一週間後、響子は待ち合わせのホテルのロビーにいた。
落ち着かない。
外資系の高級ホテルで、そんな場所には来慣れていないということもあるが、それ以上に「これからの行為」を思うと心がざわつく。
「これでいいんだ」という決意の裏には「これでいいのか」という悩乱がある。
後悔、後ろめたさ、妙な居心地の悪さ。
そのどれもが美貌の若妻の心を灼いていた。

響子と裕作は、瞬の要求を呑んだのである。
三鷹瞬の境遇には同情すべきものがあった。
知人として何とかしてあげたいと思う。

が、それとこれとは別だ。
彼の申し出は唐突で無茶だった。
5000万円という大金と引き替えに、響子の身体を買おうというのだ。
おまけに、瞬の子を宿して欲しいというふざけた要求だった。
響子はもちろん、夫の裕作は激怒し、突っぱねた。
瞬とは響子を奪い合った仲だったのだから、その思いは強い。
もちろん今では遺恨じみたものはないが、今回の件で再び蒸し返されたような気持ちになる。

ただ「けんもほろろに追い返す」とならなかったのには理由があった。
ひとつは瞬が正直に申し出てきたことである。
こっそりと響子だけに通じるとか、逆に裕作へカネをちらつかせて要求していれば、相手にもしてなかったろう。
なのに瞬はわざわざふたりを訪ね、自分の身の上も含めて包み隠さず事情を述べてきた。
その上で裕作に「まだ響子に未練があるんじゃないか」と問い詰められると、それも正直に認めたのだ。
少なくともこの件に関しての瞬は、言い繕ったり誤魔化そうとはしなかった。

そしてもうひとつは、言うまでもなくお金の問題だ。
やはり一刻館の件は大きかった。
一刻館の相続とそれに伴う相続税、及び行政指導による改築工事。
それらは、自分たちではどうにもならぬほどの資金が必要になるのだ。
裕作が生業の他にバイトをしたり、響子がパートに出たとしても、とても賄いきれるようなものではなかった。
無理もない。
費用の1/10ですら、彼らには調達できないのである。

そこへ、まさに降って湧いたような資金提供の話が来た。
もしや瞬は、予め一刻館の情報を掴んでいてそこで奸計を仕掛けたのでは、との疑いも持ったのだが、よくよく考えてみればそんなことがあるはずもない。
この話は、響子にしても義父の葬儀の際に初めて知らされたものだし、そもそも話を持ってきた義兄にしたところで葬儀当日に弁護士から初めて聞いたのだ。
そんな内輪の話を瞬が知り得ようもなかった。
つまりは偶然だったのだが、その偶然は響子と裕作の運命を大きく変えるほどの威力を持っていた。

無論、無視も出来る。
瞬の要求を拒絶し、一刻館は相続拒否して遺族へ譲る。

そうすれば特に問題はないのだ。
義兄は一刻館を潰して土地を売るつもりのようだったから、そうなれば響子たちも立ち退かねばならない。
だが、それにしても新たなアパートを探せばいいだけだし、立ち退きの際にはもちろん立ち退き料は支払われる。
それと、土地を売ったらその利益の一部を、少額ながら「今までの謝礼」として支払ってもいい、という話もあった。
つまり理屈の上では、響子たちの執るべき道はそれしかないのだ。

だが、理屈で心は割り切れない。
一刻館への思いはそれだけ強かった。
裕作にとってもこのアパートは、あまり明るかったわけではないものの青春を過ごした貴重な場所であったし、何より妻と出会い、結ばれた思い出の建物でもあるのだ。
裕作は響子との結婚の際、改めて響子の亡夫だった惣一郎の墓を参った。
その時に、まだ響子が忘れられないでいる惣一郎の記憶も、そして一刻館も「響子の一部」として共に受け止める、と宣言したのである。
その一刻館を見捨てることは出来なかった。

