彼に連れてこられたのは、ラブリーエンゼルを着地させたところから5分ほどジャングルの
中を歩いたところにある小さな岩山だった。
そこには、ちょうど人がひとりやっと入り込めるくらいの穴が穿ってある。
あたしたちはその中に入っていった。
驚いたことに、その地下にはかなり大規模な施設があったのだ。
この星にはひとりしかいない、それもモローとかいう気の違ったジジイだけだと聞いていた
ので、あたしらはかなり驚いた。
誤算である。
とはいえ、嬉しい方の誤算だ。
よく見ると、これがなかなかいい男なんだもん。

「驚かせてすまない。君たちがWWWAから派遣されたトラブル・コンサルタントだね?」

わぁお、響くようなバリトン。
声までステキじゃない!
年齢は、まだ30歳にはいってないね。
すっきりとした顔立ちで、目元が切れている。
といって、厳しかったり冷たかったりするイメージはない。
常に微笑んでいるという表情のせいもあるだろうけど、どことなく典雅な顔つきなのだ。
軽くウェーブのかかった茶色の髪がよく似合う。
ぽぉっとしてるユリを押しのけて自己紹介する。

「初めまして。あたしはWWWA所属のトラコン、コードネーム・ラブリーエンゼルのケイ
です」
「ラブリーエンゼルか。君たちにぴったりの可愛い名前だね。それにしても、犯罪トラコン
が、こんなに若くて美しい女性たちだとは思ってもみなかったよ」

ううん、なんて素直な感想。
きっと根が正直で善人なのね。
それにしても、なんだかこっちを見づらそうにしてる。
頬が少し赤いところを見ると、あたしの美しさに圧倒されてるのかも知れない。
どこに目をやればいいかわからない、ということなんだろう。
ムリもない。
うちらのコスチュームは、モロに女体美を強調しているのだから。
セパレートタイプだから、布が覆っているのは胸と腰だけ。
引き締まった脇腹やおへそなんか丸見え。
短い上着は襟こそついてるけど胸は大胆に前が開いていて、豊かな谷間がはっきり見える。
あたしくらいバストがあると、こうでもしないと息苦しいのだ。
太腿の付け根いっぱいについたホットパンツの切れ込みはそんなに鋭くないけども、ある
意味、ミニスカートよりもこっちの方が刺激的なはずよ。
綺麗な脚がスラッと伸びてるだけでなく、お尻の形もはっきり出ちゃうから。
そして脚は編み上げブーツ、手には長い手袋。
よくわからないけど、これもけっこう男心をくすぐるみたい。

それに、あたしの抜群のスタイル。
身長が171センチ、体重54キロ。
3サイズは上から91−55−91という完璧さだもの。
もうちょっと背が低い方がよかったかなと思わないでもないけど、相手がこの人ならだいじょぶ。
きっと180はゆっくりありそうだもの。

ユリの方も悪くはない。
168センチで51キロ。
バスト88、ウェスト54、ヒップ90。
まあまあである。
あたしが側にいるから目立たないが、そうでなければそこそこナイスバディで通用するん
だろう。

ちなみに、時々あたしらの自己申告する3サイズを眉唾だと思う人がいるらしいが、とん
でもない。
実に正確なのである。
なんせユリもあたしも、お互いに相手を意識してるもんだから、サイズの上げ底、サバ読み
は絶対に認めない。
だからそれぞれのサイズは、それこそ週に一度くらいの割りで、お互いに相手のサイズを
測り合っているのである。
ウソをつきようがないのだ。

それにしてもユリも頑張っている。
いつもこの3サイズが2センチと狂ったことがない。
ということは、あの食いしん坊ののんべも、裏では懸命にダイエットしてるんだろうな。
うむむ、こっちも負けちゃいられないぞ。

「でもビックリしたよ。いきなり対地ミサイルを撃ち込んできただろう?」
「……」
「僕の方でも君たちの通信を受けていたけど、立場上こっちから返信できなくて。だから
エアポートに案内しようと外に出たらあれだから」

ううう。
じゃああの時、近くにこの人がいたのか。
あそこにスペース作ったのは単なる偶然だから、あたしの狙点次第ではこの人死んじゃった
かも知れなかったんだ。
いけない、いけない。
これからはちゃんと警告してから発砲しないと。

「すみませぇん、ケイはがさつなものでご迷惑おかけしました」

ユリのやつがしゃしゃり出て、ぺこりと頭を下げた。
こやつ、何を他人面してるのだ。
あれはユリも暗黙に認めてたからこそ文句を言わなかったのだし、第一、そうしなければ
この星を一周しなきゃならなかったかも知れないんだぞ。
それなのに、あたしだけをバカ扱いしやがって、このアマ!

