海軍艦上偵察機「彩雲」
海軍艦上偵察機「彩雲」
現代でこそ情報の多寡は戦いの明暗を分けると認識されていますが、第二次大戦中、空母専用偵察機を持っていたのは日本だけでした。
特に空母戦略先進国であったアメリカも例外ではありませんでした。各国海軍は偵察には作戦に使用しない艦上攻撃機などを任務に回しました。その最大の理由は搭載機数が限られた空母の格納庫内に偵察機を置く必要はないと考えられていたためでした。日本海軍は戦艦、巡洋艦に搭載できる水上偵察機は充実していましたが、艦上偵察機の分野は世界的に見ても遅れをとっており、陸軍の
一〇〇式司令部偵察機を借用、運用している状況でした。
艦上爆撃機「彗星」の前身である二式艦上偵察機は思った以上の性能は発揮できず、中島航空機に対して空母で運用できる高速艦上偵察機の開発を指示しました。
中島飛行機では彩雲より先に開発された
艦上攻撃機「天山」に似た機体設計を行い、胴体カメラと観測用開口部を設けた試作機を製作しました。しかし、搭載するはずの2000馬力級エンジン「誉」は日本の工業力では1600馬力程度しかパワーが出せず、残りの400馬力は機体設計で補う形が取られました。機体幅はエンジンカバーギリギリの寸法で空気抵抗を減らし、機体表面は滑らかに仕上げるなどで高速性を追求した結果、試験飛行ではなんと時速639kmという結果を残しました。
昭和19年、海軍に制式採用されましたがマリアナ沖海戦で日本機動部隊は壊滅したため空母で運用されることはなく陸上基地で運用がなされました。最前線のサイパン方面やウルシー環礁の状況偵察に運用されましたが、持ち前の高速は搭乗員の生還率を高めました。偵察中、追撃してきた
F6Fを振り切ったときに発した
「我に追いつくグラマン無し」
の電文は本機の高速性能を示す有名なエピソードです。
戦局がさらに悪化すると特攻作戦に運用されることが増え、目標となる敵の状況偵察、敵艦隊までの誘導、戦果確認の任務に従事することが多かったようです。また高度1万mを飛行することも可能であったため、斜め上方を狙えるように設置された機銃を装備した空対空戦タイプも試作され、
B-29迎撃戦に投入されました。
彩雲は優秀機として温存されたせいか、生還率が高かったせいか終戦時には生産された400機中、実に半数近い数が残されていました。
性能諸元
全長; 11.15m
全幅; 12.50m
全高; 4.19m
正規全備重量; 2900kg
エンジン; 誉21型 空冷複列18気筒
(出力1990馬力)
最大速度; 609km/h
武装; 7.92mm機銃×1
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