そして響子の思いは裕作の比ではない。
裕作のこともそうだが、前夫の惣一郎を亡くし、失意のどん底にあった響子が自分を取り戻していったのは、間違いなくこの一刻館のお陰ではあるのだ。
もちろん住人たちとの交流も忘れられない。
色々と面倒ごともあったが、そのお陰で響子は気を紛らわすことが出来た一面もある。
その彼らに対して「取り壊すから出て行って欲しい」とは言えない。
そんなことをしたら、特に一の瀬一家は路頭に迷うことになるかも知れない。

無論、そんなことは響子たちには無関係ではある。
もともと「雇われ」管理人なのであって、一刻館の所有者ではない。
ただ今回の場合、響子が一刻館の持ち主になれ可能性があり、瞬の話を呑めば資金のやり繰りも解決してしまう。
裕作は複雑……というより納得できないだろうし、響子自身もイヤなのだが、それさえ我慢すればすべて円満解決してしまう可能性があるのだ。
この二律背反は大きかった。

この一週間、裕作と響子は何度も何度も話し合った。
裕作は当初、瞬の要請に怒り心頭で「聞く耳持たぬ」といった風情だったが、彼だって一刻館に拘りはあるのだ。
響子と相談していくうちに、裕作も激しい葛藤に悩まされていくことになった。

一刻館は残したい。
そのためには資金が必要で、その額はとても裕作たちでは都合出来ない。
そこへ瞬の話が来た。
迷わないはずがない。
それでも「お金のために妻を差し出す」という、夫として究極の選択を迫られれば、裕作でなくとも呻吟するに違いなかった。
しかも相手が瞬である。
これが、見も知らぬ相手であればまだマシだったかも知れない。
かつてのライバルで、今も響子に並々ならぬ関心を持っている男が相手なのだ。

しかも瞬に抱かれるだけではない。
子を孕まされるのだ。
当然、出産しなければならないし、おまけにその子は響子が育てるのではなく三鷹家に連れて行かれてしまう。
これではまるで「カネで抱かれる売春婦」であり「子を産む機械」扱いされているのと同じだ。
ふたりの間ではこれが大きなネックとなり、妊娠させられるだけでなく産んだ挙げ句、子まで取られるということで「断る」方向でまとまりつつあった。

しかしそこに瞬から連絡があり、響子は妊娠するだけで良いということなったのだ。
響子の受精が確認されれば、すぐさまホストマザーに移されるというのである。
瞬は「借り腹」とか「代理出産」「代理母」という言葉を使った。

つまり響子から採取した受精卵を、別の女性の子宮へ移して成長させ、出産させるということだ。
但し、代理母出産ということについては、日本では自主規制されている。
自主規制というのは、国が法律で禁止しているということではなく医学界──この場合、日本産科婦人科学会──が、倫理面や世論を鑑みて「やらないようにしよう」と決めているだけである。
つまり法的な規制や罰則があるわけではない。
今まではこの規制が忠実に守られているものと思われていたが、実際には隠れて代理母出産が行われていたという事実が判明した。
法規制はないという制度上の不備を利用する形で、一部の産科医や病院で実施していたことがわかったのである。

このことは日本に大きな衝撃をもたらしたものの、結局、解決することはなかった。
国は規制法を作ることはなく、医学界も相変わらず自主規制を徹底する、という結論である。
この問題は、実施していた医師が公表したからこそ明るみになり、問題となったのであって、口をつぐんで行なっていた病院や医師が実際にどれだけいたのか、代理母で出産したケースがいくつあったのかは闇に葬られたままだ。

無論、倫理に悖る、脱法だという意見が主流だったものの、一方で子宝に恵まれぬ夫婦にとっては切実な問題である。
法規制があったとしても、規制のない外国へ渡って代理母を利用しようとする人も出て来るであろう。
そして今現在、日本では法規制はないのだからやっても構わないとして、隠れて国内で行なうケースはあるに違いなかった。

