飛行機には多くの種類が存在するように、空へ飛び立つ方法にはいくつか種類があります。例えば、このページでご紹介してきたような自力で滑走して揚力を得て飛び立つ方法、カタパルトを利用して強制的に打ち上げる方法、後は機体の下部にフロート(浮舟)を付けて水上を滑走して飛び立つ方法があります。
第一次世界大戦後のレースや民間での運用では陸の飛行場から飛び立つよりも、波の静かな湾内や湖から飛び立つ方式が多くヨーロッパでは水上機レースが盛んに行われていました。(宮崎駿監督のアニメ「紅の豚」の時代)名機スピットファイアを生み出したスーパーマリン社も水上機メーカーの最大手の一つでした。これほどまでに水上機に注目されたのは陸上機に比べて扱いやすい点が考えられます。
・陸上で運用するのに必要な主脚などの技術が未熟な時代は、水上での離発着の方が簡単だった
・静かな水面さえあれば、水上機に滑走路は必要が無い
・カタパルトを装備していれば、空母でなくても飛行機が運用できる
事実、空母とその艦載機が海戦の要となっても、水上機は運用されていましたし、21世紀の現在でもレジャーや海上救難機として各国で使用されています。
航空機史を紐解くと、各国で実に多くの水上機が開発されています。戦闘機や偵察機、攻撃機などがありましたが、特に大きなものは飛行艇と呼ばれました。日本もその例に漏れず、多くの水上仕様の航空機が開発されました。今回はその中でも最優秀と誉れ高い二式大艇をご紹介します。
昭和13年、日本海軍は川西航空機の開発した日本発の大型飛行艇「97式飛行艇」を制式採用しました。この97式飛行艇は欧米諸国の海軍が配備していた標準的な飛行艇よりは高性能なものでしたが、開発には4年余りを要しました。
この事実から日本海軍は後継機の開発も同等の時間がかかると想定し、後継機の開発指示を川西航空機に出しました。要求条件は以下のような無いものねだりに近いレベルのものでした。
・最高速度が444km/h以上。(これは当時の主力戦闘機の最高速度とほぼ同速)
・航続距離は偵察装備で7400km、爆装で6500km以上。
・20mm機銃を多数装備できて、防弾装備を持つこと。
・飛行艇でありながら、操縦性が良好であること
しかし、川西航空機は設計主務に菊原静男技師(前機種の97式飛行艇、紫電・紫電改の設計を担当)を据えてこの要求に立ち向かいました。
速度を生み出す原動力には当時最強のエンジンであった火星エンジン(後の局地戦闘機「雷電」に装備)を採用し、機体設計も高速を出せるように細長い主翼とスマートな胴体、材質は当時最新鋭戦闘機「零戦21型」に採用されていた超ゝジュラルミンを使用しました。
また、操縦性向上には川西航空機独自の特殊フラップ(親子フラップ)が採用され、荒れる海面からの離水も想定される条件であったため、胴体前面下部には波消し装置が装備されました。
設計を手がけた菊原技師は新機軸の技術を積極的に取り入れていた気質の人物であった逸話とのも残されており、二式大艇は外骨格的な構造が取り入れられていました。機体の強度を機体外装で高めるやり方で、防弾性増強に貢献したという話が残されています。
基礎研究開始から2年後の昭和15年には試作機は完成し、社内での長期間にわたる試験・改修の末に昭和17年に制式採用されました。世界各国でも大型飛行艇は開発が進められていましたが、この二式大艇の性能に匹敵するものは存在しませんでした。大型でありながら、400km/hを超える高速、多少撃たれてもビクともしない防弾性能と零戦に装備された20mm機銃は連合国側から「恐るべき機体」との評価を受けました。
長大な航続距離は様々な作戦を可能にしました。例えば、真珠湾攻撃後の第2次ハワイ空襲(さほどの損害は与えられなかった)、ミッドウェイ海戦直前のハワイ偵察(これは失敗し、後の空母4隻喪失という敗北につながる)などが挙げられます。積載量も2トンと膨大なもので雷撃、爆撃、対潜などといった用途以外に輸送専門に改造した「晴空」という輸送タイプや座席を設けた人員輸送タイプも製造されました。
大戦前半には活躍した高速・重武装の二式大艇といえど制空権を失った激戦地の南方の空は危険極まりないものでした。戦争後半はその多くが撃墜され、終戦時にはたった4機しか残っていませんでした。しかし、同じ大型機の中でも一式陸攻などと比較すると、連合国にとっては返り討ちに逢う危険な機体でした。この記事の編集期間に真偽の確認はできませんでしたが、B-17などの大型爆撃機を撃墜したなどの武勇伝が残されています。(フィクションですが、松本零士のザ・コクピットシリーズに「大艇再び還らず」というストーリーがあります。劇中ではB-17と撃ち合いの末、B-17に馬乗りになってこれを海に沈めてしまうという荒業が描かれています。)
終戦後、アメリカの技術調査団による調査が開始されましたが、あまりの高性能にアメリカ側は驚愕したといわれています。当時主流であったベストセラー機「PBYカタリナ」は二式大艇の足元にも及んでいなかったのです。
戦後、日本の技術が戦後のアメリカの大型飛行艇に生かされることはありませんでした。第二次世界大戦で陸上機はあまりに進化しすぎてしまい、水上機でなければ補えない弱点が克服されてしまったからでした。またヘリコプターの登場も飛行艇の存在を脅かす存在でした。しかし、離島の多い日本では船やヘリコプターでは補えない場面が多いことや、海難救助の場面ではヘリコプターより役立つことも多いことから、日本では海上自衛隊などで未だ運用されています。
海上自衛隊が運用している大型飛行艇の名は「新明和PS-1」。新明和工業とは川西航空機が戦後生まれ変わった姿です。二式大艇をスタートとしたこの機体は何度も進化を遂げ、現在は「US-2」という世界20カ国から打診を受けているというすばらしい機体です。
事実、US-2の父とも言うべき二式大艇の設計は航空史上まれに見る名設計と呼ばれ、飛行艇設計の世界では未だこれを超える設計は生まれていません。
性能諸元
全長; 28.12m
全幅; 37.98m
全高; 5.82m
正規全備重量; 24,500kg
エンジン; 三菱「火星」22型空冷複列星形14気筒 (離床馬力1680馬力×4)
最大速度; 444km/h (高度5000m)
武装; 20mm旋回機銃×5 7.7mm機銃×4
爆装; 最大 2000kg