マサカド神社は、ヒノモトの全国津々浦々に散らばる分社と、それをまとめる大元の大社とに分かれている。
大社はマサカド信仰の総本山であり、そこを巡礼し参詣することはヒノモトの民にとって、この上ない宗教的な
悦びとなっている。
子供の頃から、近所の分社の敷地で遊び、そこで催される祭りに親しんでいるし、学童はマサカド神社の見学が
義務づけられているほどである。
よほど小さな村でもない限り分社があったし、それすらない小集落でもマサカド神をお奉りする祠は必ずあった。
毎年の大晦日から翌年の元日に行う初詣、春と秋に開催される農産祭、夏祭りもある。
マサカド神はヒノモトでの生活の源であり、張りでもあったのだ。

そのマサカド大社はヒノモトの都であるキョウにある。
キョウは古都のナラから遷都した比較的新しい首都だが、人口はもともとナラより多かっただけに、その賑わいは
ヒノモトいちだ。
帝のおわす皇宮があり、ヒノモト政府である朝廷もここにある。
万事にせっかち気味な面のある女王のアルドラは、ヒノモト攻略にさっさとケリをつけようと、ここキョウを落とすことを
第一目標としてきた。
大抵の国は首都を占領してしまえば片が付く。
そうならないにしても、政府はだいぶ弱腰となり、国民には厭戦気分が生じてくるものだ。
少なくとも過去の戦役
ではそうだった。
だが、このヒノモトだけは違っていた。

確かに首都を落とされることはその国にとって屈辱でもあるから、キョウを護るべく、ヒノモトの軍は熱烈に戦った。
配備されていた防衛軍も精鋭だった。
それでも、南北西の三方向からひた押しに押され、粘っていたキョウ防衛軍も崩壊した。
ヒノモトの首都は陥落したのである。

時を置かずして、アルドラは帝の拘束と朝廷重臣たちの逮捕を命じていた。
この国の象徴である帝を捕らえ、重臣どもを処断してしまえば一気に終戦に持ち込めると思ったのだ。
ところが帝に逃げられた。
朝廷は崩壊したものの、逮捕した重臣は僅かだった。
キョウ陥落寸前に、帝らは親衛隊を勤める武者巫女隊に護られて脱出したらしかった。
キョウ攻防戦は、敵味方入り乱れた激しい市街戦に展開したこともあって、混乱の中、逃げおおせたようである。
逃亡先は、見当は付いているもののはっきりとしたことはわかっていない。

アルドラは苛立ち、ヒノモトのもうひとつのシンボルであるマサカド神社の強襲を発令した。
キョウ内の防衛拠点は、朝廷とマサカド大社に絞られている。
言うまでもなく、そこに掛け買いのないものがあったからだ。
うちひとつは取り逃がした。
もうひとつ、マサカド神社のご神体だけは入手する必要があった。
これをアルドラが手にすれば、崇拝対象としてのマサカド神は崩れ去ってしまう。
場合によっては、マサカドご神体を盾にして、支配権を得ることが出来るかも知れないのだ。
それだけに、皇宮と朝廷が女王軍に攻め込まれ、占拠されてからは、帝都守護の中心はマサカド神社に移ったのだった。

マサカド大社は広大な敷地があった。
面積だけで言えば、御所よりも広い。
神社の周辺には通称「鎮守の杜」と言う、鬱蒼と生い茂った森林がある。
構築物はすべて小高い山の頂上付近にあり、そこに通じる道は一本のみだ。
見上げるばかりの、長い長い石段を登り終えると、そこには入り口である大鳥居があった。
そこから石畳の参道があり、社殿に通じている。
東側には大きな神池があり、そこには橋まで架かっていた。
主立った社殿は三つあり、参詣用の拝殿と、神殿に繋がる弊殿、そして神殿である。
他にも社務所や祠、神宮寺など、いくつもの建物が連なっている。
それでいて、ちっとも狭苦しい感じはしない。
それだけ敷地面積が広いのである。

そのマサカド大社にも戦火が及んでいた。
帝は逃亡し、キョウ市内は90%近くが大陸軍に蹂躙された。
残る主要拠点は、ここ大社だけなのであった。
それだけに大陸軍は、キョウ侵攻の8割以上の兵力をマサカド大社攻略に投入していた。

ここを最後の砦として守護しているのは、武者巫女二番隊であった。
女王軍から侵略戦争を受け、マサカド神社と武者巫女局は、それまで全国に散って山賊、海賊および物の怪退治に当たって
いた配下の武者巫女たちを急遽統合し、大きく三軍に分けた。
トモエ率いる一番隊は決戦戦力として遊撃隊となった。
二番隊は帝都キョウの守りを堅め、三番隊は予備軍となっている。
キョウは陥落寸前であり、二番隊もその戦力を大きく損なっていた。
町を占領され、皇宮まで攻め落とされてしまい、今は本拠である大社に立て籠もっている。

大社の最奥、神殿に二番隊の首脳が集まっていた。
首脳といっても、指揮は執っているものの皆自ら刀を振るって戦う武者巫女たちである。
二番隊隊長を務めるミサキは、ご神体の前で正座している。
ミサキの前には、彼女をサポートする巫女たちがこれも正座しているが、みな一様に意気消沈していた。
かつては純白だった小袖は埃にまみれ、返り血を浴びているものも多い。
中には負傷した自分の傷の出血で汚れているものもいた。

「……どれくらい保ちそうですか」

ミサキの問いに、ユイが力なく答える。

「……保って半時ほどか、と……」
「そうですか」

ここまでよく粘ったと評されるべきだろう。
首都防衛の尖兵となって獅子奮迅の働きを見せた二番隊は、それだけ被害も大きかった。
といって一般兵と異なり、そう簡単に補充はつかない。
適宜、予備の三番隊から補充されはしたが、逆に一番隊へ兵力を抽出することもあった。
なんだかんだ言っても、もっとも被害が大きかったのは一番隊だったからだ。
そんなこんなで、開戦前100名を超えていた二番隊の兵力も、今では30名を切っていた。
無理もなかった。
帝都防衛戦はもとより、ここマサカド大社での迎撃戦で女王軍は総力を挙げてきており、万を超える兵力を注ぎ込んで
いたのだ。