瞬はこのことに目を着け、利用することにしたらしかった。
これによって、響子たちの懸念のひとつは解決したことになる。
響子が懐妊すること自体は不思議ではない。
夫の裕作がいるのだから、その子だろうと知人友人は思ってくれるだろう。
だが、出産したはずの子供の姿がなかったらどう思うだろうか。
死産してしまったとでも伝えるしかないのだが、そんなウソをつくのは心苦しかった。

ある意味、もっとも大きな問題だったものが解決──とは言い難いが──してしまったこともあって、特に響子は前向きに考えるようになったようだった。
裕作は相変わらず大反対だったが、これは瞬への嫉妬があるからだろう。
響子は、一刻館とその住人たち、お金、裕作、瞬の状況……それらをすべて考え併せ、夫に「受けてもいい」と告げたのだった。
自分ひとりが犠牲になれば──犠牲という言葉には問題があるだろうが──すべて丸く収まるならそれでもいい、と。

裕作は唖然とし、結婚以来ほとんど初めて響子を激しく怒鳴りつけた。
気の強かった響子も、この時ばかり夫の怒りを黙ってすべて受け止めた。
裕作にすれば当然の感情である。
最愛の妻を寝取られ、おまけに孕まされることがわかっているのだ。
憤慨しない方がどうかしている。

だから響子は、素直に自分の気持ちを告げた。
その上で、どうしても裕作がイヤなら断るからそう言って欲しい、と言ったのだった。

裕作は絶句した。
妻が「本気」であるとわかったからだ。
響子の気持ちはよくわかるのだ。
一刻館のこと、住人のことを考え、お金のことを踏まえて自分なりに結論を出したのである。
無論、響子のことだから瞬の身の上に同情し、何とかしてあげたいとも思ったに違いない。
ただそれは裕作に対して不貞を働くこととなり、だからこそ裕作に最終判断を委ねたのである。

響子としては、瞬に身体を許すことになるとはいえ裕作を裏切るつもりは毛頭ないし、愛情は変わらないと信じている。
この件で瞬に靡くとは毛の先ほども思っていない。
だから裕作が認めれば構わない。
そう思っていた。

しかしその一方で裕作に「強引にでも引き留めて欲しい」という思いがあった。
「バカなことを言うな!」と殴られてもいい。
その上でしっかりと抱きしめて「おまえを離す気はない」と言ってくれれば、響子だって一も二もなく夫の命令を承諾し、瞬に断りの電話を入れたことだろう。

だが、それはなかった。
夫は黙り込み、瞬の指定した締め切り日ぎりぎりまで考えてから響子を抱きしめた。
響子はハッとしたのだが、夫の言葉は期待したものと違っていた。

「響子がいいのであれば……、そうしてもいい」

聞き間違いでなければそう言ったのだ。
裕作も、一刻館のしがらみから抜けきれなかったのだ。
それに、もう住まいの心配はしないでよくなる。
完全にこの建物が自分たちの資産となるのだ。
今の裕作の状況を考えれば、家を持つなどというのは夢物語だ。
響子とふたり、そして子供が出来れば家族で終に暮らせる家を持てるのである。
代償は大きいが、響子がその気なら自分さえ我慢すればいい。
そう考えたのだった。
今度は響子が唖然として夫の顔を見つめることになったが、すぐに視線を外し、彼の胸に顔を埋めた。
懸念事項は解決に向けて大きく前進することとなったが、同時に何か大きなものを喪ったような気もしていた。

この話を受ける気になったのは、もちろん一刻館のことが大きな要因ではあるが、本当にそれだけなのだろうか。
瞬は響子にまだ思いがあることを口にしていた。
もしかすると響子もそうなのではなかろうか。
なぜ断らなかったのだろう。
夫に決断を一任したりせず、最初から響子が「絶対にイヤだ」と言っていれば、裕作はもちろん瞬だって無理強いはしなかったはずだ。
なのに、一転してその気になってしまったのはなぜだろうか。
相手が瞬でなければこの話は受けなかったのではないだろうか。
もうすでに心のどこかで夫を裏切っているのではないのか。
響子はその思いに取り憑かれたまま、このホテルまでやって来たのだった。

