[サイスコ]情動本能
- 2018/08/08 21:35
- カテゴリー:FF
オメガバース設定です。
αサイファー×Ωスコール。
この世には、男女の性の他に、三つの性が存在する。
それぞれα、β、Ωと名の付くそれは、この世界において大きな意味と役割を生き物に課していた。
最も優良種と言われるαは、先天的にあらゆる才能に置いて秀でており、あらゆる分野でその存在は大きく珍重されていた。
政治家、学者、プロスポーツマン等、様々な業界の第一線で活躍する者は、大抵α性である。
人間的にも人を引き付ける魅力があるのか、芸能人で人気のある者も、多くはα性と言われていた。
また、社会的にもヒエラルキーの高い位置にある為か、その恩恵に肖ろうと思う者は多く、より良い遺伝子を残そうと言う種の存続への本能からか、様々な目的を持ってα性に近付く者も少なくなかった。
また、α性は男性、女性共に、両性の生殖器を持ち得ており、女性であっても他者を妊娠させる事が可能である。
最も一般的で、最も数が多いのが、β性である。
謂わば“凡人”ともカテゴライズされるβ性は、先天的な才能に置いてはαには及ばないが、かと言って劣等な訳ではない。
身体的特徴は、此処の生まれ持った性質の差を除けば、大きな違いと言うものはなく、ごく普通の生命体であると言って良いだろう。
殆どの生き物はβ性である為、人々の生活に置いて、βが存在しない環境と言うのは、ほぼ全くあり得なかった。
そして最も数が少なく、貴重な種とされているのが、Ω性だ。
身体的特徴や才能云々と言ったものは、αには及ばずともβには劣らず、ごく普通のものである場合が多いが、特筆すべきはその特殊な性質である。
Ω性には男女に限らず、自身が孕む為の生殖器が備えられており、男性であっても女性のように妊娠する事が出来る。
その性質により、古い時代には“Ω性=繁殖の為の性”と定義され、社会に置いて底辺の扱いをされていた事もあった。
現在は様々な社会運動によりこうした差別は薄れている───とされているが、実際には根強く残っており、Ω性である事を公言すると言う事は、己が繁殖の為の器である事を公言する事と同じとされた。
其処まで根強い差別意識が蔓延る理由の一つとして、Ωのみに見られる“発情期”がある。
一定の年齢まで成長したΩ性は、三か月に一度、一週間の発情期が起こり、その間発情している以外の事は何も出来なくなってしまう。
その時にΩ性が発する強烈なフェロモンは、α性やβ性、その男女を問わずに強く惹きつけてしまい、これを原因とした様々な事件が起こった。
Ω性の発情期のフェロモンと言うものは強烈な誘淫剤となり、当てられた者が簡単に理性が飛んでしまう程にもなると言う。
これは薬を使ってある程度の抑制が可能とされており、Ω性は発情期に因るトラブルを避ける為、殆どがこの薬を服用しており、義務と言う程の強制はないものの、必要不可欠な事であるとされていた。
それを理由に、過去に起こった発情期を原因とした性的暴行事件等は、裁判沙汰にまで発展しながらも、被害者であるΩが発情期の抑制を怠った(被害者は薬を服用していたと記録されているにも関わらず)事が原因とされ、被疑者無罪となってしまった事もあるのだ。
この事件は後にΩ性の社会的地位向上を求める運動の際に取り上げられ、当時の時代背景としても問題視された事もあり、事件から何十年と経って、ようやく根本的な問題として扱われるようになった。
それ程までに、“Ω性である事”は、現在の社会に置いて、大きな意味を占めるのである。
昨今は発情期の症状を抑える抑制剤も一般的に流通するようになり、Ω性を隠して生きる事も不可能ではなくなったが、薬の効果が薄れれば症状が起こる為、以前としてΩ性が生きづらい事に変わりはなかった。
αだとかβだとか、Ωだとか、そう言った事はサイファーにとってどうでも良い事だった。
それを口にすれば、君はαだからそんな事が言えるんだよ、と言われるのだが、それも含めてバカバカしいと思う。
確かにサイファーはαで、体格にも恵まれ、頭も良い。
しかし、先天的な幾つかの点も含めて、それを“αだから”と全てそれにより恵まれたものだと言われるのは腹が立つ。
勉強も訓練も、何もかもが努力なしで恵みだけで得たような言われ方をすると、人知れず重ねた己の努力が無駄な事と馬鹿にされたような気がした。
サイファーだって何もかもが得意な訳ではないし、嫌いな事もある。
それを克服する為に重ねた密かな努力を、“αだから”の一言で片付けられたくなかった。
だからサイファーは、αやβやΩだからと言う色眼鏡を持たない。
いつの間にかつるむ事が多くなった風神と雷神はβだが、だからと言って彼等を凡百の一つであると馬鹿にはしない。
寧ろ、そう言う価値観に固執して、αが羨ましいだとか、自分はβだから仕方がないと言う輩の方が、サイファーには虫酸が走る。
ただ、それでも三つの性と言うものを無視できないのも確かなのだ。
バラムガーデンと言う、ごく限られた環境で生活していても、三つの性の問題は随所で起こる。
