コンソリデーテッド PBY 「カタリナ」
コンソリデーテッド PBY 「カタリナ」
「戦間期」と呼ばれた1930年代初頭は、航空機の進化が目覚しく、苦心して開発に成功しても実戦に投入されることなく旧式機扱いされるという事態が起きていました。
そんな中、列強の一つであるアメリカは「モンロー主義」という方針に基づく中立国でありながらも、武器貸与で外貨を獲得できるという目的もあり「コンソリデーテッドP2Y」という飛行艇を海軍に配備させていました。この飛行艇は航続距離に定評があり、イギリス東部に位置するの「ノーフォーク」から中米「パナマ」まで無着陸で横断したり、サンフランシスコ~オアフ島という太平洋横断記録を持つ当時の飛行艇のレベルではトップクラスの実力を持っていました。
1933年初め、アメリカ海軍航空局はこの「コンソリデーテッドP2Y」の後継機開発をメーカーの「コンソリデーテッド社」と海軍向け航空機メーカーの名門「ダグラス社」に任せました。その背景にはナチスドイツが再軍備宣言を行い、新時代の軍用機開発に全力を注ぎ始めたことにありました。開発は海軍からの注文を受けた1933年からスタートし、1935年3月には初飛行に成功しました。
機体の特徴ですが、主翼は前機種と同じく最上部に配置される「パラソル型」となっており、エンジンを二基装備した無理のない堅実な設計がされました。さらに両翼端のフロートは格納できるよう設計され、飛行中は主翼の一部となり、空気抵抗を減らすことができました。「P2Y」のノウハウが十分に生かされ、操縦性も良好でした。
競合メーカーであったダグラス社もコンソリデーテッドとほぼ互角の性能を持つ試作機を開発しており、制式採用の選考は難航しました。結局はダグラス社の試作機は高価であったため、コンソリデーテッドの試作機が制式採用されました。1935年6月からは量産発注の依頼もあり、ここに来て初めて「PBY-1」という名称と「カタリナ」という愛称がつきました。
ちなみに「カタリナ」とは女性名の一つです。何故かアメリカは日本の爆撃機のコードネームにまで女性名を付けています。(昨今、実在した兵器をかわいらしい女の子に擬人化するイラストレーターが世の中に存在しますが、関係はないはず・・・。)いい機会ですので、いくつかご紹介させていただきます。
・KATE (ケイト)・・・
97式艦上攻撃機
・JILL (ジル)・・・
艦上攻撃機 「天山」
・JUDY (ジュディー)・・・
艦上爆撃機 「彗星」
・VAL (ヴァル)・・・
99式艦上爆撃機
・BETTY (ベティ)・・・
一式陸上攻撃機
・GLACE (グレース)・・・
艦上攻撃機 「流星改」
部隊配属は1937年から開始され、哨戒任務だけでなく、救難や連絡など幅広く使われました。もちろん武器貸与の対象にもなり、イギリスを始め、オーストラリア、ソ連にも広くいきわたる事になりました。速度は川西航空機の傑作
「二式大艇」の時速450キロ超という高速には適いませんが、ソ連はPBYは飛行艇の最高傑作であると評価しました。
PBYは継続的に進化し、生産の本命となったPBY-5に至っては機首下面と胴体側面に引き込み式の車輪を持つという水陸両用機にまで変貌しました。初飛行は1935年、最高速度が300キロを下回るという条件は、太平洋戦争の激戦に生き残れないというイメージがありました。しかし信頼性はどの運用現場からも評価が高く、カタリナの後継機に当たる「コロネード」は高性能なはずなのに認められないという人気ぶりでした。
戦後の冷戦期には創設されたばかりの日本の海上自衛隊に貸与されたり、西側陣営では1957年まで運用され続けました。一部の機体は民間に払い下げられ、空中消火に活躍しました。
性能諸元
全長; 20.1m
全幅; 31.7m
全高; 6.2m
正規全備重量; 9485kg
エンジン; プラット&ホイットニー R-1830-92「ツインワスプ」空冷星形複列14気筒 1,200馬力×2
最大速度; 288km/h
武装; 7.62mm機銃×3、12.7mm機銃×2、爆弾(爆雷)最大 1800kgまで
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