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※赤い文字色のページには性描写があります


必然か、偶然か

【壱琉大学ランキングシステム】
 監督である蘭王正義が考案・導入した壱琉大学独自のシステム。
 定期的に行われる試験や試合の結果により、部員全員に順位が付けられ、一位から二十五位はベンチ入りが保証されている。
 自分より上の順位を上位ランカー、下の順位を下位ランカーと呼ぶ。

 ――なお、上位ランカーの命令は生命や法律・モラルに影響・抵触しない範囲で絶対遵守する義務がある――

 はぁ、やれやれ。大学野球界でも名門と名高い壱琉大学野球部のロッカールームで風薙豹が小さく息を吐いてロッカーを開けると、自分のファンを名乗る数多の女生徒からの差し入れの山に指がうっかり触れてしまい、数多の菓子や飲み物が雪崩を起こして床にバラバラと散らばった。まぁ、いつもの事だと拾い上げた物をそのままロッカーに雑に放り投げ、たまたま手の上に残っていた一口サイズの洋菓子の包装フィルムをペリペリと破って口に放り込み、美味いのか何なのか正直分からないプチケーキらしき物を咀嚼しながらボンヤリと考える。
 とりあえず全体練習と個人練習のノルマはこなしたが、これからどうしよう。壁にかけてある時計を見ると、秋も本番になってきたこの数週間の間に勤務時間がめっきり短くなったお天道様が、本日の仕事を終えて沈む準備をぼちぼち始めるかと伸びをする時間。……うーん、今日は何だかダルいからもう帰ろうかな。其処まで考えた所で自然と溜め息が漏れた。
「あーあ」
 つまらない。何が? よく分からないけど、とにかく何だかつまらない。毎日毎日、大学で半分寝ながら講義を受けて、それが終われば野球部の練習に参加して、広いグラウンドで走りこんで素振りをして白球を追い掛ける毎日。まぁ、野球自体は自分にしては珍しく飽きずに楽しめているのでさして不満は無い。ただ、何かが足りない。何かが欲しい。この単調な毎日がちょっとだけ楽しくなる何かが。

