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何となく

 風邪っぽいような気がする。
 ウロコの赤さも二割増です。
 イグアナだらり。

ゲキレン&キバ

 ゲキは地味だけど手堅いなあ。
 伏線はきっちり回収されてるし、理央とメレの結末もまあ納得。あれしかないよなあ、あの二人のラストは‥‥
 理央のトラウマの象徴として繰り返し描かれてきた、子供時代の豪雨のシーンだけど、それが大人の理央になって雨が晴れてメレが‥‥ってあのシーンはたいそう美しかった‥‥
 元から作中で理央とメレは、味方差し置いて描写の比重が濃く、しかも悪役なのにやけに好意的に描かれてた。
 だから劇場版だけじゃなく、そのうち本編でも激獣拳側と共闘するんだろうなあとは思ってたけど、でも、敵方のキャラというのは「改心したので味方になりました」じゃ済まされない訳で。
 そこで異議を申し出るのが地味コンビのランとレツ、ってのは何かよく解る。ジャンとかケンだと、確かにその辺なあなあで済ませそう。ゴウ兄さんだと、今までのゴタゴタが有りすぎて、理央に何か言えそうには思えないし。

 そしてこの図式で思い出したのがアバレンジャー。
 あれもアバレキラーが最終回間近まで敵方のまま、引っ張るだけ引っ張って、仲間になった途端死んじゃうという展開だった。
 アバレも、全体の流れとしてはグダグタもいいとこだったんだけど、イグはそれさえもかなり好きだった。ゲキは何かそれに近いものがあるような気がします。
 次回最終回、どうなるのかなあ。いい加減七拳聖揃って活躍しないかなあ。
 どきどきイグアナハート。


 そしてキバですが。
 ‥‥これから面白くなるといいなあ‥‥
 イグ的には今んとこまだ微妙。
 夜の雰囲気とか、デザインとか特殊効果とか、アクションパートは結構いい感じなんだけども、戦ってないドラマ部分が何つーかこう。

 女性キャラが全員、どうにも可愛くありません‥‥
(強引すぎたり、渡のそれマズイだろって行動を止めなかったりで、性格的に好感度低い)
 主人公・渡の変身前と変身後のイメージにギャップ有りすぎです‥‥
(瀬戸くん演じる引きこもりバイオリン職人のキョドり具合と、変身後のガワに入ってる高岩さんの貫禄とのギャップが‥‥)
 お父さん時代のシーンが、全然80年代バブル期に見えません‥‥
(あれもっと前の60~70年代くさいよ。現実と違う架空の文化風俗狙ってるにしては、その時代感が出てない)

 そんな感じでイグアナちょっと不安。
 それとも、渡の変身前と変身後のギャップは、設定的に何かあるのかなあ。キバットに噛まれて変身すると性格も変わるとかか?
 でも、謎が謎を呼ぶ状態のまま「で、アレは何でそうなってるの? 説明まだ?」と思いながら見てるのって辛いんだよなあ。

 いやほんと、今後そこら辺を覆して、めきめきと面白くなってほしいものです、キバ。

寒い

 何か寒くて固まってます。
 アンカスーツだけでは足りず、40℃直貼りカイロと電気座布団も愛用中です。
 イグアナは寒さに弱い変温動物なので、こんな時は常温動物である哺乳類の方々が羨ましいです。
 日々是ふるふる。


御礼‥‥パチパチとコメント、ありがとうございます。
 先日に続いて、中の人宅の猫へのお悔やみを複数の方から頂いております。中の人共々御礼申し上げます。
 お骨は今日引き取ってきたですよ。中の人父が、春になって雪が消えたら庭に埋めると言ってました。

 にしても、お悔やみを下さった方々の、知っている限りでは半分ほどが、やはりご自宅の猫さん犬さんを失った経験がある方々なんですよね。
 中の人は、ある意味その先例を見てきているので、覚悟が出来てたというか。
 そんな訳で腹をくくって可愛がり倒したので、猫一号もさくっと成仏してるんじゃないかと思います。
 皆様ありがとうございました。

中の人日記・突然気付いたこと編

 榊のカバー範囲は果てしなく広い。
 だがストライクゾーンがとてつもなく狭い。
 何かというと、人様の書く二次創作を読む場合の話。

 元々、自分的基本はA×Bであっても、逆カプB×Aも平気で読む方。しかもリバ上等。男女カプも平気。
 世の中にはわざわざ逆カプを読んでは「こんなの有り得ねー!」と笑いものにするムカつく人間もいるけども、榊は普通に作品として面白く読む方。実際ソード×イオス本も沢山持ってたりするし。
(デビでは特に、イオソのお友達がみんなソーイオも大好きで、そっちの話で盛り上がったりもした)
 シチュとしてどうしても駄目ってのはあるが(女体化・SM調教ネタ・スカ)、カプ的に駄目・読めない!有り得ねー!ってのはまずない。
 かように榊の守備範囲は広い。

