響子も裕作の友人とひさしぶりの対面を果たしていた。

「どうもおひさしぶりです、坂本さん」

彼女は、夫に勧められるままに坂本の勤める治療院を訪れていた。
木曜の昼下がりである。
この日は休診日で院長はおらず、修行する坂本が自由にしていいらしい。

実を言えば、ほんの少し響子は気が進まなかったのだが、裕作が熱心に勧めてくるし、確かに肩凝りが
最近は酷いし、腰も少し痛かったのである。
響子が気後れしていたのは、マッサージにかかるというその行為自体ではなく、無料でいいということに
申し訳なさを感じていたからだ。
この辺も気の良い響子らしいと言えば響子らしい。

それと、いかに夫の親友とはいえ、他の男とふたりきりになることに多少の懸念もあったのだ。
しかし、坂本に会ってみてそれは少し薄れた。あの頃のままだったのだ。
さすがに30前だから、当時のちゃらちゃらした雰囲気は薄まっていたし、それでいて話し好きでフランクな
ところは変わっていなかった。
妙に堅くならずに済みそうである。
坂本は満面の笑みを浮かべて会釈した。

「こっちこそご無沙汰してます。五代ともそうだったけど管理人さん……おっと、奥さんとも結婚式
以来ですよね」

響子は柔らかく微笑んで「管理人さんでもいいですよ」と言った。
その柔らかい笑顔に坂本は一瞬見とれてしまう。
またいい女になったものだ。
当時──裕作と結婚する前からも美人だとは思っていたが、結婚してまた女が上がったような気がする。
あの頃も、若い女子大生──例えば八神いぶき──などとは異なり、人妻というか未亡人らしいしっとり
した良さがあった。
かと思うと子供っぽいところもあったりして、そのアンバランスさがまた良かった。

とは言うものの、坂本はそれほど彼女に思い入れがあったわけではない。
裕作が惚れているということもあって遠慮していた──というのもあながち間違った見方ではないだろう
が、何も響子に執心せずとも、坂本の周辺にはいくらでも他の女がいたからである。

また坂本の若い頃は、響子くらいの年上の女性よりも、同年代かそれ以下の方が好きだった。
だから「綺麗だな」と思いはしても、それ以上の感情に発展することはなかったのだ。
しかし年齢を重ねるにつれ、そうした成熟した女の良さもわかるようになってきた。
今つきあっている女が9歳も年下の女子大生だということもあるが、それと比べると匂うばかりのフェロモンが
漂っているように感じられる。
しかし、その色香は決して淫らで妖しいものではなく、爽やかで清潔さすら感じられるものだった。
健全なのだろう。
それだけに余計新鮮に見えた。
坂本は響子を見ながらしみじみと言った。

「でも綺麗になりましたね……。いや、あの頃も充分に美人でしたけど、また一段と女っぷりが上がったみたいだ」
「そんなこと言っても何も出ませんよ」
「いや本当ですよ。しかし五代もいい相手を捕まえましたよ。あーあ、俺だって管理人さんに憧れてたのに」
「まあ、そんな」

響子は可笑しそうに笑ったが、坂本の言葉は事実である。
憧れはしたのだ。
それ以上に発展しなかっただけだ。
薄いブルーのワンピースを着こなした響子は、新妻らしい清楚さが感じられた。
全体がけぶっているような優しいオーラが浮き出ている。
彼女に微笑みかけられたら、大抵の男はぽぉっとなってしまうだろう。

「あの……」

響子が気遣わしげに言った。
見とれていた坂本がハッとして返事する。

「あ、はいはい」
「料金のことなんですが……、本当にその……」
「え? ああ、もちろんタダでけっこうですよ。五代も言ってたでしょう?」
「ええ、そうなんですが、やっぱり……。本当はおいくらなんですか?」
「そうですね、お試しのショート30分で3000円、ロングの1時間で5000円てところですよ」
「ああ、それじゃあ……。じゃ、いくらかお支払いし……」
「いやいや、本当にけっこうですから」

坂本は破顔して手を振った。

「俺、修行中の身ですし、まだまだお客さんからお金いただけるような腕じゃないっすよ。
むしろ練習させてもらってるみたいなもので」
「そう言いますけど、でも……」
「いや奥さん、こちらからお願いしますよ。タダでいいので練習させてください。そもそも俺がカネ取って
お客さん揉んだら、院長に叱られちゃいますよ、10年早いって」
「そんなこと……。じゃあ本当によろしいんですか?」
「いいですって。さ、やりましょうか、奥さんもそうゆっくりは出来ないでしょう?」
「わかりました」

ようやく響子も納得したようで、微笑んで答えた。
相向かいで座っていた坂本が立ち上がり、部屋の真ん中にある寝台を指差した。

「じゃあ、どうぞ。あっと、その前に」
「?」
「着替えて下さい。そっちに更衣室がありますから」
「あ、着替えるんですか?」
「はい。そこへ寝転んでもらいますし、肩や腰を揉ませてもらうわけですから、服に皺がついちゃいますよ」
「はあ……。でも私、着替えの用意は……」
「大丈夫です、そっちに備え付けのガウンがありますから、それを着てください。きちんとクリーニング
して袋に入ってますから」
「あ、はい。でも、みなさんそうなさるんですか?」
「ええ、そうですよ。出来ればいらっしゃる前にシャワーでも浴びてきてもらえればいいんですが、
そこまではけっこうです」
「はあ……、じゃ失礼して……」

立ち上がると、響子はいそいそと更衣室へ入っていく。
ごそごそと微かに衣擦れの音がする。
坂本は舌打ちした。
どうせなら更衣室にも盗撮カメラをセットしておけばよかったと思うのだが、後の祭りだ。
坂本の女は、着替えなど実にあっさりしたもので、情緒も色気もないのだが、響子のそれは一見に値するものだろう。
坂本には、あまり覘きとか下着フェチ的なところはないが、響子のそれは見てみたいと思った。

「あのお」
「あ、はい!」

中から響子の声がかかり、坂本の妄想は打ち切られた。

「なんでしょう?」
「下着は……その、着けていいんでしょうか」
「はい。もしスリップのようなものを着ていたら、それはお脱ぎください。上と下は着けてくださって
けっこうですよ。馴れてる方ですとガウンだけって人もいるんですが」
「そうですか」

しばらくして響子が現れた。
アイボリーの清潔な薄いガウンを着ただけの響子は、また違った色気があった。
襟元から僅かに覗く鎖骨に何とも言えない色香を湛えているだけでなく、ガウンの裾から伸びた脚の
ふくらはぎもふっくらとして実に柔らかそうで触り心地が良さそうである。

「きょ、響子さん」
「はい?」
「あの、下着は……」
「はい、言われた通りに……。ブラと下だけ……」

坂本は内心また舌打ちした。
こんなことなら、いっそ全裸の上にガウンでと言えばよかった。
響子は天然の気もあるし、夫の友人である坂本の言葉を疑うようなことはなかっただろう。
だが、まあいい。
今日のところはまず、坂本とその行為への警戒感と解き、リラックスさせるのが先決だ。
感情を押し殺して坂本が言った。

