少し遅くなってしまった。
部活の練習後、着替えている時に部員たちとの話が盛り上がってしまい、ファストフード店でついつい話し込んでしまったのだ。
蘭にしては珍しかったが、こういう機会がないと同級生はともかく後輩の下級生の話をじっくり聞くことも出来ないと思ったからだ。

それにしても少し時間を食いすぎた。
街灯の下で腕時計を確認すると、もう午後8時に近い。
小五郎には「遅れるかも」と携帯を入れておいたが、さすがに心配しているだろう。
夕飯は店屋物でも取ってと言っておいたが、父親は不機嫌そうに「待ってる」と言っていた。
遅くなると言っても7時くらいには帰ると思っていたのだろう。
勝手に出前でもとって食べていてくれればいいが、そうでなければ空きっ腹を抱えて憮然としているに違いない。
その不機嫌そうな顔を思い浮かべて蘭はクスリと笑いながら、歩みも自然と足早となる。

その時である。
突然に後ろから声を掛けられた。

「毛利……蘭さん?」
「え? あ、はい」

全然気配が感じられなかった。
蘭は少し吃驚して後ろを振り返ったが、誰もいない。

「?」

確かめるように、そのままそろそろと歩いて行くと、今度はいきなり後ろから首を絞められた。
驚いた蘭は、男の腕──だと思った──を振りほどこうともがいた。

「だ、誰っ!? 何するんですか!」

そして大声を上げて助けを求めようとしたが、何しろ喉を押さえられている。
くぐもった掠れた声しか出て来ない。
それ以前に息が出来なかった。

「な……にを……く、苦し……」

気道が塞がれ、頸動脈が締められている。
酸素を求めて肺が膨らむ。
頭の中が真っ赤に染まった。
耳の中はキーーンという金属音で占められていた。

と、少し気道を抑える指が緩む。
呼吸は少し出来るようになったが、頸動脈は締められたままだ。
意識が遠のく。
蘭の瞳に最後に映ったのは、街灯の側で羽ばたいていた二頭の蛾だった。

────────────────

そろそろ日が変わろうとしているが、高層ビルである霞ヶ関・警視庁本庁舎から見下ろす街並みは煌々としている。
この時刻になると刑事部捜査一課でも、もう人影はまばらである。
大きな事件もなく、職員や刑事たちも午後八時には殆ど帰宅したようだ。

そんな中、高木巡査はまだ残っていて、ぼんやりとパソコンに向かっている。
さほど真面目に仕事しているようには見えず、時間を潰しているような感じだ。
実際、当てもなくネットにアクセスしているだけのようだ。
そこに佐藤警部補が部屋に戻ってきた。
途端に高木の背筋が伸び、キーボードを叩いた。
慌てたのか、デスクの書類がばさばさと床に舞い落ちる。
近づいてきた美和子が、それを拾い集めている。

「熱心ね、まだやってるの?」
「え、あ、はあ……」
「なに、それ? ……ああ、この前の供述書まとめてるんだ」
「はい……」
「でも、それって別に急ぐことないんじゃない? 容疑者も全面的に自供してるし、何もこんなに遅くまで残ってやることじゃ……」

そう言って、美和子は隣に腰掛け、高木の顔に自分の顔を近づけるようにしてモニタを覗き込んだ。
ふんわりと甘く良い香りが高木の鼻腔をくすぐる。
耳元や首筋が目の前であった。
側で見ても綺麗な肌だ。
ナチュラルメイクだけだし、顔と首、襟元から覗く鎖骨付近の肌の色がまったく変わらないから、地肌が白くてきめ細かいのだろう。

数はまだ少ないが、美和子と同衾した時のことを思い出し、高木の股間が硬くなる。
思わず抱きしめてキスでもしたくなったが、思いとどまった。
恋人同士になったふたりだが、さすがに職場ではベタベタ出来ない。
誰もいなくてもそれは同じである。
息を飲んで自分を見つめている高木に気がついたのか、美和子が少し悪戯っぽい笑みを浮かべて、高木の額を指で突ついた。

「こら、何を凝視してるのよ」
「す、すいません。その、美和子さんはまだ帰らないんですか」
「私? もう帰るわよ。一緒に帰る?」

もちろん、と言いたいところだが、今日だけはそう出来なかった。
高木が遅くまで残っていたのは、美和子に見抜かれたように仕事のせいではないのだ。

「い、いや、それが……今日は……」
「ああ」

美和子は察した。
そう言えば高木本人から、今日は同期会があるようなことを聞いた憶えがある。
美和子がそう言うと、高木は申し訳なさそうな表情になった。

「ええ、そうなんです。これから少し……」
「なら仕方ないわ。でも、随分遅い時間からやるのね」
「はあ。みんな不規則ですからね、時間が。普段は僕なんかがいちばん時間が取れないんですけど」
「まあ、そうか。で、場所は? これから飲みに行くわけ?」
「いいえ。大きな声じゃ言えませんけど、実は生安の小会議室で……」
「ああ」

要するに、店では飲まずにここで軽く飲むということだろう。
無論、そんなことは規則違反になるし、国民からすれば「経費の無駄遣い」と批判されるだろうが、これくらいのことはどの部署でもやっている。
不謹慎だと言われれば返す言葉もないが、こうした息抜きは必要だろうと思う。
事実、捜査一課や美和子たちの班でも、事件解決の際には軽く乾杯するのである。
割り勘で軽いつまみやビールなどを買い込んで、一時間くらい歓談するわけだ。
場合によっては目暮警部が費用負担してくれることもあった。

だが、同期会でそれをするのは珍しい。
多くても年に一度くらいだろうから、普通は外でやるだろう。
しかし高木たちの同期はよほど仲間意識が強いのか、割と頻繁に行うようなのだ。
年に数回もあるらしい。
ああいうものは滅多にないからこそ楽しいのであって、そうしょっちゅうやっていては面白みも薄れるだろうと美和子などは思うのだが、彼らは
そう言った連帯感が好きなのかも知れない。

いずれにしても部外者である美和子が口を挟む問題ではなかった。
あまり羽目を外しすぎないように注意だけして、女刑事は恋人を置いて帰宅していった。
美和子のすらりとした後ろ姿を見送りながら、高木は小さくため息をついた。
やはり罪悪感があるのだ。
同期会というのは事実だが、美和子が想像していたようなものではないのである。

高木は、やや重い足取りで部屋を後にすると、エレベーターに向かっていった。
指定された小会議室に到着すると、もうみんな集まっているようだった。
会議用の折り畳みテーブルの上には、乱雑にビール缶やチューハイ缶が置かれている。
つまみらしいものはない。
代わりにDVDデッキとDVDソフトのパッケージが山積みされていた。
折り畳み椅子に腰掛けてだべっていた連中が高木を見やって言った。