武者巫女たちは地の利を活かし、ミサキの巧妙な指揮もあって、敵軍を神社への侵入を許さなかった。
すべて石段までで撃退したのだ。
だが、第十二次の一斉攻撃で、ついに大鳥居の中へ攻め込まれてしまった。
この時の戦闘で、二番隊は9名の戦死と3名の負傷者を出し、ほぼ壊滅状態に追い込まれている。
今は神殿のみを残し、他の建物はすべて占領あるいは火をかけられていた。
二千年の歴史を誇るマサカド大神の杜も、とうとう女王軍の戦火を受けることとなったのだ。

それでも、奥の神殿だけは放火されなかった。
だからこそ、こうしてミサキたちはまだ無事だったのだ。
神殿に籠もっている10名を除いた残り18名の武者巫女たちは、必死になってその外で女王軍たちに立ち向かっていた。
槍や刀の打ち合う音の他、女王軍の鬨の声や、武者巫女たちの叫び声が聞こえる。
側近のハルナが言った。

「しかしミサキさま、ここも時間の問題です。拝殿も社務所も火を付けられました。いずれここも……」
「ハルナ」

諭すようにミサキが言った。

「彼らは鎮守の杜にもなかなか火をかけなかったでしょう? 社務所への放火も遅かった。その気になればいつでも
火矢を射ることができたのに」
「……」
「この本殿も同じです。なぜ彼らは火攻めしないのだと思いますか?」
「ご神体……ですか」

考え込んだハルナに代わり、ユイが答える。
彼女はミサキの参謀である。
ミサキがにっこり笑って言った。

「その通りです。彼ら女王軍は、明らかにマサカドさまのご神体を狙っているのでしょう。でなければ、さっさと火攻め
して攻め落としているはず」
「何という罰当たりな!」

ハルナが握った拳を震わせて呻いた。
ご神体は、例えヒノモトの民と言えども、気軽に触れて良いものではない。
いや、見ることも出来ないのだ。
年に一度の御頭祭の時にしか拝めないのである。
それも御箱からだけだ。
中身は見られない。
神職や巫女は、汚れ落としなどで見たり触れたりすることはあるが、それも限られた者のみである。
まして他国の者が略奪するなど、到底認められるはずもなかった。
ミサキが言った。

「ハルナの言う通りです。むざむざとご神体を敵手に渡すわけにはまいりません」
「ではミサキさま……」
「ヒヨリ、ジュリ」
「あ、はい!」

ミサキに声を掛けられて、若い巫女がふたり慌てたように返事をした。

「あなた方は、ご神体を持ち、ここを脱出しなさい」
「え!」
「ミサキさまっ!」

ヒヨリもジュリも、驚いたように立ち上がった。
狼狽えている。
それはそうだろう、彼女たちはまだご神体に触れたこともなかったのだ。
ハルナも仰天してミサキを見ていたが、ユイは即座にミサキの決意と覚悟を察したようだった。

ミサキは立ち上がり、後ろにある神棚に二礼二拍一礼した。
部屋にいた巫女たちもすっと立ち上がり、ミサキに従った。
ミサキが祝詞を唱えた。

「此の神床に坐す 掛けまくも畏き マサカド大神の大前を
 拝み奉りて 恐み恐みも白さく 大神等の広き厚き御恵を
 辱み奉り 高き尊き神教のまにまに 直き正しき 真心もちて
 誠の道に違ふことなく 負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く
 身健に 世のため人のために尽さしめ給へと 恐み恐みも白す」

唱え終わるとまた深く一礼し、観音開きになっている奥から神箱を取り出した。
それを恭しく捧げ持ち、作法通りにゆっくりと歩を進めた。
その間、巫女たちは深く頭を垂れたままである。
ミサキはヒヨリの前まで来ると声を掛けた。

「ヒヨリ」
「は、はい」
「受け取りなさい」
「そ、そんな、恐れ多いです!」
「頭をお上げなさい」
「……」

ミサキの顔は、危機がそこまで迫っているとはとても思えぬほどに穏やかな笑みを浮かべていた。

「いいですか、ヒヨリ。ジュリもお聞きなさい。あなた方はこれを持ってカマクラをお行きなさい」
「カマクラへ……」
「そうです。帝はそこにお出でです。神主さまも帝をお守りするためにカマクラへまいりました。あなたとジュリは
ご神体を持ち、カマクラのマサカド社へ納め、三番隊とともにそこを死守するのです」
「ミサキさま……」
「ミサキさま、でもあたしは……」

それまで黙っていたジュリがたまらなくなって発言した。

「あたしは、あたしはここに残ります! みんなと一緒に戦います! 死んでいったみんなのためにも……」
ジュリは、ミサキたちは若い彼女とヒヨリをここから逃がすために、方便としてそう言っているのだと思ったようだ。
ミサキは少し厳しい表情になって諭した。

「ジュリ、この任務を甘く見てはなりません。いいですか、例え大社が落ちようとも、ご神体さえあれば、また復興できます。
私たちはあなたたちに賭けているのです」
「ミサキさまっ……」

ヒヨリとジュリが、ミサキに縋って泣き出した。
ミサキはご神体を落とすまいと、苦労してバランスを取っている。

「よくお聞きなさい。時として、生き続けることは死ぬよりも辛いこと。そうと知ってなお、私はあなた方に生きることを
命じているのです。ご神体さえあれば、神官さまがいて、巫女がひとりでも生き残っていれば何とかなります」
「ミ、ミサキさまっ……!」

