「この先の橋の手前に、関(せき)が設けられているようです」
市(いち)から戻ってきた裏葉が、僅かに面持ちをこわ張らせて言った。
私達が山道を外れ、街道に出て一日目のことだった。
集落の外れもいいところの、周囲に人家も何もない不便な場所に何故か唐突に市が立ち、それも結構な賑わいを見せていたので、不審に思って裏葉に様子を見てきてもらえば案の定だった。
市が立つには、まず何より、そこが人が集まる場所であることが条件になる。この市は、関所で足止めを喰らった人間を客に当て込んで立てられていたのだ。
「関か…」
柳也が眉を曇らせて呟いた。
「で、奴らは何を調べているんだ?」
「はい…どうやら神奈様と同じ年頃の娘の背中を検めているようです」
裏葉の答に、柳也は「やはりか」と苦く舌打ちをした。
「社殿からかなり離れたから、あるいはもしや、と思ったが甘かったか」
とは言え、私達は何も好きこのんでわざわざ人目につきやすい街道に出たわけではない。社殿から持ち出した食糧の手持ちがそろそろ心細くなってきていたのだ。
渓流で魚を獲ったり、時には山里の人家から食糧を失敬したりしてなんとか凌いではきたものの、自ずとそれにも限界があった。サバイバル術に長けた柳也一人だけならともかく、このままでは遠からず山道の路傍に、野晒(のざらし)が四つ、人知れずひっそりと並ぶことになる。とにかく一旦、どこかで人里に出て食料を調達しておく必要があったのだ。
で、街道に出る早々、関に出くわすはめに陥ったわけだが、その関があるせいで市が立ち、おかげで食糧を簡単に手に入れることができたのは何とも皮肉な話だった。
「で、関はどんな様子なの?」
私が尋ねると、裏葉は顰めた柳眉に嫌悪感を滲ませた。
「筵(むしろ)で仕切りを立てて、その向こうで娘の背中を検めているようでございます。堂々と歳若いおなごの肌を検めることができるとあって、みな鼻の下を伸ばしておりました」
「まあ、役得ってやつでしょうね。仕切りの向こうじゃ人目もないし、調べてるのが背中だけかどうかあやしいもんだわ」
「何と不埒な!」
裏葉の白皙の額に、青く静脈が浮かんだ。
「あのような下賎の輩どもが、神奈様の高貴な御肌をじかに目するだけでも万死に値いたしますというのに。あまつさえ、あらがうことができぬのをよいことに、よってたかっていやらしくふしくれ立った指であんなことやこんなことや、挙句の果てにあんなことまで…ああ、なりませぬそちらは…そのようなところに指を…」
般若のような怒りの表情を浮かべながらも、頬が赤く上気し、ついでに小鼻もふくらんでいる。どうやら裏葉の頭の中では、有害成年コミックも真っ青のどえらいことになっているようだ。
「ええええええい、離れなさい不埒な下賎の輩共! 神奈様の×××を××××していいのはこの裏葉だけでございますっ!」
「黙れ死ね変態」
感極まって叫ぶ裏葉を、私は眉間に空手チョップを食らわせて黙らせた。
そして、阿呆を見る目でこちらを見る柳也に、こほん、と咳払いをする
「…けどまあ、その様子じゃ、私達がこっちに向かってることがわかった上で、ここに関所を作ったってわけでもなさそうね。たぶん社殿に通じる全部の街道の、要所要所に漏れなく関が立ってるんでしょう。それにしても――」
と、私は神奈を振り返った。
「ふ〜む…」
「コケッコッコッ」
「なんとも面妖な形(なり)をしておるの。おぬし、名は何というのだ」
やんごとなきお方と、やんごとなきお方を玉座から引きずり下ろそうと暗躍していらっしゃる面々の、今や双方から人気絶賛の神奈備命様は、只今、花の顔(かんばせ)を市の売り物の鶏と突き合わせてにらめっこの真っ最中だった。
私は肩を竦めて、はぁ、とため息を吐いた。
「朝廷の、名も位もあるお歴々が、そろってあんなコドモのお尻を追いかけてるなんてね。世も末だわ」
「まったくだ」
皮肉な口調で同意して、柳也も神奈に視線を向ける。
「しかしおぬしは愛想がないな。不細工な上に愛想無しでは、だれにも購(あがの)うてはもらえぬぞ」
「コッコッコッコケーーッ」
「こっ、こら、何を癇癪を起こしておるのだ! せっかく余がじきじきに諫言をくれてやっておるというのに」
残念なことに翼を持つもの同士の連帯は、どうやら不首尾に終わりそうな按配で、にらめっこは口論へと発展しようとしていた。
柳也はしばらくの間、黙って神奈の様子を眺めていた後、やがてぽつりと独りごとのように口を開いた。
