秋月中尉は、帝都・銀座にある大帝国劇場を訪れた。
大通りを挟んで正面玄関を見てみて驚いた。
話には聞いていたが、これほど人気があるとは思わなかった。
人、人、人。
そこは観客で溢れかえっていたのである。
帝撃が、世を忍ぶ仮の姿として劇団を装っていることは、軍部内でも実はあまり知られていない。
上司に教えられてはいたが、まさかここまでだとは思わなかった。
その人の多さに、驚くというより呆れてしまったのだ。
陸軍の、引いては国家の重要機密であるはずの霊子甲冑装備部隊が、かくも大勢の目に晒される
と言うことは問題だろう。
しかも、舞台で演じているのは搭乗員たちだという。
生粋の軍人からすれば、二重の意味で許せないことだ。
秋月は、それほど染まりきった国粋主義、軍隊至上主義ではなかったものの、さすがにこれは
行き過ぎだと思った。
だが、そんな気持ちはおくびにも出してはならない。
敵意を持っていることがバレてしまっては、今後の仕事がやりにくくなるというものだ。
見ると、ちょうど公演が終わったところらしい。
玄関およびロビーは、帰宅しようとする観客と、売店へ向かう者、次回公演のチケットを買い
求める客でごった返していた。
秋月は、人混みに閉口しながら、彼らを押し分けて中に入っていた。
それにしても、こんなところに来たのは産まれて初めてである。
地方出身者であり、帝都へ来ても活動写真館に何度か行ったことがあるだけの朴念仁である
彼は、劇場の中へ入っても、どこに何があるのかわからない。
「あのぅ」
困ったぞ、と苦笑していると、後ろから突然声を掛けられた。
振り向くと、ひとりの少女が立っていた。
薄桃色の和服を紺色の帯でキュッと締めている。
下は緋袴姿である。
全体として和装だが、草履ではなく革靴を履いていた。
よく見ると、ソックスではなく、どうも白足袋を着けているようだ。
秋月は少女を観察しながら、なるほど、これが「はいからさん」というやつなのだな、と納得
した。
秋月が言葉に詰まっていると、少女の方から話し掛けてきた。
柔らかい笑みを浮かべていた。
「陸軍の、秋月中尉さんですか?」
中尉の下に「さん」とつけるのが初々しい感じがする。
少女は、腰までありそうな長い黒髪を、真っ赤な大きいリボンでまとめている。
ぱっちりとした瞳が美しかった。
清楚でおとなしそうなイメージである。
「あ、はい。自分は秋月陸軍中尉であります。失礼ですが、あなたは……」
「あたし、真宮寺さくらと申します。帝撃・花組の者です」
「え、あなたが?」
「はい。米田支配人……いえ、司令に言われて、お迎えに上がりました」
この美少女がそうなのか、と、秋月は驚いた。
そう言えば、彼女らは女優として舞台に立っているのだから、美人であっても不思議はない。
だが、その裏は霊子甲冑を操り、降魔や魔操機兵と激戦を繰り広げる特殊部隊の隊員でもある
のだ。
それが、かくも綺麗な女の子だとは思わなかった。
想像していたよりギャップが大きい。
秋月が呆然としていると、たちまち周囲を観客に取り囲まれた。
さくらにサインをねだったり、写真を撮らせて欲しいというファンの連中である。
花組の少女は「申し訳ありません、これからすぐに終演の後始末がありますので、また次回に」
などと言って、頭を下げていた。
ファンたちは渋っていたが、さくらが低姿勢なので、さして問題も起こらず、引き上げていった。
人混みを避け、食堂を通り抜けると、ようやく落ち着いた。
さくらが済まなそうに言った。
「ごめんなさい、秋月さん。さっき公演がハネたばかりなので、まだお客さんがたくさん残って
いるんです」
「いや、構いません。しかし、ここまで人気があるとは思いませんでした。凄いですね」
「はい、ありがたいことだと思います」
少女はにっこり笑った。
秋月は、その化粧っ気のない白い貌を見つめた。
特に何を塗っているわけでもなさそうなのに、透き通るような白い肌だ。
薄紅の唇も自然そのもので、これも紅は差していないだろう。
秋月は、さくらの小作りな顔を見ていると心臓が高鳴ってくるのを感じた。
まずい、惚れたかな。
そんな秋月に気づきもせず、さくらは屈託なく話し掛ける。
