○番外編1○ 友達にかわるまで(後編)







 相手の女とは思ったとおり、ホテルへ直行だった。

 シャワーを浴びて、お互いバスローブ姿になったところで、女をベッドに押し倒す。
 ココでいつもは濃厚なキスをして・・・


 だが、唇が触れ合ったとき、何かが違う、と思った。

 俺の動きが止まったので、女の方から舌を絡ませてくる。
 その動きに身を任せながらも、確実に俺の中で何か違和感みたいなものが芽生え、ジワジワと広がっていく。


「・・・・・・ろ」

 呻くような掠れた声は、女に届かない。
 俺を下にして、首筋から胸のあたりに舌を這わせ、目をウットリさせている。
 それから俺の一番敏感な所に指を絡ませ、優しく撫でるようにさする。


「・・・・・・めろ・・・」

 喉がカラカラする。
 条件反射で身体はどんどん準備が整っていくが、それとは裏腹にオレの心がついていかない。


「んっふ」


 そして、


 女がソレを口に含んだところで、身体に異変が起きた。

 胃から何かが逆流するような感覚。


「やめろっっ!!!」


 強烈な吐き気に女を突き飛ばし、洗面所へ向かう。

 気持ちが悪い
 なんだこれは・・・・・・っ


 だが、一向になにもでてくる気配もなく、気がつくと吐き気もいつの間にか消えていた。




 セックスってこんなにも気持ちの悪いものだったか!?
 心が籠もっていないから?


 今までは、平気だったじゃないか!!

 それが、なんでだよっ!?



「どうしたのよぉ〜〜、続きはぁ!?」

 後ろから抱きしめられる、その感触に、再び吐き気が襲う。
 俺は無言でその腕を振りほどき、洋服に着替え始めた。一秒でも早く、ここから抜け出したい一心で。

「ちょ、ちょっとぉ!! 何してんのよ!?」
「帰る」
「エエエッ!?」

 罵声を浴びせる女を完全に無視して、俺は逃げるようにホテルを飛び出した。









▽  ▽  ▽  ▽


 ホテルから出て、俺は暫く呆然としていた。


 だが、ふと思い出したように胸ポケットから携帯を取りだし、登録されている電話帳を眺める。
 『藍沢絵美』はア行で、しかも一番最初にでてきた。
 俺は可笑しくなって、少し笑う。
 それから、画面をスクロールして他の名前を眺めていく。
 ズラズラとよくここまで女の名前があるものだ、と我ながら感心せざるをえないほど、沢山の名前。
 しかし、身体の関係はあるものの、顔と名前が一致しない人間ばかりだった。


 何てくだらない時間を過ごしてきたんだろう


 そう思いながら、そのどうでもいい女達の名前を一件一件削除していく。

 それは、軽くなったメモリー分、爽快な作業だった。


 残ったのは、藍沢絵美と、湯河まりえ。他は、家族や男友達、会社関係で必要な番号だけ。

 まりえを残すのは当然の話。
 だけど、彼女を残すのは・・・・・・・・・


 画面の中の彼女の名前を暫く見つめた後、俺は二つ折りのその携帯を折り畳み、タクシーを止めた。








▽  ▽  ▽  ▽


 彼女の住まいは2階建てのアパートで、可愛らしい作りをしている建物だった。

 女の家を訪ねていく、と言う行為は初めてだ。
 いつも、ホテルへ行くか、相手が俺の部屋へ来るというのが当たり前だったから。

 階段を上り、2階の表札を一つずつ確認しながら彼女の部屋の前へと辿り着く。
 表札には『EMI☆AIZAWA』と書かれた銀色のプレートが使用されている。

 妙に緊張するもんだな・・・


 一呼吸おいてから、チャイムを鳴らす。
 が、何の応答もなく、暫くその場で立ち尽くした後、念のためにもう一度鳴らしてみた。





「はい・・・・・・」

 疲れたような、彼女の声と同時にドアが静かに開かれた。
 彼女、絵美は最初目の前の人物が誰だか分からなかったようだった。
 暫くボーっとした表情で、やがて俺だと気づくと、目を見開いて、

「ようす・・・・・・南條係長・・・」

 名前を呼びかけ、”南條係長”などと、他人行儀な言い方に訂正した。
 そんなことにさえ、ショックを受けている自分に驚く。

「何で会社に来ない? 携帯にもでなかっただろう」
「すみません、無断欠勤なんかして・・・・・・・・私、会社を辞めるつもりですので・・・挨拶にはちゃんと行くつもりでした」

 目も合わせようともせず、彼女はそのままドアを閉めようとした。
 俺は咄嗟に足を挟み、それを出来ないようにして、無理矢理ドアを開け中に入ろうとする。

「な、なにをっ」

「俺を見たくないからって言うなら、その事は気にしなくて良い。異動の上課長になるらしいから、ほっといても毎日顔を合わせなくなる。とにかく、上がらせて貰うぞ」

 返事も聞かず、靴を脱ぎ、奥の部屋へと勝手に入り、適当な場所に腰掛ける。
 後ろで彼女が戸惑いながら立ち尽くす気配を感じながら。

「一応客なんだから、お茶くらい出して欲しいな」
「は、はい・・・」

 スゴク嫌なヤツだ、俺って。

 だって、会社を辞めるなんて・・・俺の目を見ようともしないで・・・


 少しして、コーヒーが入った可愛らしいマグカップを持ちながら、彼女がそれをテーブルの上にぎこちなく置いた。

「すみません、お茶無いんです・・・」

 言いながらうつむく彼女の姿をまじまじと見つめる。
 ジーパンにTシャツというとてもラフなスタイル。
 これが彼女の日常なのだろうか、いつもの派手な格好に派手な化粧からは想像も出来ない。