 バタバタバタ。風薙の思考をその辺りで中断させたのは、ロッカールームに向かって近付いて来る二人分の気忙しい足音。
「さぁ、買い出し終わり! 手伝ってくれて有難う、矢部君」
「いいんでやんすよ。っと、ちょっとだけケータイ見ても良いでやんすか?」
「えぇっ? もしかして、また女の子とデートするゲーム?」
「デートでないでやんす。愛を育むでやんすよ」
「いや、似たようなもんだろ」
 嫌でも耳に入る二人の先輩の会話に風薙は何となく興味を抱き、自然と足は声の方へと向かっていた。
「キャプテン、矢部さん、何の話してるんです?」
「あぁ、風薙。休憩か?」
 キャプテン(と言っても、彼は“雑用係のキャプテン”が正式名称である)と呼ばれた方は振り向いて笑顔を見せるが、矢部と呼ばれた方は“聞こえてるでやんすよ”と言う返事代わりに風薙に向かって手を小さく振っただけで、携帯電話から顔を上げようともせずにひたすら画面を指でなぞっている。そんな二人に風薙も笑みを返しつつ、矢部が噛り付いているそれを覗き込むと、いわゆる“萌え系”の何処か生意気そうな美少女が画面越しで自分を睨みつけてきながらもその頬に紅葉を散らしていた。
「ほんと、矢部君はそのゲームの女の子好きだよなー。えっと、アジアの亜に“ごくまれに……”の稀で“アキ”ちゃんだっけ?」
「”アマレ”ちゃんでやんす! 何回言えば覚えるでやんすか!」
「いや、だって友達紹介でなんちゃらポイントゲット出来るんでやんすよーとか何とか言われて無理やり始めさせられたけどさー、俺、正直あまり興味ないし」
 其処まで言った所で彼は何かを思い出したらしく、口に手を当ててプッと小さく吹き出した。
「そう言えば、そのアマレちゃんってコの事を何となく暮羽っぽいって言ったら、矢部君すっごいキレたんだよな」
「暮羽さん?」
 突如出て来た一つ上の先輩の名前を聞いて目を瞬かせる風薙の耳に矢部の金切り声が突き刺さった。
「ど・こ・が・で・やんすかーっ! アマレちゃんをあんな生意気なヤツと一緒にしないで欲しいでやんす!!」
「うわっ! い、いや、でも、そのコも口が悪くて生意気だけど根っからの悪い子じゃなくて、見方を変えればただのやんちゃな悪ガキに見えなくもないって矢部君言ってたじゃん。そう言うトコ結構似てると思ったんだけどなー」
 携帯電話を持ったまま顔を真っ赤にして地団太を踏む矢部の怒号がロッカールームに響き渡り、彼の怒りを引き出した先輩は耳を塞いで苦笑する。同じように耳を押さえるアクションをとった風薙はとりなし顔で声を潜めた。
「矢部さん矢部さん、あんまり大声出すと監督に見つかりますよ。これ以上問題起こしたら矢部さんが最下位になっちゃいますよ」
 最下位。風薙のその一言を聞いた瞬間に矢部はハッと我に返ったように派手な動きを止めて萎縮し、眉尻を下げて声のトーンを落とした。
「うっ、それだけは勘弁して欲しいでやんす。最下位なんて底辺の中の底辺、言わばド底辺じゃないでやんすか」
「おーい、現在最下位の俺の前でそれ言うかー」
 悪気がないのかわざとなのか微妙な暴言を吐く矢部とそれに対して死んだ眼と声を作って突っ込む先輩の絶妙なやり取りに、風薙も場を和ませるようにハハッと笑う中、矢部は何かを思い出したかのように不満げな顔を見せた。
「大体、オイラ達がここまでランクを下げられたのも暮羽君のせいでやんすよ? 暮羽君がこの前のリーグ戦に敗退した時の騒ぎの元凶であって、オイラ達はその濡れ衣を着せられてランクを大幅に落とされたようなモンでやんす」
「うーん。でも、暮羽本人も言ってたけど、証拠がないからアイツが犯人だって断言は出来ないんだよなぁ」
 へぇ、やっぱりあの騒ぎの元凶は彼でしたか。何となく分かってましたけどね。二人の会話を聞いた風薙が嘲りも少し混じった呆れ顔を浮かべたが、それも一瞬の事。すぐにその顔は人当たりの良い笑みを湛え、いつもの明るい声をかける。
「まぁ、どっちにしても大丈夫ですよ。お二人の実力ならすぐに上位に上がれますって。」
「うぅっ……そう言ってくれるのは風薙だけだよ。よーし! 風薙の期待を裏切らない為にも練習だ! ほら、矢部君。もうゲームは良いだろ? 何なら先に行くからな!」
「分かってるでやんすよっと。さて、練習終了までアマレちゃんとはお別れでやんすねぇ」
 急かす友の情熱を軽く流しつつ、携帯電話を何処か名残惜しそうにロッカーにしまう矢部の背中に風薙は何気ない様子で問うた。
「矢部さん、そのアマレちゃん? って女の子、矢部さん的には不本意みたいですけど暮羽さんぽいらしいじゃないですか。暮羽さんの事はあまり良く思ってないみたいなのに、何で似たような女の子に入れ込むんです?」
「だから、暮羽君と一緒にしないで欲しいでやんす」
 相変わらず、本命の女性キャラクターと暮羽を重ねられている事に矢部は不服そうにブツクサ言いつつ振り向いたが、すぐにその眼鏡の奥の瞳が何ともいやらしく歪んだのを風薙は見逃さなかった。

