CROSS × FIRE

第14話 「高野(3)」

東の空が白みはじめ、地獄の一夜が明けた。

刃がぶつかり合う音も荒あらしい雄叫びも今は途絶え、朝霞が漂う木立をただ静けさだけが占めている。

柳也は衣を裂いて作った即席の包帯で上半身をぐるぐる巻きにされ、うつ伏せになって眠っていた。

その傍らの木の幹に、裏葉は背中をあずけて目蓋を閉じ、神奈は裏葉の膝枕で寝息をたてている。

あれから――裏葉が私達のもとに戻ってからも、決して平穏無事に時が過ぎたわけではなかった。

裏葉が持ち帰ってきた薬は、効き目こそ抜群であるものの凄まじい劇薬であったらしく、薬を見た瞬間、柳也がぎゃっと叫んで逃げようとし、それを三人がかりで押さえつけて、猿轡を噛ませた上で傷口に塗りこんだところ、柳也は「うん」と一声唸って白目を剥き、そのまま気を失ってしまった。

後で聞いた話によると、普通は何らかの痛み止めの処置を施した上で使うか、もしくは痛みを感じることもできないほどの瀕死の重症を負った人間に使うものであるらしい。

ちなみに、薬はまだたっぷり残っており、柳也の傷も、血は止まりはしたものの完全に塞がったわけではない。かわいそうだがあと何回かは――と思いながら柳也を見やると、なぜか柳也は苦しそうに眉根を寄せて「ううう」と呻き声を上げた。

さて――

私は脇に置いていた小太刀を掴んで立ち上がった。帯の後ろに差し、足音を殺して歩き始める。

「どちらにゆかれるのですか?」

振り返ると、気配に目を覚ましたのかそれとも最初から眠ってなどいなかったのか、裏葉が目を開いてこちらを見つめていた。

「あっちの騒ぎも一段落したみたいだし、ちょっと様子を見てくる。戦を仕掛けたのか誰なのかも気になるしね」

この高野で戦が起きるという状況は、私達にとって全く予想外のことだった。元もとは神奈の母親が封じられている場所をこっそり探り出して、なるべく騒ぎを起こさないように密かに連れ出すつもりだったのだ。そこに持ってきてこの戦だ。

うまく混乱に乗じることができれば漁夫の利を得ることも決して不可能ではないものの、とりあえず一体どこの誰が何の目的で高野に戦を仕掛けたのか、それが判らないでは話にならない。下手をすれば両方を同時に敵に回すことだってありうる。状況を理解しないまま戦場を右往左往した挙句、十字砲火の標的になるのはごめんだった。

「お気をつけを。まだうろついている兵がいるかもしれません」

「大丈夫。あんたほどじゃないけど、逃げ隠れするのは得意だから。それにまだ神様だって寝てる時間よ」

だが裏葉は何やら意味ありげに、

「仏は起きているかもしれません」

仏――つまりは僧兵のことか。たしかに一晩の徹夜くらいはどうということのなさそうな連中ではある。

「その時は二度寝でもしてもらうわ」

私は肩をすくめ、そして心の中で『二度と目が覚めないように』と付け加えた。



木立を抜けてしばらく進んだところで、私は幾つもの人間の体が、下草の中に埋まるように倒れ臥しているのに出くわした。数は二十から三十といったところか。いずれも既に息をしている様子は無い。おそらくここも、昨夜戦場になったのだろう。

(ん?)

そして私はふと、男達の格好(なり)に眉を顰めた。

片や灰色の僧衣姿の僧兵、片や具足を纏った雑兵。それは別におかしくない。

だが、よく見ると雑兵の側が、なんだか二種類いるように見えるのだ。

一応は揃いの具足を纏った、おそらくはどこかの正規の軍の雑兵であろう連中と、てんでばらばらな、そして使い込まれて傷だらけの具足を纏った連中。

その、使い込まれた具足を纏った側の連中に、私はなんとなく見覚えがある気がした。社殿を襲撃してきた、東国の傭兵達。あいつらと似ている気がするのだ。

だが、主に裏の仕事を請け負うような連中が、正規の軍に混じって戦をすることなんてあるんだろうか?

