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※赤い文字色のページには性描写があります
ほぼ全部じゃないか!!


そして、鳥は死んだ

 空で瞬く糠星が霞むほどの毒々しいネオンが光る歓楽街の喧噪の中、一人の青年が足早に帰路へと進む。本当は余り通りたくない道ではあるのだが、自宅アパートへの近道なのだから仕方がない。
 部活動の帰りに、質も量も合格点でありながら驚くほどの安価が魅力の弁当店を覗いてみたが、半額シールが貼られていても食指が伸びる物は残念ながら見つからず、これならば家にある残り物で何かサッサと温かい食事を作った方が良いと判断した途端に不思議と空腹感が強くなって、一刻でも早く自宅へ戻ろうとこのルートを選んだ訳だ。
 確か、冷凍室に冷飯が一膳強ばかり残っていた筈。それに卵を混ぜ、一枚しか残っていないロースハムと野菜室の片隅に隠れている人参と玉葱の欠片を具にした炒飯を作って、この前特売で買ったインスタントスープに湯を注いで…あぁ、そうだ、この前茹でたブロッコリーも冷凍してあった。あれをレンジでチンすれば…。
 ザワつく夜の街の何となく澱んだ空気を肩で振り払うようにしつつ、頭の中で着々と献立を考える暮羽鋭次の耳に不快な声が入ったのはその時だった。速足がかっていた歩みの速度が自然と遅くなる。日本語でも英語でもない、文字であるのかすら分からない落書きがスプレーで書き殴られたシャッターが閉まっている古いビルと、光を好む虫も敬遠しそうなきつめのショッキングピンクの灯りがテカテカ光る、酒よりも女性目当てと思しきバーの隙間にぽっかりと存在する狭い路地からまた同じ声が聞こえた。
「てめぇ、ふざけてんのか!?」
「…………」
 怒鳴り声に眉を顰めながらも路地の前で足を止めて暮羽は耳をそばだてる。見かけと罵声と暴力で己を誇示する事しか能のない哀れな小物同士の喧嘩ならば、何も無かった事にして自分はこの場を去れば良い。だが、その小物に誰かが絡まれているのなら何とかしてやりたい気があった。格好良く言えば正義感。本当の事を言えばお人好し。このような時に出る己の甘さに無意識に苦笑を小さく漏らす暮羽だったが、直後に聞こえた声にその笑みは固まった。
「だから、謝ってるじゃないですか。すみませんでしたって」
 聞き慣れた声。置かれているであろう状況にしては緊迫感の余りない、何処か飄々とした涼しい声。頭の中に現れた声の主が朗らかな顔で笑いかけた。
「……風薙?」
 声の正体を言うが早いか暮羽が身体を路地へ滑り込ませると、眩いばかりの灯りが届かない、歓楽街の暗黒部を映し出すような闇の中で、野球部の後輩である風薙豹が複数の男に取り囲まれていた。群れると強くなる小物集団に過剰な怒号を浴びせられている彼は困惑した顔で片方の肩から下げたバッグの紐を両手でぎゅっと握り、視線を落とす。
「で、でも、ちょっと肩ぶつかっただけだし、俺、ちゃんと謝って……」
 微かに強張る声で改めて弁解しようと頭を上げた風薙は、視界が先程と違う事に素直に驚いた。目線の先にあるのは自分に因縁をつけている者とは違う男の背中。うなじを隠すまでに伸ばした金色の髪。ほんの少し前まで大学で共に部活動に勤しんでいた一つ上の先輩が其処にいた。
「く、暮羽さ」
「てめェら、何してンだよ」
 風薙の言葉に被さるように彼お得意の威圧の声が路地裏に低く響き、その声色に風薙もつい言葉を飲み込んだ。突然の闖入者に男達も一瞬互いに顔を見合わせるが、即座に下卑た笑みを浮かべて暮羽を睨む。
「てめぇこそ、急に何なんだ? 俺達はその可愛いおぼっちゃんに用があるんだ」
「そいつがな、俺に肩ぶつけてきやがったんだ。で、すみませんって一言だけ言って逃げようとするから、オイオイそりゃねーだろって事でちょっとお説教させてもらってたんだよ」
「はァ? コイツは謝ったンだろ? なら、もう良いじゃねェか。何なら俺が取り持って握手でもさせてやろうか? はーい、握手握手これで仲直り! みてェな」
 暮羽の後ろで挑発的な台詞を聞く風薙は内心穏やかではなかったが、ふと胸元に軽い鈍痛を覚え、何事かと視線を落とすと共に眼を小さく見開いた。暮羽の肘が自分の胸元を押している。今の内に逃げろ、と。肘の力は急かすようにどんどん強くなって行く。確かに今の状態ならば逃げる事も容易に出来るだろう。だが、そうすれば、残る彼はどうなってしまうのだろう?