突如、神殿の障子戸が開き、髪を振り乱した武者巫女が身を乗り出してきた。
左肩には矢が刺さり、額からも血が流れている。
ミサキは相変わらず冷静な声で聞いた。

「どうしました」
「も、申し訳ありません! ここ以外……神殿以外の建物はすべて……」
「……そうですか」
「残った者たちも10名を切りました。もう保ちません! どうか……どうかミサキさまたちだけでも……」
「ヒヨリ、ジュリ、聞きましたか? もう時間がありません」
「ミサキさまっ」
「お行きなさい。さ、これを持って。あ、落とさぬように」

ジュリが震える手で慎重に神箱を持ち、また深く低頭した。
ヒヨリも神箱に慌てて会釈し、続けてミサキにも深く頭を下げた。

「そ、それではミサキさま……」
「お行きなさい。後のことは心配せずに」

それでもまだ決心がつかぬ風のヒヨリの手を、ジュリが強く引っ張った。

「行くよ、ヒヨリ! ミサキさまっ、お達者で!」
「あなたも……ヒヨリもジュリも息災に」
「ミサキさま……」

滂沱の涙を流しつつ、その顔を振りたくったヒヨリは、その場から逃げるように裏口へ向かった。
ジュリも、後ろ髪を引かれる思いでそこから駆けだしていく。
その後ろ姿を見送ったユイがホッとしたような吐息を漏らした。

「……手間をかけさせおって」
「致し方ありません。でも……、よくわかってくれました。ヒヨリもジュリも、何とか無事にカマクラへ辿り着ける
ことでしょう」

その時、ばあんと大きな音がして扉が外れた。
とうとう敵兵が神聖なる神殿に乗り込んできたのだ。

「ミサキさまっ!」
「皆の者、覚悟はよろしいですね?」
「はい!」
「もう恐れるものは何もありません。敵に一泡吹かせてやりましょう」
「そうですよ。ヒノモトの武者巫女の武名を轟かせてやりましょう」
「その意気ですよ、一人十殺です。ユイ! 火をつけなさい」
「は!?」

ユイを除く全員が呆気にとられてミサキを見た。

「もはやここにはもう、護るべきものはありません。大社が焼けてもご神体さえ残れば……」
「わかりました!」
「行きますよ……、全員突撃!」

─────────────────────

「私は反対です」
「あたしも……あたしも反対! 絶対に反対!」

タマキの落ち着いた声に被り、トキワの悲鳴のような上擦った声が響く。
当のトモエは目を閉じ、やや俯いてじっと座っていた。
一番隊が取り敢えずの本拠としているミカワ・マサカド神社の分社は騒然としている。
こともあろうに女王軍は、トモエの投降を要求してきたのである。

確かに武者巫女は奮戦していた。
女王軍の被害のかなりの部分は彼女たちによってもたらされたものである。
だが、それにしたって多勢に無勢なのだ。
戦争前に再編成した武者巫女隊は、総勢でやっと300名ほどだった。
それが今では115名ほどに激減している。
キョウ攻防戦、そしてマサカド大社防衛戦で二番隊は壊滅した。
文字通り全滅したらしい。
噂では、ご神体だけはふたりの武者巫女に護られて、辛くも臨時首都のカマクラに辿り着いたようだった。
カマクラの三番隊が70名ほど。
そしてトモエ麾下の一番隊は45名にまで減っていた。

それでも、粘る巫女たちに業を煮やしたのか、その中心人物であるトモエの身柄を大陸軍は要求してきた。
それも残虐極まる手段で、だ。
女王軍は、防衛軍の壊滅した村を襲い、その村人たちを虐殺した。
それまでも、男は奴隷として捕らえ、女は凌辱されてはいたが、全員虐殺という行為に出たのは初めてだった。
加えて、捕虜にした兵たちも殺し始めたのである。
しかもそれを公開までした。
そして「武者巫女トモエを引き渡せ。さもなければ、これからも一般国民の虐殺を続け、捕虜も殺す」と宣言したのだった。

これだけでも充分に動揺と怒りを誘うものだったが、彼女たちを真に激怒させたのは捕獲した武者巫女への仕打ちだった。
基本的に武者巫女たちは降伏しなかった。
国や帝への忠義、マサカド大神への忠誠もあったが、それ以上に大陸軍の蛮行を恐れてのことだった。
女王軍がかつて仕掛けた南方戦役の惨状は、ヒノモトへも伝わっていた。
そこで行われた女王軍の悪行も知っている。
最終的に、戦役では女王軍は敗走に近い形で撤退したのであるが、領民は連れ帰っている。
連れて行かれた男は奴隷とされ、女は「戦利品」として慰み者となっていた。
それを知っているからこそ、ヒノモトの兵も武者巫女たちも熱狂的に死ぬまで戦ったのだ。
捕虜として生き残っても救いはない。

それでも若干の捕虜が出たのは、負傷し重傷を負って意識不明になる兵たちもいたからである。
従来の女王軍であれば、有益な情報をもたらす武将クラスの者はともかく、雑兵の負傷者などは放っておいたのある。
それが一転、捕虜を収容するようになった。
何かあると思っていた矢先のことだった。
彼らは、こともあろうに捕虜にした武者巫女を輪姦したのである。
それを中継までしたのだった。
見ていられなかった。
巫女が処女を失う、それも強姦という最悪の形でだ。

当然のように武者巫女たちは激発し、即座に決戦を挑むよう進言したが、トモエもタマキも否定した。
そうやってこちらをおびき出すつもりなのは明白だったからだ。
それでも武者巫女たちが動かぬと知ると、彼らはトモエの引き渡しを要求したのだった。
じっと沈思していたトモエが顔を上げた。