 それなのに、どのようにストライクゾーンが狭いのかというと、「キャラが原作っぽくない」という一点においてのみ、許容範囲が非常に狭いのである。
 どんなに絵が上手くても、文章が上手くても、話自体が面白くても、「この思考・言動はもう(キャラ名)じゃねえよ‥‥」ってのがあるともう駄目。
「普段は表に出ない意外な一面」と「このキャラのメンタリティでこれは言わない・やらない言動」は根本的に違う。
 例えばソードなら絶対「キャー」なんて悲鳴は上げない。絶体絶命もう死ぬしかないって局面でも、敵に命乞いしたりしない。どんな交換条件を持ち出されても、それが咽喉から手が出る程必要なものだとしても、相手がソードのプライドに触れる言動を取ったが最後絶対折れない。全部失う覚悟で喧嘩売って奪取する。
 こういう「原作のソードっぽさ」を覆す描写があったとしたら、どんなに話が面白くても、それは榊の中で「これソードじゃないよな」「デビじゃない」になる。

 そんな訳なので、どのジャンルでも榊のツボに入る本・オン作品は結構少ない。非常に寂しい。
 今はやたらと女体化が多い某読み専ジャンルで「こんなの(キャラ名)じゃねえーーーー!」と拳握りしめてサイト巡りをしている最中ですよ。はははは‥‥


御礼‥‥パチパチとコメント、ありがとうございます。
 事務連絡の方も承りました。榊はその辺大雑把なのでお気になさらず(^_^)/

御礼

 猫訃報にお悔やみコメントを下さった方々、ありがとうございます。
 今日火葬場に行ってきました。お骨の引き取りは土曜日だとか。
 骨箱が帰ってきたら、頂いたコメントをお供えいたします。

 余談ですが、動物の火葬料が体重別だったのに驚きました。
(一号は5キロ以下の部・6300円だった)
 ちなみに猫サイズ骨箱(ちゃんと桐製)は2000円。
 高いのか安いのかよく解らないと思った。
 ううむ。

 ちなみに明日はご近所の方(人間)のお通夜に行かねばならぬという。
 忙しいなおい。

中の人日記・訃報編

 中の人宅の猫一号(本名リルフィー)が本日他界いたしました(享年18)。
 度々この場で写真を披露し、猫バカっぷりを晒してきましたが、その都度写真を見て下さった方、また、暖かいコメントを下さった方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

 ↓まだちょっと元気だった夏頃の写真。


ファイル 315-1.jpg

 06年・07年と、夏になるたび激痩せしちゃって(4.5キロ→2.5キロ)、ヤバいかも‥‥と思ってはいたんだよね。お隣の猫も、死ぬ直前に激痩せしてたし。
 それが12月頃、さらに危ないくらい痩せちゃってたんで(2キロ→1.5キロ)、正直覚悟はしていた。
 ここ数日はもうごはんも食べなくなっちゃってて、5日ほど病院通いを続けてました。今日も「朝飯食ったら病院行くぜ!」と支度してたんですが、人間がメシ食ってるほんの数分の間にお迎えが来ちゃってました。

 まあ18年っつーネコマタ手前っぽい歳まで生きたし、当猫が「もういいわい!」って言いそうなくらい可愛がり倒した自信はあるので悔いはない。ボロ泣きしたけど。

 猫一号は、元友人が猫飼える環境じゃないのに強引に買って来ちゃって、結局一年くらいで飼いきれなくなったのを引き取った猫でした。
 当然、貰う前の生育環境はあんま良くなかったから、一号はうちに来て大正解だったと思う。大事にしまくって可愛がり倒したぜ! と胸張って言っちゃうよ。その結果が18年という長寿だと思ってます。
(ちなみに猫二号は17歳。こいつには是非、一号の果たせなかったネコマタへの道を歩んでもらいたいものです)

 そんな訳で、ちょっと打ちひしがれているので本日のネタ更新はお休みなのでした。ゴメン。

懸念

 ちょっと中の人の都合で、明日は「6のつく日更新」出来ないかも。


 それとは関係ないですが、唐突に思いついた電王の話を。
 モモ達がシュワシュワと消えかかってたのは「カイの世界の消滅決定」に近付くにつれ「カイの未来に属するイマジン」としての存在が消えかかってたってことか!と20日の日記に書いたですが、そういえばその少し前、逆に「モモ達が何故か実体化してる」って描写もあったなーと。
 あれは「イマジンとして消えかかってた」と共に、「良太郎と過ごした存在として実体化しかかってた」ってことか!と後になって気付いた。

