F7F タイガーキャット

  

       F7F 「タイガーキャット」
 
  
 1938年、アメリカ海軍は日本との戦争を視野に入れ建造計画にあった大型航空母艦(後のミッドウェイ級空母)で運用できる新型艦上戦闘機の開発をグラマン社に依頼しました。グラマン社は過去に、XF5Fと呼ばれる双発艦上戦闘機の開発、試作を行っており新型機に必要なノウハウは既に備えていました。

 アメリカ海軍がグラマン社に要求した条件は以下の通りでした。
  
   ○空母で運用できる双発戦闘機であること
   ○制空戦闘だけでなく、地上攻撃、対艦攻撃もこなせること
   ○可能であれば、航空魚雷の搭載も可能であること

 要求だけ見れば、必要なのは戦闘機なのか、雷撃機なのか、困惑しますが、先に開発されたXF5Fはそれが可能な潜在能力を持っていました。対日戦勃発の半年前の1941年6月には早くも原型機2機の契約が結ばれ、設計チームは先に開発されたXF5Fをベースにさらなる新型機開発に乗り出しました。



 機体は艦上機としては珍しい中翼配置(主翼が胴体を前から見たとき中部に位置する主翼構造)で設計され、武装は機首に12.7mm機銃が4門、さらに主翼には20mm機銃が4門というF6Fヘルキャットをも凌ぐ大火力を備えていました。機体サイズは当時としては大型機の範疇(P-47よりもまだ大きい)に入り、従来の空母では発艦できないであろうと考えられました。ただし搭載されたエンジンは2000馬力と高出力であり、最大速度はF4U「コルセア」P-51「ムスタング」よりさらに高速の時速740kmを出せました。

 
 1943年11月に初飛行を迎え、F6Fを大いに上回るスピードと機動性を軍関係者にまざまざと見せつけました。これだけの高性能機ならば、すぐにでも量産に移り実戦配備すべきでしたが、軍の反応は意外でした。先に採用されたF4F「ワイルドキャット」とF6F「ヘルキャット」、TBF「アベンジャー」の生産を優先させるよう、通達を出したのです。無論、F7Fも制式採用されていたので、生産は続けられていたのですが、配属先は海兵隊であり、艦上戦闘機としての出番が回ってくることなく、終戦を迎えました。


 対日戦終結後の1946年10月まで、生産は続けられ、一部の機は朝鮮戦争で運用されました。しかし、最大速度が時速740kmという超高速戦闘機は着艦時の着陸速度が速すぎることが問題(あまりに飛行機の速度が速いと、航空母艦の飛行甲板をオーバーシュートしてしまい、着艦できない)となり、艦上戦闘機としての運用は夜間戦闘機としてマイナーチェンジをした機体に留まりました。

 高性能機でありながら、F4FとF6Fの栄光の陰にいた不運の艦上戦闘機でしたが、退役後は民間に多くが払い下げられ、「森林火災消火機」という平和利用で長い余生を送ることになりました。



性能諸元   (F7F-3型)  

 全長; 13.83m
 全幅;  15.70m
 全高;  5.05m
 正規全備重量; 11700kg
 エンジン; プラット&ホイットニー R-2800-34W「ダブルワスプ」空冷複列18気筒 2100馬力×2基
 最大速度; 740km/h 
  武装;  12.7mm機銃×4、20mm機関砲×4
  爆装;  航空魚雷×1、227kg爆弾×2など

              



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