「なあ――どうしてどいつもこいつもあいつのことを追いまわすんだろうな」
「それは――」
絶句する私に、構わず柳也は言葉を続ける。
「――ああ、確かにあいつの背中には羽がある。だがそれがどうだというんだ?」
「…どうもしないよ。あの子はただの十五の娘。前にあんたが言ったとおりにね」
ようやく、私はそう答えた。
「そんなことを言ったことがあったか… だが確かにそうだ。こうしてあいつを見ているとつくづくそう思う」
「本当にね…」
「コケーーッ!」 「うわっ、な、何をするか不埒者っ!」
羽を広げる鶏に驚いて尻餅をつく神奈の姿に二人して苦笑した後、しかし柳也はふと表情を暗くした。
「だが、帝や藤氏はそうは考えていない。あいつらは神奈を、三種の神器か何かと同じに考えているのだ」
「伝承にあるような力なんて、あの子は持ってないのに?」
「神器だってそうだ。どれほど霊験灼(あらたか)な、ありがたいものかは知らんが、おれに言わせればただの古道具だ。
だがたとえいつわりであったとしても、一旦、名なり位なりのある誰かが、ありがたきものよ、値のあるものよと言い張ってしまえば、いつしか誰もがそう思い込むようになる。その値がまかり通るようになる――
奴らは神奈に勝手に高い値をつけて、それを奪い合っているのだ。翼人の伝承にしたところで似たようなものだろう」
「神奈様はものではございません。神奈様は神奈様でございます。たとえ帝であろうと藤氏であろうと、勝手に値をつけてとりあってよい道理などどこにありましょうか」
うやむやの内にシリアスモードに復帰した裏葉が、声に滲む憤りを隠そうともせずに言う。
値をつける、か。まるきり人身売買だ――と私は思い、そして、巨大な鳥篭に入れられた神奈を前に、脂ぎった男達が山のように黄金を積み上げて競り合っている光景が頭に浮かんで胸が悪くなった。
ちなみに、柳也や裏葉の言う藤氏というのは、摂政や関白といった要職を一族で独占している、要するに実質的な最高権力者であり、そしておそらくは一連の陰謀の黒幕だった。
偽の勅命で社殿を孤立させた上で襲撃させ、なおかつ自分達の関与を揉み消すという荒業をやってのけられるだけの力を持つ人間となると、他に該当する者がいないからだ。
では、ほぼ完全に権力を掌握しているはずの藤氏が、なぜわざわざ傀儡同然の帝の失脚を企てなければならなかったのか。
ここから先は単なる憶測でしかないが、おそらく帝が藤氏から政治の実権を取り戻すための何ごとかを画策し、それに対して藤氏が報復に出たのだろう。
ことの経緯はどうあれ、要は政治抗争であることに間違いは無いのだが、翼人などというものが実在してしまったためにその争奪戦に話がすりかわってしまい、結果、今年十五歳になる女の子の身柄を巡って朝廷の要職にある連中が陰謀を巡らせ抗争を繰り広げるという、ロリコン同士のおとなげないケンカのような構図が出来上がってしまったわけだ。やれやれ。
まあ、うろ覚えだが確か日本史の教科書では、平安時代はこの先も当分続くはずだったから、少なくともこの馬鹿騒ぎが今以上の大ごとに発展して、戦乱が起きるようなことにはならないだろう。この世界が、私がもといた時代の過去の世界だとすればの話ではあるが。
「で」
と私はどうにも辛気臭くなってきた空気を断ち切って言った。
「問題はこの場をどうするかよね――裏葉、関所にはどれくらいの人間がいた?」
「見たところ六、七人といったところでしょうか。もしかしたら他に、市を見に出ている者もいるかもしれません」
「武器は?」
「槍持ちが二人で道を塞ぎ、残りの者もみな刀を佩びております」
「ふ〜ん…まあ、なんとか力ずくで通り抜けられなくもないけど…」
「論外だな」
柳也は一言の下に断じた。
「ここで騒ぎを起こせば、追っ手の連中に、おれ達がここにいることを知らせるようなものだ」
「でしょうね」
私は肩をすくめて同意した。と、突然裏葉が私の前ににょきっと顔を出し、
「では、神奈様には私の衣を着ていただき、わたくしが神奈様と同じ年頃の娘のふりをするというのはいかがでございましょう。わたくしならば背を検められてもどうということはございません」
「…いや、なんぼなんでも無理があるでしょそれは。って言うか、あんた歳いくつよ」
すると裏葉はにっこりと、
「永久(とこしえ)に十七にございます」
それが言いたかっただけかいっ!