αの生徒が居丈高にお山の大将を気取って回りのβ達を支配したり、αの庇護を得ようと群がるβもいるし、希少とされるΩの生徒も全くいない訳ではなかった。
だからこそ、バラムガーデン学園長のシド・クレイマーは、学生達に性を理由に差別をしないよう、若い内からの意識改革を望んでおり、三つの性の共同生活が問題なく送れるようにと頭を捻らせているそうだ。
しかし現実を見ると、そんな生活は理想のまた理想と言うレベルでしかなかった。
訓練施設での授業を終え、今日一日の残りの授業をサボタージュするか考えながら廊下を歩いていたサイファーは、ふとした違和感を感じて足を止めた。
すん、と鼻を鳴らしてみると、甘い蜜のような匂いが鼻孔を刺激する。
覚えのある感覚に、自分の心臓の鼓動が逸るのが判ったが、サイファーは奥歯を噛んでそれを無視した。
ブーツが床を蹴る音が再開されると、それは急くような速さで繰り返される。
サイファーの進行方向でぼんやりと立ち尽くしている生徒がいたが、サイファーの足音に気付くと、慌てて道を開けた。
苛立ちを全面に露出させたサイファーに近付くのは危険であると、生徒の誰もが知っているお陰で、サイファーの進む道を遮る者はいない。
匂いを辿ってサイファーが向かったのは、薄暗い駐車場だった。
ガーデンの運営に必要なものが運び込まれる倉庫でもある其処は、業者の出入りも激しい為、何処かに人の気配が感じられる事もあるのだが、今日はシャッターすらも閉まっている。
と言う事は、此処には今誰もいない筈なのだが、強く漂う匂いと、奥から聞こえる物音がそれを否定していた。
「や…め……っ、離せ……っ!」
「良いだろ、一回だけ。一回だけで良いから…!」
「ふざけるなっ!」
拒否を示す声と、凡正気ではない、興奮を混じらせた声が聞こえる。
サイファーは二つの声が聞こえる方へ、真っ直ぐに進んだ。
複数人を乗せる事が出来る大きめの搬送トラックと、恐らくは教材が入っているのだろう山積みになっている段ボールの隙間。
其処は人が通るのに問題のない程度の広さが取られていたが、トラックと段ボールのお陰で、入り口からは奥が全く見えなくなっている。
其処から漂う強い匂いに、なんて所に逃げ込んだんだ、とその浅はかさに呆れるしかない。
言い合う声は次第に小さくなり、代わりに唸る声が霞んで聞こえた。
ゴトゴトと言う物音は続いているが、それもその内聞こえなくなってしまうのだろうか。
そうなる前に、サイファーはトラックの荷台の横扉を殴りつけた。
がぁん、と鉄で作られた横扉が大きな音を立てると、奥の暗がりにいた人影がビクッと固まる。
「誰……っ、サ、サイファー……!」
「そんな所で何やってやがる。此処は生徒の勝手な立ち入りは禁止だぜ」
自分も立ち入り禁止区域に堂々と踏み込んでいるが、そんな事は構わずに指摘すると、人影────男子生徒は「い、いや、その……」としどろもどろとし始めた。
バラムガーデンにおいて、サイファーの存在を知らない者はいない。
生まれ持っての正しくα性、と言わんばかりの存在感と、苛烈な性格も相俟って、サイファーに畏怖をもって敬遠する者は多かった。
挙句、最近は風紀委員を自称して、気に入らない生徒を見付けては脅しも同然の注意をするようになり、益々サイファーは多くの生徒に避けられている。
男子生徒もそう言った者達と変わらず、一番不味い奴に見付かった、と言う顔をしていた。
石像のように動かなくなった男子生徒を一瞥して、サイファーは彼が押し倒しているものを見る。
暗がりの中ではあまり見えない濃茶色の髪と、類を見ない蒼灰色の瞳を持った生徒。
息苦しそうに眉根が寄せられているのは、男子生徒に手で口を塞がれているからだ。
その上、男子生徒に馬乗りに伸し掛かられており、両手は頭上で一まとめに押さえ付けられていた。
「リンチか?それとも───まあ、どっちでも同じなんだがな。風紀委員としちゃあ見過ごせねえ」
「あ……い、いや!別に何も…っ、何もしてないよ!」
「へえ?」
「……っほ、本当に何も、まだ────うわっ!」
生徒がうっかり口を滑らせた瞬間、その体は後ろに飛ばされた。
伸し掛かられていた生徒が、男子生徒の腹を目一杯蹴り飛ばしたのである。
男子生徒はごろごろと転がって、サイファーの足元に顔面から床をぶつけて止まった。
いてて、と起き上がった男子生徒は、サイファーの脚を見付けて、ゆっくりと顔を上げる。
絶対零度の金髪碧眼に見下ろされている事に気付くと、ぞわっと背中に悪寒が走って、生き物として“逆らってはいけない”と本能が悟る。
ひえええ、と情けない声を上げながら、生徒は床を這うようにしてその場を逃げ出した。
トラックの向こうで転ぶような音を聞きながら、サイファーはチッと舌を打つ。
収まらない苛立ちに、一発殴ってやっても良かったな、と思いつつ、暗がりの向こうから動かない生徒へと視線を戻した。
「……おい。いつまでそんな所にいやがる」
「……る、…さい……っ…!」
苦々しい声で返って来る反応に、返事をする気力はあるようだな、と確認する。