「……私がまいりましょう」

その声に反応したのが、先のタマキとトキワの言葉だったのだ。

「トモエさま、絶対にダメです! 罠に決まってます!」
「……」
「こればかりはトキワの言う通りです。私も反対します」

ふたりだけでなく、他の巫女たちからもトモエを引き留める声が上がっている。
トモエは落ち着いた声で言った。

「ですが、私が行くことでしか収まりがつきません」
「それはそうですけど……」
「このまま放置しておけば、彼らはさらに行動を過激化させるでしょう。そうなればサムライたちの士気や民の心まで
萎えてしまいます。さらに……」
「……私たち武者巫女たちへの不信感も湧いてくる、ということですね」
「その通りです、タマキ。なぜこの状況を放っておくのかと、民たちも黙っていないでしょう。理由はどうあれ、
武者巫女が……いいえ、私が逃げ回っているように見えます」
「そ、そんな! トモエさまが逃げるなんて……!」

トキワがたまりかねてそう叫んだ。
トモエ信者の彼女にとって、トモエへの侮辱は自分自身のそれよりも遥かに大きなウェイトを占めている。

「彼らもそれを知って、ああいうことを仕掛けているのでしょう」
「ひ、卑怯な……」
「ですから私が出るしかありません」
「トモエさま」

タマキが言った。
トモエよりもほっそりしていて、いかにも上品そうな瓜実顔の美人である。
トモエ同様、長い黒髪が自慢だったのに「戦いの邪魔になるから」と言って、戦争が始まると同時に、あっさりと肩口まで
切ってしまっている。

「私は、そうしたことすべてを理解している上で、敢えて反対申し上げます」
「タマキ……」
「よろしいですか、トモエさま。あなたは、あなたの存在価値がよくわかっておいででない」
「存在価値……ですか?」
「そうです」

タマキが小さく頷いた。
顔色がやや青ざめている。

「今やあなたは救国の希望なのです。何があっても死ぬことは許されません」
「ちょ……、あんた、タマキ!」
「黙って、トキワ」

あまりの言葉に、トキワがタマキを止めた。
逆はよくあるが、このパターンは初めてだ。
トモエの方は黙ってタマキの言葉に耳を傾けている。

「この戦乱の最中、ヒノモトを今現在支えているのは帝ではありません。恐れ多いことですが、マサカド大神でもない」
「……タマキ、言葉が過ぎますよ」
「申し訳ありません。不敬、非礼は承知の上です」

頭脳明晰の参謀はすっと頭を下げた。

「ですが、事実です。不敬ながら、帝が崩御なさっても、まだ後釜はおります。局長……いいえ、神主さまがお亡くなりに
なってもそれは同じでございます」

巫女達が静かにどよめいている。
無理もなかった。
とてもヒノモトの人間、そして神職や巫女とは思えぬ発言だったからだ。
トモエは目を閉じている。

「大社のご神体は、二番隊が決死の努力でカマクラへお運びしたことがわかっています。が、ご神体とて今は重要では
ありません。今大切なのはあなた、トモエさまなのです」
「タ、タマキ、いくらなんでもそれは……」
「ちょっと、あなたどうしたの!?」

あちこちから上がる声をタマキは無視した。

「冷静にお考えください、トモエさま。先ほど申し上げた通り、帝の血統はまだおります。神主さまがお亡くなりになった
としても……、もしそんなことになっても、トモエさま、あなたがおります」
「……」
「ご神体とて同じです。ご神体は信仰の象徴となってはおりますが、所詮はただのモノ。三種の神器とて、ただの古鏡に煤けた
宝珠、そして錆びた剣に過ぎません。そしてマサカドさまのご神体は古い御骨です。トモエさまも……、みんなも見たことが
あるでしょう?」
「……」
「偶像信仰の対象になっているだけなのです。そんなものの代わりはいくらでもあります。神器の代わりに別のモノを祀って
おいても、ご神体の代わりに他のモノを奉納していても変わらないんです。それが何だかわからなければ、人々はそれをご神体や
神器だと信じて支えにします。それが信仰というものでしょう。信じることが大切なのであって、対象物は何でもいいはずです」

どよめいていた巫女たちが黙りこくった。
各々、タマキの言葉を踏まえ、思いに耽っているのだろう。

「ですが、トモエさまだけは違います。帝や神主さま、ご神体と違って代わりがいないのです」
「それは違いますよ、タマキ」

しばらく黙って部下の言葉を聞いていたトモエが口を開いた。

「私が死んでもあなたがいるではありませんか。カマクラを護る三番隊のユリに任せてもいい」
「お言葉ながら、それは違います」

タマキはきっぱりと言った。

「武芸に秀で、あるいは軍師としてトモエさまよりも優れた者も出てくるやも知れません。ですが、あなたほどの指揮能力、
統率力、そして武術まで持ち合わせた者は武者巫女にもおりません。いいえ、そういった能力面だけの問題ではない。
あなたには人を惹きつける、引っ張っていくものがある。そうしたものは一朝一夕に出来るものではありません。
あなたにはその希有な才能があるのです。あなたは武者巫女の立場にとどまっているべきお人ではない。ヒノモトの中枢に
行くべき人なのです」
「……」
「ご自分の能力を過小評価なさってはなりません。あなたの存在こそが我々武者巫女……いいえ、ヒノモトを支えている、
拠り所になっていることをお忘れにならぬよう」

もう控えている武者巫女たちは声もなかった。
黙ってタマキの言葉を噛みしめている。
トモエが言った。

「……あなたの考えはよくわかりました、タマキ。さすがに一番隊の軍師です」
「……」
「あなたの言うことが正しいのかも知れません。ですが、ここは私の我が儘を通させていただこうと思っています」
「トモエさま……」

トモエは優しい笑みすら浮かべ、穏やかに言った。

「理屈の上ではタマキの言う通りかも知れません。ですけど、私はもうこれ以上耐えられない。私の評判などどうでもいいのです。
これ以上、私のせいで無辜の民や巫女たちがあのような目に遭うことだけは我慢できぬのです」
「……死ぬ気ですか、トモエさま」

タマキの低い声をトモエは否定した。

「そんなつもりはありませんよ。今まで黙っておりましたけど、実は私、神主さまにも同じことを言われております」
「同じこと?」
「ええ。「決して死ぬな」と。タマキと同じですね」