「君は?」

だめ!
ユリなんか無視して!
あたしにだけ聞いて!

「あ、そっちの子はユリって言うの。それで、あなたは?」
「これはすまない。僕はフリート・マールブルグ。宇宙物理学をやってる」
「ユリです。宇宙物理学というと、具体的には何をやってらっしゃるんですの?」

きっ、きさま、勝手に話し掛けるんじゃない。
あたしが先に口を利いたんだ。
これはあたしんだ。

「そうですね、理論物理とか、重力理論とか、その辺で博士号を取っています」
「まあ。それじゃマールブルグ博士とお呼びした方がよろしいですね」

ユリがそう言うと、博士は頭の後ろを掻いて、それこそ絵に描いたように照れた。

「いや、そんな。まだ28歳という若造ですし、先生とか博士という呼ばれ方には馴染め
ません。どうぞ気軽にフリーと呼んでください。友人たちはみなそう呼びます」

まあ、なんて謙虚なの。
若いのに、そんな立派な称号もらって天狗になってない。
性格もグッドだ、あたし向きだ。
なおも前に出ようとするユリを後ろ蹴りしつつ、フリーに迫る。

「それでフリー、あなたはなぜここにいるの? あいつらはいったい何なの?」

その質問はユリもしたかったらしく、特に反撃もしないでおとなしく聞いていた。
フリーは少し考えてからゆっくり答えた。

「まず、後の質問に答えよう。やつらはモロー博士が作り出した新生物だ」
「やっぱり……」

フリーの話によると、この密林にはあのじいさんが作り出した異生物だらけなのだそうだ。
ここに来る途中でも、けだものの鳴き声がしたり、がさがさとジャングルを動き回る音や
気配はあったから、あれもきっとそうだったんだろう。
フリーに出会わなければ調べたかも知れないが、あの時は彼に着いていくことしか考えて
なかった。

「彼は自分の研究所で、好き勝手に動物の遺伝子を操作し、物の怪を作り出してる」
「物の怪……」
「そう、まさに物の怪さ。君らもさっき見たろう? あの猿どももそうさ。まあ知能程度は
低いだろうから、人間に敵うとは思わないが、ああいうのをいくつも作ってジャングルに
放ってるんだ」
「……」

あたしは思わずユリの方を見たが、ユリもこっちを見ていた。
同じ気持ちだったのだろう。
フリーは、あのゴリラもどきを「知能が低い」と言ったが、そうではあるまい。
やつらは武器を持っていた。
つまり道具を使える能力と知能がある証拠である。
そして、リーダーらしいのが指示を下しているようなところも見た。
集団行動もとれるということなのだろう。
知性もあるのだ。
実際に対峙したわけではないから詳しいことはわからないが、ムギほどではないにしろ、
ゴリラやチンパンジーよりは遥かに知能レベルが高いことは間違いないだろう。
類人猿くらいはあると見た方がいい。

あのじいさん、一体何をやろうとしているのだろう。
あの猿たちを使って、ここに王国でも作るつもりなんだろうか。
亜人でも産み出すのか。

「……提訴したGPの懸念は当たってたってことね。じゃあ、モロー博士を逮捕して拘束、
それからあの動物たちを処分するってことかしら」
「そうなるわね。フリー、あのじいさ……モロー博士はどこにいるの?」