一歩近付く事に、強烈な甘い匂いがサイファーを襲う。
意識が飛びそうな程に、甘く馨しい匂いに、サイファーは両の拳が白む程に強く握りしめていた。
匂いの下となっている人物は、は、は、と小刻みに呼吸を繰り返し、悶えるように蹲っている。
暗がりの中にいた生徒────スコール・レオンハートは、直ぐ傍まで来たサイファーを見て、微かに安堵したように苦悶の表情を緩めた。
「サイ、ファー……っ」
「……発情期か」
「………っ…!」
サイファーの問に、スコールは唇を噛んだ。
認めたくない、けれど認めざるを得ないと、彼自身も判っているのだろう。
動く事も儘ならない様子に、サイファーは溜息を吐いて、細い肩を掴んで引っ張り起こした。
「う……っ!」
「薬はどうした。飲んでねえのか」
「飲んだ、けど……、最近…効きが、わるい……っ」
「それ、ちゃんとカドワキに言え。効かねえモン飲んだって意味ねえだろうが」
自分の肩を貸して、サイファーはスコールを立ち上がらせた。
が、スコールの足元には碌な力は入っておらず、完全にサイファーに寄りかかっている状態だ。
これなら丸ごと抱えた方が移動が楽なのは判っているが、保健室に行くまでにその他大勢の目がある事を思うと、迂闊な事は出来なかった。
殆どスコールの脚を引き摺りながら、サイファーは駐車場を後にする。
保健室へと向かう道すがら、すれ違う生徒がスコールを抱えるサイファーを見ていたが、特に不審がられる様子はない。
訓練と称してスコールを連れ出したサイファーが、散々付き合わせて疲れ切った、負傷して気を失ったスコールを抱えて帰って来るのは、儘見られる光景だったからだ。
スコールが漂わせている匂いは、その発信元がどこなのか判らない程に広がっている所為で、あまり特定されてはいないらしい。
しかし、察しの良い者や、気付かれる可能性は皆無ではないから、サイファーは速足で廊下を進んだ。
保健室に着くと、サイファーとスコールを見ただけで、カドワキは何も言わずとも事情を察してくれた。
「一番奥のベッドに寝かせて。ドアはちゃんと閉めるんだよ」
「判ってるよ」
「薬を飲ませないといけないね」
「それなんだが、最近効きが悪いんだってよ。もっと強いのあるか」
「これ以上強い薬は、本来のホルモンバランスまで壊しかねない。……でも、そうも言っていられないか。急場だし、今回だけ使うとしよう」
スコールに与える薬の準備を始めるカドワキ。
サイファーはそれを横目に見ながら、スコールを保健室の奥へと運んだ。
バラムガーデンは、三つの性を持つ生徒達が皆平等に暮らせるよう、環境を整えようとしている。
しかし、持っている性質の全てを同じにする事は出来ないから、一定の区別はやはり不可欠であった。
複数の人数で共同生活となる寮は、同じ性で部屋割りが分けられているし、Ωが発情期を迎えている間は授業を休む事も許されている。
保健室には発情期の発生、或いはそのフェロモンに当てられた生徒が落ち着くまで、一時的に隔離が出来るよう、特別な一室が設けられていた。
隔離室にスコールを運び込むのは、これで何度目になるだろう。
そんなことを考えながら、サイファーはスコールをベッドに降ろした。
「…は…う……っ」
「……ちっ……」
ベッドへ移す振動だけで、熱の籠った吐息を漏らすスコールに、サイファーは舌を打った。
そうしなければ、ずくずくとした欲望が頭を上げるのを誤魔化せなかったのだ。
────スコールはΩ性だが、最初からそうだった訳ではない。
バラムガーデンは、多数の若者が共同生活するに当たって、軽視はできないΩ性の問題を可能な限り回避する為にも、入学時に性の診断が義務付けられている。
スコールとサイファーも、いつであったか診断を受けており、その時にサイファーはα性である事が判った。
恐らくはその時にスコールもα性と診断されており、だからこそ授業も寮部屋も他のα性の生徒と同じように組まれていた筈だ。
しかし、二年前にスコールの体に変調が起こり、自身の体の違和感を感じたスコールがカドワキに相談し、もう一度診断した際に、αからΩへと変異した事が判った。
生まれ持った性から、別の性に変異すると言う出来事は、過去にも確認されている。
本来ならそれが発覚した時点で、スコールの生活環境はΩ性に準じたものへと変えるべきだったのだが、スコールが強く拒否した。
幼い頃はαらしくない性格と言われ、男らしいとも言えなかった容姿も相俟って、スコールはその手の揶揄を散々受けて来た。
それをようやく克服しつつ、授業も訓練も好成績を納めて、やっと自分に自信が持てそうだったのに、α性からΩ性へ転移したと言うのは、スコールにとって地獄の底に落とされたようなものだろう。
だからスコールは、相談をしたカドワキに、Ωになった事は誰にも知らせないで欲しいと頼んだ。
カドワキは始めこそ鈍い反応だったそうだが、思春期の難しい年頃にあって、性の変異はデリケートな話だ。
本人にとって辛い話である事は勿論、それを聞いた他の生徒達が、興味本位に何をしてくるかも判らない。