トモエはそう言って笑った。
暗い雰囲気がすうっと引いていく。
仄かに微笑み返したくなるような笑顔だった。

「それに、敵陣へ赴いても死ぬとは限りませんでしょう。戦いに行くわけではないのです。タマキの言うように、私がそれほどの
重要人物なのであれば、彼らが私を殺しでもすればヒノモトは収まりませんでしょう」

確かにそうである。

「それに、あの布告は女王アルドラの名で出ています。私は彼女と面識がありますが、私とは考え方に違いこそあれ誇り高い
方でした。投降を命じているのに、もし私をその途中で奸計を仕掛け、謀殺してしまうような者がいれば、決して女王は許さない
はずです。彼女の誇りに傷が付きますから」
「……」
「それに、今も言った通り、私はクイーンズブレイドでアルドラ女王に会ったことがあります。私は彼女に会い、話し合って
みるつもりでした。これは良い機会です」
「話し合う……ですって?」
「ええ。応じるかどうかはわかりませんけどね。やってみる価値はあるはずです。その際、話し合いがまとまるか決裂する
までは休戦するように申し入れてみます。……無駄かも知れませんが」

トモエの言葉の後、しばらく沈黙が場を覆っていた。
咳払いも衣擦れの音もない。
その静寂を破るようにトキワが言った。

「わかりました」
「え!?」
「ちょっとトキワ……!」

口々に驚きの声が出る。
トモエに心酔しているトキワは、絶対に最後まで反対するとみんな思っていたのだ。
トキワの伏せていた顔が上がった、
頬には涙が伝っている。

「あたしは……、あたしはトモエさまに憧れて巫女に、武者巫女になりました! トモエさまのご指示は絶対です。
ですから……、だからあたしはトモエさまのお言葉を信じます!」

参謀のタマキも、意を決したように言った。

「……そこまでお考えでしたら……、私としてはこれ以上何も申し上げることはありません」
「トキワ、タマキ、ありがとう」
「でもトモエさま!」

トキワが叫ぶ。

「絶対に……絶対に生きて帰って下さい! そしてまたあたしたちと一緒に……」

後の言葉は咽び泣きに消えていった。
あちこちから巫女たちのすすり泣くがしめやかに聞こえていた。

─────────────────────

ヒノモトへ上陸し、侵攻を始めた大陸軍は、各地で現地軍を撃破し、進撃を続けていた。
この小さな島国は、ついこのあいだまで激しい内乱が一世紀にわたって繰り広げられていただけあって、寡兵とはいえ慣れした
戦士が多く、思わぬ抵抗に遭うことも多かった。
しかし女王アルドラが率いてきた40万という圧倒的な兵力と、東洋にはない戦術によって、次第に占領地を拡げていった。

しかし、戦場が東へ向かえば向かうほどにヒノモト軍の抵抗は激しくなり、戦線があちこちで停滞することも多くなった。
極めつけはミカワと帝都キョウである。
ミカワ攻略はキョウ攻略の足がかり、地理的に有利にするための附帯作戦だったのだが、これが頓挫している。
今一歩でミカワ軍を打ち破れるところまでいったのだが、ここぞという時に武者巫女隊が加勢してきて、逆に押し返されて
しまった。
挙げ句、ミカワとオワリから撤兵せざるを得ないハメに陥っていた。
それだけに、帝都攻略はアルドラの意地とプライドを賭けた一戦となった。

これも、予想以上に防衛軍が粘っただけでなく、武者巫女隊が常駐していたようで、手酷い反撃を受けてしまった。
それでも辛うじて帝の宮殿と朝廷の朝堂院を陥落させ、幾多の犠牲を払ってマサカド神社の本宮も落とした。
その際、駐屯していた武者巫女隊を全滅に追い込んだのはいいが、投入した全兵力3万5千のうち、実に2万8千を失うこと
となってしまった。
死傷者2万8千のうち、どう少なく見積もっても1万3千は、わずか100名足らずの武者巫女隊に討ち取られたものと推定
されている。
ミサキが残兵たちに告げた「ひとり十殺」どころの話ではなかったのだ。

「ふむ。損害がバカにならぬな」

臨時の女王大本営は、キョウより先に落とした古都ナラにあった旧皇宮であった。
この奥深い一室──その昔、帝が謁見に使った部屋にアルドラはいた。
わざわざ大陸から持ってきたお気に入りの大きな、王家を象徴するような豪奢な椅子に腰掛けている。
右肘を肘掛けにつき、手の甲に軽く顎を乗せていた。
アルドラと闇契約し、彼女と同化している悪鬼デルモアもいる。

ハーフデーモンだった彼女は人間に受け入れてもらえず、幼い時代を放浪して過ごした。
その間に、たったひとりの肉親である妹と生き別れている。
その妹を探すための力が欲しいとして、堕天使デルモアと悪魔の契約をしたのだった。

異様な姿だった。
真っ黒な──というよりも限りなく黒に近いグレーの体色。
背中には悪魔の象徴のような、大きな六枚の醜い翼がある。
大柄なその肉体の真ん中に、真っ赤な亀裂が刻み込まれている。
その亀裂の隙間に、少女の姿をしたアルドラが挟み込まれているのである。
本来この不気味な姿は、完全にアルドラの意識が消え、デルモアが浸食し尽くした時に表す。
が、デルモアとの同化が長くなってくると、彼の意志とアルドラの意志によって、いつでもデルモアが実体を表せるよう
になっていった。
といっても、普通の人間がこれを見たら大抵は腰を抜かすので、この姿になるのは基本的にアルドラひとりの時だけだ。

悪魔の契約の代償からか、アルドラはデルモアと契約した8年前から肉体的成長が止まり、いつまでたっても少女の姿を
保っている。
その幼い姿はほとんど裸に近く、辛うじて胸と股間を隠しているビキニアーマーを着けているだけだ。
腕と脚だけは、ロンググローブとニーソックスを着けている。
特徴的なのは、その股間には、まるで男性器のように見える肉裂秘剣という武器がついていることだ。

