ここは、こわくないところ
- 2016/02/09 21:53
- カテゴリー:FF
二匹の獣人が初めて食事を口にしたのは、ラグナが彼等をサバンナから連れ帰って、四日後の事だった。
耐えても耐えても消える事のない、寧ろ増すばかりの空腹の傍ら、目の前には如何にも美味そうな匂いの肉。
未だ見慣れない環境に警戒心は消えずとも、それよりも空きっ腹の方が辛くなったのだろう。
先に決心したのは兄の方で、距離を取って見守るラグナ達を警戒しつつ、四足になって、じりじりと肉の乗った皿に近付いた。
ラグナ達が近付く素振りを見せれば、それだけで直ぐに逃げられる姿勢で、兄は肉に鼻を寄せ、くんくんと安全を確かめる。
肉は毎日新しいものに取り換えていたので、匂いも良く、兄の腹が鳴った。
兄は肉の端をぺろりと舐めた後、塊の端を噛み、ずるずると肉を引き摺りながら後退し、弟の元へ戻った。
新鮮で柔らかい肉は、弱り切った彼等の牙でも容易く千切れ、噛み切る事が出来る。
兄がはぐはぐと肉を食べ始めたのを見てから、弟も怖々と顔を寄せ、兄の真似をするように、ようやく食事にありついた。
最難関とも言える最初の垣根を越えた後は、兄弟はもう迷わなかった。
彼等は、一体いつから、腹を空かせていたのだろう────ラグナがそう思う程、彼等はあっと言う間に肉を平らげると、今度は水を空になるまで飲んだ。
水は動物用の深い餌皿に入れていたのだが、二匹は其処に顔を突っ込ませて水を飲んでいた。
顔をびしょびしょに濡らしながら水を飲み干した後は、お互いの顔や体の毛繕いを始める。
そして、一頻り身嗜みを整えると、二匹は寄り添って丸くなり、すやすやと眠ったのだった。
翌日からは、兄弟の様子が少し変わった。
相変わらず警戒心はあるものの、ラグナ達がゆっくりと近付く分には、逃げないようになったのだ。
兄の肢の傷の手当てにも理解を示している節があり、ラグナに抱かれている状態であれば、大人しく処置を受けるようになった。
弟は触られると威嚇し、牙を剥き出しにするが、兄がそれを宥めるようになった。
どうやら、兄の方は、此処が危険な場所ではない事と、ラグナ達が自分に危害を加えるつもりがない事を理解したらしい。
兄が少しずつ警戒心を解いて来ると、弟もそれに伴うように、少しずつ警戒を解いて行った。
元が臆病な性格なのか、弟は中々ラグナ達に触れさせる事はないが、兄と一緒なら少し大人しくなる。
食事も与えられるものを素直に食べるようになり、暇潰しに玩具で遊ぶようになった。
クッションを噛み千切ったり、振り回したりと言う姿は、動物の子供のようにも、二歳か三歳のヒトの子供のようにも見える。
実際、どちらととっても、彼らは子供であるから、その印象は間違いではないのだろう。
機関の上層部は、兄弟を野生に返すか、さもなくば研究部門に移すように要請して来たが、ラグナは頑として断った。
幸い、ラグナ達の上司は話の分かる人物で、兄弟の成長の記録を、生態調査の一環として報告書に出す事を交換条件に、ラグナが彼等を引き取る事を許可してくれた。
獣人の成長過程は、固体やモデルによって様々な差異が生まれる為、あまり研究が進んでいない。
人工保育の例も少ない為、これにラグナが貢献すると言う形を作れば、獣人保護と言う機関の目的を逸脱せず、彼等と共にいられるだろうと提案してくれたのである。
兄弟を引き取る代わりに、現地調査員から下ろされる形となって、ラグナは施設に足を運ぶ事が少なくなった。
彼と共に調査に出る事を楽しみにしていたキロスとウォードは、些かそれを寂しいと思ったが、ラグナ自身が兄弟の世話をすると決めたのだから仕方がないと割り切っている。
