■□ 協奏曲 □■
×ロクス他  ED後
      4(成人向け)   (軽い描写あり)

 あれからさらに何日過ぎただろう。最初は指折り数えていたけれど、もうわからなくなってしまった。
待てど暮らせど戻らぬ女をただひたすらに、殊勝な面持ちで待ち続けていたロクスだったけれど、日を重ねるにつれて期待はあきらめに、恋心は悲しみへと姿を変えつつあった。
一度は「彼女が戻らぬのならばそれも運命」と断言した、そう信じていたけれど、彼は自分に対する裏切りを許さない男。どうでもよい程度の感情しかなければあきらめて、追いかけもしないけれど、その程度以上ならば――――

 …あいつ…この俺を捨てやがったかそれとも大天使たちに見張られて身動きとれずにいるか。
ちくしょう…迎えに行ける場所にいるのなら奪い取ってやるのに。

 柔和な外見と美麗な微笑みに隠した激情。昼間は雑事に追われるロクスだが、それから開放される夜は、毎夜大聖堂の薄闇の中体を丸めて愛しい彼女の帰還ばかりを待ち続ける。待ち続けそこでまどろみ夜と冬の寒さに凍えそうになり目を覚ましたり、偶然通りかかった誰か――――尋常でないロクスを案じる副教皇に揺り起こされて、ということも一度や二度の話ではない。
女という花を飛び回った不実な蝶が、たった一輪の、いつ咲くかすらわからぬ花を待ち続けてそのうち散るかもしれない。その姿は彼の想いの重さを物語ると同時に正気でないことも物語っていた。

 正気じゃないことぐらいわかってるさ。正気なら…あんな女、好きにならない。
女に不自由してたわけじゃなし、あんな手の届かない女を欲しがったりするもんか。

 そして今夜も昨夜と、その前と、もう思い出せぬほどに繰り返し続けた夜と同じにしんと底冷えする大聖堂の教皇の椅子に座り、聞こえぬ声をただ待ち続ける。
少し前までは当たり前に聞こえた声が、今はまったく聞こえない。
そして初めて思い知らされた、彼女が人間ではなかったこと。
彼女を求める手を思い切り伸ばしているのは自分だけではないこと。
冷静になれば大天使たちが彼女を手放さないのは当たり前だと思うけれど、男としての感情がそれを認めない。愛だの恋だのに夢を見ていなかったロクスだけれど、まさかこれほどまでの苦痛を味わわされるとは思ってもみなかった。
胸の痛みなどという表現があるけれど、そんな生易しいものではない。ただ苦しくて呼吸することが苦しくて――――

