里の風物詩

四季折々の美しい風景は、自然と開発の調和をモットーとする獣の里の宝です。
そして、その中で行われる行事の数々や、獣ならではの生態が織りなす風景の移ろいもまた、味わい深い季節の彩りです。
【 お供えカボチャ 】
最初のうちは「お月見の際の間違った風習」として定着していました。
しかし近年、創作・会社の企画書・学校の課題等のネタに詰まった獣の間で「幸猫にカボチャをお供えするとネタが浮かぶ」「ネタはあれどもまとまらなかった構想に、突如閃きが訪れて完成する」という噂が流れ(※)、「実際に効果があった!(企画書が通った・課題が間に合った・新刊が出た等)」という証言が相次ぐに至って、定番のおまじないとなりました。
とはいえ当然のことながら、当の幸猫には全く身に覚えが無く、山積みのカボチャに首を捻るばかりだとか‥‥
(しかも連日供えられるカボチャは、うっかりすると玄関が開かぬほどの量となり、 幸猫はその使い道に頭を悩ませる羽目になりました。<その後の顛末については「名産品→菓子」の該当項目をご覧下さい)
(※困ったことに、その実例第一号はレッドイグアナです‥‥全くもって里と幸猫は不可解な謎と神秘に満ちています)
【 滝占い 】
山奥にあるケモノ滝は、普段は大事な水源地であると同時に、格好の丸太下りスポットとして若い獣に人気の場所です。
しかし年に一度、人里でいうところの小正月には、老いも若きも正装に身を包み、眠っている長老を輿に担いで、静かに滝に向かいます。
そうして滝が完全に凍っていれば大豊作・凍っていなければ凶作としてその年の収穫を占うのですが、これは水源の水量が農作物の出来に直結しているため、あながち意味のない迷信でもないようです。
その後、眠っている長老を起こして、その年のお告げを頂くのですが、お告げと凍り具合の結果が大豊作でも、眠いところを起こされる長老は、いつも何となく不機嫌そうです。
【 滝占いの珍事 】
本年も滝占いを行うべく、眠ったままの長老を輿に担ぎ、皆で滝に向かった際に起きた珍事です。
ケモノ滝に赴いてみれば、昨年末からの暖冬のためか滝は全く凍っておらず、通例に習えば今年は大凶作!という不吉な結果に。しかしこの時、滝には未だかつてない美しい虹がかかり、これは吉兆なのか凶兆なのかと皆で悩んだ挙げ句、長老を起こさないまま帰ってきてしまうという未曾有の事態に。
翌日、皆が改めて滝に赴いたところ、今度は完全に凍っていたので、ちゃっかりそのまま長老を起こし、日付が一日ずれていることを黙ったまま、大豊作の託宣を頂いたのだとか。
長老はご託宣の後すぐに眠ってしまい、祭壇の上に戻された後もずっと眠ったまま。なので日付を偽って二度滝に向かったことは未だバレていないと思われますが、「バレた時どうすんだよ!」派と「長老が気付かず託宣しちゃったんだからそれが正式な結果だよ!」派に分かれて今も大激論が続けられています。‥‥まあみんなすぐ飽きて忘れると思いますが。
そんな次第であるため、レッドはちょっと今年の豊作を疑っています。
【 新興宗教 】
獣の里では、基本的に信教の自由は保障されております。しかし、慣習的に長老を崇めているのと、元々の獣に神という概念が希薄なせいもあり、実際に宗教と言える形態のものは現在のところ存在しておりません。
(元人間の獣も、里に移住すると何故か宗教心が薄れてしまうようで、獣化後に信仰を保っていることはほとんどないようです)
しかしその反動か、何年に一度かの頻度で、教義等はかなり適当なアニミズム的新興宗教が勃興することがあります。
新しい例では数年前、「ケモノ神(けものがみ)信仰」が盛り上がりました。大柄な鹿が林の奥に時たま姿を見せるのですが、該当する鹿は里の戸籍には無く、足の速い犬団でも追いつけないというので、誰からともかく「あれはケモノ神に違いない」という風聞が広まり、集団で祈りを捧げて呼び出そうとしたり、それらしき姿を見たら皆で伏し拝むのが流行しました。
しかし調査の結果、それは単に里に移住しようとやってきたのものの、皆の反応に恐れを成して里に入れなかった単なる小心な大鹿であったことが判明し、ケモノ神信仰は終焉を迎えました。
とはいえ、その手の騒ぎに乗る獣は基本的にお祭り好きなので、マニアは次の信仰の対象を求めて、日々不思議な事象を探しているようです。
※当時の獣日報・号外版の記事です。gif形式・705×974ピクセル(B5版)87KB。
【 獣火(けものび) 】
人里で言うお盆に当たる時期に、迎え火・送り火を兼用して焚く火を指します。元々里にはお盆という風習そのものがありませんでしたが、元人間の獣の行う慣習を取り入れる形で定着しました。
やり方は、地上区の自宅の前や墓地、あるいは辻になっている道の脇で、家族単位、または数匹集まって安全を確認しながら小さな櫓を組んで燃やします。炎が苦手な獣の場合は、線香花火のようなごくささやかな花火で代用します。