「遅かったな、おい」
「もう一本上映終わっちまったぜ」

口々にそう言って、高木に椅子を勧めた。
すぐに缶ビールが差し出され、手渡される。

「あ、ああ。悪かった」

高木はぎこちなくそう答えてプルタグを開けた。
逆向きに座って背もたれを前にしている森川が聞いた。

「何かあったのか?」
「いや、別に……。ただ、まだ同僚が残ってたから……」
「ああ、出にくかったのか」

森川はそう言って頷くと、井上が面白そうに声を掛けた。

「もしかしてあれか? 噂の恋人かな?」
「ち、違うよ、そんな……」

高木は否定したが、顔が赤くなっている。
正直なものである。

高木が同僚の女刑事──佐藤美和子警部補とつき合っているらしいことは、捜査一課から漏れる噂もあり、知っている者は知っていた。
あまり大っぴらにすることもなかったから「問題視」されることはなかったし、高木もこの通りの人柄だから、やっかみを除けば友人たちの
評価は概ね好意的なものだった。
ただ、相手が「一課のマドンナ」として有名だった美和子なので、ひとしきり話題にはなったのである。
しかし高木も美和子も恋人同士であることは主張しなかったし(否定もしなかったが)、普段の敏腕ぶりからは想像もつかぬような微笑ましい
カップルだったので、みんなで見守っている感じになっている。
深水も笑って言った。

「なるほど、そういうことか。じゃあ高木もこういう会には出にくいよな」
「だな。まあ、こっちは出にくかったら無理にはいいからさ、普通の同期会みたいな飲み会の方には出て来いよ」

同期生たちはそう言って高木をからかった。
実はこの会、生安にいる同期生が呼びかけて始めた裏ビデオ上映会なのである。
非合法に入手したものではなく、生安が差し押さえたブツから選んで、こうしてこっそりと「愛好者」たちで見ていたのだった。

高木は正直言って、それほど興味はなかった。
しかし、こういう同期生たちとのつながりは意外と大切で、他の部署や地方警察にいる仲間から貴重な内部情報がもたらされたのは一度や二度では
ないし、出張した時なども同期生がいれば取りはからってくれることも多かった。
もちろん、そうした仕事上のことだけではなく、友人としての付き合いもある。

それに、美和子にはとても言えなかったが、高木とて健康な男性であり、そういうものに興味があるのは致し方ないことだったろう。
ただ、やはり美和子とつき合うようになってからは、背徳というか罪悪感の方が先立ち、足が遠のいていたことは事実だった。
知れば彼女は烈火の如く怒るだろう。
自分の恋人がそんなものを見るのにうつつを抜かしていたこともそうだが、非合法映像を庁舎内で見るという行為が激しく咎められただろう。
しかもそれは押収した証拠物件なのである。
無論、破損させたり紛失したりすることはないし、これを見るのも生安の仕事ではあるのだが、他の部署の人間に公開するのは褒められたことではなかった。
だから高木は気まずかったのだ。

生安で、これを企画した中田が手を叩いて言った。

「さあ、高木も来たし、次行くか」
「待ってました」
「おい、ドアはちゃんと閉めろよ。灯りや音が漏れたらコトだぞ」
「大丈夫だ、キーもしっかり掛けてるよ。完全防音だからな、よほど俺たちが大騒ぎしなけりゃ、廊下からじゃわからないよ」
「よし、なら始めるか」

室内の照明が落とされ、DVDが上映された。
高木はあまり気乗りしない表情のまま、ぼんやりとそれを眺めている。
もうこの催しは遠慮した方がいいかも知れない。
まさか同期生を密告するようなことはしないが、自分はもういいと思った。
仲間が言った通り、飲み会の時だけでも欠かさず出席していれば、顔つなぎは出来るだろう。

背もたれに寄りかかり、脚を伸ばそうとしてテーブルを蹴飛ばしてしまった。
ガタンと大きな音がしたが、みんな画面に集中していて気にも留めない。
大型の液晶モニタには、人妻らしい熟女が二人がかりで犯されているシーンが映し出されている。
何だか正面から見ていられなくなり、視線を外すために落ちたDVDを拾った。

「ん……?」

眼を細めてパッケージを見る。
薄暗い中、映像の反射光を利用して透かすように眺めていると、突然にドアがドンドンと叩かれた。

「……!!」

そこにいた全員がびくりとして動きを止めた。
なおもドアがノックされている。
みんな顔を見合わせていたがノックは止まず、もはや誰もいない振りで誤魔化すことも出来なかった。
仕方なく、責任者である生安の中田が立ち上がった。
すかさず井上がプロジェクターのスイッチを切った。
それに合わせて、周辺にいた連中が慌ててDVDを片付け始める。
恐る恐る中田がロックを外してドアを開けると、そこには加藤警視正が頭から湯気を出す勢いで怒りの形相を覗かせている。

「おまえたち、そこで何してる!」
「か、課長……!」

中田が絶句した。
選りにも選って生活安全課長だった。

「中田、貴様か! 他の連中もそのままだ、動くなよ!」

────────────────

外には漏れなかったものの、その翌日、警視庁内は大騒ぎとなった。
首謀者の中田と井上は、朝一番で生安課長に呼び出され、管理官に理事官、参事官まで伴ってかなりの勢いでやられているらしかった。
他の連中はそこまでいかなかったものの、参加者各員も所属長に叱責を受けた。
もちろん高木も同じである。
直属の上司である目暮ともども松本警視に呼び出され、かなりきつく注意されている。
あまりにも高木が落ち込んでいたのを見て目暮は小さく苦笑し、それ以上は咎めなかった。
高木の性格の弱さを熟知しているのだろう。
同僚たちも「あまり気にするな」と慰めたり、「面白かったか」とからかったりと色々だったが、傷口を抉るような皮肉を言ったり蔑むようなマネを
する者はいなかった。

ただひとり、恋人たる佐藤美和子だけは、回りが甘い分、厳しく当たった。
閑散としている資料室に連れ込んで、こっぴどく叱りつけたのだった。

「まったく……、何をしてるの、高木くん!」
「すみません……」
「謝って済むような問題じゃないのよ!? わかってるの、本当に!」
「……」

もう、こうなると高木は形無しである。
平身低頭謝るしかなかった。
ただでさえこのカップルは女上位なのだ。
美和子は眦を決して怒りを露わにしている。

「いいこと? 今回は運良く外に漏れなかったけど、これがマスコミに知られたらどうなるかわかってるの!? ただでさえ警察の不祥事がなかなか
減らないのに、この上、警視庁本庁舎の中で裏ビデオ鑑賞会をやっていたなんて……、しかも押収品なんでしょ? こんなのがバレたらただじゃ済ま
ないわよ!」
「はい……」

高木は小さくなって座り込んでいる。
美和子はその前で仁王立ちになっていた。
声は潜めていたが、それでもついつい声高になり、語気が荒くなってしまう。
安易にこんな誘いに乗ってしまった高木が情けなかったのだ。
もう分別のつく年齢だし、そういう職業でもある。
気が良いのは彼の利点だし、仲間との付き合いをないがしろに出来なかったのもわかる。
しかし、それ以上に警察官としての倫理、職業間を大切にして欲しかったのだ。
こういう催しに誘われたなら、いや、存在すると知った時点で、高木が注意してやめさせて欲しかったのである。
それくらいの倫理観は彼にもあったろうが、仲間に疎まれることを恐れたのかも知れなかった。
しかし、そんなことで切れるような関係であれば、はなから切ってしまえばよいのである。

それだけに美和子は悔しかった。
しかし、あまりにシュンとしている恋人を見て、何だか自分が虐めているようにも思えてしまい、つい矛先が鈍ってしまった。
声が少し和らいでいる。