「じゃあ、そこにうつぶせで横になってください」
「わかりました」

響子は素直に寝台に上がり、ゆっくりと足を伸ばして横たわった。
柔らかい枕が置いてあり、それを顎にあてがう。

「それじゃ失礼します」
「お願いします」

坂本の指が響子の肩に吸い付いていく。
ガウンの薄いタオル地の上からだが、確実に響子の肌に食い込んでくる。

「う……」
「痛いですか? けっこう……いやあ、かなり凝ってますよ」
「そうですか。なんか最近、肩凝りひどいんですよね」
「五代から聞いてます。もともと女性は肩凝り持ちが多いですけど」
「でも若い頃はそうでもなかったんですよ。ふふ、歳なんですね」
「何を言ってんですか。まだまだお若いですよ、響子さん。お肌だって若そうだ」
「もう。からかわないでください」

響子がクスリと笑った。
軽口をふたつみっつ叩いてみると、ようやく身体の緊張が抜け、筋肉が柔らかくなってきたようだ。

「意外とベッドが硬いでしょう」
「あ、そうですね」
「あまり柔らかいと患者さんの身体は沈んじゃってやりにくいんですよ。効果も薄くなるし」
「そうなんですか」
「ええ。堅めのベッドで身体は弛緩してもらうのがいいんですね」
「あ、私まだ堅いですか」
「ええ少し。まだ緊張してるでしょう」
「まあ……。初めてですから」

そう言っているうちにも、坂本の手や指が響子のツボを刺激し、確実にポイントを捉えている。
ぐっ、ぐっと親指を使って指圧しているが、肩を直接揉むだけでなく、首から肩、そして腕に向かって
筋肉を押し込み、揉んでいく。
それが終わると、今度は逆に腕から肩、首へと上がっていくように押し揉みしていった。

「……なんだか気持ちが良いです」
「そうですか。けっこう早く効果がでるなあ。奥さん、凝ってますから余計にそうなのかな」
「でも、凝ってるのは肩なのに、首や腕とかもマッサージするんですね」
「そうなんですよ。これ、素人さんは間違えやすいんですが、いくら肩が凝ったったって、肩ばっか
力入れて揉んでもダメなんです。そんなことしたら肩の筋肉を痛めてしまって、その時はいいけど翌日
余計に凝ったり痛くなったりします」
「まあ。じゃあどうすればいいんですか?」

響子はつい後ろを振り返って坂本に聞いた。
若いマッサージ師は苦笑して窘める。

「奥さん、そんな格好されちゃ揉めませんよ。うつぶせになってください」
「あ、ごめんなさい」

響子も笑って元の姿勢に戻った。
育ちが良いのか、響子は人と話をする時にはその顔を見ながらでないと落ち着かない。
電話はまた別だが、その人がいる時にはそっぽを向いて話すというのは苦手だ。
響子がうつぶせになり、枕の上で組んだ両手に顎を乗せたのを見計らって、坂本がまたその身体に手を伸ばす。
響子の気を引きつけるように、また話し始める。

「そもそも肩凝りってのは血行不良で起こるもんなんです。だからこそマッサージが有効なわけです。
でもね、肩ばかりじゃなくその周辺……腕や首とかの血の巡りも良くしないと意味がないんですね」
「なるほど。では予防はどうすれば?」
「そうですね、日頃から根気よくマッサージするのがいちばんですかね。常に新鮮な血液が身体を巡る
ようにして、血が滞らないようにするんです。あ、お風呂上がりなんかは血の循環が良好になってますから
有効ですよ。風呂から上がったら五代のやつにでもマッサージさせればいいんです」

坂本は笑いながらそう言った。

「それが面倒なら、強めのシャワーを肩や首に浴びせるのもいいですね」

話しながら坂本の指が器用に響子の身体を這い回る。
押すように揉んでいたのから、今度は筋肉を軽くつまみ上げるように柔らかく揉みほぐしている。
これも首や腕が中心だ。

「ああ……、本当に気持ちが良いです。なんだか身体がリラックスします」
「そうでしょう。マッサージも満更でもないでしょう」
「ええ。でも、これは坂本さんがプロだからですよ。裕作さん……夫じゃあ、こうは行きませんでしょう」
「かも知れませんね。だったら今回だけでなく、またいらしてくださいよ」
「でも、それじゃあ申し訳ないです。次からは料金支払わせてくださいね」
「いや、そんな。気を遣わんでください。言ったでしょう、これ、俺の練習なんですから。こう言っちゃ
何ですけど、響子さんは練習台にされてるようなものですよ」
「それでも構いませんよ、こんなに気持ちが良いのなら……」

響子は本当にうっとりしている。
硬くなっていた肩の筋肉がほぐれていくのが実感できるのだ。
腕や首をつまみ揉みされるのも心地よい。
今まではマッサージと言っても、温泉宿などでお年寄りが頼んでいる按摩さんのイメージしかなかったのだ。
自分がしてもらうなど考えたこともなかった。響子がそう言うと坂本も愉快そうに笑った。

「普通、そうっすよね。でも、今はけっこう若い女の子もお客さんになってますよ」
「へえ」
「それと、ほらプロ野球なんかでトレーナーとかいるじゃないですか。あれだってマッサージが主ですから」
「そう言えばそうですね」
「ちなみに俺、スポーツマッサージの勉強もやってるんですよ。他にもオイルマッサージとか」
「すごいですね。坂本さん勉強家だったんですか」

響子がからかうように言うと、坂本は頭を掻いて苦笑する。

「逆っすよ。俺、勉強ダメだったからこんな仕事してんです。ほら、これは身体使う仕事ですから」

坂本の手は背中から腰に向かっている。
今度は腰を押せるように指圧した。

「ふう。あ、それもいいですね……。本当に上手です。何だか気持ち良くて眠くなりそうですよ」
「あはは、眠くなったら寝てもらってけっこうですよ。マッサージされながら寝ちゃう人ってけっこう
います。俺たちは、お客さんを飽きさせないようにとか、リラックスさせる意味でべらべら喋ったり話し
かけますけど、そういうのを断って寝てしまう人もいます」

坂本の声を聞きながら、響子は本当にまどろみかけている。
普段の疲れが一気に解されていく感じがする。
肩や腰だけでなく、心までマッサージされているかのようだ。
29歳の人妻は、若い男に身を任せきってうとうとし始めていた。

─────────────────────

一時間ほどみっちりとマッサージしてもらい、響子はすっかり身体が楽になった。
帰路も思わず鼻歌が出るほどだ。
足取りも軽く一刻館に戻ってくると、ちょうど玄関口から一の瀬夫人が出てきた。

「おや、お帰り」
「ただいま戻りました。何かありましたか?」
「いや、来客もなかったよ」
「そうですか。お買い物ですか?」
「ああ、そろそろ賢太郎が帰ってくるからさっさと行って来にゃ」

そう言って小太りのおばさんは笑った。

「随分すっきりした顔してるね。マッサージ、気持ち良かったかい」
「ええ、おかげさまで」

響子はにっこり笑って答えた。
軽く肩を回しながら言う。

「本当に気持ち良かったですよ。さすがプロですね」
「やっぱ素人とは違うかい」
「ええ、もう全然。芯から凝りが抜けるって言うか……」
「そりゃうらやましいね。あたしもさ、ここんとこ酷くって」
「あら……。じゃあ紹介しますよ。是非、一の瀬さんも行ってみてください」
「いやいや、あたしはいいよ」
「でも、その人まだ修行中なんだそうで、お金は取らないんですよ」
「そうなのかい? でもま、あたしゃ遠慮するよ。全然見も知らない人だしね、いくら練習台ったって、
そう何人も押しかけちゃさすがに迷惑だろ」