保険教諭のカドワキでさえ、そう考えずにはいられない程、Ω性の環境は苦しいのである。
そして、スコールの変異は、サイファーにも影響を齎している。
三つの性など、人間を形作る上で大した意味もないものだと思っていたが、スコールがΩ性になったと気付いてからは、そうも言っていられなくなった。
ライバル視していた男が、自分と同じαではなくなったと言うのもショックだが、それ以上に、発情期になったスコールから目を離せない。
そうした異変に気付いたからこそ、サイファーはスコールがΩに変異したのだと気付く事が出来た───が、元よりαはΩの発情期に強い反応を示すものだと言われているものの、気を抜けば正気を失いそうな程に惹きつけられるとは思っていなかった。
(Ωの生徒なら、他にもいるってのに。こいつだけが、俺をこんなに狂わせる)
ベッドの上で蹲り、熱の籠った呼気を繰り返しているスコール。
その全身から溢れ出すフェロモンは、決して広くない部屋の中を一杯に満たしていた。
下部に溜まった熱が暴発しそうで、サイファーは奥歯を強く噛んで自制を保つ。
薬を持ってきたカドワキが部屋に入り、スコールの体をそっと起こした。
カドワキの手が背中に触れただけで、ビクッと細い肩が震える。
「っは……せ、んせ、い……」
「薬だ。自分で飲めるかい?」
「……ん……」
「いつものより、少し強い薬だからね。副作用もあるだろう。でも、大人しく眠っていれば、そう影響はない筈だ」
「……う…ん……」
カドワキに背を支えられながら、スコールは受け取った錠剤を口に入れる。
渡された水を一口飲んで、薬を飲み込む。
赤らんだ体の熱を冷まそうと、残りの水も飲み干そうとしたが、零れた水が彼の喉を伝い落ちて行くのが見えた。
「う……っ!」
「落ち着いて。そんなに一気に飲むんじゃない、咽ちまうよ」
「……は、い……」
宥められて、スコールはようやくゆっくりと水を飲む。
グラス一杯の水を完全に空にして、またカドワキに支えられながら、スコールはベッドへと横になった。
「後はゆっくり眠るのが一番だ」
「寝れるのかよ、こいつ」
「薬の副作用に、入眠作用もあるから、大丈夫だよ。ほら、アンタはさっさと部屋を出な。じゃないとスコールも眠れないだろう」
Ωの発情期は、性を問わずに強力な誘引剤となるが、特にαへの影響は強い。
だから、これ以上一緒にいるのは双方にとって危ないだろうと、カドワキはサイファーの退室を促した。
部屋を出て行くカドワキの後を追う形で、サイファーもベッドを離れようとする。
が、くん、とコートの端が引っ張られるのを感じて足を止めた。
振り返ると、薄らと濡れた蒼の瞳が此方を見ている。
微かに開いた唇が、サイファー、と名前を呼んだのを聞いた。
はあ……っ、と零れる吐息が、無自覚にサイファーの情欲を煽ろうとする。
ぐ、と奥歯を噛んで、サイファーはコートの裾を引いた。
「………」
「……あ……」
コートからスコールの手が離れて、濡れた蒼からじわりと雫が浮かぶ。
サイファーは大股でスコールの下に戻ると、ぼんやりと見つめるスコールの頭をぐしゃぐしゃと掻き撫ぜた。
突然の事にスコールが目を瞑っている間に、一頻り撫でて手を離す。
それだけでまた泣き出しそうに此方を見上げてくるスコールに、サイファーは触れそうな程に顔を近付けて言った。
「其処にいる」
「……そこ、に……?」
「ああ」
「……ずっと…?」
「ああ。だからお前は気にせず寝てろ」
ぼんやりと見上げるスコールが、言葉の意味を何処まで理解しているのかは考えず、サイファーは彼の傍を離れた。
いつも通りの歩調で部屋を出て、甘い匂いのない空気を吸って、大きく吐き出す。
扉の前にずるずると座り込んで、サイファーは肺の中にある酸素を全て入れ替えるべく、何度も深呼吸を繰り返す。
其処までやっても、己の下腹部は痛いままで、これが収まるまでは動けまい。
カドワキはデスクに戻ったようで、隔離室への通路はサイファー以外には誰もいなかった。
それを幸いに、サイファーは自分の熱が収まるまで此処でサボらせて貰う事にする。
サイファーの脳裏に、名を呼ぶスコールの貌が浮かぶ。
蒼灰色の瞳が、抗えない本能が、何を求めているのか、サイファーは理解していた。
─────それでも。
(絶対、やらねえ)
(俺もお前も、ブッ飛んでる状態でなんて、絶対にやらねえ)
欲しくない訳ではない。
求められて、疼かない訳ではない。
欲しいと、手に入れたいと、ずっと思っている。
思うからこそ、サイファーは本能に抗うのだ。
『サイスコでオメガバース』のリクエストを頂きました。
ちょいちょい摘まんでいたので、最低限の設定は知っていましたが、相変わらず設定は都合の良い所だけ使っております。
このサイスコは運命の番だろうし、だからこそ影響も強いのですが、両方ともその自覚はない。
サイファーは抱くなら理性があって合意の上でやりたい。無理やりとか絶対に嫌。スコールが意識朦朧としている時も嫌。
スコールの方は本能的にサイファーを求めているけど、今の所はツンツンしてる。