 …シルマリル。

 もう長い時間呼んでいない名を頭の中で呼びながら、今夜もロクスは薄闇をねめつける。

 俺を待たせるなんて、本当たいした玉だな、お前。
戻ってきたらこの分はきっちりと返してやるからな、覚悟しろよ。



 ふわりと眼前に見慣れた闇が広がる。
『シルマリル、私からの最後の愛を授けましょう。
 あなたはまだ幼い、翼を返すということ、サタンの魂に触れたということの重みを見誤っているかもしれない。しかし次の瞬間に気づくかもしれない――――
 アルカヤの大地に舞い降りるその瞬間まで、あなたの翼はあなたのものです。
 もしも人として生きることに恐怖を感じたならば、その翼で私の元へと戻りなさい。
 私はあなたが翼を返し人として生きる道を選ぼうと、数多の弟妹たちと等しく愛しています。』
 ラファエルからその言葉をいただいたけれど、シルマリルには躊躇などない。天から舞い降りるために必要な純白の翼を大きく、体よりも大きく広げて羽ばたいて、シルマリルは迷うことなくひとつところを目指す。
『…人として生きるのね。
 あなたがいなくなると天界もさみしくなるわ。娯楽が少ない私やレミエルのわがままにもずいぶんつきあわせちゃったわね。
 シルマリル、これをお持ちなさい。
 人として生きることは大変なことよ。思いもかけぬこともあるでしょう。
 でも、もし財産――――お金のことで困ったら、これを使いなさい。あなたの瞳と同じ色の蒼玉石のイヤリングよ、装身具としてもあなたを引き立てるにふさわしいでしょうから、普段は肌身離さず身につけていてね。
 …幸せにおなりなさい、シルマリル。不実な彼に「可愛い妹を泣かせたら許さないからとラツィエルが言っていた」って忘れずに伝えてね。』
 頼れる姉後肌の大天使ラツィエルは、そう言ってシルマリルの耳を飾る蒼玉石の小さな耳飾を一組手渡した。世の秘密を知る天使は人としての苦悩なども熟知していて、永遠に別れることになるだろう可愛い妹のこれからを案じてその言葉と宝石を贈った。
シルマリルの小さな両耳に、小さな青い石が揺れている。それは秘密を司りし大天使の愛が形を成したものだった。
『シルマリル、天界を去るあなたへ、本来なら何も授けてはならないのが私たちの戒律です。
 けれど…幼い妹よ、愛しいシルマリル…神の慈悲の名の下に、形なきものをあなたに授けましょう。
 アカデミアを主席で卒業した優秀なあなたのその知識を、レミエルの名において並びなきものとしましょう。
 その知識を何に使うかはあなたの心にまかせます。あなたと、その愛しき人との生きる助けになることを祈りつつ、私はここからあなたをいつまでも見守っています。
 いつかあなたは再びここへと戻りますけど、その魂が善なるものであることを祈って――――』
 そして『神の慈悲』の二つ名をいただくレミエルも、形を成さぬものをシルマリルに授けた。
並びなき知識の持ち主、類まれなる賢者――――限界を持つ人の脳にかけられた箍を外してしまったかのような底なしの知識を、愛する者の元へ舞い降りる愛しい妹への手向けとして。
それを誇り高く生きるための糧として欲しい、そう祈りつつ。
願わくば、いつか肉体をなくし天界の門を彼女が叩いたその時にも、今と同じに善なるものであるように――――
 天使長ミカエルと妖精の女王ティタニアは見送らなかったけれど、だからといって彼らの情を疑うはずもない。シルマリルは彼らの愛を両腕に抱えきれぬほどにその身に浴びて、しかしそれを捨ててただひとりを求めて純白の羽を散らしつつ闇を切り裂く勢いで飛び続ける。
 一晩すら待ちきれなかった。あの意地悪な笑みが恋しい。
しかしシルマリルは知らない、彼女の一晩がロクスのひと月以上という現実を。
ロクスが内包している激情の中に諦念が生まれつつあることを、シルマリルは知らない。


 …そうだよな。天使が翼を捨てて人間になっていいことなんてありゃしない…か。
だましただまされたって次元の話じゃないな。
好きな女の幸せを祈る…か……俺には無理な話だけど、そうするしかないのかもな………。


 大聖堂が冷え切ってしまったのだろう、ロクスの吐く息は白く凍るよう。厚い法衣を着ていてもアララスの冬は厳しくて、それでなくともロクスは胸の奥まで冷え切ってしまっている。体に関しては、言わずもがな。
もう、誰を代わりにしようと、この身があたたまることなどないだろう。汚れた聖職者としては女を断ち切るいい機会なのかもしれない。
しかし、もし愛しい彼女が戻ってきたら――――おそらくロクスは自分を制御できなくなる。ただの男どころではなく、牡としての本能に支配されるだろう。
 だから、戻ってくるのなら、一刻も早く。自分が自分でいられるうちに。彼女を傷つけまいと考えられるうちに戻ってきて欲しい。だって彼女が天使ではなく人としてロクスだけを求め寄り添うのならば、ロクスも同じように彼女の身も心も己がものにしたくなる。
そこにあるのは、当然……