それもそうかと響子も思った。
自分は裕作を通じて紹介されたのだからいいとしても、又聞きみたいな感じで響子から他の人を連れて
こられても坂本が困るかも知れない。
もともと坂本と裕作が親友だったからこういう話になったのかも知れないし、だとしたら響子が他の人を
紹介するのもおかしなことなのかも知れない。
一度、坂本本人に確認してみようかとも思った。
短躯の中年主婦は豪快に笑った。

「あたしの場合はただの肩凝りじゃなくって五十肩かも知れないしね。ま、うちにゃ専属の按摩もいるから」
「そうですね……」

夫にしてもらう方が遠慮がなくていい、ということなのだろう。
響子も本音を言えばそうなのだ。
ただ、裕作は昼の仕事が保父である。
子供相手のハードなものだから、帰宅した時にはぐったりしていることも多い。
当然それだけでなく、事務仕事も片付けもあるだろう。
それと、最近の夫を見ていて少し気になることもあるのだ。

「そういやあ、あんたんとこの旦那……五代さん、最近少しおかしいね」
「あ……、一の瀬さんもそう思いますか」

なんだかんだ言って付き合いが長いだけあって、そうしたことには敏感なようだ。

「なんかこう……、疲れてるっていうよりは、何か思い悩んでるっていうか……」
「はあ……。私もそんな感じがするんです。何かあったのか聞いたんですが、「何もない」って……」
「ふうん。つまり、あんたたち夫婦の間の問題じゃないってことだね」
「そう思いますけど……」

少し考え込んでしまった夫人を見て、響子は作り笑いを浮かべて言った。

「でも、こんなところで心配したり考え込んだりしても仕方ないですよ。大丈夫です、あの人、ああ見えて
けっこうタフですから」
「そうだね……」
「何かの時、また聞いてみますよ。ほら、一の瀬さんも早く買い物行かないと」
「ああ、じゃあね」

一の瀬と入れ違いになるように裕作が帰宅した。
「ただいま」と微笑む顔にも、心なしか力が無いように思う。
妻としてはどう力づけてあげればいいのかわからない。
原因がわからないのだから仕方がなかった。
あまりしつこく問い質しても、かえって裕作の負担になるやも知れぬ。
響子は、そそくさと夕飯の支度をしながら盛んに夫に話しかけた。
出かける前にあらかじめ下ごしらえはしていたから、さほど夫を待たせることもない。

「あ、そうそう、あなた。私、今日、坂本さんのところに行きました」
「あ、そうなんだ」

裕作はテーブルの前で胡座をかきながら言った。
響子の出した茶を啜りながら聞く。

「で、どうだった? あいつ、ちゃんとやってくれた?」
「ええ、それはもう」

響子はにっこり微笑んだ。

「ご自分ではまだ見習いだなんて謙遜してましたけど、もう立派にプロだと思いますよ。とても気持ち
良かったです」
「そうか、それはよかった」
「練習台にして申し訳ありません、なんて言われちゃいましたけど、あれだけ丁寧にやってもらって料金を
受け取らないなんて、申し訳ないのはこっちでした」
「それならよかったよ。響子も気持ち良くて、坂本にとってもいい経験だったろうし」

夫の顔に、偽りのない笑みが戻ってきた。

「あいつ、どうも根気がなくって、何やっても長続きしなかったんだよ。やれば何でも適当にこなすのに、
ちゃらんぽらんでさあ」
「学生の時はそんな感じでしたね……」
「今でもそんなには変わらないよ。でもね、マッサージ師になると突然言われた時は驚いたけど、今の仕事は
けっこう続いてるし、本人も向いているかも知れないって言ってるからね」

仲の良かった友人の行く末が心配だったのだろう。
響子からの報告を聞いて、何だかホッとしたような表情になっている。

「これで自信になってくれればいいんだけどね」
「大丈夫だと思いますよ。あ、それに私、これから継続的に来て欲しいって言われてます」
「へえ。一度じゃダメなのかな」
「ええ。肩凝りとかもそうなんでしょうけど、ほら私もいい歳ですし、お肌の具合も……」
「どういうこと?」
「だから……なんていうのか、美肌効果って言うの? そういう美容マッサージ(今で言うエステである)
みたいなのもやってるから、よかったらどうぞって」
「へー。本格的にやってるんだな、あいつも」
「だからお言葉に甘えちゃいました」

響子はそう言って、小さく舌をぺろりと出した。
この年齢で、そうした仕草が可愛らしく見えるのも響子らしかった。

「少しでも綺麗でいた方があ、あなたにとってもいいでしょ?」
「はは、響子は今のままでも充分に綺麗だよ」
「まあ。お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないさ」

裕作の本音である。
確かに、知り合った頃の若さは少しずつなくなっているのかも知れない。
だがその分、落ち着いたおとなの女性の美しさが輝き始めてきている。
あの当時とは違った印象ではあるが、今の響子であっても裕作は惚れていたに違いなかった。

これだけ美しい妻を持つと、普通は「心配」になるのだろうが、裕作にはそうした懸念はほとんどなかった。
自分が浮気しないのと同様に、妻もするとは思えなかったのだ。
裕作が俺は浮気とは無縁だろうと思うのは、それだけ響子に惚れているからであって、他の女性はあまり異性
という見方はしていない。
グラビア的に「いい女」とか「スタイルが良い」とか思うことはあるものの、だからといって恋愛感情に発展
したり、寝てみたいとは思わない。

一方響子は、最初はそれほどではなかったろうが、今では自分を愛しているだろうということは夫である
裕作にはよくわかる。
もともと多情な女ではなかったこともあり、やはり不倫とは縁がないと思っていた。

裕作がここしばらく落ち込んでいたのは、そんな自分が、無理矢理とは言えいぶきと関係してしまったことを
悔いていたからである。
妻の響子に申し訳なかったのだ。
まして、いぶきにその情事の写真をもとに脅迫され「関係の継続」を強いられているとはとても言えなかった。

だが、妻の響子は自分の様子に薄々気づいているようだ。
まさかいぶきと関係したことを知ったわけではあるまいが、やはり元気がないと思っているのだろう。
あまり心配をかけるのも本意ではない。
裕作は明るい口調を取り戻して言った。

「でも、そんなに良かったんなら、また坂本に礼をしなくちゃならないな」
「そうね……。何か差し上げる?」
「いや……。いいさ、また俺が飲みにでも連れていくよ。あいつなら、驕ってやればそれだけで喜んでくれる」
「あ、それなら……、ここにご招待したら?」

そう響子は提案した。
家計はそう楽ではない。
響子も何かパートでもしようかと思っているくらいだ。
夫にも充分な小遣いを出せている状態ではない。

「ここへ?」
「ええ……。それならお金もかからないし、本来、私がお礼したいくらいだから」
「そうだね……」

確かにその方が安上がりだろう。
お客が来るということで、普段よりは良い物を食べられるだろうし、響子の料理の腕は他人に自慢できる
レベルだ。
坂本も満足してくれるだろう。
問題は酒で、裕作も響子もあまり飲む方ではないので、常備しているわけではない。
響子はその気になればけっこう強いし、裕作も酒の場には馴れている。
だが、自分から飲みたいと思う方ではないから、冷蔵庫にビールがあるくらいで、他にはなかった。
酒は買い足さねばならないが、相手が坂本であればそう高いものはいらないだろう。
あまり期待しては意味がないが、坂本の方から持ってきてくれるということもあり得る。
妻の提案を裕作は受け入れた。

