このところ夕食は毎夜のように白鳥につき合っているものの、昼食は本部に入っているレストランで摂ることが多い。
ひとりのことも多いが、白鳥の秘書役であるサリー・ルンと一緒に食べることもある。
今日は、通訳としていつも付き添ってくれるエミリー・イェンと一緒だった。
中国系の顔と言えば細い眼だと思っていたが(言うまでもなく美和子の偏見である)、エミリーはぱっちりとした大きな目をした美人だった。
日本人だと言っても誰も疑わない風貌で、メイクも垢抜けている。
年齢は25歳だそうだが、美和子よりよほど化粧慣れしていた。

最初はぎこちなかったものの、エミリーが屈託のない性格だったこともあって、今ではすっかり仲良くなっている。
階級は警長というのだそうで、白鳥の説明によると日本で言えば巡査部長あたりになるらしい。
エミリーの方も、美和子のことを「日本から来る優秀な女性警察官」と聞かされていたようで、かなり疎ましく思っていたのだそうだ。
ところが、美和子には鼻持ちならぬエリート意識がまるで感じられず、かえってエミリーを敬うような素振りを見せたので、すっかり気を許してくれたらしい。
普段はここで食事を摂ることはあまりなく、気軽にマクドナルドや点心で外食するのだそうだ。
時間がなかったり面倒になった時などはここで済ませるのだと言ってエミリーは笑った。
そのエミリーは中国粥を食べている。
日本の粥とは違って、米はどろどろになるくらいに煮込んでいる。
最近少し食べ過ぎだと思ったので軽く済ませると言っていたが、具にピータンや豚肉が乗っているし量もそれなりにあるので、これではあまりダイエット効果はないなと美和子は苦笑した。
その美和子は担々麺を啜っている。
美和子の方は、武緒や由美からうらやましがられるくらい、どれだけ食べても太らない体質のようで、食事には無頓着であった。
ふたりとも食事を終えてお茶を飲みながら談笑していると、美和子の携帯が鳴った。

「あ、彼氏?」

と、エミリーがやや怪しげな発音の日本語でからかう。
美和子は笑って「違うわよ」と言いながら電話に出た。
由美のようである。
席を立つエミリーに手を振りながら、由美と他愛ない話をした。
ひさびさの友人との会話はやはりホッとする。

─美和子、こないだ帰ってたんだって? 全然、連絡くれないんだもん。

「ごめん、でも時間なかったのよ。日帰りではなかったけど、日本へ帰った翌日の朝いちばんの飛行機でとんぼ返りだから」

─あら、そう。ふうん、そんなに高木くんに会いたかったのぉ?

クスクス笑いながら美和子をからかう由美の口調は昔のままだ。
いじられてるなと苦笑しながらも、由美が以前の明るい彼女に戻りつつあることに美和子はホッとしていた。

「そんなんじゃないって。報告があったり提出書類もあったから……」

─へー。でも会ったんでしょ、高木くんと。

「そんな時間ないわよ」

美和子は平然とウソをついた。
「会ったわよ」と白状したなら「そんな短い時間なのにわざわざ会うなんてラブラブねー」だの「まあまあ、お熱いことで」と余計にからかわれるのが目に見えているからだ。

─あ、ホントなんだ。高木くんを問い詰めたんだけど、やっぱ「会ってない」って言ってたし。

そうなのか。
由美に追求されれば、高木のことだからあっさり自白すると思っていたのに意外だった。
まあ、彼にしても照れくさかったのかも知れない。
その後に返ってきた由美の言葉は美和子に軽い衝撃を与えた。

─どんなに忙しいか知らないけどさ、あんまり恋人放っておくもんじゃないわよ。浮気されたって知らないから。

「あら、心配してくれてありがとう。でも高木くんは……」

─「そんな人じゃない」? 信用してるんだー。

「……何よ、その思わせぶりな言い方」

─どーしよっかなー。

由美は、心配しているというよりも半ばからかっている口調で言う。

─実はねー、彼、気になる人が出来てるんじゃないかなって、私、思うわけ。

「高木くんに?」

美和子はプッと吹き出した。
恋人のことを悪く言うつもりはないが、彼はモテるタイプではないと思う。
実際、美和子とつき合う以前には浮いた話ひとつなかった。
つき合っている美和子にしたところで、高木からのアプローチがなければ「単なる同僚」のまま終わっていた可能性が高いと思う。
由美は少し怒ったように言った。

─……過小評価し過ぎよ、美和子。高木くん、そんなにモテないと思う?

