二式複座戦闘機「屠龍」
    
      二式複座戦闘機「屠龍」

 1930年代、列強各国の航空技術者達の間で万能双発戦闘機開発競争が激化していました。

この流行が発生した根拠には

・双発機は単発機より航続距離が長く、長距離爆撃機に目的地まで随伴して護衛することができる。
・運動性は単発機に劣るが、二基のエンジンによる大出力で単発機を上回る高速を狙える。
・機関銃もしくは機関砲を機首に集中装備できるが、これをカメラに変えれば偵察機としても運用できる。
・大出力と大柄な機体により、爆装して爆撃機としての運用もできる。

 結果、一機種で戦闘/爆撃/偵察等何役もこなせる効率的な機種が得られると彼らは考えました。現在の双発ジェット戦闘機はまさにこの根拠に根ざした機体ですが、レシプロ全盛時代はエンジンは主翼上に配置され、空気抵抗を増やすなど設計は困難を極めました。

 同じ頃、この風潮に乗り遅れまいと日本陸軍は昭和12年、主要航空機メーカーに対して双発戦闘機の研究・開発を命じました。この開発競争に勝ち残ったのは三式戦「飛燕」五式戦を産み出した川崎航空機でした。昭和12年12月、実物大の模型で陸軍の審査をパスすると、「キ45」として試作機開発の指示が出ました。エンジン2基装備による重量増加と空気抵抗の矛盾を解消しながらの紆余曲折を経た後、昭和14年1月、キ45は初飛行を迎えました。

 しかしこのテスト飛行の結果は要求性能に遠く及ばず軍関係者を落胆させた後に、不採用となりました。この原因としては選定したエンジンの安定性に難があったこと、機体設計そのものにも欠陥があり、失速する可能性すらはらむ危険なものでした。しかし、双発複座戦闘機の実用化を強く希望する陸軍は開発継続を指示しました。


 これを受けて川崎航空機は設計主任を飛燕、五式戦の設計者である土井武夫技師に替え、エンジンをより実績のある高出力エンジンを採用して再設計にかかりました。エンジン換装型の改良機はテスト飛行で好成績を残しました。この結果を受けて陸軍は高出力エンジンを使用すればさらに性能向上が期待できると考え、さらなる設計改良を指示しました。この要望に対し、エンジンはさらに強力なハ-102(最大速度600キロを越す百式司令部偵察機に採用された)に交換し、主翼にも設計変更が施されました。この機体は不採用とされたキ-45とは格段の進化を遂げており、もはや別の機体となっておりキ-45改という名称になっていました。キ-45改の試作機は昭和16年9月に完成し、テスト飛行を繰り返した後の昭和17年2月に二式複座戦闘機として制式採用されました。最初の不採用から3年かけて汚名返上を果たしたのでした。


 昭和17年6月から前線に配備されましたが、高速の単発戦闘機には勝ち目が無く零戦にとっては絶好のカモのように侮られていたP-40「ウォーホーク」に惨敗を喫しました。戦闘機部隊では評判は悪く、カタログデータ(メーカー公証性能)が出ず大型爆撃機迎撃にしか使用されませんでした。また、この長距離爆撃機に護衛機が随伴していると、この護衛機に逆に撃墜されるケースも発生しました。唯一歓迎したのは爆撃任務を持つ部隊だけでした。


 大型爆撃機相手の戦闘能力は本土防空戦で開花しました。搭載能力に余裕のあったキ-45改は37o戦車砲や海軍で着実な戦果を挙げていた斜め機銃などを搭載した派生型がいくつも開発されました。1万メートルの高高度に上昇するために燃料や弾薬を減らしたり、偵察員席を撤去したりしましたが、最後に行き着くのはパイロットの腕にかかっていました。

 昭和20年からはアメリカの戦略方針切り替えで低高度での無差別爆撃が敢行されるようになりました。この時期には機首に装備された大口径砲や斜め機銃を駆使して戦果を重ねましたが、B-29を完全に阻止するには戦闘機の性能も数も、パイロットの数も錬度もアメリカに大きく水を空けられていました。昭和20年4月、硫黄島の陥落によってP51がB-29に随伴するようになると、完全にその行動を封じられてしまいました。

 しかし、龍を屠(ほふ)るという「屠龍」の名前は伊達ではなく、対爆撃機戦闘で他機種を凌駕する戦果を挙げたのは紛れも無い事実でした。


性能諸元

 全長; 11.00m
 全幅;  15.02m
 全高;  3.70m
 正規全備重量; 4000kg
 エンジン; 三菱一式(ハ102)空冷複列星形14気筒 公称1,050馬力×2基
 最大速度; 545km/h 
  武装;  
37mm機関砲×1、20mm機銃2挺(斜め機銃)、7.7mm機銃1挺(後方旋回式)     



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