時間通りに現れた瞬と挨拶もそこそこに部屋まで連れて行かれたのだが、その間の記憶がほとんどない。
何か会話をしたのか、それとも俯き黙ったまま歩いていたのか憶えていない。
気がつくと響子はシャワーを浴び終え、今は瞬がシャワー室にいた。

「……」

響子は、今さらながらの後悔と夫に対する背徳感がない交ぜとなった気持ちを持て余している。
当の裕作も今回の件は認める──というより「目を瞑る」ことになった……、つまり「夫公認」になったはずなのに、なお後ろめたさがへばりついて離れなかった。
そして「もしかすると自分も瞬に惹かれているのかも知れない」という疑惑もあって、裕作への申し訳なさが心に突き刺さる。

「……響子さん」
「っ!」

突然に呼びかけられ、響子はハッとして顔を上げた。
いきなり声を掛けられたように感じられたのだが、心ここにあらずだった響子は何度も呼ばれていたのに気づかなかったのだ。
ガラステーブルを前にしたソファに浅く腰掛けていた響子は、少し焦ったようにガウンの前を合わせた。
その仕草を見て瞬が小さく聞いた。

「……もう覚悟は出来たものと思っていましたが」
「……」
「いいですね?」
「あっ……!」

瞬は響子の背と膝の下に腕を回して抱き上げ──いわゆる「お姫様抱っこ」だ──、そのままベッドまで運んで横たえた。
響子は慌てて腕を突いて身体を起こそうとするが、その上から瞬がのしかかろうとしていた。
膝を突き、両手を響子の顔の左右に突く。
ベッドのスプリングがギシッと鳴り、その音がやけに艶めかしく聞こえた。
響子は瞳を潤わせて、震える小声で言った。

「や、やめて……」
「……」
「お願いです、三鷹さん……。やっぱり……、やっぱりこんなこと、やめましょう……」

瞬は響子の顔をジッと見ながら低い声で言った。

「今さら、ですか?」
「ごめんなさい……。でも、こんなのやっぱりおかしいです……。私……」
「お金は……、いいのですか?」
「……」

お金のことを口にすると、響子の声と動きがぴたりと止まった。
カネで女を脅迫するなんてオレも堕ちたなと自己嫌悪したものの、瞬は気を引き締めた。
今の自分にはもう時間がないのだ。
こうでもしないと子孫を残せない。
いや、わかってる。
世継ぎのことは言い訳かも知れない。
死ぬ前に何とか響子をものにしたい。そう思っているだけかも知れないのだ。

が、それもいい。
いずれにせよ、このままでは未練が残る。
響子も、そして今の夫である裕作も認めたことだ──苦渋の選択ではあったろうが。
ならば何を遠慮する必要があるだろうか。
それに──、瞬は響子にわからぬように苦笑した。
それに、以前の自分であっても、響子とこのシチュエーションになったら、強引にでもものにしたに違いない。
憶えて後じさろうとする響子の手首を掴むと、そのままのしかかった。
人妻は唇を震わせて抵抗している。

「い、いやっ……! だめ、やめて、三鷹さんっ……」
「……」
「離して! お金は……、お金はもういいですからっ」
「本当に?」
「……」
「あなたとあなたのご主人にどんな事情があるのか、僕は知りません。響子さんや五代くんが、ただお金が欲しいから何でもするような人だとは思えない。ですが、何か理由があってお金が……、それも大金が必要なのではないのですか?」
「それは……」

