■□ battere □■
レイラ  フェイン  アイリーン  クライヴ  セシア  ルディ  ヴァイパー  ロクス

 規則正しい蹄の音が耳に心地よく届く。
青い空と緑の丘と長く長く続く乾いた土色の街道の取り合わせは鮮やかな風景画のよう。道は石畳ではないけれど確かに踏みしめられ、道と同じ方向に延びる轍の跡がはっきりと刻まれている。その向こう、太陽がある方角にははるか遠くにかすむ峰々が重なっていて、続く道はそれらに吸い込まれるように途切れて見えた。
 一見牧歌的な風景の中にあるのは、不思議なことに一頭の重馬とその上に人影ふたつだけ。他には風景以外動くものは何もない。
時折吹き抜ける風に緑の草原が海のようにさざめくけれど、それ以外は空の雲すら見当たらなかった。
集落はおろか人家、いや人影すら見当たらないのは、戦乱の黒煙絶えぬこの世界の情勢を何より雄弁に語っている。けれど、うねる海原に似た静かな世界に蹄の音を響かせて往く馬上の人影には、静かなきな臭ささえもどこか優しく感じられていた。
 静かな中に一陣の風が吹きぬけて、馬上の影の外套があおられそのまま首の後ろへと滑り落ちた。
滑り降りた外套から長く豊かな金の髪がこぼれだし風の走る方に流れ、馬上の人影が女だとわかる。程なく風はおさまったけれど彼女の髪は緩く波模様を描いたまま、端正な顔立ちにいわゆる甘みは見えなくて、風に乱れた髪を押さえた右手は肘まで無骨な金属で覆われていて――――彼女の胸元で留められていた外套の下には禁欲と規律の象徴である軍服が存在していた。
それは美しい女性、しかしどうやら女である以前に、剣を振るうものの筆頭だろう「騎士」らしい。乗馬の姿勢は戦場を切り裂き駆け抜ける騎兵を髣髴させ、腰には階級の象徴でもある長い剣を収めているだろう鞘がある。
それに、彼女が騎士であることを強く連想させる比較対照として、彼女が握る手綱との間に、もうひとり小柄な少女が座っていた。

「まさかこんなに簡単に馬を借りられるとは思わなかったわ。
 あなたがいたからね、シルマリル。」

 女騎士の呼びかけに、小さな少女が顔を上げにっこりと微笑んだ。
金の髪の少女は女騎士とは正反対のたおやかさと女らしさで、あどけない微笑とは裏腹の、見るものすべてに人ではないかも知れぬと錯覚させるほどの迫力すら感じさせる美貌を持ち合わせている。
だが当人はどうやら暢気者らしく、まるで世間知らずのお嬢様のような裾の長い服で馬に横座りしている様はどう見ても旅慣れているようには見えない。先に声をかけたのは女騎士で、言葉の中身から察すると女ふたりと旅装を乗せても意にも介さぬ様子で歩けるほどの力自慢の馬を借りられたのは、世間知らずの小娘がいたからということになる。
「私は侵略者と同じ肩書きを捨てられずにいるのに、攻め込まれた側の魔導士ギルドの人たちが私の格好よりあなたの存在を信じて馬を貸してくれたこと……今でも信じられないわ。」
「私がいたからというより、協力者のフェインが魔導士ギルドのウォーロックだったからだと思います。
 グランドマスター・ライノールは盲目ですが力ある魔導士、フェインについて行った先で初めて彼に会った際も私は姿を現していませんでしたが、彼は私の存在を確かに感じていたみたいです。」
 騎士、侵略、魔導士ギルド、ウォーロック……何よりも明らかで疑いようもない破壊の力と、対極に位置する超常の力を表すそれぞれの言葉。世界の断片はあまりにも端的過ぎてかけ離れすぎてつながれずにいる。
「……アルクマールの町で魔導士たちに囲まれた時、正直言ってもうだめかと思ったの。」
 つながらない世界と物語のまま、それでもすべてはとどまらない。女騎士は少し疲れたらしい暗さを隠しきれない声色で言葉を続ける。
「剣を取り上げられ手を縛られてギルドのマスターの前に引き出されて、こんな所で終わるのかと思ったわ。」
 訥々と、しかし止められぬ様子で語る女騎士の脳裏には、忘れるにはあまりにも生々しい命の危機の場面が悪夢のように繰り返されている。