以前には特に決まりはなかったのですが、お調子者の獣が打ち上げやドラゴン花火やねずみ花火を一度に使用した際、大音響に驚いて混乱する者、飛び散った火花で毛を焦がす者、本能全開でねずみ花火を追いかけて狂乱する者などで大混乱をきたしたため、現在はそれらを使用することは厳重に禁じられております。ご注意下さい。
【 お守りの土人形 】
土をこねて作られる、素朴で小さな人形です。帰宅の遅い獣や迷子、家出獣や行方不明者の無事帰宅を願って、玄関先にそっと置きます。
この風習自体は割合昔からあったもののようですが、近年は幸猫によって始められた「探す獣の姿に似せた人形を使う」「手に入る場合は、相手の爪のかけらや抜け毛・脱皮した皮等を埋め込む」というフォーマットが流行りつつあるようです。
(人里の風習にある「丑の刻参り」というものが混ざっているような気がしますが、いかんせん里に来た獣は人であった時の記憶が薄れてしまうので、丑の刻参りとの関連や事実関係の調査は進んでおりません)
通常、対象の獣が無事帰宅した場合、人形は次の出番までしまっておきますが、対象が家出獣や行方不明者という長期捜索者の場合、消息が掴めた時には役目を終えた人形が壊れるとも伝えられています。
とはいえ、手作りの土人形が長期間玄関先に晒されていれば、やがて壊れるのは当たり前なので、オカルト的な怪奇現象であるという説は公式には否定されております。
(関連項目‥‥里伝説の「追ってくる土人形」をご参照下さい)
【 まじないフォーク 】
獣たちの間に伝わる、信仰というほどでもないおまじないです。
銀のフォークに名前と日付を書き、祈りをこめて、持ち手側を下にしたフォークを自分の敷地以外の畑にこっそり刺します。他獣にフォークが見つかる前に、その先が折れていたら願いが叶うと言われています。大きな願い事には大きいフォークを、ささやかな願いには小さなフォークを用いるのが普通です。
しかし畑にフォークを刺す都合上、作物の収穫期や畑の手入れなどで、願いが叶う前にフォークが畑の持ち主に見つかってしまうことも多く、その場合、見つけた獣は書かれた名前を元に、願い主にフォークを返しに行くのが決まりとなっています。

時々、願いが叶う前に他獣のフォークを探し出して引き抜き、願い事を無効にしてしまったり、わざとフォークの先を獣為的に曲げたりするという心ない悪戯をする者がいますが、犬団の優れた嗅覚による追跡調査で、犯獣はすぐに判明することがほとんどです。
(見つかった犯獣は、猫団による過酷なお仕置きを科せられます。→「行政」コーナーの「戒律…慣習的罰則」参照のこと)
【 呪いのフォーク 】
上記「まじないフォーク」は前向きな願い事に用いられる方法ですが、最近、あまり好ましいとは言えない黒い願い事のためのフォーマットがあることが判明し、一部で問題になっています。
やり方は「朽ちるのが早くて見つかりにくい木製のフォークを、呪いをこめて通常とは逆向き(持ち手側が上)に畑に刺す」というものですが、勿論効果のほどは定かではありません。その上、人里と同じく「成就前に発見されたりして失敗した呪いは本人に返る」と言われているのみならず「天罰ならぬ、長老のカメ罰が下る」「毛が抜け落ちて禿げ、地肌に甲羅模様が浮かび上がる」などという言い伝えもありますので、安易な気持ちで悪事に走らぬが吉でしょう。
なお、さしたる効き目をあてにせず、ストレス解消程度の気持ちで行う場合は罰の対象外という説もありますが、全ては風説に過ぎません。それでもあえてやるという方は、甲羅ハゲを覚悟の上、あくまで自己責任でお願いします。
【 しっぽ占い(仮) 】
ごく最近流行してきたささやかな運試しです。発祥が新しいので、今のところ「しっぽ占い」や「福引きしっぽ」「Fortune tail(フォーチュンテイル)」などと呼ばれていますが、正式名称はまだありません。
やり方は、人姿/獣姿を問わず(※)「顔見知りの獣のしっぽに、気付かれないうちにそっと触る」という簡単なものですが、獣は総じて気配に敏感なので、難易度は意外と高めです。そこを気付かれずに上手く触ることが出来た場合はささやかな幸運が訪れ、その福は触った獣としっぽ主の間で半分こされると言われています。
なお、一部の爬虫類のように、少しの刺激で断尾しやすい種族や、単純に獣の習性上、尾に触れられることを嫌っている個獣も少なくありませんので、運試しを行う場合は、事前に触尾を了承しているかどうかを確認済みの知人相手に行うことがマナー(※※)です。
(でないとセクハラで訴えられたりしますのでご注意下さい)
※‥‥人姿と言っても、大概の獣はしっぽを隠さないままの 第三段階であることが多いので、しっぽ占いの対象になっています。
※※マナーに関しては「名産品」の項目にある「しっぽ占いマーク」も合わせて御覧下さい。
【 どんと焼き 】
年が明けた小正月には、杉の枯れ木などでやぐらを組み、古いお守りや飾りを焼く、「どんど焼き」の儀式が行われます。「その火で繭玉団子を焼いて食べ、一年の息災を祈る」という慣習は人里と全く同じです。
ただ、獣には、人里でその際の団子を「繭玉」と称する所以の、養蚕の繁栄を祈るという風習がありません。なので、その際焼いて食べるものは、厳密に繭玉っぽい団子でなくとも、漠然と「白くて丸いもの」なら良いとされています。
