ドイツ空軍の主力として第二次世界大戦を戦い抜いた歴戦の勇者とも言うべき戦闘機です。このBf109は単に「メッサーシュミット」と呼ばれますが、「疾風」、「隼」のように戦闘機そのものの愛称ではなく、開発メーカーの名前です。(直訳すると外科医のシュミットでしょうか?)
ここでメッサーシュミット社の歴史について軽くお話します。1923年、ヴィリー・メッサーシュミットが25歳(!)の若さでグライダーや軽飛行機の設計製作を目的としたメッサーシュミット社を設立します。この後、1927年政策上の理由でメッサーシュミットはBFW(バイエルン航空機製造株式会社)に合併吸収されます。機種名のBf109のBfはBFWからです。
結果としてBf109の開発に成功したことにより、ヴィリーはBFWの経営権を手中に収め1938年ようやく、会社名をメッサーシュミット社とすることができたのです。(それ以降メッサーシュミットの技術陣が手がけた軍用機はMeがつきます。)
ずいぶんと話がそれてしまいました。1933年、ドイツ航空省は国内の航空機メーカーに対し主力戦闘機の開発を命じました。これに名乗りを上げたのがアラド、ハインケル、フォッケウルフの3社だけでした。当初、メッサーシュミットはスポーツ機の開発のみで、戦闘機の開発経験が無かったため候補にあがることはなかったのです。しかしナチス党員であったヴィリーは政治的取引によって、開発メーカーの候補にメッサーシュミットを押し上げました。実際にメッサーシュミットがスポーツ機開発で培った技術力は高く、戦闘機開発にも申し分なかったのです。こうして1935年、メッサーシュミット社の試作機Bf 109V1はライバル、ハインケル社の試作機を大きく引き離して、正式に採用されました。
Bf109には複数のバリエーションが存在し(日本の零戦21型、52型のように)、開発順にAnton、Berta,Caesar,Dora,Emil(アントン、ベルタ、ツェーザー、ドーラ、エーミール)などが存在し、全シリーズを通して約30000機が生産されました。Bf109の特徴はなんと言っても基本設計の優秀さと戦闘機の戦術を一変させた一撃離脱戦法の立役者となったことでしょう。実は機体の基本設計はA型からE型までほとんど変更されていません。
試作機のA型は400キロそこそこのスピードでしたが、E型の最終版は、飛燕のエンジンのモデルとなったダイムラーベンツ社の液冷エンジンDB601を搭載し700キロ近くの高速戦闘機と変化しました。また、Bf109はその優速と武装をフルに使った一撃離脱戦法を可能にし、東部戦線、アフリカ戦線からドイツ本土防空戦まで全てにおいて活躍し、多くのエースパイロットを傑出しています。