「……それで高木くんはどんな処分を受けたの?」
「はい……、厳重注意でした」

美和子はホッと肩を下ろした。

「それくらいで済んでよかったわよ。いい? 目暮警部や松本課長に感謝するのよ。厳重注意で済んだのは、上司がなんやかやと被ってくれたから
なんだから」
「はい、わかってます……」
「で、他の人たちは?」
「ええ……、首謀者とされた中田と井上は訓告だそうです。あとはみんな僕と同じで……」
「厳重注意、か」
「はい……。それよりも生安の加藤課長には申し訳ないことをしました……。中田の監督責任者ってことだけじゃなくて、押収品の保管状況についても
責任を問われたみたいですし……」

思ったよりも軽い処分である。
当然マスコミ発表もないだろう。
本当なら今回の行為は国家公務員法及び地方公務員法にも触れるから、最悪、免職ないし停職になってもおかしくはない。
軽くても減給に戒告くらいは食らい込むだろう。
そうならなかったのは、警察内部だけの事案だったから、内輪に甘い組織だけに出来るだけ穏便に済ませてやりたかったことと、あまり厳しく処断して、
反発した当事者がこの件をリークするかも知れないという危険を回避したという双方の理由からだと思われた。
一方で、まったく無関係の加藤課長は気の毒としか言いようがなかった。
処分された者の中で、唯一の被害者が彼なのだ。

美和子が見やると、高木は肩を落として小さくなっている。
あまり叱りつけて萎縮させても逆効果になるかも知れない。
美和子は高木の肩にポンと手を乗せていった。

「……わかったら、もういいわ」
「佐藤さん、ちょっと……いいですか?」

部屋から去ろうとした恋人を高木が止めた。
美和子は意外そうな表情で振り返った。
高木の顔には、もう落ち込んだ様子はない。
それどころではない重大なことを、早く美和子に告げねばならないのだ。

「なに?」

まさか責任を取って退職するとか休職するとか言い出すのかと思ったが、高木の言葉は美和子の想定外のものだった。

「実はこれを見てもらいたいんですが……」
「何よ、これ……、DVDじゃない」

美和子の白い手が、黒いパッケージを持っている。
そこには下着姿の若い女性の画像が写っていた。
思わず美和子は顔を顰める。
裏を見てみると、そこにはさらに露骨なものが写っている。
その少女のセックスシーンのスチール写真だ。

何のつもりで高木はこんなものを見せるのだろう。
美和子はハッとした。
これは例の裏ビデオではないのか。
なぜ高木はこんなものを持ち出したのだ。
押収品ではないのか。
美和子が咎めようとする前に高木が言った。

「ま、待ってください、佐藤さん。怒る前にその子をよく見て欲しいんです」
「え……?」

何を言い出すのかと思ったのだが、高木の表情は真剣である。
仕方なく美和子はパッケージ写真を見つめた。
若い男女が絡んでいるカットだ。
小さな画像が何種類も貼り付けてある。
中には、露骨に男女の性器が繋がっているシーンもあった。
裏ビデオのせいか、まったく修正が施されておらずモロに見えていた。
そのくせ、出演している男女の顔にはモザイクが掛かっている。
高木がそっと手を伸ばし、美和子からDVDを取り上げると、裏返して表にしてから差し出した。

「……こっちの方がわかりやすいと思います」
「わかりやすい?」
「ええ……。この子……、誰かに似てると思いませんか」
「え? 似てるって、誰に……」

裏ビデオに出るような女の子に知り合いはいないと思う。
しかし、高木に言われてじっくりと「主演」の女の子を見て、美和子は思わず声を上げた。

「こ、これって……、蘭ちゃん!?」
「……」

高木が小さく頷いた。
ガクガクしてぎこちない動きだ。
彼自身、信じられないのだ。

美和子は両手でパッケージを掴むと、顔を近づけて凝視した。
パッケージ表面には主演の女の子が大きく写っている。
顔はモザイクで目線がされているが、恐らくは笑顔になっているのだろう。
小さく屈んで膝に手を当て、少しポーズを取るようにしてカメラに微笑んでいる。
そういう描写らしい。

下着は白いノーマルなもので、ブラとショーツだけだ。
若々しく白い肌が印象的である。
漆黒の髪はロングで、肩から柔らかそうに垂れていた。
その髪型が問題だった。
例の、ツノがあるような特徴的なヘアスタイルだったのである。
蘭にはよく似合った愛らしいヘアスタイルだが、美和子は蘭以外であの髪型を見たことがなかった。

美和子が思わず高木を見ると、彼も頷いている。
高木もこの髪型を見て蘭ではないかと疑ったのだろう。

「ほ、本当に? これ、ホントに蘭ちゃんなの?」
「わかりません……。でも、髪型以外でも雰囲気というか、感じが何となく蘭ちゃんに見えるんですが……」
「……」

確かにそうなのだ。
顔に目線がモザイクで入っているだけだから、目以外はわかる。
蘭はぱっちりとした目で、これも特徴的だから見ればすぐにわかる。
そこが隠されてしまっているが、顔の輪郭やスラリとした体型などからして、ほとんど間違いないように思える。

「でも……、でもそんなこと……そんなことあるわけないわ……。蘭ちゃんがこんなものに……」
「僕もそう思います……。でも、隠し撮りされたりとか、脅されてということもありますし……」
「高木くん、これ見たの?」

高木はぶるぶると強く顔を振って否定した。

「見てません。これ、そこにあったのを偶然見て気がついただけです……。まあ、あのまま上映会が続いてれば見てたのかも知れませんけど」
「高木くんは……、どう思う?」

高木は慎重に答えた。

「……何とも言えません。佐藤さんの言う通り、蘭ちゃんはこんなものに出る子じゃありません……ないと思います。でも、これから見る限りはどうも……」
「……」

思い込みがあるからかも知れないが、美和子にも高木にも蘭に見えて仕方なかった。
そして驚愕の後には不安と心配と焦燥がスクラムを組んで迫ってきた。
はっきりさせないといけない。
蘭でなければそれでいいのだ。
いや、「いい」というわけではないが、美和子たちの知人が裏ビデオに出演していたという最悪の事態は避けられる。

「確認……する必要があるわね」
「ええ、僕もそう思いますが……。でも、どうやって?」
「……」

まさか本人を呼び出して確認させるわけにもいくまい。
恐らく本人ではないだろうが、それでもこんなもの見せられて嬉しいはずがない。
聞くだけ聞いても、もし本人なら動揺するかも知れない。
刑事である美和子や高木なら、蘭のそうした焦りやおののきは見抜ける可能性は高い。
しかも知り合いであり、普段の蘭を知っているから余計にわかりやすいだろう。

しかし、どう切り出せばいいのか皆目わからなかった。
蘭に対して「裏ビデオに出たことある?」とは聞けまい。
裏ビデオに興味があるか、とも聞きにくい。
普通の会話でその話題を出すことも難しそうである。
考えあぐねたのか、高木がぽつりと言った。

「じゃあ……、誰か他の人の意見を聞いてみましょうか」
「他の人?」
「ええ……、蘭ちゃんは新一くんとつき合ってるんでしょう? だったら……」
「恋人にそんなこと聞けるわけないでしょう。仮に本人だったら、新一くん酷いショックを受けるわよ」
「そうですね……」