「そうしようか。ここなら坂本も気兼ねしないで済むだろうし。まあ、響子には色々面倒かけると思うけど」
「何言ってるの。さっきも言ったけど、お礼したいのは私なんです。だからそんなこと気にしないで」

響子は柔らかい微笑みを浮かべて、テーブルに手料理を並べていった。

─────────────────────

一週間後、響子はまた坂本の治療院を訪れている。
最初は、夫の薦めもあったので、挨拶がてら一度だけ、と思ったのだが、実際にマッサージされてみると、
これが予想以上に心地よかった。
そればかりか、その日以降、肩凝りや腰の重みが軽減されていることに気づいたのだ。
確かに効用はあるようだ。
その時だけではなく、効果が持続するのがすごい。
プロとは大したものだなと思った。

坂本は、続けてマッサージを受けることでどんどんと身体は改善されていくと言っていた。
だから遠慮無く来て欲しい、と。
まるで無料だから何度も通うように思われたらみっともないと思うのだが、響子自身、マッサージが好ましいと
思えるようになっていたのだ。
だから通うことになるのであれば正規の料金を支払うと主張したのだが、坂本は笑って謝絶し、受け取って
くれなかった。
何度も言うが、自分は練習のつもりだし、それで気持ち良くなってくれれば本望だというのである。
裕作にも相談したが、響子が気持ち良いのなら通えばいいし、坂本がカネはいらないというのならそれに
甘えれば良いと言ってくれた。確かに、
響子があまり頑なに料金を出すと主張するのもおかしな気はするし、かえって坂本の心証を害することに
なるかも知れない。
そう判断した響子は、有り難く夫の友人の好意を受けたのだった。

「やあ、お待ちしていました」

「本日休診」のプレートがかかったガラスドアを押すのは何となく気が引けるのだが、そこには鍵はかかって
おらず、あっさり開いた。
中では白衣姿の坂本が待っていた。

「お世話になります。すみません、お言葉に甘えてまた来ちゃいました」
「とんでもない。誘ったのはこっちですよ」

満面に笑みを湛えつつも、坂本は響子から視線を離さない。
スカートの裾を気にするように、お尻を撫でるようにして皺にならぬように生地を伸ばしながら腰を下ろす
その姿にも爽やかなお色気を感じる。

「じゃあ響子さん、今日はあれやりましょう」
「はあ……」

前回の帰り際、坂本は響子にオイルマッサージを勧めていたのだ。
響子にもその知識は多少ある。
全身にアロマオイルを塗ってマッサージするというものだ。
普通のマッサージと同じ効用はもちろんある。
坂本によると、香りの良い精油を使うことにより、リラックス効果が倍増し、内臓や関節、筋肉への効果も
通常のものよりも大きくなるらしい。
さらに美肌効果がある。

要するに普通のマッサージのスケールアップしたようなもののようだ。
ならば響子に断る理由もないのだが、何となく恥ずかしかった。
響子も何度か雑誌やテレビなどで、オイルマッサージの様子を見たことがある。
全身にオイルをぬめぬめと塗りたくられた肌が何となくエロティックであり、またマッサージを受けている
女性が、まるで「あの時」のような一種恍惚とした表情になっていたことも少し気になっていた。
逆に言えばそれほどに心地よいものなのだろう。
だが、自分が「あの顔」を夫以外の男性に見せるというのはさすがに羞恥が募る。
坂本はそんな新妻の心境を見抜いたかのように言った。

「まあ、自分からして欲しいと言ってくる人はともかく、初めてする人は大抵恥ずかしいと思うものですよ」
「そうですよね……」
「でも平気です。気にしないでください。気にしないで下さいってのもおかしな言い方ですけども、俺、
これでもプロですから」
「はあ」
「医者みたいなもんですよ。だって、産婦人科の医者がいちいち女性に発情してたら仕事にならんでしょう。
同じです」
「そうですね……」

そういうものだろう。
よく考えてみれば普通のマッサージだって似たようなものなのだ。
ヌードではないが、その二歩くらい手前の無防備な姿を晒す上に、その手で自由にされているのだから。
ガウンを着ているとは言え薄手だし、しかもその下は直に下着だけである。
邪な思いを抱くなら、その時点で既にそうなっているだろう。

響子は響子なりに、自分の美貌を自覚している。
自分でそう実感することはあまりないが、たまに風呂上がりなどで鏡に姿を写してみて「満更でもない」と思う
こともある。
逆に「平凡だ、大したことない」と思うこともあった。

それでも、高校時代も未亡人の時も、それなりに男にモーションを掛けられていた。
結婚前は、三鷹と裕作が激しく争っていたくらいだ。
それから察するに、恐らく自分のルックスは男性好みなのだろうとは思っている。
そんな自分が、あまりに無防備にスタイルや素肌を晒すのはどうかと思ったわけだ。
しかしそんなことをいちいち気にしていては、確かに医者やマッサージはかかれないだろう。
坂本の言う通りである。

ならば物は試し、やってみるのもいいかと思い始めた。
何しろ「美肌効果」という言葉に惹かれた。
響子ももう29歳である。
若かった頃に比べ、明らかに肌が老いている。
艶々と水を弾くようなぷりぷりの肌に張りがなくなってきているのは自分がいちばんよく知っていた。
加齢していくことを考えれば仕方がないのだが、夫の裕作のためにも、出来るだけ身体を若く保っておきたいとも思うのだ。

「では……お願いします」

と言って響子は頭を下げた。
薄く笑った坂本の表情には気づいていないようだ。
表面上、人の良さそうな笑みを崩さず、夫の友人は言った。

「わかりました。じゃあ、そっちで着替えてください」
「はい」
「ああ、今回は下着も取ってくださいね」
「え……?」

響子はきょとんとした。
そして顔を薄く赤らめる。

「その……、まさか、あの……」
「ああ、勘違いしないでください」

坂本は警戒されぬよう微笑したまま続ける。

「ほら、今回はお肌にオイル塗りますから、それが下着に付いて汚れちゃいますんで」
「あ、でも……」
「いや、裸でするわけじゃないんですよ。これ」
「それは?」

坂本が差し出したのは下着のようだった。
これに着替えろということらしい。

「これ、オイルマッサージとかエステで使う紙製の下着です」
「紙……ですか」
「ええ。ゴム部分以外は紙だけど不織布ですから、これを着けて風呂に入っても破れないくらい丈夫ですよ」
「へえ……」

見ると、濃いブルーの縁取りで薄青い下着のセットだった。
この縁取り部分がゴムなのだろう。
ブラのストラップもゴムのようだ。

「申し訳ないですけど、今日はガウンなしで。これだけ着けてきてください」
「ああ……そうですよね。オイル塗るんですからガウンてわけには行きませんよね」

少し躊躇ったが、坂本の言うことにも一理ある。
どっちみちオイルマッサージしてもらうつもりで来たのだから、いやだというわけにもいかないだろう。
覚悟を決めて、響子は更衣室に入っていく。
その姿を見送った後、坂本の方はすぐに準備に取りかかる。
手を洗浄し、使うアロマオイルを用意、そして香を焚いた。
白い煙が立ち上った頃、響子がおずおずと診療室へ戻ってきた。