あたしの問いに、フリーは小さく頷いて話した。

「すぐ近くだ。ここから歩いて15分てところだな」
「場所を教えて。さっさと片づけてくるから」
「僕も行こう」

なんでそうなるのだ。
あんたはただの学者であって、これからあたしたちがやろうとしているのは、頭のおかしな
爺さんをとっつかまえてお仕置きしてやることだ。
学者の出る幕ではない。
そりゃあハンサムなフリーが側にいた方がいいに決まってるが、ジャングルには、あの武装
した猿どもがウロウロしているのだ。
当然、モロー博士の研究所も武装しているだろうし、警護だっているだろう。
そんなところにフリーを連れて行ったら危険に決まっている。
そう言うと彼はこう言った。

「WWWAのデータにはなかったかい? この星には、本当にモロー博士と僕しかいないん
だ。ルーシファが派遣した用心棒だの警備員だの、物騒なのはいないんだ」
「でも、どうして? フリーもそうだけど、何か大事な研究をさせているにしては不用心
じゃないの」
「ひとつは、あくまでこの星はひとりしかいないってことにしておきたいってことだろうね。
ひとりしかいないはずなのに監視衛星におかしな連中の姿が映ったら、怪しく思うやつも出て
くるだろうし。もうひとつ、モロー博士はかなり偏屈だから、他人をまったく信用していない。
だからルーシファによる警備を拒否してるんじゃないかな」
「……」
「そんなわけで、危険はないと思うよ。まあ、あの類人猿くらいかな」

フリーはバカにしているが、あれは甘く見ることは出来ないだろう。
あたしが迷っていると、ユリがそっと耳打ちしてきた。

「ケイ、連れて行きましょうよ」
「バカ、フリーが危ないじゃない。あの猿、ヤバイかも知れないのよ」
「だからよ。ここに留守番させといたって、猿の兵隊が襲撃してくるかも知れないでしょ」

なるほど、そりゃそうである。
ユリにしては頭が回ると思ったが、どうせこいつはフリーと一緒にいたいだけに決まってる。
そういう女である。
だめ押しのようにフリーが言った。

「モロー博士の研究所も、ちょっとわかりにくいところにあるんだ。君たちなら見つけられ
るとは思うけれど、遠回りになるかも知れない」

そう言われると断れないじゃない。
まあいい。
あたしだってフリーといたいし、何かあってもあたしらとムギがいれば守りきれるだろう。

「わかったわ、行きましょ」

あたしはそう言って彼の手を握ると、フリーは恥ずかしそうにそっと外した。
いいわあ、ホントにすれてないのねえ。
年上だけど、ぶりっ子じゃない純情さはいい。

ユリが先頭に立ち、ムギが後尾を守るように進んでいく。
あたしはもちろん、フリーと並んで歩いている。
それにしても、本当に道なき道だ。
獣道とは言うが、これじゃ獣だって歩くのに難儀しそうである。
ユリが先に立って草を踏み分け、蔦をナイフで切りながら進んでいく。
密林を歩きにくそうに進むフリーがポツリと言った。

「実は提訴したのは僕なんだ」
「は?」

フリーは今、何と言った?

「WWWAに提訴したのは僕だ」
「それって……」
「まあ聞いてくれ。これはさっき君……ケイがした最初の質問の答えにもなる」

この星にはふたりしかいないのだから、ここからフリーが提訴すればすぐにバレる。
だから彼は、いくつものサーバーを経由させ、発信元をなるべく分からせないようにした上
でGPのホストに潜り込み、そこから訴状をWWWAへ送りつけたらしい。

フリーの話によると、彼は3年ほど前にルーシファに囚われ、この星に連れて来られたらしい。
そしてある研究をすることを命じられていたのだそうだ。
彼は宇宙物理、それも理論物理をやっている。
ブラックホールを専門的に研究しているらしい。

「でも、ブラックホールの研究者であるフリーを、なんでルーシファは攫ったりしたわけ?」

くるりと振り向いたユリがもっともな質問をした。
あたしは、ハイスクールでの宇宙物理の授業を思い出す。

ブラックホールとは天体、つまり星の一種なのだ。
普通の星がなぜ丸いかと言うと、星にかかる重力と内部圧力がうまくバランスしている
からに他ならない。
だけど、何かの弾みで内部圧より重力が大きく優ってしまうと、その星は重力崩壊を起こす。
つまり、球の形を保てなくなり、どんどんと収縮していってしまうわけだ。
これが進行していくと、体積すらなくなりタダの点になる。