(それでも成獣は、一応慣習にのっとって団子を食べますが、子獣の間では、マシュマロやゆで卵を食べるのが近年流行っているようです)
【 節分 】
人里ではポピュラーな伝統行事である豆まきですが、獣の里には類似の行事がありません。里には鬼も邪気も存在しないため、「鬼・邪気祓い」が目的である豆まきを行う必要がなかったからではないかと言われております。
(毎年毎年、国内のあらゆる土地で必ずお祓いをしなければならないほど、鬼や邪気がたくさんいる人里の方はたいへんですね)
ただ「節分の日、黒糖麩菓子やココア/チョコ/黒ごまのロールケーキを一本食いする」という、恵方巻に似た風習が里にもあります。とはいえそれは、漠然と「黒くて長い棒状・もしくは巻いて棒状にした甘いもの」を食べるというだけで、人里のように「願い事を思い浮かべて、恵方を向いて無言で」などという決まりはありません。
その目的も、冬の間に消耗した栄養(糖分)を陰陽五行における黒い食べ物(ミネラル類)で補うためであると言われており、元々関西の一部でだけ行われていたらしい人里のそれとは、起源が全く違うのではないかという説が有力です。
【 バレンタインデー 】
2月14日、それぞれ意を凝らして用意したチョコレートを交換しあう行事です。人里発祥の新しい流行ですが、ここ数十年ほどですっかり里にも定着した感があります。
チョコの形状は様々ですが、おおよそ一口大のチョコレート・又は食べやすく割った板チョコを使い、デコペンで「大吉」「小吉」「末吉」「吉」「凶」「大凶」などと書き、それをひとつ引いて運勢を占います。同日中、かつ別の獣からであれば一日に何度チョコを引いてもよいとされるため、いい運を引くまでチャレンジし続ける獣も多く見られます。
なお、近年は吉凶だけでなく、「当たり」「はずれ」「麺」「蹄」「鬱」等、個獣それぞれで意味を定めた新しい内容も増えてきており、その意味を尋ねて盛り上がるのも、バレンタインの新たな楽しみとなっています。
※注‥‥近年ネットでの情報収集によって、「女性が男性に愛を告白するためにチョコレートを渡す」というのが人里における正しい風習であると分かりましたが、里では相変わらず性別を問わず、おみくじとしてのチョコ引きが主流となっています。そのため、人里での意味でチョコを渡しても、恐らく解ってはもらえないので、人間出身の皆様はくれぐれもご注意を‥‥。
【 形代流し】
獣の里における三月は、人里のような雛祭りではなく、形代(かたしろ)流しが行われます。
折り紙で作った人形(ヒトガタ)や獣形(ケモノガタ)に名前を書いて身体を撫で、厄を形代に移した後、川に流すことで祓い清めるのですが、これは人里のひな祭りが現在の形になる前の、古い神事の流れを汲んだ方法ではないかと言われています。
なお、現代は河川の汚染や資源リサイクルの観点から、形代は下流で監視係によって回収され、古紙再生に活用されていますが、この方法ではせっかく流した厄もリサイクルされてしまうのではないかとの声もあり、未だ議論の余地が残されています。
【 鯉のぼり 】
数十年前は、人里から持ち込まれた鯉のぼりの正しい使い方を知るものは誰もなく、憶測で様々な使い方をされていました。
大きいものは二階に口を、地面にしっぽを固定し、「サカナくぐり」として非常脱出シューターのように 滑り降りて遊ぶのが一般的でした。中くらいのものは凧のように糸をつけて空中を引いて遊び、また、小さいものはスカートやチューブ式ワンピースのように、素敵なサカナ柄の衣類として着用されていたものです。
それが近年の情報収集により、ようやく正しい使い方が解り、人里と同じく子獣の健やかな成長を願って、柱を立てて飾られるようになりました。
しかし長年続いた風習は、そうそう消えてしまう訳ではありません。今でも五月に入ると役場の二階には滑り降り用の大型鯉のぼりが用意され、サカナくぐりを楽しむ子獣達で賑わいますし、五月限定の腹巻きやスカートとして着用し、サカナ柄に包まれて闊歩する住人も多く見られます。
「サカナくぐり」については合わせて「遊び」の項目をご覧下さい。
【 七 夕 】
色紙を切った様々な飾りと、願い事を書いた短冊を笹に吊るすこと自体は、人里の七夕と全く変わりありません。しかし、この風習を最初に里に持ち込んだ元人間の獣が、七夕にまつわる牽牛・織女の伝説を全く思い出せない状態であったため、その正式な由来は近年まで伝わっていませんでした。
そのため「ともかく短冊には願い事を書くのだ」と言われた獣達は「茄子豊作。葉もの野菜と交換希望」とか「子供用三輪車のお下がりあげます」などという日常の要件を書いてしまい、おかげで初期の七夕はフリマの伝言板のようであったとか‥‥
ネットによる検索が発達した現在では勿論、正しい七夕の由来が伝わっていますが、相変わらず牽牛織女は無視されたまま、「毛並みツヤツヤ」とか「豊作祈願」などという妙に現実的な日常の願い事を書くだけの風習となっています。