美和子は形の良い顎に指を当ててしばらく考えていたが、くるりと高木に顔を向けた。

「高木くん、これ見てないのね?」
「見てませんが……」
「……私たちが見てみるしかないわね」
「ええ!?」

高木が吃驚して美和子を見ると、彼女は何か決意したような表情で見つめてきた。
きりりとした美貌が高木を捉える。

「私、よく知らないんだけど……こういうのって、中のビデオの方にもモザイクとかされてるのかしら?」

それを聞いて高木がハッとした。

「え、ええ、確かにそういうのもありますが……。殆どは素顔晒してますよ、パッケージではモザイクされててもね」
「中でも顔が隠されてるのって、どういうの?」
「恐らく盗撮ものとかでしょうね。本人特定されちゃうとまずいやつ」
「でも、これは……」

盗撮には見えなかった。
モザイク越しとはいえ、この女の子はカメラ目線で笑顔になっているように見えるのだ。
腕を組んで俯いたまま考え込んでいた美和子がぽつりと言った。

「やっぱり私たちが見てみましょう」
「佐藤さん……」
「生安に協力を仰ぎましょう。その道の専門家にも見てもらえば……」
「わかりました。生安の加藤課長に話を通してみます」

────────────────

美和子と高木が生活安全部の保安課を訪ねたのはその翌日である。
目暮を介して話を通してもらったところ、快諾の返事を得た。
あまり来たことのない部署だったが、ふたりが訪れると課長の加藤精一が迎えてくれた。
高木たちの裏ビデオ鑑賞会を発見した人物である。

「やあ、来たな」
「ご面倒かけまして……」

美和子が挨拶すると、加藤はにこやかに笑って手を振った。

「なになに。こちらの事案での捜査協力にもつながることだからな、喜んで引き受けるさ」

ごま塩頭を角刈りにして、金縁のシニアグラスで鋭い目つきを隠した強面なのだが、見た目と裏腹に人は良い。
かつては、組織暴力対策部と名を変えた捜査四課で暴力団担当で鳴らした刑事だったのが信じられぬほどに人当たりは良かった。
一緒に来た高木にも気軽に声を掛ける。

「高木も一緒か。おまえ、あの時のビデオを失敬してたらしいな。窃盗だぞ」
「す、すいません。そういうつもりじゃなかったんですが……」

高木が恐縮すると、加藤は「冗談だ、冗談」と愉快そうに笑った。
とばっちりで自分まで処分されたのに、そんなことはおくびにも出していない。
そしておもむろに振り返ると「草尾!」と、部下を呼び寄せた。
すぐに若い刑事が席を立ち、早歩きで美和子たちのところへやってきた。
加藤が草尾の肩に手を置いて紹介する。

「草尾だ。詳しいことはこいつに聞いてくれ」
「草尾巡査です。よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げた草尾は、ふたりを手招きして別室の小部屋へと導いていった。
美和子たちが通されたのは四畳半くらいの狭い部屋だった。
窓の前に20インチくらいのモニタが三台とパソコンが二台、ビデオデッキとDVD、BDデッキが並んで置いてある。
デスクの上には乱雑に書類やDVDが重ねられている。
ふたりをパイプ椅子に座らせてから、草尾は恐縮して言った。

「狭くて汚い部屋で申し訳ないです。俺、いっつもこの部屋でチェックしてるもんで」
「いいえ。かえってこういう部屋の方がいいですよ、見るものが見るものですし。草尾さんは、その、この手のビデオをいつもご覧になってるんですか?
あ、もちろん仕事で、ですけど」
「佐藤警部補、「さん」付けはやめてくださいよ。俺、巡査だし、若造なんですから」

草尾はそう言って笑った。
高木の一期先輩らしい。
イケメンというわけではないが、スーツの着こなしといい、スパイクショートのウルフカットといい、高木よりはずっと垢抜けている。
草尾は屈託なく答えた。

「ええ、そうですね。まあ俺だけじゃありませんが、俺も担当です。でもまあ、仕事で見てるわけですし、こうたくさん見続けますとね、あんまり
そういう変な気分にはならんものですよ。ま、まったくそういうことがないとまでは言いませんけど」

そんなものだろう。
風俗担当の刑事が、裏ビデオを見て興奮していては仕事にならないだろう。
産婦人科の医師が女性の局所を診ても何とも思わないのと同じである。

「ま、俺はこういうエロ専門ですけども、一口に裏ビデオって言っても色々ありましてね」
「と言うと?」
「エロなしもあるんです。例えばテレビ番組をエアチェックしたものを流したものとか、映画ビデオをダビングしたのとかね。違法コピーですね。
有名どころでは、今はアニメ制作会社になってるガイナックスなんかも、その前身の会社でテレビアニメや違法コピービデオを売り捌いてました。
自分とこの会員限定だったようですがね。ここは札付きでね、そういう違法コピー以外でも、許可なしで勝手にグッズを作って売っていたりとか、
著作権なんて完全無視でしたからね。少なくともこいつらは、自分とこが作ったアニメの海賊版や違法グッズが出たとしても、文句言える義理はない
ですよ。おっと、これは関係ない話ですね。俺たちの分担じゃないし」
「あのお……」

それまで喋らなかった高木が興味深そうに口を挟んだ。

「噂でよくある芸能人ものなんて……本当にあるんですか」
「ははは、誰でも興味ありますよね」

草尾が笑いながら言った。

「でもね、やっぱりそういういのは都市伝説って言うか、殆どはガセですね」
「はあ、やっぱり……」
「話だけは色々ありましたけどね。不鮮明すぎて誰だかわからなかったり、あるいは「そっくりさん」を使って撮っていたりとか。希に鮮明なのも
あるんですが、そういうのは映画やビデオと合成したものでした」
「合成?」
「ええ。実際にポルノや濡れ場シーンのある映画に出演した女優さんの絡みの映像を切り貼りしてるんですね。噴飯ものですが、そういうのもある」
「じゃあ、やっぱりないんだ……」

些かがっかりしたような高木を面白そうに見ながら草尾が言った。

「いや高木くん、そう落ち込むこともない。実はね、俺も一本だけ見たことがある。これは、まず本物」
「え、そうでなんですか!?」
「ああ。でも、教えるわけにはいかない。捜査上知り得た情報は漏らせないよ、いくら警官同士でもね。それが別件に絡んでるとかいうなら別だけど。
実際、そのタレントの所属している事務所から相談された話で、そのビデオも押収した。見てみたら、どうも本物のようだった。流出元は抑えて、
関係者もしょっ引いたよ」

高木の感心したような、あるいは羨ましそうな表情を見て、草尾が少し調子に乗る。

「でもね、そういうのはまだ俺たちにも理解出来るんだよ。けどねえ、世の中にはどうにも訳のわからん裏ものも多くて」
「というと、その……ゲイとかそういうのですか」
「まあ、それもそうだけど。中にはねえ、女子トイレで盗撮した排便ビデオなんてのもあるんだよ」
「え……。それって……そ、それだけ映してるんですか」
「そう、本当にもうそれだけ。延々とそれだけのシーンが何の脈絡もなく続いているんだな。世の中にはそういうので欲情する性癖の人もいるん
だろうな。他にも、徹底的に女性の脚ばかり撮ったものだとか、スカートをめくったパンチラ映像だけをまとめたようなのもある……、っと」

そこで草尾の表情が固まった。
美和子の視線に気づいたからである。
いかにも役得、あるいは得意そうに押収ビデオの感想などを口にしたのはやはりまずかった。
相手が高木だけだったならともかく、女性の佐藤警部補の前では不謹慎に過ぎる。
慌てて頭を下げて謝った。