「あたし、大神さんがここに赴任した時も、上野公園まで迎えに行ったんです。こういう役
ばっかりやってるんですよ。頼まれやすいんでしょうか」
「大神?」
「え、ああ、秋月さんはご存じないかも知れませんね。花組の隊長で、今は……」
「い、いや知ってますよ。よくね」
「え?」
思わずさくらが立ち止まって秋月を見た。
大きな瞳が魅惑的だ。
秋月は、少々どぎまぎしながら答えた。
「いや、実は大神とは同郷なんです」
「え、そうなんですか?」
「ええ。住んでいた村が一緒で、家も近所でした」
「まあ。それじゃ幼なじみだったんですか?」
「はあ、まあそうですね。そうか、あなたが彼が言っていたさくらさんですか……」
大神の話題になったので、さくらは足を止めて秋月と向かい合った。
長く会っていない恋人の話をしたくてしようがないのだ。
少女は、きらきらと瞳を輝かせて続きをせがんだ。
「あの、大神さんがあたしのことを何か言っていたんですか?」
「ええ。恋人だ、と……」
「そうですか……」
さくらは、ポッと染まった頬を両手で挟み込んで、少しうつむいた。
いじらしい姿を見て、秋月は胸の奥で冷たい炎がちろちろと揺れるように燃えるのを感じた。
黙ってしまった秋月に気づき、さくらは少し慌てて言った。
「あ、ごめんなさい、ぼんやりしちゃって。米田司令から、軍からお客様が来るとは聞いて
いたんですが、まさかその方が大神さんのお友達だとは思わなかったので……」
「……」
「米田司令がお待ちです。支配人室にご案内しますね」
大神の友人と知ったからか、秋月に対するさくらの表情や態度に親しみが滲み出てきている。
さくらは、若い士官の手を取って、米田の待つ部屋を連れて行った。
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花組隊員たちは、図書室に全員集合していた。
小振りな黒板の前にマリアが立ち、その前の大きな机の周囲に各隊員たちが座っていた。
「今言ったように、降魔の実態は未だつかめていないのが現状なの」
マリアは手元に分厚い書物を3冊ほど開いたまま置き、手にはチョークを持っている。
隊員たちに講義をしているのである。
これは定例的に行われているもので、内容はその時々で異なる。
霊力や霊子甲冑のこともあるし、実戦面での戦術指導、各機のフォーメーションについてのこと
もある。
今日は降魔についてだった。
正直なところ、各隊員たちにとっては迷惑というか苦手なもので、講義してくれるマリアには
申し訳ないが退屈な時間だ。
自分たちに必要な知識だとわかってはいるものの、舞台にしろ戦闘にしろ、身体を動かして
いた方が性に合っているのだ。
だが、この日は少々様子が違っていた。
普段なら、居眠りする隊員がひとりふたりはいるのだが、今日はアイリスを除いて全員起きて
いる。
そもそもこの講義、いつもは地下の作戦司令室で行われるが通例なのだ。
それが今日は図書室である。
その原因をマリアはちらりと見た。
マリアの脇に座っている陸軍士官。
かえでの代わりに帝撃へやってきた米田の副官、黒神杏花大尉だ。
米田からは、大尉は一時的な赴任だから、必要以上に帝撃内部を見せるなと言われている。
特に、心臓部でもある作戦司令室には出来るだけ入れるな、とのお達しだ。
胡散臭く思っているのは間違いないだろう。
あらゆる面でかえでと違っている女だった。
明るく活動的で親しみやすかったかえでとは逆で、ほとんど花組──というより帝撃の人間と
話を交わそうともしない。
もっとも、かえでの方が軍人らしくなかったのかも知れないが、この黒神大尉は軍の権威を鼻
に掛けたような態度ばかりが目立った。
美人は美人である。
ただ、眼鏡をかけた切れ長の目が冷たい印象を与えるし、ときおり口元に浮かぶ冷笑が余計に
そのイメージを強めていた。
すらりとした長身で、スタイルも良い。
椅子に腰掛けて、組んだ脚が長かった。
ウェストや足首などはぐっと締まっているし、手首も首も細い。
そのくせ、タイトスカートが窮屈そうな臀部はボリュームたっぷりである。
「降魔は他の国には出てへんのですか?」
紅蘭が発言した。
大きな眼鏡の奥の瞳が、杏花を覗き見ている。
彼女たちも新任副官を意識せざるを得ないのだろう。