「何してンだ、早く逃げろッて……!」
 自分にしか聞こえない焦り声で彼は言う。そして、こんな危機的状況なのに自分の口から出たのはこんな間の抜けた台詞。
「でも、この前やった五十メートルダッシュのタイム測定の時、暮羽さん俺よりコンマ四秒遅かったですよね。俺よりも暮羽さんの方が先に逃げた方が……」
「ンな事言ってる場合か!」
 思わず暮羽が背後の風薙を振り返った瞬間、その身体が一瞬跳ね、瞳がグルッと上向いた。視界が歪み、世界が回る。夜空の星の全てが流れ星になったかのように尾を引く。暮羽さん! 風薙の悲鳴が幾度もこだまして、後頭部を中心とした激痛を強めてしまう。未だ音が反響しているのか、それとも実際に何度も呼んでいるのか、とにかく自分の名を何遍も叫んで駆け寄ろうとする風薙が分身する。二重三重にぶれる風薙の背後で、これまた分身の術を使った男が何か棒のような物を振り上げている。叫ばなければ。風薙、危ない。後ろ。……舌が動かない。呂律が回る。いや、声すら出せているのかも怪しい。一気に時間が遅延する。靄がかかる視界の中で風薙がもどかしい速度で後ろを振り向く。男が笑みを強くして武器を勢い良く振り下ろす。あれだけゆっくりだったら大してダメージを与えないのではないか。鈍い音。伐られた木のように風薙の身体が傾く。眼をぽっかりと開けた風薙が青い髪をたなびかせながら自分に向かって倒れこもうとした瞬間、暮羽は闇の世界へと引き摺り込まれていった。

 瞳の奥で未だ星が瞬くのを感じながら瞼を開けると、自分の顔を覗き込んでいる彼がいた。意識を取り戻した自分に彼はホッと安堵の表情を一瞬浮かべるも、慌てて普段のちょっと無愛想な顔に戻してそっぽを向いた。
「暮羽さん」
 その名を呼ぶと、彼は小さく息を吐き、改めて自分に向き直って来る。風薙も何とか笑みでも返そうかと思ったが、相手の身体を見た瞬間に瞠目した。彼の両手首には手錠。手錠の中心には肩幅ほどの長さの鎖。まさかと思って自分の両手首を見ると自分にもほぼ同じものが着けられているではないか。それに、彼と自分の格好。下半身は裸足になっている以外に変化はないが上半身には何も纏っていない。バッグもズボンのポケットに突っ込んでいた携帯電話も奪われてしまったようだ。
「!?」
 相手に笑みを返すのも忘れて風薙は辺りを見回した。コンクリートが打ちっぱなしの壁。壁と同じようなコンクリートで出来た、所々にヒビが走っている床。申し訳程度の蛍光灯が点いており、換気装置の音も何処からかうっすらと聞こえるが、それにしても何だか湿った陰鬱な空気が澱んでいるのは窓らしい窓がないからか。そして何よりも気になるのが、六畳強ほどの部屋を真二つに分けるように天井から床を貫いている鉄格子。まるで、それは漫画やゲームに出て来る地下牢のような。地下牢……?
