■□ noir(3) □■   − 錯綜 −
アルベリック、ヴァイパー
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アンケート(別窓):   見てみたいアルベリックの結末は?


 大事な己の天使様を背中で見送ったクラレンスを待っていたのは、いくつもの白刃だった。
「こりゃどういうつもりだ、帝国の騎士様?」
 征服され蹂躙されてあがる黒煙今だ薄れぬサヤクで、クラレンスは大事な女になるシルマリルと偶然の再会を果たした。見境をなくした征服者たちに蹂躙されそうになっていた彼女の窮地を救った剣持たぬ平服の騎士に対する、騎士の肩書き持つ者たちの態度は、これ。
村に戻るなりに取り囲まれ白刃による歓迎を受けたクラレンスは、唇の端に笑みを貼りつけたまま両手を肩の上に上げ、自分を取り囲んでいる黒衣の騎士たち全員の顔を一瞥した。
……それだけで、どういうことかその場にいた騎士全員が一瞬ひるむ。
明らかな多勢に無勢のこの構図、なのに多勢のはずの騎士たちは、丸腰の男ひとりに怯えてすらいる。
「俺はたいした仕事はしてねえがへまをした覚えもない。
 剣を向けられるいわれはねえはずだが。」
「ごろつきの分際で、騎士をないがしろにしたそうではないか!」
 両手を肩の上に上げるのは、抵抗しないの意思表示のはず。なのにこの男の減らず口はまるで生まれつきそうであり治しようがない病気、もはや日常とでも言い訳するかのように尽きることなく口をついて出続ける。
ひとつしかない鋭い目つきのそれを細めながら、ふざけたような口調でしらばっくれるクラレンスの言葉は、血の気が多い騎士たちをわざとあおり刺激して、まだ血を浴び足りぬのか、騎士たちはわかりやすすぎる言葉尻にいとも簡単に食いついた。
「ああ、あれか。
 ご立派な騎士様が、3人がかりで修道女を輪姦(まわ)そうとしてたからな。人間をないがしろにするより神様をないがしろにする方がよっぽど罪は重いと思うが、どうだ?」
 そして唐突に叩きつけるのは、辛辣な皮肉、いやそれ以上。人を食ったこの男らしい駆け引きに呑まれたことを気づいても、もう遅い。
クラレンスの動作は服従を表していても、誰も彼を縛れないらしく、その目が何よりも雄弁に語っている。
大義を失った人でなしでは、彼の舌戦の相手など務まろうはずなどない。
「なんだと!? 貴様、騎士を愚弄する気かっ!!」

「惚れた女犯されそうなの黙って見てるほど暢気でも腰抜けでもないんでな。
 あの女に手を出そうとしたヤツはどこだ? ケツの毛まで徹底的にむしってやるよ、それこそ剣を差し出すしかないまでな。」
 クラレンスは笑みを唇から消さずにすっと目を細め、苛烈な言葉の一撃を語彙の少なすぎる騎士たちに叩き込んだ。
それが彼の戦い方、舌先三寸で命すらもやり取りをする彼の生業は「ばくち打ち」。
クラレンス――――クラレンス"ヴァイパー"ランゲラック。『ヴァイパー』、すなわち毒蛇の二つ名は彼の根城である六王国だけでなく、近隣諸国にも響くほどの強さを誇るばくち打ちだった。