言い淀んだ響子が顔を伏せると、瞬は少し力を抜いた。

「人にはそれぞれ事情がある。相談するのでもなければ、いちいち他人が関知すべきことじゃありません。だから僕は無理には聞かない。ですが……、ですが、僕にも事情があってあなたを抱きたい。見返りとしてお金を出す、そういう条件です。それを理解して話を受けたのでしょう?」
「……」
「だったら、もう何も考える必要はありませんよ。あとは「結果」を出すだけです。無論、五代くんには辛い思いをさせてしまうことになる。もしかしたら、あなたにも……。でも、そのお礼は充分ではないかも知れないが、差し上げる。それでいいじゃありませんか」
「あ、でも……、お願いです、やめて! こんなの私……、あ、いや!」

響子の悲鳴にも似た哀願を聞きながら、瞬はその大きく見開かれた目をじっと見つめる。
瞳は潤み、睫毛が細かく震えていた。
瞬は響子の両腕を頭の上で押さえ込みながら顔を近づけていく。
何をされようとしているのか気づいた響子は慌てて顔を振った。

「い、いやっ……!」

迫ってくる男の唇から逃げようと顔を逸らすが、組み伏せられている身ではもう逃げようもない。
それでも何とか唇を守ろうと顔を背けると、襟元から大きく覗いている伸びた白い首筋に口を這わせてきた。

「ひっ……!」

敏感な皮膚に男の熱い吐息と唇を感じ、響子は引き攣った悲鳴を上げた。
目を堅く閉じ、顔を伏せる響子を見下ろし、瞬は改めてその肢体を眺めた。

目の前にある乳房は想像以上に豊かで張りのあるものだった。
女に困った経験のない彼は、さほど自慰は必要なかった。
が、響子を知って以来、思うようにならぬ彼女を夢想し、ひとり欲望を放出したことはあった。
彼にとっては珍しいことだったが、それほどに響子に惚れていたことになる。

夢にまで見たその乳房は、響子の年齢相応にむっちりと重そうで、見ているだけでその弾力がわかるほどだ。
瞬は息を飲んでその乳房に触れてみる。

「ひっ……、いや!」

響子は、夫以外の男に胸をさらし、あまつさえ愛撫までされてしまい、掠れた悲鳴を上げた。
指が柔らかい乳房に食い込み、やわやわと優しく揉み上げていく。
驚くほどにすべすべした肌の感触を愉しんでいると、次第に濃いピンク色の乳首が恥ずかしそうにぷくんと膨れあがってきた。
もう響子は諦めたのか、瞬の愛撫に身を任せている。
ただ、その表情は堅く、そして辛そうだった。
今の瞬はその状態を気に留める余裕もなく、今まで我慢に我慢を重ねてきた女体をいじくることに専念している。
乳首がコリコリしてくる頃になると、瞬はもう遠慮なく両手で両の乳房を揉みしだいていた。
響子も「もうどうしようもない」と思ったのか、この屈辱と恥辱の時が早く過ぎ去ることだけを願い、身を固くして耐え抜いている。
その貞淑な人妻が突如、鋭敏に反応した。
瞬の舌が乳首を捉えたのである。

「あうっ……!」

男の手が乳房を搾り、括りだした乳首を舌で舐め、吸い上げていく。
そのまま唇で咥え、舌先でちろちろと舐め回す。

「くっ……、んっ……あ、いや……はあっ……!」

特に感じるところに舌や唇が触れると、響子の裸身がギクンと小さく跳ね、上に乗った瞬に感応していることを伝えている。
響子は意外なほどの快感に驚いていた。
夫の裕作にも同じことはされている。
裕作も響子の見事な乳房に魅せられ、執拗なほどに揉み、舐め回すように愛撫した。
それは気持ち良かったのだが、瞬にされるとまた別の鋭い快感が突き抜ける。
上手下手ということもあるだろうが、夫を持つ身でありながら、他の男──それも独身時代から自分に興味を持ち続けていた男にそうされていることが、響子に背徳感を与えていたのだ。

「んんっ……」

響子は、思わず喉から噴き上がりそうになる声を必死に堪え、手をぎゅっと握りしめる。
瞬に抱かれるだけでなく、感じてしまいでもしたら、それこそ裕作に申し訳が立たない。