「でも、グランドマスターは私を見逃してくれた。」

 けれど、危機の記憶は劇的に一転する。
「初めて聞いた人の名前とその後ろにいたあなたの話と……侵略者と同じ服を着ている私なのに、同じような扱いはしなかった…………」
 細波のように揺れる声はもはやひとり言、複雑な記憶と感情をたどり思い起こす彼女は何を思うのだろう?
思い起こす記憶はまさに奇跡、剣を携えし騎士が死をも覚悟した窮地の先の展開は、彼女でなくても奇跡としか言い表しようがないほどに劇的で鮮やかで現実離れしていた。
 女騎士の名はレイラ。狭い箱庭世界アルカヤで、すべての国家に憎まれている侵略国家の代名詞と成り下がったグローサイン帝国の、先の筆頭騎士の息女と言うやんごとなき立場の女性。しかしかえるの子はかえる、深層の令嬢どころか剣をおもちゃ代わりに育ち、長じては親の七光りではなく血の滲むような努力と修行の果てに、騎士の国で初めての女騎士として認められた。
父と同じに騎士という階級が持つ概念も印象も彼女にこそふさわしいほどの清廉な性格と高潔な魂、しかし気まぐれな運命の女神は彼女に微笑まない。帝国の権力争いの果てに筆頭騎士、つまりは帝国の象徴でもあった父は政敵の子息の凶刃に等しい太刀の下に儚く散り、父によく似たレイラもいわれなき罪で囚われて投獄された。
 だが、運命の女神の気まぐれに翻弄される彼女に、幼い天使が微笑んだ。
レイラの父ラウルを目の敵にしていたクロイツフェルド大公の子息であるアルベリックは、筆頭騎士を決闘で倒したことにより、若くして帝国の軍事力すべてを手中に収めることとなる。だがアルベリックは性根の歪んだ偏執狂で、騎士であると同時に美しい令嬢でもあるレイラに並々ならぬ執着を見せ、しかし清廉な性格のレイラはアルベリックの歪んだ性格を見抜き嫌悪していた。どこまで行っても交わらない二本の線と言う関係に業を煮やしたアルベリックは、張り巡らせた謀略でレイラを投獄すると、服従と言うただひとつの選択肢を突きつけて――――幾度過ぎたかわからない夜、日課となりつつあったアルベリックの来訪の直後、まさに間隙をつく形で囚われの騎士様に天使の降臨と言う救いの御手が差し伸べられた。
 幼い天使に導かれ夜の闇に味方され容易に人の造りし檻を破ったレイラは、当然裏切り者の烙印を押され追っ手がかけられて、時を同じくして周辺諸国を呑み込むべく不気味に動き出した帝国の騎士団は周辺諸国の嫌悪の対象となる。
つまりレイラは、祖国では裏切り者の咎人で、国から出れば侵略者の一味として居場所のない逃亡劇を繰り広げることとなった。
 あれからずいぶん月日が流れた気もするけれど、流れた時間は一年足らず。剣を旗印に掲げる国家の攻めの手は苛烈としか表しようがないけれど、なす術もなく蹂躙されるばかりではない周辺の国家は抵抗を続け世界の情勢はきな臭さを増すばかり。まず狙われたのは帝国と国境を接している、小国家の連合国である六王国連合で、同じく国境を接しているエクレシア教国はその性質によりまだ様子を見られているだけ、戦火が及ぶのはまだ先のよう。
神に仕えるものどもの国に弓引くなど神に弓引くのと同意義で、そこに正義はおろか理すらない。
 レイラは広い箱庭世界の中で自分に何が出来るのかを模索しつつ一年近く彷徨い続けている。
ひとりが出来ることは微力だけれど、行動すらしない傍観者の立場を選べるほど彼女は保身に価値を見出さない。
時には祖国が踏みにじり飲み込みつつある国へと、危険を承知で足を踏み入れることもある。