「す、すいません、佐藤さん。そういうつもりじゃなかったんですが……」
「……まあ、いいけど。本題に入っていいかしら」
「は、はい。ええと……高木くんが持ち帰ってたビデオに佐藤さんの知人らしい人が映っている、ということだそうですが」
「そうなの。でもね……」

美和子と高木が少し顔を見合わせた。

「ちょっと信じられないのよ。もちろん、自分の知人がそういうものに出ていれば、誰だって信じられないし信じたくもないでしょうけど、特に
その子の場合はね……」
「ですね……。とてもじゃないけど、あの蘭ちゃんがこんなものに出てるなんて信じられない」
「蘭という名前の子ですか。あ、これがそうですね、拝見……」

草尾は高木からパッケージを受け取った。
そしてすぐに何度か頷く。

「あ、これね」
「知ってるの!?」

勢い込んで迫ってきた美和子に驚き、少し身を引いてから草尾が首肯した。

「え、ええ、まあ……。この「Ran」って美少女もの、マニアの間では評判良いみたいですから」
「このビデオ、どうやって流通してたんですか?」
「完全通販なんです。最近はネットで配信するのが主流になってるし、昔ながらに裏ビデオ屋に流すアナログなところもありますけど」
「でも通販でこんなものを国内で流通させたら、一発で取り締まりに合うんじゃありません?」
「そうですよ。でもね、最近は外国に拠点を
置いてるところも増えましてね。例えばアメリカでビデオを作ってそこで売るんです。日本へ個人輸入って感じですね。アメリカ国内でも売れる
んですよ。ここんとこアジア女性や日本人女優の出てるハードコアがそれなりに人気らしいですから」
「……」
「あの国なら、日本では裏ものとして取り締まれる作品でも、法に触れたりしませんから撮影も販売も自由です。もちろん関税で引っかかることは
ありますが、まさか輸入されるビデオを全部チェックするわけにもいきませんから」
「でも、こんなパッケージだったらすぐに関税官がわかるでしょう」
「ええ、だからこんなモロなものは使わないんです。普通はね、映画のパッケージに裏ビデオを入れてたりするんですよ。スターウォーズのパッケージ
の中身が裏ビデオだったりするんですね。その場合、いい加減なメーカーだと、映画のパッケージを荒いカラーコピーしただけだったりするんで、傍目
でもわかる偽造なんですが、中には本物と見分けがつかないくらい綺麗に作ってるのもあってね、あれを見抜くのは無理でしょう。さっきも言いました
けど、全数を中身確認するだけの時間も人員もいませんから」

草尾は諦めたように小さくため息をついた。

「販売経路は目下捜査中です。というのも、このメーカーのビデオはあんまり数が出てないようなんです」
「でも、評判は良いんでしょう? なのになぜ……」
「判りません。通販であることは間違いない。でも、ネットから申し込むのかDMとかなのか……。多分、口コミなんだろうと思いますが」
「じゃ、草尾さんたちはどうやって入手したんです?」
「別件なんです。ある裏ビデオ制作者を手入れして検挙したんですが、そいつがたまたま持っていたんですよ。それを押収したんです。自分とこで作った
んじゃなくて、参考と趣味のために買ったらしい」
「入手経路は……?」
「完全黙秘です。自分のものに関しては素直に認めましたけど、これに関しては頑として証言拒否ですね」
「……」
「僕もこのシリーズの噂は聞いてましたけど、実物見たのはこれが初めてです」
「でもなあ……」

高木が首を傾げた。

「最近じゃ、動画サイトにすぐアップされちゃうんじゃないですか? コピーだって出来るでしょうし」
「それがね、出来ないんだよ」
「え?」

草尾が腕組みして表情を歪めた。

「どんな技術を使ってるか判らないんだけど、このDVD、ダビングも出来ないし、動画サイトにアップロードすることも出来ないんだよ」
「ええ? そんなことあるんですか?」
「僕たちも試してみたし、このシリーズを持っていた連中にも聞いたんだけど、出来ないんだな。警告が出てくるんだ。それでもしつこくHDDや他
の媒体へコピーしようとしたり、アップロードしようとすると、どういうわけか元のビデオ映像自体が再生不能になる。どんなプロテクト掛けてるのか
知りませんが、相当強力ですね」
「うわー」
「サイバー犯罪テクニカルオフィサーですか、その人にも調べてもらってます。こないだ、課長を通じて警察庁のサイバーフォースにも協力を
要請したところです」
「じゃあ、数自体はあまり……」
「出てないと思いますね。大体、高いですしね、これ。定価で5万、希にオークションに掛けられてることがありますが、値段はうなぎ登りですよ。
安くても20万以下ってことはない。プレミアもいいとこです」

美和子は少しホッとした。
大量に配布されているというわけでもないようだ。
仮にもしそうなら、米花でも持っている人はいくらかいただろうし、そうならそっちから「蘭ではないか」という噂になっていてもおかしくはないのだ。
それはないらしい。
草尾が続けた。

「で、これを作ってるらしい「BO」って会社は自分とこからしか売らないようです」
「『ビー・オー』ですか……」
「ええ、ここは凄くてね、映像的にもパッケージもかなり凝ってて、プロはだしですよ。多分、映画屋崩れがいるんじゃないですかね。作品の質も
高いです。中でも、この美少女シリーズは人気作でして、特にこの「Ran」は……」

そこまで口にしてから草尾も気づく。

「あ……、じゃ、じゃあこの「Ran」って本名なのか? すいません、その子のフルネームは何て言うんです?」
「毛利……蘭っていうんです」

少し躊躇ったが、美和子はそう告げた。
草尾は軽く頭を振って呻いた。

「うーん……。珍しいなあ、本名で出てるのか、この子は……」
「待って、先走らないで。草尾さん、まだそうと決まったじゃないわ」
「それはそうですけど……。佐藤さん、このパッケージは目線がありますけど、それでもその蘭さんだとはっきり判りますか?」
「ええ……、多分」
「裏面にも画像がいくつかありますよね。これはいかがです?」

何とも言えなかった。
同じように顔には目線が入っていたし、全部で8カットほどあるスチールは、すべて露骨にセックスをしているシーンか、その事後に見える。
表のスチールは蘭の全身写真になっているからまだわかるが、裏の方はよくわからない。

それでも、蘭のあの特徴的な髪型は印象的だ。
裏面で男と絡んでいるシーンでも(この男も目線が入っている)、そのヘアスタイルだけで蘭に見えてくる。
少なくとも美和子は、あの髪型は蘭以外見たことはない。
かなり変わったヘアなのだが、それが行動的な蘭にとてもよく似合っていて、美和子も好意的に見ていたのだ。
美和子が尋ねた。

「私たちはそのビデオ自体はまだ見てないのだけど、中の方もモザイクがかかってるの?」

草尾は見たことがあるらしく、すぐに否定した。

「いいえ。俺も一度見ましたけど、中は素顔でした……」
「……。なら、やっぱり見るしかないわね」
「佐藤さん……」
「私だって見たくはないわ。でも、もし蘭ちゃんだったら……」
「そうですね……。脅されてとか盗撮でもされてたんなら可哀想ですし」

草尾は、美和子たちの会話に口を挟もうとしたが、軽くため息をついて引き下がった。

「取り敢えず、見て戴いた方がよろしいと思います……。でも、中身が中身ですから、佐藤さんは無理にご覧にならなくても……」
「そういうわけにはいかないわ。もともと、中を確認しましょうと言ったのは私ですし」
「はあ……。でも、高木くんはわかってるだろうけど、これはいわゆる「裏もの」ですよ。市販のアダルトビデオとかポルノみたいなボカシやモザイクは
ありません。つまり無修正です。言いにくいですけど「真正本番」でしたよ。それでも……いいですか」
「……」

