[ジェクレオ]王はすべてを手に入れる
- 2019/10/08 22:05
- カテゴリー:FF
最初に水と言うものに触れたのがいつだったのか、ジェクトは思い出すことが出来ない。
随分と遠い日の話になるのだから無理もないし、若しかしたら記憶する以前の事だったのかも知れない。
どちらにしろ、理由となりそうな事は思い付かなくなって久しいのだが、それでも水に触れる時の感覚と言うのは、初めて得た時のものと一分の代わりもない事だけは確信を持って言えた。
その確信に確固たる理由はないけれど。
地球と言う場所に生きている限り、そこには重力の存在が必ず在る。
重力の過多を判断する為、基準となった1Gと言う数字は、特に意識しなければ何と言う事もない話であるが、案外と生き物の体に負荷を齎す。
だから動物は体を支える為に四つ足となり、鳥は飛ぶ為に体を軽量化させるか、重量を支える為の翼とそれを動かす筋肉を発達させた。
人間は後ろ足だけで立つ為に背骨を太くし、背筋を鍛え、骨盤も大きくなった。
これらの進化の形は、今現在も生き物に等しく降りかかる重力に対抗する為のものである。
それは日々の生活の中で、絶えず刺激され、反発する為に力を使って体を動かす事で、維持されているものだった。
だから宇宙飛行士のように、一年や二年と言う長い時間を重力から解放された場所で生活いていると、戻って来た時には碌に体が動かせない、と言う事もあるのだそうだ。
この星で生きている限り、重力から逃れる事は出来ない────のだが、水の中は話が別だ。
水の中では浮力があり、其処にあるものは抵抗しなければ等しく浮かび漂う事が出来る。
重い石材は沈むものであるが、それでも地上の半分程度の力で持ち上げる事も可能であるから、水の中と言うのは疑似的な無重力空間として、宇宙飛行士の訓練場として使われる事もあると言う。
水の中では人間は息も出来ないので、そう言う意味では近い環境と言えるのかも知れない。
ジェクトは、水の中に入った時の浮遊感が好きだった。
若い頃から体格には恵まれていたので、重い筋肉が付きやすく、水の中では他者よりも深く沈んでしまう傾向があるのだが、かと言って何処までも沈む訳でもない。
重力から離れ、浮力に持ち上げられた躰は、地上を歩く時よりも軽く感じられた。
それが細やかな解放感にも似て、ジェクトは其処でならありとあらゆる事が出来るような気がしていた。
勿論、肺呼吸の生き物であるが故に不自由も後を絶たないのだが、それはそれとして、地上とは違う世界で過ごせる一時は至福の時間でもあった。
そんな思い入れがあるから、ジェクトが水から離れられないのは決まっていたのだろう。
水に関わるスポーツをあれこれと試し、最終的には水球に行き付いたが、他のスポーツも嫌いではない。
最後に水球が残ったのは、偶々それをしていた時に評価が上がり、プロスポーツ団からスカウトを受けたからだ。
当時は学生気分も抜けていなかったから、合わなければ辞めれば良いとか、他の競技でも少なからず評価は貰っていたから、そっちに鞍替えしても良いと思っていた。
結局は存外と性に合ったので、今では“キング”の異名を冠する程の実力となっている。
そのお陰で妻と出逢い、息子に恵まれた。
妻とは早くに死に別れてしまったが、スター選手として破格の契約金を貰っているお陰で、息子を育てるのもなんとかなった────近所の家族には随分と世話をかけて貰ったが。
水に触れているお陰で、今のジェクトがある。
あの自由な世界で生きて来たから、ジェクトは自分の力を信じる事が出来たし、迷った時にも立ち止まらないで済んだ。