 人の道理を忘れた連中に、あくまでも男であり続けるばくち打ちが、剣を振り回し同属を殺すことだけが戦いではないことを苛烈なまでに舌先三寸で叩きつける。
「剣を巻き上げられた後のことなんざ知ったこっちゃねえ。
 惚れた当人も指一本触れられずにいる女を怖がらせた代償だ、たとえ未遂だろうとやっていいこと悪ィことってのはあるもんだろ。
 むしろずいぶん勉強してやってると思うがな。」
「ヴァイパー、貴様っ!」
「あんたらが蔑む獣だって雌を犯すことはないって言うじゃないか。人間捨てちまった獣以下ががたがた抜かすな、みっともない。
 ――――じゃ、もう用はないな。」
 剣を博打の形に巻き上げられると言うことは、騎士であることを捨てるも同じ。すなわち「死」を意味する。
巻き上げられた当人にそのつもりがなくても、帝国騎士団の鉄の鎖である軍規が許さない。
軍規を乱した罪人として殺されるか己の罪を恥じて自刃するかのささやかな違いがあるのみ。
それを知っての上でのこの物言い――――この男は、帝国の中に食い込んでいる。
騎士と言う文字だけ借りた人でなしごときにどうこうできるわけなどないことを踏まえての痛烈な皮肉の数々、それを咎められない立場にいる。
「とりあえず、お前らの頭の顔色を伺ってこなきゃならないんでな。
 傷薬を美人からぶっかけられてご機嫌斜めだったし。」
「その必要はない。」
 大仰な物言いの声が再びその場に響いた。それはまさに鶴の一声、クラレンス、いやヴァイパー以外の男どもが一瞬で静まり返り、声のした方向が二つに割れて道が出来る。
 道が割れた向こうから現れたのは当然侵略軍である騎士団の首領、この場合は別の指揮官がいたところに帝国軍第一騎士団長であるアルベリックが視察に来ていたから、騎士に対する最上級の敬礼を受けつつ姿を現したのはアルベリック本人だった。
凛々しい騎士の制服で身を包み髪は清潔に切りそろえていて、帯剣しているのはその地位にふさわしい存在感ある剣。秀麗な表情に隠し切れない悪意を湛えつつも彼は確かに笑っていて、にやついているようなヴァイパーと同じ質の表情のはずなのに、やはり正反対ですらある。
「お、着替えてたか。
 あんな美人からぶっかけられるなんてなかなかできねえ経験だと思うが、どうだ?」
「どうもこうもあるか。あの場で切り捨てられても致し方ない無礼を、貴様に免じて見逃してやったのだ。」
「そりゃどうも。
 あ、でももう隠しちまった後でな。礼を言うのはこの軽くてむさくるしい口だが、まあ許してくれ。
 俺の天使様に二度とあんな思いさせたかねえ男心をわかってくれると助かるんだが。」
「貴様の軽口を聞いているとその気も失せる。が、騒ぎがあったのは事実だ。
 報告書を作るから来い。」
「はいはい。」
「それと、貴様は大事な助力者かも知れんが、騎士ではない事は忘れるな。
 わが帝国は騎士の国だ。」
「……騎士様らしい高潔な振る舞いってのを見せてくれりゃ、俺だって平民らしく敬うぜ?
 それに一応俺は六王国の出だ、故郷を踏み荒らされてるんだったら裏切られたって「致し方ない」、だろ?
 細かいことにゃ目ェつぶってる協力者なんだ、せいぜい大事にしてくれや。」
 すべてが暴かれた。侵略者である帝国騎士団長と対等の口を利けるクラレンス、いやヴァイパーは帝国の協力者と言う位置にあり、対するアルベリックの態度とヴァイパー自身の物言いは有象無象の騎士たちよりも立場は上であることを物語る。
そんな男が、図抜けて美しいとはいえ、年端も行ってそうにない修道女を庇い逃がしてしまった。
そこに何かがあるこをを見抜いて口実を作り呼びつけるアルベリックも親の七光りで威張り散らすばかりの間抜けではない。
軽口の応酬、なのに空気は寒々しくすらある。