「どういうこと?」

─まあ、彼はああいう人だから自分から積極的にはあまり行かないと思うけどさ、逆に言い寄られたらけっこう押し寄られちゃうタイプじゃないかな。

美和子は眉をひそめた。

「高木くんが? 誰かに言い寄られてるって言うの?」

─んーー……。

「なによ、もったいぶってないで言いなさいよ」

柄にもなく、美和子は少し焦っていた。
高木はそんなにはモテないと思うし、自分から言い寄るようなタイプでもない。
しかし、まったく女性が相手にしないほどの男でもないのだ。
事実、美和子だって入庁後の高木はともかく、学生時代の彼のことはほとんど知らないのである。
高校、大学時代に恋人のひとりやふたりいたって不思議なことではないだろう。

─あのさ、美和子が今まで一緒につるんでた子、いるじゃない。所轄から来た……

「辻本さんのこと? つるんでたって何よ。私は指導役として目暮警部から頼まれ……」

─そんなことはどうでもいいのよ。その辻本さん。彼女、今は高木くんと一緒なんでしょ?

「……そうよ。私が帰るまでの間は高木くんが辻本さんの教育役としてペアを組んでるわ」

美和子は少し声を尖らせた。
由美は高木だけでなく、可愛い後輩である夏実まで疑っているのか。

─仕事上のペアだけなら何も問題なんかないわよ。でもね、今、こっちでけっこう噂になってんだから、あのふたり。

「……」

高木と夏実の仲が噂になっている?

あり得ない。

ふたりともそんなタイプではないし、両者ともに美和子を慕ってくれているのだ。
その美和子を最悪の形で裏切るようなことが出来るはずがない。
美和子は出来るだけ冷静にそう伝えると、さすがに由美も少し言葉に詰まった。

─……そう……よね。私もそう思うんだけど……。

「だけど?」

─一部でそういう噂があるのは事実なの。私も、一度だけ高木くんと辻本さんが一緒に帰ってるのを見たことあるし。

「……」

一緒に庁舎を出ることがあったっておかしくはない。
高木が先輩らしいところを見せて、たまには夏実に食事を驕るくらいのことだってあるだろう。
おかしなことではないのだが、仮にそういうことがあったとしたら、やはり美和子は複雑ではある。
愛する男が自分の知らないうちに別の女と出かけていれば、妬心の湧かぬ方がおかしい。
相手を信頼する、しないの問題ではないのだ。

─一緒にご飯に行くくらいあったって不思議じゃないけどさ。でも……、なんつーか、けっこうあのふたり、仲が良さそうには見えるんだよね。

「……けっこうなことじゃないの」

─あなたがそう言うんならそれでいいんだけど……。まあ、確かに高木くんに美和子を裏切るような度胸があるとは思えないわよね。

「そうよ。でも……、そういう噂らしいのは……」

─あるわね。でも、それもやっかみ半分かも知れないよ。

それはあるだろう。
美和子に続いて夏実という美人まで高木がペアを組むというのは面白くない、と思う独身刑事がいても不思議ではない。
警察官とは言え人間であり、男なのだ。
感情はあるのだから、そういう見方をする、あるいは故意にそうした噂を流すような者もいるだろう。
結局、最後には由美が「つまらないこと言ってごめん」と謝ってその場は済んだのだが、美和子にも何となく引っかかるところがあった。
そのモヤモヤはなかなか消えず、いつまでも彼女の心の片隅で燻っていた。

