×ロクス 「
簒奪者」別バージョン。性的表現なし。
「シルマリル!?」
誰もいない墓場で、彼に背を向けた姿で横たわる天使の御姿に、ロクスは思わず血相を変えて彼女の名を叫んだ。いつも彼女の足元まで隠している長いスカートの裾からひざあたりまで見えていて、純白の翼がぼろぼろに傷つけられて、羽根がそこかしこに散らされまるで小鳥でも縊られた直後のような惨状に、ロクスの背筋に冷たい汗が伝わる。
「何があった! おいしっかりしろ、シルマリル!」
「来ないで…お願い来ないで…見ないで……」
そう言われたからと立ち止まるほど暢気な男ではなくて、ロクスはか細い懇願をあえて無視し彼女に駆け寄り見下ろした瞬間愕然とする。
少女の姿を持つ彼女が、素肌も露に横たわっている。
美しい御姿は見るも無残に傷つけられているだけではなくて、そこかしこを土で汚され胸元を引き裂かれた服の様子に、要らぬことまで知っている男の顔色が青ざめすぐに怒りで赤く染め上げられた。
「お願いだから見ないでください…ロクス、お願い…」
その怒りをやる先が見つからないが、ロクスは今にも消え入りそうな嗚咽を聞いて少しだけ冷静さを取り戻し、もつれる指先で己の上着の喉元の留め金を外す。そして地面にそれを広げ真白い法衣が土で汚れることなどいとわずに跪き抑えた嗚咽をこぼす彼女を抱え起こし、広げた上着の上にまずは横たえて白い脚に触れないよう気をつけながらそれをスカートで隠した。
「…ヴァイパーに何をされた? シルマリル」
こんなことができる人間はそういるはずもなくて、ロクスは真っ先に思い浮かんだ名をあえて口にした。
彼の読みは外れずに、その名を聞かされたとたんシルマリルが泣き崩れる。何に対しても暢気で温厚な彼女のこんな様子など見たことがないロクスが、最も考えたくなった事態に一瞬だけ放心して――――しかし彼女と共に放心したところでどうにもならぬとわかっているから、彼は奥歯を強くかみ締め泣き崩れる彼女を胸にかき抱いた。
「シルマリル、少しの間我慢しろ。」
けれど共に怒りに我を忘れてもどうにもならぬこともロクスはわかっていて、彼女のスカートを片手で手早く手繰りその様子を確かめる。不自然な皺が寄っているそれは土で汚れてはいるが
「…血はついてないな。未遂ですんだか、出なかったか…」
「証拠」を見つけられなかったことに安堵しつつも、ロクスはさらに問いかける。
「シルマリル、思い出せ。あの馬鹿野郎はおまえを最後まで抱いたのか?
心無いことを聞いているというのは百も承知だ、でも泣いたところでなかったことにできないってのはお前だってわかっているはずだ。思い出したら後の報復は俺がする、だから」
ロクスの報復をほのめかす言葉に、シルマリルが答えられる状況ではない。泣くばかりで何も答えられない彼女の反応も当然だから、ロクスは返ってこない答えにいつものようにいらつく様子など見せずに再び彼女を抱きしめた。
なじみ始めた空気に包まれたことに、空気に関して敏感なシルマリルの慟哭が爆発してロクスの耳を突き刺す。いつもなら彼女の金切り声を「うるさい」などと口さがない言葉で封じる彼だけど、今そんな言葉を口にするはずもなく何も言わずに金の髪をかき抱いて、ロクスは悔しげにまぶたをきつく閉じた。
しがみついて泣き喚く彼女の引き裂かれた胸元に貼りつけられた所有の印がどうしても許せない。
しかし、こんな女をどう慰めればいいのかもまたわからなかった。
それにしても、許せないのはあの片目の男。己でさえ手を出さずに大事にしている幼くも美しい天使を陵辱しようなどとは、なんて大胆不敵というか怖いもの知らずというか…ロクスは泣き止まない天使を宿まで連れ帰ると彼女を己の横になるベッドに横たえひとりにさせて、自分は宿の外、まずは井戸の水を汲みそれを頭にかぶり血が上っているのを気分だけでも物理的に冷まして滴る水滴を振り払った。
長いシルクグレイの前髪が水を吸い気持ちだけ波打つ直毛のように姿を変え、いつもよりすっきりした視界で闇をねめつけてみてもどうなるものでもないんだけれど――――