「急ごしらえの兵舎の中にこんなの作る暇があったのかね。」
 ヴァイパーの軽口は相変わらず、相手が誰だろうと変わるものではない。
彼がアルベリックに促されて案内されたのは騎士団長殿が滞在するからとあつらえられた私室で、優雅なことにきらびやかな軍旗と指揮官らしく周辺の地図がことさらに目立つ。騎士の国の騎士団長殿の待遇はまさしく特別で、クラレンスはものめずらしげにひとりですごすには広すぎる部屋を見回しながら、さりげなく置かれていた棚にあった酒瓶に手を伸ばしてひとつしかない目を丸くした。
……ここは戦場、最前線だと言うのに、舞踏会で振舞われていそうな優雅な意匠の葡萄酒が無造作に置かれていた。もちろん別の段にはそれを注ぎ味わうためのグラスもある。
なにやら勘違いしていそうな調度の数々を目の当たりにしているけれど、それもこれも彼にとっては『あずかり知らぬこと』でしかなくて、クラレンスは皮肉交じりの笑みを唇に貼りつけただけで特に何も言わなかった。
「飲むか? 名目は……そうだな、大勝の祝杯、とでもしておくか。」
「いや、いい。
 こう見えて体が弱くてな、体が酒を受けつけねえ。」
 ヴァイパーの動作を催促と受け取ったアルベリックが、その印象とは違った太っ腹な一面を覗かせた。しかし勧められたヴァイパーは遠慮がちに首を横に振って冗談にも洒落にもならない理由を口にしながら、手にした酒瓶を元に戻す。
「そういえば、セレニスから聞いてはいるが肺を病んでいるそうだな。
 それもあり戦闘には参加できない、と。」
「悪いな、そんなこんなで荒事は向いてねえんだ。
 だが、あんたらには出来ねえことが出来たりもするから大目に見てくれ。」
「我々は納得ずくで貴様を使っているが、下の者たちに逐一説明するわけにはいかん。
 それはわかっているな?」
「口を慎め、って言いたいんだろ。普段なら俺だってそうするさ。
 でもなあ、あのやり口ぁいただけねえ。騎士の肩書きが泣くぜ?」
 アルベリックは饒舌に会話を楽しみながら、ヴァイパーが戻した酒瓶とは別の瓶を取り封を切る。
たちまちその場に葡萄酒の甘い香りが広がった。
アルベリックは「飲まない」と答えたヴァイパーと彼しかいないのに別の段からグラスを二つ取り机の上に置き、手馴れた様で生き血のように赤い葡萄酒を半分ほど注ぐ。注ぎ終わるとアルベリックは「飲まない」と答えたヴァイパーにグラスを差し出し、ヴァイパーも最低限の礼儀は心得ている様子でそれを手に取り、しかし口はつけずになかなか本題を切り出さない騎士団長殿の顔を見た。
「あの娘は何者だ?
 馬上の騎士に斬り捨てられそうになっても目をそらさなかったあの娘の正体を聞かせろ。」
 どうやら、本題はそれらしい。アルベリックはその尊大な物言いと態度の割に思っていることが読み取りやすい男もでもあるし、「読むこと」を生業にしているヴァイパーに隠し通すのは至難の業でもある。
問われたヴァイパーは飲めない酒が満たされたグラスをくるくる回し弄び、しまりのない笑みを見せてばかりいる。
『さて、どう答えてやろうかねぇ。』
 ……鋭い人間が見れば、そうつぶやく声が聞こえてきそうな笑み。
「正体、って、俺の可愛い人さ。名前はシルマリル、どこの誰かとかは知らねえ。
 困ったことに教皇候補もあの女を大事にしてやがるから今ンとこは奪いあってる最中だ。」
 それでも、ヴァイパーは嘘はつかない。嘘をつけばそれを隠すためにさらに塗り固めなければならないし、すべてが露見した際に窮地に追いやられるから、嘘に逃げずにそれを抜いた駆け引きすべてで渡り合う。
シルマリルの正体の推測はついているが推測に過ぎないから「どこの誰かは知らない」。
憶測だから語らないだけで嘘はついていない。
 しかし、それをそのまま受け取るアルベリックではない。またのらりくらりとごまかしたヴァイパーの言葉で表情を変えて突っ立っているごろつき風情を、恫喝するかのようににらみつける。
「それを真に受けると思ったのか?」
「真に受けるも受けねえも、ありのままだよ。
 言ったろ、教皇候補の大事な人でもある、ってな。探りいれたくてもヤツが邪魔して出来ずにいるんだ。
 悔しくて何度もハンカチ噛んだもんだ。」
「相変わらず坊主が怖いか。」
「ヤツはただの坊主じゃないんだって。その証拠に、ヤツにあしらわれた騎士様たちが後を絶たない」
「剣が聖典に劣ると言うか!」
「そういう問題かよ。」
 余裕を見せていたアルベリックがヴァイパーのやり口にはめられやり込められて語気を荒くする。
声を荒げた騎士団長殿らしからぬ、小物のような台詞に低い声がかぶさって、ヴァイパーは唇に貼りつけた笑みを消し、一滴も飲んでいない葡萄酒のグラスを勝負の合図のごとく投げ捨てた。

「……いいか、妙な気を起こすな。
 あんたにレイラさんがいるのと同じで、俺にはシルマリルがいる、それだけの話だ。
 何でもかんでも首突っ込むんじゃねえよ、火傷じゃすまなくなるぜ?」