────────────────────────

少し残業となり、後片付けを終えるともう午後8時近かった。

「……」

バッグを携えた美和子は、席から立ち上がると軽く伸びをした。
白鳥は自分のデスクの横に立って鞄から小さな白い袋を取り出している。
何だろうと思っていると、医者の処方箋を受けた薬か何からしい。

「どうしたの? 風邪? なら、今日は早く帰って休んだら?」
「……ご心配どうも。風邪なんかじゃありませんよ」

白鳥はカプセル錠を手のひらに転がして、しばらくそれを見つめていたが、美和子の視線に気づくと口に放り込んだ。
デスクにあったペットボトルのミネラルウォーターでそれを飲み下すとニコリと笑った。

「ビタミン剤のようなものです。気になさらずに」
「……別に心配なんかしてないわ。じゃあ、今日も行くの?」
「もちろん。今日はどうしましょうか、イタリア料理はいかがです?」
「……どこでもいいわ。先に地下の駐車場に行ってるわね。一緒に帰るところ、人に見られたくないから」
「……」

それを聞くと、白鳥はフッと小さなため息を漏らした。
そしてあることに気づくと、小さな声で尋ねた。

「チョーク、つけてくれないんですね」
「……要らないって言ったのに。捨てたわよ、悪いけど」

美和子は出来るだけ冷たくそう言い捨てた。

美和子は早足で廊下を進み、女子トイレに入った。
鏡の前に立ち、軽く化粧直しをしてみる。
もともと美和子はあまりメイクに重きを置いていないが、それでも女性であるし、年齢も年齢だ。
スッピンなわけはなく、ちゃんとナチュラルメイクは施している。

と言ってもごく簡単なもので、ベースを作ったらもうリップを塗り始める。
基本的に目元はいじらない。
アイラインは引かないし、シャドウも使わない。
たまにブロウで眉を作ることはあるが、その程度である。
あとはリップを引いてチークを入れ、仕上げにフェイスパウダーを叩くくらいだ。

何しろ肌が白くきめ細やかで綺麗なものだから、余計なものを付ける意味がないのだ。
そういう方面ではがさつな美和子にとっては有り難い体質だと言えるだろう。
美和子はバッグからリップを取り出し、さっと唇の上をなぞった。
その時、水洗の音がして個室から誰か出てきた。

「あ、佐藤サン」
「あら、びっくりした。サリー、まだ帰ってなかったの?」

個室からニッコリ笑って出てきたのは白鳥の秘書役をやっているエミリー・イェン警長だった。

「はい。仕事、長引いて。佐藤サンみたいにテキパキ出来ないです」

日本人の秘書をやるくらいだから日本語もいけるはずだが、まだまだ辿々しい。
やはり発音は難しいらしく、こちらが言っていることは理解してくれてるし、現地語も確実に翻訳はしてくれるが、喋るとなるとまだ思うようにはいかないようだ。
それでも仮名文字くらいはみんな読めるし、日本漢字も常用漢字くらいは読めるのだそうだ。
日本語の新聞だって読めるというのだから大したものだ。
エミリーは綺麗な顔で美和子を覗き込む。

「あ、デート?」
「えっ……?」

美和子は少し驚いたような声を出した。
確かに、仕事の後に鏡の前で化粧直しをしていれば誰だってデートだと思うかも知れない。
サリーは無邪気に笑顔を浮かべながら、興味深そうに美和子を見ている。
そして嬉しそうに言った。

「実は私もなんです。今日、好きな人と会います」
「あらまあ、それはそれは……。でも私は別にデートなんかじゃ……」
「またまた。知ってますよ、みんな」
「みんなって……?」
「あ、遅れちゃう」