 それは、ほんの一晩ばかり前の話。
軍事国家の侵略の足音に殺気立つ六王国連合の抵抗の旗印は「魔導士ギルド」、超常の力は無秩序であってはならぬと己らの力を戒め、個々の力は微弱なことを知る彼らはギルドと言う集合体に在籍することで自ら秩序を構築し、力なきものたちが彼らに感じる恐怖を薄れさせ、目的を明確にし私利私欲に強大な力を用いぬと無言で主張し続ける。
だが、危機に瀕すれば、騎士が剣を手に戦うように、彼らは超常の力を盾にし襲い来た者に手向かうことをいとわない。魔道という人の世の理の外に存在する理論を力に換え武器にして戦う術を持つ者の中には、わかりやすい武器を手に戦うことに特化した階級「ウォーロック」が存在する。
そんな力を持つ者たちが侵略の魔の手を退けるべくギルドの中枢が存在する都市アルクマールへと終結している最中、必要に迫られたとはいえ騎士の肩書きも軍服も捨てられないまま、宙ぶらりんのレイラが立ち寄ったのは不運ではなく軽率でしかなかった。
分厚い外套で隠しても本質を見抜く目を持つものもいる魔導士たちの群れの中で隠しおおせるほど甘くはなくて、レイラは程なく正体を見抜かれて捕らえられてしまった。

 それが、昨日の夕方の話。騎士の立場と誇りに固執していたレイラを、彼女を導き救い出した幼い天使はただただ案じ続け、意固地に進む道のりを曲げようとしない彼女にここ数日文字通りつきっきりの状態で同行していた。
幼い天使の名はシルマリル、あどけなくも神々しい美貌を持つ少女の姿の天使様。
今レイラに支えられともに馬に揺られている金の髪の少女。

 知識を重んじる魔導士たちは冷静で理知的で、騎士のように敵は排除すると言う激しさはないらしい。
彼らはレイラを抵抗できぬ程度に捕縛すると、魔導士たちの長であるグランドマスターの判断を仰ぐべく彼女をその前に引き出した。
敵には剣で立ち向かうレイラはそこで死を覚悟したけれど、天使シルマリルは彼女のそばを離れず純白の翼を広げ目に見えぬ導きで己の助力者を守る。幼い天使はその頼りない容貌を裏切るほどの覚悟を、レイラが死の危機に瀕したその瞬間は躊躇なく天使の祈りと言う奇跡を発露させてでも守り抜くと言う覚悟を決めて寄り添っていた。
同時に魔導士たちの矜持も知るシルマリルは、殺戮を好まぬ彼らを信じてもいた。
そう、大きな体躯と温厚にすら感じられる静かな魔導士、レイラと同じ己の助力者のウォーロック・フェインの振る舞いが魔導士ギルドの規律を表していると疑っていないから信じることが出来た。
 そこでレイラの運命の道は劇的に開かれた。
敵対国家の代表と同格の存在、魔導士ギルドのグランドマスターである盲目の魔導士ライノールと天使シルマリルは、厳密に言うと初対面ではない。シルマリルがレイラを導いたのと同じに、救いの手を差し伸べたフェインとともに魔導士ギルドの中枢であるグランドロッジを訪れた際に、ライノールは目には見えぬシルマリルの存在を確かに感じ口に出した。
 シルマリルはライノールを、ギルドの魔導士たちを信じ、ライノールは以前感じた覚えのある存在感を敵であるはずの女騎士の背後に見出した。もはやそれで充分、ライノールはレイラの縄を解くようにと静かに命じ、それだけではなく一通の手紙をレイラに託すと言う名目とともに馬を貸してくれた。

『フェインと言うウォーロックにこの手紙を届けて欲しい。
 いつもならばギルドの者に行かせるところだが、天使の加護を受けし騎士殿よ、予断を許さぬ状況はおわかりであろう。
 だが長居しては身の安全も危うくなろうから馬を使うといい。国から出る際には、こちらの手紙とともに手近なギルドに預ければ良いように手配しておく。
 ……フェインの人となりは、天使がよく存じておられよう。』

 その言葉を聞きながら、レイラは衝動的に泣き出したい激情に襲われていた。ライノールは帝国の騎士であると同時に天使に見出された勇者と言う肩書きを背負わされたレイラを、もっともらしい依頼を託すことでひそかに身の安全を保ちつつ逃がそうとしているのだ。
本質を見抜きそれを重んじるその判断に、この国を我が物にすべく蹂躙している祖国がどれほど恥知らずかを図らずも思い知らされた。そして何も出来ないまま彷徨うばかりの自分の存在が激しく揺らぎ続けている。
 あれから一日とたっていない。レイラは二通の手紙に守られて、侵略した国の大きな街道を不自由なく往き続ける。
祖国に追われる彼女なのに、敵であるはずの国の者に守られて生きている現実がただただ重いばかり。