ⅧED後まで拗れそうなオメガバースサイスコ、考えてて楽しかったです。
αサイファー×Ωスコール。
この世には、男女の性の他に、三つの性が存在する。
それぞれα、β、Ωと名の付くそれは、この世界において大きな意味と役割を生き物に課していた。
最も優良種と言われるαは、先天的にあらゆる才能に置いて秀でており、あらゆる分野でその存在は大きく珍重されていた。
政治家、学者、プロスポーツマン等、様々な業界の第一線で活躍する者は、大抵α性である。
人間的にも人を引き付ける魅力があるのか、芸能人で人気のある者も、多くはα性と言われていた。
また、社会的にもヒエラルキーの高い位置にある為か、その恩恵に肖ろうと思う者は多く、より良い遺伝子を残そうと言う種の存続への本能からか、様々な目的を持ってα性に近付く者も少なくなかった。
また、α性は男性、女性共に、両性の生殖器を持ち得ており、女性であっても他者を妊娠させる事が可能である。
最も一般的で、最も数が多いのが、β性である。
謂わば“凡人”ともカテゴライズされるβ性は、先天的な才能に置いてはαには及ばないが、かと言って劣等な訳ではない。
身体的特徴は、此処の生まれ持った性質の差を除けば、大きな違いと言うものはなく、ごく普通の生命体であると言って良いだろう。
殆どの生き物はβ性である為、人々の生活に置いて、βが存在しない環境と言うのは、ほぼ全くあり得なかった。
そして最も数が少なく、貴重な種とされているのが、Ω性だ。
身体的特徴や才能云々と言ったものは、αには及ばずともβには劣らず、ごく普通のものである場合が多いが、特筆すべきはその特殊な性質である。
Ω性には男女に限らず、自身が孕む為の生殖器が備えられており、男性であっても女性のように妊娠する事が出来る。
その性質により、古い時代には“Ω性=繁殖の為の性”と定義され、社会に置いて底辺の扱いをされていた事もあった。
現在は様々な社会運動によりこうした差別は薄れている───とされているが、実際には根強く残っており、Ω性である事を公言すると言う事は、己が繁殖の為の器である事を公言する事と同じとされた。
其処まで根強い差別意識が蔓延る理由の一つとして、Ωのみに見られる“発情期”がある。
一定の年齢まで成長したΩ性は、三か月に一度、一週間の発情期が起こり、その間発情している以外の事は何も出来なくなってしまう。
その時にΩ性が発する強烈なフェロモンは、α性やβ性、その男女を問わずに強く惹きつけてしまい、これを原因とした様々な事件が起こった。
Ω性の発情期のフェロモンと言うものは強烈な誘淫剤となり、当てられた者が簡単に理性が飛んでしまう程にもなると言う。
これは薬を使ってある程度の抑制が可能とされており、Ω性は発情期に因るトラブルを避ける為、殆どがこの薬を服用しており、義務と言う程の強制はないものの、必要不可欠な事であるとされていた。
それを理由に、過去に起こった発情期を原因とした性的暴行事件等は、裁判沙汰にまで発展しながらも、被害者であるΩが発情期の抑制を怠った(被害者は薬を服用していたと記録されているにも関わらず)事が原因とされ、被疑者無罪となってしまった事もあるのだ。
この事件は後にΩ性の社会的地位向上を求める運動の際に取り上げられ、当時の時代背景としても問題視された事もあり、事件から何十年と経って、ようやく根本的な問題として扱われるようになった。
それ程までに、“Ω性である事”は、現在の社会に置いて、大きな意味を占めるのである。
昨今は発情期の症状を抑える抑制剤も一般的に流通するようになり、Ω性を隠して生きる事も不可能ではなくなったが、薬の効果が薄れれば症状が起こる為、以前としてΩ性が生きづらい事に変わりはなかった。
αだとかβだとか、Ωだとか、そう言った事はサイファーにとってどうでも良い事だった。
それを口にすれば、君はαだからそんな事が言えるんだよ、と言われるのだが、それも含めてバカバカしいと思う。
確かにサイファーはαで、体格にも恵まれ、頭も良い。
しかし、先天的な幾つかの点も含めて、それを“αだから”と全てそれにより恵まれたものだと言われるのは腹が立つ。
勉強も訓練も、何もかもが努力なしで恵みだけで得たような言われ方をすると、人知れず重ねた己の努力が無駄な事と馬鹿にされたような気がした。
サイファーだって何もかもが得意な訳ではないし、嫌いな事もある。
それを克服する為に重ねた密かな努力を、“αだから”の一言で片付けられたくなかった。
だからサイファーは、αやβやΩだからと言う色眼鏡を持たない。
いつの間にかつるむ事が多くなった風神と雷神はβだが、だからと言って彼等を凡百の一つであると馬鹿にはしない。
寧ろ、そう言う価値観に固執して、αが羨ましいだとか、自分はβだから仕方がないと言う輩の方が、サイファーには虫酸が走る。
ただ、それでも三つの性と言うものを無視できないのも確かなのだ。
バラムガーデンと言う、ごく限られた環境で生活していても、三つの性の問題は随所で起こる。