顔にも右目を隠すようなマスクが覆っている。
右目が魔眼のせいである。
彼女の右目の一睨みで、あらゆるものは石化してしまう。
厄介なのは、アルドラ自身にもこの力をコントロール出来ないことで、彼女にそのつもりがなくとも、その目に見られた者
(あるいは物)はすべて石化してしまうことだ。
敵味方の区別はない。

魔眼には、相手の動きを封じるとか失神させてしまう能力もあるが、いずれにしても無害では済まないのだ。
これでは、いざという時にしか使い物にならず、アルドラは眼帯をすることでこの力を封じているのである。
但し、その眼帯はバイザーになっており、アルドラの意志でいつでも開放できる。

力を封じているという点では左手も同じだ。
その強力な魔力を抑えきれないため、わざわざ左腕を拘束し、背中で固定してしまっている。
それだけ彼女とデルモアの力が強大だということだろう。

『だね。これはやっぱ……』
「……武者巫女どもか」

デルモアの言葉に、少女は地図を見ながらうなずいた。
ヒノモト西側の各州はほとんど占領したが、ミカワ、ミノ以東への進撃が思うに任せず、足踏み状態になっている。
長期間に渡る遠征と連戦に次ぐ連戦。伸びきってきた兵站線により、補給も滞りがちになっている。
兵達の中には望郷の念を訴える者も多く、厭戦気分が漂い始めていた。
緒戦から華々しく勝ち進んでいた頃はまだしも、心身ともに疲労してきた上に戦況が思うように進まなくなってきて
からは、それが顕著になっている。

ガス抜きの意味で、占領地は基本的に占領した軍の好きにさせていた。
つまり、略奪や女性への暴行を認めていたということだ。
だが、それももう限界のようである。
新たな手立てを講じる必要があった。

かつてクイーンズブレイドでトモエを実際に見たことのあるアルドラは、武者巫女の強さはわかっているつもりだった。
だが、それも個体差はあろうし、所詮個人技だけで戦争は勝てぬ。
そう思っていたのだ。

ヒノモトは、精鋭の武者巫女をどう軍に組み込むかに苦慮した。
もともと彼女たちは兵隊ではないのだ。
個人技には優れるが集団戦には慣れていないし、軍人の中に混ぜるのも双方共に支障があるだろう。
だから、当初は武者巫女たちを各部隊に少数ずつ組み込んで、その部隊の切り札とする予定だったのだが、それはやめた。
武者巫女側からの要請も考慮し、彼女たちのみの部隊を編成することにしたのである。

開戦直前に武者巫女をかき集め、さらに適正のある巫女の中から新たに採用もした。
それでも総勢で300人ほどだったのだ。
各州に振り分けても、せいぜい5,6名ずつ。
これをさらに部隊毎に分散させてもあまり意味がない。
そこで武者巫女隊を組織し、3部隊編成したのだった。

総隊長にはトモエが就任し、一番隊の隊長も兼務。
他に二番隊、三番隊が編成され、局長やトモエが信頼する部下がそれぞれ隊長になった。
彼女たちは──特に一番隊はいわゆる「エース部隊」となったのである。

エース部隊とは何か。

突出して戦果を上げる兵がいる。
いわゆる「エース」だ。
彼はその部隊で重宝されるものの、そうした者に限って近寄りがたく、一匹狼的なことが多かった。
戦闘力は高いのだが気難しく、上官には扱いづらく、同僚たちも敬遠しがちだ。
孤立してしまうのである。
また、実績を上げているからといって昇進させ、武将にしても失敗することがある。
いかに個人的に強くとも、それは統率力とは無関係であり、指揮能力や人望とも関わりはないからだ。
意外だが、部隊のエースは持て余されることも多いのである。

そこで、そうした孤高のエース達ばかりを集めたエース部隊が編成されることがある。
実力はあるが、一癖も二癖もある連中を集め、それを激戦地に投入するのだ。
指揮官はこの暴れ馬たちを制御できるような実力者が必要だが、彼らは手綱を巧く引き絞れば、絶大な力を発揮するのも確かだ。
武者巫女隊は、このエース部隊となったのだ。
重要な前線が突破されそうになったり、要の拠点が落ちそうになったり、膠着状態で今一押しが必要な戦線に投入されたりして、
その局面を好転させることに使われたのである。
いわば戦場の火消し役だ。

これが効いた。
武者巫女の武名と名声は敵味方を問わず広まったのである。
女王軍は、武者巫女隊が来たとなると、大きく動揺し、慌てふためいて勝手に撤退することもあった。
逆にヒノモト軍は彼女たちが来援に来たと知ると、途端に士気が急上昇し、それまでの劣勢を跳ね返してしまうのだ。

手を焼いたアルドラは、いっそ自分が出撃してトモエと一騎打ちしようかとも思ったのだが、それはデルモアに止められた。
負けるとは思わないが、万一ということもある。
それにアルドラが留守の間に不測の事態が起こっても、無能な部下どもには対応できないだろう。
デルモアの言い分ももっともで、アルドラは引き下がざるを得なかった。
有能な部下がいない、誰も信じられないというのは独裁体制を布いていたツケである。
少女は感情のこもらぬ声で聞いた。

「……では、どうせよというのだ。あの女はかなりのものだ。まともに戦って勝てる者など、大陸でも限られている」

トモエとタメを張れるのは、クイーンズブレイドの上位者くらいだろう。
クローデットやカトレア、エキドナにレイナくらいものだ。
いずれもアルドラと袂を分かっているばかりか、クローデットは明確に反旗を翻している。
アルドラがヒノモト攻略を早めに終結せねばならないのは、それが原因でもある。
ヴァンス軍の有力部隊を率いる彼女たちは、女王軍の遠征が長引けば軍を動かし兼ねない。
そうはならぬよう、本国には抑えの部隊を残してはいるが、それが保険になっているかどうかは怪しいところだ。
最悪の場合、ヒノモトとヴァンス伯が結託し軍事同盟でも結んでしまえば、アルドラ軍は挟撃されることになってしまう。
それだけは避けねばならなかった。