が、賑やかしの彼に逢う事は、生活において欠かせないスパイスであったので、二人は週に一度はラグナの下を訪れていた。
一人暮らしの男が住むには、些か大きな部屋を持つマンションが、今のラグナの自宅である。
リビングにはシンプルなソファとローテーブル、壁にかけた薄型テレビと、壁にネジで固定された本棚が備えられていた。
キロスとウォードは、ラグナが此処に引っ越してから、既に何度も足を運んでいる。
が、その時は本棚が壁に固定されている事はなく、ローテーブルはあっても、ふかふかとしたすわり心地の良いソファ等は置かれていなかった。
本棚はラグナが三週間前に日曜大工で固定し、ソファは二週間前に買ったものが、先日ようやく届いた所である。
そのソファに並んで座るキロスとウォードの前に、淹れ立てのコーヒーが置かれた。
それらを運んできたラグナはと言うと、ローテーブルを挟んで、カーペットの床に腰を下ろす。
「───彼等の様子はどうかな?ラグナ」
コーヒーを片手に訊ねたキロスに、ラグナはリビングの奥の扉を見る。
扉の向こうは寝室になっており、ラグナが引き取った獣人の兄弟は、専ら其処で過ごしている。
「大きな問題は今んとこないな。順調って言って良いのかも判らないけど」
「そうか?見た所、生傷が絶えないようだが」
ウォードの指摘は最もだった。
ラグナは明るい表情を浮かべてはいるものの、頬や額には細かな傷が浮いている。
シャツの袖を捲り上げた腕も、引っ掻き傷や噛み跡が残っていた。
だがラグナは、傷のある袖を摩りながら、可愛いもんだよ、と笑う。
「最初の頃に比べれば、加減してくれるようになったんだ。血が出る位に噛む事はなくなったし」
「爪を切ってやってはどうかな。尖りがなくなるだけで大分違うだろう」
「それはやろうと思ってるんだけど、一回やったら、その後から凄く嫌がるようになっちゃって」
「じゃあ爪研ぎに使えるものを買うのはどうだ?」
「売ってる物は幾つか試したんだけど、すーぐダメになっちゃうんだよ」
言いながら、ラグナは台所に向かい、ゴミをまとめている袋を漁った。
見付けたもの───兄弟の為に購入した爪とぎ板を引っ張り出し、友人達に見せてやる。
それは長年使い古したかのようにボロボロで、使い物にならない有様になっていた。
「一週間くらいでこの有様でさ~」
「……流石は“ライオン”モデルと言う事か」
「子供と思って侮ってはいけないな」
“モデル”とは、それぞれの獣人の動物的特徴を捉え、類似している動物の事を指す。
ラグナが引き取った二匹の獣人の兄弟は、共にライオン種である事が判った。
ネコ科の動物の特徴である瞳や、丸い耳、先端に毛束を備えた尻尾など、判り易い特徴もあったので、予想はしていた。
人間としても、動物としても、兄弟はまだまだ幼い。
故に、半分は猫の獣人を見ているような気持ちでいたラグナ達だったが、生活してみると、随所に猫とは違うパワーを感じる事があった。
爪とぎ板の有様は正しくそれで、普通の小さな猫用に作られた道具では、耐久性が足りない。
幼い故に力加減もまだまだ疎いようで、じゃれているつもりで相手に怪我をさせる事も儘あった。
「爪とぎはまた考えるとして……噛むのはどうだ。牙は折る訳にも行かないから、早めに力加減が出来るようにならないと」
「あ、それは大丈夫。この間、スコールがレオンに甘噛みのつもりで怪我させちゃって、少し血が出たんだけど、それが切っ掛けでお互いに力加減が出来るようになって来たんだ」
キロスの問いに、ラグナは眉尻を下げながらも応えた。
今から一週間ほど前の事である。
