする領主もいると聞く。こんな辺鄙なところに村を作るよりも、そちらに出向いた方がよほど暮らしやすいだろう」

「だったらあるいは杣人の村だとか」

食い下がる私に、しかし柳也は首を左右に振った。

「たとえ杣人でも、住んでいるのは大抵は麓(ふもと)の村だ。こんな山の奥深くの、しかも山肌の途中に、作るとしてもせいぜい小屋くらいのものだろう。第一、ここが杣山(そまやま――植林してある山のこと)に見えるか?」

「だったら一体なんだっていうのよ」

いいかげん面倒臭くなって、投げやりに私が言うと、

「あるいは、山の民の隠れ里かもしれません――」

顎の下に手をあてて何やら考え込んでいた裏葉が、不意に口を開いて言った。

「ふむ――土蜘蛛どもの住処か。ありえなくもないな」

「土蜘蛛なら余も知っておるぞ」と、少し自慢げに神奈。

「手足の長さは常人の倍。木から木へと、猿(ましら)のように渡り歩き、人を攫って食らうそうな」

「そうではありません神奈様――」

裏葉は悲しそうに首を振った。

「土蜘蛛とは、もともとは山に暮らす民のこと。ですが帝にまつろうことをよしとしなかったために征伐され、生き残った者達も、人の暮らせぬような山の奥深くに追いやられたのでございます。土蜘蛛という名は古(いにしえ)に、そのような者達を人とみなさず貶めるためにつけられた呼び名にございます」

つまり土蜘蛛というのはいわゆる山間民族のことなのだろう。有名な大江山の朱天童子も、そうした『まつろわぬ民』の一人だったというのが現在の通説だ(実はマンガで読んだだけだが)。各地に伝わる鬼や妖怪の伝説も、あるいはそういった者達のことを恣意的に歪めて後の世に伝えたものなのかもしれない。

裏葉の説明を聞いた神奈は、しばらく俯いて言葉を失ったあと、「むごいことよの」とぽつりと呟いた。

そして何ごとか考え込んでいたかと思うと、顔を上げて裏葉に尋ねた。

「土…山に住まうそのようなものたちは、一体どのような神を奉じ、どのような祭りをするのであろう」

「御覧になりたいですか?」

「よいのか!?」

「遠くから、そっとのぞき見るだけでよろしければ」

「いや、ちょっと待て」

裏葉の言葉に目を輝かせる神奈に、柳也が慌てて割って入った。

「おれもやつらのことを気の毒だとは思うが、それとこれとは話が別だ。まさか人の肉など食らわぬだろうが、少なくとも自分達の領分によそ者が入り込むのをこころよくは思わないはずだ。それにおれ達とてお尋ね者の身だ。関わり合いにならぬのが互いのためだろう」