「いいえ、そんなことはないわ」
「でも、あまり聞いたことはありませんわ」
マリアの返事にすみれが反応した。
確かに、海外から入ってくる外電で、降魔関連のニュースなど見たことがない。
マリアは質問者をじっと見つめながら答えた。
「それは多分、降魔という定義がよく出来ていないからだと思うわ」
例えばクジラだ。
クジラは哺乳類ではあるが、見ようによっては魚である。
今では生物学が進歩し、各国間で共通の認識があるから哺乳類で通るが、まだ研究の歴史が
浅い降魔はそうではないということだ。
そもそも「降魔」という名称自体、日本独自のものなのだ。
現状では未確認生物──UMAという認識しかないだろう。
「日本で言う降魔も、他の国でも出てきているとは思うけど、それが何なのかはよくわかって
ないんじゃないかしら。街の真ん中に出現したり、大勢の犠牲者が出たようなことがあれば
外電になるけれど、山奥なんかで現れて、目撃者自体が少なければ……」
「そうか。それじゃ妖怪話と一緒になっちまうのか」
カンナがうなずくと、マリアは話を続けた。
「そう。今カンナが妖怪って言ったけど、こうした怪異伝の一部は、もしかしたら降魔なのかも
知れないわね」
「へえ。じゃあ天狗だの河童だのってのも降魔かい?」
カンナはおどけたように言ったが、マリアは至って真面目だった。
「そうよ。もちろん全部がそうだとは言わないけど、降魔だとしても不思議はないわ。この国
の記録に出てくる最古の降魔記述は15世紀のものだけど、実際はもっと昔からいたのよ、
きっと。それを見た人たちは妖怪だと判断したわけね」
「それじゃあ、ダイダラボッチみたいなのもいたんですか?」
さくらがくすくす笑いながら言った。
彼女の地元に、そういった伝説があるのかも知れない。
さすがにマリアも苦笑した。
「さあ、ダイダラボッチみたいな巨大な降魔がいたら大変だったでしょうけど……。でも可能性
としては否定できないわ」
講師の金髪美女は、ぱらぱらと本のページをめくりながら言う。
「日本だけでなく、各国に伝わっている悪魔だの妖魔だのの伝説も、大昔の降魔だったと考えれ
ば、さほど突飛なものでもないわね。全部が全部そうだというわけじゃないけど」
「そういえば、中国にも日本の河童に近い妖怪がおりますわ。日本だけでなく他の国にも似た
ような妖怪が伝わってるちゅうのは、降魔かも知れませんな」
紅蘭の言葉に、マリアも首肯した。
「そうなのよ。もちろん中国から日本に河童伝説が伝わっただけ、という見方も出来るけど、
地理的にもまったく交流のなかった地域から同じような妖怪伝説がある、というのは珍しく
ないの。これは単なる怪異談ではなくって、実在のものだったって考える方が合理的だと思
うわ」
マリアは視線を感じて横を見ると、杏花がじっとマリアを見つめていた。
それまでは、さほど関心もなさそうな素振りだったが、伝説と降魔を絡めた話題になると、
発言者やマリアを注意深く観察している様子があった。
こうした民間伝承に興味があるのかも知れない。
何か発言するのかと思って少し間を空けたが、口を開く気配はないので、マリアは話し続けた。
「それを考えると、帝撃も帝都だけを護るということじゃなくなるかも知れないわ。日本全国
に出てくるかも知れないんだから」
「じゃあオレたちはああちこちに出張して降魔どもとやり合うのかい?」
「そうなるかも知れないし、あるいは要所要所に新たな華撃団を設けるかも知れない」
「マリアさん」
さくらが挙手して発言を求めた。
何だか学生っぽくて初々しい。
マリアも微笑して発言を許可した。
「なに? さくら」
「はい。あのう、どうして日本にばかり降魔は出てくるんでしょう」
「え? だから他の国にも出てるかも知れないって……」
「それはそうなんでしょうけど、日本ほど被害はひどくないんじゃありませんか?」
それはそうなのだ。
よりによって帝都に出現したということもあるし、黒之巣会などという組織が動いていたこと
もあり、第二次の降魔大戦はかなりの被害が出たのだ。
帝都市民はもちろんだが、花組の被害も半端ではなく、それまで装備していた光武が壊滅する
という大損害を被っている。
諸外国ではこうした被害はないようだ。