但しこの点は、とんでもない重力を持っている。
これは特異点と呼ばれ、重力も密度も無限大とされている。
これがブラックホールというやつである。

とにかくこいつは貪欲で、何でもかんでも吸い込んでしまう。
光すら例外でない。
しかも吸い込む一方で、自分からは何も出さない。
そして吸い込まれたらどこへ行くのか、どうなってしまうのか、それすらわかっていない。

そんなものをルーシファはどうするというのだ?
フリーが暗い顔で言う。

「彼らはね、ブラックホールを兵器として使おうと言うんだ」
「兵器ですって!? あんな危ないもんをどうやって……」
「それに、ブラックホールって見つけるのだって大変なんでしょ?」

さっき言った通り、ブラックホールというのは何でも飲み込むだけで、何も出さない。
従ってレーダー波だの音波だのを受けても、吸い込むだけ吸い込んで、何も返して来ない。
これではわかりようがないのである。
近づけば、当然こっちが飲み込まれてしまう。
実感としてブラックホールを発見した者は、次の瞬間、いなくなっているのだから仕方がない。

「そう。だから僕に、ブラックホールを作り出せ、と」
「何ですって!?」
「星は生命体ではない。けれど生死があるんだ。星が死ぬとどうなるか知ってるかい?」
「ええ。超新星でしょ?」

フリーはあたしを見てうなずいた。

「概ね太陽の三倍以上の質量を持った恒星は超新星になる。つまり爆発してしまうわけだね」

超新星という言葉からすると、まるで新しい星が生まれたかのようだが、実際は最後に死ん
だ時の爆発なのだ。
それがあまりに明るく、新しく生まれたかのように見えたところからそう名付けられただけだ。

「質量が太陽の三倍から八倍程度の恒星なら、超新星で爆発してそれでおしまいなんだけど、
それ以上に大きくて重たい星の場合、爆発した中心に中性子星というのが出来る」

うーむ、まるで大学の宇宙物理の講義みたいだ。
フリーみたいな教授だったら、あたしは喜んでその講義を取る。
ユリの頭脳レベルではムリなのか、もう前を向いてしまっている。
よしよし、ここであたしが熱心なところをアピールするチャンスだ。

「そして、太陽質量が三十倍以上になる星がブラックホールと化すわけだね」
「でも、そんなもの、仮に見つけたとしたってどうにもならないんじゃないの?」
「まあね。でも、僕はブラックホールを研究する過程で、偶然ブラックホールを人為的に
作り出す理論を見つけたんだ」
「ええ!?」

そりゃすごい。
間違いなくノーベル賞だし、ホーキング賞ものだ。

「それを、どこからかルーシファが知ったみたいで、僕は攫われてこのザマさ」

ユリが再び振り向いて言う。

「じゃあルーシファは、フリーにブラックホールを造らせて、それを……」
「そう。武器として使おうと言うんだね」

そ、それはまずい。
あんなものを投げつけられたらどうにもならない。
防ぎようがない。
逃げるしか手がない。
ユリが焦って言う。

「で、でも、そんなおっきなサイズのものをコントロール出来るの?」

というか、そもそもブラックホールそのものをコントロール出来るのだろうか。
近づけば吸い込まれるのに。
フリーはうつむきながら答えた。

「僕が成功しているレベルでは、ほぼ地球くらいの大きさの星でもブラックホール化する
ことが出来る」
「……」
「まあ、それでもでかすぎることに変わりはないけどね。だから今は、実用実験の段階だ。
最終的には、直径数百メートルくらいの大きさにするように言われてるんだ」
「じゃあ、もう使えるわけなの……?」
「いや、まだ副作用があってね」
「副作用って?」
「……理由はまだはっきりわからないんだが、人為的にブラックホールを造った場合、
同時にミニ・ブラックホールが出来てしまうんだ」

ミニ・ブラックホールとは、原子程度の大きさのブラックホールとされている。
「されている」というのは、あると予測されているだけで、まだ発見されたことはないからだ。
ということは、フリーはその存在まで発見したわけなのか。

