■□ noir(2) □■   − 潜入 −
アルベリック、ヴァイパー、レイラ
           5   ……
アンケート(別窓):   見てみたいアルベリックの結末は?


 何度も引き止めた村人たちの言葉のとおり、村の中は不自然極まりない空気が満ちていた。
男ばかりが行き交う道、必要以上に漂う緊張感。目にするのは黒衣の悪魔か、人の形を持っていても腰に得物を下げているか。稀に見かける村人たちは奴隷どころか家畜同然に扱われていて、当然皆一様に怯えた目をしている。
それは占領下の町では日常的な風景、しかし善性のみで構成されている天使様には悪夢でしかない。
たとえ現実だろうと、彼女の語彙では悪夢としか形容のしようがない。
 美しい少女の姿の天使様は純白の翼を隠して戦場に舞い降り、修道女の服で神々しさを隠して振舞っていた。
今はその上にぼろぼろの外套をかぶって、頭のてっぺんから足首までしっかりと隠して歩いている。薄紅色の唇をごまかすために必要以上に唇を結び色褪せさせて、その表情が偶然にも緊張感を生み出している。
幸運にも必要な薬を手に入れることはできて、後は何とかして村から離れるだけ……それだけのはずなのだけど、行きはよいよい、帰りはこわい。
「隙を見て」村を後にしたくてもその隙がなかなか見つからなくて、少年の、いや子どものふりをして彷徨う天使様はなかなかその場を離れられない。薬の包みを胸に抱えて彷徨う子どもの姿は珍しくもないらしい、幸運なことに騎士たちはシルマリルの中身に気づかず、目にとめることすらしなかった。
 騎士らしさに背かず弱き者のために剣を抜き倒れてしまったレイラのために、そこにいたすべての人のために、どうやってでもこれを持ち帰らなければならない。
絶望に似た苦境に立たされ、ぼろ布に包まれたシルマリルの細い腕が大事な薬の包みを抱きしめた。

「何だ、ガキか……まあいい、どうせ女もいない村だ、贅沢は言えないな。」

 短い言葉だけで、老人の懸念が現実になる。
どうあっても行動を起こそうとしていたシルマリルにあてての老人の言葉にはさらに裏があり、しかしシルマリルはあまりにも物を知らなさ過ぎた。突然大きな手に肩を掴まれた天使様は賢しくも声を発することなく、顔を上げることもしなかったのだけれど、声の主はそんなことなど意にも介さずに「何かの包みを抱える子ども」を捕まえ下品な笑い声をその場に響かせた。
「女がいないんだったら、せめてガキぐらい代わりに使わないとそのうち破裂しそうだ。」
「お、男でも当たりかもしれないぞ? 田舎者の割に色は白いし、結構楽しめるかもな。」
 騎士の服を着ていない傭兵たちは自分たち以上に見境のないその言葉に眉を顰め、村人たちは手も足も出せずに目をそらすばかり。大人の男、騎士が3人がかりでシルマリルを取り囲み捕まえてその後のことを妄想しつつ下品に笑うのだけれど、シルマリルは己に襲い掛かった危機の末路を知らなくて、片腕で抱えた薬の包みを落とすまいと身を強張らせる。
緊張のあまりに固く結ばれていた唇は唐突な危機に思わず半開きになり、花びらみたいな薄紅色の少女の唇が色を取り戻すのに時間など必要ない。ひたすらに身を強張らせ胸に抱えた包みを手放そうとしない「子ども」の唇の色が見る見るうちに変わってゆく様を見逃すような連中ではなかった。
 騎士の一人が舌なめずりをしつつ、頭のてっぺん、顔まで包み隠していたシルマリルの外套をやおら掴み愉しみつつひん剥いた。
当然こぼれる細い金の髪、中から現れたのは目を疑うほど美しい少女。唐突過ぎる「神の恵み」、悪魔の与えた褒美に黒い獣たちの狂喜は瞬間的に最高潮近くまで打ち上げられた。
悲惨な形で暴露された愚かな娘の暴挙に、いや馬鹿騒ぎしている騎士の声に呼び寄せられ人だかりが出来ても、誰もシルマリルに救いの手を差し伸べない。
下手に水を差せばその狂喜は狂気に変わり水を差した者の命でしか静められない。
……だから、誰も止めに入らない。入れない。
小娘ひとりを生贄に差し出すことで大勢が救われるのだからと、何度も繰り返された狂気が繰り返されるだけ。
「……こりゃあいい。まさに神の思し召し、だ!」
 シルマリルの体からぼろ布に等しい上着が剥ぎ取られ、修道女の服が暴かれさらされた。
罰当たりにも彼女の服と神を引っ掛けて騎士たちはさらに盛り上がる。野次馬に等しい傍観者たちの目には、そんな目にあっていても胸の大事な包みを手放さない修道女の愚かさが神々しく映り、皆一様に直視できずに目をそらすばかり。
「神様しか知らないお嬢ちゃんにいい思いさせてやるよ?」
「ああもうその辺でいいから連れ込んでしまえ!」
 ……神をも畏れぬ不届き者。温厚な天使シルマリル、しかし怒りを知らぬわけではない。
修道女の服を引き裂こうと試みる汚らわしい手を振り解こうと身をよじり抵抗する天使様、その背中から異様な威圧感が姿を現そうとしている。それでも、そうすることで生まれる混乱を慮ってシルマリルは天使の天罰を下すことなく人間の姿にふさわしい抵抗に甘んじるのだけれど、そうすればするほど彼らの狂気は膨れ上がり場は騒然とするばかり。
「暴れるな、この場で見られながら犯されたいのか!!」
 大事な包みが奪い取られ、シルマリルにとっては大事な、彼らにとっては邪魔なそれが宙を舞う。
脆い薬壜に入ったそれは破戒音をたて粉々に砕け、天使様の怒りが発露する――――はず、だった。
 引き倒されそうになったシルマリルの背中に、生物の体が触れた。それは細く長く直立していて、思わず手をまわしたシルマリルの指先に触れたのは肌でも布でもなく、動物の毛だった。
あれだけ騒々しかった黒衣の悪魔たちは、いやその場すべてが水を打ったかのように不自然に静まり返っている。
その異様さにようやく気づいたシルマリルが辺りを見回し背後に視線を上げると、逆光の中見えたのは馬に跨る人影だった。
逆光に黒く隠されたその顔に、シルマリルの蒼い目が皿のように丸く大きく見開かれる。