サリーは腕時計を見て少し慌てていた。
どうやらもうすぐ約束の時間らしい。

「じゃあね。白鳥警視によろしく」
「え……、どうして白鳥くんなの……?」

美和子の返事に、サリーは思いっ切り怪訝な表情を見せた。

「違うの?」
「あ……、その……」

言葉を濁していると、サリーはクリクリとよく動く目で美和子をじっと見てくる。

「だってみんな言ってますよ、白鳥サンと佐藤サン、つき合ってる。恋人同士だって」
「え……」

美和子は唖然とした。

なるべく白鳥との関係は知られまいとしてきたのだが、もうみんな既知だったようだ。
しかし言われてみれば当然かも知れない。
いくら部屋を出る時間をずらしてみても、結局、駐車場で待ち合わせているのだ。
本部の署員や職員みんなが使う駐車場なのだから、白鳥のクルマの助手席に座っている美和子を目撃した人間がいても不思議はなかった。
たまにタクシーで出かけることもあったが、ほぼ毎日のことなのだから複数の人間に見られてもおかしくはないし、中には何度も見ている人もいるだろう。
迂闊と言えば迂闊だった。

それにしてもエミリーたちにそういう目で見られているという事実は意外であり、ショックでもあった。
なぜなら、美和子自身には「デート」という認識がほとんどなかったからである。
白鳥は当然デートだと思っているだろうし、周囲もそう見ていたのだろうが、美和子の方は本当にそんな浮ついた気持ちはなかったのだ。
そもそも白鳥なんかとイヤイヤつき合っているも、例のビデオの件があって、彼の誘いを断れないからだ。

美和子はそう思っていたのだが、考えてみるとそうでもないのだ。
あの最初の時以来、白鳥はビデオをタネに美和子の行動を縛ろうとしたことはなかった。
口に出してこそいないが、言わずもがなの脅迫だと言えばその通りかも知れない。
ただ、白鳥はプレイの一環として美和子を辱めるためにビデオの中のことを口にすることはあっても、食事やベッドへ強引に誘うためにその話を持ち出したことは確かにないのだ。
なのに、仕事上のつき合いがあるからとはいえ、美和子は毎日のように白鳥と夜を過ごしているのである。
これでは、周囲からすれば「イヤイヤ」つき合っているのではなく「イチャイチャ」つき合っているように見えてもおかしくはない。

しかも美和子は階級が上のはずの白鳥を「くん」づけで呼んでいる。
同僚だった頃は同い年ということもあって、自然にそう呼んでいた。
白鳥もそう呼ばれることを気にしていなかったので、美和子も特に気にしなかったのだ。

だが警察という階級社会の中ではそんなことは許されない。
だから美和子もプライベート以外では「白鳥警視」と呼んでいたつもりだったのに、いつの間にか「くん」づけになっていた。
これではふたりの関係を周囲が疑ってもおかしくない。

そのことに気づいて美和子は愕然とした。
断ればいいのだ。
ダメで元々のつもりで一度拒否してみればいいだけだ。
その上で白鳥がビデオの件を持ち出してくれば、それはもう明らかに脅迫による強制であり、美和子は被害者である。

しかしそれがなければ、もう加害者、被害者の区別など消し飛んでしまう。
美和子は薄々そのことに気づいていたのかも知れなかった。
それなのに断れなかった、いや、断ろうとしなかったのだ。
その理由がなぜなのか。
美和子はそれを考えるのが怖かった。
なし崩しで白鳥とセックスしてしまい、官能の頂点を何度も極めた後の気怠い虚脱感。
気まずいまま白鳥の部屋を後にし、翌朝まで嫌悪感と罪悪感に苛まれるのだが、それが仕事でリセットされてしまう。
そしてまた、いつものように白鳥の誘いに応じている自分がいる。

いつの間にかエミリーは出て行ってしまっており、美和子はトイレの中でぽつんとひとり残されていた。

────────────────────────

トイレでの一件もあり、その日の「デート」はいつもにも増してやりにくかった。
しかしぎこちなかったのは最初だけで、次第に美和子はいつものように白鳥の話術に引き込まれていった。
日本にいる当時、そして香港に来てからも、美和子の白鳥への評価は「変人」であり「気障」だった。
美和子は自分の美貌にも無頓着なくらいだから、異性に対しても外見や外面の良さというのはほとんど気にしなかった。
自分もそうされたいと思っていたから、相手に対しても内面重視だった。
だからこそ高木の思いに応えたわけだし、白鳥は興味対象外だったのだ。