「何か、けったいな所に連れて来られちまったみてェだな」
 自分の心中を暮羽が代弁して肩をすくめるが、それにまともな答が返せるほど頭の整理が出来ておらず、ただキョロキョロと自分の周りを幾度も見回す事しか出来ない。と、背後の壁に古めかしい扉があるのを発見した風薙は微かに目を輝かせて暮羽の方を向いた。
「暮羽さん、あれ……!」
「…………」
 暮羽が少しぶすっとした顔になって顎を扉の方へとしゃくったのは、自分の目で確かめて来いと言う事か。言われるがままにまだ少しふらつく身体に鞭を打って扉へと向かい、ドアノブに手をかけ勢い良く開ける。
 やった! 其処は脱出口だった! ……訳が無く、ドアの奥にあったのは家賃が安い古アパートなどで時々目にする狭くて古いユニットバス。自分達を此処まで連れて来た者達は、わざわざ捕らえた人間を出入り口へと通じる扉がある部屋にぶち込む馬鹿ではないらしい。当たり前と言えばそれまでなのだが。
「……はぁ」
 魂の抜けるような息を吐いてトボトボと元いた場所に戻って力無く座り込むと、暮羽は少しでも自分の失望を紛らわせようとしたのか普段と変わらぬ声で言った。
「ま、風呂とトイレがある分まともな環境なのかもな」
「……すみません、俺のせいで」
「…………」
 微かに震える声の方を見れば、風薙が潤み始めている瞳で自分の顔を見据えている。今にも泣き出してしまいそうな後輩に暮羽は静かに溜め息を吐いて肩を軽く下げた。
「別に謝る必要はねェよ。俺も挑発なンかしねェで、サッサとお前の手ェ引いて逃げりゃ良かったンだ。それに、もしあの時絡んでるお前をほっといてたら、お前だけが多分ココに連れて来られただろ。もし、そうなったら俺はきっと一生自分を許さなかったと思う」
「え?」
 予想外の言葉にピョンと跳ねた胸をそのまま自然と高鳴らせる風薙に彼は少し照れたように鼻の下を指で擦った後、それより……と言葉を続けた。
「お前、頭思いっきりブン殴られてたけど、大丈夫か? 吐き気がするとかねェか?」
「……」
 自分だって殴られたのに、彼はこうして自分を心配してくれている。その優しさが嬉しくて、それ以上に申し訳なくて。だから、小さな嘘を吐く。
「あ、はい、大丈夫です。ちょっと痛いぐらいです」
 本当は殴られた場所には不快な鈍痛が残っているし、まだ目の奥でチカチカと数匹の蛍が飛び回ったりもしているのだが、これ以上彼に余計な心配をかけたくはなかった。そんな自分の嘘を彼は真に受けてくれたらしい。
「そっか」
 そう言って、歓楽街で出会ってから初めて笑いかけてくれた。へらっとしたちょっと気の抜けた笑顔に、さっきから落ち着かない胸が改めて熱い早鐘となって忙しなく打ち鳴らされる。自分は大分前からその笑顔に惹かれている事に彼は気付いているのだろうか。

 それは半年ぐらい前だっただろうか。昼休みと言う事もあって、ほぼ満員の学生食堂でたまたま暮羽と相席になったあの日。常日頃から、自分のファンだと言う女生徒達から貰う大量の差し入れを少しでも片付けねばと頂き物の栄養補助食品の小箱と缶コーヒーをテーブルの上に置いた時、目の前で弁当包みを開いていた彼は怪訝そうに声をかけて来た。
「お前、それが昼飯?」
「え、えぇ。差し入れで貰ったんです。たまにこうして昼飯とかで食べないと中々なくならなくて」
 早速黄色い箱を開けると、銀色の個包装が二つ。早速一袋目を破り開けると、きつね色のブロック状の物体が二つ。その片割れを手の中で一口大に割って口の中に放り込んでいると、勝手にパッケージを手に取っていた暮羽が、それに書かれた文字を黙読して言った。
「へェー、これ期間限定の焼き芋味じゃねェか」
「はぁ、そうなんですか」
