第二次大戦中、最も武器搭載量の多かった単発、一人乗りの戦闘機として有名なのがこの「サンダーボルト」です。その搭載量は双発爆撃機にも匹敵する上に、排気タービンを標準装備し、成層圏でも高速飛行が可能だったという万能機でした。
1940年春、アメリカ陸軍はリパブリック社に対しXP-47という開発コードでの新型戦闘機の開発を命じました。この新型戦闘機の設計は従来のやり方とは大きく異なっていました。
XP-47の開発以前からアメリカ陸軍はターボチャージャーを搭載した航空機の開発に熱を入れており、リパブリック社の開発を支援していました。しかし、ドイツの繰り出す新鋭機に勝てないと見越した軍はXP-47は計画段階で不採用、その改良型であるXP-47Aまでも不採用となりました。
3度目の正直で設計されたのが後のサンダーボルトシリーズの始祖XP-47Bでした。2000馬力エンジンを搭載し、ターボチャージャーも組み込んだXP-47Bは設計段階で機体重量は既に4トンを優に超していました。新設計をみた軍関係者は「怪物」というイメージを持ったに違いありません。
設計審査を無事にパスし、XP-47Bは翌年の1941年5月、初飛行を迎えました。結果は上々でしたが、巨大な機体と強力すぎるパワーは操縦が難しく、さらに離陸に距離が必要であることが判明しました。リパブリック社のエンジニアはこの「怪物」を何とかうまく飛ばそうと忙しく立ち働いていましたが、一方で軍は、自分たちが本当にP-47を必要としているのだろうか、と自問していました。
1942年から生産が開始され、派生型P-47Cはムスタング同様、イギリスに配備されました。スピットファイアに搭乗していたイギリス人パイロット達はその巨大さに圧倒されました。しかし、強力な武装と高速性はすぐに受け入れられ、次第にドイツ空軍を圧倒していくことになりました。「サンダーボルト」(雷電という意味)という愛称もこのころに生まれました。
生産と平行して設計改良も進められ、決定版とも呼べるP-47Dが完成しました。エンジン出力向上はもちろん、主翼や胴体にも設計改良が行き届き、戦闘機としても爆撃機としても申し分ない性能を発揮できるまでに進化していました。さらに成層圏を700キロ近いスピードで飛べる上に、航続距離も長大であったため、B-29の護衛機としてはまさに適任でした。
日本本土防空戦では疾風や5式戦、紫電改との対決も多々ありましたが、そのほとんどはサンダーボルトの圧勝でした。
戦後は世界の各国に供与され、1960年代まで実用機として使われてきました。現在でも現存している機体が多く、飛行可能なものさえあります
性能諸元
全長; 11.02m
全幅; 12.42m
全高; 4.19m
正規全備重量; 7900kg
エンジン; プラット&ホイットニー R-2800-59W 空冷複列18気筒
「ダブルワスプ」(出力2450馬力)
最大速度; 697km/h
武装; 12.7mm機銃×8、
翼下に最大1,100kgの兵装を搭載可能