 すごいぞ電王。綿密だぞ電王。
 カブトもあれほど行き当たりばったりじゃなく、このくらい綿密に練ってくれれば(略)

 今言っても詮無いことではあるけども、やっぱりイグアナちょと残念。

やっぱり

 電王の最終回、カット多数だったみたいだなあ。
 例えば、

1.同日あったファイナルトークショーで、リュウタの中の人が「出番カットされててへこんだ」って話したらしい。
 (イベントに行った人のファンブログいくつかでレポがあった)
2.ナオミの中の人ブログによると、ナオミの活躍シーンもカットだったとか。
 (多分「連れて来ちゃいました」関係のところだろうなあ)

 今んとこ証言を見聞したのはこれだけだけど、多分もっとある気がする。
 あと、件のファイナルイベントであったガワショーが、小林脚本による実質的最終回(放送分の後日談)だったって話が。

 そういえばカブトの時も、よみうりのショー前後編で辻褄合わせて完結してたなあ‥‥伝統なのか?
 でもやっぱりあと一話あった方がよかったんじゃないかなあ。
 まあ、大人の事情はいかんともし難いだろうけども。

 物語って難しい。
 イグアナ考え。

中の人日記・電王最終回編

 電王、ついに最終回!
 結論から言うとむちゃむちゃ面白かったです!
 なお、本日の日記は思いっきり最終回の内容を語りますので、電王未放送地域でDVD待ちの方、ビデオ撮ったけどまだ見てないよ、ネタバレやだよって方は以下ご注意を。



↓(ネタバレ避け空間)


 で、最初に言っておきたい些細な突っ込みなんですが。
 アバンタイトル後にあるスポンサー読み画面の背後で、思いっきりネタバレ映像流してるのはどうなんだ(笑) 出だしでいきなりガクッとなったぞ(^_^;)
(過去に取り残されたウラタロス、キンタロスのみならず、何故かジークまでいるのがしっかり映ってる)
 まあ電王だし、どうにかなるだろうと思っていたのでそれもまた良しだけど。
 あと、明らかに尺は足りてなかったなあ。冒頭で何故かモモと良太郎二人しかいなくて、リュウタロスが参戦してなかったんだけど(デンライナーにこもってる)、その理由を説明するシーンがなかったのは変だろう。多分尺足りなくてカットされたんだろうなあ。勿体ない。
 でもって以下、本編の楽しかったシーンとか疑問を各種。

 前回、病院にいる愛理さんを守れ!と言われてたデネブが、カードを使い果たしてピンチの侑斗を助けに戻ってきて、
「デネブ!病院は?!」
「大丈夫、全部やっつけた!」
 ‥‥デネブ強すぎ(笑) 敵イマジン、「群衆」ってくらいのすごい数だったのに(笑)
 でもその後の二人の、
「最初に言っておく! 俺『達』は、かーなーりー、強い!」
 で泣けた‥‥いつもなら「俺は」なんだけど、今回デネブも一緒か!と超盛り上がり。
 その後の「最後に言っておく!‥‥侑斗をよろしく!」「デーネーブー!!!!」には爆笑したが(笑)

 次のびっくりは、
「やー、オーナーもいなかったんでv」
 と、過去に残されてたウラタロスとキンタロスを、ちゃっかりパス無しで連れ戻してきたナオミ(笑)
 ウラとキンはてっきり「あのまま現代まで数年待ってました」で出てくるかと思ってたので大笑いしたですよ。
 挙げ句、
「たまたまいたんで、連れて来ちゃいました」
 とジークまで!(笑) いや、スポンサー読みの背景映像で、出るのは解っていましたが!(笑)
 何かあれ思い出した。数年前の大河「新選組!」の総集編で、細部を切りつめまくった総集編ゆえに「何でこのキャラこうなってんの?」みたいな展開になっちゃってた場面で、
『捨助さんが何故ここにいたのかは、とても一言では語り尽くせません』
 と、語り手役のおみつさんがナレーションして済ませた時の「何だよそれー!(笑)」という突っ込み笑いと、「でも確かにそうだよなー」という妙な納得。あの時と同じ気持ちだ。これはアリだ(笑)
 でもちょっと前に出たイマジングラビア本(フォトブックIMAGIN)のスーツアクターさん対談で、ジーク役の永瀬さんが「ジーク再登場希望!」的なこと言ってるんだよね。てことは、この対談の収録時点では、まだ最終回のジーク登場は決まってなかったってことだよな。なのによくこの局面で上手いことジークねじ込んだなあ。すげー。同時にスタッフの英断に拍手!