出かける前、裕作は響子に「気をつけて。無理をしないで」と優しく言ってくれた。
本来であれば、とても冷静でいられるはずもないのだ。
響子をものにしようとしていたライバル同士だったのだ。
その男に響子を預けねばならない。
しかも、抱かれることは確実なのだ。
裕作の自分に対する思い、その愛情の強さと深さは響子だって痛いほどにわかっている。
だから今の裕作は、きっと失望感と後悔、そして心と身体を灼き尽くさんばかりの嫉妬に襲われているはずだ。
ある意味、瞬に抱かれる響子よりも精神的にはきついだろう。
その夫の苦しさ、痛みを思えば、自分の辛さなどどうということはない。

そう思うと、響子はほんの少しだけ気が落ち着いた。
この時間を乗り越えて帰宅したら──また夫の好きな肉じゃがとオムレツを作ってあげよう。
早く裕作の「おいしいよ」の声が聞きたかった。

そして抱擁。
彼の暖かい胸を感じ、口づけを交わし、瞬のことを忘れるまで抱かれるのだ。
そうして、瞬に抱かれてくすんでしまった身体を、裕作に浄化してもらう。
それが自分にとっての禊ぎとなる。
そんな気がしていた。
響子は、目の前にある瞬の整った顔から目を逸らし、裕作の穏和な笑顔を懸命に思い出していた。
何だかホッとする。
ほんの少しだが余裕が生まれてきた。

「……」

瞬は、響子の反応が急に薄くなったことに気づいた。
少し焦って、その柔らかい女体のあちこちを揉み、擦りだしたが、やはり響子は乗り気薄だ。
そのうち響子が小さい声で言った。

「三鷹さん……」
「……何です?」
「もう……、そんなに身体を、その……いじらなくてけっこうです……」
「……」
「早く……済ませて下さい……」
「しかし……、このままでは……」
「勘違いしないで」

響子は瞬の好きに身体を触らせてはいたが、意外ときっぱりした声で言った。

「……こんな言い方はどうかとも思うんですが……」

それでもやはり響子は瞬を気遣っている。
言われる側は傷つくかも知れないと察したからだ。

「私は……、私は「好き」であなたに抱かれるわけではありません」
「響子さん……」
「これは……、男女の愛情の交換ではないと思います……。私はただ……、いいえ、あなたと私は、ただ「あなたの子を作る」というその行為のためにこうしているだけです。違いますか?」
「……」

ズバリと指摘され、瞬は絶句した。
二の句が継げないとはこのことだ。
瞬は、そこはかとない敗北感と屈辱感を同時に味わった。
響子を諦めた時でさえ、ここまでではなかった。
言われていることが事実なだけに、響子の言葉は強烈だったのだ。

瞬の動きが止まったのを見て、響子は少しだけ動揺した。
さすがに「言い過ぎた」と思ったのかも知れない。
しかし、これは紛れもない事実なのだ。
お金の問題や瞬の申し出がなければ、こんなことは一生なかったはずなのである。
そこを割り切ってこうした行為をしているのだ。
そのことを瞬にもわかって欲しかった。

響子はどうしても必要なお金のため、そして瞬は子孫を残すため。
そのためだけにこうしていると思って欲しい。
そこに愛情や嫉妬がもつれ込んだらややこしいことになるだけだし、そもそも響子は瞬に対する愛情──恋愛感情と言った方が正しいだろう──は、ないのだ。
さっき、つい感じてしまったのは、夫以外に初めて肌を許すことに対する背徳感と、物理的に性感帯を刺激されたせいだ。
それ以外、ない。
そのことをはっきりと確認した今は、もうほとんど性感はない。