αの生徒が居丈高にお山の大将を気取って回りのβ達を支配したり、αの庇護を得ようと群がるβもいるし、希少とされるΩの生徒も全くいない訳ではなかった。
だからこそ、バラムガーデン学園長のシド・クレイマーは、学生達に性を理由に差別をしないよう、若い内からの意識改革を望んでおり、三つの性の共同生活が問題なく送れるようにと頭を捻らせているそうだ。
しかし現実を見ると、そんな生活は理想のまた理想と言うレベルでしかなかった。
訓練施設での授業を終え、今日一日の残りの授業をサボタージュするか考えながら廊下を歩いていたサイファーは、ふとした違和感を感じて足を止めた。
すん、と鼻を鳴らしてみると、甘い蜜のような匂いが鼻孔を刺激する。
覚えのある感覚に、自分の心臓の鼓動が逸るのが判ったが、サイファーは奥歯を噛んでそれを無視した。
ブーツが床を蹴る音が再開されると、それは急くような速さで繰り返される。
サイファーの進行方向でぼんやりと立ち尽くしている生徒がいたが、サイファーの足音に気付くと、慌てて道を開けた。
苛立ちを全面に露出させたサイファーに近付くのは危険であると、生徒の誰もが知っているお陰で、サイファーの進む道を遮る者はいない。
匂いを辿ってサイファーが向かったのは、薄暗い駐車場だった。
ガーデンの運営に必要なものが運び込まれる倉庫でもある其処は、業者の出入りも激しい為、何処かに人の気配が感じられる事もあるのだが、今日はシャッターすらも閉まっている。
と言う事は、此処には今誰もいない筈なのだが、強く漂う匂いと、奥から聞こえる物音がそれを否定していた。
「や…め……っ、離せ……っ!」
「良いだろ、一回だけ。一回だけで良いから…!」
「ふざけるなっ!」
拒否を示す声と、凡正気ではない、興奮を混じらせた声が聞こえる。
サイファーは二つの声が聞こえる方へ、真っ直ぐに進んだ。
複数人を乗せる事が出来る大きめの搬送トラックと、恐らくは教材が入っているのだろう山積みになっている段ボールの隙間。
其処は人が通るのに問題のない程度の広さが取られていたが、トラックと段ボールのお陰で、入り口からは奥が全く見えなくなっている。
其処から漂う強い匂いに、なんて所に逃げ込んだんだ、とその浅はかさに呆れるしかない。
言い合う声は次第に小さくなり、代わりに唸る声が霞んで聞こえた。
ゴトゴトと言う物音は続いているが、それもその内聞こえなくなってしまうのだろうか。
そうなる前に、サイファーはトラックの荷台の横扉を殴りつけた。
がぁん、と鉄で作られた横扉が大きな音を立てると、奥の暗がりにいた人影がビクッと固まる。
「誰……っ、サ、サイファー……!」
「そんな所で何やってやがる。此処は生徒の勝手な立ち入りは禁止だぜ」
自分も立ち入り禁止区域に堂々と踏み込んでいるが、そんな事は構わずに指摘すると、人影────男子生徒は「い、いや、その……」としどろもどろとし始めた。
バラムガーデンにおいて、サイファーの存在を知らない者はいない。
生まれ持っての正しくα性、と言わんばかりの存在感と、苛烈な性格も相俟って、サイファーに畏怖をもって敬遠する者は多かった。
挙句、最近は風紀委員を自称して、気に入らない生徒を見付けては脅しも同然の注意をするようになり、益々サイファーは多くの生徒に避けられている。
男子生徒もそう言った者達と変わらず、一番不味い奴に見付かった、と言う顔をしていた。
石像のように動かなくなった男子生徒を一瞥して、サイファーは彼が押し倒しているものを見る。
暗がりの中ではあまり見えない濃茶色の髪と、類を見ない蒼灰色の瞳を持った生徒。
息苦しそうに眉根が寄せられているのは、男子生徒に手で口を塞がれているからだ。
その上、男子生徒に馬乗りに伸し掛かられており、両手は頭上で一まとめに押さえ付けられていた。
「リンチか?それとも───まあ、どっちでも同じなんだがな。風紀委員としちゃあ見過ごせねえ」
「あ……い、いや!別に何も…っ、何もしてないよ!」
「へえ?」
「……っほ、本当に何も、まだ────うわっ!」
生徒がうっかり口を滑らせた瞬間、その体は後ろに飛ばされた。
伸し掛かられていた生徒が、男子生徒の腹を目一杯蹴り飛ばしたのである。
男子生徒はごろごろと転がって、サイファーの足元に顔面から床をぶつけて止まった。
いてて、と起き上がった男子生徒は、サイファーの脚を見付けて、ゆっくりと顔を上げる。
絶対零度の金髪碧眼に見下ろされている事に気付くと、ぞわっと背中に悪寒が走って、生き物として“逆らってはいけない”と本能が悟る。
ひえええ、と情けない声を上げながら、生徒は床を這うようにしてその場を逃げ出した。
トラックの向こうで転ぶような音を聞きながら、サイファーはチッと舌を打つ。
収まらない苛立ちに、一発殴ってやっても良かったな、と思いつつ、暗がりの向こうから動かない生徒へと視線を戻した。
「……おい。いつまでそんな所にいやがる」
「……る、…さい……っ…!」
苦々しい声で返って来る反応に、返事をする気力はあるようだな、と確認する。
一歩近付く事に、強烈な甘い匂いがサイファーを襲う。
