■□ battere □■
レイラ
フェイン
アイリーン
クライヴ
セシア
ルディ
ヴァイパー
ロクス
しなやかな白い手から無骨な大きな手へと手紙は渡された。
「アルクマールからこんな遠くまでありがとう。」
大柄でいかつい男から聞こえた声の優しさに、レイラはつい目を丸くするほど驚いた。
冬でも温暖な魔導士ギルドの所在地アルクマールからさらに南、常夏の国レグランスの海に面した美しい町アフイにレイラたちの目的の人物は滞在していた。
魔導士ギルドのウォーロック・フェイン。女性としてはかなり長身のレイラでも見上げてしまうほど大柄で、剣士らしいがっしりとした体躯とその身の丈に見合うような大剣の組み合わせは、彼が剣を手にするとその大きさを錯覚してしまいそう。外見はいかにもいかつい剣士なのだけれど、端整ですらある顔立ちとどこか優しげな琥珀色の瞳は魔導士の知性を強く感じさせる。
まっすぐの銀の髪をさっぱりと短く揃えていて、もう少し身奇麗にしていればその佇まいでもっと目立つかもしれない。今でも充分目立っているが、それは単純にその体格だけの話。
彼が身を包んでいる魔導士が好む砂色のローブと、その刀身の長さのあまり腰に下げられず背に負われている得物の存在感は、この世界では正反対の力の象徴。明確な破壊をもたらす「剣」と並々ならぬ知恵と人知を超えた潜在能力が揃って初めて行使できる「魔道」はなかなか同時に存在できるものではない。それを同時に手にするのはごくごく限られた素養ある者たちのみ。
だが、穏やかですらある琥珀色の眼差しの向こうに見えるのは知識あるもの特有の理性で、その眼差しを見上げているレイラは不思議な印象を強く覚えていた。
彼も自分と同じ、天使シルマリルの勇者のひとり。レイラは他にも森の少女セシアとレグランスの第二王子ルディエールと会ったことがあるが同じ目的の元同じ天使の守護をいただいているけれど、セシアは彼女が生まれ育った広大な森にある数少ない集落を帝国に蹂躙されていて、ルディエールは国同士の思惑の図りあいの中で帝国の胡散臭さに気がついた。……ともにレイラがまとう軍服ゆえに友好的とは言いがたい。
同じ天使の剣、同じ立場同じ役目を負いながらも歩く道はまるで違うそれぞれの現実を目の当たりにするたびに、レイラは躊躇してばかりいる。
そんな最中でのささやかな、いや大きな救いは、国を帝国に踏みにじられ騎士を嫌悪しているセシアやルディエールと違い、同じように祖国を踏みにじられながらも、フェインはレイラ自身に配慮してくれたこと。
セシアやルディエールが狭量と言う話ではない。祖国を踏みにじられたりしている彼らの態度は至極もっとも。
しかしそれを踏まえて「帝国の女騎士」を気遣える目の前の物静かな青年は、レイラがその人となりを理解するには少々難しい人間でもあった。
「いくらシルマリルが同行していたとはいえ、あなたが六王国を旅するのは大変だっただろう。
あなたに罪がないのは重々承知しているが、この情勢だ、どこに向かうにしろ六王国は避けた方がいい。」
彼は、祖国を蹂躙しながら進み続けるグローサイン帝国の黒い悪魔たちと同じ服を身にまとったレイラを、驚くほどに優しい声色と言葉で思いやる。そして、言いながらふっと笑った笑顔の優しさには嘘はない。
ここしばらく卑屈な笑みや不遜な嘲笑ばかりを見続けていたレイラにそれがどれほど優しく見えているか、多分彼は気づいていないだろう。
ふたりしか知らなかった全部で七人の同胞たち、天使の勇者だからと敬虔ですべてを天使に捧げていると言うわけではないことを、レイラだけではなく対するフェインも感じている。
「シルマリルはどうしたのだ?」
「あ……別の勇者の様子を見に…………」
「そうか。俺たちは七人だが、彼女はひとりだからな。
しかし、シルマリルはあなたが相当心配だったらしい。彼女に会うのはかれこれ二週間ぶりだ。」