「お待たせしました……」

見事な肢体だった。熟れきったという言葉がこれほど似合う肉体も珍しいだろう。
さすがに10代のようなすっきりした身体ではなかったが、メリハリは充分にある。
年齢相応にお腹の辺りにも少し脂肪が乗っているのだろうが、それがほとんど目立たないほどに腰が大きく
張り出している。
人妻らしい見事な臀部だ。
左手で股間の前を隠しているが、覆いきれない太腿やその付け根付近など、息苦しいほどのフェロモンが
漂っている。
胸も右腕で覆い隠しているが、とても隠れるようなサイズではない。
見事な肉の盛り上がりが、響子の性的魅力を発散させていた。
思わず見とれてしまった坂本の視線が恥ずかしいのか、響子は片手で股間、片手で胸を隠しつつ、身を少し
屈めて小声で言った。

「あ、あまり、その……」
「あ、すいません、つい見とれちゃいました。そんなつもりはなかったんですが、いや、綺麗ですよ、奥さん」
「そんな……、恥ずかしいこと言わないでください」
「本当ですよ。いやあ五代のやつが羨ましい。響子さんを毎晩抱けるなんて……」
「さ、坂本さんっ……! 主人に言いつけますよ」

響子は少し睨んで言ったが、本気で怒っているわけではない。
夫の友人であり、親しい年下の男にからかわれたくらいに思っているのだろう。
悪戯した男の子を窘めた、くらいのものだ。
響子がひくひくと動かす。

「あ……、なんだか良い香り……」
「ええ、お香を焚いてます。これにもリラックス効果がありますんで」
「至れり尽くせりですね……。白檀ですか?」
「よくわかりましたね、そうサンダルウッドです。薬効もありますし、気を和ませる働きがあります。
じゃあ、そこに寝てください」
「はい」

少し恥ずかしかったが、響子はこの前と同じくうつぶせになった。
肘を張って両手を組み合わせ、その上に顎を軽く載せている。

坂本は生唾を飲み込んだ。
この姿勢になると、余計にヒップの雄大さが目立つ。
大きく盛り上がった臀部はこの年代の女性独特のものなのだろう。
まだ子供を産んでいないようだが、この腰なら何人でも産めそうな安産型である。
また、そこから伸びる脚の曲線の美しいこと。
腿にもふくらはぎにも充分に肉が乗り、膝や足首は思い切り引き締まっている。
それでいて、決して大根足という感じはしない。
男なら誰でも触れてみたいと思うような脚線美だった。

胸もすごい。
ブラからはみ出さんばかりの肉塊が、これでもかと言わんばかりに盛り上がっている。
横乳が柔らかく潰れていて、思わず手を伸ばして揉みしだきたくなってくる。

「……坂本さん?」
「あ」

響子の不審そうな声を聞いて、坂本は我に返った。
こんなことじゃいかんと思うのだが、これだけの身体を見せつけられて「見とれるな」という方が無理である。
思わず硬くなりかけた男根がスラックスを盛り上げてしまっているが、響子はそこまで気づかないようだった。

「あ、すいません、また見とれちゃって」
「まあ」

少し慌てた風に弁解する坂本に、響子は苦笑した。
あまり性的にじろじろ見られるのは不快だが、彼の場合はそうではないだろう(と、響子は思っていた)。
それに、やはり響子も女である。
異性に「綺麗だ」と評価される優越感はあるのだ。
相手が年下であるということもあって、彼女も少し余裕を取り戻していた。

「じゃあ、始めますね」
「お願いします」

坂本は手にしたオイルの小さな瓶から垂らしたオイルを片手で受けると、それをゆっくりと響子の肌に
擦り込んでいく。坂本の手が背中に触れた瞬間、響子はびくりとした。
すぐに坂本が手を引く。

「すいません、オイル冷たかったですか?」
「え、いいえ。そんなことありません。大丈夫です」

オイルは適温だった。
熱くもなく冷たくもなかった。
身体が少しびくっとなったのは、やはり男の手に素肌が触れられたからだろう。
考えてみれば、響子の肌に手を這わせた男は、裕作と前夫の惣一郎だけなのである。
身体の関係を持ったのはそのふたりだけだ。
三鷹に抱きしめられたことはあるが着衣のままだった。
そういう意味で「男馴れ」していないのである。

「……」

ぬるりというよりも、すーっという感じでオイルが塗られていくのがわかる。
背中、肩、腕、腰の辺りまで坂本の手がオイルを塗り込んでいく。
思ったよりもくすぐったくはなかった。
響子は、海に行って友人にサンオイルを塗ってもらった時など、あまりにくすぐったくて笑い転げてしまい、
思うように塗ってもらえなかった記憶がある。
それがどうしたことか、坂本に塗ってもらうとあまりそれがないのだ。
不思議に思って聞いてみると、こう答えてくれた。

「それは指先で塗るからですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。指先でね、力を入れて、こう塗ると……」
「あっ……くくっ……く、くすぐったいです……あっ……」

突如、くすぐったさがわき起こり、響子は笑いを堪え、身を捩って逃げようとする。

「ね? これじゃダメなんですわ。これはどうです?」

今度はあまりくすぐったくない。
少しもぞもぞしないでもないが、この程度なら耐えられるし気にならない。

「平気ですね……」
「でしょう。指先でやるとくすぐったいんですが、こうやって手のひら全体を大きく使って塗ればどうってことないんですよ」

なるほど、そうすれば力が分散されるし、塗る効率も良いだろう。
オイルマッサージされるのにオイルを塗られてくすぐったいのであれば話にならないのだ。
オイルを塗りながら、前回と同じように肩、腕、背中に腰のくびれ付近をざっとマッサージされると、
もううとうとと気持ち良くなってくる。

「んっ……ふーーっ……」

何となく年寄り臭いと思うのだが、どうしても声が出る。
気持ち良いのだ。
人の手でマッサージされることがここまで心地よいものだとは思わなかった。
坂本が聞いた。

「いかがです?」
「相変わらず気持ち良いです……。オイルの効果もあるのかしら、何だか落ち着くし」

焚いている香のサンダルウッドには、確かに鎮静効果もあるのだが、完全に落ち着かせるものではない。
逆に、穏やかな興奮状態に持っていくことも出来るのだ。
加えて、今、響子の全身に塗られているオイルはイランイランだ。
ジャスミンとネロリのような鼻に心地よい香りがする。
皮脂のバランスを調整する効果も認められていて、肌の若返りも期待できる。
彼女は知らないだろうが、イランイランは媚薬としても一部で有名だ。
坂本は響子の肌を擦りながら言った。