 カタン。
「誰だ?」

 執着と諦念の狭間でもがいていたロクスが、聞こえた物音に顔を上げると…淡く光る純白の翼。淡く光を放つ美貌の少女がそこにいた。
愛しくて恋しくて焦がれ続けておかしくなりそうだったほど渇望し続けたシルマリルが、ようやくロクスの元へと戻ってきた。
「…本当に残ったのか? ……君はばかだな…………こっちにこいよ。」
 あれほどに恋しかったくせに、そういう憎まれ口しか出ない。けれど彼女はロクスを見るなり満面の笑顔を見せて大聖堂の階段につま先をつけて――――その瞬間、あんなに力強く広げていた翼が幻のように掻き消えた。しかしシルマリルはそんなこと関係ないかのような様子で階段を駆け下りる。
ロクスも恋焦がれたシルマリルの帰還に、椅子から立ち上がり彼女へと駆け寄るべく身を乗り出す。
「―――――きゃ!??」
 そそっかしいシルマリルが己の長い衣の裾を踏み軽くつまずき、かつてと同じに墜落の様相を見せる。しかし翼はたった今消えた、大聖堂の階段は何度も角度を変えて長々と続いている。ロクスは考えるよりも先にシルマリルの真下になる位置で立ち止まると、大きく両腕を広げた。
 飛び込んできた質感と熱。確かな重みを重ねて確かめるかのようにロクスはその場に尻もちをついたまま翼を失った天使を抱きしめる。
「僕なんかのために…本当にばかだ。でも……ありがとう。
 こんなに嬉しいことはない。」
 耳をくすぐるロクスの囁きと、目の前に踊るお互いの髪。ロクスはシルマリルの体から立ち上るほのかな花の香りを、シルマリルは思う以上に逞しく強いロクスの体を感じている。
ロクスは抱きしめたシルマリルの顔を覗き込み、そして間髪いれずに唇を奪うように重ねた。神の前に跪く場所だろうと関係ない、正しい意味で神に対する愛を体現していた彼女ひとりに誓うためにはむしろうってつけの舞台だろう。
だが3度目の口づけのシルマリルは純情で当然のように身をこわばらせ、汚れた聖職者殿の胸板を押し戻し抵抗するけれど、見かけ以上の膂力を持つロクスには通じなかった。抵抗を力で押さえ込まれて封じられ、すぐに息苦しさから抵抗が鈍くなって…シルマリルがおとなしくなりロクスの体に身を預けた頃には、彼の吐息はすでにため息となり熱を帯びていた。
「――――きゃ!? ちょ、ちょっとロクス…むっ」
 細いけれど大きな男の手がシルマリルの腰を抱きそのまま丸い尻を撫で、ロクスが一瞬だけ唇を外したかと思ったら、すぐに再び半開きの唇でシルマリルが言葉を発したのを途中で遮られた唇をふさいだ。別の生き物が蠢くみたいな舌遣い、絡みつく息遣い、ロクスは己が女を落とす時に使う容赦のない口づけを純情可憐な元天使に絡みつける。
シルマリルがその艶かしい口づけから逃れようとすると、ロクスの手はそれを許さない強さで彼女のあごを捕らえさらに深く重ね合わせて折檻を与えるように激しくする。
ただでさえ複雑な性格で見かけによらずきつい一面を持つ男が焦らされて焦らされて爆発寸前だった、そこに運悪く戻ってきたあどけない天使の不運。
「ろ、ロクス…っ…やめ……」
 何か言おうとするとすぐに唇をふさがれて遮られて、シルマリルも熱に巻き込まれまみれてゆく。翼を失った瞬間にシルマリルは大聖堂の厳しい寒さを感じてふるりとふるえて、そんな彼女の様子にロクスはようやく唇を外し、毒のある微笑を浮かべつつシルマリルの頬を撫でた。
「寒いか? 僕があたためてやる。」
「ちょ、ちょっと、なにを?」
「何を、って…聞きたいのか? 聞かない方が良いぞ。」