『だからさ、やっぱ……』
「人質か。脅すしかないのか」
『そうさ。別に人質を取ることなんかないよ。捕まえてある捕虜でもいいし、支配した町や村の民たちでもいい。そいつらの
命と引き替えだと言えば、あの馬鹿正直な巫女はのこのこ出てくるさ』
「……」

躊躇というか、沈思している少女に、悪魔は囁きかける。

『何を躊躇うのさ。妹はどうするの。妹を探すためなんだろ? そのためには……』
「わかっている。妹のためなら何でもする。そう誓ったのだ」
『じゃあ、それしかないよ。いちばん手っ取り早い上に効果があるのは間違いないんだから』
「……いいだろう。そこで余とトモエが戦い、やつを殺せばいいのだな」

デルモアはアルドラの顔を覗き込むようにして言った。

『殺すだけなら、別に戦うことなんかないさ。不意打ちでもなんでもすればいい』
「……」
『……わかってる。でも、それはしたくないんだろ? 君は戦ってみたいんだ』
「そうかも知れぬ。だがその前に、帝の隠れ家やご神体とやらの隠し場所も吐かせねばな」
『……そうだね』
「帝を捕らえ、あるいは殺し、この国の連中が有り難がっているご神体とやらを破壊すれば……」
『それに、トモエの身柄をこっちが抑えたという事実は、連中の抗戦意欲を殺ぐだろうよ。実際はそっちの効果の方が
大きいと思うよ』
「そうだな」

悪魔に取り憑かれた少女は、直ちにヒノモト全国にその旨を布告したのだった。

─────────────────────

トモエがアルドラと面会したのは、決意表明の翌日のことである。
電光石火というべきだが、これはアルドラ側の思惑も働いている。
トモエが投降し次第、速やかに仮設本営に連絡し、傷一つつけることなく連れて来るようにと全軍へ通達が出ていたのだ。
このため、ややもすればアルドラの前に出るまでに謀殺されるのではないかというタマキたちの懸念は払拭された。
それどころか、投降者とは思えぬ丁重な扱いで本営へと引き渡されたのだった。

「……」

ふたりは、他に誰もいない広い女王公室で対峙していた。
デルモアは出ていない。
トモエは、アルドラにデルモアが取り憑いていることは知らない。
この時点では知られるべきではないということで引っ込んでいた。

アルドラは豪華に装飾された大きな椅子に腰掛け、足を組んでいる。
一方のトモエは立ったままである。
女王と敵軍の武将ということもあるし、そもそもアルドラは妹以外の人間──いや冥王だろうと天使長だろうと、対等には
見ていない。

トモエはすっと少女から視線を外す。
どうも真正面からは見られない気がする。
素肌のほとんどを露出するような服装で、隠しているのは胸に股間くらいのものだ。
特に困るのは股間である。
そこには武器でもある突起が突き出ているのだ。
トモエでなくとも、それを見れば男性器を連想してしまうだろう。
無言の数十秒後、女王の方が口を開いた。

「……ひさしいな、トモエ」
「おひさしぶりですね、アルドラ」

トモエはわざと「女王」を省いたのだが、アルドラの方はさして気にしていないようだ。

「この前のクイーンズブレイド以来か。息災だったようだな」
「……おかげさまで。ところで女王、私は腹の探り合いは好みません。単刀直入に申し上げます」
「そなたらしいな。何だ、申してみよ」
「私は今日、あなたと話し合うためにまいりました」
「ほう。ではトモエ、そなたがヒノモト代表として、余と交渉に来たということか?」
「いえ、そういうわけでは……。私は帝の代理というわけではありません」
「まあいい、それで話とは何だ」
「すぐに軍を引いて下さい」

トモエはきっぱりと言った。

「このような争いは双方にとって無益、いいえ有害でしかありません。あなたの言い分は理解しています。ですからヒノモトも妹御の
捜索に協力致します」
「それは戦争前にも聞いたな。余のために捜索隊を設け、国民にも妹を探すよう徹底する、と」
「……」
「有り難い申し出だが、生憎、余はそこまで気が長くはない」
「……」
「捜索隊? 一般国民が手伝うだと? 手ぬるいわ」
「では、どうしろと!」
「知れたこと。余の軍の駐屯を認めよ。我が軍がこのヒノモトを徹底的に捜索する。どこにいようと探し出す」
「ぐ、軍に探させる意味があるのですか!」
「万一、どこぞの不届き者が妹を拐かしている可能性もあろう。その場合は武力に物を言わせる」
「そのような者はヒノモトにはおりません!」

トモエの叫び声が静かな室内に轟いた。
その反響音が消えるのを見計らって、女王が言った。

「では尋ねるが、一ヶ月以内に探し出せるか?」
「一ヶ月ですか? 無理だと思いますが、では女王軍であれば一ヶ月で探し出せる保証でも?」
「ない。だが、ヒノモト独自に
一ヶ月探して見つからなかった場合、戦勝したあと今度は我が軍で同じことをやらねばならぬ。時間の無駄だと思わぬか?」
「……ヒノモトの地理はヒノモトの民がいちばん良く知っております。ヒノモトの民が探して見つからなければ、女王軍が探して
見つけられるはずがありません」
「無論、ヒノモトの人間の協力を得る必要はある。が、あくまで主導権は余が執る。それだけのことだ」
「……」
「つまり開戦前の回答と同じだ。オール・オア・ナッシングだ。余の命令に全面的に従うか、あるいは戦争になるか」

トモエはため息をついた。
彼女がクイーンズブレイド参戦の折りに大陸に渡った際、その会場でアルドラとは面会している。
その時アルドラは、女王になった経緯も、やはり妹を探すためだと述べていた。
その時とまったく変わっていない。
いや、それどころかさらに過激になっている気がする。
大陸内での内乱──南方戦役でも、女王軍の凶暴さ、狂気さは知れ渡っている。
その狂気の源は、やはりアルドラ女王本人なのだ。