【 ハロウィン 】
近頃定着しつつある、人里由来の風習です。
元々はケルト民族におけるお盆のようなもの(あの世とこの世の境目が近付き、死者や魔物が人間界にやってくる日)であったそうです。しかし、ケルト人でもクリスチャンでもない獣たちが大半を占める獣の里においては、ハロウィンは単に「魔物やカボチャの仮装をして、 カボチャ饅頭等のお菓子を配ったりもらったりする日」ということになっています。
ただ、一部では有志を募って「里にキリンの霊(巨大)を召喚しようぜ!(※)」と謎の儀式に興じる獣や、そうしたものとの遭遇を避けようと、人里のハロウィンコスプレ的な装備に身を固める獣が居たりするので、内実は意外と本来のハロウィンに近い様相を呈している、と言えなくもない状態です。
(※何年か前には「象の鼻が途中まで出現した!」「大きすぎたので一部しか出られなかったのだ」という噂が流れましたが、真偽のほどは定かではありません‥‥<北国に位置する獣の里には南国の大型獣が在住していないので、キリンやゾウは「憧れのスター」的な存在になっています)
根拠のないことがまことしやかに言い伝えられる、いわゆる都市伝説というやつです。人里で言われるものと同様に、いずれも実際の出来事ではないとされておりますが、子獣(こども)を中心に信じる獣が後を絶ちません。
【 背中チョキの謎 】
レッドイグアナの背中にまつわる噂です。
内容は「レッドイグアナの背中には巨大なフジツボが生えていて、驚いたり喜んだりという感情の大きな動きがあると、中から何かがチョキっぽいものを出す」というもの。実際にフジツボを見た者は誰もなく(温泉などで皆が確認済み)、個人的には全面否定を続けているのですが、周囲の獣が時折「今なんか見えた!」とレッドの背後にパンチを繰り出したり、いきなりパーを出して「負けたー!」と口走る獣が居たりと、一体背後に何があるのか、レッド本人も恐くて仕方がありません。
自分としては、以前趣味嗜好(ツボ)の話をしていて「イグツボとフジツボって語感が似てるよね」とふと口にして以来のことなので、それをきっかけに里の住人総ぐるみでからかわれているのではないかという疑念も捨て切れません。
【 がめらの末裔 】
ゾウガメのハリーに関する伝説です。
災害対策の項目にあるように、数年前まで役場周辺には「ゾウガメ警報」なるものが存在しました。レッドイグアナを追いかけるゾウガメのハリーが、役場の窓からガラスを割って飛び込んできては、勢い余って備品のパソコンを壊すという事件が頻発しており、それを回避するため、周辺住人の通報によって役場に流されていたものです。
(実は里物語の「幸猫物語」中で少しだけ語られている「PCが届いた」という場面は、そういった事情によるものです)
レッドはその警報を聞くと裏口から脱出し、他の職員はPCを移動させてから窓を開けて待ち、ガラスと備品の破損を防ぐ、という行動を取るのが当時の役場の風物詩となっていました。
その後のゾウガメとイグアナの和解により、ゾウガメ警報が流されることはもはや無くなりました。しかし当時「すごい勢いで甲羅を回転させながら、カメ姿のハリーが窓から飛び込んでくる」という目撃談が語られたため、「体重100キロ近いカメ姿のまま、どうやって窓の高さまで飛び上がったのか」という疑問が湧き上がり、そのため「ハリーはがめらの末裔である」「回転しながら火を吹いて飛ぶらしい」という噂がまことしやかに囁かれるようになりました。
現在では「がめら」は人間の創作した架空の生き物であるという説が有力なため、その説は公式には否定されていますが、当のハリーが真相を語らないまま今に至るため、飛行ガメの謎は今でも解かれておりません。
【 レッドイグアナ警報 】
レッドイグアナの服装が、何故か里における気象警報の指針になっているという謎の現象です。ここではなく「行政」の「災害対策」に入れるべきか悩んだのですが、根拠がない迷信的な慣習なので、あえてこちらに収納しました。
変温動物の爬虫類であるレッドは、真夏でも薄手の長袖・長ズボンという服装で通しています。かなりの汗かき、かつ、その汗が度を越えて身体を冷やし、低体温症に陥りやすいという体質のためです。
しかしそんなレッドも、記録的な猛暑の日には、さすがに半袖で出勤することもあるのですが、そうなると職場の同僚イグアナ達はにわかに慌て始め、「ヤベえレッドが半袖だ!」「クーラーの設定温度下げろー!」「熱中症対策しなきゃ‥‥(ネカフェの)お客さんに塩入りブドウ糖タブレットでも配る?」「カエル肌タオル(※)全員装着準備ー!」「誰か役場に熱中症警報依頼して」‥‥などという、怒濤の対策会議が展開されます。
いや、ヒトの服装で温度計るの、やめてくんないかな‥‥温度計の数値を基準にしなよ‥‥と思うのですが、何となく言えないまま今に至っています。
(※‥‥「フロッグトッグス チリーパッド」で検索してみて下さい)
【 ターボしじみ売り 】
人里の噂にある「ターボばあちゃん」に似た実話です。