「……何の騒ぎだ。」

 その声に、その顔には覚えがある。いや忘れもしない。
アルベリック=クロイツフェルド。グローサイン帝国宰相・クロイツフェルド大公の子息で、現在の帝国第一騎士団長の座に収まった青年。
……レイラの父で先の第一騎士団長ラウル=ヴィグリードを葬った男。
秀麗な青年の顔を持つけれどその性根は歪み、偏執狂的な愛をレイラに向けていた。あまりにも醜悪な本性に気づいていたレイラの心が己に向かぬと見るや否や、レイラを罠に嵌め死か服従かと迫った野暮な男の顔を、シルマリルは忘れていなかった。
誇りを取り死を選ぼうとしていたレイラを解放したのはシルマリルだったから、忘れようはずなどなかった。
「修道女とは、珍しいものがいるな。……で、お前たちは何をしていたのだ?」
 白手袋に包まれたアルベリックの左手は手綱を掴み、右手にはシルマリルが先ほどまで抱えていた薬壜が握られている。
彼は騒ぎを起こした一団を冷たく馬上から見下ろしていて、その中でも異質なシルマリルに視線を注いでいる。数本あった薬壜は彼の手に握られたもの以外すべて中身をぶちまけそこここに転がってしまい、その中身は大地に吸われてしまうか、アルベリックの制服を濡らしていた。
「そ、そそ……それはっ」
「お前たちの決まり文句なら聞くだけ無駄だな。」
 アルベリックはシルマリルを見下ろしたまま、視線をはずさない。先ほどまで馬鹿騒ぎしていた騎士たちはすっかり萎縮して保身だけでなく言葉すらも忘れ小さくなってしまっているのに、アルベリックの一声、手綱さばきひとつで馬に蹴り殺される位置にいる小さな修道女が、威圧感など放ちながら騎士たちの頭を見つめている。
その蒼い瞳には底が見えなくて、アルベリックが初めて表情を変えた。
 その場すべてが、大きくどよめく。
アルベリックは眉間に深く縦皺を浮かべ刻みつけて、利き手から薬壜を放り投げそのまま腰の得物に手を伸ばす。
恐れ多くも騎士団長の服を薬で汚した無礼者が討たれる光景――――無礼討ちにされる分、女を汚されない分、彼女は幸せかもしれない。……多くのものがそう考えて諦めて、誰もシルマリルを助けようとしない。
 その瞬間、野次馬の中のたった一人が殺気を伴いつつ動いた。
当然騎士団長殿の目は得体が知れなかろうと力は持たない修道女から、殺気を発した人ごみの方へと向けられる。
侵略した後は恐怖かささやかな自由のどちらかで民は服従させられる。慈悲を知らぬ侵略劇を繰り広げる帝国軍に「寛容」の文字は存在しない、アルベリックは抵抗しない修道女より殺気など向けた無礼者を当然重く見て、容赦なく斬り捨てるべく己の剣を鞘走らせる。
 土気色に汚れたぼろぼろの外套の中で、音もなくわずかに抜かれた「誰か」の剣を、別の「誰か」の手がそれ以上抜かせずに、外套の上からそのまま押し戻す。剣を抜けなかった外套の人物が青い視線を上げると、逆立つ銀の髪とターコイズブルーの上着が目に飛び込んできた。