「だから関わるなどとは言ってはおらぬ。見るだけだと言っているではないか」

「離れた物陰から、垣間見るだけでございます」

「しかしだな…」

神奈と裏葉、二人がかりで迫られて、柳也もさすがに旗色が悪いようだ。

助けを求めるような視線をうろうろとさまよわせた果てに、ふと私に目を留めると、

「郁未、おまえはどう思う?」

「さあね」

こっちに振るな、この根性無しがと思いつつ、私は冷ややかに肩をすくめて見せた。

「その土蜘蛛だか山の民だかが、どんな連中か私は知らないし。物知りのあんたが決めればいいんじゃないの」

「………」

孤立無援で、さらに渋面を深くする柳也。

さすがに少し可哀想になったので、私は助け舟――もしくは最後のだめ押し――を出してやることにした。

「――まあ、あんたも私もいることだし、社殿を襲った連中よりやばいってんならともかく、いざとなったらどうとでもなるんじゃないの」

「気楽に言ってくれるな。なんでわざわざこちらから揉めごとが起きそうなところに出向かねばならんのだ」

「遠くから見るだけだってんだから、大丈夫でしょ。それにあんた、あの二人を説得する自信がある?」

「ぐっ…」

まさに最後の一撃だった。柳也はしぶしぶながら、「仕方あるまい」と頷いた。

「だが本当に、遠くから見るだけだぞ」

「わかっておる。何度も申すな――裏葉、郁未、それでは参るぞ!」

うきうきとした表情の神奈を先頭に、私達は峰に向かって歩き始めた。



「裏葉――」

しばらく絶句したあと、ようやく神奈が口を開いて言った。

「これが山の民の祭というものなのか?」

「いえ…」と言ったきり、裏葉も言葉が続かない。

「…よくは知らないけど、絶対これはそういうのとは違うと思うよ」

呆然としながら、私。

「おれも違うと思うぞ」

こめかみのあたりに冷や汗のようなものを浮かべつつ、柳也も同意する。

私達は、山肌の途中を削って造られた、ちょっとした広場のような場所を、崖の上の木立の陰から見下ろしていた。

山の奥深くに建てられた神社の境内――社こそないものの、ちょうどあんな感じだ。

広場の中央には大量の薪(たきぎ)が、人の背丈ほどもある櫓(やぐら)のように積み上げられ、ごうごうと音を立てて盛大に炎を噴き上げている。

それは別にいい。祭に火を焚いてもおかしくはないだろう。

辺りには太鼓の音が遠雷のように低くどろどろと鳴り響き、笛の音がひゅるひゅると、未知の音階で構成された旋律を奏でている。

それもまあよしとする。その土地独特の音楽や音階というのも、ありえない話ではないだろう。

しかし、広場に集っている連中が、どうにも尋常ではなかった。

着物というよりはむしろドレスに似た形の、やたらとびらびらした奇妙な装束を身に纏い、おぼろな髪を腰に届くほど長く伸ばしていて、そのせいだろうか、妙に頭が大きく膨らんで見える。

そして、夕闇の遠目にも、そいつらの体つきは誰一人として普通ではなく、ある者は右と左であきらかに手足の長さが違うように見え、またある者は歪んだ木枠のように、上体の骨格全体が斜めに傾いでいる。

その他、手足の生えている位置が微妙にずれて見える者、関節が曲るべきでない向きに曲って見える者――そんな、まるで絵心の無い人間が勢いに任せて描いた絵のような体つきの連中が、不気味な旋律にあわせて燃えさかる炎の周りでぎくしゃくと踊っているさまは、見ている内に遠近感さえおかしくなってくる、騙し絵さながらの悪夢じみた光景だった。

そしてさらに私をぞっとさせたのは、そいつら全員の胸が、まるでとってつけたような膨らみをみせていることだった。この奇怪な連中の、全員が全員、女だというのだろうか?

「柳也――」

神奈が声に怯えを滲ませ、

「ああ、早々に退散した方がよさそうだ」

柳也の言葉に、私と裏葉は無言で頷いた。

と――

突然、笛と太鼓の音が止まった。

踊っていた連中が動きを止め、一斉にこちらを見上げる。

その瞬間、私はぞっと背すじに悪寒が走るのを感じた。夕闇に紛れてはっきりとはわからないものの、そいつらの顔が、どことはなしに人間のものではないかのように思われたからだった。

「まずい、見つかった!」

「逃げましょう!」

慌てて私達は踵を返し、

「!!!」

振り向いたすぐ目の前に、広場の連中と同じ格好をした人影が、案山子(かかし)のようにぬっと立っていた。長い前髪が貞子さながらに顔に覆い被さり、どんな顔つきをしているかはさだかではない。