 その後それぞれが次々良太郎に憑依し、リュウタのガンフォーム、キンタロスのアックスフォーム、ウラのロッドフォーム、モモのソードフォームがそれぞれ決めゼリフとアクション!って展開は嬉しすぎた!
 元々、電王に限らず、アニメとか特撮とかの名乗りや決めゼリフ・ポーズは、日本の伝統芸能たる歌舞伎の大見得の一種だって説があるんだけど(アメコミにはそういうのはあんまりない)、今回の全員登場は正にそれだなあとしみじみ思った。白波五人男とかの、ずらっと並んで一人ずつ名乗って見得を切るあれ。
 正直電王は「良太郎のセンスが悪い」って設定もせいもあるのかどうか解らんけど、各ライダーのデザイン自体はあんまり格好いいとは思ってないんだよね、今でも。イマジンのデザインはものすごくいいと思うけども。
 最初に幼児誌で電王の画像見た時「何だこりゃー!」って爆笑したもん、放送開始前、2006年冬コミの会場で。<日記遡れば、その時の爆笑が書いてある。
 でもいざ画面の中であれが動き始めたら、むちゃむちゃ格好良く見えたんだよね。
 それは「俺、参上!」他の決めゼリフと、スーツアクターさん達の動き・決めポーズの結晶なんじゃないかと。
(あの「俺、参上!」は、モモ&電王の中の人・高岩さんが「駄目なら後で直し入るだろう」と思ってガイド時にやってみたら本決まりになったらしい)
 そんな訳なので、「そういうコンセプトで作り上げられたキャラ」があの局面で「全員揃い踏み→名乗りを上げる」ってのは多分、伝統の作劇術として、正しい。どんなに突っ込み所があろうとも、受け狙い・ご都合主義と言われようとも「でも格好いいんだからいいじゃん!」っていうのが全て。それが日本の伝統ですよ!

 でもって決戦が終わり、カイとイマジンが消滅した後、デネブの姿を探してゼロライナーに駆け込む侑斗。
 すると卓上に『侑斗へ。椎茸ちゃんと食べてね』というメモと椎茸ごはん定食が‥‥うわあ。
 大嫌いな椎茸てんこもりのごはんを泣きながらかっ込んでる侑斗の元に、実は消えてなかったデネブがそっと現れるのはまあ予想内のお約束だったけど(その合間に、モモ達四人も実は消えてなかった、ってシーンが入るから)、その時の侑斗のセリフが秀逸すぎ!
 グダ泣きのまんま「デネブ‥‥お前ーー!!」と飛びついて、「椎茸入れんなよー!」ってお前(笑)
 でもいつもならそこでプロレス技かけまくりなのに、号泣しながらデネブ抱き締めてるのにはやっぱり泣けた。
 その後のデネブの「侑斗‥‥ただいま。‥‥ただいまーー!」にまた泣けた。モモ達はどうか解らんけど、あるいはデネブは一回消えて、侑斗の記憶から再構築されたのかも知れん。
 なんにしろ良かったなあ。良太郎と4タロスはまあ死なないだろうと思ってたけど、ゼロノス組はちょっと不安だったから。
 大人の桜井さんは消えちゃったけど、19才の侑斗がデネブと共に過去に戻っていったし、多分「2007年にイマジン襲来の事情を聞いて、ゼロノスを託された桜井さん」は、「19才の時に未来(2007年)に行って、イマジンと戦ってきた記憶を持つ桜井さん」になって、もう一回愛理さんと出合い直すんだろうなあ。二人の子供であるハナさんが存在してる以上、それは不変の未来だってことだし。
 てことは、ハナさんが中盤で子供になっちゃった!って展開も、微細な時空改変のせいで桜井さんと愛理さんの出会いの時期がずれた、ってことで説明つくんじゃ?
 ‥‥すげえ、大人の事情だったはずの女優さん降板が、ちゃっかり物語に組み込まれちゃったぞ。
 恐るべし、脚本家小林靖子。龍騎はあんまり好きじゃなかったけど、これはかーなーりー、感動したぞ。

 あと、実は死んでなかった4タロス達、って場面でモモが持ってる「俺、参上!」のプラカードは何だ(笑) いつ何のために作ったんだ!(笑) どうでもいいところで笑いを取られてしまったよ(笑)