それは他愛ない雑談、わずかに笑いながら口にしたフェインにとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。
けれどフェインの冗談めいた言葉にさえ重荷を感じ、レイラはうなだれるばかり。目の前の彼女のそんな様子にフェインは「しまった」と言うより先に表情を変え口をつぐむ。
どうやら、軽口が軽口に聞こえないほどに精神的に追い詰めているらしい。
こんな空気になっては、口下手なフェインにできることはなかった。
お互いに、天使シルマリルの帰還を待つしかない。
「帝国の騎士と言うのも大変なようだな。」
天使様のご帰還を待ちわびていた下僕たちの反応は正反対だった。レイラは消耗しきり崩れるように夜を待たず宿で休み、フェインは軽率な物言いを後悔している口ぶりで珍しく饒舌になる。
「あんなに神経が磨り減っていたとは知らず、悪いことをしてしまった……」
大柄な青年が叱られる直前の子どものようにしょんぼりとうなだれ髪をかきあげつつ眉間に皺を刻んで、心の底から悪かったと思っている様子を表に出している姿に、戻ってきたばかり状況が飲み込めていないはずの天使様がふんわりと微笑んだ。
「あなたのせいではありません、そんなに自分を責めないでください。
レイラは気持ちをずっと張りつめ続けていた中でグランドマスターやあなたが思っていた以上に優しくて、緊張の糸が切れてどっと疲れが出たのでしょう。
少しの間ひとりにして欲しいとも言っていました、しばらくはあなたの旅に同行させてください。」
レイラの焦燥が伝染したみたいなフェインの態度を別に心配していないような気楽さで、シルマリルがくるりと話の方向を変えてしまった。その口調はあまりにもいつもと同じで強引さを感じさせないほどで、後悔しきりのフェインが違う話題に我に返っても、反応はおろか話題がすりかえられたことにさえ気づけない。
微笑みながら話題をすりかえるシルマリルと言う天使様はその外見によらずずるくしたたかなのだけれど、女性については深く探求していないフェインでは彼女の本性を見抜けない。
彼を取り巻く人間関係は、わかりやすくずるいかわかりやすく率直な善人かのどちらかばかり。唯一の例外である女性もいるにはいるけれど、そのことに気づくほど鋭い男でもない。
「でも助かりました、私ではレイラが疲れて倒れてしまっても手助け一つ出来ませんから。
明日、朝は早いのですよね?」
昏倒してしまったわけではないが、気疲れのあまりにふらつき座り込んでしまったレイラを宿に運んだのは、その場に一緒にいたフェインしかいない。とことんまで鈍いことに、フェインは身も心も疲れきった妙齢の女性相手が目の前で倒れそうになった様子を見て恭しく抱え上げることなどせずただ肩を貸しただけだったけれど、レイラの性格を思えば却って良かったのかもしれない。
あまりにもあからさまに女として扱われるとレイラは軽い嫌悪感を感じることをシルマリルは知っている。
「いやシルマリル、俺より彼女についておいた方がいいんじゃないのか?」
年齢の割にどこかバカ正直で、女をわかっていない男。今だって「人として」素晴らしい心遣いを口にするけれど、女の扱いとしてはどこぞの誰かさんに鼻で笑われそうな台詞を真顔で口にした。
シルマリルは彼女の助力者である「天使の勇者」たちに染まりつつあって、中でも今目の前にいる彼と正反対の男とともにいる時間が少々長くて――――えへらえへらと暢気通り越して少々お天気な様子を見せる天使様相手に、珍しくまぜっかえすみたいに軽く切り込んだフェインの言葉に、天使様はさらに暢気な笑顔でさらりと続ける。
「そういえば、今日アイリーンに会って来たんですけれど」
「アイリーンに?」
「はい。一度グランドマスターに会っておきたいとかで、アルクマールの隣町まで来ていましたよ。」
シルマリルがいつものおっとりした調子で口に出した別の女の名前で、フェインは見事にさっきまでの話を忘れてしまった。
「あなたもアルクマールに向かうのですから、彼女の顔を見ておきませんか?