それに、見れば違う種類の具足の雑兵同士、互いの体を刃で貫き合って息絶えているものさえいる。

一体、昨夜ここで何があったのだろう?

私が首を傾げていると、叢の中から微かに呻く声がした。

近づいてみると、脇腹に深手を負った男が、土気色の顔に死相を浮かべていた。男が身に纏っているのは、傷だらけの具足の方だ。

「ふ…ふふ…この高野で、しかも今際(いまわ)のきわに、若いおなごがみられるとは…」

男はうすく目を開いて私を見、そして苦しそうに笑って言った。

「これが利益というやつならば、仏も味なことをする…」

「昨夜ここで一体何があったのよ?」

私は男に尋ねた。

「それにあんたたちは何者なの? 僧兵でもなけりゃ、そこにころがってる連中のお仲間でもないわよね?」

「教えてもよいが、ひとつ頼みがある――」

男はじっと私を見て言った。

「何よ」

「おぬしの乳房に、触れさせてはくれぬか。黄泉の旅路に出る前に、せめてもうひと度、おなごの肌に触れたい」

死に瀕してなお、いや、死に瀕しているからこその、それが男というものなのだろうか。私は男の手を取ると、狩衣の脇から懐の中へみちびき入れた。

「ほら――これでいいでしょ」

「お…お…」

嘆息する男の顔に、喜悦とも哀しみともつかない表情がうかんだ。

「おなごの乳房、おなごの肌の、なんとやわらかくなんとあたたかいことか…」

「無駄口はいいからさっさと話して」

「よかろう…」

頷いて、男は語り始めた。

男の話はこうだった――男は東国の武士団の一人であり、そしてやはり、社殿を襲撃した連中の仲間だった。あの夜社殿にさし向けられたのは、少なくない数ではあるものの、武士団の擁する手勢の一部にすぎなかったらしい。

武士団に社殿の焼き討ちと神奈の拉致を依頼したのは、やはり藤氏だった。しかし、翼人を捕獲するという依頼を聞いた時点で、傭兵達に別の思惑が生まれた。もし翼人が伝承に謳われるような力を持つ者ならば、多少の報酬と引き換えに藤氏に引き渡すより、いっそ自分達のものにしてしまった方がいいのではないか――

「頭領も悪い夢を見たものよ――」自嘲するように男は言った。「刀に拠って立つさむらいが、あのようなものの力を頼みに天下を獲ろうなどと」

しかし、その思惑は大きく崩れることになる。神奈を拉致するどころか、社殿に寄越した手勢の全てが、おそらくは『野を埋め尽くす戦人の群れを打ち払う』翼人の力で返り討ちにされてしまったのだ。実際にやったのは私だが、傭兵達がそう思い込んだとしても無理はない。

翼人は手に入らない、寄越した手勢は鏖(みなごろし)にされる、おまけに、神奈の拉致に失敗したから藤氏は報酬を寄越さない――傭兵達にとってはまさに悪夢としか言いようのない状況だった。逃げた翼人に追っ手をかけたいところだが、一体どこに逃げたのかまるで見当がつかない上に、見つけたとしても社殿を襲撃した連中同様、返り討ちにあう可能性が高い――

これだけ八方塞がりなのだから、冷静に考えればここで引き下がるべきなのだが、そうするにはこれまでに払った犠牲があまりにも大きすぎた。損失に見合うだけの代償を、手に入れなければ収まりがつかない――博打で大損をした人間が、負けを取り返そうとさらに金をつぎ込むような心理に、傭兵達は陥っていたのだ。

傭兵達は藤氏の動きを探り――朝廷が高野に対して、幽閉しているもう一人の翼人を引き渡すよう要求し、そしてその要求を拒否されたために、武力で攻め入ろうとしていることをつきとめた。