おとなしく愛らしい天使様。ロクスの女遍歴の中にはいなかった新鮮なタイプ。
おとなしいのだけれど我は強くて意外に頑固な面もあって、経典の中のそれよりもずっと身近で気を許しつつあった。優しい顔をつい見せてしまったこともある。己に少女愛好の趣味はないと思っていたからからかうばかりだったけれど、何か起こってふたを開けてみたらこんなにも執着していた。
彼女の泣き崩れる様子に、彼女を泣かせた男に対して殺意さえ覚えた。
「…そろそろ泣き疲れた頃か。」
ロクスはあらかた水の切れた髪をかき上げると闇に吸い込まれそうなひとり言をつい口にして、肌寒さを思い出し部屋に戻るべく顔を上げた。
それも当たり前で、シルマリルの涙に濡れた白い法衣を重く感じてしまってそれまで脱いで部屋に置いて、今は法衣の下に着ている薄いシャツも脱いで頭に水をかぶった。自分が頭に血を上らせてもどうしようもないということを、ロクスはどこか醒めた心で理解していた。
恨みは決して忘れない。倍どころか三倍返しで報復するのが彼の矜持。
この時ほど己が屈強な男でないことを、それだけでなく殺生を戒められている僧侶だったことを口惜しく思ったことはない。
足枷がなければ汚されそうになった天使の代わりにあの男を探し出して血祭りにあげてやるというのに。
その頃。
あんなことがあった天使様が、泣き疲れて眠れるはずがない。最初は恐怖が尾を引き大きくふるえていたけれど、それがわずかに落ち着いてくると、自分を包み込んでいる紫の法衣できゅっと小さな体を包み、残る疼きが遠ざかるのをひたすらに待つばかり。
嗚呼、男の息遣いがまだ生々しく下腹部に残っている。
己の味とやらを味わわれて気が狂いそうな堕落した快楽を与えられて、シルマリルは己を持て余している。
あの後駆けつけた己の勇者の抱え起こす腕の感触にすら普段は感じない男を感じて自分で自分が許せない。
普段は蓮っ葉な台詞ばかりを口にし不実な様子ばかりを見せる己の勇者がどれほどに頼れる男なのかと言うことを図らずも痛感させられて感謝するのが筋だろうに、他の事で頭がいっぱいで法衣に包まれたまま不浄な感情を抱えてふるえてばかりいる。
彼は自分を思いやって場を外しひとりにしたというのに。
「―――――シルマリル、寝たか?」
それでも彼は戻る時には何事もなかった顔で戻れる。それが彼の長所でも短所でもない特徴で、己を押し殺し装うことには慣れているからと怒りを胸に沈め、まずは彼女を落ち着かせることを優先する。
天使だから云々ではなくて、女のあんな姿など不憫すぎて見たくないから、何もなかったことにしていつもの声色で声をかけられる。…ロクスとはそういう男。
その声の調子を丁寧にするか軽口か甘くするかすらも彼の胸の内ひとつで、今はあえて取り立てて感情を乗せずに、横たわっていなかったシルマリルを見て読みを外したことに対して鼻だけでため息をついて濡れた髪をかき上げた。
「寝ててよかったのに。
起きててもしょうがないだろ、そんな様子じゃ帰るに帰れないんだろうし、今夜はベッドを貸すからひと眠りしたら今夜のことなんて忘れてしまえ。
覚えてても怖いだけならそれは残しておいても何にもならない、ただの傷だ。
男が怖いんだったら僕も席を外すからとりあえず眠れ。」
声色を装うことに慣れた男が、いつもの軽い調子で独自の持論を口にする。
しかしシルマリルは何か言いたげに唇をわずかに開いたまま、何も言えずに彼を見るばかり。
「礼とか何とか今無理して言わなくてもいいよ。明日ゆっくり聞かせてもらうから。
今君に必要なのは睡眠だ。これでも僕はご婦人に手を挙げたことがないのが自慢でね。
たとえ君を眠らせるためだろうと鳩尾に一撃なんて入れたくない、ひとりが怖いんだったら部屋の隅にでもいるから眠ってくれないか。
何かあったら起こしてやってもいい。」