「しじみーーーーー、貝やーーーーー、しじみーーーーー、貝。採りーーーーー、たてのーーーーー、しじみーーーー、貝」という、えらくのんびりした独特の売り声(テープ録音らしい)と共に週一~二のペースでやって来る、個人による巡回販売業者です。
‥‥なのですが、スクーターの速度が速すぎて、声はすれども姿は見えず。たまに見かけても咄嗟に呼び止めることが難しく、しじみを買えた獣は滅多にいないという謎の物売りです。
ごくたまに、休憩か何かで停車しているスクーターを見つけて、無事しじみを買えた獣も居るには居ます。が、誰もが噂のしじみ売りに遭遇した驚きと焦りで、「し、しじみ○○グラム下さい!」などと言うのが精一杯で、何故あんな速度で飛ばしているのか、果たして里に毎週来るほどの売り上げがあるのか、訊ねることが出来た獣は未だかつておりません。
しかもどうやらこのしじみ売り、里に住んでいる獣ではなく、人里からやってくる人間であるらしいので、彼に関する謎と疑問はさらに深まるばかりです。
(ちなみに彼の売り歩くしじみは、身が大きくて味も濃く、本当にたいそう美味しいという話です)
【 ワニ椅子 】
公園にはお馴染みの、背もたれのない木製ベンチは、何故か里では昔から「ワニ椅子」と呼ばれています。
いわれなどは特になく、単に足が短く胴が長いその形がワニっぽいというだけのようですが、「因幡の白兎」の「ワニ(鮫)」との混同からか、「兎、もしくは白い毛並みの獣が座るとハゲる」という不吉な噂が囁かれています。
とはいえ実際に禿げた白毛の獣、ことにベンチとの因果関係が認められるケースは未だ確認されておらず、現状のところ、単なる迷信の域を出ない噂であるということになっています。
【 下駄椅子 】
上のワニ椅子に似た噂話のバリエーションです。
テーブルを挟んで向かい合う形に、二脚のベンチが一体型に取り付けられたものは、短い突っかけサンダルに似ているというその形状から「下駄椅子」と呼ばれています。(この時点で「サンダル椅子」じゃないのかよ、と突っ込みたいのですが)
その呼称のせいか、斜めに二台が設置されることの多い配置デザイン的な問題か、時折「前後の位置が入れ替わっている!→誰かが履いて歩いたのだ!」という突飛な噂が、子獣を中心に流れることがあります。
里にはそれほどの大型獣が居住していないことや、そもそもベンチが地中に埋め込み固定されていて動かすことは困難であることから、里伝説のひとつとして一笑に付されています。
【 追ってくる土人形 】
帰宅を願って玄関先に置かれるお守りの土人形ですが、近年になって「人形が動く」 「対象の獣が人形に追いかけられた」等の奇怪な噂が囁かれています。
噂の発生源は、主に迷子や、遊びで帰宅が遅くなりがちな子獣で、気配を感じて周囲を伺うと人形が草むらから見つめていたとか、それで怖くなって遊びを切り上げ、帰ろうとする道すがら振り向くと、やっぱり背後に人形がいた、などと伝えられています。
中には、ぴょんぴょんと跳びはねて人形が追ってきた、と帰宅するなり泣いて訴えた子獣もいたそうですが、問題の土人形は置いたのと同じ場所(玄関先)で割れており、家族からは「子獣の乱暴なドアの開け閉めでぶつかって壊れたのだろう」という報告がなされました。
しかし奇妙なことに、そのような噂が立つ場合、使われた人形はほぼ幸猫が製造・販売したものであり、まだ明かされていない幸猫の得意な猫チカラによるものではないかとの風説も囁かれておりますが、その真相は未だ明らかにされておりません。
【 サラワレル 】
主に風の強い日に、小さい種族の仲間や子獣が空中に巻き上げられるのは、単に飛ばされているのではなく、実はUFO(宇宙人)に誘拐されようとしているのだ、という伝説です。浮いた状態の「サラワレル」に対応して、そのあと落下することを「カイホウサレル」という言い回しもあります。
勿論、実際には宇宙人の仕業などではなく、たまたま大きく浮き上がったり、遠くへ飛ばされたりしただけであるというのが公式の見解ですが、それでも時折風の強い日には、この伝説を信じる子獣がうっかり飛ばされて転がりながら「きゃ~~、サラワレル~~!」などと叫んでいるのが見かけられます。
【 女子アナはハクビシン 】
テレビのニュース番組などで登場する若い女性アナウンサーは、実は人里で就労しているヒト化したハクビシンではないか、という噂話です。特定の誰か一人という訳ではなく、鼻筋が光るようなメイクを施している女子アナは皆そのように噂されます。
元々はテレビで人里の番組を見ていた獣達の誰かが「このヒトってハクビシンじゃね? 鼻筋に白い線が入ってるし」と言い出したのが始まりです。それ以降、「いやあれは最近の人里での化粧法だろう」「獣チカラ不足とかで変身が不十分で、ヒト化しても模様が消せないんじゃないの?」「もしかして自分がハクビシンであることを我々に伝えようとしているのかも‥‥」などという激論が交わされたものの、勿論真実は明らかにならぬまま「人里の女子アナはその半分くらいがハクビシンである」という根拠のない定説が根付きました。