最近、息子が自分と同じ道を進もうとしている事には、色々と思う事はあるが、それも嫌な事ばかりではない。
俺の息子なんだ、当然だと思うのも本音で、剥き出しの対抗心で睨む海の青を見る度に、まだまだヒヨッコだと笑いながら、早く此処まで上ってこいとも思っている。
この自由な水の世界で、息子と向き合う事が出来たら、きっと倖せだ。
そしてつい最近、もう一つ、倖せの種は増えた。
まだ誰にも秘密の種ではあるけれど、手放さないようにしたいと思うものが。
ジェクトの練習は、始まりと終わりに決まった流れを作っている。
始まりは、入念な準備運動をした後、地上でボールを使ってリフティングをし、入水したら先ずは50メートルプールを一往復、それから水の中でボールを使って今日の体の感触を確かめる。
終わる時には、10分程水面に浮いて一心地した後、プールを三往復し、プールから上がったら呼吸を整えてからシャワーを浴びる。
練習メニューとは関係なく行っているこれは、ジェクトがプロプレイヤーになってから間もなく始まり、定着させたものだった。
古株の仲間内から、そろそろ年齢的に無理が来てるんじゃないか、と揶揄われる事もあるが、まだまだだとジェクトは言ってやる。
ともかく、これを始めなければジェクトのコンディションは仕上がらないし、終わりにしなければ収まりが悪いのだ。
今日もチームでの練習が終わった後、ジェクトはいつものように最後の締めを行っていた。
スタート時には体が温まっていた事、練習後の休息を挟んだ事で最高のキックで始められるのだが、時間が立つと段々と体は重くなる。
しかし、ジェクトの泳ぐスピードは落ちてはいなかった。
このままのコンディションを維持し続ける事が出来れば、四日後の試合でも良い動きが出来るだろう。
そう言った確認も含めて、ジェクトは最後の往復路で気を抜かないように努めていた。
大きく伸ばした手がタッチ板を叩き、ジェクトは顔を上げた。
水の音がなくなった世界は随分と静かで、仲間達はもうとっくに引き上げたのだと言う事が判る。
少しばかり苦しくなった肺を、はっ、はっ、と短い呼吸を繰り返して宥めつつ、水泳キャップを脱ぎ捨てて、水と一緒に落ちて来る前髪を掻き揚げていると、ふっとジェクトの頭上に影が落ちた。
「終わったな。お疲れ様」
「……おう」
シンプルな労いの言葉をかけてきたのは、レオンだった。
濃茶色の髪と、蒼い瞳と、額に走る大きな傷が印象的なこの青年は、シャツとGパンと言うラフな格好で、飛び込み台から此方を覗き込んでいる。
いつもは下ろしている長い髪は、湿気を嫌ってかアップに括り、ポニーテールにされていた。
手にはクリップボードを持ち、手首にはストラップを括り付けたタイマーがある。
ジェクトがプールサイドに向かって水を掻くと、レオンの足がそれについて来た。
疲労感で重くなった躰を持ち上げ、水から出ると、ベンチに置いていた筈のタオルが差し出される。
「サンキュ」
「ああ。水は、後で良いか?」
「ん」
受け取ったタオルで頭を拭きながら、ジェクトは一番近いベンチへと向かう。
水から上がって重力を受けた体が、妙に重いのはいつもの事だ。
疲労しているのだから当然だし、浮力から解き放たれれば、こうなるのが自然の摂理と言うもの。
どすっ、とベンチに腰を下ろしたジェクトに、レオンは持っていたクリップボードを見ながら言った。
「調子は良いようだな」
「当然」
「これだけ仕上がってるんだから、試合前にティーダと喧嘩をしないでくれよ」
「ンな事しねえよ。それに、その程度で試合に影響は出さねえよ」
「さて、どうだか。あんた、意外と顔に出るんだぞ」
家庭事情に釘を刺す青年に、ジェクトは唇を尖らせる。