 ただ、カイは結局何だったんだろうなあという疑問はちょっと残ったかな。まあ脳内で補完しようと思えば出来るけど。
 って訳で以下考えてみた。
 思うにカイは「自分の記憶」を消費してたから負けたのかも、という気がする。
 作中で何度も言われていた「過去が希望をくれる」ってのは、過去から未来を助けに来た侑斗のことでもはあっただろうけど、同時に「過去がない未来は存在し得ない」ってことでもあるのではないかと。
 侑斗のゼロノスは「自分に関する、周囲の人の記憶」を消費してたけども、でも誰が侑斗の存在を忘れたって、本人が生きてる以上存在は消えない。
 カイは逆に、自分の記憶=過去を使い果たすことによって「存在出来たかも知れない未来」をも断ち切ってしまったのではないだろうか。
 鶏と卵みたいになるけど、カイは多分「自分の未来」が消えるのを知ってたからこそ過去に干渉してきたんだよな。確定してるんなら放っといたっていいんだし。
 分岐点が最終回ギリギリまで繋がってなかったということは、ハナさんが未来の特異点=消せない未来であるということをおいといても、カイのいた未来だって「存在する可能性」として残ってたってことのはず。カイも同じ特異点なんだし。
 でも「過去への干渉の手段」として「特異点である自分の記憶を消費」することによって、逆にカイの世界は「過去=未来に続く基盤=記憶=消えた時間を再生する、特異点の特殊能力の拠り所」を失った。
 それどころか、干渉することによってその反対勢力・もうひとつの特異点である良太郎(記憶による時間の再生者)を巻き込んでしまったから、元々のハナさんの未来に、本来なかったはずの「モモ達が存在する+αの未来」を与えてしまったと言うことかな。
 最終回近くの数話で、モモ達が消滅しかかってシュワシュワしてたのは、良太郎との接続がどうとかじゃなく、カイのいたイマジンの未来がその時点で既に消えかかってた(分岐点から遠ざかってた)ってことか。でもそこで良太郎が、特異点としての力業でモモ達だけ存続させてしまったと。前にもケータロスで消えた三人を復活させてたし、十分アリか。

 しかし、時空ものというのは個人的に、「繰り返したループも全部、人間が知覚できない位相に保存されている」説を唱えているので、多分電王作中の一年間も「改変された新たな未来」や「無かったことになる過去」ではなく、「確定されたひとつの未来のために全部必要なループだった」説を提唱したいところ。
 図解が出来ないので解りにくい説明になるけども、想像してもらうと、

・床に伸ばしたリボン。
・リボンの中央を引っ張り上げて、空中にたるみ・余りの輪を作る。
・持ち上げた地点と再設置地点の間に隙間は作らない。
・こんなん→Ω。輪の部分は実際には無限で、左右はもっと長いと思って下さい。
・始点と終点は定位置のまま。
・リボン全体の長さは、床に真っ直ぐ伸ばした時より、空中ループ分だけ増えている。
・しかし人間の視覚には、空中に伸ばされた分のリボン(ループ時間)は認識出来ず、床に設置している部分(通常の時間の流れ)の直線しか見えない。

 榊の中では「時間」ってこんな感じ。
 空中のループ部分は「切り取られて無くなった」訳ではなく「認識出来ないところに存在し続けている」。
 モモ達が消えなかった新たな未来は、空中のループがちょこっと垂れ下がって、床の直線部分に触れてる感じで。
 たるんだループ分の時間は、ある意味過去も未来も混在してるので、未来が過去に干渉することも有り得る。
 そう考えると、カイの未来もハナの未来も、多分両方が一旦等しく消えたんだよね。消えたというか、「存在がまだ確定していない」状態=空中にたわんだリボンのループ部分になった、という。
 それでそれぞれの特異点が、自分の時間を「地面=知覚出来る時間の流れ=確定した歴史」にくっつけようとした時に、第三の特異点・良太郎の望んだ方にくっついたと。カイは自分で始点(過去)に繋がるリボンを切って使ってしまったし。でも「カイの未来が存続したかも知れない『可能性』が存在した事実」は消えないので、過去に侵略してきた事実はループの中に残っている、と。
 ‥‥うう、頭悪いので何かこんがらがってきた。

 という訳で、細かい理屈は抜きにしても、電王最終回は非常に面白かったです。
 お約束上等ですよ。歌舞伎とか水戸黄門と一緒だよ。その安心感こそが電王だよ!
 もう毎年言ってるんだけどさ、平成ライダー(クウガ除く)の何が嫌いかって、泥沼の内輪揉めライダーバトルが嫌でしょうがなかったんだよね。
 ミラーモンスターだのオルフェノクだのという「作中における人類の敵」そっちのけで、人間同士でゴタゴタしてるあの感じ。日曜の朝っぱらからあんなギスギスした人間ドラマなんざ見たくねーんだよ!っていう。
 だから響鬼前半で、クウガ以来の「仲間はみんな仲良し・一致団結して敵と戦う」って構図が再現されてやっと安心してたのに、後半アレになっちゃったしさー。
 カブトはデザインとかすごく好きだったんだけど、「加賀美いい加減学習しろ!」「天道もちゃんと理由を話せ!」が全てっつーか、ラス前で地獄兄弟があれじゃもう最終回なんかどうでも(略)な流れだったし。果たしてこのオチは、払った犠牲に見合うほどの大団円なんですか?っていう釈然としなさがさー。