この件は獣の里においても些細な影響を及ぼし、里内テレビ局の求人面接の際にハクビシンの方が「アナウンサー希望です。鼻筋の通りには自信があります」とアピールするのが定番となりました。
【 雪の下には黒豹の死体が埋まっている 】
人里の「桜の木の下には屍体が埋まっている」という都市伝説に似た噂話です。
人里における噂の元ネタが梶井基次郎の小説であるように、里のそれはヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」が元ネタのようです。しかし数年前の雪解けの季節、実際に雪の下から黒豹の遺体らしきものが出てきた時には、里を上げての大騒ぎになりました。
もっともいざ調査してみたところ、それは人里で販売されている「丸ごと一頭の獣の毛皮」を模したフェイクファーの敷物を縫い合わせた中に骨格標本を仕込んだ偽物であり、里伝説を利用した誰かの悪戯であることが判明しました。
その犯獣は未だ捕まってはおりませんが、リアルに再現された里伝説のインパクトはあまりに強く、後々まで類似の悪戯が行われる原因となってしまい、毎年通報を受ける自警団の獣達をうんざりさせる事態に発展しました。
なお、「アザラシの死体が出てきた」という通報で現場を捜査したところ、アザラシのぬいぐるみの中にびっしりニシン漬け(※)が詰まっているという「うろ覚えでキビャックを作ろうとしたような何か」が出てきたことがあり、これは悪戯なのか勘違いで作られた保存食なのかと物議を醸しました。
(※‥‥実際のキビャックは小型の海鳥を詰めて作るものだそうです)
【 口から超音波 】
長老がパカッと口を開ける時は、怒りの超音波を発して目の前の獣にお仕置きする時だ!という噂話です。
長老が口から超音波を出せること自体は事実であり、レッドも以前、それで胃の中のポリープを粉砕・除去してもらったことがあります。しかしそれ以来、治療目的でもないのに長老がパカ口を開ける時は、怒りの超音波を発する時だ!という里伝説がまことしやかに囁かれるようになりました。
もっとも実際にそのお仕置き食らった獣は未だ誰もおりません。お叱りを頂くだけの心当たりのある獣が、長老を前にした時にびびって自滅するだけなのですが、「悪い子は長老が超音波で粉砕するよ!」などという決まり文句で子獣のしつけに重宝されることもあり、真偽の程は定かではないまま、いつしか伝説として定着しました。
【 口から超音波・その二 】
里では春の雪解けと共に、落とし物の発掘が始まります。善行カードのスタンプのため、落とし物を着服する獣はまずいません。
その上、そうした悪行に関しては、里では微妙に怖い話が伝わっています。たまに出来心を起こした獣が、後日突然長老に呼び出され、何事かとビクビクしていたところ、長老が突然くわっ!と口を開け、そのまま無言。何を言われるのか、何が起こるのか、全く解らぬままにびびった獣が「うわあすみませんすみませんごめんなさい!」と平謝りしたとか。
仮にそのまましらを切り通していたら、一体何が起こったのか、それを知る獣は誰も無いまま、それ以来、落とし物を着服する獣は誰一匹いなくなったとか‥‥長老にはまだまだ深い謎が隠されています。
【 鳥団のさえずり 】
ウグイスやカッコウの鳴き声は、繁殖期のパートナー募集の呼び声である、というのは、人里の皆様も知るところです。しかし、里においては皆が人姿になり、社会活動を営んでいます。住人の間にはそこそこの面識やネットワークがあり、見も知らぬ相手を探して鳴き声を上げる必要は、実はあまりありません。
とはいえ、人里で農業を営む方が「ウグイスが鳴いたら畑を起こす」という風習をお持ちのように、四季折々の鳥の声は、季節の移ろいを知るには欠かせないものです。
獣の里ではそのために「三月はヒバリ、四月はウグイス、五月にカッコウ」というように、気候に合わせたスケジュールを組み、鳥団が持ち回りでその歌声を披露することになっています。
まずは不慣れな若者に始まり、順繰りに熟練のご老人が歌声を披露するのですが、それを聞きながら「これは桜林(地名)の長男だね」「人姿だとイケメンなのに下手だな‥‥」「それって鳥的にはどういうポジションなんだろ」「今年のトリは一昨年引退したウグイス団の元団長かな」「鳥だけに」「山田くん座布団一枚持ってって」「にしてもさすがうっめえなあ!」などと鳥声マニアが語り合う様は、あたかも真打ち登場に沸く落語ファンのようです。
(なお「人員不足の際、オウム・九官鳥班のヒトが物まね要員として動員されている」という噂は、未だ里伝説コーナーにも載せられない流言飛語レベルの話ですので、まことしやかに広めないようお願いします)
【 脱皮の季節 】
イグアナ団を始めとする爬虫類の種族は、秋に一斉脱皮を行います。元々の種族的には、脱皮はこの時期ではなかった種類の者も、里の気候風土に適応してか、段々とこの時期に脱皮するようになってきます。
その皮は畑のいい肥料となるため、時期が近付くと、なるべく皆で都合をつけあい、大勢で畑に出掛けて一斉に脱皮を行います(同時に参加出来なかった者は、脱皮の皮をとっておいて、後で農協の肥料管理場へ持っていって有効活用します)。