現在、ジェクトの息子であるティーダは、反抗期の真っ盛りである。
元々父に対して何かと対抗心を持ち易い子供ではあったが、思春期を迎えてそれが激しくなりつつあった。
ジェクトもジェクトで、どうにも息子には意地の悪い言動をしてしまうので、盛大な親子喧嘩が頻繁に勃発する。
その息子はレオンの弟と幼馴染で、家族ぐるみの付き合いをしているので、その喧嘩の仲裁に入る事も多い。
そして、レオンの仕事は、ジェクトのマネージャーであった。
何かと自己管理の意識が低いジェクトについて回り、栄養管理にスケジュール管理、所属団体との契約の交渉などを行っている。
練習メニューについても彼がチェックしているので、必然的にジェクトの事を観察する事になり、ジェクト自身よりも彼についてよく知っていると言って良い。
そんなレオンが指摘する事なら、その通りなのだろう────が、息子に関する話だけは、素直に受け取る事が出来ないのであった。
拗ねた顔をするジェクトを、レオンはくすくすと楽しそうに眺めている。
何がそんなに面白いんだか、とジェクトが頭を掻けば、聡いレオンはしっかり胸中を読んだらしい。
いやすまない、と笑った事を詫びつつ、
「まあ、顔には出るが、確かに試合にはそれ程影響させた事はないな。その辺りは流石だ」
「そりゃあ当然だ。俺様はキングなんだからよ。ヒヨッコがピーチクパーチクしてるからって、無様な真似はしねえさ」
「そのヒヨッコだが、再来週から地区大会の予選が始まるそうだ。スコールが応援に行くと言っていたから、俺も時間が取れそうだし同行するつもりだが、あんたはどうする?」
ヒヨッコ───ジェクトの息子であるティーダは、高校生になってから水球部に入った。
目覚ましい活躍でレギュラーをもぎ取り、エースとなった彼は、今は業界内では注目の若手プレイヤーである。
とは言え、其処には“ジェクトの息子”と言う色眼鏡も多分に有り、まだまだ幼い彼は、その評価に振り回されている所もある。
少し前から、その評価こそをバネにするように、一層競技に打ち込むようになったようだが、ジェクトから見ればまだ甘い所があった。
その評価はジェクトも同意見であるが、
「……俺ぁ行かねえよ。地区大会なんぞで、俺が行く必要もねえだろ」
「発奮にはなるんじゃないか?」
「そんな事でやる気出す位なら、普段から同じようにやりゃあ良い。第一、地区大会だろ?そんなもん、当たり前に勝てねえようなら、俺に勝つなんざ百万年早い」
ジェクトの言葉は厳しく、親としては冷たくも聞こえるものであった。
しかし、その言葉の裏側を、レオンは正しく理解している。
それこそ、ジェクト自身が認めようとしない、素直になれない心の奥底まで。
ティーダはまだまだ青い果実であるから、期待もあれば、逆に辛い評価を受ける事も多い。
彼自身が成熟し切っていない事や、良い意味でも悪い意味でも、素直過ぎる性格もあり、メディアの格好の的にされている。
面白半分に書き立てる者もいるから、嘗て同様の目に遭った経験を持つ父からすれば、息子がどんなに苦い虫を噛み潰しているか、想像できるのだろう。
だが、そうした厳しい環境の中でも、彼に光るものがあるのも確かだ。
ジェクトもそれを見抜いているから、いつか来る日への期待を込めて、もっと上を目指せと言うのである。
お前は絶対に此処まで来れる男だから、と。
────それに、とジェクトは更に付け足す。
「今は俺が応援に行くより、スコールが行く方が、あいつも気合が入るだろ」
「……確かに、それはありそうだな」
ジェクトの言葉に、レオンは少し寂しそうに、けれども喜びを滲ませながら頷く。
少し前から、ティーダとレオンの弟スコールが恋人同士の関係に収まった事を、二人は当人たちから聞かずとも察していた。