 それで平成ライダーにはいい加減疲れてて、電王にもあんまり期待してなかったんだけど、予想を裏切って面白かった!
 特に18話以降、侑斗が出てきてからはかなり真剣に見てた。(前半は「うん、面白いね。以上」くらいだった)
 何より、最後まで味方が誰も死なず、身内の裏切りも決別もなかった、ってのは、自分的にはすごく重要なポイントですよ。他に好きな特撮みんなそうだもん。
(↑クウガ、セイザーX、メビウス、リュウケンドー。いや、セイザーはジャッカル死んじゃうけどね‥‥でもあれはキャラに悪意がなかったから見てられた。裏切られたっていう勘違いからくる憎悪はあったけど)
 てな訳で、見てない方には是非お勧めいたしますですよ。
 面白いかったよ、電王!

 あともういっこ思い出したんだが。
 良太郎、電王のパスはオーナーに返したけど、ケータロスは持ったまんまだよね?
 てことは「いつか未来で」まで待たなくても、普通に4タロス達と連絡とれるんじゃないのかもしかしたら(笑)
 だといいなー。

 さらに思いついた。
 大人のハナさんが、良太郎も愛理さんも侑斗も「両親&叔父」だって認識してなかったところ見ると、元の時空(一旦消えたハナの未来)では、ハナはすごい幼少期に家族を失ってる状態で育った、ってことなんだろうか?
 だとしたら、今回のラストでそれも多少改変されてて、家族が全員いる状態の未来になってたらいいなー。


 で、以降、本編とは何の関係もないところにあった、最終回一番の突っ込みどころですが。
 エンドテロップにあった、

「climax jump Wingform」

 の文字!
 えええーーー?!?!と思ってビデオ見返してみたら、ジークの場面で聞き覚えのないアレンジ(歌無し、インストのみ)が確かに流れていた‥‥
 ‥‥が、これはクラジャンじゃなくてDouble actionだーーー!!!
 作曲者の名前もダブアクのlove&hateになってたから、多分ダブアクをクラジャンと打ち間違えたと思われる‥‥

 そして第二の突っ込み所。
 コンプリートCDボックスまで発売した後になって新曲アレンジ登場って、どういうこったいエイベックス。
 まだ何か売る気か。きっとそうだ。そうに違いない。だってエイベックスだからな!
 クラジャンデンライナーフォームとか、あの手この手でゴールドディスク貰うまで売りまくったしなー。特撮知らないでCDTV見てる人は、きっとここ数週間、ランク上位に突然現れる着ぐるみ怪人のPVにびっくりしてるぞ。
(あの特典DVDのためだけにコンプリートボックス買ったさ!)
(ダブアクの多重アレンジ発売のあたりから、エイベックスは絶対まだ何かやるなと思ってたから、今までのCD買わずに待ってたし、佐橋俊彦の音楽は電王以前から好きなので、損は全くないけどね)

 実際、電王は関連商品が一番多く出た平成ライダーなんじゃないだろうか。
 龍騎もキャラが多かったから、役者さんのDVDとか写真集とか大概出た方っぽかったけど、キャラの人数考えると、電王の商品展開(特に食玩・CD)は異常の部類じゃないかと思う。おかげでグッズカタログ本まで出るらしいし。
 本と言えば、年末出たはずの「DOUBLE ACTION×4+2」ってムック本は、店頭で一度も見かけないままネットでも売り切れ状態だし、先週コンプリCDボックスとイマジン写真集も出たし、電王公式読本は発売前からアマゾンでも入荷未確定状態(※今見たら販売再開してた)。
 しかもこれ↓

1月18日 電王公式読本(2000円)
1月19日 特写写真集 IMAGINE(2500円)
1月19日 DETAIL OF HEROES 特写写真集(2500円)
2月26日 てれびくんデラックス 仮面ライダー電王メモリアル
3月予定 仮面ライダー電王キャラクターブック002(推定2000円)

 ‥‥どうしろと。
 つーか何で特写写真集二種類。片方は毎年伝統的に出てるシリーズだけど、もう一冊は何だ?
 そして電王メモリアルって。
 それはあれか、イマジンが伝説の木の下で告白しようと待ってんのか?! プレイヤーは良太郎か! 体力を強化するとキンタロスが、遊びを優先するとウラタロスが来るのか! 館林ポジションの隠しキャラはジークか! 藤崎詩織はモモか!
 ‥‥うわあ。<自分の想像に撃沈。