 正直、焼き芋味などと言われても焼き芋の味どころか芋の甘さ……そもそも甘味と言うものもよく分からない。率直な感想を述べれば“何かパサパサして喉がやたら渇く”と言った所か。缶コーヒー一本のみの水分では到底完食出来そうにないから、お茶でも買って来ようかなと口内の水を容赦なく吸収する粉っぽい物体をもそもそと咀嚼していると、出し抜けに裏返った弁当箱の蓋が突き出された。その上には、ほうれん草のお浸しに玉子焼き、ポテトサラダ、冷凍食品らしき鶏の唐揚げ、緑色のピックに串刺しにされたウィンナーとプチトマト。ごま塩が振りかけられた米飯まで乗っている。
「??」
 風薙のぱちくりする目に続け様に入って来たのは突き出された暮羽の手の平。耳に入って来たのはぶっきらぼうな暮羽の声。
「それ、二袋入ってンだろ? ひとつ寄越せ。これと交換」
「え……」
「まだ口つけてねェし、この箸で取り分けたから心配すンなって」
 そう言いながら、テーブルの真ん中に置いてある備え付けの箸立てから拝借したらしい、ご飯粒が少しこびりついた割り箸まで手渡してくる。こっそりと彼の眼前に置かれた弁当箱を見ると、中身の半分が綺麗に失われていた。
「え、でも、あの」
 突然の申し出にまごつく風薙を無視して暮羽は自作の弁当の半分が乗った蓋を押し付け、黄色い箱から勝手に抜き出した未開封の銀の小袋をピリピリと開けながらサラッと言った。
「はい、これで取引成立な。その弁当半分はお前のモン。これは俺のモンだ」
「は、はぁ、いただきます……」
 強引なやり方にやや気圧されながらも、色的に目立つ玉子焼きを箸で抓んで口に運ぶ風薙を横目で見つつ、暮羽は手作り弁当と交換して得た食品に噛み付いた。数度の咀嚼の後に鼻に皺を寄せ、歯型がついたブロックを様々な角度から眺め始める。
「ンだよ、これ。あンまり芋の味しねェし、口の中パッサパサになるじゃねェか。ネットで“売り切れ続出”とか書いてたから、よっぽど美味ェのかと思ってたけど大した事ねェのな」
「あの、これ、返しましょうか?」
 不満を口ずさむ暮羽の方へ順調に食していた弁当の残りをおずおずと差し出すが、彼は目も合わさずに手をぞんざいにヒラヒラッと振った。
「あー、いいッて。もうそれはお前のモンだから遠慮しないで食えよ。人から貰った差し入れとか言っても、こンなのばっか食ってたら栄養バランスがボロボロになっちまうぞ」
「!」
 彼の強引な行動の意図を知って思わず固まる風薙を何食わぬ顔で見ていた彼だったが、不意に少し不安げに顔を寄せて声を潜めた。
「それよりよ、味、大丈夫か?」
「え……あ、はい、美味しい、です……」
 あぁ、何て平々凡々でつまらない感想なのだろう。風薙は生まれて初めて自分の味覚障害を呪った。それでも、自分が味音痴である事をまだ知らないのであろう彼は、辛うじて搾り出した自分の捻りも何も無いコメントに対して、そっか、と言って笑い、二人の間では評価が低い栄養食品を齧った。 

 あの時のへらっとした笑顔。吊り上がりっ放しの眉が微かに円みを帯び、意外に大きな瞳が少し細くなって、いつもちょっと不機嫌そうに一文字に結んでいる口が小さく開いて白い歯が零れるあの笑顔。あれは彼にとっては無意識に出た愛想笑いだったかも知れない。でも、俺は、その笑顔に瞬く間に胸を、心を奪われてしまったのだ―――。
 ギイィ。突如、頭上から重たい鉄の扉の開閉音が聞こえ、風薙の甘い回想を強制的に断ち切らせる。扉の音に続くのは階段を下りて来ているらしい複数の足音に、音の主であろう男達の声。暫し後にガチャガチャと鍵を回す音がしたかと思うと、今度は鉄格子の扉だろうかまた何かを開ける音。足音が、声が近付く。無意識の内に身体を硬くする風薙の耳元に暮羽の唇が近付き囁いた。