美和子は黙って頷いた。
草尾は高木の方を一瞬見たが、諦めたように了承した。

「わかりました……。じゃあ見てみましょう」

草尾はDVDをパソコンにセットし、再生し始めた。
20インチほどの液晶モニタがムービーを映していく。
美和子は意外に感じた。
裏ビデオという印象からは、いきなりそのシーンから入ってそれだけのものだと思っていたからだ。
しかしこのビデオは、ビデ倫を通ったメーカーのように、きちんとオープニングまで作っていた。
しかもそれがなかなか洒落ている。
裏と言っても、表で堂々と売れないというだけで、かつてのように素人に毛が生えたような連中が作ったものではなく、プロの作品だということなのだろう。

美和子がそんなことを考えながら見ていると、OPが終わり、本編に入った。
そこで美和子と高木はいきなり確信してしまった。

「ら……蘭ちゃん……」

美和子は唖然とその映像を見ていた。
覚悟はしていたが、まさか本当だとは思えなかった。

正真正銘、毛利蘭に間違いなかった。

美和子は顔から血の気が引いているのを実感した。
隣で高木も青ざめているようだ。
そこには紛れもなく蘭が映っていたのだ。

蘭は幾分嬉しそうに、いそいそと服を脱ぎ始めている。
そこには何のためらいもなかった。
見る見るうちに下着姿になってしまう。
そこでいったん動きが止まると、今度はカメラに向かって軽くポーズまで取り始めたのである。

美和子たちは、蘭が脅されて無理矢理に出演させられているか、盗撮されていると思い込んでいた。
しかし、どうも違うのだ。
脅迫されているような笑顔ではなかったし、盗撮されていながらカメラの前でポーズを取るとは思えなかった。

ふたりの脳裏に最悪のシナリオが浮かぶ。
蘭は納得ずくで裏ビデオに出たのではないか。
そんなことがあるはずはないという思いは、ビデオを見進めるにつれ、心もとないものとなっていった。

シーンは変わり、寝室と思われる部屋になった。
男も映っている。但し、どういうわけか男の方は目の辺りにモザイクが入っていた。
しかし美和子の意識は男にはなく、ひたすら蘭の方に行っていた。
問題はこれがどういう経緯で撮られたのか、本当に蘭なのかということであった。

美和子の中の「まさか」という思いが「やはり」に変化していく。
本当にセックスしていた。
蘭と思しき少女が男と絡み合っていたのである。
もう見ていられなくなったが、そうもいかない。
高木を見てみると、耐えきれなくなったのか、あるいは蘭の秘密を知ってしまうのが申し訳ないのか、いつの間にか顔を伏せている。
そんな恋人を甘いと美和子は思うのだが、今回だけは叱る気になれない。
自分も同じ気持ちだったからだ。

毛利蘭本人であることは間違いない。
もう充分ではないか。
そんな弱気を職業意識で叱咤しながら、美和子はじっと画面を見入っていた。
草尾の方はさすがにそんなことはなく、ほとんど無表情で見ている。
映像の中で、あの蘭が肉体を男に提供し、悶え、呻いている。

『あ、p-----っ……くっ……あ、熱いっ……p-----のが熱い……こ、こんな……ああっ』

『い、いいから……あっ……つ、続けてそのまま……あ、あたし我慢する、あっ……!』

蘭のこんなセリフは聞いたこともないが、声自体はあの少女のものに聞こえた。

『はああっ、いっ……う、うんっ……い、いい……あああ……』
『もっとしていいか?』

男の声もたまに聞こえるのだが、ほとんど聞き取れない。
わざと編集で音声をぼかしているようだ。
ボイスジャミングほどではないし、声質自体はそのままのようだが、何せ音質が低すぎてよく聞こえない。
顔のボカシといい、男の身元を隠したいようだ。

美和子にとって救いだったのは、この蘭はセックス自体にはまだ不慣れらしいということだ。
というより、感じからするとどうも初体験のようにも思える。
動きや反応がまだぎこちないのだ。
加えて言えば、男の方にもそれは感じられた。
ということは、やはり盗撮なのだろうか。
カメラがふたりの後ろに回り、女の股間をアップした。

「あ……」

美和子が小さく声を漏らした。
蘭と思しき少女の膣は、若い男の陰茎を飲み込んでいたが、そこから出血が見られたのだ。
ということは恐らく処女喪失シーンである。
初体験のビデオなのだ。
美和子は思わず目を瞑り、顔を背けた。
とても見ていられない。
シーンは同じだが、またカットが変わった。
蘭の声がする。

『い、いいけど、あっ……な、何だか身体が……あ、あそこが熱くなって……ああっ!」

ようやく終わった。
見ているのが辛かったせいか、かなり長く感じられたが、実際は45分ほどでまとまっていたらしい。
美和子と高木は体感で三時間以上にも思えていた。

「以上……ですね」

草尾は、ぐったりとしている美和子らに声を掛け、パソコンからソフトを取り出した。

「で……、いかがでしたか。やはり、その……」
「……間違いなさそう……ね……」
「高木くんは?」
「ぼ、僕も……そう思い……ます」
「そうですか……」

草尾は椅子の背もたれに身を預けた。
ふたりの疲労が伝わったかのように、ドッと疲れが出る。
若い刑事は眉間を揉みながら言った。

「では、その子だということで捜査に入ります……。連絡先や詳しい話を聞かせて貰えますか」
「ちょっと待って」

美和子がそう言った。
もう声に張りがある。
事実は事実として認めたらしい。
見た目は立ち直っているように見えた。

「確認したいんだけど、草尾さんの見る限り、これって盗撮ですか?」
「ええ……、俺も最初はそう思ったんですが」
「違うの?」

草尾は黙ってパソコンを操作し、またビデオを再生し始めた。
最初のシーンである。
蘭が服を脱いでいるところだ。

「これ……、なんか不自然に思えませんか」
「え?」

不自然と言えば不自然だが、蘭がカメラの前で愛想を振りまいているのは変わりない。
撮影を了承しているとしか思えなかった。
そう言うと草尾は軽く首を振る。

「そうとも言い切れないんです。いいですか、よく見て下さい。まず、ここはどこだと思いますか」
「場所ですか?」
「ええ。この部屋……狭いでしょう」

そう言えばそうである。
セックスしていた部屋とは別だと言うのはわかったが、着替えのためだけにこの小部屋に入ったのだろうか。
と言って浴室にも見えなかった。
草尾がモニタを指差して言った。

「ほら、これ。わかります?」
「何です? ……ハンガー……ですか?」

草尾が指差したところにはハンガーがいくつか掛かっている。
壁から出ているフックか何かに引っかけているらしい。
蘭はそこに脱いだ服を掛けていた。

「これが何か?」
「どう見ても、さっきの部屋とは違うでしょう。しかも狭い。それに、ほら、気がつきませんか? これ、鏡ですよ」
「あ……」

そう言えばそうだ。
四畳かそこらの部屋で、壁のうち三面が大きな姿見をはめ込んでいるように見える。

「試着室……かしら」

草尾が意を得たりというように大きく頷いた。

「俺もそう思いました。だから……」
「そうか! マジックミラーですね!?」

高木もハッとして言った。

「その通り。恐らく鏡に見せかけたマジックミラーでしょうね。その裏に多分……」
「カメラが設置されてるのね……」

それなら蘭がカメラ目線になったり、その目でポージングしていたのにも納得がいく。
ブティックかどこかでお気に入りの服を試着していたなら、恐らくこの時の蘭と同じような行動になるのではなかろうか。