しかし、こうして白鳥と「つき合う」ようになって気づいたのだが、どうもそれは見方が浅かったようだ。
ここに高木がいればともかく──そうでなくとも他に比較対象になる男性がいればまだしも、美和子の周囲にいる日本人の男は白鳥だけなのだ。
どうしても彼を意識するようになる。
もちろん関心を持つにしても、つき合ってみようとか恋人としていいかも、などということはない。
あくまで「もと同僚」「同い年」「日本人同士」という以上のものではなかった。

しかし、人というものは近くで暮らせば憎めなくなっていくものだ。
日々会話を交わし、食事を共にするようになれば、それまで気づかなかった良さや相手の気持ちも知ることが出来る。
今の美和子と白鳥の関係がまさにそうだったのだ。
白鳥の話術も巧みで、美和子がさほど気乗りしていない様子でも気にせず、いかにも彼女の興味を引きそうな話題を選んで口にする。
レディ・ファーストという意味で紳士だし、気配りや配慮も忘れない。

(高木くんとは全然違うわね……)

白鳥には美和子にそう思わせる魅力が確かにあったのだった。
この日はイタリア料理店へ連れて行かれたが、おいしい食事も美和子の心を解きほぐし、場の雰囲気に馴染ませるのに役立っている。
素っ気ない生返事しかしていなかった美和子なのに、いつしか彼の話に引き込まれていた。
ここ香港での美和子の数少ない友人であるエミリーや、仲が良くなりつつあったサリーのことを話題に出されたのである。
これが単にうわさ話程度であれば乗らなかっただろう。
美和子は基本的に他人の悪口を言ったりしないし、聞くのもイヤだと思っていた。
だから白鳥が噂レベルでの誹謗中傷や憶測などで彼女たちのことを悪く言えば、途端に機嫌を悪くしただろう。
そうではなく、日頃美和子が疑問に思っていそうなことを振ったのである。

ディナーのコースはメインへ移り、白鳥は旺盛な食欲を見せてTボーンステーキを器用に切り分け、頬張っている。

「佐藤さんと仲が良いエミリーも良い子ですよね」
「そうね。何て言うか裏表がないのよ、あの子。私もあんまり気を遣わないで済むの」
「でしょうね。秘書をしてもらってるサリーなんかは、まだちょっと僕に警戒してますね」
「そう? でもそれは白鳥くんが日本警察で階級が高いってこと知ってるからじゃないの? 誰だって上役にはそうなるわよ」
「そうですかねえ。だって佐藤さんは僕をそんな風に思ってます?」
「私は白鳥くんと一緒に仕事したりしたもの。大体はどんな人か知ってるし。ああ、そう言えばエミリーの名前って『甄翠珊』って言うんだけど……」

美和子は彼女のIDカードに書かれていた名前を思い浮かべる。

「これのどこに『エミリー』って入ってるの?」
「ああ、英名ですね」

白鳥は小さく頷いた。
美和子はピカタのソースをロゼッタで掬い取りながら食べている。
軽く唇をナプキンで拭いてから白鳥が言った。

「中国名には入ってませんね」
「え、じゃあ本名じゃないの?」
「いえいえ本名ですよ。戸籍にも「エミリー」とあるはずです」
「どういうこと?」
「ここ香港はですね、身分証明書の中で中国名とともに英名も登録できるんですよ。無論、なくても構いませんけどね」
「……じゃあ芸名っていうか、そういうやつ?」
「……とも違うかなあ。両親や名付け親が英名をつけることもありますが、例えば学校の先生が授業……英語の授業ですね、その時に自分でつけてくださいって言うこともある」
「勝手に、って……、そんないい加減な」
「そんなもんですよ。まあ勝手に名乗ってもいいんですが、そっちは本名とは違います。親御さんがつけてくれた場合は本名で通るんですが、どっちにしても戸籍に載せることは可能なんです」