 番組は大団円だったけど、そこらへんの電王貧乏の予感は一体どうしたものか。
 何だかなー。

 ※同じくらい今回盛り上がったゲキレンに関しては、元気があれば後日語り倒したい‥‥


御礼‥‥ パチパチとコメント、ありがとうございます(^_^)/
 アイデンティティ問題は、やはりもの書く人は皆考えるものなのですね。
 自分だけじゃなかった!とちょと安心。
 核にある不変の部分‥‥それは自分からは見えない部分である可能性も高いですね。そういえば予期せずそこに惚れ込まれてシバ(新)に落ちたのが影様でした(笑) なるほど!
 機会がありましたら、そこら辺を是非語りたいものです。

中の人日記・永遠のテーマ編2

(前の日記の続き)

 で、続きでありながら、話は微妙に変わるのだが。
 どうも自分が好きなものは、みんな根幹が同じらしい、ということをよく考える。
 それは「最初に好きなものがそうだったから、それがスタンダードになってしまっている」のか、あるいは「最初からそういうものが一貫して好みだった」のかは不明だけど、ともかくパターンがほぼ一緒なんだよなあ。
 これは以前知り合いだった人にも言われてたんだけど、榊の永遠モチーフは「欲しいものだけが決して手に入らない絶望」ということらしい。
 前の項で書いた「受の人の永遠片思い」というのも考えてみればそれだし。

 それと並行してもうひとつ、呪いのように抱えているパターンが、「どこまでが自分で、どこまで行ったら自分でなくなるのか」というやつでして。
(この辺の延長線上に「双子萌え」があるような気がする。ナルシシズムではなく、レゾンデートルとアイデンティティの絡みとして)

 愛するマイナー作家・古橋秀之が、後書きで上手いこと言ってた一言に「『今日の私』と『昨日の私のバックアップ』との関係は』というのがあって、おお!と膝を打った数年前。
 それで思い返せば、双子ネタであるデビデビにはまる以前から、榊は「双子」とか「クローン」とか「パラレルワールド・異世界の自分と、こっちの世界の自分」とか、そんな話を延々と書いてたんだよなあ。子供の頃最初に書いた小説が既にそういうネタだったし。
(その延長で、劇場版電王の「複数の時系列から良太郎を連れてきて全フォーム揃い踏み」とか、TV版で大人の桜井さんと過去の桜井侑斗19才が同時存在してる辺りとかがすごく好き)

 その上、榊が長年好きなハーロックというキャラは、松本零士ワールドには一体何十人いるんだよってくらい多重に存在するキャラだし。一応全部がご先祖と子孫ってことになってはいるけど、その設定って割と後付けなんだよな。スターシステムを松本ワールドの歴史設定に組み込んじゃった感じというか。
 で、古橋以前にハマって大好きなムアコックの「エターナルチャンピオン」シリーズの主人公達は、やっぱり全部同じキャラなんだよね。名前も種族も話ごとの世界設定も性格も、全部違う人達なんだけど、法と混沌、世界のバランスを取るために戦う運命を負った人、という意味において、全員が同じ存在である、という設定だから。
(そしてほとんどのキャラは、相手が別世界の自分と知っていても、「今の、この自分が自分」という認識が揺らぐことはないが、「永遠のチャンピオン」のエレコーゼだけが、全次元に存在する全ての自分の記憶を持っていて、誰でもなく、また誰でもあるという自己の矛盾に苦しむことになる)

 そういう「自分と別の自分」モチーフも、この後さらに2パターンに分かれる。
 例えば「別世界の自分」や「クローン」は、遺伝情報や精神が同じ人でも、身体が別である以上別個の存在である、と言えなくもない。
 しかし、身体はひとつでも中身が違った場合、それは本当に「同じ人」たり得るのか。どこからどうやって別人として区別するのか。同じ人のクローンに別人の記憶と人格を刷り込んだ場合は?
 この辺は色々書いてるデビ話にも関わってくるんだけど、世界Aのシバには完膚無きまでに拒絶された影様が、世界Bのシバにはベタ惚れされるってどういう現象なんだと。
 色々と状況や性格は違うけど、同じシバはシバなんだよね。一体何が、世界Aでの泥沼と、世界Bでの熱愛を左右するのか。影様本人はAB世界共通して一人であり、中身も身体も全く変わっていないというのに。
 元世界における「シバは何故自分(影)では駄目なのか。正様でなければならないのか」という影様の疑問は、デビ初めて十年近いけど、未だに結論が出ない恐ろしい命題ですよ。まだ書いてない話のネタバレになるので子細は書けないけど。
(ネタバレ上等でそこら辺の設定知りたいよ!って方は、メール下さればこっそりお教えいたしますですよ)