「……俺の後ろに隠れろ。出来るだけ目立たないようにしてアイツらと眼を合わせンな。いいな?」
「え……」
「いいから、サッサとしろ」
 言うや否や暮羽は風薙の背中を壁に押し付け、自分は風薙の前に立って極力身体が大きく見えるように背筋を伸ばした。動物の親が我が子を天敵から守り、庇うように。
「暮羽さ……」
「シッ!」
 名を呼ぼうとする声を暮羽が鋭く叩き落す中、牢の前で並ぶのは、やはり歓楽街で風薙に絡んでいた男達。耳に幾つものピアスをしている軽薄そうな男。長い茶髪を首元で束ねている狡猾そうな痩せ男。暮羽や風薙よりも二回りは大きい小山のような男。他にも歓楽街では遭わなかった気がする者が数名。
「よう、やっと起きたか。おはようさん」
「悪ぃけど、ちょーっと俺達と遊んでくんねぇかな?」
 ニタニタと卑しい笑みを浮かべて、品定めでもするかのようにねっとりと鉄格子越しに二人を交互に見る中で、暮羽は密かに確信していた。奴らの狙いは風薙だ。どう見ても俺よりも風薙の方に注目しているし、外見的にもコイツの方が好まれるのは当然だ。何よりも風薙を見る眼が吐き気を催すほどいやらしい。
 背中に触れている風薙の身体から小さな震動を感じる。震えているのだ。自分が何をされそうなのか何となく察しているのだ。暮羽は小さく拳を握り、そっと踵を上げて自分の背丈を少し伸ばしたが、そんなささやかな努力を嘲笑うかのようにピアス男が牢の中を指差した。
「やっぱ、お前かな。後ろに隠れてる青い髪の方」
「!!」
 息を呑む声が背後から聞こえると共に、身体に伝わる振動が一層強くなった。風薙の歯を鳴らす音が、揺れる呻吟が耳を撫でる。
 暮羽も自然と喉の奥で唸った。唸って、視線を落として、顔の筋肉が中心に集まる位に瞼を硬く閉じて、手の平に爪が刺さるほどに拳を握って、大きく深呼吸をして、そして、意を決して。瞳をカッと見開いて、顔を毅然と上げて、震える唇を笑みの形に強引に変えて、そして、敢えて淡々とした声で言った。
「へー、アンタらコイツを選ぶンだ? 見る目ねェの」
「あ? 何だと?」
 男達が眉を顰め、風薙が瞠目して固まる中、暮羽は手錠の鎖を慣らしながら両手を可能な限り広げ、肩を上げた。
「俺の方がアンタらを満足させられると思うけどなァ? あーあ、折角のチャンスなのに敢えてハズレを選びますか」
「く、暮羽さん、何を……っ!」
 風薙を黙らせたのは先程も感じた痛み。暮羽が、さっきと同じように自分の胸元に肘を押し当てている。胸を殴るような鼓動を繰り返す心臓を、少し息苦しさを感じるまでに強く押してくる彼の肘が風薙の口を噤ませる。風薙が血色のない唇を小さく開いて揺れる吐息を漏らした時、男達は互いにニヤケ顔を頷き交わし、暮羽の顔を顎で差した。
「そこまで言うのなら、先にお前で楽しませて貰うとするか。そんな風に誘われて受けないのは男がすたるってモンだ」
 暮羽は曖昧に微笑んだ。やはり、彼らは元々単細胞だったらしい。まんまと自分の誘いに乗ってくれた。
「じゃ、こっちに来て貰おうかな」
 開かれた牢の中にどやどやと男達が入って来て暮羽の周りを取り囲んだ時、風薙の手の甲に暮羽の手の平が重なった。
「え……」
 小さく呟く風薙の顔が直後に歪んだのは、暮羽が骨が軋みそうなほどに自分の手を強く握って来たから。だが、それはほんの一瞬の事で、温かな手はアッサリと風薙の手から離れていく。男達に両手の間に垂れる鎖を掴まれ、背中を押されて牢から出て行くその後姿に向かって風薙は少し掠れた声で叫んだ。彼に刻まれた痛みと温もりが残る手で冷たい鉄の柵を握り締めながら。
「暮羽さん!!」