 今思えば、その時に彼が放った一言が暮羽鋭次の運命を大きく変えるきっかけになってしまったのかも知れない。

「口を開けば悪態ばかりのこーんな生意気な子を屈服させて思い通りにするってのが良いんでやんすよ〜
「うわ、矢部君、目がやらしい」
「へぇ、成る程。そう言う事ですか」
 諸手を上げて語る矢部のだらしない緩み顔にも、質問をした時と全く同じ、何もなさげな無表情で反応を示す風薙だったが、内面では何となく抱いた好奇心が瞬く間に膨張していくのを感じていた。屈服させる? 暮羽さんみたいな生意気な人を? 何それ、すっごく面白そうじゃないですか。
「ほら、矢部君が変な事言うから風薙固まったじゃないか」
 止め処なく膨らむ好奇心と其処から生じるある妄想に耽っていた自分を我に返らせたのは先輩の非難の声。自分が今、何を考えているのか全く気付いていないであろう相手に、あぁ大丈夫ですよ、と適当に返すと、彼は安心したように柔らかな笑みを浮かべてくれた。相手を瞬く間に和ませてしまう不思議な笑みを。
「何でやんすか? 風薙君もアマレちゃんが気になるでやんすか? それなら風薙君も一緒にこのゲームをやるでやんす! アマレちゃん以外にも可愛い女の子がいーっぱいいるでやんすよ! 今フレンド登録すると風薙君にもオイラにもポイントが」
「あ、あぁ、それは次の機会に。お二人とも、時間を取らせてすみません。練習行ってください」
 ゲームに興味があると勘違いして早口でまくしたて始めた矢部の言葉を強制停止させる呪文である“練習”を口にすると、基本的に野球馬鹿な二人は弾かれたように互いに顔を見合わせた。
「そ、そうだ! 立ち話なんかしている場合じゃないぞ! これだけの時間があれば何キロ走り込みが出来た事か! うっおー!! 時間がもったいない! オレは行くぞ!! じゃあな、風薙!!」
「あっ、待ってくれでやんす〜!!」
 今度は先輩が異常な早口でグチャグチャと喚きながら煙を出す勢いで部室から飛び出していき、その後を矢部が緩んだままのユニフォームのベルトを両手でカチャカチャと鳴らし整え追っていく。
「行ってらっしゃーい」
 一人残された風薙は練習場へ向かっていく慌ただしい音に向かってヒラヒラ手を振っていたが、音がフェードアウトしていくと、その手をゆっくりと下げてそっと息を吐いた。
「さてと、俺も行きますか」
 そう小さく呟いて浮かべた微笑みは普段の彼からは想像も付かぬぐらいに黒いものだった。