何か言わせればまた泣き出すかもしれない、そう思うロクスはわざと少し早口で畳み掛けて、あえて彼女に何も言わせようとしない。いくら女に慣れていてもこんな場面など初めてで、彼も戸惑っていると言う意味では彼女と同じだった。
あえてヴァイパーに触れないのも彼の配慮のひとつで、それ以上することがなくなると、ロクスは仕方なく椅子に腰掛けて肘掛にもたれて頬杖をつき彼女から視線を外した。
別に話すことなどないから、饒舌な男がそれ以上何も言わずに黙り込む。
シルマリルは何も言わない。横になる素振りも見せない。
泣かれることもまた困るんだけど、こんな様子もまた困るロクスは目を伏せたまま静かに脚を組んだ。今は自分の存在感を消して空気になりまずは様々な感情で高ぶっている天使様を眠らせて、明日になれば少しは落ち着くことを期待して――――とりあえずは、あんな場面に立ち会ったのが自分でよかった、それだけは感じている。
自分もこの状況ではあまり器用じゃないとは思うけれど、他の男がもっとうまいこと切り抜けられるとは思えない。
「…酒でも飲むか? 少しは落ち着くかもしれないし、酔えば眠れるかもしれない。
君が酒豪だったらどうしようもないけど、手っ取り早く気を紛らわせる手助けにはなるぞ。」
なかなか過ぎない時間、なかなか眠ろうとしない彼女、先に耐えられなくなったロクスが別の話題を切り出した。酔えない気分だろうとは思うけれど、泥酔すればじきに眠りに落とされることを経験で知っているから、質の悪い睡眠だろうとないよりはまし、そう思いながら…しかし彼女はそれにも首を横に振る。
「じゃあどうしたいんだ? とりあえず今夜は君の気持ちがわからないでもないから優しくしてやるけれど、わがままが過ぎるんだったら放り出すぞ。」
ずいぶんと優しかったロクスだけど、とうとう焦れてどうしようもなくなると本音をあっさりと吐露してくれた。頬杖を解いて膝に肘を置き指を組み合わせて、少しだけ怒ったかのように眉をわずかにつり上げて言葉を続ける。
「要求があるんだったらはっきり言え。僕はいくらご婦人の扱いに慣れているといってもこんなことは初めてなんだ、そうそうあってもらっても困るし。
僕の知っている慰めは君のご希望に沿うものじゃないのは君が一番知っているだろう? 僕と一緒にいるのが嫌なら他の勇者殿の所にでもとっとと行っちまえ。
…追いかけたりしないよ。僕はみっともないのは嫌いなんだ。」
こんな心無いことを言いたいわけじゃなかった。だから堪えていたけれど、ロクスはシルマリル相手に辛抱がなかなかできない。それが甘えの裏返しだということは彼が一番知っているから見せたくなかった、なのに…こんな小さな存在に己を預けるなど、男のプライドにかけてできるわけがない。
そう言われ突き放されて初めてシルマリルが顔を上げた。ロクスは彼女から目を離してなくて視線がぶつかったけど、シルマリルはいつも目をそらさない。
「…ない……す…」
「ん?」
「どうしたらいいのかわかんないんです…ロクス…私…わたしっ……」
やっと動きを見せた彼女の様子に、ロクスは何もしてやれない。できることが思いつかない。
泣き崩れるかと思っていたら彼女は頬なんて染めてロクスから視線を外し、しかし素直なのは彼女の性格なのだろう。彼女は少女らしく己を持て余している様子を見せていて、しかしロクスはそんな様子にはさして魅力を感じないから彼女に女を感じ行動を起こしたヴァイパーとは違い、再び肘掛に頬杖ついて冷静に眺める紫の瞳は動じた様子などかけらも見せない。
けれど実際には「聞くことしかできない」のが真相で、何を言えばいいのかわからないだけ。
「…シルマリル。」
静寂を埋めるためにその名を呼んでも、後に言葉が続かない。
彼女にかけた己の紫の上着がただただ大きく見えて、こうしていれば彼女はただの少女にしか見えないことが不思議。
「ロクス…あなたもクラレンスと同じですか?私だろうとただの女性にしか見えないと」
「違う。君が何者かと言うことは一応理解しているつもりだ。
それに少女を好んでいるわけじゃないってのは君だって知っているだろう?