「…まあともかく」
「生まれはお花畑にございます」などとたわごとを続ける裏葉に、だったらたぶんハエトリ草かウツボカズラの花畑だろう、と思いつつ、私は言った。
「とりあえずは関を避けて、また山道を行くしかないでしょうね」
「それが一番無難だろう」柳也が頷いて言う。
「けど――」と私は嘆息した。
「たぶんこの先にも関はあるでしょうし、要するにあの子さえ見つからなければいいんだから、いっそ魔法の壷とか瓢箪とか、そういうのに吸い込んで持ち歩きできれば楽なんだけどね〜」
翼人専用の携帯容器。う〜む、なかなか便利そうだ。もしあるならちょっと本気で欲しい。呼び出す時はやっぱり召還呪文か、それともくしゃみとかあくびとかだろうか。
翼人をいかに携帯するかというプラクティカルな課題について思索に耽る私を、「おまえなあ…」と柳也が呆れ顔で窘めた。さすがにアホ過ぎたか、と首をすくめると、
「そんな便利なものがあったら、とっくの昔におれが使っているに決まっているだろうが」
どうやら柳也も欲しかったみたいだ。
「ならばわたくしは神奈様を小さく縮めて、肌身はなさず持ちあるきとうございます――つねに私の懐の内に神奈様のぬくもりが…肌が…あああああああ」
こっちはこっちで、何だか別の世界に旅立っちゃってるみたいだ。目に十字型の光とか輝いてるし。
そしてふと気づくと、いつの間にか鶏の前から戻ってきていた神奈が、じとっとした目つきで私達を見つめていた。
「どうかした?」
一点の曇りもない、秋晴れの空のような澄みきった笑顔で尋ねる私に、神奈は胡散臭そうな表情で、
「…余はおぬしらが今この上なく無礼なことを考えておるような気がするぞ」
「気のせいよ」 「気のせいだろう」 「気のせいでございます」
三人が三人とも、異口同音にそう答えた。
結局私達は関のある街道を避けて、また山道を行くことになった。
関がなくても人目につきやすい街道を行くのは危険だったし、もともと食糧を入手したらまた山道に戻るつもりだったから、そのこと自体は大して困るような話でもなかった。
だが、私の中に一つの疑問が残った。
あの関を設けるように命じたのは、帝と藤氏、一体どちらなのだろう?
帝が神奈を取り戻したがっているのはもちろんだが、藤氏がそれを看過ごすとは考えにくい。偽の勅命が出されたことから察するに、命令系統は既に藤氏の手の内にあるのだろう。だったら帝の動きを封じるために、当然何らかの手を打つはずだ。
では、藤氏の命かというと、これまた少しばかりおかしなことになる。
確かに藤氏も神奈の身柄を押さえたがっているのだろうが、その動機が帝とは根本的に違う。
藤氏が神奈を捕らえようとするのは、帝に神奈を渡さないためなのだ。
だが、公的に人を動かして神奈を捕まえてしまっては、立場上、藤氏は神奈を帝に差し出さざるをえなくなる。これでは本末転倒だ。
あれこれ考えているうちになんだかよく分からなくなってきたので、私は柳也の意見を聞いてみることにした。
「そんなこと、考えるまでもないだろう」
私の話を聞き終えると、柳也は少し呆れた顔でそう言った。
柳也に言われたので少しむかついたが(ヒデェ…)、私は我慢して、「どういうこと?」と先を促した。
「命を下したのは、帝だろうさ。他の人間の目もある場で、公に命を下されてしまえば、いかに藤氏といえども簡単には握りつぶせない。手足を縛られた傀儡(くぐつ)でも、帝は帝だからな」
「けど――」
「ああ、実際に人を動かしているのは、やはり藤氏だろう。もともとそれが摂政だの関白だのといった連中の任でもあるわけだしな」
「で、もし神奈が見つかったら?」
「自分達の手で身柄を押さえた上で、関わった人間全ての口を封じる胆(はら)だろう」
「んな無茶苦茶な…」と、私は呻いた。
どこかの関所で神奈が発見されたとして、籐氏が自分達の手元に身柄を押さえるまでに、一体どれだけの数の人間が関わることになると思っているのだろう。
官位も職も、それこそ上から下までばらばらな、全ての人間の口を封じることができるなどと、藤氏は本気で考えているのか。
金や権力にものを言わせるのならまだしも、全員を殺して口を封じるつもりなら、これはもう立派な連続大量殺人だ。事実の隠蔽どころか、さらに大ごとになるだけだろう。
「この期におよんでなりも振りも構っていられなくなったんだろうよ」
もはや開いた口が塞がらない私に、柳也はこともなげに言った。
「なにしろ、ことが全て公になれば立派に朝敵だからな」
「でも、そもそもそういうのって、普通は失敗した時のことも考えて、二重三重に手を打っておくもんじゃないの?」
「自分達のやることは何もかもうまくいくと思ってたんだろうさ。沈まぬ日の輪の藤氏だからな」
皮肉な口調で言ったあと、柳也は何故かふっと面白そうな笑みを浮かべた。
「それに連中も、まさか社殿の中に、神奈を拐して連れ出そうとするような酔狂な人間がいるとは思いもしなかったことだろうよ」
まあ、確かに普通は思わないだろう、と私は頷いた。
権力の象徴、あるいは権力そのものといってもいい重要人物を、個人的な思い入れだけで連れ出すなど、伊達や酔狂を通り越してそれこそ狂気の沙汰だ。
おそらくは帝側にも藤氏側にも、何故私達が神奈を連れ出したのか、未だもってその動機を正確に看破している人間はいないだろう。
もしいたとしても、口に出したが最後、せいぜい周囲から馬鹿呼ばわりされるのがおちだろうが。
それにしても――
「…あらためて考えてみると、つくづくまともじゃないわね、私達って」
何となくしみじみとした気分で、私は言った。
「何だ、今頃気づいたのか」
笑って、柳也が言った。