「…で、朝廷の軍勢と高野の連中が争ってる隙に、翼人を手に入れようとした、と」

私は叢のあちこちにころがっている、揃いの具足を纏った兵達の骸(むくろ)を見やって言った。なるほどこいつらは正規軍中の正規軍、朝廷の軍勢だったのだ。

「それで、翼人はどこに封じられているの?」

「東に見える峰の頂の、祠の中だということだ。昨夜の内に我らの手の者が三十名ばかり、囲みを破って向かったが…」

「もしそいつらが首尾よく翼人を捕らえてたとしたら、高野と朝廷の軍勢の両方から追手がかかって、今ごろとんでもない騒ぎになってるはずでしょうね」

淡々と私が言うと、男は「ああ…」と悲しげに同意した。

「今にして思えば、愚かなことであった。そもそも藤氏の言葉になど、いくら金を積まれようと耳を貸すべきではなかったのだ。あの者どもに関わったばかりに、われらはこのような地で――」

男の目に涙が浮かんだ。

「帰りたい――野麦の蕾の揺れる――吾妻の野へ…」

そう言ったきり、男は言葉を発しようとしなくなった。見ると、男は頬にひと筋涙を流してそのまま息絶えていた。

私は黙ったまま立ち上がると男の傍を離れた。



「…つまり、朝廷と高野と、それに荒夷(あらえびす――東国の武者を指す蔑称)どものみつどもえということか」

私から話を聞いた柳也は、うつ伏せのまま呆れたように言った。

「帝の思惑と藤氏の思惑――朝廷も一枚岩じゃないでしょうしね」付け加えて、私。

「滅茶苦茶だ」と、柳也は吐き捨るように言い、

「それに、神奈が手に入らないから今度はその母親とは、無節操にもほどがある」

「まことに、あさましきことにございます」

裏葉が顰めた眉に嫌悪の情を滲ませ――そしてふと不思議そうに、

「それにしても、今際のきわのこととはいえ、そのものはよく素直に郁未様にすべてを明かしましたね」

「おっぱい触らせたら話してくれた」

「………………………」

しばらく絶句して――まじまじと私の顔を見て――から、裏葉はようやく「それはさぞよい供養になったことでございましょう」と言った。

「東の峰の祠――そこに母上がいると、その者は申したのか」

思いつめた顔で神奈が言った。

「ええ」

私は頷いた。

すると神奈は真っ直ぐな、強い視線を私に向けて、

「なぜ母上が、そのような――祠などに封じられねばならぬのだ」

「さあね――よく知らないけど、前にあんたが言ってた通りじゃないの?」

言いながら、私はさりげなく視線を逸らした。

「余が言った通り?」

「『ききわけのない翼人は金剛に封じるぞ』ってやつよ。随身の男に脅されたって言ってたじゃない。あんたのお母さんはたぶん、何か偉い人に逆らうようなことでもしたんでしょ」

いかにももっともらしく聞こえはするが、実のところたった今思いついたでまかせだった。

『母親は、人心と交わり悪鬼と成り果てた』――神奈の母親が幽閉された原因は、社殿の衛士が口にしていたことと何か関係があるのではないかと思われるのだが、とてもではないがそんなことを神奈に言えたものではなかった。

「…そうであるか」

神奈は溜め息を吐くように言って視線を下げた。私は胸の奥がずきんと痛むのを感じた。

「何にせよ――」

体を起こしながら柳也が言った。

「朝廷の軍勢なり荒夷どもなりが、また動くとすれば今夜だろう。その隙に乗じてこっちも動く」

「動くって、あんた、傷は大丈夫なの?」

尋ねると柳也は苦笑して、

「傷口はあらかた塞がったようだ。あの薬のおかげだろうが、はっきり言って死ぬかと思うほど痛かったぞ」

「それですが、柳也様――」

にこにこと――見るものを逆に不安にさせるほど、それはもうにこやかに――笑いながら、裏葉。

「せめてあともう一度、あの薬を塗らねば、激しく動いては傷がまた開いてしまいます」

「え゛」

柳也の顔が、ひきっ、と固まる。

「ちょ、ちょっと待て裏葉――」

慌てて制止しようとする柳也を、まったく意に介する様子もなく、裏葉は懐から猿轡(さるぐつわ)を取り出しながらにっこりとこちらを向き、

「神奈様、郁未様、また手を貸していただけますか?」

「心得た」 「任務了解」

間髪入れず二人同時に即答して、素早く柳也の両脇を固める。

「いやだからお前ら――」

何か言いかける柳也の口に、裏葉の手で、やたらと手際よく猿轡が噛まされ――


ややあって、木立にくぐもった悲鳴が上がった。