兄弟がいつものようにじゃれあっていると、何かの弾みで、弟が兄の腕───前足と言った方が正しいのだろうか───に牙を突き立ててしまった。
堪らず兄が悲鳴を上げると、弟も直ぐに牙を抜いたが、兄の腕からは血が出ていた。
直ぐにラグナが手当し、大事にはならなかったものの、どうやらこの出来事が、弟には酷く印象強く残ったようで、また兄に怪我をさせる事を怖がり、一時的に、自分から兄にじゃれつく時間が減った。
兄がそれを寂しそうにしていたので、ラグナが間に入って仲直りさせ、ようやくいつも通りに遊ぶようになった。
それ以来、弟は、兄に対しては勿論、ラグナに対しても噛む時には力加減をするようになった。
まだまだ加減の具合が判らないようで、時折牙を突き立ててしまう事もあるが、ラグナが「いてっ」と声を上げると、直ぐに噛んでいる口を放すようになったのだ。
兄の方はと言うと、ラグナが引き取る以前から、ある程度の力加減は出来ていた。
パニックや弟の危機と言う状況でなければ、やたらと牙を立てる事はなく、爪も引っ込めている。
恐らく、弟とじゃれている時、彼を傷付けないようにと気遣う内に、自然と身に付いたのだろう。
「獣人種は賢いと言うが、大した学習能力だな」
「ああ。あの二人、きっとすごーく頭が良いぞ。最近じゃテレビも見るようになったんだ」
「テレビを?何の番組を見ているんだ?」
「取り敢えず、子供向けのチャンネルに合わせてる」
ラグナの言葉に、妥当だな、とキロスが言った。
獣人種が人間社会で生きていく場合、幼児向けの教育から始める事は多いと言う。
ラグナは子供を育てた経験がないので、子供に何を見せれば良いのかは判らない。
だが、子供向けの番組なら、ニュースや小難しいバラエティよりも面白いだろう。
野生で生まれ育った兄弟は、人間の言葉もまだ理解できていないし、動きや音などと言った判り易いマークがあった方が良い、とも思っての事だった。
他にも、ラグナは何かを見付けては、兄弟に話しかけるようにしている。
その甲斐あってか、賢い兄弟は、徐々に人の社会での過ごし方を覚えつつあった。
────カチャ、とリビングの奥から音が鳴った。
音の出所を三人が見ると、寝室の扉のノブがカチャカチャと音を立てて動いている。
何度かノブが動いた後、キイイ、と蝶番が音を立てて、ドアが開かれた。
「おっ、レオン!」
「………」
ドアの隙間からそうっと顔を出したのは、獣人の兄───レオンだった。
レオンは、ラグナとキロス、ウォードの姿を捕えると、微かに瞳孔を開いて固まった。
丸い鼻先から口元にかけて、緊張した気配が滲んでいる。
そのままじいっと様子を伺うように見詰める兄に、レオンがおいでおいでと手招きする。
「レオン、こっちおいで。キロスとウォードだから、怖くないぞ」
「………」
ラグナに促され、レオンはゆっくりとドアを押し開けた。
「ドアが開けられるようになったのか」
「ああ。俺が毎日開けるのを見て、覚えたみたいなんだ」
感心するキロスとウォードに、「な?頭良いだろ?」とラグナは嬉しそうに言う。
レオンはそんなラグナの元に、そろそろと近付いて来る。
二本の足で、ゆっくりと。
施設にいた頃は、警戒姿勢であった事もあり、四足になってラグナ達を睨んでいたレオンであったが、最近は二足歩行で過ごす事が増えている。
二足歩行は、獣人には元から備わっている能力と言われている。
だが、野生で過ごす場合、多くの四足歩行の動物の方が動きが早い為か、獣人もそれに準じて四足歩行で過ごす事が多いようだった。
その為、野生の獣人の多くは、リラックスした状態でなければ、二足歩行で歩く事は殆どない。