「このオイルはお肌にも良いですからね」
「うれしいです。私ももういい歳なんで……」
「んなことありませんて。俺、正直言ってビックリしてんですから」
「何がですか」
「だから響子さん……奥さんのお肌にですよ。まだお若いじゃないですか」
「まあ、また年上の女をからかうんですね。私、もう来年は30になるんですよ」
「それが信じられんのですよ。いや、さすがに10代で通用するとまでは言いませんけども、それにしたって
25歳過ぎとはとても思えない綺麗な肌ですよ」
「そうでしょうか……。でも、25はお肌の曲がり角って言いますし、私も気にしてるんです」
「はは、よくそう言いますけどね。実際は、皮膚はもう20歳過ぎると衰え始めるらしいですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。だからこそ、こうした美容マッサージなんかが有効なんです。でも、響子さんは今でも充分にお綺麗な
肌だから、無理にしなくてもいいかな」
「またそんなことを。わかりました、じゃあしっかりお願いします。夫のためにも綺麗なお肌でいたいですし」
「そうですね」

響子にはそんなつもりはないのだろうが、坂本は「のろけられた」と思い、微かに忌ま忌ましさと嫉妬を
覚えた。裕作ほどに響子に惚れていたわけではないが、こうして目と鼻の先で見るこの友人の愛妻は
想像以上に美しかった。

一方自分は、結婚どころか恋人もいない。
付き合いのある女は複数いるし「これ」という相手もいないではないのだが、その彼女には鼻もかけられて
おらず、むしろうまく使われている印象すらある。
裕作のようなマメさや真剣さが足りないということを棚に上げて、坂本は仄かな屈辱感を味わっている。
友人とはいえ、裕作は坂本から見てもどうということない男なのだ。
その彼に極上の妻がいる。
それだけでも充分に妬心を抱く原因となる。
その思いを噛み殺して、平穏とした口ぶりで言った。

「じゃあ、足にいきますね」
「はい。あっ!?」

響子はちょっとびっくりした。
術者の手は、足の裏に来たのだ。
脚というから腿とかふくらはぎとか、その辺だと思っていた。

「どうしました?」
「あ、いいえ……。脚って足の裏までするとは思わなかったから、少し驚いちゃいました」
「そうですか」
「ええ。でも、そうだと判ってたら、しっかり洗っておくんだったな」
「いえいえ、綺麗じゃないですか」
「そんなこと……。でも、変ですね、足の裏とかでも他人に触られたり見られたりしたら恥ずかしいんですね……」

響子はそう言って少し顔を伏せた。
ほんのりと頬が染まっている。
その仕草がまるで少女のようで、坂本の心をさらに燃え立たせていく。
響子の膝を直角に曲げ、風呂上がり直後かと思えるほどの綺麗な足の裏を上に向かせる。
坂本は膝立ちとなり、両膝で響子の脚を挟む込んで固定した。
その状態で足裏の真ん中から踵の方へ向かって、親指でぐっ、ぐっと力強く押し込んでいく。
さらに拳を作って、曲げた指の関節部分で足の裏の皮膚をマッサージしていった。
土踏まずを中心に指圧を続けていくと、響子は何とも心地よさそうに表情を弛緩させていく。
今度は足の指に沿ってさすり、足首の腱を親指と人差し指で挟み、圧迫した。

「っ……」

オイルにまみれた指が足の指の間にするりと入っていくと、さすがにくすぐったかったのか、響子は
ぴくっとした。
それでも声は出さず、身を任せている。
指の股にオイルを擦り込むように刺激されると、こそばゆさと心地よさとともに、ぞくぞくするような刺激が
足から腰にまで届く。
どうしたわけか知らないが、なぜかお尻の穴が痺れるような感じまでした。
だが決して不快なわけではない。

坂本の手がふくらはぎに伸びる。程よく肉が乗り、美しい形状のふくらはぎ全体を包み込むように両手で
押していく。
足首の方から肉を集めるように、膝へ向かって両手でぐぐっと押し上げるように指圧した。続けて太腿に入った。
膝の裏から手のひら全体を使って、内から外へ、下から上へと擦っていく。

響子の太腿は、成熟した女そのもの白い肉柱であり、男なら誰でも邪な思いを抱かざるを得ない代物だ。
マッサージしながら、坂本は何度も何度もツバを飲み込んでいた。
オイルを塗っているとはいえ、素晴らしい肌触りだ。
若い女のような、水を弾くような艶やかさはないものの、羽二重のような柔らかい触り心地である。
それが徐々にしっとりと男の手に吸い付くような感触になってくる。
坂本のペニスは、今にもスラックスのファスナーを突き破りそうになっていた。
窮屈な股間を意識しながら、響子にバレはしないかとヒヤヒヤしつつ指圧を続けた。

「んっ……」

体重を掛けて腰を強く指圧すると、響子は籠もったような声を上げた。
圧迫感が気持ち良いらしい。
そこから背中に移り、マッサージする。
背中や腰を、重ねた両手で肩たたきのように刺激する。
重ねた両手で、首から腰の方向へと背骨を押していく。

「俺が押した時に息を吐くようにしてくださいね」
「あ、はい」

確かにその方が楽だろう。
坂本は背骨の外を、今度は首から腰へと親指で押していった。
坂本の両手は腰に移る。
両手のひらで背骨の横側、お尻から骨盤の上の辺りを指圧した。

「気持ち良いですね……」

響子は半ばうっとりした声でそう告げた。
もう身体は完全にリラックスしている。
坂本の術も巧みなのだろうが、オイルを併用したこととその香り、そして焚いている香の匂いも相乗効果に
なっている気がする。
力が抜ける。
余計な力が入らない。

「なんだか本当に……安らぎますよ。これでお肌まで綺麗になるなんてウソみたい」
「それはよかった。でも肌にも効きますよ」

坂本と話しながら、響子は全身が癒される感じがしていた。
それと同時に、微かに身体的変化も出てきているのだが、それには気づいていないようだった。
全身の皮膚がぽかぽかと暖かくなっているとは思ったが、その熱は体内にも達していたのだ。
胸の奥が熱い。
腰の奥も熱かった。
そのいちばん深いところから、熱く淫らな液が分泌し始めている。
坂本が上擦った声で言った。

「じゃ、じゃあ奥さん、今度はお尻を……」
「はい……」

響子は何の疑いもなくそう返事をした。
理性までもとろけてしまうほどに気持ち良かったし、これまでの彼のマッサージが効いているので、
おかしなことを考えているとは露とも思っていない。

坂本の両手が、ぐっと響子の臀部をモロに握りしめた。
そのまま、ぐいぐいと力を込めて揉んでいる。
臀部は肉が厚く、比較的感覚が鈍いため、マッサージする時は力を入れるものらしい。
しかし、どうも指圧というよりは愛撫に見える。
ペーパーショーツを押し上げる豊満そのものの臀部の肉が悩ましい。
すっと指がショーツの脇から潜り込み、腰骨を撫でている。
それでも身を任せている響子を見ながら、坂本はさらに大胆になっていく。
紙ショーツの裾から手を入れ、直接尻たぶを揉み始めていた。
ぬるっとした感触と尻を揉まれるもどかしいような快感に、響子は少しだけ身を捩った。
すかさず坂本が言う。

「どうしました? 痛かったですか?」
「い、いいえ……痛くはありません」
「そうですか、もし痛かったら遠慮なく言ってくださいね」
「はい……」

坂本の声はあくまで優しく、響子に疑惑を抱かせない。
この辺は坂本もプロである。

実は坂本は、陰でいわゆる「性感マッサージ」もやっている。
無論、マッサージ師として開業を目指しているし、その修行をしているというのも本当だ。
ただ、見習いの給料だけではやっていけず、性感マッサージを裏でやっているのだ。
そっちの師匠は別にいて、師匠直伝の技を女に施しているのだ。