「原子? そんな、見えないくらいちっぽけなものなら問題ないんじゃないの?」

ユリがすっとぼけた事を言うと、案の定フリーが窘めた。

「いや、そんなことはないよ。君たちはツングースカ大爆発って知ってるかい?」

知っている。
シベリア川上流域上空で起こった原因不明の大爆発事件だ。
確か20世紀初頭の話。
大森林地帯で、直径60キロに渡って森が炎上、消滅し、2000平方キロ以上の範囲で
樹木が薙ぎ倒された。
TNT火薬換算で10メガトンとも15メガトンとも言われている爆発だったらしい。

「確か原因は不明だったんじゃないかしら」

あたしがそう言うと、フリーはいささか得意そうに答えた。
自分の立てたその仮説を語るのは初めてなのかも知れない。

「そう。何らかの天体が落下してきたのは間違いないだろうが、隕石にしては落下孔やその
欠片がまるで発見されていないのが妙だ」
「でも、彗星とかなら残骸は残らないんじゃない?」

と、もっともなことをユリが聞く。
あれは氷というか、汚れた雪玉みたいなものだから、例え落ちてきても爆発で溶けてしま
って証拠は残らない。

「僕もそう思った。けど、それなら大気圏を突破する段階で、その摩擦熱によってかなり
溶けてしまうはずだ。それでもあんな大爆発を起こすほどの大きさを保っていたのであれば、
地球に向かってくる時はとてつもなくでかいはずだろう」

まあ、そうだろうな。
あ、そうか。
それなら誰かが気づくはずだってことか。
天文台だけでなく、アマチュア天文家だってたくさん空を睨んでいるんだろうから。
あたしがつぶやくようにそう言うと、フリーは得たりという顔でうなずいた。

「そうなんだ。で、僕はその原因をミニ・ブラックホールに求めている」
「ええ? でも、もしミニ・ブラックホールが地球にでもぶつかれば突き抜けちゃうんじゃ
ないの?」
「その通り。以前にもこの説は出たことがあったんだけど、もしそうならツングースカと
反対側、つまり地球の裏側でミニ・ブラックホールが突き抜けた時の大被害が出ているはず
だ、というんだね。これはもっともな意見で、反論の余地がなかった」
「フリーにはあるの?」
「ああ。僕はミニ・ブラックホールがその天体のコア付近に引っかかってしまう、つまり
そのまま止まって星の中に留まってしまう可能性を見い出したんだよ。まあかなり専門的に
なるから説明は割愛するがね」

いくら小さいとはいえそこまで威力のあるものが湧いて出てしまう原因が不明。
コントロールも出来ない。
となれば、その問題が解消するまでは、まだとても実用の域にはないのだろう。
学者らしい一途さで、活き活きと持論を展開する彼に対し、あたしは思わず言ってしまう。

「それにしたって、なんだってフリーもそんなものを……」

つい、あたしは口にしてしまった。
初めて核兵器を作った物理学者たちは、ヒロシマ、ナガサキをどう見たのだろう。
フリーにそれはないのか。

「……家族を人質に取られてね」
「……」
「わかってる、そんなのは言い訳だ。僕自身、自分の研究を進めたい、没頭したいという
気持ちがあった。なかったと言えばウソになる」
「……」
「正直言って、僕のいた大学や研究機関より、遥かに潤沢な資金や設備を提供してくれてる」

フリーは悔しそうな表情になった。

「僕はそんなことがしたかったわけじゃないんだ。ブラックホールを平和利用することを
考えていたのに」
「平和利用……?」
「そうさ、あいつは莫大なエネルギー源であり、理想的な永久機関にもなり得るんだ」
「ええ!? ブラックホールって吸い込むだけで何も出てこないんでしょう?」

ユリがビックリしたように聞いた。
あたしもまったく同感である。
説明する彼の顔が輝いている。
本当はそれをやりたかったのだろう。

「いいや、そうじゃないんだよ。ブラックホールが回転している場合はね、そのエルゴ
領域を使えば、物体を加速させることが出来るんだ。もちろん慎重に慎重を期す必要は
あるけれど、周辺の強力な重力磁場を利用すれば仕事をさせることも可能なんだよ」
「へえ……」
「さらに、もしブラックホールが帯電でもしていてくれればしめたものだ。荷電粒子を
使って電気を採取することだって出来るんだ。だから、ごく小さなブラックホールを造り
出し、そいつを側に置いておけばエネルギーには困らないシステムが出来るはずなんだ。
それがこんなことに利用されるなんて……」