 今は、化粧っ気が全くなく、おそらくすっぴんなのだろうが、その方が彼女は綺麗だと思う。
 シミ一つない白い肌、長いまつげに大きな黒目がちな瞳、ピンク色のやわらかそうな唇は何もしなくても充分だった。

「・・・こんな小さな部屋、見たこともないでしょう? 私と係長じゃ、住む世界も違うのに・・・無理して背伸びして、本当の自分を必死で隠して・・・ばかみたいですよね」
「・・・なんで、隠す必要がある?」

「だって、私はこんなに普通で、係長の隣にいる女性はいつも化粧を綺麗にして、洗練された洋服を着た人ばかりだったから・・・少しでもそう言う女のヒトになれれば、相手にしてもらえると思ってっ・・・」

 別にそういうのが好きなワケじゃない。
 寄ってくる女が自然とそういう女が多かったというだけ。
 ただし、

「俺はさ、来るもの拒まず、去る者追わず、そういう主義なんだ」

 彼女は瞳を閉じて頷く。
 そんな姿は消え入りそうなほど小さくて、少し震えているようにも見えた。


「そんな俺が、わざわざ家まで押し掛けて来るなんて、どういうことかわかるか?」

 多分、全然分かってないんだろう。
 そんな顔をしているのだ、今の彼女は。

「お前にフラれた後、どうやら俺に異常事態が起きたらしい、この責任はどうやってとってくれるんだ?」

 どうしてこんな言い方しかできないんだろう?
 素直に言えばいいのに・・・
 まるでガキじゃないか、こんなの。

「す・・・すみません・・・」

 ほら、こんな言い方じゃ全然通じてない。
 ちゃんと言わなくちゃダメだ。

「謝るくらいなら側にいてくれ」

 彼女は暫くうつむいた後、ようやくその言葉に疑問を持ったのか、その時初めてまともに俺の目を見た。

 そうだ、この瞳だ
 真っ直ぐに見つめるこの瞳なんだ

「え・・・?」

 誤解させるようなことは、二度と言ってはいけない。
 じゃないと、彼女を手に入れることは出来ないから。

「俺の隣にいてくれ」

「・・・? どういう・・・・・・?」
「今度は、俺とちゃんと、つき合って欲しい」

「・・・なっ」

「確かに、幼なじみの彼女のコトは好きだ。それは一生変わらないし、変えるつもりもない。・・・けど、変なんだよ。お前のあの顔を見てから、彼女への気持ちが別のものへと変化していくのが分かるんだ」

 大きな目を見開いたまま、呆然と俺の話を聞いているその姿に、ちゃんと気持ちが届いているのかどうか、とても不安だった。
 俺のいわんとしていることを理解して欲しい。
 都合のいいことだってのはよく分かってる。
 今更って気持ちも分かる。


「その変わり、今まで彼女が居た場所に、お前が入ってきた・・・」
「・・・・・・」

「女遊びも絶対しない、お前だけ側にいて欲しい」
「・・・・・・」



「・・・絵美・・・」



 瞬間、彼女の目からは大粒の涙がボロボロと零れだした。

 それを拭うこともせず、じっと俺の目を見つめ続けて。



「・・・は、はじめて、名前呼ばれたの・・・」
「・・・え?」

 そう、だったかもしれない。

 俺の中では、まりえ以外は”女”で良かったから。
 名前を呼ぶことに何の必要性も感じなかった。


 けれど、

 初めて呼んだこの名前を愛しいと思う。
 俺は、彼女が好きなのだと思う。


「絵美」

 彼女の名前をもう一度囁き、細い肩を抱き寄せ、最初は戸惑いつつも、自分の胸に体をあずけてきた。
 俺はそれが彼女の答えだと理解し、更に強く抱きしめる。

 何だかそんな彼女が無性にカワイイと思った・・・








「あぁ〜〜、めちゃくちゃキスしてぇ・・・」


 溜息混じりでそんなことを言い出す俺の顔を不思議そうな顔で見つめ、

「・・・いい、よ?」

 と、言ってくれるのは嬉しいんだが。
 さっきまで、他の女と、アレだ、キスしたり、他にも色々あったし。

 どうも、身体が汚い気がする・・・
 それだけじゃなくても、今の俺は色んな意味で随分汚れているような気がして、彼女に触れるのは凄く躊躇われる。


「・・・いや、やめとく・・・今日はこのまま帰るよ、抱きしめられただけで充分」

 はにかみながら笑う姿は、本当にカワイイと思う。
 こんな何もしないでも嬉しい気持ちなんて、初めてじゃないだろうか・・・

 玄関まで見送られて、また明日と言える事がこんなにも幸せだとは思わなかった。










 そのあと、


 俺は、帰りのタクシーの中、どうやって自分を清めようかそればかり考えていた。

 とりあえず、家に帰ったら風呂に入って今までの垢を根こそぎ取り去ろう。



 それとも、



「寺にでも行って、滝にでも打たれてみるかな」


 タクシー運転手が、それを聞いて不思議そうに首を傾げているのを視界の隅で捉えながら、これからの自分がなかなか好きになれそうな気がして、一人微笑みを浮かべる。


 そうだ、今度、彼女をまりえに紹介しよう。


 だってそうだろう?
 もう、俺には迷う必要がなくなったんだから───


2003.7.5 了
番外編2・トクベツを読む


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2003 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.