ただ、完全に口コミだし、坂本の「お眼鏡」に適わなかった場合は断っている。
バイト感覚で趣味も兼ねているから、それでもよかった。
そんなことでは道を究められないと師匠に苦言を呈されているものの、坂本は聞き流している。
もともとそれを商売にする気はないのだ。
いっぱしのエロ事師を気取る彼としては、プレイの一環としてやっているに過ぎない。
ただ、それが殊の外効果があることがわかり、副業としているだけなのだ。
その手の知識や経験のない女に対しては覿面に効くのである。
響子もそうだった。
性感マッサージ自体にほとんど知識はないし、性体験も年齢にふさわしくなく少ない。
それでいて肉体的には鋭敏そのものだ。
こうした女性相手には頗る付きの効用を発揮するのである。
響子はうってつけと言えた。
彼は親友の妻に、その秘技を施そうとしているのだ。

「……っ」
すっと坂本の手が指が尻たぶを撫でると、響子はぴくりと反応する。
何だかさっきまでとが違うような気がした。
どこがどうとは言えないが、何となくいやらしい動きになっている。
響子は、電車で痴漢に遭った時のことを思い出していた。
思い出してはいたが、さすがに口には出さなかった。
真剣にマッサージしている坂本に失礼だと思ったのだろう。

「ん……」

紙ショーツの上からではあるが、指が尻の谷間をこそぐように侵入しようとしている。
さすがに小さく尻を振った。
くすぐったいような、それでいておかしな気持ち良さもある。
もぞもぞと蠢く指が、確実に響子の官能を刺激していった。
坂本は入念に響子の尻たぶをこねくるようにマッサージしている。
さすがに気になるのか、響子は少し腰を捩ったものの、坂本は意に介せず、しつこく揉みしだいていた。
そうなると、これもマッサージの一環なのかと思ったのか、響子は諦めたようにおとなしくなった。

「んんっ……」

マッサージ師の手は尻から背中、脇腹を這い、くすぐるようなタッチで響子の鋭敏な神経を刺激している。
指先でそっと脇腹に触れると、思わず人妻の口から籠もった声が出てしまう。
よく見ると鳥肌が立っていた。
室温は適温よりやや高めだったから寒いわけではないし、マッサージ効果で体温も上昇しているはずだ。
寒気を感じたのではなく、ぞくっとするような快感を得ていたに違いなかった。
なおも坂本の手が脇腹を這い、その指先が腋に入る。

「きゃっ……!」

これには響子も強く反応した。
そしてびっくりしたように背中の男を振り返った。

「さ、坂本さん、今……」
「はい?」
「あの……、その、わ、腋の下はちょっと……」
「……」
「く、くすぐったいですし、その、恥ずかしいので……」
「……わかりました」

彼としては今の反応で充分だ。
響子は腋がかなり感じるらしい。
その時が来たら、喘ぎよがるまで舐めまくってやろうと思った。

坂本は歪んだ笑みを浮かべると、今度は胸にタッチしてきた。
響子はピクンとしたが、やはり信頼しているのか、特に抗議はしなかった。
また坂本も、あまり露骨には触れていない。
うつぶせになった身体の脇にはみ出ている潰れた横乳を、上からちょっと指で押した程度である。
それで無抵抗なのを確認すると、今度は指を拡げて紙ブラから露出している部分をやんわりと揉んでみた。
感度が良い響子は、喉の奥で「くっ」と声を漏らしつつも、されるがままになっている。
乳房ばかりいじっていたのでは怪しまれるから、適度に肩や腕にもマッサージはする。
それにしても凝りをほぐすというよりは、愛撫のようにやわやわと揉み込んでいた。

「奥さん、今度は仰向けになって」
「……」
「奥さん」
「は、はい」

少し戸惑ったような声を出してから、響子はおずおずと従った。
頬がほんのり染まっている。
快楽のためか、それとも羞恥からかはよくわからない。
枕を後頭部に当てて横たわった響子だったが、まだもぞもぞと両脚をすりあわせている。
坂本がすっと腿に触れて足を伸ばすように指示すると、ようやくすらりと伸びた美脚をまっすぐに寝かせた。
それでもまだ股間を右手で隠していた。
坂本は笑いを噛み殺しながら平静を装って聞く。

「どうしました? 手をまっすぐ伸ばして下さい」
「あ、でも……」
「何か?」
「そ、その……わ、私、汗をかいてしまって……」
「わかってますよ。終わったらシャワーを浴びればいい」
「そ、そういうことじゃなくて……」

響子は言いにくそうにもじもじしながら顔を背けた。
この辺りは、とても年増の人妻とは思えない反応だ。
消え入りそうな声で初心な人妻が言う。

「し、下着が、その……」

なるほど、紙ショーツが濡れてしまっていると言いたいのだろう。
それで透けてしまうのでは、と心配しているらしい。
それと同時に、そこが濡れてしまったことを知られるのが恥ずかしかったのだ。
坂本がおかしな勘違いをしないだろうか。
自分が気持ち良くなってしまったこと──マッサージの気持ち良さとは違うもの──を知られてしまう。
分別のある人妻としては当然の羞恥である。
坂本は笑顔で言った。

「ああ、そういうことですか。平気ですよ、そのショーツは紙製ですけども、中が透けたりはしません」
「そ、そうですか。でも……」
「平気ですから、さあ」
「……」

透けたりしないというのは本当だろうが、濡れていることはバレてしまうのではなかろうか。
それでも手をどけぬわけにもいかなかった。
響子は羞恥で顔を真っ赤にしながら、震える右手をそこからどかした。
坂本の目が獣のそれとなる。
響子が心配するほどには濡れていないようだ。
この紙は吸湿性が良く、そのまま尿漏れでもしない限りは、滅多なことでは滲んでこない。

それでも、よくよく見てみると、クロッチ部分がほんの僅かに変色していた。
吸水しきれなかった体液が少し滲んでいるらしい。
坂本は別の意味で驚いていた。
まだまだとても本格的に責めているわけではないのに、けっこう濡れている。
よほど感じやすいのか、それとも濡れやすいのかどちらかだろう。
いや、この女なら両方かも知れなかった。

響子の方は気が気ではない。そこを坂本が見ているのがわかるのだ。
意識すればするほどに股間が熱くなっていく。
いけないと思うのに、奥の方からコンコンと熱い蜜が分泌されてしまう。

(ああっ……、さ、坂本さん、そんなに見ないで……)

つい腿を捩ってしまったが、すぐに響子はビクッとして動きを止めた。
ほんの少し股間を動かしただけで、クロッチのところからにちゃっと小さな音がしたのだ。
この粘った水音は汗でも尿でもない。
間違いなく愛液だ。
響子は、せめて匂いがあまりしないように神に祈った。
坂本は、そんなことには気づかないふりをして両手をしごくと、響子の肌に触れてきた。

「あ……」

男の指が脇腹や、浮いたあばらに触れると、響子の身体が小さく跳ねた。
もう、どこを触れても感じてしまうような状況になってきているようだ。
オイルや香の効果は期待以上だ。
響子の体質にも合っていたに違いなかった。
股間ばかり気にしている響子の裏を掻き、坂本はその見事な胸を責めていく。
横たわったせいで少し潰れている。
さすがに若い頃に比べ、肌の張りは減っているが、その分まろやかさは増している。
その潰れ加減が、実に柔らかそうで、いかにも熟れた女の乳房を表現していた。