そこでフリーは脚を止め、あたしとユリを見ながらきっぱりと言った。

「落とし前を着ける、なんてカッコつけるつもりはない。でも、こうなった責任は取り
たいんだ」

それでわかった。
フリーは、ルーシファの悪巧みと自分の研究のことを明らかにしたいがために、WWWA
に提訴したんだ。
名目はモロー博士の件だけど、いざトラコンが乗り込んで来たら、こうして打ち明ける
つもりだったのだろう。

「じゃあ、そのじいさんなんかよりフリーを守って帰ることが先決よ」

ユリが勢い込んでいる。
彼の話を聞くと、どうもモロー博士はカムフラージュのようだ。
どう考えたってフリーの研究の方が重要だろう。

この星には、少し頭のネジが緩んだ学者がおかしな実験をしている。
その噂を広めておけば、そこに宇宙物理の天才科学者が隠れていて、悪魔の実験をしている
とは思わないだろうというのだろう。
ユリの意見に賛成して、フリーだけ連れ出せばいいようにそう思うが、モロー博士も放って
は置けない。
大体、当初の任務はそっちである。

「おっと、行き過ぎた」

フリーが慌てて止まった。
彼が指差した辺りには、高さ3メートルほどの小さな滝が流れている。
彼は無造作にその流れに腕を突っ込む。
すぐに滝壺が割れて、地下道への入り口が開いた。
昔の特撮映画みたいな子供じみた仕掛けだが、なるほどこれは知らなければわからないだろう。

警戒しながら侵入する。
中は思ったより清潔な、リノリウム張りの廊下だ。
懸念した警備員や猿どももいない。
進んでいくと、すぐに通路は二股に別れた。

「右が研究室や実験場へ行く道だ。左は倉庫や裏口につながってる」

なるほど、なら常識的には右側の方が警戒が厳しいはずだ。
あたしが言う前に、ユリの方が口を開いた。

「じゃあ私がこっちを見てくる」

さも当たり前のように左を指した。
まったく、相変わらず楽をすることばかり考える女である。

「そっち危険だったらば、ムギ連れてケイが行って」
「ダメよ、ムギには他の仕事があるんだから」
「他って?」
「それなら僕がケイと行こう」

あたしとユリはビックリしてフリーを見た。
ユリが驚いたのは、フリーがこっちに来るということだろう。
ユリにしてみれば、なんとしてもあたしとフリーを引き離そうということだったに違いない。

で、あたしが驚いたのも彼がついてくると言ったことだ。
行った先でドンパチやる可能性もある。
そんな危ないところに連れて行けるわけがない。
だからあたしとしてはムギをつけて待機させておくつもりだったのだ。
だが、まあいい。
どうせ行くなら美男子と一緒の方が嬉しいに決まってるし、ムギには別口の仕事もある。

未練タラタラで愚痴愚痴言っているユリを足蹴にし、あたしたちは研究室に向かった。
けっこう迷路状になっていて、こりゃあフリーの案内がなけりゃ迷ってたかも知れない。
それにしても妙なのは、ここまで何の抵抗も受けないで侵入できたことだ。
もしかして、モロー博士という人は本当に学者バカで、自分の研究以外には無頓着なのだ
ろうか。
その見方が甘かったことは、室内に入って分からされた。

「やあ、来たようだね。おっと動かない方がいいぞ」

中には禿頭白髭のじじいがいた。
モロー博士である。
その周辺には、二頭の類人猿どもがいた。
部屋に入ったあたしとフリーにも、パラライザーらしい銃を突きつけている猿が左右に
一匹ずつがいる。
やはりこいつら、武器が使えるのだ。
あたしは素直にブラスターを捨てた。