あれば外電が大騒ぎしているだろう。
マリアは顎に指をやって考えながら言った。
「そうね……。その国の政府が情報を抑えてしまって外へ出ていないということもないではない
でしょうけど、確かに日本ほどの被害は出てないんでしょうね」
「なぜなんでしょう」
「私もよくはわからないんだけど」
マリアはそう断ってから続けた。
「日本には大きな地脈──龍脈って言うのかしら──が走ってるからかも知れないわね。司令が
おっしゃってたことだけど、日本は列島を縦断する形で地下に太い龍脈があるのだそうよ。黒之
巣会もそれを利用しようとしていたけど、もしかしたらそれが降魔発生に影響を与えているのか
も知れないわ」
黒神杏花大尉は、説明するマリアの口元をじっと見つめていた。
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「……」
すみれにカンナ、紅蘭、アイリスといった面々が、じぃっと廊下の先を見つめている。
彼女らの目の先にはさくらたちがいた。
さくらと秋月陸軍中尉である。
親しげに会話を交わすふたりを、面白くなさそうな、あるいは心配そうな顔で眺めていた。
さくらと秋月の会話が僅かに聞こえてくる。
「それじゃ秋月さんと大神さんは同級生なんですね」
「そうです。中等学校まで、ですけどね。僕はよくいじめられたんですよ」
「え、大神さんにですか?」
秋月は人好きのする、柔らかい笑みで答えた。
「いいえ。他の級友にです。今でこそ軍で鍛えましたから、それなりの体力になりましたけど、
当時はチビで弱々しくてね、ガキ大将によく小突かれてました」
「まあ」
「それを助けてくれたのが大神なんです。それ以来ですね、つき合いは」
「そうなんですか……」
さくらは何だか嬉しくなる。
自分の恋人が他人の役に立ち、評価されているのを聞くのは心楽しいものだ。
さくらは秋月をフォローするように言った。
「でも、勉強は出来たのでしょう?」
「いやあ、そうでもないですよ。確かに運動が苦手な分、勉学は頑張りましたけどね、それ
でも彼には敵わなかったなあ」
「そんなご謙遜を。聞いてますよ、陸軍士官学校では次席だったそうじゃないですか。陸軍の
将校さんを養成する学校で、卒業生400人くらいの中で2番目なんて凄いですよ」
そう言われると若い士官は「まいった」という風に照れて、頭を掻いた。
「いやまあ、そう言われればそうなんですけどね。でも大神なんぞは、海士でも首席ですよ。
そっちの方がよほど凄いですよ」
「そうでしょうか……」
「そうですとも。学校は違えど、とうとう軍学校でも彼には勝てなかったんだなあ」
さくらは微笑みながら首を振った。
「そんなことないですよ。次席だって立派じゃないですかあ。羨ましいですよ、あたしなんか、
あんまり勉強得意じゃなかったし……」
さくらはかの男にすっかり気を許している感じで、屈託のない笑みを浮かべている。
秋月がからかったのか、恥ずかしそうな微笑みを見せながら、軽く彼の腕を叩く素振りまでして
いた。
「ちっ」
カンナが「見ちゃいられない」とばかりに舌打ちをする。
それを合図に、すみれがズカズカとふたりの方へ歩いていった。
よほど迫力があったのか、ズンズンと響いた足音が聞こえたのか、ふたりはビックリしたような
顔ですみれを迎えた。
秋月が少し驚いたような顔ですみれを見る。
確か、霊子甲冑を開発し、独占生産している神崎重工の社長令嬢だと聞いている。
並々ならぬ霊力の持ち主で、試作された霊子甲冑──確か「三色スミレ」というコードネーム
だったか──のテストパイロットだったはずだ。
編成された軍の霊子甲冑部隊へも、当然のように選抜されている。
さくらと初めて会った時も、軍の機密兵器の搭乗員らしくない彼女の姿に少なからず驚かされた
ものだが、この神崎すみれはそれ以上だ。
さくらは、まだ普通の女の子のイメージがあったが、すみれときたら凄いものだ。
紫を基調とした派手な色彩の着物を着ているのだ。
それはいいが、襟の裾を思い切り下ろしていて、両肩がほとんど露出している。
覗き込めば、胸の谷間も見えそうである。
着物の裾も前が開いていて、肉感的な脚が覗いている。