「……」

瞬の顔に表情が消えた。
響子の言葉で彼は「何か」を失ってしまった。
典型的なフェミストであり、女性に対して決して暴力的になるようなことはない男だったが、それは彼を本気で怒らせるような女がいなかったからでもある。
今し方響子に言われた言葉は、そんな瞬を怒らせる──ではなく、冷酷にするだけの威力があった。
だが、瞬は決して女に手を上げるような男ではない。

それなら遠慮などしない。
上等だ。
そうなら響子の言う通り、しっかりと「子作り」してやる。
そう思ったのだった。

「あっ……」

乳を揉まれても首を舐められてもひたすら耐え、じっとしていた響子は急に声を洩らした。
瞬の手が股間に伸びて来たのだ。
膝を使って半ば強引に脚を開かせると、その中心部をいじってくる。
柔らかい繊毛を擦り、襞を撫でるようにされると、また少しだけピクッと裸身が震える。
そしてクリトリスを嬲られれば、さすがに声が出てしまう。
これはもう機械的なものに近い。
神経が集中しているところに刺激を受ければ、誰だってそうなるのだ。

しかし、敏感なクリトリスを優しく触られても、感じると言うよりはむしろ少し痛いくらいだった。
感じてはいない。
響子は自分の身体の反応に満足した。
それでも、そうした愛撫を受け続けていると、知らず知らずのうちに響子の身体は性交準備段階へ入っていく。
官能的な太腿の付け根にある媚肉は少しずつ変化してきている。
花びらも開き始めていた。
瞬はそのことをわざと響子に伝えた。
無論、羞恥心を煽り、少しでも彼女を感応させるためだ。

「……なんだかんだ言って、少し濡れてきましたね」
「……そうですか」
「じゃあ、もういいですね? 入れますよ?」
「……どうぞ」

響子は出来るだけ冷静に、感情の籠もらぬ声でそう返事した。
プレイボーイとして鳴らした瞬にとってはかなりの屈辱だろう。
それも惚れた女に言われたのだ。
それなら……、とも思ったが、時間もない。
今回は取り敢えず「目的」を達することが先決だと思った。
「目的」とは妊娠させることもあるが、瞬としては「響子とのセックス」である。
長年思い続けた夢だ。

そそり立ったペニスの先が、僅かに濡れ開きかけている割れ目にあてがわれる。
亀頭の先で、入るべき小さな孔を探り出すと、瞬は一度深呼吸してから、固くなった男根を押し込んでいく。

「っ……!」

響子は少し仰け反った。
声を出すのは何とか耐えた。
自然と身体が瞬から逃れようとして、背で這うように後ずさりしてしまう。
瞬は素早く両手を響子の背に回し、その肩を押さえ込んでしまった。

「……」

とうとうこの時がやってきてしまったことを痛感する。
あとはもう、時間が過ぎるのを待つだけだ。
響子は身体を堅くして動きを止めた。

「……」

瞬の方も動きが止まった。
中は思ったよりも狭い。
響子のことだから、男遊びなどはしていまい。
恐らく、死んだ前夫と裕作しか男を知らないのだろう。
しかも亡夫はかなり年上だったし、響子をかなり大事にしていたそうだ。
手を出していないということないだろうが、それでも夫婦生活はあまり多い方ではなかったはずだ。

裕作はまだ若いから、響子の身体に溺れているかも知れない。
が、裕作本人だってさほど経験が多いわけもないので、恐らく響子は肉体的には発展途上なのだろう。
見た目には熟れた女体なのだが、経験値はかなり低いと思われた。
この狭さもそれなら納得出来た。
まだ「開拓」し終わっていないのだ。
女体としては素晴らしいだろうが、未発達の上、響子自身にまったく「その気」がないとなれば、さすがに瞬もどうしようもなかった。
悔し紛れに挿入していくしかない。

「くっ……」

響子は顎を反らせ、呻き声を上げた。
もう覚悟はしているのか、この期に及んで「やめて」とは口にしなかった。
瞬は些かサディスティックな感情に囚われながら、引き裂くように響子の身体へ入っていく。
少し濡れていたからまだマシだったが、そうでなかったら挿入すら出来なかったかも知れない。
それくらいきつかった。
それでも、響子の膣肉と胎内が、瞬の男根をぬっぽりと咥え込み、きつく締めつけていく。
響子の熱を感じながら、瞬は身体を動かし、突き上げてくる。