「いったい何の騒ぎだ? 最近退屈してたんだ、俺も混ぜてくれねえか。」

 おどけた低い声と、正反対の鋭い視線光る隻眼の男。軍靴とはまた違う底の厚いブーツで目の細かい砂を踏む男の足音は軍人のものではなさそう。
逆立てている銀の髪は左側の一部を上着と同じ色に染めていて、恐怖で他国すら飲み込もうとしている帝国の騎士団長を目の前にしても畏れるどころか敬う様子すらない。
唐突に姿を現した彼の手には、先ほどアルベリックが放り捨てた、たった一つ難を逃れた薬壜が握られている。
「あんたがいつまでも指図してくれねえから、退屈した連中がつまんねえ騒ぎを起こすんだよ。
 ったくちゃっちゃと片付けられねえもんかね。」
 彼は一度手にした薬壜を弄ぶようにぽんぽんと投げて受けてを繰り返しながら、苦笑いに似た笑みを浮かべている。明らかに騎士ではない、少々格好つけた平服の青年が姿を現したのを見、アルベリックはなにやら納得した様子で腰の剣を収め手を離した。
たった一人の登場でどういうことか丸く収まった様子を見、人ごみの中で殺気を隠しきれなかった「誰か」は、剣の柄にかけた手はそのままにしながらも冷静さを取り戻して再び息を殺し成り行きを見守る。
アルベリックはともかく、突然現れた正体不明の片目の男は抑え切れなかった殺気を感じただけではなく、厚い外套の中で音もなく抜いたはずの剣に気づき、抜かせようとしなかった。
人ごみの中の殺気に気づいたアルベリックも、すれ違いざまに殺気の主を牽制したその男も敵だと言うのなら、血気に逸り動いては自滅しかねない。
「貴様か……こんな所で何をしている?」
「ただの通りすがりさ。別に何してたわけじゃない。
 しかし………………」
 正体不明の隻眼の男。アルベリックを恐れる素振りもないけれど、敵対しているわけでもなさそう。
不思議なことにアルベリックもそのことを腹立たしく思っている様子は見せない。
突然現れた男が次何をするか場のすべてが息を呑む中、彼は体ごとシルマリルの方に向くと――――まるで紳士のごとく、尻餅をついたままの彼女に利き手を差し伸べた。
「悪さは必要以上しないに限るな。
 この場面に駆けつけた俺はあんたの中で勇者並みだろ、ロクスの大事なお嬢さん?」
 片目の男クラレンスは嬉しさを隠しきれない様子で口元をほころばせ、いや少々だらしなくゆるめてシルマリルに語りかける。「ロクスの大事な」と形容した低い声を聞いて、人ごみの中の「誰か」が思わず息を飲み込んだことは当人しか知らない。
隻眼の男はシルマリルだけではなく彼女の勇者の名も知っていた。……ますます下手に手は出せない。
「クラレンス……」
「優しいのもほどほどにしとけって言ったのに、ホントあんたは嬉しくなるほどのお人よしだなぁ。
 嬉しいついでにひとつ善行ってヤツをしておくか。」
 彼はアルベリックだけではない、その物言いから察するにシルマリルとも面識があるらしい。どうやらシルマリルを気に入っているらしく、アルベリック相手には不遜な態度を見せていたのに、地べたに尻餅ついたままのシルマリルには恭しく手なんて差し伸べて、彼女がその手の上に小さな手を乗せたなりに引き起こし、己の隣に立たせて守る。
隙だらけに見せて、隙のない不思議な男。ぎらつく刃を軍服と言う黒い鞘で隠しているようないないようなアルベリックとは対極にいる。
「騎士団長殿は、神に仕える修道女を子分へのご褒美に与えるなんて鬼畜の所業はしねえだろ?
 そのつもりだったら考え直してくれねえか、俺だってあんたを敵に回すなんて面倒な真似は御免だ。」
「その様子では、その小娘が件の娘のようだな。
 まさか貴様が岡惚れしている女とこうして顔を合わせるとは、妙なこともあるものだ。
 欲しければさっさと連れて消えろ。」
「欲しいッつーか、まああんたにはわかんねえだろうからつべこべ言わずにご好意に甘えさせてもらうぜ。
 さ、お嬢さんこっちだ。これはしっかり抱えときな、悔しいが今は俺よりも大事そうだし。」
 どうやら男ふたりの間で交渉は成立したらしく、クラレンスはシルマリルの肩など抱いて、誰も手も口も出せない空気を作りつつその場から離れさせようと背を押した。
「ああ、団長殿。」
「今度は何だ。」
「その服、綺麗なシスターに丁寧に洗ってもらうか?
 美人に普段着洗濯してもらうのって気分いいぜ。」
「断る。服の一着や二着汚されたぐらい、着替えれば済む話だ。
 無駄口叩かずさっさと消えろ。」
「はいはい。
 ったくささやかな幸せってヤツがわかんないのかね、団長殿は。ああもったいねえ。」
 緊迫した空気のままで与太話など振る肝の据わった片目の男は、大きすぎる収穫を腕に抱き現れた方向へと向かい退場してゆく。騎士団長殿と対等の口を利く男の行く手を誰も遮らず、男ばかりの人ごみは幸運にもその身を汚されずにすんだ修道女の美貌に釘付けになる。しかしその細い肩を抱くうらやましい男がいて、もう誰も彼女に不埒な振る舞いはしない。出来ない。
シルマリルを襲った騎士たちは恐怖のあまりに地べたに這いつくばったまま顔すら上げられないままでいる。その理由はアルベリックの存在だけなのだろうか? そう考えるには、彼らの怯えようは異常だった。
 クラレンスが割れて道が出来つつある人ごみに紛れ来たとおりに立ち去ろうとする最中、青い瞳の「誰か」の腕辺りを指先でつついた。それに気づきつつかれた当人はクラレンスの横顔を見るのだけれど、彼は言葉はおろか横顔ですら何も語らない。ただ、つついた指先が彼の立ち去る方向を指し、小さく二度、三度と指差して促している。
「ついて来い」と指先で語る正体不明の男。シルマリルの顔見知り、アルベリックとも面識がある。
「誰か」に選択権は与えられていないに等しい。
アルベリックは立ち去り人ごみはすでにばらけつつある中を、シルマリルとクラレンス、そして少し離れてもうひとりは同じ方向へと足早に向かう。