ニー・ソックスというのだろうか、太腿まで覆った白い西洋足袋を履いていて、素肌はあまり
見えていないものの、脚の形がはっきりとわかり、女らしさを醸し出している。
舞台女優らしいと言えばらしいのかも知れないが、それ以前に日本女性に相応しくない気がする。
大和撫子たる者、もっと控えめでおとなしいスタイルでいて欲しいものだ。
すみれには、少なくとも表面上はそうしたところがほとんど見えない。
ルックスも勝ち気そうである。
切れ長の目が厳しそうな雰囲気を与えている。
左目下に泣きボクロがあって、それが幾分イメージを和らげているものの、整った鼻梁、締まっ
た口元なども、彼女の性格を体現しているかのようである。
マリア・タチバナのように「触れれば切れそうな」イメージとも違うが、ヘタに触れば張り倒
されそうな印象は充分にあった。
「……神崎すみれくんだったね。何か?」
「……」
おまえなどに「くん」づけで呼ばれたくないと強く思ったすみれだったが、その場は抑えた。
秋月を睨みつけたまま、声だけは平静に答えた。
「……秋月中尉さんには関係ありませんわ。わたくしはさくらさんにご用がありますの」
「これは嫌われたものだ。ま、いい。じゃ、さくらくん、僕はこれで」
「あ、はい、秋月さん」
さくらはニコニコして見送った後、すみれに向き直った。
「すみれさん、お話って何です? ……あ、みんな」
秋月が立ち去ると、すぐにカンナたちが集まってきた。
すみれが代表して言った。
「さくらさん、あなた秋月中尉と仲が宜しいんですのね」
「はい。だって秋月さん、いい人ですよ。それに大神さんの親友だと言うし」
「……」
すみれたちは軽くため息をついた。
「恋は盲目」と言うが、秋月が大神の友人だというだけで、さくらは彼を信じ切ってしまって
いる。
いつもはこんな単純な思考の娘ではないのだが、大神と長期間離ればなれになっている寂しさと
いうのがあるのだろう。
大神一郎が大事な人だという共通の認識を持てる人物を慕ってしまうようだった。
カンナが言った。
「さくら、悪いこた言わねえ。あいつは気を付けた方がいいぜ」
「そうや、さくらはん。あの秋月ちゅう人、なんか得体が知れんちゅうか、怪しいで」
「そんなことないですよ。ね、アイリス?」
カンナ、紅蘭に続き、顔を曇らせたアイリスも首を振って否定した。
「……アイリスもあの人嫌ぁい……」
「アイリス」
さくらが窘めるように言う。
「秋月さんは大神さんのお友達なのよ。それなのに……」
「違う」
「違う?」
「あの人……ウソついてる」
「ウソ?」
さくらはきょとんとした。
「じゃあ……大神さんとお友達というのはウソなの?」
「わかんないけど……でも、アイリス嫌いだもん。あの人、お兄ちゃんとは違う……」
アイリスを諭そうとするさくらを、すみれが遮った。
「さくらさん」
「はい」
「あなたがあの人をどう思おうが構いませんわ。でも、あの人の帝撃内での行動が不審なのは
確かです。あれこれ探りを入れてますし」
「でもそれは、秋月さんの軍務が霊子甲冑を調査することだからじゃないんですか?」
「それならもっと堂々とすればいいんですわ。こそこそと隠れるようにするなんて」
「それは……、あたしたちがあまり協力的ではないからじゃないでしょうか」
「……」
さくらはすみれたちひとりひとりを見ながら言った。
「今、帝撃は米田支配人もいませんし、かえでさんが行方不明ですから、不安なのはあたしも
一緒です。そこへ軍人さんが入ってきたわけですから警戒するのはわかりますけど……」
「……」
「秋月さんはそんな人じゃありません。それじゃあたしは」
さくらは笑って軽く一礼すると、その場を立ち去った。
───────────────
「マリア・タチバナさん」
「は? ……ああ、秋月中尉ですか……」
あまり好意的ではない口調である。
あちこち探っているのが、やはり彼女らにとっては面白くないのだろう。
さくらだけは例外だが、それ以外の帝撃関係者は、ほとんどが秋月や黒神大尉を疎んじている
のがわかる。
だが、それはそれでいい。
別に秋月は、帝撃に配属されたわけではないのだ。
別の目的があって潜入しているのである。
邪魔されては困るが、好かれる必要はないのだ。