白鳥も苦笑しながら説明している。

「いい加減と言えばいい加減ですね。まあ実際の話、ここはもともとイギリスの統治領でしたから、日常の親しい地元の人たち同士ならともかく、仕事の時や役所なんかはイギリス人が相手になることが多いわけです。つまり公用語は英語だったんですね、事実上」
「それは知ってるけど……。でも、だからと言って好き勝手に命名するっていうのもね」

真面目な美和子らしい反応に、白鳥も笑う。

「そうなんですけど、今も言いましたが、ここはイギリス領でした。支配層はイギリス人だったわけで、彼らは北京語なんてほとんど理解しませんし、しようともしなかった。そんな連中にとって現地語の名前なんてチンプンカンプンですよ。困るのはイギリス人だけでじゃなくて香港の人も同じですから、結局、イギリス人が呼びやすくなるようにニックネーム感覚で英名を名乗るようになったんだそうです」
「へえ……」
「それが今に繋がってるんですね。もちろん今はイギリス領じゃありませんけども、慣習として、あるいはファッション感覚で、今でも多くの香港人は英名を持つようになったんです。成り立ちがニックネーム感覚ですから、その名前自体に意味はないことがほとんどです。だから気軽に英名をつけるんですね」
「なるほどねえ……」

白鳥もステーキソースをロゼッタにつけて食べながら、ワインを自分と美和子のグラスに注ぐ。

「何も英名に拘ることはないですよ。香港ではね、日本名をつけることが流行ったこともあるんですよ。だから英名代わりに日本名の「ミユキ」だとか「ケイコ」だとか「マユミ」なんてミドルネームをつけてる子もいます。確か「ユミコ」何とかって言う女優だかモデルだかもいましたよ」
「ふうん……」
「ですから、もし佐藤さんが香港に永住する気になって身分証明書を作る時も英名をつけられるんですよ」
「え、そうなの?」
「はい。戸籍に……そうだな、例えば「satou maria miwako」と登録してしまえば、明日から佐藤さんは「マリア」って呼ばれるようになりますよ」
「まあ」

美和子は白鳥と顔を見合わせて笑った。
白鳥は会話のセンスが良く、女性が喜ぶような話題や話し方をする。
それを美和子は「気障」と捉えていたのだが、だんだんと好ましく思えてきていた。
「気障」という印象が薄くなり、「洗練された男らしさ」と見直している。
少なくとも、日常に於ける白鳥に関しての嫌悪感や疎ましさはほとんど消え去っていた。

────────────────────────

仲の良いエミリーの指摘はショックだったものの、それでも美和子は白鳥に抱かれていた。
無論、脅しはなかったし、美和子の方も拒絶しなかった。二次会の日本風居酒屋で飲んだ後、白鳥が酔い覚ましをするということで彼のクルマの中に美和子も残ったのだが、その時に抱かれたのだった。
今思えば「だったらタクシーで帰る」と言えばよかったのに、なぜかそう言えず、白鳥に勧められるままに彼の隣のシートに身を沈めていた。

「んっ……ああっ!」

美和子は、倒した運転席で仰向けになった白鳥の上に跨っていた。
白鳥はスラックスとトランクスを膝まで下ろし、ワイシャツの胸をはだけている。
自分からそうしたのではなく、彼の胸に両手を乗せている美和子が前ボタンを外したのだ。
手のひらで白鳥の胸板の感触を得たかったのかも知れない。
ストッキングと下着は脱ぎ去り、タイトスカートを捲り上げた格好で白鳥に貫かれていた。