「さて、と…………。」

 どういうことなのか、クラレンスが同行しただけでシルマリルは咎められるどころか怪しまれることすらなく村のはずれにまで来る事が出来た。彼は何を思うのか騎士が少ない方少ない方へとシルマリルの肩を抱き歩き続け、のどかな流れの川のほとりに来る頃には人影すらない。
 クラレンスはシルマリルの知る彼といささかも違った様子を見せずにシルマリルの肩からあっさりと手を離すと、川縁に転がっている樽に腰掛けて脚なんて組んで顔を上げた。その場にいるのは当然クラレンスとシルマリル、そしてもうひとり――――クラレンスに促されついてきた、あの場で剣を抜こうとした「誰か」。

「誰もいねえから、とりあえず顔だけでも拝ませてくれよ、レイラさん?」

 飄々とした口調で鋭く切り込んできた正体不明の男の言葉に、ついてきていた「誰か」――――レイラが少々ためらいつつも外套のフードを後ろにずらした。美しく波打つ長い金の髪がこぼれた様子に、クラレンスはわざとらしく口笛なんて吹いてみせる。
「テキトーにかまかけただけだったが、まさか図星とはな。」
 彼は薄笑いを隠さずにそんなことを口にしているけれど、どこまでが本当か、どこからふざけているのかわからない。「騎士団長のご息女」「帝国初の女騎士」と言う肩書きの中で生きてきたレイラの知っている男の中にはいないタイプのクラレンスだから、それが却って怖くすらある。
シルマリルは相変わらずのぼんやりした彼女に戻ってしまったけれど、どう振舞えばいいのか考えさせるような、しかも敵かもしれない男を目の前にしている現実がレイラを緊張させ続ける。
「……いつから……気づいていたの?」
「あんたが女だって気づいたのは見た瞬間。
 あんたがレイラさんかも、って思ったのは、騎士団長殿をにらみつける目つきを見た時。
 何しろ遊び好きなもんでな、女の気配にゃ鋭いんだ。」
 そこまで口にするとクラレンスは喉の奥で噛み殺した笑い声を漏らし、今度はシルマリルを見た。
「お嬢さんはロクスといるよりレイラさんといた方が映えるぜ。
 あんな根性曲がったのが丸見えのたらしより、美女ふたりの方がずっと華やかだ。」
「……ごまかそうとしていますね、クラレンス?」
 シルマリルの静かな言葉に、レイラがハッとした。
まるで貴族のご息女のような鷹揚なお嬢様みたい、のんびりしすぎてすらいる天使様で危なげなのだけれど、シルマリルはやはり人間より上の存在だけはある。彼女らしいのんきな物言いで直接切り込んだ言葉にレイラは思わずわずかとは言え目を見開いてしまったけれど、クラレンスはどういうことかうれしかったらしく、ことさらにっこりと、まるで少年みたいな笑顔を天使様に向ける。
「おや、見抜かれてたか。でも今日の所はごまかされて欲しいんだが、どうだ?」
「私の好奇心の強さは」
「知ってる。でも世の中には知っちまったらヤバい話は五万とあるんだ。
 今なら俺がどうとでもごまかしておけるから、今日の所は俺に男を立てさせてくれないか?」
「……クラレンス。」
「きかないあたりも可愛いんだけどなあ、今日は根負けするわけにはいかない。
 諦めてくれ。」