一応、軍からの正規の命令書があるから、露骨に妨害されることはないが、消極的な不服従
状態にはなっている。
だが、これくらいは仕方があるまい。
司令の米田中将からして、こっちの行動を制限したいように見えるが、これは黒神副官がそれと
なく抑制してくれていた。
もともと調査は黒神で、秋月は「実行部隊」なのだ。
「何か?」
マリアは怪訝というより、少々胡散臭そうな顔で秋月を見ていた。
この男、何を考えているかわからない。
さくらとは親しいようだが、他の隊員とはほとんど接触していないようだ。
司令からは、光武──霊子甲冑の調査という名目で陸軍から派遣されてきていると聞かされている。
そのくせ、光武関係の資料を調べたり整備場へ行くよりも、花組隊員の動向や情報を探っている方
が多かったりする。
軍命令とは別に、どんな目的を持っているのか、わかったものではない。
帝撃を敵視する軍上層部は少なくないのだ。
「実は私は、軍から命令されて帝撃の霊子甲冑について調査しているのですが」
「……米田司令から伺っています」
「自分でもあれこれ調べているんですが、門外漢なもので、どうも今ひとつ……」
「……」
マリアは油断なく士官を見ている。
何を言い出すのかわからないし、無理難題を吹っ掛けてくる可能性もあると聞いていた。
「申し訳ないのですが、あなたに講義していただけないか、と」
「私がですか?」
「はい。本来、こうしたことは司令に直接お願いするか、あるいは副官の藤枝中尉に頼むのが
筋だと思うのですが、両名ともおりませんし」
米田は欧州軍事視察団の副団長として出発している。
かえでは行方不明である。
新任副官のあの女は油断がならないし、何しろ新任なのだから帝撃のことなどロクに知らない
だろう。
「花組隊長の大神も日本を離れています。となれば、元隊長で現在も隊長代理を勤めておられる
あなたが適任かと……」
「わかりました」
マリアは軽くため息をついた。
秋月の言うことはいちいち筋が通っているから、無碍に拒絶はしにくかった。
「出来る範囲で」協力しろと米田にも言われている。
マリアも、この若い士官が何となく胡散臭く感じられていて、これまでロクに話もしていなかった。
相手を探る意味でも、この要求を受けるのもいいだろう。
「では、どこでやりますか?」
「そうですね、図書室などいかがです? あまり人も来ないでしょうし」
「いいでしょう。私は何を説明すればいいのです?」
「はあ、戦闘詳細に合わせて、各隊員の戦いぶりや光武の状況などを教えてもらえれば幸いです」
そう言って秋月はマリアの肩に手を回した。
マリアは露骨に表情を歪めたが、振りほどくまではしなかった。
マリアを先に室内へ入れ、秋月は扉の外を見やり、目撃者がいないことを確認した。
マリア・タチバナの失踪が明るみになって、帝撃内が大騒ぎになったのは、その6時間後のこと
であった。
───────────────
秋月はテラスに佇むさくらを発見した。
明るく朗らかなのが取り柄の娘なのに、さびしそうな、不安そうな表情をしている。
大神がいないことに加え、米田もいない。
そこへ、降って掛かった連続失踪事件。
かえで、マリアと、頼りがいのある順に消えているのだから、不安にならない方がどうかして
いる。
「さくらくん」
「あ……秋月さん」
さくらは無理に微笑を浮かべて秋月を迎えた。
彼は部外者だ。
あまり帝撃の内幕を見せるわけにもいかないし、頼るわけにもいかないだろう。
それはわかっているが、大神の親友でもある優しい男に、ついふらふらと頼りたくなってしまう。
甘えたくなってしまう。
彼は大神の親友ではあるが、大神本人ではないのだ。
少女は強がった笑みを浮かべた。
「あたし……何か考え事があったり、つらいことがあったりすると、いつもここで銀座を眺めて
いるんです」
「……」
「こうして帝都の風景を見ていると、何だか少し落ち着ける気がします。少しでも気を紛らわ
さないと滅入ってしまいそうで……」
そうつぶやくと、気を取り直すように、コツンと自分の頭を軽く拳で突いた。
「ダメですね、あたしって。すみれさんたちはいつもと同じように振る舞っているのに、どう
してもあたしは……」
「さくらくん」