「くっ!」

柳也は猿(ましら)もかくやの神速で、刀の柄をそいつの鳩尾にめり込ませた。そいつは声一つ立てずその場にくずおれた。

私は昏倒しているそいつの髪をかき分けて顔をあらため――

「―――!」

そして思わず息を飲んだ。

体つきがそうであるのと同じく、そいつの顔は一見、人間のように見えてそうではなかった。

顔の形に切り抜いた板の上に、絵に描いた目や鼻や口を貼り付けたような、紙人形のような奇怪な顔だった。

「いそげ!」

緊迫した声で柳也が叫ぶ。

こちらに向かって山の斜面を這い登ってくるいくつもの気配に、私達は足元もおぼつかない闇の中を全速力で走り出した。



「そう言えば聞いたことがございます――」

背後から追いすがってくる不気味な気配をどうにか振り切り、もといた場所に辿り着いてようやく一息ついたところで、不意に裏葉が言った。

「鳥も通わぬ山々の、さらに奥深くに、神ならぬ神のつくり出した者達が暮らす里があると」

「神ならぬ神?」神奈が首を傾げる。

「そのようなものがいるなど、聞いたこともないぞ」

「名を呼ぶこともはばかられる神にございますれば」

「で、その神ならぬ神とやらは、いったいどのようなものなのだ?」

尋ねる神奈に、裏葉は声を潜めるようにして語り始めた。

「そのものがいつ、この日の本にやって来たのかはさだかではありません。あるいは古事記に伝えられる国づくりの頃、神代(かみよ)のことともいわれております。

そのものは神ならぬ身ながら神を騙り、誰も治めるもののない土地に居座って、そこが自分の国であると称するようになりました。

ですが、住む者とてない岩ばかりの荒れ地ゆえ、そのものを奉じる民もおりません。一体、崇める者の一人もおらぬ神など神と呼べましょうか――

そこでそのものはあつかましくも、隣りの国つ神を奉じ崇める民に、自らをも崇めることを強いるようになりました。挙句、それが叶わぬとわかると、ついには決して赦されることのない振る舞いにおよんだのでございます」

「そやつは何をしたのだ?」

「自らを崇めさせるため、神のわざをまねて、人をつくったのでございます――

もちろんそのものは、まことの神ではございませぬゆえ、つくりだされた者達も、人に似て人にあらざる、おぞましき者どもでございました。

怒り狂った周りの国の神々によって、そのものは人ならぬ民ともどもその地を追われ、いずこともなく姿を消したということです」

語り終え、裏葉はほっと溜め息を吐いた。

「で、その『人ならぬ民』が、あいつらだっていうの?」

私は裏葉に尋ねた。

「あるいは、でございます。少なくともあれを人とは呼べぬでしょう」

「…そうね」

頷いて、私はあの悪夢じみた祭の光景を思い返した。

おそらくあいつらはこれからもずっとあの広場で火を焚いて、自分達の造物主を人知れず奉り続けるのだろう。

そして神ならぬ神は、自分を謗る声には耳を塞ぎ、自らのつくりだした人ならぬ信奉者の賛美の声だけに耳を傾け続けるのだ。

無残なまでに虚しく、惨めな祭だった。

そしてふと、私はあることに思い至った。

「そう言えばあいつら女しかいなかったみたいだったけど、どうやって子孫を残してるのかな?」

「はて?」

裏葉もわからない様子で首をひねる。

もしかして――

「………」

「な、何故おれを見るのだ?」

柳也をしばらく無言で見つめたあと、私はしみじみとした口調で「よかったね、捕まらなくて」と言った。

「それは一体どういう意味だ!?」

血相を変える柳也に向って、にやにや笑いながら続ける。

「けど、捕まってもよかったかもね――なにしろあれだけの数の女がいれば、それこそ毎日とっかえひっかえ、後宮気分が味わえたんじゃないの?」

「たとえ冗談でもやめてくれ!」

柳也は顔を蒼褪めさせて震え上がり、私はけけけ、と声を上げて笑った。

「おぬしらの話には品というものがないの」

私と柳也の会話をどこまで理解しているのか、顔を顰めて言ったあと、神奈はまた裏葉に尋ねた。

「して、その神を騙る不埒なものの名はなんというのだ?」

「お聞きにならないほうがよろしいかと。神奈様がそのものの名を知れば、そのものもまた、神奈様の名を知ることになりましょう。神の名を知るとはそうしたこと。触らぬ神に祟りなしでございます」

「まことの神ではないのにか?」

「神とはなれずとも、世に祟りをなす禍つ神となることはできましょう」

妙に重おもしく、裏葉が言った。