「やっぱり盗撮か」

高木が幾分ホッとしたような声になる。
盗撮されていたとしても不愉快には違いないが、それでも蘭自ら積極的に裏ビデオに出ていたなどという結論よりは遥かにマシであろう。

「それが……」

草尾の声はまだ暗い。

「一概にそうも言い切れないところもあって……」
「どういうこと?」
「これを見て下さい」

草尾はマウスを操作している。
画面下部にある再生バーにマウスカーソルを当てると、タイムコードと小さなサムネイル画像が出てきた。
プレイヤーソフトの機能らしい。
草尾は濡れ場シーンにまで映像を飛ばした。
蘭と若い男が身体を重ねている。
美和子は苦いツバを飲み込んだ。
草尾は美和子と高木を見ながら言った。

「何かおかしいと思いませんか」
「何が……ですか」
「まずここです。ほら、今カメラが切り替わったでしょう? シーンとしては切れてません。連続しています。ということは……」
「そうか、カメラが複数台あるということね?」
「その通りです。しかもほら、カメラが移動している」

確かにそうだ。
蘭の表情を捉えたまま、カメラがPANしているのだ。
画面に見入っている美和子と高木の耳に草尾の声が響く。

「普通、盗撮というのは隠して置いたカメラでこっそり撮るものです。でもこれは明らかに移動している。しかもこのカメラ、多分、ハイビジョン用の
良いやつです。ハンディカムみたいな小さなものでもありません。画面がまったく手ぶれしていない。きっとカメラを載せて動かす設備……レールか何か
かな、それを使ってるんですよ。映画並みですね」

呆然とする美和子たちに、草尾がまた指摘した。

「それに、あ、ほら今です。判りますか? 女の子の顔がどアップになったでしょう。もちろん高いカメラでズームにすれば可能ですけども、これは
恐らくカメラマンが被写体に近づいて撮ってるんですね。さっきと違って手ぶれが少しある。逆にそれが臨場感を生んでるんですが」

さすがにプロである。
美和子たちではとても気づかなかったであろうことを次々に指摘していた。
これだけでも草尾たちに頼った甲斐があったというものだ。
美和子は画面から目を離さずに聞いた。

「すると……、これは草尾さんの感覚だと、盗撮ではないということになるのね?」
「言いにくいですが……恐らくは」
「……」

がたりと音がして、高木が椅子にもたれかかった。

「そんな……信じられませんよ、佐藤さん。あの蘭ちゃんが自分からこんなビデオに出るなんて……」
「私だって同じ思いよ、高木くん……。でも、今、専門家が言ったことは無視出来ないわ」

美和子は暗い顔でそう答えたのだが、まだ釈然としないことがあった。
どこがどうとは言えないが、何となく「不自然」なのだ。
蘭が演技しているとは思えない。
これは本当のセックスシーンなのだろう。
しかも盗撮ではないことは、草尾の指摘通りである。
しかし、それにしては何かおかしいのだ。

「草尾さん……、でもこれ、何か変じゃありませんか?」
「変と言いますと……?」
「具体的にどうとは言えないんですけど……、何て言うか、蘭ちゃんが全然カメラを意識していないように見えるんです……」
「あ……」
「さっきの着替えの時なんかは、カメラ目線みたいのがありましたよね。マジックミラーのようですからカメラ目線というのとは違いますけど、でも鏡だと
思って意識はしていたはずです」

ポーズを取ったり微笑んだりしていたのだから、それは美和子の言う通りだ。
不意を突かれたように草尾が「あ!」と小さく叫んだ。
思い当たることがいくつか浮かび上がってくる。

「そう言えばそうだなあ。佐藤警部補、これ……あ、これだ、このシーン見て下さい」

草尾が出したのは、男に抱かれた蘭の顔に、長い髪がかかっているカットだ。

「これが何か?」
「高木くんならわかるよな? ほら、裏だけじゃなく、AVなんかでもさ、女優の顔に髪が掛かったりすると、男優がそれを払ったり、自分で払ったり
するだろ?」
「あ、そうですね……」
「でも、これにはそれがないんだ。可愛い顔なのに、髪で隠れても本人はもちろん相手役の男もそれを払おうとしていない。それに……」

草尾はなおもシーンを探し、それを映しだした。

「ここもですよ。わかりますか、カメラがしきりに回り込もうとしてるんですが、男女は全然それに無頓着なんです。普通は現場にいる監督やカメラマンが
指示したりするもんですし、出ている連中もカメラに良い絵を撮らせようとするんですよ。でもこれには全然それがない」

高木が遠慮がちに言った。

「でもそれは……、本人たちが、その、行為に夢中になっちゃってて……」
「それはあると思うよ。でもそれはあくまで女の方であって男はそんなことはないはずだよ。あ、まあ、男も素人で盗撮だっていうなら別だけど、
これは盗撮とは思えないんだから。こういう場合、女はともかく男までズブの素人を使うことはないはずだよ。それじゃ作品にならないから」
「……」
「シーンを全然カットしないで長回しにしたのならそれも仕方ないですけど、でもこれ、いくつかシーンを区切ったりカットしたり、別カメラに切り替え
たりしてますからね。そういうつもりはないんでしょう。でも、だとすると佐藤さんが指摘された通り、このふたりはまるでカメラを意識していないという
ことになる。それは不自然です。でも演技しているようには見えないし、そうだな……、言ってみればカメラがそこにあることを知らないような感じです」

美和子はくるりと顔を草尾に向けていった。

「そんなことはないでしょう? だって、あんなに接写したりしてるのよ」

顔のアップだけでなく、露骨に男女の結合部を映しだしたシーンまであったのだ。
あれだけカメラが動けば、それも複数台あって、しかも身体にくっつきそうなくらいの接写があれば、いかに行為に熱中していようとも気がつかないわけがない。

「そうですよね……。そう言われるとその通りなんだよなあ。でも、見る限り、ふたりともカメラのことが目に行ってない感じですよ」

草尾は納得いかない、という表情だ。
そしてまたマウスを操作して映像を飛ばす。

「あと……これです。わかりますか?」
「?」

蘭と若い男が絡んでいる。
男の手が、張りのある蘭の若い乳房をぎこちなく愛撫していた。
と、その時、蘭と男の身体がパッと白く光った。

「あ……、今の何です?」
「写真を撮ってるんだと思います……。あ、また光りましたね。室内撮影ですからね、恐らくフラッシュ焚いてるんですよ。ほら、パッケージに載せる
スチール写真、あれですよ。撮影した動画から切り出す場合もありますが、やはりデジカメの静止画像の方が画素数も高いし綺麗ですからね。雑誌とかの
媒体に提供するためとか、あるいは自分とこのサイトに載せる宣伝用に使うんです。まあ裏で販売路も限られてますから、雑誌とかには出してないでしょうが」