そのつもりなら私が伝言を伝えますよ。」
「そうだな……あれから少しとはいえ状況も進展したことだし……アイリーンには話しておくべきか…………」
……天使ではあるけれど、中身は世間知らずの小娘に等しいシルマリルに、ものの見事に丸め込まれた自分に気づいているだろうか? フェインはぶつぶつとひとり言を聞こえやすく口にしながら考え込んでしまって、そんな彼の様子を眺めているシルマリルはにこにこと笑っている。
詳細はシルマリルも知らないのだけれど、フェインともうひとり、魔導士の少女アイリーンは何かしら強いつながりがあるらしい。どうやらアイリーンの姉が鍵を握る人物のようなのだけれど、それぞれに事情を抱えている勇者たちの人生にまで深く立ち入らない干渉しないと言うのがシルマリルの性格。
「いつか話してくれるだろう」
彼女はそれだけの理由でどれだけでも待てるらしい。
「あ、そうそう。フェイン、お願いしたいことがあるのですが。」
独特の間、独特の口調。天使を思わせる自然な傲慢さはシルマリルにはないけれど、それのかわりなのか彼女は「相手の話を聞いてない」もしくは聞いていても棚上げしてしまい、それを相手に気づかせない話術を持つ。
フェインも数えるくらいそのことに気づきはしたけれど、いつも何かが片付いたあと、つまり「時すでに遅し」。
それに気づかなかったからと別に害があるわけでもないから問題と言うほどでもないのだけれど……しかし、またごまかされた。そしてフェインはこれまでと同じように、ことが落ち着いた頃にきっと思い出すのだろう。
物事を深く考える余裕がないのは彼女の勇者全員大差ないのだけれど、この小娘、見た目ほど甘くはないらしい。
「ああ、何だ?」
けれど、天使シルマリルは実に働き者で己に課された役目に実に忠実で、いつも仕事を「お願い」されるフェインは新しい依頼かといつもの彼で問い返した。
「あなたの心臓の音を聞かせてください。」
一瞬、空気が凍りついた。
「……何を言っているのか、よくわからないのだが…………」
「そんなにわかりにくかったですか? あのですね、」
「いやそうではなくて……そのっ……なんだな」
程なく空気はあわただしく動き出したのだけれど、いい歳の大人のはずのフェインが何を考えているかわからない天使様の言葉に面くらい混乱してしどろもどろになってしまった。
「脈を取りたいのなら手首だってどこだってあるだろうっ」
「脈を取りたいのではありません。心臓の音を聞きたいのです。」
唐突で大胆すぎるお願いとやらに、フェインが思わず後ずさりをする。
距離が出来た分だけシルマリルが詰め寄る。
その光景は、シルマリルの背に翼がなければ強面の青年がしまりのない顔の小娘に言い寄られ追い詰められているかのよう。
そしてシルマリルは業を煮やしたのか一歩、二歩と踏み込んで、夜の明かりの元でふたつの影が重なるほどフェインに歩み寄り、いやにじり寄った。
「よせシルマリル、君が人間の少女ならはしたないことをしているのだぞ!」
フェインの口をついて出た諌める言葉と慌てふためく声は当然と言えば当然だろう。シルマリルはあどけないが子どもではない、妙齢の少女の姿を持つ美しい天使様。
背の翼がなければ男が放っておくはずがないほどの美貌を持つ。
「はしたない? 鼓動を直に聞きたいというのははしたないことなのですか?」
しかしシルマリルがどんな人間に近かろうと、彼女は本来天上におわす存在。人間の感覚や慣例が理解できないことは、フェインが覚えているだけでも今までにもたくさんあった。
彼女は何がいけないのかはしたないのかわからないような無垢な様子でフェインの目の前に立ち、彼女よりずっと大柄な男が慌てふためきうろたえている顔を不思議そうに見上げた。美しすぎるはずの青い瞳はまるで子どもに見えるからフェインは困り果ててお手上げになる。
「とりあえず理由を聞かせてくれ! 納得できたらおとなしく言うことを聞くから!!」
そう、今まさに文字通り「お手上げ」で、両手を肩の上に上げ降服の素振りを見せながら、困るあまりに声が大きくなるフェインの様子を見て、シルマリルは初めて自分が人間としては非常識なことをしているのかも、と気づき、ようやく一歩だけ下がった。