「あっ、あっ……ふ、深いっ……ああ……」

濡れた肉を割って、太いペニスがずぶずぶと侵入していくと、美和子は甲高く喘いだ。
そのまま奥まで侵入し、子宮口に届かされた瞬間、膣の内壁がきゅうっと収縮した。

「お、お腹に、ああ……お腹に響く……ズンッて来てすごいの……あうっ」

安全なホテルの部屋ではなく、外で抱かれている。
外と言っても車中ではあるが、外から見ようと思えば見られてしまうことに変わりはなかった。
見られてしまうかも知れないと思うと、ゾクゾクするような快感が身体の芯からこみ上げてくる。
こんな状況で抱かれているという恥辱、見られてしまったことを想像しての羞恥が美和子の心を官能の炎で炙っていた。

初めてのカー・セックスということもあり、美和子は異様なほどに燃え上がっていた。
過去に彼女を凌辱した連中は、どうしたわけか露出趣味の者はいなかったようで、外に連れ出されて犯されるということはなかった。
それだけに、己の恥ずかしい媚態を不特定多数に見られてしまう可能性を思うだけで、こんなに感じてしまうとは思わなかった。
新たな性癖を探り当てられ、美和子は熱い蜜を滴らせながら積極的に動いてしまう。

「中が広がるっ……ああ、おっきい……くっ……いっ……」

媚肉に収まって奥まで貫き、また抜き去られるペニスを存分に感じ取ろうと、自分から腰をくねらせている。
それどころか、美和子自身が上下に動き、ピストン運動していたのだ。

「気持ち良さそうですね、佐藤さん。いい声だ」
「やっ、そんなこと……あうう……あくっ……いっ……」
「「いい」って言ってくださいよ、ほら」
「だ、だめ、いっ……はああっ……あ、あう……」

長大な怒張がずぶずぶと収まり、狭い膣道にミチミチに詰まっている。
僅かな隙間に熱い愛液が通り、肉棒の動きをスムーズにさせている。
白鳥は美和子に動かせるだけでなく自分でもぐりっ、ぐりっと円を描くように腰を使っていった。

「な、中が全部広がってる……ああ、全部拡げて、んんっ、お、奥まで来て、ああ……お、お腹の奥に当たって……ああっ……」

子宮付近から愛液がわき出しているのを白鳥はペニスで確認している。
もともと濡れやすい美和子だったが、今日はいつも以上に蜜を溢れ出させている。
スラックスは下ろしているが、いつ愛液が脚を伝って汚してしまうかわからなかった。
それ以前に、美和子の股間にくっついた腿はべとべとで、そこから垂れた愛液がシートのクッションをすっかり湿らせてしまっている。

「どうです、高木と比べて僕のは奥まで届くでしょう」
「くっ……、た、高木くんのことは……ああっ」
「硬さも太さも僕の方が……」
「しっ、知らない……いっ……いあっ……やはあっ! い、いきなりそんな強くっ!」

美和子の子宮口がペニスの先端で突き上げられ、美和子の裸身が大きく跳ねた。
さらにカリでゴリゴリと膣襞をこそぎながら引き抜いたかと思うと、今度は収縮する膣内へ思い切り突き込んでやる。
たまらず美和子はあられもなく喘いだ。

「だめ、激しいっ! そ、そんなにされたら私っ……くっ、が、我慢できなくなるっ……」
「何が我慢出来ないんです? いきそうなんですか?」
「やっ、そんな……いあっ……」
「いっていいですよ。くく、そんな大きな声でよがると外に聞こえるかも」
「っ……!」
「深夜の地下駐車場とは言え、誰も来ないとは限りませんからね」

美和子は慌てて喘ぐ口を手で塞いだ。
なのに白鳥の腰は意地悪く動き、なおも美和子に甘い声を上げさせようと突き上げてくる。
美和子は拳を作った手で口を押さえ、人差し指を噛んで声を堪えようとするが、どうしても喘ぎが止まらない。

「んんっ……くっ、だめっ……いっ……あぐっ、深いっ……奥、すごっ……ああっ」

声を出せば人に聞かれる。外から痴態を見られてしまうかも知れない。
被虐の官能は恋人への背徳感と知人に犯される屈辱感、そして「見られるかも」という羞恥心を取り込んで、美しい女刑事の肉体をいつも以上に燃え立たせていた。
白鳥の腰の激しい動きにつれて美和子の身体が跳ね動く。
両者の動くリズムによって車体がギシギシと大きく軋んだ。
腰が上下するたびに蠱惑的に揺れ動く大きな乳房を掴まれ、強く揉み込まれて、美和子は仰け反って喘ぎ声を放つ。