意識が飛びそうな程に、甘く馨しい匂いに、サイファーは両の拳が白む程に強く握りしめていた。
匂いの下となっている人物は、は、は、と小刻みに呼吸を繰り返し、悶えるように蹲っている。
暗がりの中にいた生徒────スコール・レオンハートは、直ぐ傍まで来たサイファーを見て、微かに安堵したように苦悶の表情を緩めた。
「サイ、ファー……っ」
「……発情期か」
「………っ…!」
サイファーの問に、スコールは唇を噛んだ。
認めたくない、けれど認めざるを得ないと、彼自身も判っているのだろう。
動く事も儘ならない様子に、サイファーは溜息を吐いて、細い肩を掴んで引っ張り起こした。
「う……っ!」
「薬はどうした。飲んでねえのか」
「飲んだ、けど……、最近…効きが、わるい……っ」
「それ、ちゃんとカドワキに言え。効かねえモン飲んだって意味ねえだろうが」
自分の肩を貸して、サイファーはスコールを立ち上がらせた。
が、スコールの足元には碌な力は入っておらず、完全にサイファーに寄りかかっている状態だ。
これなら丸ごと抱えた方が移動が楽なのは判っているが、保健室に行くまでにその他大勢の目がある事を思うと、迂闊な事は出来なかった。
殆どスコールの脚を引き摺りながら、サイファーは駐車場を後にする。
保健室へと向かう道すがら、すれ違う生徒がスコールを抱えるサイファーを見ていたが、特に不審がられる様子はない。
訓練と称してスコールを連れ出したサイファーが、散々付き合わせて疲れ切った、負傷して気を失ったスコールを抱えて帰って来るのは、儘見られる光景だったからだ。
スコールが漂わせている匂いは、その発信元がどこなのか判らない程に広がっている所為で、あまり特定されてはいないらしい。
しかし、察しの良い者や、気付かれる可能性は皆無ではないから、サイファーは速足で廊下を進んだ。
保健室に着くと、サイファーとスコールを見ただけで、カドワキは何も言わずとも事情を察してくれた。
「一番奥のベッドに寝かせて。ドアはちゃんと閉めるんだよ」
「判ってるよ」
「薬を飲ませないといけないね」
「それなんだが、最近効きが悪いんだってよ。もっと強いのあるか」
「これ以上強い薬は、本来のホルモンバランスまで壊しかねない。……でも、そうも言っていられないか。急場だし、今回だけ使うとしよう」
スコールに与える薬の準備を始めるカドワキ。
サイファーはそれを横目に見ながら、スコールを保健室の奥へと運んだ。
バラムガーデンは、三つの性を持つ生徒達が皆平等に暮らせるよう、環境を整えようとしている。
しかし、持っている性質の全てを同じにする事は出来ないから、一定の区別はやはり不可欠であった。
複数の人数で共同生活となる寮は、同じ性で部屋割りが分けられているし、Ωが発情期を迎えている間は授業を休む事も許されている。
保健室には発情期の発生、或いはそのフェロモンに当てられた生徒が落ち着くまで、一時的に隔離が出来るよう、特別な一室が設けられていた。
隔離室にスコールを運び込むのは、これで何度目になるだろう。
そんなことを考えながら、サイファーはスコールをベッドに降ろした。
「…は…う……っ」
「……ちっ……」
ベッドへ移す振動だけで、熱の籠った吐息を漏らすスコールに、サイファーは舌を打った。
そうしなければ、ずくずくとした欲望が頭を上げるのを誤魔化せなかったのだ。
────スコールはΩ性だが、最初からそうだった訳ではない。
バラムガーデンは、多数の若者が共同生活するに当たって、軽視はできないΩ性の問題を可能な限り回避する為にも、入学時に性の診断が義務付けられている。
スコールとサイファーも、いつであったか診断を受けており、その時にサイファーはα性である事が判った。
恐らくはその時にスコールもα性と診断されており、だからこそ授業も寮部屋も他のα性の生徒と同じように組まれていた筈だ。
しかし、二年前にスコールの体に変調が起こり、自身の体の違和感を感じたスコールがカドワキに相談し、もう一度診断した際に、αからΩへと変異した事が判った。
生まれ持った性から、別の性に変異すると言う出来事は、過去にも確認されている。
本来ならそれが発覚した時点で、スコールの生活環境はΩ性に準じたものへと変えるべきだったのだが、スコールが強く拒否した。
幼い頃はαらしくない性格と言われ、男らしいとも言えなかった容姿も相俟って、スコールはその手の揶揄を散々受けて来た。
それをようやく克服しつつ、授業も訓練も好成績を納めて、やっと自分に自信が持てそうだったのに、α性からΩ性へ転移したと言うのは、スコールにとって地獄の底に落とされたようなものだろう。
だからスコールは、相談をしたカドワキに、Ωになった事は誰にも知らせないで欲しいと頼んだ。
カドワキは始めこそ鈍い反応だったそうだが、思春期の難しい年頃にあって、性の変異はデリケートな話だ。
本人にとって辛い話である事は勿論、それを聞いた他の生徒達が、興味本位に何をしてくるかも判らない。
保険教諭のカドワキでさえ、そう考えずにはいられない程、Ω性の環境は苦しいのである。