 当然、投げ捨てられたグラスは破壊音をたてて砕け散った。笑みを消しひとつしかない目で権力の集中する存在をねめつける毒蛇もまた一撃必殺の毒を牙に隠していて、邪魔者はその毒で葬るのみ。
その様子だけでお互いに本気だと語らずとも伝わって、一触即発のきな臭い空気が広い部屋いっぱいに満たされた。
「あんたが憎くて愛しいレイラさんを自分以外の男が汚すのを許せないのと同じに、俺だって汚え手でシルマリルに触れたヤツはブチ殺してやりてえのをどうにか堪えてんだ。
 それとも何か? これを口実に目障りなろくでなしを片付けてえってんだったらわからないでもないが、悪だくみ一味らしく仲間割れした挙句に共倒れしてみるかい?」
 割れたグラスはやはり宣戦布告、ヴァイパーが自由になった利き手で上着の前を開け懐から大判のカードの束を取り出した。それは白を基調に彼の色とも言えそうなターコイズブルーの装飾ガ施され、ネイビーのラインで意匠に巻きつく蛇が描かれている。
それを受ける騎士のアルベリックは、白手袋を投げつけるような暢気な振る舞いはしない。白手袋は先にはずされて彼の机の上に、アルベリックも利き手を腰の剣の柄にやる。
「あんたにはその剣があるのと同じで、俺にはこのカードがある。確かに直に受ける痛みは剣の比じゃねえが、このカードは魔導士どもの魔法と同じで、受けたらそれで致命傷になる。
 死のカードの味を自分で味わってみたいかい?」
「私の剣が、貴様のそれより遅いと思うか?」
「これでも逃げ足も避け道も結構自信があってな。」
 剣の鞘走る音がする。
 同時に毒蛇のカードが翻り美麗な乙女の絵柄が現れ、カード自身が戦慄きふるえて部屋の気圧が変化した。
「……親の七光りが粋がるんじゃねえよ、俺はあんたと違ってひとりでここまで来てるんだ。
 しつこいのが過ぎて女にいいように振り回されてるてめえに遅れを取る俺じゃねえって言ってやらねえとわからねえなら言ってやる、相手見てから噛みつけ。
 偉ぶって誰彼かまわず噛みつこうとするんじゃねえよ、この狂犬が。」
 息苦しくなったかと思ったら鋭い風が巻き起こり部屋の中を出口を求め彷徨うかのように渦巻く。ヴァイパーのカードの絵柄には「the whirlwind」――――竜巻と記されていた。
「これで最後だ、剣をしまえ。
 かかってきてももちろん殺しはしねえが、やかましい犬には躾が必要だからな。ちったあ分別がつくぐらいには懲りてもらうぜ。」
 速さだけなら剣が速い、しかし発動してしまえば間合いの点で魔法に分がある。アルベリックが剣を抜く頃にはかまいたちが彼を襲い戦意を殺いでいることだろう。
絶大なる力を手にしたアルベリックの一撃は重く鋭い、しかしヴァイパーはしのげぬどころか遠く及ばぬそれを補い優位に立てるほどの経験がある。
常に駆け引きの中で生きてきた男は、仕掛け所を心得ている。……今のアルベリックに勝ち目はない。
己の劣勢がわからないほど愚かではない、しかし自尊心の高さでも他の追随を許さないアルベリックの秀麗な表情が見る見るうちに歪み……彼は剣を鞘に戻した。
同じ目的の元対等に渡り合える能力を与えられたもの同士がぶつかった結果は、ヴァイパーの勝利に終わった。
誇り高き騎士がごろつきに駆け引きで負けた現実はあまりにも受け入れ難くて、アルベリックは無様にもその場に膝を折り両手をついた。悔しさで歪んだ表情はさらに歪み醜悪ですらあったけれど、うなだれたことと髪の流れで隠れたこと、それにあっさりとカードを仕舞い背を向けた一連の動作で、ヴァイパーがそれを見ることはなかった。
それは男としての同情か慈悲か、真意は測れないがヴァイパーは騎士団長殿の無様な姿には目を向けなかった。
彼は割れたグラスと床を濡らす赤い液体はそのままに、アルベリックを取り残してゆっくりと部屋の中心から離れ扉へと足を進める。
 アルベリックもヴァイパーの姿を見ずに彼が立ち去る証である扉が開いて閉まる音だけを耳にする。
膝を折らされ悔しいあまりに顔すら上げられないほどに追い詰められるなど、彼の23年の人生の中でありはしなかった。
生まれついた瞬間に彼に与えられた境遇がそれをもたらさぬよう盾となっていた。
『親の七光り』――――ヴァイパーが投げかけたその皮肉を面と向かい叩きつける者などいなかった。
誰もが陰口を叩くので精いっぱい、唯一それを語調と眼差しで語った女に魅入られてもうどれほど時間が過ぎただろう?
彼女の盾も鎧も剣すらも奪い征服すべくお膳立てをしても彼女はすり抜け消えてしまった。
 レイラ=ヴィグリード……彼女にとって自分は父を殺した男、父の敵。
か弱い女どもと同じにすべてを奪うことで服従のみを残したのに、不思議にもレイラは厳重な牢から姿を消して、あの夜からもう数ヶ月にもなる。
 妙なもので、あの夜のレイラを髣髴させる女が現れた。
神に祈ることしか出来ぬ修道女の服で身を包み、小さな体は少しのことで折れてしまいそうなほどで、見るからに、いかにも女の顔をしていて――――レイラとは似ても似つかない少女だったのに、金の髪と青い目だけでレイラを思い出させられた。
奇遇にもその娘は協力者ヴァイパーと既知の間柄で、ただ聞きたかっただけだった。
らしくないと言われようとなんだろうと、ただ好奇心だけだった。
それがどうして屈辱に結びついてしまったのか、アルベリックにはわからない。
わからないまま、時間だけが流れてゆく。


           5   ……
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2009/04/13