「不安ですか?」

 胸の奥を見透かすかのような涼やかな声が、レイラの胸に鋭く突き立てられた。
レイラがそのひと言で我に返り視線を下げると、不安げ、いや見通すような透き通った青い瞳につかまった。二十歳を越えたレイラから見て明らかに少女期半ばの姿かたちを持つシルマリルなのだけれど、時に人間の少女と錯覚するほど人間くさい面を持つ天使様なのだけれど、やはり彼女は高みにおわす存在に他ならない。
『不安ですか?』
 短く問いかけた言葉の中にはさまざまな響きが隠れているようで、単純に憂いを隠せずにいるレイラを案じているようで。
胸の内を見透かされたみたいな錯角を覚え、レイラはとっさに言葉で返せずに唇を噛んだ。
「あ、いえ、なんだか落ちこんだみたいな声だったもので……ごめんなさい、不躾な物言いをして」
 そんな彼女の表情の変化に返ってきたのはばつの悪そうな取り繕う声で、皮肉にも、短い言葉が単純な心配だったことをレイラは知った。
……そう。シルマリルと言う存在、人格は優しい。たとえ己が傷つけられることになろうとも、それを承知の上で受け入れ思いやる懐の深さを持っている。出会って間もない頃のレイラは、それが天使という存在ならではの慈悲なのかと思っていたけれど、今はそれにもたれかかり拠所として自分を保っている。
女騎士殿が強く信じていたものがあえなく儚く瓦解した今、決して裏切らぬと理由もなく信じていられる存在は己のいただく幼い天使と祖国に残した病弱な母だけ。
「この前も叱られたんですよー、お前の物言いは一見丁寧だけど人の中にずけずけ土足で上がりこむ、って。
 ……ですから、気に触ったりしたらきちんと言ってくださいね?
 私はどうにも鈍いみたいですから……。」
「……違うわ。」
 あなたのせいじゃない。
そのひと言が、レイラの中で喉の奥につかえて出てこない。
けれど、なにを言えばいいのか、自分がなにを思っているのかすらよくわからない。
「……どうして、そう思ったの?」
 自分を律すれば律するほど、どうすればいいのかがわからなくなる。
ぐるぐるぐるぐる、苦しいままでその場を回り続けるばかり。
回り続けて目を回し、けれど倒れることは許されないし自分自身が許せない。

 馬に揺られる単調な調子に酔ったみたい、感情の袋小路から出られなくなったレイラの内心を気づいているのかいないのか、シルマリルは唐突に小さな頭を後ろに下げて、レイラの胸にそっと耳を当てた。
「あなたの心臓の音が、なんだか疲れているみたいな気がしたんです。」
 そうぽつりとつぶやいて目を閉じた美しい少女の姿の天使様の声に言葉に、強さの象徴であるはずの騎士様の青い瞳が大きく揺れた。

「レイラ、疲れたのなら休みませんか?」
「……大丈夫よ。あなたこそ疲れてない?」
 単調な音の繰り返し、単調なことの繰り返し、単調な思考の繰り返しが人間の思考を麻痺させる。そしてレイラは考えることに疲れて大きく揺れ続ける。
「私は大丈夫です。馬に乗るのって初めてで楽しくて、疲れることも忘れてしまいそうです。」
 けれど天使様は蹄の音と馬の鼓動と己の凛々しい騎士殿の鼓動に耳を傾けるから思考の迷路に迷い込む暇すらない。心が揺れない、ではなく揺れている暇すらない。
幼い天使のどこか楽しげな言葉になにを感じたのか、レイラはわずかに顔を上げ空を仰ぎつつ一粒だけ涙をこぼした。
 ……大丈夫。私はひとりじゃない。
そんなごくごく当たり前のことを思い出しただけで涙がこぼれた。
こんなに近くで誰かと触れたのってどれくらいぶりなのかもう思い出せないのだけれど、レイラは己の天使の少々ずれた部分に何度も救われている。
人間では取り繕うものを、隠さずに表に出す素直さに今度も救われた。
胸に感じる小さな頭の存在感に救われた。

 それは何も変化のない旅の途中の、物語にすらならない断片。

レイラ  フェイン  アイリーン  クライヴ  セシア  ルディ  ヴァイパー  ロクス

2009/07/14

再びリハビリと言うことで、勇者全員分の話を書こうと思いました。