そして、スコールの変異は、サイファーにも影響を齎している。
三つの性など、人間を形作る上で大した意味もないものだと思っていたが、スコールがΩ性になったと気付いてからは、そうも言っていられなくなった。
ライバル視していた男が、自分と同じαではなくなったと言うのもショックだが、それ以上に、発情期になったスコールから目を離せない。
そうした異変に気付いたからこそ、サイファーはスコールがΩに変異したのだと気付く事が出来た───が、元よりαはΩの発情期に強い反応を示すものだと言われているものの、気を抜けば正気を失いそうな程に惹きつけられるとは思っていなかった。
(Ωの生徒なら、他にもいるってのに。こいつだけが、俺をこんなに狂わせる)
ベッドの上で蹲り、熱の籠った呼気を繰り返しているスコール。
その全身から溢れ出すフェロモンは、決して広くない部屋の中を一杯に満たしていた。
下部に溜まった熱が暴発しそうで、サイファーは奥歯を強く噛んで自制を保つ。
薬を持ってきたカドワキが部屋に入り、スコールの体をそっと起こした。
カドワキの手が背中に触れただけで、ビクッと細い肩が震える。
「っは……せ、んせ、い……」
「薬だ。自分で飲めるかい?」
「……ん……」
「いつものより、少し強い薬だからね。副作用もあるだろう。でも、大人しく眠っていれば、そう影響はない筈だ」
「……う…ん……」
カドワキに背を支えられながら、スコールは受け取った錠剤を口に入れる。
渡された水を一口飲んで、薬を飲み込む。
赤らんだ体の熱を冷まそうと、残りの水も飲み干そうとしたが、零れた水が彼の喉を伝い落ちて行くのが見えた。
「う……っ!」
「落ち着いて。そんなに一気に飲むんじゃない、咽ちまうよ」
「……は、い……」
宥められて、スコールはようやくゆっくりと水を飲む。
グラス一杯の水を完全に空にして、またカドワキに支えられながら、スコールはベッドへと横になった。
「後はゆっくり眠るのが一番だ」
「寝れるのかよ、こいつ」
「薬の副作用に、入眠作用もあるから、大丈夫だよ。ほら、アンタはさっさと部屋を出な。じゃないとスコールも眠れないだろう」
Ωの発情期は、性を問わずに強力な誘引剤となるが、特にαへの影響は強い。
だから、これ以上一緒にいるのは双方にとって危ないだろうと、カドワキはサイファーの退室を促した。
部屋を出て行くカドワキの後を追う形で、サイファーもベッドを離れようとする。
が、くん、とコートの端が引っ張られるのを感じて足を止めた。
振り返ると、薄らと濡れた蒼の瞳が此方を見ている。
微かに開いた唇が、サイファー、と名前を呼んだのを聞いた。
はあ……っ、と零れる吐息が、無自覚にサイファーの情欲を煽ろうとする。
ぐ、と奥歯を噛んで、サイファーはコートの裾を引いた。
「………」
「……あ……」
コートからスコールの手が離れて、濡れた蒼からじわりと雫が浮かぶ。
サイファーは大股でスコールの下に戻ると、ぼんやりと見つめるスコールの頭をぐしゃぐしゃと掻き撫ぜた。
突然の事にスコールが目を瞑っている間に、一頻り撫でて手を離す。
それだけでまた泣き出しそうに此方を見上げてくるスコールに、サイファーは触れそうな程に顔を近付けて言った。
「其処にいる」
「……そこ、に……?」
「ああ」
「……ずっと…?」
「ああ。だからお前は気にせず寝てろ」
ぼんやりと見上げるスコールが、言葉の意味を何処まで理解しているのかは考えず、サイファーは彼の傍を離れた。
いつも通りの歩調で部屋を出て、甘い匂いのない空気を吸って、大きく吐き出す。
扉の前にずるずると座り込んで、サイファーは肺の中にある酸素を全て入れ替えるべく、何度も深呼吸を繰り返す。
其処までやっても、己の下腹部は痛いままで、これが収まるまでは動けまい。
カドワキはデスクに戻ったようで、隔離室への通路はサイファー以外には誰もいなかった。
それを幸いに、サイファーは自分の熱が収まるまで此処でサボらせて貰う事にする。
サイファーの脳裏に、名を呼ぶスコールの貌が浮かぶ。
蒼灰色の瞳が、抗えない本能が、何を求めているのか、サイファーは理解していた。
─────それでも。
(絶対、やらねえ)
(俺もお前も、ブッ飛んでる状態でなんて、絶対にやらねえ)
欲しくない訳ではない。
求められて、疼かない訳ではない。
欲しいと、手に入れたいと、ずっと思っている。
思うからこそ、サイファーは本能に抗うのだ。
『サイスコでオメガバース』のリクエストを頂きました。
ちょいちょい摘まんでいたので、最低限の設定は知っていましたが、相変わらず設定は都合の良い所だけ使っております。
このサイスコは運命の番だろうし、だからこそ影響も強いのですが、両方ともその自覚はない。
サイファーは抱くなら理性があって合意の上でやりたい。無理やりとか絶対に嫌。スコールが意識朦朧としている時も嫌。
スコールの方は本能的にサイファーを求めているけど、今の所はツンツンしてる。
ⅧED後まで拗れそうなオメガバースサイスコ、考えてて楽しかったです。