秋月が、見かねたようにさくらに言った。
両手を肩に置き、じっと顔を見つめている。
少し顔を赤らめて、さくらはぱっちりした目で彼を見た。
男性と見つめ合うなんてことは、大神以来だ。
「は、はい」
「さびしいのはわかるし、怖いのも無理はない。強がることはないよ」
「はい……。でも、あたしも花組です。何とかしないといけないんです」
「わかっている。僕が偶然、帝撃に来ているのも何かの縁だろう。協力させてくれないか?」
「協力……と言いますと?」
さくらは、いつのまにか秋月の手を握っていた。
大きな手が男らしく、さくらを安心させる。
秋月は、さくらの華奢で柔らかい手を握り返して答えた。
「実は心当たりがないでもない」
「ホントですか!?」
「ああ。実は、ここだけの話だが、軍内部で霊力に対する関心が高まっているんだ」
「霊力ですか? 光武ではなくって?」
「そうだ。だが、これは軍の主流派の考えではない。あくまで一部勢力だ」
青年将校は、言葉を選びながら言った。
あまり喋っては感づかれる可能性もある。
だが、目の前の少女は、ひたすら次の言葉を待っていた。
「彼らが自分たちの目的のために、マリアを拐かした可能性がある」
「……じゃあもしかして、かえでさんも……」
「そう思っても不思議じゃないね」
「秋月さんは、マリアさんたちがどこにいるか心当たりがあるんですか?」
さくらが縋るような顔と口調で尋ねると、秋月は口ごもった。
彼も陸軍軍人であり、士官だ。
言いにくいこともあるのだろう。
だがこれは、やっと掴み掛けたとっかかりである。
逃すわけにはいかなかった。
さくらは秋月の両手を握りながら言った。
「お願いです、秋月さん。ご存じなら教えてください」
「い、いや、しかし……」
「たった今、協力したいっておっしゃったじゃないですか!」
「……」
黙ってしまった秋月を見て、さくらは俯いた。
「……ごめんなさい。秋月さんは軍人さんですもの、あたしたちに言えないことだってあります
よね……」
マリアたちを救出したい、でも秋月に無理を言いたくない。
そんな思いがせめぎ合っているであろうさくらの愁いに満ちた表情を見るなり、秋月は我慢が
出来なくなった。
「さくらくん」
「あっ……」
さくらはハッとした。
秋月が抱きしめてきたのだ。
力強い抱擁。
軍服から漂う男の汗の匂い。
思わずその胸に顔を埋めたくなる思いをようやく堪えて、さくらは秋月の胸を手で押し返した。
中尉は顔を逸らし、素直に少女から離れる。
「……すまない」
「いいえ」
さくらも赤い顔を男から背けた。
まだ胸がドキドキしている。
自分は秋月に大神の代用を求めているのではないかと思い、秋月にも大神にも申し訳ない思いに
囚われた。
ようやくさくらが秋月に顔を向けると、彼の方はもう普通の表情に戻っていた。
「わかったよ、さくらくん」
「……」
「少々危険だが、行ってみるかい?」
「本当ですか!?」
秋月はうなずいた。
しかし、すぐに心配そうな顔になる。
「そこは軍の施設だ。しかも機密扱いだから民間人はもちろん、普通の軍人でも近づけない」
「……」
「だが、僕はここに来る前、そこで勤務していたことがあるんだ」
「え。それじゃあ……」
「ただ、僕は行けるだろうが、さくらくんは無理だ」
「でも!」
「わかってる。きみも行きたいのだろう?」
さくらは必死にうなずいた。
秋月は危険だと言った。
そんな場所に、事件部外者の秋月だけをやるわけにはいかない。
何があっても自分も一緒に行くのだ。
「さっきも言ったが、僕だけならともかく、きみを連れて行くのはかなり危険だ」
「……」
「方法がないわけではないが……」
「お願いです、秋月さん。あたし、何でもやります!」
なおも渋る秋月を、さくらは口説き落とした。
そこで中尉が渋々教えてくれたのが「囮」だったのだ。
「囮……と言いますと?」
さすがにさくらも不安そうだった。
バレでもしたら、自分がマリアたちの二の舞になりかねない。
いや、そうなることは確実だ。
さくらも帝撃・花組隊員なのだから。
止める秋月を説得し、さくらと彼は敵の本拠地に乗り込んでいった。
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