また光った。
シャッター音まで聞こえる。
多分、デジカメではあるだろうが、シャッターの擬音は鳴るようになっているのだろう。
草尾が暗い声で指摘した。

「……他にもね、ビデオ撮影するのであれば、カメラマンの他に音声、照明やレフ板持ち、それにディレクションする監督まで、少なくとも4人や
5人は現場にいるはずなんです。セックスしてる男が直に撮るような、いわゆるハメ撮りであっても、素人が撮るのでなければ照明くらいはいます。
こいつはさっきも言った通り、カメラも複数台ありますし、プロはだしの映像作品作ってますから、そうですね、6人か7人くらいこの部屋にいそうな
感じですよ」
「……」
「それだけ人が部屋の中にいて、しかも動き回って声まで出しているのに、それに気がつかない、なんてことあるんでしょうか。いくら行為に集中していた
としたって、さすがにそれはおかしいですよ……」

草尾はそう言った後、少し表情を曇らせてため息をついた。
言いづらそうな感じで、美和子の方を何度か見ている。
まだ何かあるのかと美和子が尋ねると、やはり言いづらそうに若い刑事が言った。

「ええ……。正直言って、俺にも判断つかないんですよ。盗撮なのか、そうでないのか」
「……」
「不自然なところが多すぎますからね。盗撮とは思えない状況がいくつも散見されてるんですが、一方で出演者の様子を見ると盗撮にしか見えないよう
にも思える。さっきも言いましたけど、演出らしい演出が全然ないですから。例えば体位ですね」
「体位……ですか?」
「はい。まあ、これも女性の佐藤さんの前で言うことじゃないんですけども、何て言うのか、「見せ物」としてこういう映像を作る場合、見栄えの良い
体位やポーズを取らせるものなんです」
「ああ」

思い当たる節があるのか、高木は小さく頷いた。
美和子にも何となく理解できたのか、少し頬が赤らんだ。

「でもね、このビデオではそういうのは一切ありませんでした。体位は最初から最後まで正常位です」
「そうですね……」

初めてのセックスであれば、よほど男が長けているか、女性のことを考えていないのでなければ、当然そうなるであろう。
美和子は、イヤが上にも自分の時のことを思い出していたが、確かに正常位だけだったと思う。

「では、やはり盗撮……」
「いや、実はですね……、言いにくいんですが、もうひとつ可能性があります」
「もうひとつと言いますと」
「投稿……ってやつです」

これには高木も美和子もハッとした。
草尾がそのふたりを見ながら続ける。

「自分で撮ったり、あるいは撮られることを納得ずくでのプレイということですね。しかもそれをこうやって売ることも理解している。まあ、大抵は
安易な気持ちで小遣い稼ぎみたいな感覚なんでしょうね」
「まさか蘭ちゃんが……投稿ビデオを?」
「おふたりの様子を見ていると、僕もそうではないだろうと思いたいですが……」

あまりのことに、美和子も高木も言葉がなかった。
盗撮や脅迫によるセックスビデオ流出も、ふたりを暗い気持ちにさせるに充分なのに、投稿となると最悪である。

「映像内で男の側はモザイクだったでしょう? これは身元がバレるのを避けたいがためやってるとしか思えません。投稿ものではよくあることです。
でも、女の子の場合は事情が複雑です。この子みたいに美人で可愛い子であれば、顔を隠すのはもったいない。素顔で出したらバカ売れしますから。
その分、余計にギャラが出てると……」
「そんなことあるわけないわ!」

耐えきれず美和子は怒鳴りつけた。
蘭に限って、そんなバカなことをするはずがないのだ。
その剣幕に驚き、身を引いてしまった草尾を見て、美和子はまた冷静さを取り戻した。

「ごめんなさい……。大きな声を出して」
「いいえ……、お気持ちはわかりますから」

草尾もそう言って神妙な表情になった。

────────────────

結局、それ以上の詮索は出来ず、美和子と高木は草尾と加藤課長に礼を言って生安から出て行った。
もやもやする不安と持って行き場のない憤りばかりが積み上がっていく。

盗撮ではないらしい。
だが、映像を見る限り、蘭が脅迫されて出演していた様子もなかった。
まさか、あの娘が自分から出演を承諾し、あんなビデオを撮影することを認めたというのだろうか。

だとしたら何のために?
お金のためとは思えなかった。
両親はそれなりに高収入のようだから、小遣いに困るということはないだろう。
そもそも、あまり無駄遣いをするタイプではないのだ。
それは蘭との付き合いで、美和子も高木もよく知っている。
どうもすっきりしなかった。
そして最後に草尾が提示した可能性。
「投稿」だけはあり得ない。
そう信じたかった。

課長と草尾にはこのビデオの捜査を続けてもらい、美和子たちはこれが本当に毛利蘭であるかどうかの確認をすることになった。
同時に、もしそうであった場合、彼女や知人に捜査協力を依頼するのも引き受けざるを得なかった。
そうしなければ、草尾たちが直接、蘭のもとへ訪れなければならない。
なるべくショックは小さくしたかった。
ならば美和子たちがやった方がいいかも知れない。
だがその前に、美和子自身が独自に調査してみるつもりでいた。
何だかあちこちが不自然でぎこちない。
どうも蘭であることは間違いなさそうだが、それにしては妙なことが多すぎるのだ。
ふと隣を見ると、恋人の若い刑事は首を捻っていた。

「佐藤さん、あの、僕少し気になってたんですが……」
「なに?」
「ええ……。蘭ちゃんの相手役……誰だと思います?」
「え……」

美和子は蘭のことばかり気を取られていてあまり気にしなかったが、高木は別の視点からもあのビデオを見ていたらしい。
少し感心して同僚兼恋人を見る。
確かにビデオが盗撮かそれに近い行為であるならば、あの行為は蘭のプライベートだったということになる。
相手が誰かは気になるところだ。

「僕……、あれ新一くんじゃないかと思うんですよ」
「……!」

あのビデオで不可解だったことのひとつに、蘭が口にしていたらしい相手の名前はすべて編集で消されていたのである。
いわゆる「ピー音」だった。
つまりこれも、相手が特定されては困るという配慮なのではなかろうか。

それにしても工藤新一だとは思わなかった。
彼が戻ってきたのはつい最近である。
しかしそう言われれば、蘭とは恋人同士のようだから、彼女が自然に結ばれる相手としてはもっとも可能性は高いだろう。
だが、そうなると蘭だけでなく新一までが盗撮に気づかなかったということになる。
蘭はともかく、高校生探偵として名を売っている新一が、そんなことにまったく気づかなかったというのも間の抜けた話で、美和子には今ひとつ納得できない。
美和子は立ち止まり、顎に手をやった。

「そうかも知れないわね」
「確認……した方がいいですよね」
「ええ……。でも蘭ちゃんと同じく、新一くん本人に聞くというのも、ちょっと……」
「そうですよね。やっぱ確証が取れてからでないと」
「それと高木くん、あれ見て何かおかしく思わなかった?」
「と言いますと?」

美和子は高木の腕を引いて、廊下の隅に連れて行く。

「ふたりとも、何だか少しぼんやりしていたというか……、目が虚ろじゃなかった?」
「あ、ああ、そう言えば……。あ!」
「なに?」
「あ、あのメーカーなんですけどね、あれに出てる子たちって、ああいう感じになってる人が多いらしいですよ。鑑賞会の時にも話が出てたんですけど、
あれは何かクスリでも使ってるんじゃないかって」
「そう……。じゃ、その辺から探りを入れましょうか」



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