色んな種族が入り乱れ、色とりどりの爬虫類が一斉に脱皮する様は壮観の一語に尽きます。その沢山の皮がふわふわと風に舞い飛ぶ様子は、まるで舞い降りる初雪のようで、里の獣に一足早い冬の訪れを知らせます。
また、普段の体色がどんなに違っても、脱皮の皮は皆同じ、白みを帯びた半透明で、「蛇もトカゲも、やはり同じ獣(爬虫類ですが)なのだ」と、感動と連帯感を新たにします。
(レッドイグアナの脱皮の皮だけは、何故かほのかに赤いので、その時はちょっと寂しい思いをします)
題名『はわわ~~』 画・幸猫氏
脱皮の図「はわわ~」
※幸猫氏の絵日記より、
イグアナ団の集団脱皮の図。
獣の里では、いつもの人里の住人以外の、交流のない外の方々が迷い込まないよう、 猫とイグアナが毎夜鐘を突き太鼓を叩き、結界の儀式を執り行っています。
ですが、それでも時々、偶然・または興味本位で里に紛れ込む人間や、人里に出掛けた獣を見ては 大騒ぎしてしまう外部の人間がいたりします。里の安寧を守るための基本方針として、 そういう人間の方々には獣となってもらい、新たな人生を歩んで頂くことになっております。 そうやって「人間が新たに獣となること・里の住人となること」を、里では「収穫」と呼んでいます。
【 収穫の儀式 】
満月の夜は、鐘太鼓に合わせて激しい踊りと祈りを捧げ、里に来た人間の方々を一夜にして獣に変える、 収穫の儀式が執り行われます。獣たちと共に、鐘太鼓に突き動かされて激しく踊っているうちに、人間は徐々に人としての過去を忘れ、新たな獣として生まれ変わるのです。
(年に一度は、そうして獣になった人間の数を数え、収穫を祝い、心新たに来年を迎える「収穫祭」も行われます)
また、里には他に、特殊な技術に優れていながらも、人間としての寿命を全うしようとしている方々を、優先的に獣としてお迎えし、寿命を延ばし、さらなる技術の研鑽に励んで頂き、それを学ぶという慣習もあります。そうやって里に来た人間の方は、儀式に参加しなくても、里自体の不思議な作用で、徐々に獣に変わっていきます(その場合やや日数がかかります)。
【 収穫王 】
年に一度の収穫祭の時、収穫した人数が最も多かった獣に送られる称号です。
毎年秋になると、キノコや山菜を採ろうと山に深入りし、遭難する人間のニュースが人里を騒がせます。「そうやって人間が山の食べ物を減らすから、熊が人里まで降りてくるのだ」と言って下さる人間の方もいて、獣達はそのご厚情に深く感謝しています。
ただ、そうやって里に迷い込んできた人間は、獣達にとって絶好の収穫対象でもあります。事実、歴代の収穫王は、ほぼ全員がこの時期に飛躍的に収穫数を増やしていますので、キノコ取りなどに出掛ける人里の方は、自分が収穫される可能性も考えてお出かけになる方がよろしいかと存じます。
人里の現在のクリスマスは、キリスト教の生誕祭の流れを汲むお祭り騒ぎになっていますが、 里のクリスマスはむしろ、キリスト教に習合される以前の、古い冬至祭(※)の流れを汲んでいるようです。

※付記:太古の人里では、北欧のユールやミトラ教の太陽の誕生日、ローマのサトゥルナリア等、地域は違えども冬至を区切りに豊饒や新生、死者を祭る儀式が広く行われておりました。キリスト教のクリスマスは、聖書には明記されていないキリストの誕生日を、上手くその時期にこじつけて、異教の祭りを取り込むことによって、宗教圏を広げていったのだとか。死者の祭りの方は、後に時期をずらして万聖節(ハロウィン)に習合されたそうです。
【 クリスマスツリー 】
現在は満月の夜ごとに行われている収穫の儀式も、太古の昔は年に一度、正にこの時期に行われていました。クリスマスツリーの起源は「生命の木」信仰によるもので、大樹に生贄(収穫物)を捧げ、吊るした名残であるという説がある通り、 里でも収穫した人間を木に吊るし、獣に変える儀式を行っていたと伝えられております。
しかし、やがて獣=仲間になる人間を強制的に吊るすのは、人間社会の習俗に由来する野蛮な行為なのではないか、という議論が交わされ、いつしか現在のように、鐘と太鼓と踊りによって獣化させる、月に一度の儀式へと変化しました。
それ以来、この時期の収穫祭は獣化の儀式ではなく、一年の収穫を祝う祭りとして形式化し、人間界と同じく、かつての名残としてツリーの飾り付けが行われるようになりました。
【 サンタクロース 】
人里のサンタクロースは、娘の結婚持参金を出せない貧しい家に金貨を投げ込んで窮状を助けたという セント・ニコラウスの伝説と、いい子にはプレゼントを、悪い子には罰や災いをもたらすという、 山羊(悪魔?)や猫や魔女の伝説が混ざり合って出来たものだそうですが、里のサンタはやはり後者に近く、プレゼントを渡す時の定番の仮装であると同時に、いたずら者の子獣を脅かし、お仕置きをする役目も担っています(その様子はちょっと秋田のナマハゲに似ています)。
【 クリスマスケーキ 】
これだけは、近年人里から持ち込まれた新しい風習です。
