十七試艦上戦闘機 「烈風」
     
       十七試艦上戦闘機「烈風」

 零戦が中国戦線で世界最強の主力戦闘機として喝采を浴びていた裏で海軍は昭和15年末、三菱に対して零戦の後継機開発を指示しました。

零戦の開発成功で味をしめた海軍の要求はやはり欲張ったもので

「最高速度は時速630キロ以上、離陸してから高度6000mまで6分以内で到達できること、武装は20ミリ機銃と13ミリ機銃を2丁ずつ、この性能で空母で運用できること」

と三菱の技術陣の頭を抱えさせる難題でした。しかし、この当時仮想敵国であったアメリカでは次期艦上戦闘機として開発の進んでいた「コルセア」がテスト飛行で時速650キロを軽く突破しており世界レベルではむしろ標準とされる性能要求でした。

 この要求に対し、三菱は開発不可と回答を出しました。その理由として量産の始まった空母運用タイプの零戦21型の初期トラブル対応、2号零戦(通称「零戦32型」)や局地戦闘機「雷電」の開発で設計チームが手一杯であったためでした。残る民間大手といえば中島飛行機と川西航空機位のものでしたが、中島飛行機は長距離双発戦闘機「月光」の開発に忙殺され川西航空機は艦上戦闘機の開発実績の無い水上機メーカーでした。

 零戦32型と雷電の初飛行が終わり、三菱の主力設計チームに一段落のついた昭和17年4月、次期主力艦上戦闘機の開発命令が内示されました。しかしその開発には前途多難な出来事が起きます。

 一つ目はエンジンの問題でした。海軍からの要求を達成するのにエンジンは最低でも2000馬力は必要でしたが、当時の日本では実用段階の2000馬力級エンジンは存在しませんでした。あるとすれば、中島飛行機で実用試験中の新型エンジン「誉」(陸軍では「ハ-45」と呼称)か三菱航空機が自社開発していた新型エンジン「ハ-43」しかありませんでした。採用するエンジンを巡って海軍と三菱の意見は対立し、試作1号機の初飛行は昭和19年4月にまでずれ込みました。

 このエンジン採用の背景は海軍の推す「誉」エンジンと三菱の推す「ハ-43」エンジンの完成度にありました。開発スタート時、「誉」エンジンは軍採用が決まり、各種新型機に搭載してのテスト段階でしたが三菱の「ハ-43」エンジンはまだ実験段階でした。しかし三菱のエンジンは完成すれば「誉」エンジン以上の高出力が期待されました。しかし、海軍は日に日に悪化する戦況でエンジンのために新型機完成を待っていられない事情もあり、最終的には三菱が折れる形で「誉」エンジンの採用が決まりました。

 二つ目は設計主任であった堀越二郎技師の不在でした。零戦シリーズの改修と新型局地戦闘機「雷電」の不具合対処で過労となったため堀口技師は「烈風」設計チームから身を引く結果となり、開発遅延に拍車を掛けることとなりました。


 エンジンは設計チームの望まない「誉」エンジン、主任設計者の不在と設計チームは厳しい試練を与えられましたが、昭和19年4月無事初飛行を迎えました。海軍の主力戦闘機メーカーの頭脳集団だけあり、零戦に勝るとも劣らない運動性を試験飛行で披露しました。しかし、要求条件の一つでもあった最高速度は零戦21型に劣る時速520キロ、高度6000mに到達するまで10分もかかるという海軍・三菱両者にとって悪夢のような結果に終わり、試製烈風は不採用となりました。


 しかし、飛行試験に納得のいかなかった三菱の設計チームはテスト機に搭載された「誉」エンジンの出力不足を疑い、エンジンの出力テストを地上で実施しました。テストの結果、テスト機に搭載されていたエンジンは定格の8割程度しか出力のないエンジンであることが判明し、三菱はこの結果を海軍に報告しました。海軍は三菱の提案した「ハ-43」エンジンでの開発続行を指示し、「誉」エンジンを搭載した試製烈風は歴史から姿を消しました。

 三菱はこの時点でエンジンを自社製新型エンジン「ハ-43」を搭載する目的の烈風も同時進行していました。もともとは三菱独自の実験機で海軍からの審査対象ではないものでしたが、「誉」搭載タイプが不採用となっため、自社エンジンを取り付け試験飛行を行ったところ最大速度は時速630キロを記録し十七試艦上戦闘機としての要求をほぼ満たす結果となりました。零戦と模擬空戦をした結果も上々でフラップの改修次第では零戦を超える戦闘機となるのは確実でした。おそらくこの結果から「烈風」は零戦の後継機と語り継がれたものと思われます。

 しかし、機体もエンジンも試験段階であった烈風は生産と実用に向けた改修が必要となり、制式採用が決定したのは敗戦も間近に迫った昭和20年6月のことでした。この頃には生産拠点はB29の空爆でほぼ壊滅しており、数少ない工場も紫電改の全力生産に振り向けられて、量産→実戦配備は絶望的な状況となっていました。結局試作機が数機完成した状態で敗戦を迎え、その真価は発揮されることはありませんでした。


 アメリカの技術調査団も零戦の後継機「烈風」には大いに興味をもっており、調査対象としていました。しかし事故もしくは爆撃で飛行可能な試作機は存在せず、アメリカで飛行試験が行われたという記録は現在残っていません。


 架空戦記では「烈風」、「秋水」、「震電」、「富岳」(計画で頓挫した超々重爆撃機)の大抵どれかが登場します。フィクションとはいえ、敗色濃くなった戦局に大量に、抜群の工作水準で作中に登場します。史実なら旧式機とされる零戦ですら設計開始から初期量産機が実戦配備されるまでおよそ3年。ここまでいくともはや妄想戦記といえるのではないでしょうか?


性能諸元 (烈風一一型 )      


 全長; 10.98m
 全幅;  14.00m
 全高;  4.23m
 正規全備重量; 3267kg
 エンジン; 「ハ-43」 (離床馬力2200馬力×1)
 最大速度; 624.1km/h (試作機の実測値)
  武装;  
20mm機銃×4



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