「っ……くっ……んんっ……」

唇を噛みしめた響子は、鼻腔から僅かに声と息を漏らした。
どう聞いても喘ぎやよがり声ではない。
呻き声だ。
それも苦悶、苦痛を訴える類に違いない。
瞬は顔を近づけて見たが、響子はすぐに気づいてその顎を手で押し返した。
決してキスなどさせない、余計なことはしないでくれ。細い腕と小さな手のひらからは、そういう響子の強い意志が感じられた。
それでも、苦しみに呻く響子の白い美貌が間近に見える。
痛いのか苦しいのか、時折、ぶるっと裸身が震えていた。
感じていないのは残念だが、そうした仕草だけでも瞬の性欲は充分に刺激されていく。

「……」
「うっ……く……はっ……んっ……」

瞬は無言で突き込み、響子もまた無言でその攻撃を受け止めるという、一種異様なセックスが交わされていた。
硬直した怒張を深く打ち込むと響子は仰け反り、白い首筋を露わにする。
瞬が「きつい」と感じるということは、響子にとってもかなり「痛い」のだ。
その苦しさと痛みが、自分の中に入っている瞬の「モノ」の大きさをイヤでも実感させた。

(お、大きい……、あの人よりも……。それとも私があんまり濡れてないからかしら……。かなりきつい……、苦しいくらいだわ……)

ちっとも気持ち良くない。
こんな苦しい思いはしたくないが、気持ち良くなっては困る。
そうなってしまったら自分が許せないし、裕作に申し訳ない。
早く終わって欲しい。
それしかなかった。

瞬は、響子の美しい顔を見ながら深く突き込んでいたが、早くも射精感が込み上げてきた。
響子にその気はないにしろ、胎内に太いものが入り込んでいるのだ。
身体は固い異物から柔らかい膣を守ろうと、分泌液──愛液を滲ませてくる。
そして、柔らかく締め上げてくる膣圧の心地よさとぬくもりが瞬を追い立てていく。
自然と動きが速まり、腰使いが激しくなる。
それでも響子は唇を噛み、必死に声を殺している。

「くっ……、響子さん、いきますよ!」
「……」

些か情けなかったが、瞬はもう我慢できなかった。
理由はどうあれ、憧れていた女とやっている事実。
そしてペニスを包み込む響子の膣の気持ち良さに、抑えようがなくなっていた。
瞬は腰骨を掴むと、そのまま何度も突き上げ、響子に苦悶の声を上げさせたまま、その膣奥で精を放った。

「っ……!」

その瞬間、響子はギクンと仰け反った。
当然「絶頂」などしたわけではなく、胎内に射精されたことを感じただけだ。
それでも、びゅくびゅくと射精している瞬のペニスの動きは実感でき、それが何だかとてもいやらしく、そして恥ずかしいことのように思われ、目を堅く閉じて顔を伏せた。
その時の表情を瞬に見られたくなかったのかも知れない。

射精し終えると、瞬は早々に男根を引き抜いた。
何だか虚しかった。
好きな女を抱けたのに、それはそれは大きな敗北感に苛まれていた。
こんなことは生まれて初めてだった。

ペニスが抜かれると、響子はひとつだけ大きく息をつき身を起こした。
少しだけシーツで顔を覆ったのは、伝っている涙を拭き取っているのかも知れない。
手を伸ばし、その肩を抱こうとした瞬からするりと身を離した響子は、ガウンを拾い上げて言った。

「……シャワーを浴びて来ます」
「……」
「送ってくださらなくてけっこうです。フロントでタクシーを呼んで貰いますので」
「……」

背中でそう言った響子に、瞬は一言も発せなかった。


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