「ほう、トラコンと言っていたが、こんな若い女だとはな」
「……WWWAのラブリーエンゼルよ。モロー生物工学博士、あなたに生態系管理法違反
の嫌疑がかかってるわ。そのお猿さんたちを見る限り、どうも本当のようね」
「ラブリーエンゼルじゃと? ほほう、悪名高いダーティペアかね。君らの悪い噂は、
世間知らずのこの年寄りでもよう知っとるぞ」
「……」
「あまり大暴れせんでくれよ。おぬしらが関わってきたら、この研究所はおろか、惑星ごと
吹っ飛ばされないからのう」
「お黙り!」

ムカついた。
こんなじじいに、しかもルーシファの手先なんぞに、なんでここまで罵られなきゃならんのだ。
そもそもきさまらが犯罪行為を犯さなきゃ、あたしらが出動することもなく、従って破壊活動
だってないはずなのだ。
そうよ、あたしらは任務を遂行する上でやむなくやっているだけだし、引いては誰がやっても
似たような結果になったはずなんだ。
断じてうちらのせいじゃない。
じじいが余裕綽々で言う。

「で、わしをどうするね」
「決まってるわ。あんたを逮捕して、この違法動物たちを処分するのよ」
「おやおや、罪もない動物たちを殺すというのかね? 君らに倫理観はないのかね?」
「生命を弄んでいるあんたに、倫理云々を言われる筋はないわよ!」

激怒ったあたしを手で遮り、フリーが前に立った。

「モロー博士、同じ科学者として警告する。もうやめてください。あなたの行為は、人間
社会にも動物たちにとっても危険であり、不遜だ。もうルーシファなどに協力するのは
やめるべきだ」
「君に言われたくないな」

フリーの言葉に、モロー博士は眉を跳ね上げて言った。

「君だって似たようなものだろうが。ブラックホールなどという危なっかしいものを兵器に
転用しようなんぞ、わしから見れば正気の沙汰じゃない。ルーシファに言われて研究させて
もろうとるのは、わしも君も同じじゃろうが」
「……だから僕はWWWAに提訴した」
「……」
「もう、ここまでだ。僕は自首するつもりだ。モロー博士、あなたも……」
「おまえか」

老人の目に、メラメラとした冷たい炎が宿ったように見えた。

「おまえがこの乱暴者どもを呼び寄せたのか」
「乱暴者とは何よ!」

あたしは突きつけられたライフルを手刀で叩き落とし、バックキックを思い切り決めてやった。
類人猿の胸板は厚かったが、それでもまともにブーツの踵を喰らってぐらついた。
不意打ちを食って慌てたのか、フリーを脅していた猿が焦ってこちらに銃口を向けてくる。
そこにフリーが飛びかかった。

「フリー、危ないわ!」
「構うな! こいつだけは僕が何とか抑える、あとは頼む!」

そんなのムリに決まってるけど、仕方がない、やるしかない。
ブラスターは遠くに蹴り飛ばされている。
ブラッディ・カードを使おうかと思ったが、フリーがいる。
おとなしくしていてくれれば何とかなるが、彼も猿に組み付いている以上、無茶は出来ない。
となれば、これしかない。

「ええいっ!」

あたしは一声叫ぶと、猿の左胸目がけてドロップキックを打ち込んだ。
今度は爪先である。
だが、ただのブーツの爪先ではない。
仕込んである刃を出して蹴り込んだのだ。

いかに硬い筋肉であろうとも、デューム鋼製ナイフの敵ではない。
呆気ないほどあっさりと、刃先は猿の胸を貫いていた。
名状しがたい悲鳴を上げて猿が仰け反った。
あたしは左足で猿の胸を押しやり、猿の背中まで突き抜けた右爪先の刃を抜いた。
途端に血が零れ出す。

続けて今度は、猿の首を目がけて回し蹴りをくれてやる。
頸動脈を切るつもりだったのだが、ザクッと肉が裂ける音がして、やつの首が半分くらい
切れ込んだ。
たまらず猿は地響きを立てて倒れ込んだ。

「フリー!」

助けようと思ってそっちを見たら……あちゃー、だめだ。
類人猿どもが三頭がかりで彼を押さえ込んでいる。
あんなでかいのに三頭がかりで上からのしかかられたら、あたしだって身動き取れないだろう。
モロー博士は、そんな状況にはまるで無関心かのように、あたしに倒された一頭の傷の具合
を見ていた。