 ロクスは無垢な問いかけに大人の毒で切り返しつつ、シルマリルの耳に悪く囁き舌先で形をなぞる。初めての感覚にシルマリルがびくりと身をはねてロクスの腕に爪を食い込ませるけど、彼はお構いなしにやわらかな耳たぶに愛撫を与えて……自分の体をわずかながら支えていたシルマリルがロクスに覆いかぶさられて男を誘う様相を見せたことが満足だった彼が、彼女を怯えさせる台詞を口にした。
「処女は特に好きというほどでもなかったけど、君をこの手で女に仕立て上げるのは本当に楽しみだ。
 ああ、もちろん手荒には扱わないから。最初は痛いだろうがすぐに慣れる。」
 その一言で、初めての感覚に溺れかけていたシルマリルが目を見開きロクスの胸板を今までで一番強く押し戻した。そして何事かとあっけにとられ間抜けな顔を見せているかつての彼女の勇者殿をキッとにらみつける。
「どうした?」
「…………………。」
「だから聞かない方が良いって言っただろ? 君は潔癖だから僕が何をしたがるかをすんなり受け入れるはずはないとは思っていたんだ。
 でも考えてみてくれ、僕と一緒に生きてゆくつもりなのに、清い体のままでいられると思うか? 事実僕はひと月以上ほったらかされて欲しくて欲しくてたまらない。」
「…え? ひと、月…って……一晩しかたってないのに」
「時間の流れが違うんだろ。
 そんなことはどうでもいいよ、君は僕の元へと舞い降りたから時間のことはかまわない。」
 気丈にも不埒な年上男をにらみつけておきながら、彼が語った彼の現実を突きつけられて、シルマリルはいとも簡単に困惑の表情を見せた。そんな彼女の丸いあごをロクスの細い指が再び捉えまた唇を重ね、
「けれどもう我慢できない僕のこの気持ちもわかってくれないか。
 最初に痛い思いをさせる分、できるだけ早くに君が快楽に身をまかせられるよう、僕もあまり無茶をしないと約束する。」
「あ、あのっ」
「嫌だなんて言わせない。まずは僕のすべてを受け入れてくれ。」
 淫らな声で囁き再びシルマリルのやわらかい耳たぶに軽く歯を立てた。
「サファイアのイヤリング、似合ってる。君らしく控えめなのに華やかで…」
「あ…これは……」
「僕もこのイヤリングに負けない指輪をいつか贈ろう。
 君はトパーズ、僕はサファイアなんてどうだ? 誓いの指輪は意味深な方がいい。」
「私たちの…誕生石……。」
「そうだ。僕は君の、君は僕の誕生石をお互いに身につけよう。
 そうすれば指輪を見るたびにお互いのことを思い出せるし、離れていても…」
 そこまで囁いて、ロクスが黙り込む。離れられない現実を痛感した自分が、今さらシルマリルの手を解けるはずなどない。自分のためだけにすべてを捨てて人間になったシルマリルと引き離されたら、もうまともでいられないだろう事は容易に想像できて――――感じた寒気は気温のせいではない。
ロクスは与えられた真摯な想いとともに、大事なものを失う恐怖も知らされた。
「…寒いな。僕の部屋に行こう。そしてゆっくり、時間をかけて…夜はまだまだ長い。」
 けれどそんな自分を表に出さず虚勢を張る性格もまた今さら変えられるものではなくて、ロクスは別の言い訳を用意するとその見かけ以上に強い腕でシルマリルを抱え立ち上がった。
シルマリルはこの先に待っている女の洗礼がもたらすだろう痛みなど知る由もなく、愛しい男の艶かしい囁きに耳まで真っ赤になっている。


      4(成人向け)   (軽い描写あり)

2008/07/30