それぞれの身内への気まずさか、思春期のデリケートさ故か、彼等から打ち明けられるのは当分先だろう。
それまでは、知らぬ存ぜぬの体をしていようと、保護者二人は決めている。
だからジェクトが気にする事は、再来週の息子の試合ではなく、四日後の自分の試合だ。
応援に行くにしろ行かないにしろ、キングとして父として、勝って見せつけてやらねばなるまい。
その為にも、パフォーマンスは最高に仕上げておかなければ。
ふう、と一つ息を吐いて、ジェクトは重みを増した腰を持ち上げた。
「着替えるわ」
「ああ。じゃあ此処も閉めないと────」
借りている鍵を返すべく、出口に向かおうと背を向けるレオン。
その腰を、太い腕がぐっと抱き寄せて、レオンは目を丸くした。
ジェクトの逞しい胸にレオンの頬が寄せられる。
硬い、と思っていると、腰を抱いていたジェクトの手が下へ降りて、悪戯をした。
かっとレオンの顔が赤くなり、潜めた声がジェクトを咎める。
「ジェクト……!」
「判ってるよ」
「判ってな……っ!」
叱るレオンに、こんな所でする気はない、と言いながら、ジェクトはレオンの項を噛む。
引き締まった尻を、大きな手が包むように鷲掴んで、ふにふにと指が食い込むのが判った。
ぞくぞくとした感覚がレオンの背を奔り、はあっ、と唇から熱の籠った吐息が漏れる。
それを見下ろす赤い瞳に、じわりと獣の気配が滲んだ。
が、ばんっ、と固いものがジェクトの顔を打つ。
レオンが持っていた、クリップボードの裏面だった。
「……ってーな、オイ」
「自業自得だ」
「別に此処でおっぱじめやしねえよ。ただ後で───」
「後もない」
じろりと睨み、もう一発打つかと振り被るレオンに、ジェクトは大人しく引き下がった。
尻を揉んでいた手が離れると、レオンはほうっと息を吐きつつ、ジェクトから距離を取る。
その顔は怒りながらも紅潮しており、体の奥からはじくじくとした欲が沸き上がって来る。
だが、今それに身を任せる訳には行かないのだ。
「……試合が終わるまではナシだ」
「終わった後なら良いのか?」
「…わざと聞いているだろう、あんた」
レオンの言葉に、ジェクトは肯定も否定もしない。
口端を上げてにやにやと笑う男に、レオンは溜息を吐いて、呆れたように頭を振る。
そんな仕草をしながらも、レオンのまた駄目とは言わない辺りに、彼の甘さが現れていた。
恋人を置いて行く歩調で歩き出したレオンに、ジェクトは肩を竦めて、大人しくその後ろをついて行く。
その間に濡れた体を軽く拭いて、通路へのドアを潜ると、レオンは忘れ物がないかをしっかりと確かめてから扉を閉めた。
鍵をかけるその旋毛を見下ろしつつ、ジェクトは訊ねる。
「おい、レオン」
「なんだ」
「試合、勝ったらちょいとご褒美くれよ」
「……ご褒美?」
唐突なジェクトの言葉に、レオンは首を傾げて顔を上げる。
一体何が欲しいんだ、と素直に訪ねようとして、レオンは見下ろす瞳が抱くものに気付いた。
じわ、とレオンの頬に赤みが増したのを見て、ジェクトは満足げに口角を上げる。
バカじゃないか、と呟くレオンに、ジェクトはくつくつと笑いながら、濃茶色の髪をくしゃくしゃと撫でた。
10月8日と言う事でジェクレオ。
ジェクトのサポートをしているレオンと言う関係性にとても滾る。
全幅の信頼をお互いに抱きつつ、恋慕や愛情も一緒くたに向けあっている二人。
ご褒美なんて何が欲しいんだも何も明らかだし、試合を勝つ事をレオンは信じて疑っていなくて、その上で結局駄目とは言わない。
17歳な息子/弟と違ったアダルティな雰囲気も遠慮なく描けるので書いててとても楽しい。