レオンもそれに該当していたのだが、そんな彼が二足歩行で過ごす事が増えたと言う事は、ラグナに対して気を許しつつあると言う証でもあった。
レオンはラグナの隣に立つと、垂れた尻尾をぷらん、と揺らした。
三歳児程度の身長しかないレオンは、カーペットに座っているラグナと目線が近い。
じっと見詰める蒼灰色に、ラグナは朗らかに笑い掛け、レオンの首下をくすぐってやる。
「よーしよし。お昼寝終わりか?」
「…がぁう」
「そっかそっか。スコールはまだ寝てる?」
スコールとは、ラグナがレオンと共に名づけた、もう一匹の獣人の事だ。
兄弟の弟に当たるスコールは、いつもレオンの後を追いかけている。
レオンはことんと首を傾げ、きょろきょろと辺りを見回した。
ぴたっと止まった視線をラグナが追ってみると、開いたままの寝室の扉の隙間から、じっと覗き込んでいる蒼がある。
床すれすれの位置から睨むように見詰める蒼の持主が、スコールであった。
「スコール~。こっちおいで~」
ラグナが呼ぶものの、スコールは中々リビングに出て来ようとしない。
扉の隙間から見詰める瞳は、判り易く警戒を露わにしていた。
ぐるぐると喉を鳴らしているスコールに、ラグナが眉尻を下げる。
「参ったな。最近は大分慣れて来てくれたと思ったんだけど」
「俺達が怖いのかもな。普段は見ない奴が現れると、警戒するものだ」
「確かに。となると、私達はそろそろお暇かな」
そう言って、キロスはコーヒーを飲み干すと、ソファから立った。
続いてウォードもコーヒーを飲み干し、脱いでいた上着を取って、玄関へと向かう。
ラグナが二人を見送る為に玄関へと向かっていると、後ろをついて来る気配があった。
振り返って見てみると、レオンがラグナの後をついて来ている。
更にその後ろには、距離を取って、ソファやテーブルの陰に隠れながら、スコールが兄の後を追っていた。
玄関で靴を履きかえた二人も、ラグナを追って来る兄弟の姿を見付け、くすりと笑う。
「中々懐かれてるじゃないか、ラグナ」
「そっか?そんなら嬉しいな」
「良い事だ。お前にとっても今の生活は楽しいようだし、それが何よりだ」
兄弟に懐かれていると言われ、嬉しそうに顔を蕩けさせるラグナに、キロスとウォードも笑みを零す。
じゃあな、と手を振る旧知の友人に、おう、とラグナも手を振る。
ドアが閉まり、ラグナが鍵をかけてから踵を返すと、其処にはレオンだけでなく、スコールも並んで立っていた。
スコールはレオンの背中にぴったりとくっついており、緊張しているのだろう、尻尾が上向きに立って揺れている。
ラグナはその場にしゃがむと、二人としっかり目を合わせてから、両腕を広げた。
レオンとスコールはお互いに顔を見合わせた後、ゆっくりとラグナに向かって歩き出す。
─────ぽすん、とレオンの頭がラグナの胸に埋まった。
その隣で、スコールがまだ緊張した様子で固くなっている。
スコールはしばらく固まった後、兄の背中に身を寄せながら、片手でラグナのシャツを握った。
二匹の肉球が、にぎ、にぎ、とラグナの胸を押している。
ラグナは胸元に感じられるくすぐったさに鼻を膨らませながら、二匹を抱いて足を伸ばした。
「よーしよし。二人ともお見送り出来たんだな。偉かったな~」
寝室へと戻る道を歩きながら、二匹の顔に頬を摺り寄せる。
いいこいいこ、と褒めるラグナの耳に、くぁう、と欠伸が二つ聞こえた。
≫
段々慣れてきたようです。
スコールの方が臆病なので、どうしても怖がり。警戒心高め。
レオンの方は、手当して貰ったり、トラバサミから助けて貰ったりしたので、ラグナに対して警戒心低めになってます。