「話はそれだけか? では余の話をさせてもらう」
「……どうぞ」
「余は間もなくヒノモト全土を手中に収める」
「……」
「その後、政府……朝廷と言ったな、それは解体する」
「……」
「そしてこの国の王……帝と申すのか、その帝は廃立させる」
「な……」

あまりのことにトモエは目を見開いた。
万世一系の皇を他国の人間が引き摺り落とす。
これほどの不敬が他にあろうか。

「何を言うのです! 無礼にも程があります!」

権力者の少女は、激怒したトモエを受け流し、さらに彼女を仰天させること言ってのけた。

「然る後、このヒノモトをそなた──トモエに治めてもらう」
「は!?」

トモエらしからぬ声が上がった。
この娘は何を言っているのだ。
怒る気にもならなかった。

「なんだその顔は。支配者になりたくはないか」
「そんなものに興味はありません。それに、私にそんなことは出来ません。適任者は他におりますし、そもそも帝が……」
「余を見くびるなよ、トモエ。そなたの実力や人望は、今やヒノモト随一だ。それくらいのことを余が見抜けぬと思うてか」
「……」
「トモエ、そなたもそう思っているのではないのか?」
「そんな、恐れ多い……」
「この国では謙譲が尊ばれると聞いているが、あまりにそれが過ぎると嫌みになるぞ。どちらにせよ、そのような考え方は
余には理解不能だがな」
「……」

トモエ自身、自分にそれほどの能力やカリスマがあるとは到底思っていない。
彼女には、すべての武者巫女がそうであるように、一生が修行であり、鍛錬なのだ。
そうするためには、常に「自分は未熟である」という認識が必要となる。
トモエもそうなのだった。
アルドラは続ける。

「トモエには余の名代となってもらい、このヒノモトを支配するのだ。無論、第一義の施策は余の妹捜索にある。それに
全精力を尽くせ」
「……私がその申し出を受けるとでも思うのですか」

トモエはアルドラを睨みつけるように言った。

「何度も申しております通り、あなたの妹の捜索は致します。それこそヒノモトが責任を持って。ですが、私がこの国を治めるなど
という戯れ言はやめていただきます。あくまで私は帝、そしてマサカド大神のもとで、あなたの妹を……」
「交渉決裂か」

アルドラは一言で片付けた。
完全に言い分を受け入れるか、さもなければ戦うか。
この姿勢から一歩も動く気はないようだった。

「……私をどうするつもりですか」

タダで帰れるとは思っていなかった。
どうあれ武者巫女は──そしてその頂点にいるトモエは、女王軍そしてアルドラにとって目の上の瘤なのだ。
取り込むことが出来なければ始末するに決まっている。
トモエもその覚悟はあった。
命がけの説得をして、それでだめなら死ぬかも知れない。
あわよくば、アルドラと一戦できれば、そして討ち取れば女王軍の統制が崩れる。
だが、当然のように会見前に愛刀は没収されていた。

「殺すのですか」
「そう思うか?」

アルドラは意外と冷静に答えた。

「そのようなことはせぬ。そなたが余と謁見していることは、我が軍はもちろんヒノモト軍も、そして領民も知っておろう。
ここで余がそなたを殺してしまえばヒノモトは収まるまい。あちこちでゲリラ戦を起こされる。厄介だろうな」
「……」
「余も、攻め込む前に八方手を尽くしてヒノモト中枢へ懐柔を図ったのだがな」

それが効果的だったのだ。
アルドラの誘いと恐喝に屈し、朝廷の重臣の一部や帝の側近の中にも、女王軍へ寝返る者がちらほら出てしまったのである。
このせいでヒノモトの国情や戦力を知られ、帝都のキョウまでの進撃を容易にさせてしまった。

「忍びの連中を手なずけたのも大きかったな。もっとも大きな甲魔を分裂させたのは重畳だった。道案内のつもりだったが、
奴らの技量はなかなかのものだ。役に立ったぞ」

ある意味、国の中枢を籠絡したことよりも、こっちの方がヒノモトにはダメージが大きかったかも知れない。
この国のもっとも優れた諜報員、特殊部隊を入手したに他ならないからだ。

もちろん全部の忍者がアルドラに就いたわけではない。
もともと帝支配に不満を持っていた忍びたちから唆したのである。
結果として、ヒノモト最大の忍び一族である甲魔流は分裂するハメになった。
そしてもう一方の雄である伊我流はそっくりアルドラ配下になってしまったのだ。
他の勢力である霧賀流、風雅流、戸隠流は誘いに応じなかったものの、ヒノモト忍者の半数以上は大陸軍に取り込まれてしまう
こととなった。

トモエは親友を思い出す。
甲魔の頭領だったシズカはどうしているだろう。
もちろんシズカはアルドラに取り込まれることなく、甲魔忍軍の残党を率いて頑強に抵抗している。
時折はトモエとも連絡を取り合っていたが、何しろ双方ともに全国を駆け巡って激戦を展開しているため、通信も途絶えがちだった。
最後に顔を見てからどれくらい経つだろうか。
トモエの思いに気づかぬ様子でアルドラは続けた。

「そなたは殺さぬ。ここでトモエが死ねば殉教者になるようなものだ。それこそ「トモエに続け」とばかりに、一層に抵抗は
激しくなるだろう。そのような無駄はしたくないな」

狂気に侵されつつも、こうした見方は冷静である。

「ではどうすると? 私があなたに従うとでも思っているのですか」
「いいや、そうは思わぬ。今のところはな」
「今のところ……?」
「いやでも余に従うようにしてくれる。殺すのではなく、生かして使うのだ。せいぜい覚悟するがいい」

アルドラがにやりと笑った。
少女とは思えぬ壮絶な笑みだった。



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