「……死んでおる」

老博士は軽く首を振りながら言った。

「まったく、なんてことをしてくれるんじゃ。いったい、一頭作るのにいくらかかると思って……」
「うっさいわよ!」
「うるさいのはおまえの方だ。武器を捨てろ」
「……」
「そのブーツは物騒でいかんな。脱げ」

あたしは歯ぎしりしたが、フリーは人質ではどうにもならない。
その彼は、猿にのしかかられ、一頭に首っ玉を掴まれている。
あたしが抵抗すれば捻り殺すというわけだろう。
あたしはやむを得ず、言われた通りブーツを脱いだ。
あと武器らしい武器は、ブラに入ったブラッディ・カードだけである。
こいつは何とか気づかれないようにしないと。
じじいが近づいてきた。

「ようやくおとなしくなったな、このじゃじゃ馬めが」
「大きなお世話よ。それより、あんたこんなことしてタダで済むと思ってるの? WWWA
に刃向かうってことは、銀河連合にケンカ売ってんのと同じなのよ」
「そんなことはどうでもよい」

モロー博士は肩をすくめて言った。

「取り敢えず、今のわしにはルーシファからの補助と保護がある。当面は大丈夫じゃわい」

あたしはちらりとフリーの方に視線を走らせる。
幸い、彼のもとには一匹だけだ。
残りの二匹は博士の左右にいる。
なんとか、なんとかフリーが逃げてくれれば。
あたしだけなら、どうにでもなる。
それとユリ。
あの子がうまく裏から入って来てくれれば。
ううん、それよりムギよ。
ユリよりよっぽど頼りになるムギ、あいつがあたしの言いつけを守って侵入してくれていれば。
あたしの方を無遠慮にジロジロ見ていたモロー博士が言った。

「……どうだ、すぐ死にたいかね?」
「そんなわけないでしょ」
「そうか。では実験にご協力願おうかね」
「実験ですって?」

冗談じゃない。
こいつの実験ときたら、どうせDNAいじるとか、遺伝子組み替えるとか、そういう類の
ことだろう。
そんなことされた日にゃ、あたしがあたしでなくなっちゃう。

「お断りよ。あんたの実験につき合うくらいなら、さっさと殺された方がマシだわ」

それはまったく本心である。
だが、じいさんはニヤニヤしながら首を振った。

「おまえの意志など無関係だ、いやでも協力していただく。それ」
「うっ……ぐぐう……」

博士が合図を送ると、フリーの苦鳴が聞こえた。
見ると、猿に喉笛を鷲掴みにされている。

「フリー!」
「わかったかね。君に選択肢はないのだ」
「……卑怯者!!」

両脇にいた猿どもが、それぞれあたしの腕を掴み、上へ持ち上げた。
フリーのこともあり、そのままにされていたけど、抵抗しようにも出来なかった。
なんせスゴイ馬鹿力でビクとも動きゃしないのだ。
為す術もなく、あたしは万歳させられている。
そんなあたしを見てフリーが暴れて喚く。

「やめろ、モロー博士! ケイ、僕のことは放って置いてくれ。こんなやつの言うこと
など……」

そこで彼の言葉が途絶えた。
声は出ていた。
聞こえたのは名状しがたい悲鳴、いや絶叫だった。
そこに立っていたフリーが変だった。
頭一つ背が低くなっている。
いや、そうではない。
首から上がなくなっていたのだ。

その時あたしは、ああ人間て首が飛んでも血が噴き出したりしないんだ、なんて思ったりした。
よく考えれば当然で、噴水みたいに噴き出すほどの血圧だったら、首を斬られる前に死んで
いるだろう。
悲しみはその数瞬後に襲ってきた。

「いやああっ、フリーっ!」

猿に首をもがれたフリーがゆっくりと倒れ、どくどくと血が零れ出ていた。



  ───ブラックホールに関する内容ついては、事実、仮説ともに、小松○京氏の
     「さよなら○ュピター」からいただいてしまっています(^^;)─────



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