「っ……!」

響子がまた顔を顰め、ぶるっと震える。坂本の手が乳房に伸びたのだ。
まさか正面から鷲掴みにしても揉みしだくようなことはしなかったが、ブラからはみ出ている膨らみは
遠慮なく揉んできた。
汗で少しぬめりがちになっているところが生身の女を意識させる。

「あ……」

よほど感じるのか、響子はいやいやするように顔を弱々しく振っている。
それでも健気に手足は動かさず、シーツに押しつけていた。
横乳をすっと触っただけなのに、響子は大仰なくらいに感じてしまっているように見える。
紙ブラの上からでも、もうはっきりと乳首が立ってしまっているのがわかった。
坂本は、そこを手のひらでちょんと弾いてみる。

「くぅっ……!」

もう声を抑えようがないらしく、響子の悲鳴が少しずつ大きくなっていく。
紙ブラの上からとはいえ、硬く尖ってしまって一層に感じやすくなっていた乳首は、わずかな刺激にも
驚くような刺激を伝えてくる。
当然響子は、坂本がわざとそうしているとは思っていない。
マッサージで手を動かしている弾みで、少し触ってしまったくらいに思っているのだ。
実際はその逆で、いかに偶然を装って響子の性感帯にタッチするかに坂本は腐心していたのだ。

もう響子の方は、坂本のセクハラまがいの行為を詰るよりも、肉体や乳首が恥ずかしい反応を示してしまっている
ことが恥ずかしくてしようがなかった。
これが直に触れられていたら、思わず声を出してしまったかも知れない。
いや、紙ブラのかさついた擦れ具合が、余計に響子の乳首を感じさせてしまっている面もあるのだろう。
いずれにしても、響子は思いも寄らぬ性的な快感に戸惑い、狼狽えていた。
坂本も調子に乗ってくる。

「奥さん」
「は、はい」
「膝を立ててみてください」
「……」

言われた通りにしてしまう。
なぜか逆らえなかった。
拒否もできなかった。

「はい、それでいいですよ。そのまま少し足を開いて」
「……」

恥ずかしいのに、言われた通りにしてしまう。
膝を立て、脚を開かされてしまったら、それは股間を晒すことになるというのに。
紙製の下着は着けているものの、その頼りないことと言ったら。
まさか男が破いたりはしないだろうが、もう中はしっとりと蜜で濡れてしまっているのだ。
いつしみ出てしまうか、あるいは脇から零れてしまうか気が気ではない。
なのに響子は、震えながらも坂本の言葉に従っていた。

「失礼」

坂本はそう言ってから、ショーツの上から股間を揉んできた。

「あっ!」

思わず響子は両腕を伸ばしてその手を止めたのだが、またすぐに手を引っ込めた。
まだマッサージだと思っているらしい。
坂本の方も、少しも慌てず、また焦る素振りも見せないでそこを揉んでいる。
息遣いも乱れていないから、邪な思いはないのだろう。
響子は不審を振り払おうとしたが、実際は、坂本は荒々しい呼吸を抑え、つい力が入ってしまいそうな手を
抑制するのに必死だったのだ。
今、この場で襲いかかってしまっても同じではないかと何度も自答したが、それをプロ意識で乗り切っていく。
だからこそ響子も、疑うことをやめたのだ。
坂本への信頼というよりも、夫の親友だから信じているということだった。
彼に疑念を抱くということは、夫を疑うことと同義だと思ったのだ。

「っ……うっ……」

坂本の繊細なタッチに、響子は翻弄されていた。
彼の指や手が敏感な箇所に触れると、つい身体が動き、顎が上がり、声が出る。
巧みに乳首を弾かれ、股間を撫でられクリトリスを擦られると、どうしても腰が捩れ、呻き声が漏れ出る。
坂本は、そうした箇所ばかり責めていたわけではない。
そこばかりではバレてしまうし、響子ほどの肉体であれば、どこにでも性感帯はある。
股間の中心に触れそうだと思うと、すっと手が遠ざかり、内腿や腿の付け根付近を撫でるように揉んでくる。
中心部ではないものの、響子は内腿がとても感じてしまう質だったから同じことだ。
鼠蹊部をなぞられると、つい声を張り上げてしまいそうになった。

(こ、こんな……私、どうして……ああ、坂本さんっ……も、もう……)

坂本の指が響子の弱点を嬲るたびに、響子はぐぐっと手を握りしめたり、シーツを掴んだりして必死に
なって耐えていた。
左手に嵌めたエンゲージリングがオイルでぬめっている。
喉が何度も上下していた。
生唾を飲み込むのに必死なのだ。
足の指までぐぐっと屈まったり開いたりを繰り返している。
いい加減追い上げたところで、坂本はにやっと笑いながら響子の腹を軽く叩いた。

「はい、ご苦労さま。今日はこんなところでいかがでしょう」
「あ……」

坂本の手が腹から離れると、まるで追いかけるように腰が持ち上がってしまう。
男はそれに気づいていたのだが、笑いを堪えて平然としていた。
坂本の手が背中に回り、響子を起こしてくれる。
その手も、響子のなめらかな背を味わうように撫で擦っていた。

「どうでした? 気持ち良かったでしょう」
「は、はい……その、何というか……」

響子は答えに困った。
実際、何て言って良いのかわからないのだ。
気持ち良かったのは事実である。
ただそれは、前回に感じたような、疲れや凝りを揉みほぐされる心地よさではなく、もっと淫らな──
性的に気持ち良かったということなのだ。
まさかそんなことを口にも出せず、響子は曖昧に答えた。
坂本は気にした風もなく言った。

「そうですか、それは良かった。じゃあ次回ですけど……」
「え……、ま、まだあるんですか……」
「ええ。いやですか?」
「そ、そういうわけでは……」
「料金は、何度も言いますがいただきませんから」
「そういうことじゃなくって……」
「では何か他に問題でも? もう俺じゃイヤですか」
「……」

そう言われてしまうと無下にもできない。
何だかこのままエスカレートしたら危険な感じはする。
今のところ坂本は響子の身体への欲望を示すようなことはしていないと響子は思っていた。
ほとんど痴漢じみたことをされていたのだが、マッサージを交えてされていたせいか、そう断ずることも
出来なかったのだ。

もし坂本が豹変したら、その時こそ突き放して拒絶すればいい。
その上で夫にも訴える。
それでいいではないか。
まだ確たる証拠もないのに疑ったりしたら、夫の方も傷つくだろう。
それに、今日の坂本の行為を裕作に説明しても、まともに取り合ってくれない可能性が高い。
いずれマッサージとは身体に触れて行なうものだし、その際に「触ってしまう」ことだってあるだろう。
それが意図的なものか無意識なのかは本人しかわからない。
何より「坂本がそんなことするわけがない」と思っているはずだ。
もう一度、もう一度だけつき合おう。
その上で失礼な行為があったら怒ればいいのだ。
そう思う響子だったが、さきほどまでのプレイで、坂本の言いなりになってしまったことを思うと一抹の
不安を抑えきれなかった。



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