「あはあっ、いああっ……いっ……うんっ……くあっ……」

しつこいほどに子宮を責められ続け、完全に火が着いた肉体を持て余した美和子は大きく身悶え、淫らに尻を振った。
汗にまみれた白い身体がほんのりと赤く染まり、何度も激しく腰を揺さぶっている。
白鳥の胸に突いた手がぎゅっと強く握られ、腿に鳥肌が立っていく。

「あっ、ああっ……も、もうっ……」
「いきそうですか?」
「やっ、そんな……ふああっ……だめよ、もうっ……わ、私っ……ああっ!」

今までのない燃え方の美和子に煽られ、白鳥も達しようとさらに激しく腰を打ち込んでいく。
寝そべっていた上半身を上げて対面座位になると、両手で美和子の大きな尻肉をがっしりと抱え込んだ。
そして自分へ引き込むようにして強く腰を使い、腰同士をぶつけ合っていく。
最深部まで強烈な突き込みを叩き込まれ、美和子はたちまち絶息したようなよがり声を口にして絶頂した。

「いあああっ、だめえっっ……い、いく……いっく……ううんっ!!」
「くっ……!」

初めて恥ずかしい言葉を吐いた美和子の膣が思い切り締め上げられると、白鳥もたまらず射精した。
しっかりと子宮口に亀頭を食い込ませ、思う存分精液を放った。
子宮内部を熱い精液で穢される感覚に、美和子は背中を弓なりにして仰け反り、大きく痙攣した。

「はああっ……、いや、出てる……奥に、ああ……」

膣口が白鳥のものをきつく締め上げて精液を絞り取っている。
それだけでなく子宮口までが、捻り込ませた亀頭を締めつけて射精を促していた。
美和子の収縮に合わせて白鳥が腰を振り、ペニスを胎内で暴れさせている。

「あ……あ……」

美和子はまだ小さく痙攣しており、子宮で弾けている白鳥の精液の感触で恍惚としていた。
美和子はもう失神寸前だが、媚肉だけは別の生き物のように蠢き、なおも精液を絞っている。
ビュクビュクと射精の発作が続いている間中、美和子は身を震わせて喘いでいたが、ようやく精液が尽きたと知ると、がっくりと男の胸の上に倒れ込んだ。
汗に染まった胸板に漂う白鳥の匂いが美和子の鼻腔を擽る。
官能に染まった美女の表情を間近に見て我慢しきれなくなり、白鳥は美和子の髪を掴むと乱暴にその唇を奪った。

「キ、キスは……んむっ」

もはや振り払う気力もなく、美和子は白鳥を受け入れた。
彼の舌が唇をこじ開け、閉じた前歯やその歯茎を舐めてくると、美和子はとうとう咥内を許した。
薄く開けた口から白鳥の舌が侵入し、美和子の咥内を犯していく。
自分から吸い付くことはなかったものの、美和子はその甘い舌先を白鳥に存分に吸わせていた。

「ん……んむ……むむ……ちゅっ……んんんっ……じゅっ……」

(だ、だめ……。力が……入らない……)

どうしても美和子は白鳥をはね除けられなかった。
激しく気をやったばかりで体力も気力も潰えていたこともあるが、精神的に屈してしまっていたのかも知れない。
白鳥を突き放すどころか、自らしがみつかないようにしているだけで精一杯だった。

長い長いキスを終えると、美和子は「ああ……」と力なく呻いた。
白鳥の上に倒れ込み、その胸に頬をつけるような格好でぐったりしている。
彼の手が背中や両肩を抱いていた。
美和子が虚ろな口調で言った。

「キス……したいのなら……」
「ん?」
「キスしたいなら……タバコをやめて……。せめて本数を減らして……」


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