 重りとなるリングを装着したバットで延々と素振りをする者、グラウンドの外周を黙々と走る者、激しいノックによって襲い来る球を時折弾いて後逸してしまって怒鳴られる者。
 今の自分より上位ランクの者を蹴落とす為、自分の地位を狙う下位ランカーを返り討ちにする為、さらにはプロ野球選手と言う大きな目標に向かって互いに凌ぎを削る彼らを横目で見遣りつつ、野手専用グラウンドの外周を散歩でもするようにのんびり歩き、聞いているこっちが喉が痛くなりそうな胴間声雑じりの大音声の間を縫って向かう先は、普段はまず近付かない投手専用の練習場。
 コーチを横に置いてフォームの確認をする者。腰に括り付けたタイヤを喘ぎ喘ぎ引き摺り走る者、ひたすら白球を的に向かって投げ込む者。練習内容は違えど、野手と同じ目的で己を鍛え上げる数多の投手達の中で、風薙豹はある人物を探す。
 ――いた。
 お目当ての人物――暮羽鋭次は練習場から離れた休憩用のベンチに他人を避けるように座り、少し身体を猫背にして折り目だらけの紙を真剣な眼差しで見据えたままスポーツボトルを傾けていた(なお、その中身は彼がわざわざ家で煮出してきた麦茶だったのだが、風薙は全く興味が無かった)。どうやら休憩の間に今日の練習メニューの確認をしているようだ。そんな先輩の様子をやや離れた所から眺めていた風薙は微かに笑った。
 すみませんが、そのスケジュール、狂わせてしまいますよ。
 頭の中で言いながら暮羽が一人座るベンチへと近付く風薙は、微笑を浮かべたままの顔に冷たい影を落とし、誰にともなく呟いた。
「……スケジュールだけでなく、貴方の人生そのものも狂ってしまうかもしれませんけど」
 笑みを崩さずに歩を進め、暮羽の視線の先に自分のつま先を入れると、相手は“?”マークを頭上に浮かべて顔を上げた。
「暮羽さん♪」
 暮羽が顔を上げた時には例の闇はなく、いつもの涼しげな声と人懐こい笑顔で話しかける。滅多に此処には来ない後輩の登場に暮羽は露骨に眉を顰めた。
「あァ? 何だよ」
 暮羽鋭次は風薙豹と言う後輩に良い感情を抱いていなかった。嫌いと言うほどではないが、好きではない事は確かだった。
 彼は半年ほど前に入部した際に行われた初期ランクを決める実力テストで、当時からエースだった自分も目を見張るような成績を残し、一度ランキング変動を賭けた勝負をした時には、得意のコースである外角低めへと投げた渾身のストレートをアッサリと紺碧の空に向かって打ち返されてしまい、その瞬間から自分と彼の立場は呆気なく逆転して、かつては甲子園のスターと持て囃された自分のプライドはズタズタにされてしまった。
 その後も彼は最低限の練習しかこなさぬくせにランキング三位の座を平然と維持している。血の滲むような努力(と密かな不正)を続けて何とか今の八位と言うランクと壱琉大学野球部のエースの称号に爪を立ててしがみ付いている自分を嘲笑うかのように。現に今も彼は自分に対してニコニコと満面の笑みを浮かべている。本人に悪気はないとは分かってはいるが、何だか腹立たしい。
 そんな暮羽の複雑な内心を知ってか知らずか、風薙は少し改まった様子で言った。
「ちょっとお願いがあるんですけど」
 思わぬ申し出に暮羽はやや怪訝そうな顔を浮かべたが、野手である彼が自分に頼み事をすると言う事は……
「バッティングピッチャーか? 仕方ねェな。少しだけなら付き合ってやってもいいぜ」
「いえ、そんなんじゃないんです」
「じゃあ何だよ」
 再度ボトルに口を付ける暮羽に風薙は自分の左肩に右手を乗せて揉むような仕草を見せた。
「マッサージ、して欲しいんです」
「……はァ?」
 思わぬ頼み事に目を丸くした暮羽は麦茶の雫を一滴垂らしながら水筒から口を離し、機嫌を損ねた様子で唇を上向かせた。
「何で俺がンな事しないといけねェンだよ。マッサージとかなら極楽組の奴に頼みゃいいだろうが」
 激しい競争に敗れた末に上位ランカー達への奉仕行為と言う名の酷使に疲れ果て、今や闘争心も失ってしまった者達の集団の名を挙げ、一頻り首を左右に振って何かを探す素振りを見せた後、数十メートル先のグラウンドの隅で何だか楽しそうにキャッチボールをしている二人組を指差して侮蔑の笑いを鼻で飛ばす。
「ほら、あそこで最下位とブービーの雑魚同士でキャッチボールしてる極楽組のキャプテン様と眼鏡サンとかよォ」
「いや、彼らは普段から雑用で忙しいから、貴重な練習時間を奪いたくないんです」
「ケッ、風薙くんはイイ子ちゃんだねェ」
 そう言って嫌味ったらしく肩をすくめる暮羽の耳元に風薙の唇が近付いて、何故かヒソヒソ話をするほどの小声で続ける。
「それに彼らは本来ベンチ入り出来るほどの実力はあるのに、この前のリーグ戦で騒ぎを起こしたって事で懲罰降格しただけじゃないですか。その騒ぎの元凶は誰なんでしょうね?」
「……チッ」
 ばつが悪そうに顔を背けて舌打ちをする暮羽の横顔に向かって風薙は苦笑とも冷笑とも付かぬ笑みを軽く浮かべた。別に貴方が犯人とは言ってないじゃないですか。それじゃ、自白してるようなものですよ。
「まぁ、そう言う事で! マッサージお願いしまーす! これは上位ランカーからの“命令”です♪」
 暗い薄笑いを明るい朗笑に変えておどけた声で言い付けると、暮羽は再度舌を鳴らし、いかにも渋々と言った感じでベンチから億劫そうに立ち上がった。