 あと、去年の仮面ライダーであるカブトで、話の本筋そっちのけで矢車さんが気になったのは、実はそういう理由からでした。
 正直、前半の「矢車隊長」には、全く興味ありませんでした(^_^;)
 しかし皆が仰天したあの再登場は、案の定榊のアンテナにビリビリと引っかかったですよ。再登場後が変すぎて面白かったとか格好良かったとかとはまた別の点で。
 それで去年は「特撮でホモ厳禁」なマイルールをついに破って、カブトの矢車×影山の二次サイトを相当回ってみたんだけど、上記のアイデンティティ問題において、やはり傾向は二つあった。

1.影山は「やさぐれ兄貴」について行きつつも、「隊長」を「今はもういない前の恋人」(兄貴とは別人)みたいに思ってしまい困っている。
2.過去は矢車さんも影山も無理に無理を重ねて「いい上司と頑張る部下」でいたので、そういう社会性を全部捨てて地獄兄弟になった今の方が、お互い素でいられて気楽でいい。

 こんな感じで。
 勿論、あれだけ風貌や言動が変わってしまっても、矢車さんはちゃんと矢車さんなんだよね。「有能・天才」という看板に無理してついてくのをやめただけで、性格の根幹は実はそれほど変わってない。鬱々とした地獄ポエムを吐きながらも、拾った影山の面倒は一応ちゃんと見てたし、詰めが甘くて心弱いとこは全然前と一緒だったしで。
 でも、後半で「地獄兄弟」になってからこのカプに転んだ人は、前半の「上司と部下」時代のネタも遡って普通に書いてたが、前半時代からやってた人の中には、兄弟以降はついて行けず「後半はなかったことに‥‥」って人が割といた。多分そういう人にとっては、隊長とやさぐるま兄貴は、同じキャラであっても別人でしかないらしい。

 そんなこんなで、萌えを求めて行った先でまで、やっぱり「どこまでが自分(同じキャラ)なのか」問題に直面してしまい、これは一体何の呪いだ‥‥と愕然としていたのだった。
 そして今年は駆け込みで見て回った電王サイトでも、4タロスの憑依体は基本的に全部良太郎の顔・身体なもんだから、髪型と服・多少のデフォルメが違うだけの、同じ顔の人同士のカプがてんこもりあって、やっぱり同じ命題に直面(略)

 何なんだ。延々とこんなこと考えながらホモ書いてる(読んでる)奴いねえよ、多分‥‥

 いや待て。
 書いてて思い出したが、榊はバーチャファイターやってた頃はジャッキー×サラだった。ホモカプではなく男女ネタ・かつ兄妹ものだったが、これも元々は結構ブラコンだったサラが記憶を消されて組織の刺客となり、ジャッキーを兄と認識せず殺そうとしているという原作設定だった。
 ということはこれも、「妹としてのサラ」と「その記憶のない刺客のサラ」という、同一人物にして別のキャラ(人格)という問題に直面(略)
 そういえば基本的に世界観萌えで、ホモ同人には興味なかったゲームの「バロック」も、何度も死んではまたスタート地点に立っている主人公キャラがいたではないか。
 これは普通のRPGと違って、プレイヤーキャラの死は単なる失敗プレイではなく、死を繰り返すことそれ自体が物語に組み込まれているというすごいシステムであったのだが(作中でも「お前は何度死んだら気が済むんだ?」と言われたりする)、これもつまりは「多重に存在する自分」モチーフではないか。何たることぞ。
 そういえばさらに思い出したが、ちょい前にハマったデモンベイン(エロゲである意味が全くない、熱血ロボットアクションクトゥルーノベルゲー)にも、ナイアルラトホテップが永遠に繰り返すループ世界で、その全ての転生の記憶を持たされたまま、果てしなく存在させられ続けるマスターテリオンというお方がいたではないか。‥‥ハマるものはやっぱり全部このパターンなのか?!

 何なんだ一体。
 魔王様は「君は永遠にこの命題を考えていたまえ」と言いたいのか。
 ‥‥そうなんだろうなあ。
 ハァ。
 こんなことばっか考えてるから、うちの本は「例え面白いと思っても感想が書けない」小説になるんだよなあ‥‥
(↑前に言われた。ムカつきつつも納得した)


 そして電王は明日で最終回。
 またしばらく、日記が電王における時空改変&多重存在ネタで埋まる予感がひしひしとするぞ。
 何だかなあ。