慣れない距離に踏み込まれて取り乱す様子を、ふたりの共通の知人であるアイリーンが見たらいったいどう思うことだろう? 少し距離が開いたことでフェインが大きく息を吐きいつもの彼を少しだけ取り戻し、肩の上に上げていた手も下ろして天使様と向き合った。
「……大声を出してすまない。しかしな、ああいうことはあまり……いや、いいんだ。
それで、俺の心臓の音がどうしたんだ?」
その低い声は、すでにいつものフェインだった。まだ戸惑いを隠しきれずにいるけれど、小娘に振り回されている情けない状態からはかろうじて抜け出せたらしい。だが女心が読めないわからない鈍い男であることは変わるはずもなく、おまけに天使様が何を思うのかは女に慣れた男でもおそらく読めないだろう。
けれど、シルマリルはなかなか言い出さない。少し考えているようでもある。
外見のあどけなさの割に思慮深い性格の彼女だから、人間の少女ならはしたない行動も理由如何で許せてしまう。
唐突で意味不明の行動も、きっと意味があるに違いない。
今までのつきあいでシルマリルとの距離感に慣れたフェインは彼女の言葉を待っているけれど、シルマリルは口を開きかけて言葉を飲み込んで目を伏せてとなかなか切り出せずにいる。
「……わかった。とりあえず、君の気の済むようにするといい。」
とうとうフェインが先に折れ、もう一度大きく息を吐き目を閉じながら諦めの言葉を口にした。
思うことすべてを言葉にできないと言うことは、おそらく彼女以上にフェインが痛感している。彼はなかなか切り出せないシルマリルの素振りを見て、そんなことを不意に思い出して、一緒に様々なことを思い出して、とうとう折れて体の力を抜いた。
目を閉じ視覚を自ら封じると他の感覚が否応なしに増大し、作り出した暗闇の中ことんと軽く触れて来た小さな存在感にフェインは一瞬だけ身じろいだ。
南国の気候は鎧を身にまとい外套で身を包むウォーロックから外套も鎧も厚手の服までも剥ぎ取って薄い袖なしのシャツだけで、もう忘れつつあった女の感触が必要以上に生々しく感じられて、くすぐったくて、なんだかむずがゆくていたたまれない。
耳をそっと当てているシルマリルは何を考えてそうしているのだろう? 快く応じたわけではないフェインに配慮はしているらしく、天使様は小さな体すべてを預けてくることはせずに、フェインの胸板の中心、いや少し左寄りの場所に耳だけ当てて鼓動を聞いているらしい。
小柄な彼女はただもたれるだけでフェインの鼓動を一番近い場所から聞くことが出来て、わずかな静寂、そして間もなく途切れ途切れに語りだす。
「……数日前、同じようにレイラの鼓動を聞きました…………」
巻き戻される記憶。
「なんだか心細そうで……泣き声みたいにも聞こえたんです。」
女騎士殿は少しやつれた頬を長い金の髪で包み隠して。
「レイラは私の頼みをいくつも聞いてくれるのに、私は何もできなくて」
表情は髪で隠せても迷いは隠せるものではない。
「人間って声だけで語るのではないのかって疑問が生まれてしまい……」
泣き出しそうだけど泣かない天使様の小さな頭に、大きな手が静かに触れる。シルマリルは頼りない自分を自覚していて責めてすらいて、そんな様子がフェインには心配に見えて仕方がない。
今だってそうで、ただそばにいるだけの彼女自身を無力だと思っているけれど、寄り添うことで生まれる安心感をないがしろにしてしまっている。
触れることで生まれる安心感を知らない天使様は、彼女の勇者たちがなぜ「頼りない天使」を信じ彼女の剣としてそれぞれに戦っているかを理解できずにいる。
「…………そうか。」
そしてフェインも、饒舌な慰めを知らない。
彼女は何かを確かめたいのだろう。それは伝わってきたから彼女の「はしたない」頼みごとも受け入れられた。
だがまた自分を責めている彼女にどんな声をかければいいのか、人間風情は言葉を捜してばかりいる。
たぶんきっと、その「言葉」は見つからない。
レイラ
フェイン
アイリーン
クライヴ
セシア
ルディ
ヴァイパー
ロクス
2009/07/23
前の話で書きそびれましたが、時期的な設定は「初年の冬頃」、12月頃で書いています。
フェインが夏服なのは、レグランスに滞在中だということでお願いします。
ロクスに毒されて押しの強いおなごになりつつあります、きょぬー天使。
超個人的にフェインは尻に敷かれてると可愛(口ふさぎ)