 飄々とした口ぶりが与える印象どおり、底を読ませない男。クラレンスはのらりくらりとした物言いでアルベリックを煙に巻いたのとは違う押しの強さで、嘘を許さないシルマリルに対して嘘をつかずに語らぬことで押し切って彼女を黙らせた。不満そうにわずかに唇を尖らせたシルマリルの表情は気に入ったのか、ふくれっ面を見せられても不機嫌になる素振りなどかけらも見せず、女に甘い男の笑みだけで返す。
「それに、今日はお互いこれからの予定がある身だ。お名残惜しいがそろそろさよなら、と行きたいところだが。
 見たところレイラさんは顔色がよくないし、お嬢さんとその薬を待ってる誰かがいるんだろ?」
 それに、クラレンスは予測と言うには鋭すぎる言葉で遠まわしに直接にと変幻自在の様子で切り込んでくる。
彼の言葉どおり、レイラは一人で帝国軍残る村へと出向いたシルマリルの話を聞いて、鉛のように重い体で彼女の後を追ってきた。あの場では思わず剣を抜きそうになったけれど、今の体調でアルベリックに見つかっては抵抗すら出来ずに捕らえられるか、最悪父親の後を追わされていたことだろう。
シルマリルも薬壜の本数は減ったとはいえ、無駄足にならずにすんだことは素直に感謝している。
クラレンスは美女ふたりの返事を聞かずに組んでいた脚を解いて立ち上がり、未練はなさそうに動き出した。

「クラレンス!」

 少し離れてしまった彼の背中に向かい、声の細いシルマリルがひときわ大きな声で名を呼ぶ。
「今日はありがとうございました、あのっ」
 目だけで振り向いたクラレンスの背中にかけられた言葉はどこまでもお人よしで、あまりにも彼女らしくて、わが道を突き進む彼女らしくて、クラレンスは背中を向けたまま、苦笑いに似た微笑を唇の端にわずかに浮かべる。
「今度会ったら逢引と洒落込もうぜ。じゃあな。」
 クラレンスは恩着せがましい冗談を別れの台詞に選び片手だけ挙げて、それを別れの挨拶と再会の約束にする。
シルマリルは何か言いかけたけれど、クラレンスの背中と言葉はそれを最後まで言わせない。
おそらくいろいろと知っているだろう男は、何を思うのか思惑を抱えて隙のない振る舞い、立ち回りに徹する。
今日も思惑を抱えてシルマリルを、御尋ね者のレイラを守り通して見せた。

 しかし、危険な香り漂う男と言うことはかわりない。
アルベリックほどあからさまでない分、かなり厄介。

 レイラの態度が終始硬かった理由はそれ、のんきでお人よしのシルマリルはなついているかもしれないけれど、クラレンスはアルベリックと違い、あまりにも読めなさ過ぎる。
アルベリックの扱いを知りすぎているから、あっち側の人間の可能性も捨てきれない。
「……シルマリル、行きましょう。」
 だが、助けられたことは間違いなくて、面倒なことになる前にここを去らねばならないのが現実。
あの男はその面倒なあたりを引き受けたまま姿を消したのだから、利用して行方をくらまさなければ――――レイラはかけられた言葉にうなずいた天使様の目を見るけれど、彼女もまた何を思うかを読ませるほど生易しい存在ではなかった。

           5   ……
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2009/04/13