里の儀式としての由来や意味は何もないのですが、獣は総じてクリームや甘いものが好きなので、収穫祭のごちそうとして、広く受け入れられています。
秋に行われる大運動会は、里の獣の楽しみのひとつです。沢山の種族の獣たちが「ブチ柄団」「シマ柄団」「無地団」に分かれて、様々な競技を競います。
【 座布団 】
体格等の種族差の出にくい人姿で行われる、ごく近年始められた競技です。

1.厚手の座布団を高く積み上げ、その上に正座する。(枚数点)
2.各々の独創的なポーズ(あるいは規定のポーズ)を取る。(ポーズ点)
3.最後にその山から飛び降り、美しく着地する。(着地点)


という三段階からなり、それぞれの点数と合計点を評価します。そのため、総合優勝者とは別に 「枚数点のチャンピオン」「ポーズ点のチャンピオン」「着地点のチャンピオン」が出ることも多く、出場者それぞれが達成感を満喫できる楽しい競技となっています。
ちなみに競技そのものは、人里の人気テレビ番組「笑点」を真似て遊んでいた幸猫(とレッドイグアナ)が、高く積み上げた座布団から転がり落ちた際、猫らしくオリンピックの体操競技並みの美しい着地を決め、拍手喝采を浴びたところから始まりました。
【 うろ覚え競争 】
里の住人達はいかんせん大半が元々は獣なので、人里の文化・風俗に関する知識もちょっと曖昧です。その曖昧さを利用して、誰もが知っていそうなのに、意外とちゃんと覚えていない知識の正確さを競います。
「浦安在住のネズミの姿を描け」「青く太ましい未来の猫型ロボットを描け」(初級編)、「猫の全身図を描いた線画に、磯野タマ氏のガラを正確に再現せよ」(中級編)等が定番の出題ですが、いずれもなかなかの難問ですね。
なお、出題の正解はネットで確認されることが多いため、用意された正解自体が人間の勘違いである、といううろ覚えもよくあります。 そんな時獣達は、己の無知を噛みしめると共に、人間達も日々同じ間違いを乗り越えているのだという事実を糧に、 さらなる知識の向上を目指すのです。
【 借り物競走 】
人里でもおなじみのゲームです。「借りるもの」には、獣の里ならではの珍しいものが書かれることが多く、定番の出題には、「イグアナの脱皮した皮」「肉球のしっとりした獣」「カメの子供(40センチ以下)」「貧乳モデルのドリア絵図」 「願いの叶ったまじないフォーク」などがあり、心当たりのものを所持する獣は、 競技の前に満を持して品物を用意しておき、探す獣に貸し出します。
【 ダンス 】
種族別の創作ダンスと、各獣入り乱れて行われる、運動会締めのフォークダンスがあります。創作ダンスは、獣の種族ならではのユニークな動きやステップが競われ、色柄別の美しい配列や、一糸乱れぬ尾の動きなどが観衆の目を楽しませます。
「タマ入れ」「丸太転がし」 に関しては、「娯楽」のコーナーの「遊び」をご参照下さい。
【 食の迷宮フェスティバル 】
人里で言うところの「ご当地B級グルメ」を、種族別バージョンにしたようなものです。
イグアナ団であればウチワサボテン、クマ団なら蜂の子、鳥団からはバッタ、カメ団ミドリガメ班からは(略)など「他種族の獣にはその美味しさが全く解らない独特の食べ物」を出品して、その迷宮度を競います。
勿論、他種族の方向けとして、昆虫系は佃煮や唐揚げに、サボテンはサラダにと「料理」としての体裁を整えたものが用意されますが、隣に原材料が展示されているので困惑もひとしお。そうして「勇を鼓して食べてみると美味しい。しかし積極的に食べたくはない‥‥」という葛藤が最も深かった料理には「迷宮杯」が、普通に美味しかったものには「美味杯」が贈られ、この両方を同時に手にした料理だけが「迷宮グランプリ杯」に輝くのです。(ちなみに今までグランプリは一度も出ていません)
【 十五夜 】
十五夜の夜、獣達は寄り集まって中秋の名月を鑑賞します。
お供えを用意し、長老の祭壇に祈りを捧げてから、獣達は三々五々広場に集まります。広場の中心には、この夜のために三宝を模して組まれた大きな舞台がしつらえられていて、そこでうさぎ団の中から選りすぐられた白うさぎの皆さんによる、組み体操に似た通称「うさぎピラミッド」の演技が披露されます。
うさぎの数は十二ないし十三で、人里の月見団子に見立てたものと言われていますが、団子が先なのかうさぎが先なのか、またその起源が何なのかはつまびらかではありません。
ともあれ、美しい月を愛でながら、お酒や団子と共にうさぎ団の演技を楽しむ秋の夜は、里の欠かせない行事のひとつです。
【 人里の祭り 】
季節の折々、里の平穏を願って長老の祭壇を囲んでは、大規模な祈りが捧げられ、その周辺には様々な出店が並びます。
逆に、人里の祭りに獣が屋台を出し、人里との交流を深めることもあります。その際は、獣たちも一応人間の姿をとって出掛けるのですが、振舞酒に酔って、うっかりしっぽを出してしまうこともしばしば‥‥しかし、馴染みの人里の皆さんは、あえて気付かぬふりでもてなしてくれるようで、里の住人はいつも感謝しております。