それと…あいつの名など呼んでやらなくてもいい。通り名でももったいないぐらいだ。」
「…ロクス…いつまでも体が熱いんです…私は…私はどうすれば……!」
「………なんだって!?」
そこまで言うと、シルマリルは己を持て余すあまりに小さな体を抱きしめた。
熱が残る体をどうすればいいのかをロクスは知っているけれど、名を呼ばぬようにと言ったヴァイパーと同じ行為には及べない。いや単純に同じになりたくはない。ヴァイパーはともかく、ロクスは彼を嫌っている。
「…自分が何を言っているかわかってるのか?
どうすればいいか僕は確かに知っているが、ヴァイパーがしでかしたことと同じようにしろとかそんなこと求められても…。」
「ロクス…ロクス……」
「…泣くなよ。一番ずるいやり方で僕を誘うんじゃない。
君がただの少女ならそりゃ慰めに抱いてもやれるが…君は天使じゃないか。
男を知ったら翼を失うかもしれないぞ? …僕はご婦人としてはともかく、天使の君は気に入っているんだ。
清らかで美しい君だから価値があるんだ、自ら捨てるような事を僕に求めないでくれ。」
取り付く島もない口調でシルマリルを突き放しながら、ロクスはヴァイパーの狙いを彼以上に的確に見抜いてしまった。
ロクスは教皇として立つ事を前提に教育をされているから、宝玉の内包する危険性もおぼろげながらに、おそらくヴァイパー以上に把握している。触れていれば力に呑まれる、だから教皇庁の奥の奥、教皇と副教皇しか座する場を知らせられずに鎮座していた。知る者を少なくすることで盗賊から守っていた。
…こいつ…魔に呑まれてるのか。耐性がないのが裏目に出ちまった。
本来天使は与えられていても存在を知らせられない感覚がシルマリルを飲み込んでしまった。人間の少女ならおそらくロクスを誘惑し求めるのだろうけれど、知らない以上彼女にできることは持て余すことだけ。
ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣く姿は美しいがあまりにも儚げで、ロクスも誘われないように気を張り続けている。
「…わかった。とりあえず君の体を慰めてやる。
一度満足すれば熱も抜けるだろ、そのかわりと言っちゃなんだが、君も僕を満足させてくれ。」
「…???」
「人間が欲望を完全に捨てることなんて到底無理な話でね。それでも聖者でいなきゃならない僧侶にはそれなりに欲望を紛らわせる手段があるってことさ。
僕はそんなこと無視して女を知っているけど、さてどっちが汚れているのか…まあその辺の判断は君に任せておこう。
言っておくが、僕はヴァイパーが遂げようとした目的を遂げない。君は表向きだけでもきれいな体のままでいられる。
だから君も抵抗しないでおとなしくしてて欲しい。
…男は単純だからな、刺激さえあれば愛してない女とだろうと寝れる、そんな因果な生き物さ。」
気を張りながらもロクスは女を安心させる微笑を浮かべて金の髪に指を絡める。
「君が望むだけいかせてあげるよ。腰が立たなくなっても恨むな。」
「ロクス?」
「しぃー………。」
そこに気持ちがない空っぽの恋愛ごっこに言葉なんてあっても困る。
ロクスは一瞬だけあどけなさを取り戻したシルマリルに何も言わないようにと促すと、自分の上着で体を包んだままの彼女をベッドに横たえた。